ロット王は愛妻家   作:藤猫

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終わりの鐘の音が聞こえるか

 

その言葉に、青年は目を見開いた。そうして、ロットは言葉を続ける。

 

「俺だって、置いていかれた。父も母も、俺を置いていった。その寂しさを知っている。でもな、俺たちだって、ずっと一緒にいたかったさ。」

「なら、いてくれればいい。ここに、ずっと。」

 

それは、誰の言葉だったのだろうか。誰かの、その、集まった民の中、誰かの声で。

 

けれど、それにロットは首を振る。

 

「それでも、それはお前達の夢でしかない。死んだんだ、いないんだ、この世のどこにも、俺たち(死者)はいないんだ。」

 

ロットは少しだけ、泣きそうな顔をした。

 

人はずっと泣いてはいられない、悲しんでいられない、苦しんでいられない。

だから、立ち上がって、歩いて行かなくてはいけない。

それもわかる。だから、いつか、忘れられるいつかが来る。

けれど、これは違うだろう。

だって、自分たちはそこにいないのに。なのに、自分ではない自分を愛されて、それで、どうすればいいのだろうか。

 

あの人のことを思い出す。いつかに愛した、愛しいあの人。

なのに、あなたは、こんなにも柔らかな夢の中で、あなたと、そうして、幸せになれと願った幼子と、昔なじみの生真面目な男だけが奴隷のようにそこにいて。

 

ああ、だから、そうだ、だから。

 

「夢を、見てられるのなら、いいだろう。でもな、それは終っちまった俺たちには関係ない。俺たちは、もう夢は見れない。置いていったお前らが幸せならって、少し、考えた。でもなあ。」

寂しいんだ、それでも。

 

ずっと、ずっと、思っていた。

この世界を見た時、この世界を知ったとき、ここでは皆が笑っていた。

だって、ここではどこまでも死者は不要な存在だった。自分たちがいなくなったことは塗りつぶされて、生きていることになった世界。

 

ああ、幸せなのだろうね。ああ、優しい世界だね。

そんなことを思うはずだったのに、自分は、どうしようもなく腹立たしくて仕方が無かった。

なら、ならば、自分たちの終わりは何だったのだ?

死にたくなんて無かった、生きていたかった。それでも、死ぬしかなかったのに。置いていきたくなんてなかったのに。

なのに、なのに、自分たちの喪失はなかったことにされた。

なあ、なあ、違うだろう。それは、自分たちではないのだ。自分たちはいなくなったのだ。

なら、自分たちはどこにいけばいいのだろうか。

こんなにも寂しいのに、こんなにも悲しいのに。

 

「・・・引きずって歩くのも、忘れずに生きるのも、それもいい。でもな、いつかは俺たちを振り切って、ちゃんと生きなくちゃいけない。それが生者の役目だ。それは、俺たちには出来ないことだ。」

 

だから、終らせるんだ。

 

それは死者からの、言葉だ。

置いていかれ、変わりゆくものたちへの寂しさを抱えてなお、変わらない自分たちさえも否定されたそれだ。

 

「お前達の愛した者は、俺たちではない。その愛は俺たちには届かない。ならば、俺たちはお前達の夢をどうして、肯定なんて出来るものか。だから、なあ、もう、行かないと。」

 

ロットは笑った。それに、年かさのものは顔を歪めた。

優しい王様だった。

ふらりと時折現れて、釣りするようなのんき者で、けれど、ずっと自分たちと共に生きてくれた。

ずっと、そうやって、生きてくれた。

知っている、あなたはそうやって優しげに私たちに微笑みかけてくれた。

 

「ありがとう。それでも、ずっと、抱えていこうとしてくれた。もう、何も出来ない俺たちに、行かないでと思ってくれたんだな。」

だから、ありがとう。

 

藤丸立香は、なんだか、それに泣きたくなった。

それは、死者からの別れの言葉だ。

いつか、夢から覚めなければいけないと、そんな決別の言葉だ。

 

戦うためでもなく、前に進むためでもなく、変わるためでも無く、寂しさと悲しみによって死者に縋る生者への強烈な、拒絶の言葉だ。

ああ、けれど、何故だろうか。

それは、とても、とても、優しい声だった。

 

「・・・・置いていけって言うのかよ。いなくなったやつらのことを抱えて、生きろって。」

「ああ、だが、大丈夫さ。」

「なんでそんなことが言えるんだよ!?」

「お前達は、俺の民だからだ。」

 

揺るぐことのない言葉に、青年は虚を突かれた顔をした。

ロットはにっと、まるで、少年のように大口を開けて笑った。

 

「こちとら、冬の国、果ての国、雪と海の、オークニーの王なんだぞ!お前らがどんだけ図太いか!強かで、頑固で、そうして、生きると言うことにどれだけ真摯か、知っている。涙も、怒りも、俺だってお前達と生きたんだ。知っている。お前らのことなら、知っている。信じている。信じているさ、誰よりも、お前たちのことならば。」

 

 

「・・・・聞いただろう?」

「うるせえよ。」

 

ベルンのそれに、青年は吐き捨てるように言った。けれど、その攻撃的な言葉とは違って、周りにいた人間の手から、農具がこぼれ落ちる。

 

「もう、私たちだって、行かないといけなんだ。」

 

私は、ベルン。

ただの、ベルン。ただ、オークニーで生きていただけの文官。

武勇などなく、ただ、羊皮紙と人間に頭を抱えて生きた、それだけの人間。

ああ、でも、それでも。

私は確かに、あの国で、彼の王と共にあったのだ。

王と、共にあり、そうして、その王が死んだ。

 

悪い夢だと思った。いつかのように、ぼろぼろのまま現れて、すまないなんて笑ってくれるのだと。

だって、ベルンにとってその男は、いつだってそうだったから。

 

遺体が帰ってきて、葬儀が行われて、墓に納められ、王子たちがいなくなって、それにともなって姿を消した奴らもいて。

 

それでも、ベルンはようやく、王が死んだと理解した。それに、ようやく、立ち上がる気になった。

だって、腹が減ったのだ。食料だってただではない。

周りの人間の尻を、あの、王の忠犬の尻だって蹴飛ばして。妃様にだって食事を食べさせて。

生きたのだ。

 

この、果ての大地は美しいが、けれど、残酷だ。ならば、生きなければ、生きなければ、だって、生きろと願われたのだから。

 

なのに、悪い夢を見ているようだった。

そうだ、こんなのは悪い夢だ。

失せ物が戻ってきたとき、普通の人間ならどうするか。きっと、まるで二度と離さないというように慈しむのだろう。

 

が、自分は違った。

砕けるように、燃えるように、掠れるように亡くなったものが戻ってくるなんて気味の悪いことを受け入れられなかった。

なぜ、ある?

壊れたはずだ、亡くしたはずだ、二度と、手の中に帰ってきてはいけないはずだ。

けれど周りはそれを受け入れている。それこそが正しいと、これでいいのだと。

いくら言っても、周りはそれを不思議にだって思わない。自分が可笑しいことになっている。

自分はただの人間だ。平々凡々たる、どこにだっているような人間だ。

けれど、これは間違いだ。

自分は夢に浸れなかった、その優しい夢に浸れなかった。

 

だって、自分は立ち上がってしまったから。それを置いて、足を進めてしまったから。

だから、拒絶して、違うのだと言ったのだ。

王妃は逃げ出した己に何も言わなかった。

 

お前がそう望むのなら、現にあることを許しましょう。

 

誰よりもそんな世界を望んだ、哀れな女の元から逃げ出した。誰かを探した。

間違いだと、これではいけないのだと。

だめだと思った。これでは、あまりにも不誠実だ。これでは、あまりにも残酷だ。

自分はただの男だ。どこにだっている男だ。

夢から覚めるのが怖い。このまま、皆が幸せな日々の中で生きられるのならそれでいいのかもしれない。

けれど、これではダメだと、自分にだってわかる。

こんな日々を、彼の人は何よりも嫌っていたはずだ。

 

 

「なら、これを上げよう。」

 

それは、どんな出会いだったのだ、自分にはわからない。

銀の髪、虹色の光を纏ったそれ。

 

「君に、一つだけ、夢から覚めるためのものをあげよう。ただし、全てのものには代償が必要だ。君は縛られることもあるし、多くの存在に恨まれることもある。それでも、たった一つだけ言えるのは。」

君には奇跡が訪れる。

 

それは人でなしの言葉だったのだ。それは、聞いてはいけない言葉だったのだ。

それは、それは、悪魔のささやきだったのだ。

けれど、ベルンはそれを受け入れた。

 

だって、このままでは、亡くなったことさえも忘れられて、夢に目がくらんだ奴らに忘れられていくものたちが、あまりにも哀れだろう。

 

「うん、いいね。やっぱり、君はいいね。いつだって、全てをひっくり返すのは、平凡なる人間であるべきだ!」

 

ベルンはああ、よかったと思った。もう、体はズタボロで、けれど、それでも確かに奇跡は訪れた。

 

「生きろと、俺たちは願われたんだ、なら、いくんだ、いきないと、いけないんだ!」

 

老人よ、お前はそれでいいのか。永遠にそこで佇むだけでいいのか。いつまで、黄昏の中で生きている?

若者よ、それでいいのか。人生を謳歌すると、永遠に子どもは子どものまま、成長はなく、半端なままでどこにゆく。

子どもたちよ、そこで何をする。永久の遊びの中で、大人になることもなく、叶える現実もないままに。

これでいいのかもしれない、それでいいのかもしれない。

だが、これでは、あまりにも王妃様が可哀想だ。

 

「わかっていただろう!この国で生きて、この世界は残酷で。奇跡なんてものを神が与えてくれないことぐらい!誰が、この奇跡を与えているのか!」

 

青い瞳が、無辜なる誰かを貫いた。

ああ、知っている。知っているよ、その瞳。その、青い瞳。

だって、ずっと、その瞳を知っていた。

自分たちを守ってくれた誰かを覚えていた。

 

 

「・・・・知らない。」

 

掠れた声で青年が言った。

 

「お前!」

「知らねえよ!それで、何なんだよ!俺たちはどうなる!?王の事情なんて知らねえよ!」

 

叩きつけて、目をそらして、それでも、もう、青年だってわかっているのだ。

 

知っていた。

自分たちの人生が、この安寧が、誰かの犠牲になり立っていることなんて。

でも、いやじゃないか。死にたくない、終りたくない。

だって、自分は、自分は。

そうやって、目をそらした。目をそらして、でも、どこか後ろめたかった。

いやだ、このままでいい。死にたくない、死にたくない。

いいじゃないか、王様なんだ。俺たちの麦を食べて生きてるんだ。なら。なら、当然なんて。

 

違うってわかってた。俺たちはもう、麦なんて作ってない。ただ、ただ、夢の中でいつかの夢を繰り返してる。それでもいい、自分がいなくなることが怖い、どこかに行くのか、わからないから辛い。

いやだ、いやだ、いやだ。

誰が、王様の、その妻が苦しんでるからって。知らない、知らない、知らない。

 

わめき立てて、その場を沈黙が支配した。

ああ、何が言えるのだろうか。いったい、何が、言えるのか。

けれど。

 

「本当に?」

 

遮られたその言葉、それを言ったのは、民でも、騎士でもない、異端者で。

 

「君は、それでいいの?」

「何がわかるんだよ!あんたに、何が!」

「・・・そうだね、俺にはきっと、わからないことの方がたくさんあるんだ。きっと、何を言うんだって思われるんだと思う。」

でも、でもさ。

 

目をそらしても、あなたは苦しいままなんじゃないの?

あなたは、王様のこと、好きなんだと思うから。

 

 

本当に?

 

言葉は投げかけられて。

 

わかってたんだ。わかってた。わかってたんだ。

 

目の前の、王。

夜色の髪に、この島の春のような若葉の瞳。

 

俺、一度、王様に会ってるんだ。

 

あの日、寒い、冬の日。

俺の、妹になるはずだった赤ん坊が死んだ日。その日、食料を届けに来た王様が偶然、村にいて、その人は産まれる赤ん坊の存在を喜んで、

そうして、その赤ん坊が死んだ。

貧乏で、ろくな墓も用意できない。ただ、土を掘って埋めた、小さな、墓。

夜に、雪の降る、その日。寂しい俺は、墓に行った。

いたんだ、そこに。雪もやんで、月の見える白雪の中で。

べこべこにへこんだ鎧、土埃に塗れたマント、血と泥で汚れた顔。

自分とどこまで違うだろう、泥まみれのその人は、夜みたい髪に少しだけ雪を積もらせて、綺麗な、若葉の見たいな瞳から。

綺麗な、滴を垂らしてた。

 

ぼたぼたと、涙があふれた。

きっと、覚えていないだろう。きっと、よくある話だから。きっと、忘れているだろう。

けれど、自分は覚えている。

よくある話だから、よくある、悲劇だから。

皆が、父親や母親でさえも、仕方が無いとそういって、涙さえもろくにない。

俺の妹のために、あんたは、泣いてくれたんだ。

 

「・・・ああ、そうだ。」

 

涙で揺れる世界の中で、青年は、ただの、名も無き青年はじっと泥だらけの騎士と、少年と、王を見た。

 

「なあ、手を、見せてくれ。」

 

それにロットはガントレットを脱いで、血の通った手のひらを青年に見せた。

それを青年は握った。

周りにいた民達も、それをのぞき込む。

 

「・・・泥は付いてないけど、硬い手だ。」

 

互いの手を見た。ボロボロの爪、泥に塗れた手、節くれてカサついた肌。それは、大地と共に生きるものの手だ。吹雪に生きあがいた人間の手だ。

 

短い爪、硬い手、歪な形の指。

 

ああ、互いになんて醜い手だろうか。それはどこまでも生きるために何かを振い続けた手だ。

王と平民。

それは、天と地のように違うのに。

その手は、本当によく似ていた。

青年はその手を見て、ぼたぼたと涙を流した。涙が、熱い雫が手のひらに降り注ぐ。

 

「・・・・王様なんて嫌いだ。騎士も、嫌いだ。」

「それは・・・」

「・・・・俺の妹は、死んで産まれた。生かされる努力もなく、ただ、産声を上げて、まぶたを開けることもなく死んだ。当たり前だ、母さんは痩せ細ってて、あれでまともに産まれるわけがない。自分の生まれが憎かった。自分とは違うあんた達がばくぜんと憎かった。」

 

ぎちりと、手のひらに爪が食い込んだ。

ああ、でも、それでも。

 

「でも、あんたは、妹のために泣いてくれた。」

 

あの日、いつかに、無意味に、無価値に、ただ、産まれただけのあの子のために、その男は泣いていた。

それは、無意味な行動で、それは無価値な子どもの死だ。

けれど、それは、泣いてくれた。ただの偶然で妹の埋葬の日に訪れた王は、一人で静かに泣いていた。

それは、何よりも、どれよりも、真摯だった。

 

「そうだな、ああ、そうだ。」

 

青年の言葉に、民達はそっと、農具を置いた。

 

「なあ、いいか?」

 

掠れた声でそう言えば、霧の中からぞろぞろと、人間が出てくる。その中には、立香があった、ベルン達の村の村人まで混じっていた。

 

「・・・これは!?」

 

ランスロットの驚きの声を遮って青年が口を開く。

 

「王様が、この夢を終らせようとしてるって、城のお妃様から知らせが入った。どうして、こんなことになってるのか、俺たちにはわかんねえ。お偉方の考えなんて特にな。でも、嘘だと思った。あんたは、ずっと、優しい王様だった。」

「私たちが飢えないように、食料を少しでも分けてくださって。」

「蛮族たちを追い払って。」

「狭い国の中、ひょっこりと現れては、私たちの話を聞いてくださった。」

だから、知りたかった。どうしてか、何故なのか。

ずっと、世界は自分たちの知らないところで回ってばかりだから。

 

だから、知りたかった。

 

「この、城の人に聞きに行こうと、そう言われて全員でわざわざ来たんですよ。」

「ああ、聞いただろう?どうしてか、何故なのか。もう、行かないといけないんだ。別れを、言わないといけないんだ。」

 

それに皆は静かに頷いた。

そうして、皆が互いの隣にいた誰かを見た。

それは、娘の、息子の、妻の、夫の、大事な誰かの姿をしている。今、こんな時でも、それは、そうして、淡く微笑を浮かべている。

ああ、なんて歪なんだろうか。

自分たちは、こんなにも、老いて、成長して、大人になってなお、あなたたちは変わらないままなのだ。そう、変わらないまま。

それに、皆、顔をくしゃくしゃにした。

ああ、わかっているのだ、わかっているのだ、それは、生きていなくて。

 

あなたはいつかに、私たちのために泣いてくれた。一緒に生きてくれた。

未練がある、このまま、ずっと、柔らかな夢の中で眠っていた。けれど、それでも、生きろと、行けと、あなたは言うのなら。

そうして、自分ではない自分を愛するのは寂しいと死者が言うのなら。

ああ、そうだ、もう、行かないと。

行かなくてはいけない。

 

青年は、隣にいる、幼い少女のことを見て、泣いた。もしも、あの子が大きくなっていれば、こんなふうであるはずで。

 

「きっと、美人だっただろうな!きっと、きっと、いい子だっただろうなあ。」

 

涙でかすんだ視界の中で、それでも、青年は口を開く。

 

「でもなあ、そうだ。そうだったんだ。」

 

俺の、妹は、死んだんだ。

 

 

その言葉と同時に、かきんと、何かが壊れる音がした。皆の隣にいた、優しい夢は霧のように消え失せて。

 

「ああ。」

 

立香の喉の奥から、そんな声が漏れ出した。彼の手のひらには、聖杯の雫がころりと転がった。

 

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