聖夜の気配が近づく十二月、バディポリスの不破誠人は殺人現場に赴くことに。そこには頭を撃ち抜かれた男の死体があったが、頭部は跡形も吹き飛んでいた。
 大口径かつ高火力の銃火器によって撃たれたのだと推測するが、他にも可能性が浮かんでいく――カードを具現化する能力を持つ者の犯行だと。
 事件の真相を探るために、不破は警察から借りたとあるビデオを視聴するが……。

 ――罪を犯した者にも人として生きて、死ぬことは許されるのだろうか。

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フューチャーカードバディファイト ~罪人の楽園~

 来たる聖夜に向けて街の彩りが一層明るくなる十二月。それでも日を跨ぐ頃合いには喧噪は立ち消え、肌を突き刺すような寒さと静けさばかりが残る。

 草木も眠る静寂を蹴破るかのように、入り組んだ路地裏を一人の男が息を切らしながら逃げるように走っていた。命の危機を感じたことを示すように、何かに怯えている様子で、時折背後を見るが誰もいない。けれど、彼が胸を撫で下ろすことはなく、それどころかさらに忙しなく周辺を見回すばかり。

 

 何故、自分があいつらに追い詰められているのか。そもそも――。

 

 思考が逃走から追及へ移ってしまった瞬間、男の顔は一瞬にして弾け飛んだ。轟音が響く中、構成物を撒き散らし、膝から崩れ落ちる。血や男の顔や頭の中身が、コンクリートの地面を静かに浸潤(しんじゅん)していく。

 

 曲がり角の影から少年が楽しげに靴音を鳴らして、死体の方へ近寄る。夜本来の静寂に漂う血の匂いに嫌悪するどころか、喜びさえ感じたような笑みを浮かべて、物言わぬ人の傍にしゃがみ込む。しばらく観察すると、おもむろに懐から使い捨てカメラを取り出して操作し、軽快なシャッター音を発する。

 写真が撮れたことに満足したのか、さらに口元を緩めていく。そして少年は立ち上がって、轟音の発生源がある方角へ目を移し、コートのポケットにしまっていた無線機のスイッチを入れて話し始めた。

 

「ターゲットは死んだよ」

『当然ですわ』

 

 スピーカーの向こうにいるのは少年と同じくらい幼さが残る声音の少女。『これで死ななかったら、人間じゃないもの』落ち着きを払いつつも、どこか嫌味混じりで言葉を継ぐ。

 

「そうだね、人間じゃないのは僕らだけで十分だ」

 

 自嘲を吐きつつも、少年は愉快げに喉を鳴らす。碧眼に映る夜空は、曇が一切ないものの、輝く星はまばらで決して満天とは呼べない狭苦しい景色。

 

『急ぎましょう、お兄様』静謐(せいひつ)の間に響く平静とした語勢の中に焦りがわずかに漏れた少女の声。『私たちには、時間がありませんわ』

 

「分かってる」

 

 彼女の意見に頷き、少年は真剣な面持ちになっていく。静かに夜風がブロンドの髪やシックな衣服を触れて通り過ぎた瞬間、俯き加減に吐いた。「早く見つけなくちゃね……僕らの楽園を」

 

 

 

 

「こりゃ、ひでぇもンだな」

 

 同僚があげた第一声に、頷くしかなかった。目の前には無惨としか形容できないような死体が、倒れ伏している。吐き気が込み上げてきても、誰も咎めないだろう。

 だが、バディポリスという職務に就いている不破(ふわ)誠人(まさと)に、容赦は許されなかった。いや、吐き気すらも感じないほどに見慣れたしまった光景とも呼べるだからだろうか。

 苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる同僚を傍目(はため)に、彼は無言でその場にしゃがみ込んで手を合わせる。重たそうな(まぶた)をゆっくりと上げて、改めて死体の観察をしていく。

 

 頭部は跡形もなく吹き飛ばされているだけで、胴体の方は大した傷が見当たらない。数メートル以上先にある地面に大穴が空いていることも踏まえると、狙撃による射殺が妥当か。

 

「対物狙撃銃みてぇなもンで吹っ飛ばされた感じだな」

 現状を見て料簡(りょうけん)を立てていたところに、同僚――碓氷(うすい)道正(みちただ)朱殷(しゅあん)双眸(そうぼう)を鋭利に細めて仮説を口にする。「犯人は組織に所属している腕のいい奴か、それとも――」

 

「カディヴムか……」

 

 言葉の先を予測して、不破が継いでいく。「これについては、まだ断定したくないけどね」意志を持ったカードを具現化できる存在――カディヴムは、都市伝説として謳われるぐらい希少な人間たちだ。確証がない限りは、あまり可能性の中に考慮したくはない。

 

「まっ、普通に考えたらバカみてぇなデカブツ振り回すなんざ、あり得ねえ話なンだけどな」

 

 道正は肩を(すく)めて、つまらなそうに吐き捨てた。大柄な体格に違わぬ荒々しい語勢で、さらに弁舌を動かす。「どうであれ、ゴミが一つ片付くンなら捜査する必要はねえだろ」

 

「もう少し言葉遣いを選んでくれよ」

 

 あまりに直球すぎる物言いに、やや辟易(へきえき)とした目つきで不破は隣を見やる。「それに犯人が犯罪者だけを狙うとは限らない」悠々とした動作で立ち上がり、静かながらも芯の通った口調で告げた。「次の被害が出る前に捕まえるのが、バディポリスと警察の使命だからね」黒の双眸(そうぼう)には確かな決意の光が宿っており、相好(そうごう)も険しくなっていく。

 

「お天道様に顔向けできねえことばっかりしてンだから、丁度いい罰当たりだろが」

 

 呆れたように鼻で笑い、嫌悪感を存分に表に出す道正。朱殷(しゅあん)の瞳はもはや憎悪と言っても過言ではないぐらいに、薄暗い光が広がっていた。「奴は人身売買をやっていたンで、警察の連中が追っていたってよ」口の中に苦味を感じたのか、歯切れは悪くないものの不機嫌そうな調子で情報を話す。

 

「人身売買以外は?」

「不法にモンスターやカードを売りさばいてたのもあるな」

「これは思っていた以上に、根が深そうだね」

 

 だから、バディファイトというカードゲームに関する事件を担当するバディポリスが呼び出された訳か。殺人事件の現場に駆けつけることになった理由に、不破は納得する。

 ……しかし、だとしても頭を文字通り吹き飛ばす必要があったのだろうかと、疑問が浮上した。裏社会の人間ならば、死体を隠すような気もするが、果たして。

 

「案外そうでもねえかもしれねぇぜ?」

 

 思案を遮るように道正の声が耳朶(じだ)を打つ。表情こそは仏頂面のままだが、心なしか状況を楽しんでいるかのように弾んでいた。「正義の味方という名の清掃屋が片付け回っているってのもある」

 

「その想像が、現実でないことを願うよ」

 

 ため息しか出ない。正義というのものは、いつだって厄介だ。悪事を為す者を制裁するために、警察やバディポリスではない人間たちが動き回り、今目の前にある死体のように殺す可能性がある。

 しかも、己の為していることは正しいと信じて疑わない。世間もまた称賛するだろう。この連鎖は止まらなければ、いつか正義という名の毒に侵され、取り返しのつかないところまでいく。

 それを防ぐのが、自分たちという訳だが……気が重くなるばかり。しかし、ため息ばかりをついていても仕方ない。

 

「道正、帰ったら被害者のことを洗い出そう」頭上にある朱殷(しゅあん)双眸(そうぼう)とぶつかると、覿面(てきめん)の同僚はにやりと笑って了承の言葉を口にした。

 

 

 

 一方、事件現場にいた少年は妹と合流して拠点に。その拠点場所となる廃工場の事務室にて、ラジオから流れてくるニュースを聞き流していく。

 賑わっていたのは、彼がいたところの事件について。被害者の男が裏社会の人間だったことからか、あまり詳しい情報は投げていないものの、殺人者への讃嘆の声が挙がっている。

 

「クリスお兄様、ラジオの音量を下げてくれます?」妹がドアを丁寧に開け、部屋に足を踏み入れる。兄妹の顔つきは非常によく似ている――何故なら彼らは双子だから。顔立ちだけではない、髪や瞳の色も似ており、同じ髪型で同じ服装をしていたら見分けがつかなくなるだろう。

 

 少年――クリスティアン・シュレーゲルは妹のディアナ・シュレーゲルに言われた通り、ボリュームのツマミを回して、ラジオの音を小さくしていく。「ここは思っていた以上に早いね」先程から聴いていたニュースに対して、無邪気に笑い立て、おどけたように感想を放る。「ニホンのケーサツは優秀だって、この前殺した奴が言ってた通りだ」

 

「ええ。でも時間的には、ここで楽園を見つけるしかありませんわ」

 

 楽しげに笑う兄と違い、ディアナは真剣な表情で返す。遊んでいる余裕はないと言わんばかりに、碧眼を鋭利に細め、愁眉(しゅうび)を寄せていた。そして肺から騒めくものを感じたのか、胸元を抑えて、一度深呼吸する。

 彼女の顔色を見て、クリスティアンもまた己の死期を悟るかのように苦々しい表情を浮かべた。ラジオに付属している時計へ視線を移すと、淡々と動いている針が自分たちの命を削っているかのように思えてきて、さらに口の中が苦くなる。分かっている、冗談や戯れをしている時間は残されていないことは。

 

「ターゲットは決まった?」それでもクリスティアンは明るく軽快な口調で、訊ねる。彼らにとって、人を殺めることは近所へ散歩に出かけることと何ら変わりのないのだ。

 

 ディアナは首を横に振るが、先程までの険しい相好(そうごう)を崩して、柔和な笑みを(たた)える。「ターゲットはいくつかに絞れましたわ」見つめ合う二人の瞳には、歪んだ硝子片が光を反射しているかのような、禍々しくも美しい碧が広がっていく。「神の代わりに、私たちが悪を狩り尽くしましょう」

 

 

 

 

 眼前に広がる赤、薄橙(うすだいたい)、紺は人の欲望か愉悦か。人とは呼び難い叫び声や肉が潰れる音、そして子供の泣きじゃくる顔が映像として流れていく。もはや地獄とは形容してもし足りないほどに、凄惨な光景ばかりが映っていた。

 

 粗くも吐き気を催すような場景が鮮明に映し出されても、それを眺める男の表情は動かない。黒の双眸(そうぼう)は映像をくまなく追い、何か手がかりになりそうなものがあるかと探し求めていく。しかし、今見ている映像にもないと分かると、嘆息をついてビデオデッキを操作した。

 

 現場から撤収してから倉庫のような一室で、かれこれ数時間はビデオを見続けているせいか、疲労が目や腰にのしかかってくる。壁に掛けられている時計を視線を移すと、針は午後を示していた。次見るもので何も得られなかったら昼食を入れようかと、視聴が終わったビデオと新しいビデオの交換をしながら思考を巡らす。

 じっとコンクリートの床に座り込んでいるためか、腰の負担も尋常ではない。だが、警察から提供してくれたものの中で、こちらとしてもある程度は掴みたいところ。再生するまで表示されるゲージが満タンになったところで、黒から様々な色が流れた。

 

 目を皿にして眼前の映像を追いかけると、背後から扉が開く音と同時に低くも荒々しい声音が耳朶(じだ)を打つ。「おい、不破。飯行か……ねえか」

 不破はテレビの画面から見切れないように、肩越しに声の主へ目を向ける。そこには偉丈夫が顔を真っ赤にし、体を振るわせていた。「朝っぱらから、なんてもン見てンだよ!!」怒声は部屋中に響き渡り、思わず不破は耳を塞いで眉を(ひそ)めていく。

 

「ドア開けっ放しで大声出さないでくれよ」

 

 少しだけ不機嫌そうな口調でたしなめ、辟易(へきえき)とした様子で肩を(すく)める。「それともうお昼だよ」時計を一瞥(いちべつ)して、呆れたようにため息を吐いた。確かに朝から見ていたのは、間違いないのだが。

 

「っせぇ! お前が変なもン見てンのが悪いからだろ!!」出入り口前で、道正の足は縫いつけられたように止まり、再び怒鳴り散らした。元々鋭利な目尻がさらに鋭さを増していき、切っ先を喉元へ突きつけるかの如く、不破を(にら)みつける。

 

「これは立派な捜査だよ」

 

 鼻白むことなく、不破は平然と言ってのけ、平静な語勢のまま言葉を継ぐ。「被害者の趣味に紛れて、何かしらの手がかりがあるかもしれないからね」

 

「だからと言って、そんなもン、堂々と見てンじゃねえよ!」

「仕方ないだろ、被害者がそういう趣味だったんだから」

 

 人身売買やカードの不法売買などをしていた男が何を目当てにしていたかと思えば、人様には見せられない――簡潔に言えば、人の欲望そのものを表した映像を求めたのは予想外。「それに僕もこう見えて疲れてるんだよ?」だからこそ、常人には理解しがたい感性に苦しみ、疲労ばかりが溜まっていく。弱音は吐いていられないが、あまりの惨状に俯きたくもなる。

 

「騒がしいと思ったら、あなた達だったのね……」

 

 一人の女性がふらりと姿を現す。オレンジのチョッキとカーキのツナギが印象的な現場隊員の制服に身を包んでいる彼女は腕を組み、眉根を寄せて険しい表情を浮かべながら最も騒音を立てた人物へ目を向けて言う。「苦情が来ているわよ、特に碓氷君に」秀麗な顔立ちに似つかわしくない皺を眉間に刻みながら、さらに整った眉尻を吊り上げた。

 

「うっ、勘弁してくれよ……あれは不可抗力だっての」先程と打って変わって、道正の態度は弱々しいものになり、頭が上がらないと言った様子で威勢を失っていく。「中瀬、今回は本当に叫んじまうもンだったんだって」

 

「だとしても、ドア開けっ放しで叫ぶことじゃないでしょ」

 

 端正な指先をこめかみへ当てて、女性隊員――中瀬(なかせ)和穂(かずほ)は頭を抱えたように嘆息を一つ吐く。「不破君が見ているもの次第だけど」呆れ気味に付け加えた後、不破の方へ歩み寄り、先程から流れている生々しい音の源を見つめる。「……ちょっと不破君……これ」そして理性を持った常人とはかけ離れた姿をした子供達が、獣と言っても過言ではないほどに豪快に肉を潰して(もてあそ)ぶ場景に言葉を失った。

 

「どうやら、当たりを引いたみたいだね」既に意識をビデオの方へ戻していた不破は、独りごちる。胃からのぼせ上がりそうな液体を何とか留め、その先もじっくりと見ていく。

 

 今までのビデオと違い、白衣を着た科学者らしき人物が少年少女の行動を観察しながら記録している姿が画面の端に見え、時折指示を出しているような様子が見受けれられる。その度に彼らは違った動きで肉を叩き潰し、骨を砕いて対象の息の根を止めていた。対象は――彼らと同じく人間だ。

 

「おいおい、こんなもン、飯前に見せるもンじゃねえよ」

「お昼前でも後でも、目にしたくないわよ」

 

 映像を見た二人は、苦々しい口調で同じような意見を口にする。誰もが、人が殺されるところを、人を殺すところを好き好んで見たくはないだろう。

 その気持ちは不破も痛いほど分かっていた。「同感だね。僕も全然食欲がないよ」淡々としながらも重々しさも感じる語調で率直な言葉を連ねる。「何も口にしたくないのが、正直な気持ちかな」漏れ出るため息はいつになく重たさを含み、彼の疲労を表しているかのよう。実際住んでいる世界が違えば、受け入れるのに時間と体力がいるということが、そのまま体にのしかかっているようにも思えた。

 

「お前、ずっと似たようなもンを見ていたのかよ」

「流石に疲れた」道正の問いに頷き、疲れが表に出た黒の双眸(そうぼう)に一寸たりともブレずに強い光を宿らせながらテレビの画面へ一瞥(いちべつ)を投げかける。「だけど、これで可能性がまた一つ増えた」最後に映った双子らしき少年達のよく似た顔立ちと、人とは思えない獰猛な笑みを目に焼きつけた。

 

 

 

 

「不破君、さっきのあれ、どこが当たりなの?」

 

 昼下がり、喫煙所で不破たちは各々煙草を吸いながら先程のビデオについて語り合う。昼食とはいうと、やはり胃が受けないため、いつもより軽めに済ましたところ。衝撃的な光景を目の当たりにして平然と食事ができるほど、誰もが不動の情を持っていないのだ。

 未だに落ち着かない胃の調子をなだめるようにゆっくりと煙草を吸い、不破は紫煙を大きく吐き出すと和穂の問いに答える。「画面の端に研究員みたいなのがいたでしょ?」脳裏に焼きつけた凄惨な場景を少しずつ鮮明にしていきながら、推察を口にした。「多分きっと彼らは肉体改造を施されている」

 

「あー、そういうことかよ」

 

 納得したかのように道正も煙を吐いて、苛立ちを露わにする。「要するに、カディヴム養成実験ってヤツだろ」煙草の苦味とは違う苦さが口の中に広がっていると、目に見えて分かるぐらいに苦々しい表情を浮かべていく。朱殷(しゅあん)双眸(そうぼう)はいつにも増して鈍くも暗い色の放っていた。

 

「あくまで仮説だけどね」左手にある煙草を悠々とくゆらせ、不破は嘆息混じりにもう一度紫煙を出すと淡々とした調子で言う。「そこの研究施設の情報が欲しいかな」探るとしたら過去に関連した研究所の資料を漁るというぐらいで、ビデオの中に映っていた場所が分かっているわけではないし、何もかもが不足しているのが火を見るよりも明らか。

 

「警察の連中なら知ってンじゃねえの?」苦虫を噛み潰したような相好(そうごう)から打って変わって、道正の口元が薄い笑みすら見えそうなぐらいに緩み、軽々しい語調で言ってのける。「そういうの、お手ものだろ」無責任と思えるほどに軽い言葉だが、誰も眉を(ひそ)めることなく、紫煙とともに流れていく。

「もし海外のものだったら、そっちの方でも情報提供が来るかもね」

 

 しばらく自身の煙草を味わっていた和穂も口を開いて、話に参加する。「……それにしても、あんなことをするなんて最低よ」浅葱(あさぎ)色の瞳は憤激を堪えるかのように、強く光を放ちながらも、足元の色を映して揺れていた。

 

「何に対しても知りたがるのも人間の性なのかもね」

 

 平静な声音のまま不破は答える。朝から見ていた映像の数々を思い返す度に、こめかみを押さえたくなるよな頭痛が走り、顔を(しか)めて(おとがい)を上げて誤魔化すように口を動かす。「好奇心は猫をも殺すとも言うけれど、猫が死んだことすら好奇心で得た結果の一つに過ぎないとも考えていそう」音にしてみて初めて自分が思っている以上におぞましいことなのだと知ると、さらに苦虫を噛み潰し、頬を歪めた。これ以上は理解できないし、理解したくもない。

 

「時が止まっちまうことなんてザラってのに、わざと時を止める気の奴の気なんて知れねえよ」

 

 つと道正の方へ目を向けると、重々しい声音の裏側にある悲しみと憎悪が滲み出ているかのように朱殷(しゅあん)双眸(そうぼう)が鈍い光を宿していた。「ましてや、自分じゃなくて他人の……それもガキの命を使ってな」軽薄は消え失せ、あるのは復讐心そのものと呼べるような鋭利な眼光だけ。あるいは強い正義感の表れか。

 

「時間を止めて得られるものと人材の問題で、自分達では行えないと判断したからだろうね」

 

 同僚の言葉を受け、不破は脳内にある情報を引っ張り出す。カディヴムは中高生になるまでの間に、トラウマと呼べるほどに苛烈な体験をして、記憶を強く刻みつけた人間が思春期を迎えて過ごしている時が能力を発現しやすいと。「命を(もてあそ)ぶことほど、神に顔向けできない行為だと言うのに」ビデオに映っていた彼らは、恐らく年少の頃から文字通り壮絶な人生を生きてきたのだろう。心の傷を深くした上に肉体や脳に手を加えられていると考えると、また吐き気が込み上げてきそうだ。

 不破の口から出た単語が引っかかったのか、和穂は驚嘆の形相で彼を見やって口を開く。「不破君って、神様なんて信じているの?」

 

「都合のいい時だけ信じることはしたくないだけだよ」少しだけ気分が落ち着くような話題に切り替わっていくことに、不破は内心安堵しながら弁舌を動かす。「だから、常に神や仏はそこにいると信じているのさ」

 

「てめえの勝手だが、神や仏なんざ大事な時に手を貸さねえ偶像に過ぎねえよ」

 

 信心深い心意気を小馬鹿にするように鼻で笑い、道正は嘲笑うように言い返した。「そんなもン信じたところで、誰も救えない」まるで自身の過去を映し出したかのように、暗い表情で俯き加減に告げる。「人を救えるのは、人だけだ」確固たる意志を感じさせるよな力強い言葉が静寂に響く。

 

「別に人を救えるものだと思っていないさ」

 

 むしろ人を救うためにあるのが、神や仏ではないと不破は目で訴えかけながら述べる。「ただ僕は信じられるなら、信じたい。それだけだよ」黒の瞳はいつになく芯の通った光を放ち、鋭利とさえ感じさせるように細められていく。偶像だからこそ信じなければ存在しない、ただそれだけのことだと。

 

 馬鹿馬鹿しいと感じたのか、道正は肩を(すく)めるだけで何も言わない。「お前はどうなんだよ、中瀬」代わりに、ずっと閉口していた和穂へ質問を投げかけた。

 

「私は……そこまで信じていないわね」

 

 再び視線を足元に落として、和穂は躊躇(ためら)いがちに返答する。「でも、それでいいと思う」次の瞬間には重たいものを振り払うかのように、はっきりとした声音で言い切って、次の句を継ぐ。「いたら、奇跡の一つぐらい起こしてほしいって願っちゃうもの」表情は平静ではあるものの、瞳は過去への悔恨を示すようにわずかに揺れていた。

 

「奇跡、ねぇ……」

 

 二人の過去へ言及をせず、不破はただ呟く。「起きれば、彼らもまた違った道を歩めたのかもしれないのかな」思い浮かべるのは、ビデオの最後に見た双子の顔。もはや人としての顔を捨て、獣としての愉悦や残虐性だけがあった笑顔を(たた)える兄妹に同情の念が湧いてくる。「もし彼らが犯人だったとしても、これ以上の罪を重ねないようにすることだけだけど」けれど、自身の中にある正義感であっさりと振り落とし、無情に紫煙をくゆらせた。

 

 今、必要なのは優しさではない。謎を明らかにし、犯人を捕まえる冷酷とも呼べるほどに冷静な心だ。正義を行うであれば、時に情など捨てなければならないと、不破は悠然と煙を吐いてその先を見つめる。

 吐き出された紫煙は、空気の流れに乗っていき、やがて消えていった。まるで何かを探し求めて末に、辿り着けなかったような旅人のように。

 

 

 

 

 不破たちが真相へ辿り着くべく押収したビデオや警察からの情報を元に夜中まで筋を洗っていた頃、双子もまた動き出していた。廃墟と化したビルの屋上から、見つからないように伏せながら双眼鏡を覗き込み、ターゲットの人物を映す。

 

「あれが、今回のターゲットかい?」

 

 クリスは無頓着に声を発して、妹に訊ねる。視線の先にいたのは、初老と見間違えるような白髪が目立つ男性、白衣を着ていることから研究員らしいというのは読み取れた。だが、それ以上は見た目では分からない。

 

「お兄様、聞こえますわよ」

 

 あまりにもハッキリとした声音に、ディアナはたしなめる。能天気な兄とは違って、相好(そうごう)は緊張感で硬くなり、額に冷や汗を流していた。それでも双眼鏡をじっくりと建物も観察し、ターゲットを確実に殺す状況を絞り込んでいく。

 

「おじいちゃんみたいな人だね」

 

「あれでもまだ四十代らしいですわ」失礼極まりない兄の所感を聞いて、ディアナはフォローを入れるように穏やかな口調で説明する。「老け込むほど、研究してらっしゃったのですね」憂いを帯びたような瞳に温かさはなく、見る者全てを凍てつかせるほどに冷たさだけがあった。

 

「んで、あれが何をやっているっていうのさ」

 

 双眼鏡から目を離し、クリスは幼さが残るような調子で質問を投げかける。下見に来たということは、必ず何かあるということ。情報収集を担当している妹の口から真相を告げられるのを待つ。

 

「噂によれば、裏組織が誘拐した人を使って実験してるようですわ」

 

 何の感情も感慨もなく、ディアナは情報を淡々と伝える。「それも世間には見せられないような代物を生み出すために」少しの自己嫌悪が混ざったような、苦々しい表情で双眼鏡の先を眺め続けていた。

 

「あ、なら殺していいんだね」対して兄は、喜々して返す。「そこの研究所全部を」碧眼の双眸(そうぼう)はいつになく楽しげに細められ、禍々しいでは言い表せないほどに歪み切った光を宿していく。

 

「ええ、だから偵察しに来たのではありませんか」

 

 若干苛立ちを含みながら、言い返すディアナ。けれど、いつもの調子だから目くじらを立てる必要はない。何の変哲もなそうなビルに、仕掛けや罠がないかと入念に外から観察するが、電灯が消えた部屋が多すぎて分からなかった。

 

「もしかしたら、ここが最期の場所かもね」

 

 ふいに兄の物悲しげな声が耳朶(じだ)を打つ。「所詮、僕らはあそこから逃れられない運命か」ディアナが聞いているのかどうかさえも気にしない様子で、クリスは愁眉(しゅうび)を寄せて呟く。

 

「諦めるのはまだ早いですわ」

 

 ディアナは片時も双眼鏡から目を離さないまま、強気な語勢で言い放つ。「まだここが運命の場所とは限りませんから」そうだと信じたくない、諦めたくないという心が、二人の間に強く響いた。

 

 

 

 

 数日の静寂を経て、不破は警察から得た情報に目を落としてた。次狙う人物は誰かと、捜査関係者と何度も打ち合わせていくが、有力な候補が挙がらない。ただ犯人像は浮かび上がっていた。

 現場周辺の足跡や硝煙反応、科捜研による検証などから小柄な人間による犯行というのが判明。そして使われた凶器は――対戦車ライフルのような大経口かつ火力が高い銃によるものだと分かったのだ。

 犯人は裏の人間にしては、いささか不用心すぎるし、ライフルを放つには体格の問題で易々と扱える代物ではない。もしかしたら、カディヴムというバディファイトのカードを具現化できる者の事犯ではないか、という推察が挙がる。

 

 嫌な予想が当たりそうだと、不破は苦々しい表情で改めて被害者の繋がりを確かめることに。以前視聴した兄妹が映ったビデオの出所が掴めれば……可能性が一番高い候補として、優先的に調べていく。

 警察の捜査関係者に頼んで海外からの情報も提示してもらうと、国際的警察組織が数ヶ月前に捜査した事件で、人身売買で得た子供たちを実験台にして研究を行っていた施設があったことを知る。その施設関係者は、全員惨殺されており、研究に関する資料も跡形もなく消し飛んでいるとのこと。ただ唯一無事だった子供たちのリストを確認すると、どうやら二人だけ消息不明となっていた。

 

 そして顔写真を見て、不破は絶句する。自分が少し前に視聴したビデオに映っていた双子の兄妹がそっくりそのまま載っていたのだ。まだ確信はないが、彼らがカディヴムという可能性や今回の主犯の可能性が濃くなったのは確か。

 ここから情報をさらに細やかに精査して……不破が次の資料へ手を伸ばした瞬間、緊急出動を促す電子音が鳴り響く。反射的に不破は部屋を飛び出して、現場へと向かう。耳にした一報は、道正と和穂が巡回していたルートにて交戦が始まったという不穏すぎるものだった。

 

 

 

 夜の静寂を打ち砕くように、コンクリートが割れ爆ぜる音と共に大粒の破片が降り注ぐ。壁面が砕けた建物周辺にいた道正と和穂は速やかに避難したことにより難を逃れ、狙撃された場所から狙撃ポイントを推察して身を隠した。

 

「随分とド派手にやってくれンじゃねえか」頬を歪ませながら、道正は右手に赤黒い無骨な拳銃を握りしめる。現代の大型拳銃よりも大きく、並外れた威力を秘めているということが容易に想像できるだろう。リボルバー銃ではあるものの、バレルは下部に設けられており、ごく一般的なリボルバー銃からもかけ離れていた。

 

「碓氷君、熱くなるのはいいけど、目的を忘れないでね」

 

 和穂も物陰に息を潜めながら、愛銃を構える。彼女のは特に変わった機構がない普通のオートマチック銃、堅牢そうな銃身ながらも小型故に取り回しも利く。グリップから伝わるのは、無機質な冷たさだけ。

 浅葱(あさぎ)色の双眸(そうぼう)は、恐らく銃弾の発射地点であろう建物を転々と観察していた。候補はいつか絞れたが、あと一発か二発ぐらい撃たないと絞り切れない。

 かと言って、これだと決めつけて突撃しても狙撃される可能性がある。通常の狙撃銃ならまだしも、建物の壁を易々と破壊するだけの威力を持った弾丸を放つ銃の前では、盾ごと粉砕されるのが火を見るよりも明らかだろう。

 

 そもそも何故彼らが拳銃を握って、臨戦態勢に入ったのか――数時間前に匿名で通報を受けて、研究施設が並ぶ地区に向かうと誰もおらず、どこからか狙撃されたのだ。彼らがいる場所が、双子が次のターゲットとして定めていた人物が出入りしている研究施設付近ということは、知る由もないが。

 

「わーってるよ、要は捕まえればいいンだろ」

 

 乱雑な口調で答えながら、道正は力を溜めるように姿勢を低くくし、瞳に剣呑な光を宿す。「大人しくしてもらうには、手や足の一本ぐれぇは勘弁してもらうぜ」狙いはもう定まったのか、巨躯に似つかわしくない俊敏な動きで廃墟ビルへと突っ込んでいく。

 当然、和穂は止めにかかるが、聞く耳を持たない。彼の周辺のアスファルトが弾け飛ぶが、風切り音が遅れてやってくる。しかし、一、二発だけ放たれたら止んだ。

 

 間隙(かんげき)を縫うように廃墟ビルへ突入。彼を援護するように和穂も続いて、ビルの中へ入っていく。解体工事を途中で放棄したのか、内装は剥がれて壁となった場所は壊されているが、階段やエレベーターなどはそのまま。

 ただ数年も野ざらしにされていただけあって、様々なところが痛み、朽ちて、頼りない。道正は上階を目指すために蝶番が錆びてしまって開きづらくなったドアを豪快に蹴り飛ばし、非常階段を淡々と昇っていく。強勢な物音を立てたことに、和穂の眉根は寄っていくが諦念のため息を吐くだけだった。

 

 

 

 

 屋上まで何事もなく辿り着いた道正は、蝶番が外れて地面に倒れているドアを見た後に、先を見ると誰もいないことへ舌打ちする。金属製のドアは何かしらの鈍器に叩きつけられたかのように、ドア板がへしゃりと歪んでいた。しかもドア板にあった傷跡はつい最近のものだと判別できるぐらいに鮮明に残っている――他ならぬ、誰かがいた証拠ということ。

 

「逃げられたか」また舌打ちをして、道正は苦虫を噛み潰したような表情で周辺を見渡す。どこかにビルからビルへ伝って動いたか、それとも飛び降りて消えたのか。どちらとも人間離れしているのだが、強く地面を蹴った跡があった。

 

 推測としてはただの人間ではない、肉体を強化された人間……脳裏に浮かぶのは、不破が見つけたビデオの子供達。仮に彼の料簡(りょうけん)が当たっていれば、最も犯人として近い者達として挙がるだろう。少々乱暴な結論だが、先程の流れから想像したら、あながち間違っていないと思ってしまった。

 

「厄介な奴らを相手にしちまったもンだぜ」苛立ちと嫌悪感を多分に含んで、吐き捨てる。だが、裡にある負の感情は全て消化しきれなかった。

 

「どうして、ここだと分かったの?」

 

 やや遅れて和穂が、その大きな背に問いかける。道正の様子から逃げられたことを察した彼女は、周囲を警戒しながら逃走ルートの捜索をしていた。どこにも人影は、見当たらない。

 

「ここでスコープのレンズが光に反射していた瞬間があったンだ」

 

 月がある方向へ目を向けて、道正は淡々と伝えていく。「スナイパーにしちゃ二流だな」ごく普通の人間では捉えられないような感覚に、和穂の嘆息が呆れたように応える。同意も納得もできないと、告げるように。

 彼女の返答など気にもせず、逃走経路を探す道正。蹴った方向から隣のビルに乗り移ったように見えたが、人影はない。逃げた先が推定できないまま、隣のビルへ移ろうとした瞬間、背後から和穂の声が耳朶(じだ)を打つ。

 

「何、不破君」振り返ると、無線でやりとりしている彼女の姿が。装着しているインカムを押さえながら話を聞いているようため、詳しい会話の内容を聞けないが驚く様子からして何かあったのだと推測する。

 やがて通話が終わり、和穂が神妙な面持ちで口を開く。「碓氷君、悪いニュース聞く?」予想通りだと思いつつ、道正は荒々しい口調で返す。「とっとと話せよ」

 

「不破君が捕まった」

 

 たった一言、それだけだった。予想外なことを耳にし、道正の思考は止まって沈黙がわずかに生まれる。やがて現実に追いついた瞬間、目を大きく見開き、驚愕の声を立てていく。「何で不破がとっ捕まってンだよ!?」

 

「知らないわよ!」

 

 和穂でさえ詳しい事情を分からないらしく、彼女も彼の反応につられるように強勢に言い返す。「無事だといいんだけど……」自身を落ち着かせるために大きく息を吐いた後、呟いた言葉は同僚の身に何も起きないで欲しいという祈りだった。

 

 

 

 

「おじさん、少し不用心すぎない?」

 

 自身の身丈以上もある斧を男性の首元へ向け、クリスティアンは楽しそうに笑う。視線の先には、オレンジ色のチョッキとカーキ色の戦闘服を着用している男性――不破誠人が仏頂面で見つめ返していた。

 

「僕は普通に君らを確保しに行こうとしただけなんだけどなぁ……」

 

 ため息混じりに零した言葉は、不破のわずかな驚嘆と落胆を表しているかのよう。実際応援に駆けつけては出現したと思わしき場所から最短ルートを割り出して、犯人を捕まえる手筈だった……のだが、出くわした人物が予想以上に小柄かつ俊敏なために拳銃を構える暇もなく捕まったのだ。そして施設を脱走した兄妹とよく似た顔立ちの少年とともに、適当に歩いて回っているところ。

 

「ケーサツか何かは知らないけど、おじさん向いてないよ」クリスの容赦ない一言に、不破は苦笑いを浮かべながら肯定する。「頭脳労働が中心だからねぇ、仕方のないことだよ」

 

 そこまで興味がなかったのか、クリスティアンは乱雑な反応で流して話題を切り上げることを示した。直後、彼は何度か咳をする。不破と出会ってから、繰り返されている光景――咳が終わっても、しばらく呼吸音がわずかに乱れていた。

 気遣うように、どこかで休憩しようと持ちかけてもクリスティアンは首をただ横に振るだけ。斧の刃を不破の首元から下げる気配もないが、切り上げる気配もない。あくまで同行を願うというだけだろうかと、不破は密かに料簡(りょうけん)を立てていく。

 

「ねぇねぇ、おじさんってバディファイトできるの?」

 

 夜元来の沈黙を破るように、クリスティアンは陽気さを保ったまま問いかけた。しかし、不破を映す碧眼は真剣さがあり、子供らしからぬ覚悟を秘めていることを(うかが)わせる。

 決意を無碍(むげ)にする訳にはいかないが、かと言って自分では相手不足だろう。尋常とはかけ離れた少年へ対抗できるのは、自分だけではなく少し荒々しい同僚だけ。事実を織り交ぜるように、不破は淡々と告げる。「できるよ。強くはないけど」

 

「ええー、弱いのかー」

 

 残念そうな口ぶりでクリスティアンは返すが、表情は明るいまま。「でも、今日は気分がいいから特別に相手してあげる」鼻歌も歌い始めて、有無を言わせないように刃を首元に押しつける。

 元からそんなつもりだったのか、問答の無意味さを思い知って不破は少し呆れたように息を吐いた。「でも、君には妹がいるんじゃないのかい?」つと出動前に見た資料のことを思い返して、簡潔に訊ねていく。「その子に聞かなくてもいいの?」今は姿が見えないが、恐らく近辺にいるのだろうと推測しながら質問を投げかけ続ける。

 

「別にいいじゃん……僕はもう時間がない」

 

 不破の問いかけに少し不機嫌そうにながらクリスティアンは返答するが、興味が移ったのか、すぐに明るい口調で言葉を継ぐ。「にしても、おじさんは僕に妹がいること知ってるんだね」碧眼を楽しげに細める様は、普通の子供と変わらない。

 

「君の……君らのことはある程度調べているからね」

 

 そう言って脳裏に浮かぶのは、ビデオに映された凄惨な場景と壊滅した施設が残していたリストの中にあった顔写真。「君はクリスティアン・シュレーゲル君だろ?」答え合わせをすべく、不破はその名を呼んだ。目の前にいる碧眼と金髪が目を()く少年の顔立ちは、双子の兄妹の兄とよく似ている。

 

「あったりー」

 

 特に隠す気もなく、クリスティアンは笑顔のまま頷く。「じゃあ、これ見ても驚かないのも当然だね」斧を軽く振って示す――黒き鋼と剣呑な光を放つ(あか)い文様が印象的な両刃の斧、〈覇戟 アスラ斬魔〉そのものだ。

 

「捜査をしていて、君らが“カディヴム”という可能性はあると踏んでいたんだ」

 

 可能性がある、と言っても近辺に同じ能力を行使できる人間がいるから、ことさら驚かないというのもあるが。「どんな過去を持っているのかは知らないけど、大体のことは察したかな」カディヴムという存在になるには、それ相応の精神的な深い傷を負わなければならないのだが、発現するタイミングが早すぎる。ならば、ビデオで見たものよりも悲惨なものを体験にしたことを想像するには難くなかった。

 

 意志を持ったカードを具現化できる存在――カディヴムへ人為的になるためには、子供を実験対象にし、薬物や強引なトレーニングや手術という肉体改造を含めて様々な生物を殺して精神的なダメージも与えていくという研究があると警察を通して得た情報を改めて考察する。眼前にいる少年は間違いなければ肉体改造も行われているだろうし、凄惨な経験をした記憶もあるだろう。そして先程から会話の合間に空咳をする影響は――。

 

「じゃあ、おじさんには消えてもらわないとね」

 

 不破の思考を遮るように、クリスティアンの声が軽やかに響く。だが物騒な予告のわりには態度は明るく、まるで近所のおじさんと遊ぶかのような調子で言葉を継いだ。「でも、ただ殺すのはもったいないから遊んであげるよ」

 

「僕をそのまま殺した方が効率いいと思うけど?」

 

 意図が掴めず、不破は呆けた顔で聞き返す。恐らく喜々して殺しにいくようなタイプの人種だと話していて思っていたのだが、予想外なことを言われて少しばかり相手の手中が読み取れない。

 

「言ったでしょ、僕は機嫌がいいから相手してあげるって」

 

 クリスティアンは不破に押しつけた刃を離しながら、弾んだ語調で答える。そして軽やかな足取りのまま大きな広場に出ると、コートを翻して歪められたものを全面に表出するように狂気的な笑みを浮かべて告げた。「さあ、始めようよ……とびきり面白いファイトをさ!」

 斧の穂先を突きつけられた不破はおもむろにデッキケースを取り出し、了承の意を示すように黒の双眸(そうぼう)を真っ直ぐ向ける。静寂が程遠い自然の喧噪が、二人の間を通り抜けて決闘開始の合図を鳴らしていく。

 

 

 

 

 

「崩して、壊して、バラバラにして……僕の理想郷を作る! ルミナイズ、『デストロイ・フェイト』!」

「この剣はか弱き者を守る為、決して折られてはいけない。ルミナイズ、『無敗の剣神』」

 

「オープン・ザ・フラッグ」と二人が宣言すると同時に、彼らの背後にフラッグが現れ、夜風にその布地をはためかせていく。

 

「デンジャーワールド!」

 クリスの手札:6/ゲージ:2/ライフ:10/バディ:アーマナイト・ブラックドレイク “A”

 

「ヒーローワールド」

 不破の手札:6/ゲージ:2/ライフ:10/バディ:大剣神 カイゼリオン

 

「じゃあ、先攻は僕がもらうね!」

 

 喜々とした表情でクリスティアンはそう告げると、勢いよくカードを引く。「チャージ&ドロー!」

 

 クリスの手札:6→5→6/ゲージ:2→3

 

「さっそく、いくよ! 〈覇戟 アスラ斬魔〉をゲージ1払って装備!」

 

 先程から彼の手に握られていた黒い斧、アスラ斬魔が改めて存在を示すように(あや)しく(あか)い文様が輝く。まるで数多の人血が流れているかのようで、見る者に次は自分が狩られるのではないかという恐怖を与える。

 自身の背丈よりもある斧を簡単に扱えるのは、彼自身の膂力(りょりょく)が並外れている証拠か、それともそのカードの具現化した際の特徴なのか。不破はそこまでは分からなかったが、一撃でも受ければ死ぬということだけは理解していた。

 

 クリスの手札:6→5/ゲージ:3→2/クリス:覇戟 アスラ斬魔

 クリス:覇戟 アスラ斬魔/攻5000/打撃2

 

「キャスト、〈裂神呼法〉!」

 

 魔法を何事もなく使用し、淡々と進行する。「ゲージ1とライフ1を払ってカードを1枚ドロー!」手札が1枚増えた瞬間、アスラ斬魔が魔法の効果に呼応するように文様の光をさらに強めていく。「さらに《武器》を装備しているから、もう1枚ドローするよ!」そしてもう1枚が引かれて、クリスティアンの手札がターン開始時と同じ枚数になった。

 

 クリスの手札:5→4→5→6/ゲージ:2→1/ライフ:10→9

 

「続けてキャスト、〈超力充填〉! ライフ1払って、ゲージ+3!」

 クリスの手札:6→5/ゲージ:1→4/ライフ:9→8

 

「ライトに〈アーマナイト・カーリー〉をコール!」

 

 クリスティアンの右側に現れたのは、装甲を(まと)った修羅。ドリルバンカーのような槍や大型のマシンガンを抱えて、いかにもアーマナイト然とした姿は相手を威圧する。修羅さえも装甲を(まと)わなければ生きてはいけないということを証明しているとも言えるが。

 そしてカーリーがコールされたことで、不破はさらに気を引き締めていく。ゲージの管理的にワンターンキルを狙ってくるのは難しいかもしれないが、確実に高火力で飛んでくるように仕込むというのが目に見えているから。

 

 クリスの手札:5→4/クリス:アスラ斬魔/ライト:アーマナイト・カーリー

 ライト:アーマナイト・カーリー/サイズ/攻防2000/打撃2

 

「アーマナイト・カーリーの効果で、手札から〈アーマナイト・イーグル“A”〉をアスラ斬魔にソウルイン!」

 

 手札から取り出されたカードに描かれた装甲を(まと)った鷹は、普段の攻撃的な姿ではなく、より堅牢な鎧を(まと)っていていた。「イーグル“A”がソウルにあるから、アスラ斬魔は効果で破壊されないし、手札に戻されないよ」斧を何ものにも弾き飛ばされないように、漆黒の斧に青い幾何学模様の光が宿っていく。

 

 クリスの手札:4→3/クリス:アスラ斬魔(ソウル:0→1)/ライト:アーマナイト・カーリー

 

「このままアタックフェイズに入るよ! アスラ斬魔でおじさんにアタック!」

 

 強く地面を蹴り出し、強靭な脚力に耐えきれなかったタイルが剥がれる。目を大きく見開き、狂気的な笑みを浮かべて、クリスティアンは斧を大きく振りかぶりながら不破の方へ踏み込んでいく。風を切る音は、もはや彼が人間ではないことを表しているかのように、鋭利で聞いているだけでも身が切れてしまいそう。

 

「受けるよ」

 

 平然とした態度ながらも不破は回避行動へ出る。だが、クリスティアンの速さに追いつけず、易々と彼の接近を許してしまう。そのまま肉体を断ち切られるかと思いきや、直前の地面に刃を叩きつけられ衝撃波で吹き飛ばされていく。

 視界が二転三転としたところで、体勢を立て直す。黒の双眸(そうぼう)が見つめる先は、「やっぱり鈍いね」と愉快げに喉を鳴らすクリスティアンの姿が。しかし不破はその通りだと頷き、ゆっくりと立ち上がって土埃を払うだけ。

 

 不破のライフ:10→8

 

「ターンエンドだよ!」

 クリスの手札:3/ゲージ:4/ライフ:8/クリス:アスラ斬魔(ソウル:1)/ライト:アーマナイト・カーリー

 

「さて、僕のターンだね。ドロー、チャージ&ドロー」

 不破の手札:6→7/ゲージ:2→3

 

「キャスト、〈ハイパーエナジー〉。ゲージ+4するよ」

 不破の手札:7→6/ゲージ:3→7

 

「キャスト、〈発進準備OK!〉を設置」

 

 淡々と機械的に進めていく不破の表情は、アンドロイドか何かを見間違うかのように無感情。「続けて、キャスト、〈超巨大基地 ブレイブフォート〉を設置するよ」背後に現れた鉄の城は、多数のブレイブマシンを格納しているのだろうと想像するには難くない程の大きさを誇る。

 

 不破の手札:6→5→4/設置:発進準備OK!/超巨大基地 ブレイブフォート

 

「さらにゲージ1払って、キャスト、〈コール スーパーマシーン!〉」

 

 呼び出すブレイブマシンはもう決まっている。「デッキから〈大剣神 カイゼリオン〉を手札に加えるよ」その手に握っているカードは、自身のバディにしてエースモンスターであるカイゼリオン。このカードがいなくては、彼のファイトは始まらない。

 

 不破の手札:4→3→4/ゲージ:7→6

 

「ここから僕も本領発揮だ。〈大剣神 カイゼリオン〉に、ゲージ2払って[搭乗]」

 

 胸元の虎が高らかに吠え、剣神が姿を現す。そして頭部から不破へと光を放ち、彼をコックピットに収納していく。「バディギフトを使ってライフを+1する」コックピットに乗り込んだ不破は、シートの座り心地を確かめつつレバーを握りしめ、平坦な調子でバディギフトを宣言してライフを回復する。

 

 不破の手札:4→3/ゲージ:6→4/ライフ:8→9/不破:大剣神 カイゼリオン

 不破:大剣神 カイゼリオン/サイズ3/攻8000/防5000/打撃3/[ソウルガード]/[搭乗]

 

「そして搭乗した時の効果で、ドロップゾーンから〈海神 スラッシャーク〉をソウルイン」

 

 両肩にある鮫のモンスターが反応し、左手に握られた実剣が開いて粒子で新たな剣身が出現する。「さらにスラッシャークの効果で、カイゼリオンの攻撃力と防御力を+1000」光剣の輝きがさらに増していき、虎の咆哮が轟く。

 

 不破:カイゼリオン(ソウル:0→1)/攻8000→9000/防5000→6000/打撃3

 

「僕が搭乗したことで、〈発進準備OK!〉の効果も発動するよ」

 

 事前に設置していたカードたちの能力が発動し、不破は慣れた手つきで淡々とデッキからカードをドローする。「カードを2枚ドローして、〈発進準備OK!〉をドロップゾーンに置く」ドロップゾーンへ送られるカードを見つめる黒の双眸(そうぼう)は、感謝の念を伝えるように穏やかな光を静かに(たた)えていた。また手札が増えることで取れる選択肢の幅が広がったことへ安堵しながらも、確実に勝つために思考速度を高めていく。

 

 不破の手札:3→5/設置:発進準備OK!→なし/ブレイブフォート

 

「ブレイブフォートの能力も発動。ゲージを+1」

 不破のゲージ:4→5

 

「レフトに〈光速特急 エクスブレイザー〉を、ゲージ1払ってコール」

 

 不破の左手側に現れたのは、数々の新幹線が合体変形したロボット。特に目立った兵装はなく、徒手空拳で戦闘を行うというのが(うかが)える。いや、隠し玉があるかもしれないが、それは攻撃してみないと分からないというべきか。

 排出される空気は熱を帯びており、浴びてしまったら最後、その身全てが溶けてしまうほどに熱い。夜風だけでは冷めきれない熱気が、大剣神の中にいる不破にもモニター越しで伝わり、見てるだけでその高温を感じてしまう。

 

 不破の手札:5→4/ゲージ:5→4/不破:カイゼリオン/レフト:光速特急 エクスブレイザー

 レフト:光速特急 エクスブレイザー/サイズ2/攻6000/防3000/打撃2

 

 手札の内容を見て、不破はこれ以上メインフェイズでやることはないと判断し、アタックフェイズへ移る。「アタックフェイズ、エクスブレイザーでファイターにアタック」不破の指示を受けたエクスブレイザーは、左手から凄まじい熱気を放つエネルギーを放出し、空気が焼きつくほどにブースターの出力を上げてクリスティアンに肉薄していく。決して軽快とは言い難いスピードだが、鉄の巨人がそのまま猛烈な勢いで迫ってくると知れば、その迫力で動けなくなるのが尋常だろう。

 

「ここは受けるよ!」

 

 だが、クリスティアンは怯懦(きょうだ)の表情を浮かべることなく冷静に突き出された光熱の左手を斧で受け止めた。いくら膂力(りょりょく)に優れているとは言えども、流石に体格差や質量差では勝てないため、簡単に後退していく。そして彼の髪や肌、衣服を焦がしてしまうのではないかと思うぐらいに、エクスブレイザーが放つ熱エネルギーが(ほとばし)る。

 

 クリスのライフ:8→6

 

「なら、エクスブレイザーの能力を使うよ」

 

 ライフの数値を確認した不破は、相手のライフを減らすリスクを念頭に置きつつ冷淡な口調で宣言した。「ライフ1払って、君にダメージ2の追加だ」途端、エクスブレイザーの左手はさらに光熱エネルギーが放出され、相手の全てを溶かしてしまおうと押し切っていく。

 

 不破のライフ:9→8

 

「これも受けるさ!」

 

 対抗するように腰を深く落すクリスティアンだったが、鉄の左手が(まと)うエネルギーが膨大化した影響で爆発するとは予想してなかったらしく、目を大きく見開いて驚嘆しながら轟音と熱気に包まれて弾き飛ばれる。宙を舞っても、何事なく着地し、「これ本物だったら最悪だね」と楽しそうに笑った。まるで自身の危機を感じていないかのように。

 

 クリスのライフ:6→4

 

「随分と楽しそうだね」仮にも命の危機とも呼べる状況だったのにも関わらず笑い声を漏らすクリスティアンに、不破は少しだけ眉を(ひそ)めた。いくらシステムを通しているとはいえ、人が宙を舞うのはそれだけの衝撃があるということの証明に他ならない。普通ならば多少なりとも恐怖を感じるのだと思うのだが。

 

「だって、爆発して空を飛ぶなんてそうそうないことじゃん」

 

 不破の意図を理解してかしていないのか、クリスティアンは飄々とした態度を崩さないまま斧を(もてあそ)び始める。「それにおじさんなら、僕がどんな人間か知っているでしょ?」斧を宙に投げてキャッチしたと同時に放たれた一言は、期待を秘めていることを示していた。

 

「僕が知っているのは、あくまで君らが研究施設で保護されていた子供ってことだけだよ」

 

 ビデオで見た姿とリストで見かけた顔写真ぐらいしか確証はなく、肉体改造や過酷な体験に関する資料は既に消失している。「あとは、推測だけで補っているだけにすぎない」だからこそ、警察から得た現場の情報と照らし合わせて見当だけをつけていたのだ。今回ばかりは証拠が少ない故に、決め手に欠けすぎている。

 

「でも僕の居場所を見つけた勘の鋭いおじさんだったら、その想像通りだと思うよ」

 

 少年らしからぬ獰猛な笑みを浮かべ、クリスティアンは碧の双眸(そうぼう)に剣呑な光を宿していく。異様に期待値が高いのは、簡単に彼と遭遇したことへの敬意か、それとも冥土の土産というべきものなのか。

 

「そうあって欲しくないけどね」

 

 奇妙な期待の眼差しを向けられ、不破は意図が汲み取れずにいた。ただ言えるのは、自分の推測が外れて欲しいという願望だけ。「さ、続けよう。カイゼリオンで少年に攻撃だ」話を切り上げてファイトを再開すると、レバーを操作してカイゼリオンを突進させていく。振り上げた光剣は何ものを断ち切るような鋭さを持ち、一閃が鈍重とは程遠い速さで(はし)る。

 

「キャスト、〈豪胆逆怒〉! 受けたダメージ分だけゲージを増やすよ!」

 

 小柄な身体に(あか)いオーラを(まと)い、クリスティアンは自身の得物を光剣にぶつけた。何とか弾き飛ばすことに成功するが、力を使った反動なのか片膝をついて激しく咳き込む。咳が収まって立ち上がっても、やはり呼吸は乱れており、先程よりも顔色が悪くなっていた。

 

 クリスの手札:3→2/ゲージ:4→7/ライフ:4→1

 

 流石に相手の容態が急変したことに、不破は愁眉(しゅうび)を寄せて憂いの言葉をかける。「大丈夫かい?」

「大丈夫に決まってんじゃん」呼吸音が正常ではないのにも関わらず、クリスティアンは不敵に笑い飛ばして言い返す。「こんなに楽しいことはないんだもん。やめるってことはないね」脂汗を額から流しつつも、変わらず碧眼は楽しげに細められていた。

 

「でもただファイトしているだけじゃ、つまらないもんなー」

 

 唐突に調子を変えて、クリスティアンは思案するように上の空を見る。「おじさんに問題を出してあげるよ」何かを思いついたかと思えば、子供らしい口調で問いを出題する。「僕らがこれまで殺した悪人の数は?」

 

「分からないかな」

 

 殺したところを見たことあるのは、一つのビデオだけ。正確な情報は、彼らがいた研究施設が壊滅した際に紛失しているのだから推測しきれない。適当な数字も思い浮かべても、それは正解に遠いような気がして口に出せなかった。

 だが、正解へ辿り着こうとする思考が無駄に終わることが次の瞬間に分かる。「大丈夫、この問題には答えはないよ」クリスティアンはいたずらっぽい笑みを(たた)えたまま真相を告げた。「だって、僕は忘れたから」

 

 普通ならば呆れるところだが、不破は納得したように頷く。「それだったら分からないは正解になるのかな?」と軽快に問いかけたところ、相手はそういうことだと哄笑する。

 少年の笑い声が夜中の静寂に響く中、不破はまた少しだけ思考のスピードを上げていく――それぐらい些細な問題になったのか、それとも元来の気性なのか。いずれにしろ、今日ここまで彼の精神が保てていたのは、忘却ができたからだろうと料簡(りょうけん)を立てる。いや、精神はもう既に崩壊している可能性はあるが、人としての理性が残してあるぐらいには原型を留めているのは確かだろう。

 

「あ、覚えていることはあるよ」

 

 決して軽くない話題だというのに、クリスティアンは軽々しい語勢で平然とした様子で言葉を継ぐ。「この前、殺した奴はじんしんばいばいってのをやってた奴だったから」少し単語があやふやになっているのは、それに関する興味が薄いのか、それとも理解が追いついていないだけなのか。奇妙なところだけが年相応な子供っぽさがあり、行いの重たさについてはあまり考えていないというのは読み取れる。

 

「その悪人は頭を撃ち抜かれているのかな?」

 

 恐らく数日前に発見された死体となった男性のことだろうと、不破は最も高い可能性を口に出す。記憶が正しければ、撃ち抜かれているとは言い難いほどに首から先は消し飛んでいたのだが。

 

「やっぱりおじさんは分かってんじゃん」

 

 驚くことなく、むしろ予想通りだと言わんばかりにクリスティアンは破顔していく。「頭を吹き飛ばしたのも、誰だか分かっているはずだよ」年齢こそは不破の方が年上なのだが、まるで先生と生徒のような問答をしているのは、少年の方が尊大な態度で接しているだからだろうか。

 

「君の妹さん、か」ただクリスティアンの態度に対して何も思わない不破にとっては、どうでもいいこと。必要なのは確証を得るための情報だ。だから、探るような口調で冷静に答えを言う。

 

「あったりー。僕の妹、可愛いけどおっかないから」

 

 のんびりとした語調でクリスティアンは話しつつ、視線をカイゼリオンの頭上辺りへと移動させていく。「もしかしたら、おじさんの頭も狙ってるかもよ?」遠く見ている先に、本当に彼女がいるのか――不破は後ろを向くことなく、ただ真っ直ぐに前を見つめていた。

 

「どうして、そんなにタネ明かしするのかな?」

 

 口に出したのは、純粋な疑問。「マジシャンでももう少し隠すものだと思うけど」少年の気まぐれなのか、意図的なものかはさておき、ここまで情報を明かすとは思っていなかった。だからこそ、困惑が裡に発生し、どうしても眉根を寄せてしまう。

 

 だが、それ以上は話す気はないらしく、「次の僕のターンになれば話すかもね~」とクリスティアンははぐらかす。不破も現状では何も問いかける必要がなくなったため、ゲームの進行を優先する。「なら、ムーブエンドだ」

 

 不破の手札:4/ゲージ:4/ライフ:8/不破:カイゼリオン(ソウル:1)/レフト:エクスブレイザー/設置:ブレイブフォート

 

「もう僕のターンかー。もうちょっと延ばしても良かったんだけどなー」

 

 すぐに自分のターンが返ってくるとは思わなかったのか、クリスティアンはわずかに残念そうな声で呟くが、次の瞬間には間の抜けた口調に切り替えた。「ま、いっか。ドロー、チャージ&ドロー!」

 クリスの手札:2→3/ゲージ:7→8

 

「まずはキャスト、〈斬魔蘇生〉!」

 

 いくらライフが少ない状況で能力を発揮するデンジャーワールドでも、1点ではライフをコストにすることはできない。「ゲージ1払って、ライフを+4!」手札が減ってしまったことは痛手だが、ライフさえ回復すれば補える手段はあると、クリスティアンは躊躇なく使ったのだ。そして彼の身体に強靭な活力を示すように、赤黒い電流と化したオーラが(ほとばし)っていく。

 

 クリスの手札:3→2/ゲージ:8→7/ライフ:1→5

 

「さらにキャスト、〈裂神呼法〉!」

 

 赤黒い電流が消失したと同時に、クリスティアンの語気はさらに強くなる。「ゲージ1とライフ1払って、カード1枚ドロー!」微かに呼吸音が乱れつつも、クリスティアンは楽しげな笑みを崩さないまま手札を補充していく。「アスラ斬魔を装備しているから、もう1枚引くよ」

 

 クリスの手札:2→1→2→3/ゲージ:7→6/ライフ:5→4

 

「そして空いたレフトに〈アーマナイト・ブラックドレイク “A”〉を、ゲージ1払ってバディコール!」

 

 クリスティアンの背後にいた巨大な竜は、無言のままバトルフィールドに姿を現す。無造作に兵器を搭載しているのではなく目的に沿った兵装を(まと)っているその姿は、機能美というものを理解させつつもいつでも相手を焼き殺すという警告を身をもって知らせている。

 

「バディギフトでライフ+1だよ」ファイターを鼓舞するように初めてブラックドレイク“A”が嘯き、その闘志に呼応するようにアスラ斬魔がまた(あか)く輝く。「さらに僕のアイテムにソウルが1枚あるから、ブラックドレイク“A”のサイズを1減らす」これにより、既に場にいるカーリーは押し出されずに共に戦うことを許されたのだ。

 

 クリスの手札:3→2/ゲージ:6→5/ライフ:4→5/クリス:アスラ斬魔/レフト:アーマナイト・ブラックドレイク “A”/ライト:アーマナイト・カーリー

 レフト:アーマナイト・ブラックドレイク “A”/サイズ3→2/攻8000/防5000/打撃2

 

「アタックフェイズに入るよ! まずはブラックドレイク“A”で、レフトのモンスターにアタック!」

 

 指示を受けたブラックドレイク“A”は咆哮で静謐(せいひつ)な空気を突き破り、両肩に装備している光学キャノン砲を放つ。ただ光の道筋ができただけのように見えるが、凄まじい光熱を秘めたそれは瞬く間に空気を焼き焦がし、触れるもの全てを蒸発させていく。

 

「【対抗】はないよ。このまま破壊されるね」

 

 手札とエクスブレイザーを交互に見て決断し、不破は左手側にいるエクスブレイザーに向かって「すまない」と小さく謝る。その声を聞いたエクスブレイザーはサムズアップで応えつつも、灼熱が(ほとばし)る閃光の中へと消えていった。

 

 不破のレフト:エクスブレイザー 撃破!

 

 バトルが終わったと同時に、また咳き込むクリスティアン。先程よりもさらに苦しそうな呼吸音を立てつつも、明るい口調で話し始める。「さっきさ、おじさんに何でここまで話すのって言われたじゃん?」

 

「言ったね。そして君は次のターンで話すとも聞いた」

 

 正常とは程遠い呼吸が耳朶(じだ)を打つ度に、不破の相好(そうごう)も憂いを帯びて険しくなっていく。「それよりも本当に続けるつもりかい?」クリスティアンの顔色は真っ青と言っても過言ではないのだが、あくまで本人の意志を尊重するように言葉を連ねた。無理やり連行すれば、命を刈り取られるという確信があるというのも理由だが。

 

「当たり前だよ」すぐに返ってきた答えは、続行するという意志を強く秘めた言葉。「久々に楽しいことしてるんだからさ」そう言うクリスティアンの口元は、本当に楽しそうに笑みが浮かんでいた。

 

 返答を聞いた不破は軽く頷くだけで何も言わない。これ以上、継続するかどうかの話をするのは無粋だろう。だから、彼の話したい内容へと話題を切り替える。「それで、君が話したかったことは何だい?」

 

「簡単なお願いだよ」

 

 今度は双眸(そうぼう)炯々(けいけい)と輝かせながら、クリスティアンは軽い調子でその先を言う。「おじさんに悪い奴らをやっつけて欲しい」散々自分達が酷い目にあったからなのか、それとも純粋なまま育ったしまったからなのか。楽しそうだが獰猛に吊り上がる口の端、碧眼は歪んだ輝きを(たた)えていた。

 

 だが、不破は少年の願い対して首を横に振る。「残念だけど、君の願いは叶えることはできない」まだ幼い子供を映す黒瞳は、己の信念を突き通す強靭な光を宿し、語気も鋭利さを増していく。「僕ができることは、その悪い人達を捕まえることと事件を可能な限り最小に留めることぐらいだよ」誠実ながらも目の前にいる少年の心をへし折るには十分すぎるものだった。

 

「そっか、なら残念だ」

 

 眉尻を下げ、クリスティアンはもの悲しそうな表情で返答する。「おじさんなら分かってくれると思っていたんだけどな」声色に落胆が多分に含まれ、本当に希望が絶たれてしまったかのような哀愁が漂っていた。

 

 何と言われようとも不破は言葉を撤回しない。ただ静かに見つめ返すだけ。それだけは譲れないものだから――例えどんな事情がある犯罪者だとしても、他者へ多大な被害を出す行為に出た者を法の下で裁かれなければいけないのだ。

 

 しばらく沈黙した後、クリスティアンはもう一度息を吐いて切り替える。「次はアスラ斬魔とアーマナイト・カーリーでおじさんに連携攻撃だ!」、両手で握りしめている斧を振りかぶり、ライトに待機していたカーリーと共に不破へと肉薄していく。

 

「キャスト、〈効かぬわぁッ!!〉。僕が受けるダメージを2点減らすよ」

 

 不破が宣言とした同時に、カイゼリオンは左手に持つ剣を地面に叩きつけて衝撃波を生み出す。体重の軽いクリスティアンは、その衝撃波を踏破することができずに大きく後退していく。だが、機械の身体であるカーリーは簡単に突破し、近距離でマシンガンを放って迫り立てる。

 全てを弾き切れずに、カイゼリオンの装甲は傷つくがかすり傷程度。間隙(かんげき)を縫って突き出された槍も(かわ)して、ダメージを最小限に抑えきる。しかし、不破は楽観することなく手札を確認しながら、相手の様子を(うかが)っていた。

 

 このタイミングで飛ばす必殺技はないと思うが、自分が知らないカードを持っている可能性がある。それを踏まえてだが、他にも理由はあった。次のターンへと繋げるための布石という点で。

 

 不破の手札:4→3/ライフ:8→6

 

「おじさんも何か狙ってる?」

 

 攻撃を無効化にするのではなく、ダメージ軽減を選択したからか、クリスティアンは(いぶか)しげに眉根を寄せる。口調自体は明るいが、今まで純粋に煌めいていた碧眼が初めて猜疑(さいぎ)(かげ)りを見せた。何かが怪しいと言わんばかりに。

 

「それは次の僕のターンで分かるんじゃないかな?」

 

 ここで答えを言う訳にはいかず、不破は言葉を濁す。だが、別に嘘は言っていない。いずれ分かるものを今言う必要などないから、ただそれだけのこと。

 

「じゃ、ターンエンドだよ」

 

 平静のまま口を開いた不破に対し、クリスティアンはあっさりと引き上げターンエンドを宣言。眉間に生まれていた皺も、解消されて元の端麗な姿へと戻っていった。

 

 クリスの手札:2/ゲージ:5/ライフ:5/クリス:アスラ斬魔(ソウル:1)/レフト:ブラックドレイク“A”/ライト:アーマナイト・カーリー

 

「ターンもらうね。ドロー、チャージ&ドロー」

 不破の手札:3→4/ゲージ:4→5

 

「ライトに〈鳥神 セイバード〉をコール」

 

 赤い鋼の翼と刃の尾で風を受け止めながら、セイバードは上空から姿を現す。雄々しく羽ばたくそれは、まさしく鳥神と呼ばれるに相応しい。「僕の場に《ブレイブマシン》が登場したから、ブレイブフォートの能力でゲージを+1」背後に超巨大基地からの援護で、不破のゲージが1枚増えていく。

 

 不破の手札:4→3/ゲージ:5→6/不破:カイゼリオン(ソウル:1)/ライト:鳥神 セイバード

 ライト:鳥神 セイバード/サイズ0/攻3000/防1000/打撃1

 

 モンスターを場に出したところで、不破は一旦手を止める。「その様子だと先は長くないのかい?」徐々に悪くなっていく顔色や激しくなっていく咳を見て、目の前にいる少年の命が尽きようとしているのは目に見えていた。

 恐らく並外れた身体能力を発揮するには、それ相応の薬物を投与されていたはず。加えて、延命自体も薬物で補っていると推測すると、それらがなければ彼らは生きていけない身体になっているという仮説が立つ。

 仮説が正しいかはともかく、対応する薬や製薬方法も研究施設が壊滅してしまった影響で失った今、延命できるものは何もないに等しい。尋常ではない素質を強引に引き伸ばされた代償が、ここで牙を向いているのだ。

 

「もう分かってるでしょ?」

 

 息切れも酷くなる一方ながらも、クリスティアンは楽しげに笑い返す。「せめて死ぬ時ぐらいは、めいっぱい遊びたいんだ」元来の子供らしさ溢れる幼い笑顔は、ビデオに映っていたと同一人物とは思えないほど、普通の少年そのもの。

 

「なら、全力で相手するよ」不破ができる最善の選択は彼が死ぬ間際まで満足させること。だからこそ、さらに気を引き締めるような思いで言った。

 

「既に全力なのは分かってるから、安心してよ」

 

 生真面目な発言を受けて、クリスティアンの笑い声が増していく。「おじさんとファイトするの、楽しいから」碧い瞳は煌々と輝き、細められていく。顔色からは信じられないほどに、愉快げな笑い声が場を満たす。

 

 そうかと不破は頷いた後、プレーを続行した。「場にある〈鳥神 セイバード〉の能力を使うよ。セイバードをカイゼリオンにソウルイン」背中のブースター部分や左手に握られている剣が呼応し、カイゼリオンがまた一つ完成形に近づいていることを示す。そして不破の目つきも鋭くなっていく。

 

 不破:カイゼリオン(ソウル:1→2)/ライト:セイバード→なし

 

「さらにソウルにあるセイバードの能力を発動」

 

 宣言をする不破の声音は落ち着いているのだが、喉元に刃先を突きつけるような静かな語気が加わる。「ゲージ1払って、このターンだけカイゼリオンに[2回攻撃]を与える」光剣の輝きが強くなり、鋭利さも増して相手を断ち切らんとばかりに場を照らし続けていた。

 

 不破のゲージ:6→5

 不破:カイゼリオン/[ソウルガード]/[搭乗]/[2回攻撃]

 

「このままアタックフェイズだ。カイゼリオンでファイターにアタック」

 

 不破の声と操作に合わせて、カイゼリオンは強く間合いに踏み込み、左手を振り上げて光剣を振るう。先程よりも増した剣速は、容易に止められはしない。剣神たる所以を発揮するかのような太刀筋が閃く。

 

 今まで迷いを見せなかったクリスティアンが、初めて躊躇(ちゅうちょ)した。もし不破の手札に魔法を無効化にするカードがあるのなら、出しても打ち消されてしまうだけ。「キャスト、〈斬魔四方陣〉! ゲージ1払って、受けるダメージを0に減らして、僕のライフを+1!」だが、防ぐ他はなく魔法を使わざるを得なかった。

 

 それに対抗する不破の声はない。カイゼリオンの剣は、闘気で生み出された気迫の盾に阻まれて止まる――魔法無効化はなかったということは分かった瞬間。クリスティアンの口からわずかに安堵の嘆息が漏れた。

 

 クリスの手札:2→1/ゲージ:5→4/ライフ:5→6

 

「もう一度カイゼリオンをスタンドして、ブラックドレイク“A”に攻撃する」

 

 剣を引き戻し、体勢を立て直した剣神は無慈悲に一閃を(はし)らせる。攻撃が通らなかったのなら、ライフを減らすということよりもモンスターの数を減らして、なるべく相手のターンを耐えられるように整えていく。

 

「うーん、手札がないや! そのまま破壊されるよ!」

 

 あっけらかんと笑いながらブラックドレイク“A”に「ごめん」と一言謝るクリスティアン。彼の態度を気にすることなく、ブラックドレイク“A”は持てる力全てを使って抗うが、何ものも断ち切る光剣の前では意味を為さなかった。ただその身を易々と焼き切られ、消失するのみ。

 

 クリスのレフト:ブラックドレイク“A” 撃破!

 

「ここでムーブエンド。君の番だ」

 不破の手札:3/ゲージ:4/ライフ:6/不破:カイゼリオン(ソウル:2)/設置:ブレイブフォート

 

「僕のターンだね! ドロー、チャージ&ドロー!」

 クリスの手札:1→2/ゲージ:4→5

 

「おじさん、そんなに手札あるのに何でモンスターを出していないの?」

 

 先程のターンでの行動が気になったのか、クリスティアンは手を止めて訊ねる。今不破が手に持っている札の枚数的にもう1枚モンスターを出すか、魔法無効のカードを打つかのどちらかの可能性が高い。だが、どちらもなかった……だから不思議に思ったのだろう。

 

「モンスターを持っていないからって言ったら?」

 

 思惑も何も読み取らせらないように、不破は少しおどけた口調で返す。確かにモンスター1枚を場に出せば、前のターンでクリスティアンのライフを削りきれたかもしれない。しかし、そうはならかった。どちらの可能性を掴み切れなかったという至極単純な理由により。

 

「それ、ホント?」あまりにも簡単に言うものだから、クリスティアンは(いぶか)しげに眉根を寄せた。もしかしたら手を抜かれているのではないかという疑惑もあるだろう。眼光は猜疑(さいぎ)で鋭くなっていく。

 

「かもしれないし、そうじゃないかもしれないとしか」

 

 子供相手に心理戦を持ち込むとは大人げない――きっと観客がいたのなら、そう言われていただろう。不破は苦笑いしながら誤魔化すばかり。確実に言えるのは、手札を残しておいて損はないということだけ。

 

「まっ、これから分かるからよね」と能天気な調子で言ってのけ、クリスティアンの眉間に生まれた皺は消えていく。「キャスト、〈裂神呼法〉! ゲージ1とライフ1払って、カードを1枚引くよ」何事もなかったかのように、ゲームを続行する。「さらにアスラ斬魔があるから、もう1枚ドロー!」

 

 クリスの手札:2→1→2→3/ゲージ:5→4/ライフ:6→5

 

「レフトに〈アーマナイト・ケルベロス“A”〉を、ゲージ1払ってコール!」

 

 白い毛並みに三つ首、薄紫で統一された装甲や兵装が目を()く番犬――ケルベロスが嘯いて場に姿を現す。ブラックドレイク“A”とはまた違う鋭利な遠吠えは、聞く者の耳を切り裂くような危機感を与える。

 

 クリスの手札:3→2/ゲージ:4→3/クリス:アスラ斬魔(ソウル:1)/レフト:アーマナイト・ケルベロス“A”/ライト:アーマナイト・カーリー

 レフト:アーマナイト・ケルベロス“A”/サイズ2/攻防6000/打撃3

 

「そしてケルベロス“A”の能力を使うよ」

 

 一呼吸を置いた後、クリスティアンは語気を強めながら宣言する。「ケルベロス“A”をアスラ斬魔にソウルイン!」ケルベロス“A”がアスラ斬魔に吸い込まれるように場から消失し、アスラ斬魔の文様が血のように(あか)く染まって(あや)しい光を放つ。「ケルベロス“A”がソウルに入ったことで、アスラ斬魔の打撃が+2されるよ!!」刃はさらに肉厚になり、人の首など簡単に()ね飛ばせると言わんばかりに月光を受け止めた。

 

 クリス:アスラ斬魔(ソウル:1→2)/レフト:ケルベロス“A”/ライト:アーマナイト・カーリー

 クリス:アスラ斬魔/打撃2→4

 

「次はレフトにブラックドレイク“A”をゲージ1払ってコール!」

 

 再び現れた光学兵器を携えた巨大な竜は、特に変わった様子もなく空気を振るわす轟音を喉から(ほとばし)らせていく。「さらに僕のアイテムのソウルが2枚だから、ブラックドレイク“A”のサイズは2減るよ」元来サイズ1のモンスターを押し出して登場する大型モンスターがそれらと肩を並べている場景は、やはり異様にして脅威として捉えるべきだろう。

 

 クリスの手札:2→1/ゲージ:3→2/クリス:アスラ斬魔(ソウル:2)/レフト:ブラックドレイク“A”/ライト:アーマナイト・カーリー

 レフト:ブラックドレイク“A”/サイズ3→1

 

 

「アタックフェ……っ!?」次のフェイスに入ろうとした瞬間、クリスティアンは今まで以上に激しく咳き込む。不破も心配そうに身を乗り出し、モニターからその様子を見つめる。しばらく続いた咳は、血が吐き出される音も混ざっていた。

 

「あー、もうせっかくの雰囲気が台無しだよ」

 

 口から溢れ出る血を拭い、クリスティアンは忌々しげに毒気づく。「ごめんね、おじさん。続けようか」もはや息をしているのもやっとと(うかが)える程、衰弱しきっている姿を見て、不破は何も言い返せない。本当にそのまま続けていいのだろうかという葛藤が裡に表れるが、妙な真似をすれば連絡する前に頭を撃ち抜かれるかもしれないというジレンマに頭を抱える。

 

 無言のままでいる不破に、クリスティアンは楽しげに声をかけた。「言ったでしょ? 最期くらいはめいっぱい楽しみたいって」血濡れた口元は不敵な笑みを浮かべ、碧眼は剣呑な光を炯々(けいけい)と輝かせていた。「だから、僕は続けるよ!」と力強く言い切って、次へ進める。

 

「アタックフェイズ! ブラックドレイク“A”とアーマナイト・カーリーでおじさんにアタック!」

 

 迫り立てる強力な兵器と堅牢な装甲を持つモンスター達を前に、不破は強く目を閉じ、改めてこの場にいる意味を己に問う。もし人命を優先としていれば、ファイトなんかせず、とっとと連絡すれば良かった。だが、どうしてファイトを引き受けただろうか。

 答えは簡潔だ――彼の願いを叶えてあげたかったから。恐らく普通の子供としての楽しみなど、彼は体験したことがない。微かに得た情報から立てた推察と会って間もない身しかないが、それでも同情するぐらいには念はある。

 

 だからこそ、不破は全力で迎え撃つことを決めた。そして(まぶた)を上げると同時に、静かながらも芯の通った声音で宣言する。「キャスト、〈鋼のボディ〉。このバトル中、カイゼリオンの防御力を+5000にして、[反撃]を得る」カイゼリオンのボディに金色のオーラが(ほとばし)り、裂帛した気迫が光剣に宿っていく。

 

 その光剣を用いて、ブラックドレイク“A”から放たれたレーザーキャノンを打ち消し、続けてアーマナイト・カーリーの突貫も弾き返した。「【対抗】は?」黒の双眸(そうぼう)は、何の迷いもなく真っ直ぐ相手を射貫く。対するクリスティアンは、無言のまま首を横に振って、ないという意を示す。

 

「なら、ブラックドレイク“A”を破壊する」

 

 確認を取った直後、不破はフットバーを強く踏み込み、レバーを勢いよく押し出した。彼の威勢に呼応するかのように、カイゼリオンも中心部であるタイガトラスの咆哮を轟かせ、ブースターを点火して猛進する。

 空気が焼き焦げる臭いと共に、風を切っていく轟音が響き、易々と間合いへ進入。頭上に振り上げた光剣を強勢に振り下ろして、ブラックドレイク“A”の装甲ごと肉を断ち切って消失させた。

 

 不破の手札:3→2

 不破:カイゼリオン/防6000→11000/[ソウルガード]/[搭乗]/[反撃]

 クリスティアンのレフト:ブラックドレイク“A” 撃破!

 

「これで終わりかい?」

 

 脳裏で料簡(りょうけん)を立てながら、不破は淡々と問いかける。アイテムとモンスターで連携攻撃をしたのではなく、モンスター同士で連携攻撃をしたということはファイナルフェイズで決める算段か。

 何にせよ、勝負の分かれ目ということは明白。クリスティアンの挙動を見つめる不破の眼光は、剣神が持つ切っ先の如く鋭くなっていた。

 

「な訳ないじゃん! まだ手はあるよ!!」

 

 威勢よく言葉を返し、クリスティアンの双眸(そうぼう)炯々(けいけい)と鋭利に煌めく光を(たた)えていく。「ファイナルフェイズ! ゲージ2払って、キャスト〈怒裏留バンカー!!〉」叩きつけるようなカード捌きにつられるように、クリスティアンはアスラ斬魔を大きく振りかぶって腰を深く落とした。「アスラ斬魔の攻撃力を+4000して、打撃力も+2!」手に持っている禍々しい斧の刃に赤黒いオーラを(まと)い、クリスティアンの左目にも同じ色の光が(ほとばし)る。

 

 クリスの手札:1→0/ゲージ:2→0

 クリス:アスラ斬魔/攻5000→9000/打撃4→6

 

「これで最後だよ……僕の全力、ぶつける!」文字通り、これがクリスティアンにとっての最後の攻撃。「アスラ斬魔で、おじさんにアタック!!」今にも燃え尽きそうだとは思わせない剽悍(ひょうかん)な足取りで、地面を強く蹴り出して間合いを最短距離で踏破すると、電流のように(ほとばし)るオーラと共に黒い一閃を(はし)らせた。

 

 もはや人の域を越えた黒刃の閃きは、恐怖する前に肉や骨を斬ってしまうだろう。しかし、不破は決して動揺することなく、宣言した。「キャスト、〈お前の技は見切った!〉で攻撃を無効化にする」彼の目では死神の黒閃は捉えていない。けれど、彼には優秀なバディがいる。「悪いけど、僕だって負けてられないんだ」剣神が己の意志で、その全てを賭けた一撃をいとも簡単に(かわ)した。

 

 クリスティアンの全身全霊は空を切り、地面を叩き割る。赤黒い斬撃を受けたアスファルトは、対抗する力も術もなく割れ爆ぜていく。

 地表の爆発が連続する中、クリスティアンは膝をついて剣神を見上げた。全てをやりきったかの如く、諦観とも楽観とも取れるかのような笑みを(たた)えるだけ。

 

 不破の手札:2→1

 

「おじさん、酷いや……ターンエンド」

 

 ようやく爆音が静まると、クリスティアンは不破のことを(そし)って、自分のターンを終えたことを告げる。だが、変わらず楽しげに笑い飛ばし、不満を表情に出していなかった。

 

 クリスの手札:0/ゲージ:0/ライフ:5/クリス:アスラ斬魔(ソウル:2)/レフト:イブリース(ソウル:1)

 

「ターンをもらうよ。ドロー、チャージ&ドロー」

 不破の手札:1→2/ゲージ:5→6

 

「このままセイバードの能力を使うよ」

 

 何一つ手迷う様子はなく、不破はそのままカードの能力を使う。「ゲージ1払って、このターン中、カイゼリオンは[2回攻撃]を持つ」もはや、黒の双眸(そうぼう)は迷いも躊躇も微塵の揺れを見せていないかった。淡々と為すべきことをこなしているだけで、声には何も感情が込められていない。

 

 不破のゲージ:6→5

 不破:カイゼリオン/[ソウルガード]/[搭乗]/[2回攻撃]

 

「アタックフェイズに入る」

 

 冷淡な声が響く。もうこれで勝敗が決することは目に見えているからこそ、余計な感情を切り捨てて単調に告げる。「カイゼリオンでファイターにアタック」剣を扱う左手がレバーを握りしめる力を強めて、今まで以上に引いて押し出す。繰り出された剣撃は、光速と言っても過言ではないほどに速い。

 

「……受けるよ」

 

 もはや受け止める力を残されていないどころか、立ち上がる気配もなく碧眼はただ光剣を見つめるだけ。語勢も弱々しくなり、口元に浮かんでいる笑みも力がない。剣身が彼の身体を捉え、衝撃を与えていく。

 

 クリスのライフ:5→2

 

「おじさんは、いじわるだ」引き寄せられる光剣を見送った直後、耳朶(じだ)を打つ小さな呟き声。「最期の最期に勝たせてくれないなんて」非難と言っても差し支えのない言葉だが、吐いている本人の瞳は満足げに細められていた。

 

 一瞬だけ不破の頬が歪むが、振り払うかのように言い返す。「僕は僕の全力を尽くしたまでだよ」眼光がどこかもの悲しげに揺れた刹那、もう一度左手のレバーを引いた。「カイゼリオンで、ファイターにラストアタック」冷たい声音で発せられた宣言と共に剣神は無慈悲に得物を振るう。

 

 膝をついたまま呆然とするクリスティアンの目に映るものは、今まさに自分の命を刈り取る最後の一閃。光刃が地面に触れた頃には、クリスティアンは幸せそうな笑みを浮かべたまま倒れ伏していた。

 

 クリスのライフ:2→0

 

WINNER:不破誠人

 

 

 

 

 ファイトが終わり、搭乗を解除した不破は地面へ降り立つ。カイゼリオンもまた気になるのか、カードに戻ることなく、身体を小型化して不破の肩に乗って様子を(うかが)う。アスファルトに縫いつけられるように伏せている少年がどうなったのかという興味は、不破もカイゼリオンも尽きなかった。

 

 遠目から観察して分かるのは、起き上がるどころか呼吸さえしてなさそうな様子ぐらい。不破は生死を確認するために、意を決して歩を進める――手前に今まで無言だったカイゼリオンが「止まれ!!」と強く制止する声を聞いて、止まる。と同時に、目の前にあるクリスティアンの身体が突如として割れ爆ぜた。

 風を切る轟音が届いたのは、彼の肉と血が飛び散った少し後。狙撃ポイントと思われる場所に目を向けることなく、不破は原型を留めていない死体をじっと見つめているだけ。「君らは……死んでもそのままあり続けることを否定するのか」口に出した言葉は、人として供養してあげられなかった悔恨と悲哀が織り交ざっていた。

 

 

 

 

 廃墟ビルの屋上、ディアナは対物ライフルの銃口を空に向けて(たた)んでいた。視線の先、遥か遠くには自身の手で止めを刺した兄の姿があるはず。

 死んでもなお自分達が研究機関に利用されないように、お互いが死体を処理することは事前に決めていたが、それでもたった一人の肉親を手にかけることへの抵抗感がなかった訳ではない。むしろ胸がはち切れんばかりに悲しみが満たし、引き金に触れる指は悪人を殺す時以上に強張っていた。人とはかけ離れた身体を有していると思っても、涙はまだ出る。

 悲しみに暮れている場合ではないと分かっていても、気持ちに区切りがつかない。兄と同じ色をした瞳は、その先から逸らすことはできなかった。

 

「見つけたぜ! クソ野郎!!」悲愴が包み込む静寂を蹴破るかのような怒声により、ディアナは現実に引き返され、声がした方に目を向ける。そこにはこちらに銃口を向けた大柄な男性が、殺意を(ほとばし)らせながらじりじりと距離を詰めていた。

 いつもの調子なら対物ライフルを乱雑に振るって、鈍器としてその頭を潰していただろう。だが、一目でそれが通じない相手だと分かった――自分らと同じく“悪”を許さない朱殷(しゅあん)の瞳が、驚愕に呑まれたディアナを映し出す。

 

 このまま戦っても勝てないということを悟ったディアナは、急いで予定の逃走ルートへ。しかし、その判断をするには少し遅すぎた。

 弾丸が彼女の顔を掠めていく。もう既に大柄な男性――道正が撃ち抜ける射程圏内に入っている。通用しない手だと分かっていながらも、ディアナは思考を切り替えて対物ライフルを長物の鈍器として振るう。

 

 だが、道正は動揺することなくディアナの足へ標準を合わせ、引き金を引いた。彼が握っている拳銃から放たれたのは、鉛の塊ではなく光の弾。一瞬だけの輝きに目を奪われ、人はそれに肉を貫かれる。

 ディアナも例外なく右太ももから血が(ほとばし)らせ、膝をつく。「女の子に暴力を振るうなんて、とんだ礼儀を持った人ですわね」それでも覿面(てきめん)を見つめる瞳は、凶刃を突きつけるように鋭い眼光を宿しながら細めていた。

 

「人殺しに対する礼儀なンて、これで十分だ」

 

 静かだが、獰猛で冷酷な道正の声音が耳朶(じだ)を打つ。合間に響く靴音は、荒々しく無造作。「もうお前に、逃げ場なんてない。殺されるか、そのまま捕まるかを選べ」少女の額に銃口を押しつけて問う道正の瞳は、一切の慈悲も情念も何もない無機質で冷たい血の色をしていた。

 彼が手にしている銃が、この世界の人間の手によって作られたものではない。恐らく自分と同じく意志を持つカードを具現化したのだろう。ディアナは冷静に道正の拳銃を観察しながら、己が持つ対物ライフルを一瞥(いちべつ)する。

 

 小柄でなおかつまだ成長しきっていない子供の体躯であるディアナが扱うには到底難しい大きさのサイズ。そこから察する反動の強さは簡単に彼女の肩を外してしまうだろう。

 けれど、難なく扱えた。理由は単純――それが彼女が具現化できる意志を持ったカードであり、どんな体つきでも使えるよう調整されるから。もちろん、ディアナ自身が基本的な扱い方を心得ているかつ、尋常ではない身体能力でフォローしているのもあるが。

 

 だからこそ、一般的なオートマチック銃とはかけ離れている拳銃の銃口を突きつける道正に同族の臭いを感じたのだ。「あなたも私達と同じですのね」窮地に立たされてもなお、揺さぶって打破しようとディアナは悠々とした態度で口を開く。「ただそうやって正義に縛られるしかなくなった憐れなお人」どのような経緯であれ、彼もまた時が止まったのなら、そこを抉り出せば感情が乱れるはずだと。

 

「質問の答えになってねえぞ」

 

 思惑通り――というには程遠いぐらいに道正の表情も声色も変化しなかった。「今お前に許されてンのは、ここで死ぬか捕まるかのどっちかだ」ただグリップを握る力が強くなり、双眸(そうぼう)も鋭利に細められていく。

 いつ引き金を引かれてもおかしくはない状況。一切緩める気のない緊張と決意に、ディアナはここで頭を撃たれてもいいかと思い始めた。そうすれば兄の元へ行けるだけではなく、死体を利用して研究されることもないはずだから。

 

 ゆっくりと目を閉じて、諦観(ていかん)を口にする――瞬間、「待ちなさい!」という制止が響く。「私達はあくまで逮捕するためだけに来たのよ」女性の声だが、道正とまた違う鋭利さが秘められた語勢で手に刺さる感触を覚える。「その銃を下ろして、碓氷君」

 彼女の言葉に嘆息で応えると、道正はディアナが持っている対物ライフルを蹴り飛ばし、彼女を見下して毒気づく。「命拾いしたな」殺意と憎悪を吐き捨てた後、ディアナに背を向けて肩越しに一瞥(いちべつ)した。「言っとくが、俺はお前らのようなゴミを掃除するだけだ」

 どこまでも血の海を映すような瞳から、ディアナは己に向けられた負の感情を感じ取って、初めて怖気づいて口を噤んだ。同じではない、あれは復讐心の塊だということをようやく理解して。

 

 

 

 

 警察や他のバディポリス達が来るまでの間、不破は現場保存に努めていた。いや、そうでもしないとそのままずっと止まってしまいそうだったから。可能な限りを尽くした後は、たた呆然とクリスティアンの死体を見つめるだけ。

 

「これが兄貴か」

 

 しばらくして、道正が合流する。彼の問いに、不破は頷くだけで何も言わない。「兄妹でも惨い殺し方をするもンだぜ」興味なさげに道正は吐き捨て、侮蔑と取れるような眼差しで死体を見つめた。

 冷淡な道正の横顔を一瞥(いちべつ)し、不破は視線を地面に落として呟く。「例えどんな人間にだって、人らしく死ぬ権利ぐらいはあるはずなんだ」声色はいつになく悲しみに染まり、己の無力さを木霊させるばかり。

 

「あン? こんな奴に同情しても無駄だぞ」

 

 感傷に浸っている不破へ、道正の無情な声が耳朶(じだ)を打つ。「ガキだろうが何だろうが、罪を犯した野郎にかける情けなンてねえよ」ただひたすらに相手を切り刻むような冷酷な言葉が、強く響き渡る。

 

「その通りだけど、僕はそこまで切り捨てられない」

 

 犯罪者である前に人なのだから、それはそれとして情念は向けるべきだろう。「今の判断は間違っていないと思うけど、まだやれることあったんじゃないかってね」バディポリスではなく、一人の人間として向き合っていきたい。そんな思いが、不破が口にする言葉に哀愁を漂わせていた。

 

「俺はお前の判断が間違ってると思わない」

 

 詳しい話は聞いていないはずだが、道正は厚い信頼を寄せるように頷く。「だが、その情けは捨てるべきだな」しかし、変わらず吐き出す温度は冬特有の冷たさと織り交ざって、冷え切っていた。静かに夢の跡を見つめる不破を一瞥(いちべつ)した後、道正はその先の言及をすることなく踵を返して立ち去っていく。

 

「君を人らしく弔ってあげたかったよ……」

 

 人として生きていけなかったからこそ、せめて最期は人らしくというのはエゴなのは分かっている。けれど、そう呟かざるを得なかった。己が人間として在り続けるためにも。

 

 

 

 

 騒動から一夜明け、バディポリスや警察は慌ただしく動いていた。つい最近起きた殺人事件の犯人確保と死亡、その二つの結果から生じた多忙は、現場にいた不破達にも容赦なく襲いかかる。

 現場での収集を終えた彼らは捜査本部にて報告書や聴取の段取りなどの書類仕事が主ながらも、加えて事情聴取もあるためか、疲労が溜まる一方。とはいえ、山場を一つ越えれば、一息はつける。

 

 不破もまた一段落したところで仮眠に入った。ただしあくまでも仮眠であり、十分な睡眠時間は確保できていない。起きてからも、あくびは止まらぬばかり。

 激務になるのは承知の上でバディポリスになったのだから今さら文句は言えないと思いつつも、不破はまだ重たい(まぶた)を強引に上げて取調室へ向かう。もちろん、昨夜確保した犯人の一人――ディアナの取り調べ状況を知るためだ。

 

 取調室に設けられた窓の前、先に様子を見守っていた道正を見つけ、不破は「調子はどうだい?」軽やかに問いかける。声をかけられた道正は不破を一瞥(いちべつ)した後、顎をしゃくって促す。その先に和穂が少女と対面している姿が見えた。

 

「中瀬が相手にしてるが、まともに取り合ってくれないみたいだぜ」

 

 そう言う道正の声音は辟易(へきえき)で満たされ、目尻も鋭く吊り上がる。どうやら労を要していると、察した不破はなるべく軽い調子で言い返す。「かなり手強い子だね」元々そう簡単に話さない子なのだろうと思っていたため、少なくとも自分が仮眠している間では何も言わないのは想定の範囲内。なおさら、打開策を考えなければならない。

 

「その生意気なガキが、お前を指名してきたンだとよ」

 

 寝起きの頭脳労働をしようとしたところで、道正の声が耳朶(じだ)を打つ。弾けるように隣にいる道正へ顔を向けると、これまたしかめっ面を浮かべた道正が興味なさげに言葉を連ねていく。「どうもお前が兄貴とファイトしてたところを見てたらしい」

 聞いた瞬間に、不破は昨夜の出来事を思い出す――クリスティアンとの一戦と、彼の最期を。やはり見ていたのかと理解する一方で、どうして兄を平然と撃ち抜いたのかが分からない。まだ不明瞭なことばかりだからこそ、ここは彼女と話をするしかないと思い、口を開いた。「分かった。今から交代するよ」

 

 

 

 

 和穂と引き継ぎのやりとりをした後、不破はゆっくりと取調室の扉を開く。室内には癖のないブロンドのロングヘアーとシックな服装が目を()く少女が、上品な笑みを浮かべて行儀よく座って待っていた。しかし、碧眼は笑っておらず、喉元を突き刺して切り裂かんとばかりに冷たく鋭利な光を(たた)えている。

 

「君がクリスティアン・シュレーゲル君の妹さんだね?」

 

 年不相応の静かな迫力にたじろぐこともなく、不破は対面して椅子に座る。「ディアナ・シュレーゲルちゃん、っで合っているね?」引き継ぐ際に確認した名前を丁寧になぞって確かめるように、問いかけた。覿面(てきめん)見据(みす)える黒の双眸(そうぼう)もまた彼女に負けず劣らず芯の通った光を宿して射貫く。

 

「私のことはディアナで構いませんわ」

 

 楚々(そそ)した表情で言い返したかと思えば、苦虫を噛み潰したかのような相好(そうごう)で言葉を継ぐ。「ちゃんをつけられるのは好きではないので」声音も鋭利だが、肝心の視線は不破と向き合うことはない。まともに相手にする気がないのか、はたまた別の意図があるのか。

 

「随分と素直に言うね」探るように、不破の双眸(そうぼう)は彼女の些細な変化を見逃すまいと細部まで認める。今何を思うか、何を考えるか、何を企んでいるか――わずかな仕草や表情、視線の動きで読み取ろうとしていく。

 

「先程から呼ばれて、虫唾が走りましたわ」

 

 まだ不破と目を合わせる気がないらしく、そっぽを向いたままディアナは変わらず不機嫌そうな口調で返す。「我慢しようと思いましたけど、あなたと話すのに支障をきたしてしますので」あどけなさが残る顔立ちだが、年齢に釣り合っていないほどに澄ました態度は、どこか不気味さを感じさせる。

 彼女が言っていることは、和穂がずっとそう呼んでいただろうという情報。なるほどと相槌を打ち、不破は話柄を切り出す。「それで君が僕に話したいことは?」

 

「その前に、私はあなたの名前が分かりませんわ」

 

 率直な問いかけを一蹴し、ディアナは不破を一瞥(いちべつ)する。「互いのことを知るのは、礼儀ではなくて?」仮面は剥がれそうにない。和穂が尋問が不得手ではないとはいえ、苦戦していた場景が目に浮かぶ。

 苦笑いしつつ不破は頷き、「僕は不破誠人。見ての通り、しがないバディポリスだよ」と簡潔に自己紹介をする。「まだ他にあるかい?」つと脳裏に浮かんだのは、彼女の兄には名乗っていないまま別れてしまったなという所感だけ。もしかしたら、彼女は自分を試している、または兄の情報を得たいのではないかと料簡(りょうけん)を立てつつ正面を見据(みす)えた。

 

「あなたが私達のことを知ってることを、話してくださいます?」

 

 ようやくディアナの碧眼が黒瞳とぶつかる。どこまでも澄んだ青い玻璃(はり)の向こうに、わずかな光の揺れが見えた。自分達のことを知られることを怖れているのか、それとも知られていないことを怖れているのか。

 

「僕が知っているのは、君らの名前と何かしらの研究の被験体として生きてきたらしいという映像だけだよ」

 

 相手が零すのを待って揺さぶる、という手段は使わずに披瀝(ひれき)する。後は、推測の域だからこそ、確実に分かっていることだけを口にして信用を得ていく。返答する不破の相好(そうごう)は、普段通り落ち着いていた。

 

「まだ残っていらしたのね……あまり人に見られたくなかったのですが」

 

 初めてディアナの表情が動く。驚嘆に染まった顔は、予想だにしていなかった物の現存に向けてだろう。やはり彼女らにとっても快くない過去だったということを理解した上で、不破はさらに続ける。

 

「そうだね、あまり人が見る映像じゃなかった」

 

 勝手に見た身だが、不破もまたそのことを思い出したくはなかった。人が人として忘れてしまい、血肉を(もてあそ)ぶ光景は胃から不快がのぼせ上る。「もしかしなくても、君は僕に昔話をするつもりかい?」希望的観測、としか言えない質問だが、これで彼女の狙いも判明するはず。

 

「まさかタダでそんなことをすると思ってましたの?」

 

 鼻を鳴らして、ディアナは再び楚々(そそ)した態度で一蹴する。「私はそんな話をするために、わざわざあなたを呼んだ訳じゃないですわ」自分を呼んだ理由が、追憶を語るためではないと分かっただけでも一歩前進。もう一歩だけ踏み込んでみる。

 

「どんなお話をするつもりだい?」

 

 次に考えられるのは、兄のことだろうか。恐らく彼を撃ち抜いた理由が何かしらの隠滅ならば、きっと彼女も同じことを望むはず。普通ではない出自や能力を含めて料簡(りょうけん)を立てれば、おのずと付近に着地するはずだと。

 

「これからの話ですわ……私が死んだ後のこと」

 

 鋭利だった語気が、少しだけ弱くなる。「簡単のことですわ。私の死体を利用されないようにズタズタに引き裂いていただければ」すぐに調子を取り戻すが、既に青い瞳は揺れ動いてしまい、弱さを露呈してしまっていた。

 

「それはできないね」

 

 容赦なく突くことはないものの、不破はキッパリとその願いを断ち切る。「無断で壊せば、死体損壊罪で捕まっちゃうよ」おどけたような口調で返すが、黒の瞳は一寸たりとも動く気配はない。

 

「杓子定規でしか動けない人ですのね」自身の希望を容易に打ち砕いたことへの恨みも混ぜてか、ディアナが吐き出した嘆息には嘲りだけでは留まらない重さがあった。「つまらない人」吐き捨てた言葉は、失望の念が多分に重なって耳朶(じだ)を打つ。

 

「僕はあくまで法の下で働いている身だからね」

 

 彼女の発言に、不破は一切動じることなく身の上を簡潔に話す。「綱渡りは苦手なんだ」口の端を柔らかく上げ、苦笑いしている様を見せるが、ディアナはただ鼻を鳴らすだけ。

 

「兄があなたを最期の遊び相手として選んだ意味が分かりませんわ」

 

 眉根を寄せて、嫌悪にも似た態度でディアナは刺々しい音吐を放る。もう隠す気がないのか、彼女の素が露出されていく。さて、ここからが大詰めだ。

 

「僕も分からないかな」

 

 思い返して、明確に理由を聞いていないことを思い出す。「機嫌がいいからってだけだよ、知っているのは」ファイトの最中はとにかく楽しそうだった、最後まで満足げに笑って倒れていたような気がしたぐらいとしか。ただ本当に普通の楽しい思い出を欲していたのではないか、という思いがよぎるが、今は思い留めた。

 

 簡潔に告げられた事由に、妹は呆れたようにため息をつくばかり。「兄らしいですわ……」呆れの感情はあるが、どこか微笑ましく思ったのか、微かに口元が緩んでいたのを不破は見逃さない。

 唯一の肉親だからこそ向ける親愛を感じ取って、不破は少しだけ思考を回す。彼の様子から察するに、彼女も燃え尽きる日が近いのだろう――だから、死んだ後のことも簡単に吐露したのだと見当がつく。本当は自分達が何も誰も知られないまま消えていくことに恐怖している、だけど素直に話すほどに成熟できていない。

 

 だからこそ、奇妙な遠回しをして勘づかせようとしているのだろうか。大人びた振る舞いをしても、やはり子供のままだと思うと微笑ましくもあるが、時が止まってしまったままだということに寂寞を感じてしまう。

 けれど、同情はしない。真相を知るために、不破の双眸(そうぼう)は鋭利になり、相手を射貫く。微塵の迷いもない眼差しは、頑なに話そうとしないけれども零しそうな少女を映し出していた。

 

「一つ賭けをしよう」

 

 今まで以上に、不破の相好(そうごう)、声音は生真面目なものになる。「これから僕が君にいくかの話を聞かせる。全部正解だったら、君は昔話をする」淡々と口に出すのは、どちらにもメリットがあるとは言い難いような提案。「もし不正解だったら、何も言わなくていい」見返りが不明瞭な持ち掛けを、不破は眉一つ動かさないまま押し通す。

 

「あなた、大道芸人に向いていませんわよ」

 

 綱渡りをする訳でもなく、かと言ってジャグリングをする訳でもなく――エンターテイナーとして必要なものは全て省いたような直球に、クリスティアンはまた呆れるようにため息をついた。だが、いつからか嘲りは消えている。不破があまりにも実直すぎる言葉を取り出してきたから、というのが概ねの原因なのだが。

 目の前の少女に何度も嘆息を吐かせても、不破の眉尻が微動だにしない。「僕はあくまでバディポリスだからね」彼は、ただ真っ直ぐ碧眼を見つめていた。

 

 

 

 

 取調室での会話から少しして――バディポリスの本部から遠く離れた海が見える公園、程よく日が当たるベンチに腰かける二人の姿は、まるで親子のよう。だが不破はまだ二十四歳であり、隣に座る少女ほどの子を持つような年齢ではない。それでも彼女との年の差は、一回りほど離れているのは確か。

「それで何故こんな場所に?」確保時と同じ服装ではなく、新調された衣服に身を包みながらも、ディアナの眉間に険しい皺が寄っていた。続きは取調室でも良かっただろうとも言いたげなのは、火を見るよりも明らか。

 

「海が見えていいでしょ、ここ」

 

 けれど、不破はつっけんどんな彼女の態度をいなすように笑い返す。海の方へ一瞥(いちべつ)すると、大きな橋が目の前に見えて、ここの象徴の一つだと言わんばかりに存在感を示していた。ただ海風が冷たく当たって、一徹している身には堪えるが。

 

「質問の答えになっていませんわ」

 

 まだディアナの相好(そうごう)は険しい。当然ながら不破の返答に不満を持っているため、碧眼も鋭く細められていく。絹のようなブロンドの髪が、そよ風に(なび)いて冬の陽光を煌びやかに反射する――彼女が眉根を寄せて(にら)みつけるような表情をしなければ、きっと誰もが二度見をしたであろう美しさが白日の下に照らされる。

 

「僕がゆっくりと話すのに、丁度いいんだよ」

 

 刺々しい一言が放れても、不破は穏和に笑みを(たた)えるだけ。見晴るかす先は、やはり海。風があるとはいえ、静かに流れていく――その様を見つめる黒瞳は、目の前にある海以上に凪いでいた。

 

「くつろげるような状況ではないですわね」

 

 周囲の目があることを気にしてか、ディアナの視線移動が激しい。「人に見られていますわよ」一瞥(いちべつ)した方向は、恐らくバディポリスや警察官が待機しているだろう。事実、見晴らしがいい場所ながらも木陰に隠れる者や一般人に装って周辺を回っている者があちらこちらにいる。

 当然ながらも道正や和穂も別所にあるベンチで不破達のことを監視しており、いつでも銃を引き抜けるように準備していた。パッと見はどこにでもいそうな仲睦まじいカップルのようだが、彼らを見つめる瞳はどこか鋭利。殺気こそは出ていないが、剣呑な光を秘めながら二人は終始を注視している。

 

「いいんだよ。見られても」

 

 そのことを知っている不破は、軽く(まぶた)を閉じて言葉を返す。「君が僕を殺すことをしなければ」一般人もバディポリスや警察官の目もある中で大きく動けば、さしもディアナとて行方をくらますには苦労がいる。さらには足を負傷している彼女が簡単に逃げ切れるほど、包囲網も甘くはない。

 

「卑怯な手を使いますわね」苦々しい表情を浮かべてディアナは、不破を(にら)みつける。しかし、彼は彼女のことを見ていなかった。ことさら、ディアナの眼光が鋭くなったのは言うまでもない。

 少女が切っ先のように鋭利な視線をぶつけていることを感じ取り、不破は重そうな(まぶた)を上げて、口を開く。「今ここで君が銃を向けていいんだよ」一瞥(いちべつ)を投げかけて、淡々と告げた言葉は挑発とも取れる承諾。「望み通り、無惨な死体にはなるからさ」

 

「それでは賭けになりませんわ」自分がどんな状況に置かれているのかを理解できる聡明さ故にか、ディアナは苛立たしげな口調で断るだけ。「早く話してくれませんか」幼い眉間に似つかわしくない皺が、さらに深く刻まれていく。

 

 年端のいかない睥睨(へいげい)に鼻白むことなく一つ息を吐くと、不破は変わらず淡白な調子で言葉を返す。「あくまで僕が思い描いた昔話だよ」確固たる証拠がない、己の目と耳だけで読み取った情報で構築された捏造とも呼べる追憶を積極的に聞きにくる人間はそうそういない。「そこまで急かす必要もないんじゃないかな」どこまで夢物語として話せるか――自分らしくない行動に今さら後悔しつつも、不破はおどけた態度を続けた。

 

「それでも時間がないことぐらいは、あなたは分かっているはずでしょう?」

 

 彼の薄っぺらい道化師の仮面を壊すには、あまりにも十分すぎる一言。少女の眉根は開かれ、青い瞳いっぱいに冴えない男の横顔を映す。刺々しく張りつめた空気が、緩やかに澄んでいく。

 隣を一切見ることなく、不破は少しだけ相好(そうごう)を固くした後、おもむろに口を開く。紡がれるのは、彼の想像だけで辿られたとある双子の兄妹の人生――。

 

 

 

 今より少し前のこと、恐らく数年前というべきか。日本ではない、どこか遠い国――彼らの目鼻立ちを見る限りは欧米系だろうという過程の下、双子の兄妹は仲睦まじく暮らしていた。

 彼らの家庭環境は身の回りや所作に少しだけ厳しいだけで、特筆して変わったところがないごく普通の環境。彼らの身につけている衣服や装飾品から何となく感じ取ったものだが、これもまた一つの憶測でしかない。

 平穏の終わり方はきっと突然だったことは、確実に言える。いつも事件というものは、静かな序曲を経て大きく発展するものだから。恐らく双子の兄妹も同じように、突如として襲いかかってきた強盗らしき人物らに両親を殺されて、さらに彼らに誘拐された上で研究施設に送られたのだと。

 犯人の正体までは流石に分からない。今話している内容以上に突飛な予想になるだけだが――もし関連性を結びつけるとしたら、兄妹の父親に関係した人物だろうか。そこまで特定する必要はないのだが、あくまで補足として。

 その後は、不破が視聴したビデオから察する通り、見るに堪えない凄惨な光景を幾多も踏み越えて特異な能力に目覚める。自分達の能力を自覚したところで、脱走するついでに研究施設を文字通り根こそぎ絶やして潰滅。彼らはただ“悪”を蹴散らすために世界を流転して、今に至るというあまりにも血生臭いおとぎ話は淡々と幕を閉じた。

 

 

 

「これが僕が思い描く昔話」まるで読み聞かせていた絵本を優しく閉じたかのような口調で、終わりだということを告げる。「どうだったかな?」不破はずっと横顔を見つめていた碧眼と向き合い、その出来栄えを問う。

 

「全然違いますわね」

 

 首を横に振った後、ディアナは顔を背けて呆れたような語調で言葉を継ぐ。「家庭環境を当てたことは褒めますけど」正解はあったらしく、不破は彼女の発言に目を丸くするだけ。当の本人は苦々しい表情で浮かべながら、彼と目を合わせることはしないが。

 当たっていることがあったとしても、やはり他人の人生を寸分違わずに言い当てることなど不可能だということを思い知らされる。ましてや、彼らに関する情報はビデオと被験者リスト、彼ら本人のみにしか集約された以上は語る言葉全てが飛躍した想像でしかない。理解しているが故に、不破はただ苦笑いをする他に術がなかった。 

 しばらく沈黙が流れる。温かな日差しがあるとはいえ、人の身を考えない冷たい海風と冬の寒気が心の奥まで凍えさせんとばかりに、入り込んでいく。寒さに負けないように防寒対策していたとはいえ、吐き出す息の白さを見れば、如何に姑息だということを嫌でも感じざるを得ない。

 

「私達の平穏を壊したのは、他でもないお父様でした」

 

 ぽつりと深く沈んだ空気を破ったのは、少女の独白。「研究材料として私達を使わざるを得なくなり、お母様を目の前で殺しましたわ」このまま続くかと思っていた森閑(しんかん)とした間は、淡々と地面を打つ雨音によって姿を変えていく。

 思いも寄らぬ発言に、不破はまた目を丸くしてディアナを見つめる。どうして話してくれたのかが分からない。賭けはこちらの負けだろうに、話す理由は皆目見当がつかないのだ。

 

「ちょっと昔話をしたい気分になったのです」

 

 困惑している彼の視線を感じ取ってか、ディアナは一瞥(いちべつ)を投げかけ澄ました表情で言い連ねる。「子供の戯れにお付き合いくださらないの?」散々勝手な妄想を述べたのに、こちらの勝手は聞かないつもりかと訴えかけるかのように、碧の奥にある光は鋭利になっていく。

 

「賭けじゃなくなっちゃうよ?」

 

 不破が言えたのはそれだけだった。あくまで正解していたら、話すという体だったから。推測で塗り固められた往時が気に入らなかったのか、想像ばかりの回想に何かしらの琴線に触れたのか――不破の眼差しは少女の言葉を待つようにじっと静謐(せいひつ)に留まる。

 

「賭けはあなたの負けです。今は私の独り言ですわ」

 

 静かに、けれど威勢よく言い切って、ディアナは澄ました顔のまま話を紡ぐ。先を見つめる幼い碧には、過去への感慨と現在に至る寂寞、そして目の前にある蒼穹(そうきゅう)蒼海(そうかい)に対する憧憬の念が浮かんでいた。

 

 

 

 研究材料という単語が出たということは、彼女達の父親は研究員だった。何に対する研究を行っているかを知ることは叶わなかったが、ただ過程と結果だけを見ても狂っているしか呼べないものだろう。けれど、彼女らは知っていた――それでも人類の発展に繋がると思い込んで日々研究していたことを。

 

 だからといって、喜んで実験に参加していた訳ではない。何なら、自分達の平穏を壊した元凶である父親に恨みしかなかったほど。しかし、逆らうことはできなかった。

 敬愛の情が残っていたとか、数少ない肉親への親愛があった訳ではなくて、恐怖という人を支配するのに実に効果的な感情で握られていたに過ぎない。来た当初に仲良くなった子が、いつの間にか消えた――それどころか人ではない異形のものになっていた時は恐れのあまり腹の底から震え上がっていた。結局この手で生命活動を止めたのだが。

 

 しかし、同じように怯懦(きょうだ)を繰り返していけば、人間は慣れてしまうもの。兄妹も例外なく当たり前の日常として受け入れるのに、時間はかからなかった。

 他人がいなくなる中、寂しさというのは感じることはなかった――何故なら、隣に自分と顔立ちが瓜二つの兄がそこにいたから。ただ二人が一緒にいる時間が長くないことは分かっていた。兄は比較対象として妹よりも強い薬物や過酷な実験に過剰な人体手術を受けた代償で導火線が短くなっていたという事実が、二人の間に暗黙で通じて。

 少女もまた薬物投与や倫理を逸脱した試験や手術を受けた身という故に、兄の後を追うことは決まっていた。しかし、悔恨は不思議なほどない。もうそれだけ情念も願望も血染めの中に落としてしまったということだが。

 

 いつからか、どこからか――兄が脱出経路を見出しており、妹と共に脱走しようという計画を企てる。持ち掛けられた妹も当然外の世界への渇望は捨てられなかったから、提案に乗って施設からの脱走を試みた。だが、計画は別の形で成功してしまう。

 脱走当日、研究員一人に発見されてしまい、その際に何もかもを壊してしまおうとプランを変えた。この時には、自分達の手に人とは違う特異な能力があることは理解していた――カードを渡されて具現化した日から。そして日々の実験の中で既に人を肉塊に変える行為を作業と呼べるまでに変換された彼らに生命を殺めることは造作もない。

 赤、(あか)、朱、一面がそれらに染まった。自らの手で父親の顔を死の色に変えた時さえ、何の感慨も情念も浮かばず、作業の一つとしか認識していない。文字通り施設は火と血の海の中に立ち消え、彼女らは放浪の旅へ。

 

 目的は、“悪”を潰して“楽園”を見つけること。抽象的なものながらも、悪の息の根を止めることにおいては実に具体的なものばかり。一言で言えば、能力を使って頭を吹き飛ばすか潰すかのどちらか。

 簡単で簡潔な方法を用いて、悪を血染めに変えていきながら楽園をひたすら目指した。そうしたら日本という国を知り、自分達の楽園が見つけられるかもしれないというわずかな希望を胸に黄金の島へ向かう。綺麗な海が見える場所で、眠るように楽園へ辿り着けるような気がして。

 その先は不破達が追っていた通り、人身売買の密売人を殺し、兄の死体を撃ち抜いた。残されたのは、特異な能力と血と腐臭ばかりの思い出だけ。楽園など、どこにもなかったのだと知ったのは、温もりを失った後だった。

 

 

 

 静謐(せいひつ)だけが、二人の間に流れる。言葉を噛みしめる時間を、彼らが要したからにすぎない。冬特有の重さが、不破とディアナを隔てるようにのしかかっていく。

 

「ここの海はこんなにも綺麗だったのですね」

 

 待ち望んだ青をようやく目にして、少女は笑った。「あなたが気に入るのも分かる気がしますわ」相好(そうごう)が崩れて年相応の幼い笑顔が浮かび、双眸(そうぼう)もまた楽しそうに細められる。ここが求めていた場所なんだと言わんばかりに、安堵が彼女心を溶かしていた。

 気がつけば太陽の位置も変わって、空の色も薄青から橙色へ。冥色へと移りゆく中、どこか懐かしいメロディーが鳴り、人影がゆっくりと消えていく。「もう子供は帰る時間だよ」不破は視線を夕焼け色に染まる地面へ落とし、静かに告げる。「また来るといい」

 

「もうちょっとだけ海を眺めたいですわ」

 

 そう言いながら、ディアナは力なく不破に寄りかかり、ただあどけない双眸(そうぼう)に海を映すだけ。「あなたがいるのでしたら、大丈夫でしょう?」返す言葉は静かだが、少しずつ威勢が失われており、終わりの輪郭が明確化していく。

 彼女の問いかけに、不破は「そうだね」と頷き、優しく穏やかな声音で告げる。「僕が保護者と言えば、問題はないからね」

「なら、良かった」ようやく願いが通じたことへの安堵からか、ディアナは柔らかく笑ってゆっくりと碧眼を閉じていく。そして彼女の音は、聞こえなくなった。

 

 

 

 

 事件は音なく終息し、訪れる穏やかな数日間。静寂の夜を引き裂く轟音は、わずかな時間で止んだ。残されたのは、捜査本部を畳むという忙しさだけ。

 ディアナの処遇については、一部の上層部以外は立ち入れないように情報が管理され、不破に知らされることはなかった。ビニールシートに包まれた彼女を見送って以来、事後処理をしつつ歯噛みする思いで過ごすことになったのは言うまでもない。できるのは、彼女の行きつく先が安息の地でありますように、と願うのみ。

 

 少しだけまどろむことを許されたある日の午後――不破はブラックコーヒーを片手に、以前ビデオを視聴していた部屋で休息を取っていた。借りてきたものの整理と返却の手続き、そして今回の事件に関する報告書の書き出しと自分が関わってきた範囲での始末に追われて、この部屋に寝泊りすることが多かった。睡眠も仮眠程度しか取れていないが故に、(まぶた)がいつもより重く感じて、コーヒーの苦味でどうにか誤魔化しているほど。ただそれも終わり、後は然るべき場所に全てを提出や返却するだけ。

 

 何度か出るあくびを隠さず、のんびりしていると、突然ドアが強勢に開かれる。「不破、いるよな!?」手元にある飲み物ですら取れなかった眠気が、乱雑な一言によって吹き飛び、重たかった(まぶた)も軽快に上がった。「ここにいるから、そんな大きな声を出さないでくれよ」視線の先に、現場隊員用の制服に身を包んだ道正が相好(そうごう)を険しくしながら腕を組んでそびえ立つ。「てめえを呼び出してンのに、一向に来る気配がないから迎えに来たンだよ」

 

「え? そうなの?」驚いてきょとんとしている不破の態度が、さらに苛立ったのか道正は顎をしゃくってダンボールの上に置いてある二つ折り携帯を示す。促されるまま、不破は携帯を手に取り、画面を開いて電源ボタンを押した。「あ、本当だ」無機質な待ち受けの上に不在通知が表示されて、初めて自分に電話が来ていたことを知る。「それで、僕に何の用?」携帯をパタリと閉じて、制服の胸ポケットにしまいながら、改めて用件を訊ねた。

 

 正直、あまり見当がついていない。道正が呼びに来ることは大抵昼食の誘いだと思うが、今回はそうではないということは彼の表情から読み取れる。また先程の電話に関しても、急用以外には使わないことを考えると、なおさら。

 何事だろうかと困惑している中、不機嫌そうに道正は告げる。「お前に会いたいって言う奴がいるンだよ」思いも寄らぬ一言に、不破はただ驚嘆で固まるだけだった。

 

 

 

 

 道正に言われるがままに、不破は応接室代わりに使っている小会議室へ(おもむ)く。話を聞いている限りだと、クリスティアンとディアナの兄妹に関する事柄を知っている人物らしいと思われる。恐らく彼らが行きついた先のことだろうか。

 

 律儀にノックをして入室してよいか確認し、大丈夫だという耳にした途端にドアノブを握って捻り、軽快にドアを開ける。礼儀正しく一礼した後、頭を上げると首元付近まである白髪と白衣が目を()く小柄な人物が、こちらに背を向けて窓辺に(たた)んでいる姿が見えた。

 

「君が彼らと接触した最後の人間だと聞き及んでいるよ」ドアが閉まると同時に、年を重ねた低い声音が耳朶(じだ)を打つ。「不破誠人君」振り返って見えた顔は、ある程度伸びた白い顎鬚(あごひげ)を蓄え、皺がかなり刻み込まれていた。思考、思索、思慮を極めてもなお、まだ追究し続ける者特有の重みを感じて、不破は息を呑んで顎を引く。

 

 初老の男性――衣服や顔からは恐らく研究職に就いている者だろう。パッと外見から読み取れて立てられる推測は、それだけ。しかし、男の正体よりも不破の胸中が騒めいていたものがあった。

 もし彼が双子の身元を引き取っていて、子供達を研究材料にすると言えば? せめて死後は利用されたくないと願っていた彼らの想いが無碍(むげ)になってしまう。

 何もできない自分が、兄妹の行く先について少しだけ願望を口に出したものの、通っている可能性というのは高い訳ではない。けれど、最悪な形は避ければ幾分か最期の願いは通るはず。まだ希望はある、あの子達は楽園へ辿り着いているはずだと現実を知りたくなくて逃げたくなる。

 だが、それは許されない。事件に関わった以上は、全ての真実を受け止めなければならない。不破誠人という人間として、バディポリスとして生きる身として。

 

「私の名前を知っていたのですね」

 

 一つ息を吐いた後に、不破は真っ直ぐ覿面(てきめん)見据(みす)える。「ということは、事件のことも?」相好(そうごう)はいつになく固く、声音も遊びは一切ない。ただ真面目な態度で、対面する男性の挙動を注視し、言葉に耳を傾けた。

 

 男性は知っていると鷹揚に頷き、ゆっくりと口を開く。「私も遠くからだが関わっているんだよ」予想外の披瀝(ひれき)に、不破は目を大きく見開いて閉口してしまう。今言ったことが、全く理解できない。

 当惑している不破の様子がおかしかったのか、男性は軽く噴き出し緩やかに笑う。「私だよ、匿名で通報したのは」思量が追いつく前に、さらに情報が明かされて不破はただ混乱するしかない。「あの子達が研究区画に来ていた時に、君らを呼び寄せたんだよ」怒涛の暴露に、一瞬だけ不破の思考が止まる。やがて動き始めると、ようやく合点がいった。

 

 目の前にいる男性は、双子の兄妹と対峙した夜に通報を入れた匿名の正体。つまりは彼らのことを少なからず知っているということ。そして、あの二人に命を狙われていた人物――あくまで推測の域に過ぎないが、可能性は高いだろう。

 

 答え合わせをするかのように、男性が滔々と真相を語る。不破の推察通り、双子に命を狙われていた――試作の自律型防犯カメラを運用していたところ、彼らが偵察していたビルの屋上を映していたことで判明した。もう一度姿を現すだろうと踏んで、その夜からは帰宅せずに研究所で寝泊りすることに。そして防犯カメラを通して、二人の姿を目撃して通報したという。

 

 どうして命を狙われると分かったのか、理由があるのではないかと不破は簡潔に訊ねるが、男性は悠々と笑ったままで何も答えなかった。だが、言わなくとも彼らが“悪”と認識したからには何か裏があるだろうという料簡(りょうけん)だけは立つ。水面下で調べる必要があると、不破は密かに決意し、眼前の男性を射貫く。

 

 少しばかり鋭利になる黒の双眸(そうぼう)にたじろぐことになく、男性は話題を切り替える。「彼らの身元は、我々が引き受けることになったよ」最も辿り着きたくない結末が簡単に伝えられるものの、不破も動揺することなく、男性から目を逸らさない。「もちろん、手続きは既に行った」変わらず悠然とした態度だが、目元の鋭さは幾分か増して、有無を言わせない圧力をかけた。

 

 獲物へ狙いすます猛獣のような重圧に怯懦(きょうだ)することはないものの、不破の裡は悔恨だけでいっぱいになる。綱渡りできる程の豪胆さがなかった自身の生真面目さと一介の隊員だからこその限界、まさしくつまらない人間そのものだろう。裡に広がる痛みに耐えるかの如く、血が滲み出るのでないかというぐらいに、左拳は強く握りしめられていた。「せめて、彼らを静かに眠らせることはできないのですか」

 

「無理だろう」

 

 不破の淡い願いは、容易く切り捨てられる。「その中で生きてしまった者は、逸脱することを許されない」淡々と語る男性の声が、ただ胸を突き刺していくばかり。理解しているからこそ、不破の身体に言葉の重みがのしかかっていく。「恨むなら、彼らの運命を血濡れに変えた者へ向けるべきだ」今さらあの二人も道を外れていた者だと思い知らされ、不破はただ目を固く閉じて歯を食いしばることしかできなかった。自分の手など、最初から届かなかったのだと。

 

 

 

 

 一つの謎明かしから数日経て、聖夜が訪れる日――不破は海が見える公園にやって来ては、一人ベンチで海を眺める。事件が解決したことや連日働き詰めだったことから休暇をもらったため、普段の息抜きも兼ねて外出中。

 

 夜に彼の大切な人と会う約束がある故に、チェスターコートを羽織り、カーディガンの下にボタンシャツ、チノパンにシックな靴を履いてカジュアルとは少し遠い衣服でまとめていた。肩肘を張っている訳ではないが、極力襟袖は整えていたい。そして会う時間まで、事件のことについて心を整理して、ほんのわずかでも前を向けるようにしなければ。

 

「お前も休暇か」声が聞こえた方に一瞥(いちべつ)すると、モッズコートにTシャツ、ジーンズというラフな格好をした道正の姿が。彼もまた休暇をもらったのだろうと推察しながら、不破は淡々と言葉を返す。

 

「謹慎でも良かったはずだけどね」

 

 世間のどこもかしこも双子の事件に関するニュースが載っていない。つまり緘口令を敷かれているか、それともただ単純にメディアが食いつかなっただけか。どれが本当の理由なのかは分からないが、少なくとも事件の詳細を知っている自分達に休暇を簡単に与えていいものだろうかと思ってしまう。

 

「いいンじゃねえか、犯人捕まえたンだから」

 

 重々しく零す不破に対し、道正はあっけらかんと答え、隣に座り込む。変わらず犯人へ容赦がないのは彼らしいというべきだが、ここまで淡白だと同じ人間なのかと疑念がよぎっていく。だが、一旦留めては振り払い、不破は違う話柄に切り替えた。「彼女とのデートは?」

 

「この後。和穂はあンまし気分じゃねえだろうから、そんなに遊ばねえけどな」

 

 職場恋愛中である彼らにも、羽を伸ばして二人の時間ができたということだが、顛末(てんまつ)もどこか吹っ切れない事件の後ではそうそう気が向かないのも分かる。「世間様はクリスマスとか何とかで浮かれやがって」毒気づく道正の眉間は、かなり皺が寄っていて、目つきも鋭くなっていく。「そういうお前はどうなンだよ?」どこか厭世(えんせい)的な態度で道正は一瞥(いちべつ)と問いを投げかけた。

 

「今日の夜はカミさんと顔を合わせるよ」

 

 二年前に結婚した――と言っても一年前に互いの仕事の都合で別居しており、なおかつ夫婦別姓。事実婚とも言い難いところはあるものの、それでも彼らの中では婚姻したという認識を共有し、夫婦として時間が作れる時は共に過ごしている。「ここ最近は全く何も話せなかったからね」いつになく口元を綻ばせ、黒瞳も穏やかで楽しげに細めるのは、それだけ彼がこの日を待ち望んでいたということ。

 

「まっ、楽しンでくればいいンじゃねえの?」

 

 先程の暗い顔から一変して明るく相好(そうごう)を崩す不破に、辟易(へきえき)とした調子で道正は反応する。「惚気話なんて、お前の口からあンまし聞かねえし」興味を示したような言葉とは反対に、つまらなそうに吐き捨てた。

 

「土産話はあまり期待で欲しいな」

 

 淡白で低い声色から道正がこちらの事情に関心がないことを察しながらも、不破ははにかみつつ足元に視線を落として続ける。「僕らはそんな大したことなんてしないんだからさ」相手が全くと言っていいほど意識を向けていないことは分かっているものの、自分の夫婦事情を話すのはどこか気恥ずかしい。

 冬の冷気も連れてきた海風が、二人の間を吹き抜ける。凍てついた沈黙は、先程までの温かな話題すら忘れてしまいそう。

 何気なく道正は(おとがい)を上げて、空を仰ぐ。「あいつらの親は何を思ったンだろうな」ぽつりと呟いた言葉は、地面を穿つような音に聞こえた。

 

「少なくとも母親はきっとあの子達のことを愛してたんだと思うよ」

 

 不破もさっきと打って変わって口元を引き締めた固い相好(そうごう)になる。思い返すは、ディアナが語った追憶――父親に対しての感情は数少ないながらも述べていたが、母親に対しては何も話していない。ただ彼らの中では、恐らく憎悪の対象ではなかったと思うと、口に出した推測がおおよその真相に近いのではないかと。しかし、本人達が何も言わなくなった以上は、本当はどうだったかのは知る由もない。

 

「だとしても、あんな怪物を生み出したのには責任があるな」

 

 あまりにも身も蓋もない弾丸が飛び、弾けるように不破は顔を上げて発言者の横顔を見つめた。空を眺める朱殷(しゅあん)色の瞳は、陽光を反射することなく何もかもを奥底へ落とし込むような暗さを秘め、ただ薄青を映すだけ。悪への情念が欠落した青年もまた彼らと同じように家族を失っている――だからこそ、不破は今まで以上に語気を強めて返す。

 

「それは酷すぎるんじゃないかな」

 

 普段あまり鋭くならない黒の双眸(そうぼう)もこの時ばかりは鋭利になり、静かに義憤を燃やしていた。「別に子供を生んだことに罪はないし、ああなるにはもっと違う要因があるぐらいは分かるだろ?」穏やかな口調は消え失せ、珍しく語勢が荒れるばかり。他に要因があるからこそ、何もできなかったと悔やんで拳を握りしめる力が強くなっていく。

 

「だからといって、同情する気なんざねえよ」

 

 頑なに道正は厭悪(えんお)だけを吐き、頬を歪める。「罪を犯した奴を、そうなる前に止めなかった奴が悪い」もはや誰に対する譴責かさえも分からぬ言葉――ただ分かるのは、彼が法を破った者をひたすら嫌厭(けんえん)しているのみ。過去に道正の家族が殺されたことをわずかに聞いたことあるだけだが、その奥に秘めたる憎悪は少し漏らしただけでもひしひしと伝わり、犯罪者への殺気が止まらぬ理由も理解できない訳でもない。

 けれど、不破はそれを正義感と呼べない――彼にとっては犯罪者も人である以上は、人として誠実に向き合わねばならぬと思っているから。いつもすれ違う彼らの信念は、冷たい沈黙で隔たりを感じさせた。

 

「それでも僕は、誰も悪いとも悪だとも思わないよ」

 

 凍りついた静謐(せいひつ)の間を打ち砕くように、不破ははっきりとした声音で告げる。もちろん犯罪を起こしたのであれば、捕まえて厳正な法の下で罰されなければならないとは思う。だが、そこに対する責任の追及を繰り返したところで、意味がないような気がしていた。

 バディポリスとしてできることは、ただ起きた事件に対して被害が広がらないようにすることと真実を明らかにすることだけ。だから原因はあっても、何が悪いという概念ではきっとどこかで見誤ってしまう。今吐露された言葉は、人として誠実にあろうと考えようする不破にとっての戒めなのだ。

 

「勝手にしろ」数秒の静寂を経て、道正は吐き捨てるように言ってから立ち上がる。「だが、法から背いた奴に何の権利もねえよ」不破に背を向けて放った言葉は、やはり揺るぎない嫌厭(けんえん)だった。

 

「法はあくまで線引きだよ」

 

 突き刺すような道正の語勢にたじろぐことなく、不破は芯の通った調子で即座に言い返す。「本当は悪も悪者もいない。ただ線を越えてしまっただけにすぎないんだ」黒い瞳は道正の背中を映すことなく、真っ直ぐと覿面(てきめん)を見つめていた。歩道と欄干を越えた先に広がる海は、相変わらず蒼い。

 真剣な面持ちで蒼海(そうかい)を眺める不破の相好(そうごう)を肩越しに一瞥(いちべつ)すると、道正は何も言わずに立ち去った。不破も傍目(はため)でその背中を見送るだけ。二人の正義は、平行線を辿るだけで交わることはないのだから。

 

 そしてまた静かな時間がやってくる。穏やかな日の光を浴びて輝きつつも少しだけ波立つ海は、誰の願いも通じなかった誰かの怒りだろうか。明確な人物を思い浮かべることは、不破にはできなかった。

 もう完全に明白な原因など遠い彼方に去ってしまい、それを追う手掛かりもほとんど消失してしまったのだから。ただ呆然と誰かがそうしたのだろうと考えるだけで、深くは潜れないのだ。

 

 ふと視界に二羽の(さぎ)が海を横断するように飛んでいくのを目にする。「あの子らは、まだ目指しているのかな」一つ言葉が零れた時、不破の顔は今にも泣き出しそうだった――願わくば、彼らが諦めた楽園に辿り着いてくれと。




 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 元々お試しで連載している『炎の剣士』の足回りを固めるように色々と外伝短編を書きたいと思っていました。この作品もその一環として出したものですが、思っていた以上に苦心した覚えがあります。
 また『炎の剣士』連載開始時よりも設定が膨らんでしまい、本編だけでは出しきれない重要な設定がいくつも転がってしまう事態が起きて、どこかで回収しないといけないと感じたのもこの作品を書いた理由の一つです。

 オリキャラの設定は活動報告の方で公開しようかと思います。いつ公開するかは分かりませんが、早めに公開できるように努力します。

 改めまして、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
 では、この辺りで筆を休みます。次の短編や連載作品の更新を楽しみに待っていただければ幸いです。

 

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