俺は、無力だった。
「ふんっ、名前の知れた道場かと期待してみれば……この程度か」
失望の声が耳朶を打つ。
「ぐ、ぉ……」
声にならぬ呻き声を上げたのは、誰だったか。
毎日通った道場の床は血にまみれ、兄弟子も弟弟子も、皆全て倒れている。
そんな中、たったひとり立つのは――
「どうした、小僧。震えているぞ?」
「くっ」
道場の中心に立つ、たったひとりの男。
三十にはまだ届かないであろうパーカーを被った男は、嘲笑を崩さない。
「何が目的なんだ、お前は!?」
そんな男に立ち向かっているのは、神童と呼ばれた少年。
オレと同じ歳で、オレより遙かに強い奴。
女子からの好意を一身に受けるその美貌も、今や苦痛に歪んでいる。
「目的なんぞあるか。いちいち相手の目的なんぞ聞かんと戦えんのか」
そうして、男は初めて動いた。
それは、何の予備動作すらも無かった。
「なっ――!?」
刹那の内に距離を詰められた少年――
「生き死にの間に驚く暇があるか、阿呆」
――ダメだ。お前はこんなところで倒れちゃいけないやつだ!
「うわああああああっ!」
何かがオレの体を突き動かしていた。
「ほう」
「
少しでも男を止められれば。
そうすれば、きっと。お前なら――!
ボロボロの体を決死の覚悟で動かしたオレを待っていたのは、
「ふんっ」
全身を襲った衝撃だった。
何が起こったのかわからない。
何も――見えなかった。
気がつけば、オレは道場の床を転がり、天井を見上げていた。
「があっ!」
資基の呻き声が聞こえ、次いで何か重たい物が倒れる音。
ああ――ダメだったのか。
もう、立つ気力も無い。
顔を横に向ければ、そこには、
「師匠」
物言わぬ初老の男がひとり。目を見開いて倒れていた。
何も……出来なかった。
心を虚無が満たしていく。
「まだ息があるか」
顔だけを向ければ、そこには返り血を浴びた男。
道場にいた十数人をたったひとりで倒した本人は、傷一つ無く立っていた。
「お前はなかなか見込みがある。だが、根性だけじゃな」
知っている。
そんなのは、お前に言われなくても知っている。
自分が弱いのなんて、自分が一番良く知っている。
「じゃあな。次に生まれる時は、もっとまともな才能を持つように祈ってろよ」
足で胸を心臓ごと踏み潰す気だ。
そう確信すると同時――
――オレは、死んだ。
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気がつけば、真っ暗な世界にオレはいた。
ふわふわとしていて、水の中にいるかのような感覚。
それでいて、息はちゃんとできる。
不思議な世界だ。
「……オレ、死んだはずじゃ」
胸を潰される感覚を思い出せる。
肋骨ごと踏み砕かれ、まるでマットレスを押したかのような感覚で他人の足が入ってくる感覚――。
「うっ――」
猛烈な吐き気がこみ上げてくる。
咄嗟に口を抑えても、吐くものは何も無い。
ただ気持ち悪さだけが口の中に残った。
「な、何だってんだ」
周囲を見渡しても、何も無い。
ただ真っ暗な世界。
死語の世界ならう少し華やかであって欲しかった。
「あたなは死んだのデス」
そんな声が空間に木霊する。
あちこちに反響する言葉は、何度も何度も耳に飛び込んでくる。
洗脳でもするつもりか?
「それは知ってる。ここはどこなんだ? あんたは誰なんだ?」
反対にオレの声は反響しない。
闇に飲み込まれていくかのように、消えていく。
ややあって、
「あなたにはやって欲しいことがあるのデス」
「やって欲しいこと?」
はい、と声は言う。
「私を探してください」
「何も見えないんだけど」
「もし私を見つけてくれれば……」
質問に答えるつもりはないみたいだ。
不審がるオレに対して、声は続ける。
「あなたを、元の世界に戻してあげます」
「マジで!?」
「あなたが戻りたいと思った時間に」
それは、つまり……、
「あの男を倒せるかもしれない?」
こびりついた記憶と、胸に残る感触が、諦めるのはまだ早いと告げている。
オレは知らず、男に踏み砕かれた胸を押さえていた。
「わかった。あんたを助ければいいんだな?」
声は答えない。
その代わり、
「ハイ。よろしくお願いしますデス」
「ちなみにどんな姿とか」
「ああ、もう時間が。どうかよろしくお願いしますデスー」
同時、ぐるりと意識が反転する。
エレベーターが一気に落ちるような感覚の中、覚悟する。
あの男を止められるのだとすれば――。
何だってやってやる、と。
=======
「……はっ!?」
目を覚ますと、雲一つ無い空が目に飛び込んできた。
中天の太陽が眩しくて、思わず顔を背ける。
「なんだ、ここ?」
体を起こしてみれば、どうやらそこは小高い丘のようだった。
うっそうと生い茂った森に、険しい山。遠くを流れる川まで緑が広がっている。
「夢じゃ……ないか」
試しに頬をつねってみるが、痛かった。
一歩を踏み出してみれば、草と土の感触。
裸足……?
気になって視線を下ろしてみれば、そこには黒い小さな足。短い毛に、二本の指が特徴的な動物みたいな足だった。
んんん?
「待て、待て待て待て」
そういえば、心なしか視線も低い気がする。
オレは辺りを見渡して水たまりを発見すると、駆けだして水たまりを覗き込んだ。
水たまりに反射しているのは、先端だけ黒く染められた青いボブカットに、勝ち気そうな顔をした幼い顔だった。
えっ、何コレ。誰コレ。
ペタペタと顔を触ってみる。
オレが動かしている通りに手が動いている。
つまり、水たまりの顔はオレ。
「ふむ、ふむ?」
ついでに体も触ってみる。
服はもちろん、着ていない。
服の代わりに体毛が体を覆っている。
よく見れば、小ぶりながらも胸が膨らんでいる。
うん。
……うん?
「オレ、女の子になったの!?」
脳裏に、ついさっき聞いた言葉を思い出す。
――私を探してください。
何をどうするのかもわからない状況で、姿と性別まで変わっていた。せめてどっちかは統一して欲しかった。真剣に。
とはいえ、誰だかわからない女の子を探さなければならない。
その女の子を助ければ、元の世界に戻れる。
そうすれば……今度はみんなを守れるかもしれない。
弱いオレでも――もっと強くなれば。
「よしっ、やるぞ」
状況確認終了。
ある程度わかったら、後は進むだけだ。
立ち止まってなんかいられない。
どうせそれしか能が無いのだから。
「あーっ、ルリオだ!」
そんなオレに向かって、少し離れた道から指を指してくる子供がいた。
なんだ?
るり男? オレの名前か?
小首を傾げているオレに向かって、
「そこにいろよ! 俺が捕まえるから!」
なんて言いながら、手に赤白のボールを持って走ってくる。
「――っ!?」
そのボールを見た瞬間、背筋が逆立った。
アレに当たってはいけない。
本能が危機を訴える。
「いけー、ビッパ!」
ボールから何かが飛び出してくる。
「わあああああああああ!」
それが何かを確認する間すらなく、オレは脱兎の如く駆けだした。
「あ、こら逃げるなー!」
逃げるなと言われて逃げないやつがいるか!
ぐんぐんと過ぎていく風景を見て、完全に実感した。
オレは、人間じゃなくなったんだなぁ、と。
======
「はぁ、はぁ、はぁ……」
全速力で走り続けたオレが足を止めたのは、薄暗い森の中だった。
「ど、どこだ……はぁ、ここ……はぁ」
どうもこの体、持久力は無いみたいだ。
息を整えながら見渡しても、わかるのは森だということだけ。
うっそうと茂る木々は太陽の光をほとんど通さず、人の手が入っていないことを物語っている。
「……はぁ、疲れた」
腰を下ろすと、一気に疲れが体を襲う。
鳥のさえずりが、どこかオレのいた日本の森を思い出させてくれる。
「オレ、やっていけんのかな」
さっき出会った子供を思い出す。
オレのことを"ルリオ"と言っていた。
「ルリオ、なぁ」
幸いにして指は五本ある。
青い体毛に覆われた指をわきわきしてみても、何も実感がわかない。
それどころか、前からこの体だったと思うかのように、しっくり来ている。
「頭がこんがらがってきた」
元からよろしくない頭が沸騰しているのがわかる。
「名前も姿もわからないのに、どうやって探せっていうんだ」
大の字に寝転ぶ。
もうどうしていいのやら……。
「そうだね、どうしたらいいのか」
ん?
ガバッと起き上がって声がした方を見ると、
「にん、げん……?」
まさか自分が文明人を見た未開人みたいな言葉を言うとは、思ってなかった。
実はどんどんこの体に浸食されるんじゃないだろうか。
身も心も女の子になった挙げ句、元の世界に戻るとか止めてくれよほんと。
「うん、人間だ。テネルっていうんだ、よろしく」
そう言って人間の少年は、柔和な笑みを浮かべた。
どこか、資基のような雰囲気を纏って。
======
「お前、何してんだ?」
まさかあの赤白ボールを投げるつもりじゃないだろうな?
警戒しながら誰何すると、
「ただの迷子だよ」
困ったなぁ、と頭をかいた。
そんな仕草さえ様になっている。
艶やかささえ感じる金髪に、いつも微笑んでそうな垂れ目の優しげな顔は、朝の日差しを思わせる優しさを感じられる。迷ったというのはその通りなのだろう、身につけている服装も森の中に入るとは到底思えないようなジャージ姿だった。
どう見ても、森を舐めてる金持ちのボンボンだ。
「ああ、捕まえるつもりはないから安心して」
「嘘つけ。さっきの子供は問答無用だったぞ」
「じゃあ、証拠」
「お、おい!」
言うや否や、テネルは服を脱ぎだした。
「お前何してんの? ねぇ、何してんの!?」
テネルはそこで意外な表情を浮かべ、
「え? いや、脱いだらわかるかと思って」
「何がだよ!?」
「僕がボール持ってないの」
「ボールならふたつ持ってるだろうがもう!」
「君は何を言って……あ、そっか。確かにあるね」
にっこりと微笑まれた。
くっそ、腹立つ。
「い、いいから着ろ。着てくれマジで!」
「僕がボールを持ってないのはわかったかな?」
「わかった、わかったから!」
なら良かったよ、とテネルは服を着始めた。
「あ、そういえば君、女の子なんだね。ごめんね」
「遅ぇよ、認識するの遅ぇよ!」
見せてから言いやがって!
いや、別にいいのか?
オレ、男だもんな。
「実は人を探しているんだ。いや、萌えもんかな?」
「……萌えもん?」
何だそれ。
聞いたことのない言葉がまた増えた。
「萌えもんっていうのは君みたいな存在のことだよ。萌えっ娘もんすたぁ。人の姿を模した超常的な存在。僕たち人間の共同体でもある」
「ふ、ふぅん?」
とりあえず頷いておく。
わかったのはふたつ。
オレが萌えもんという存在で、この世界には萌えもんと人間が共存していること。
そして、オレは何故か人間では無く萌えもんの姿でここにいるってこと。
考えれば考えるほど理不尽に思えてきた。
オレ、怒ってもいいよな?
「で、君が恐がっていたのは萌えもんボール。君たち萌えもんを捕まえるためのボールだ」
つ、捕まえる!?
共同体なのに捕まえるの!?
「ははは、いや、捕まえるって言ってるけど、実際はそうだな……ペットみたいなものだよ」
「いやそれ一緒じゃねぇか」
「そうかな?」
きょとん、と首を傾げられる。
オレは、はぁとため息をついて、
「つまり、オレは捕獲対象で、歩いていたらボールを投げられる立場ってことだな?」
「うん、そうだね」
くっそ、柔和な笑みを浮かべやがって。
ますます難しくなってきた。
つまりオレは、人間じゃない姿で、絶えず捕まえられるような状況をくぐり抜けながら、誰ともわからない女の子を探さなければいけない。
めちゃくちゃだ。
「……はぁ」
思わずため息もつきたくなる。
「何か悩んでるみたいだけど、相談に乗るよ?」
オレは横目でテネルを見た。
萌えもんボールとやらを持っていないのを証明するために全裸になろうとする奴だ。
「実は――いや、やっぱいい」
危ない、思わず身の上話をするところだった。
冷静に考えれば、話す意味が全く無いし信頼できる要素がひとつもなかった。
オレにとってテネルはただの露出狂であり、それ以上でもそれ以下でも無い。
「じゃあ、僕の悩みを聞いてくれる?」
えっ、何でそうなるの?
驚くオレをよそに、テネルは言葉を続ける。
「実は、捕まえたい萌えもんがいるんだ。その萌えもんは"伝説"って呼ばれているらしいんだけど」
伝説?
萌えもんに伝説なんてあるのか?
オレがいた世界で言うところの神様みたいなものだろうか? 北欧神話とかに出てくるフェンリルみたいな。
「一年くらい前にリーグチャンピオンが捕まえたって噂を聞いたんだけど、その人の行方もわからなくなっているみたいでね」
「リーグ、チャンピオン?」
「うん。萌えもんリーグのチャンピオン」
また新しい単語が出てきた。
なんだ、萌えもんリーグって。
でもチャンピオンという言葉には格闘技をやっていた人間として、惹かれるものがある。
そういえば、資基は一番チャンピオンに近い若手だって言われていたっけ……。
「チャンピオンを追えば、伝説の萌えもんに出会えるんじゃいかと思って。そのためにもまずは仲間を集めたくて森を探索していたんだ」
「ふぅん」
「あ、ちなみに伝説の萌えもんはね、パルキアって言って、伝承では空間を操れるらしいんだよね」
「ふぅん……って何だって!?」
空間!?
あの女の子がいたのは、ここでもないし元の世界でもない空間だった。
もしかして――。
いや、仮にそのパルキアがあの女の子じゃなかったとしても、何か手がかりになるかも!?
「君もパルキアに興味があるのかい?」
ない、と言えば嘘になる。
「……ちょっとだけなら」
顔を背けたオレは、どうやってそのパルキアを追うか考え始めていた。
パルキアを追うには、この世界のことをもっと知る必要があるし、何より食事の問題もあった。
このルリオは何を食べるんだろう? その前に食べ物をどう確保したらいいんだ?
「じゃあ、一緒に行くかい?」
「えっ、嫌だ」
何で変態と一緒に行かなきゃいけないんだ。
真顔で返したオレに、テネルは肩を落としていた。
「むぅ、僕は君と一緒に旅をしたいんだけど」
「えっ、嫌だ」
しかし、テネルは諦めない。
「ひとりで旅をすると、また追いかけられるよ? それなら僕と一緒の方が安全だと思うけど」
「えっ、嫌だ」
急に服を脱ぐ奴は信じられない。
人前で裸になって許されるのはイケメンだけだ。いや、こいつイケメンだったわ。許される側だったわ。
「君の目的が何なのかはわからないけど」
テネルは声のトーンを落とし、
「僕は君と一緒に旅をしたいと思う。僕の命令なんて聞かなくていいし、もし嫌だったら君を逃がす」
「それじゃ、ただの友達じゃないか」
「うん、そうだよ。友達」
テネルはにっこりと微笑んだ。
「……君はどこか似ているんだ。僕が尊敬している友達に」
「オレ、そいつじゃないんだけど」
「わかってるよ。気を悪くしたならごめん」
テネルは素直に頭を下げてくる。
オレはそれをしばらく眺めた後、
「いいぜ。一緒に旅をしてやる」
「ほんとかい!?」
「ああ」
テネルに友達――資基の姿を見ていたのは、オレだって同じだ。人のことは言えない。
それに……、
「この世界のこと、もっと教えてくれ。わからないことだらけなんだ」
「もちろん、僕がわかることなら何でもいいよ」
「助かる。あ、それと」
「うん?」
「ボールって入ったらずっとそのままなのか?」
思い出すのは、ボールから飛び出る光。
あれがもし捕まえた萌えもんを出す光なのだとすれば……ずっとボールの中に入っていなければならない。
それは嫌だ。
せっかく変な世界に来たんだ。
自分の足で、世界を見てみたい。
その上で、強くなりたい。あのパーカー男を倒せるくらい、強く。
「君が外に出たいのなら、閉じ込める理由は無いよ」
「じゃあ、いいぜ」
良かった。
テネルは微笑み、
「ボールを出すから待っててね」
「お、おい」
ごそごそとズボンの股ぐらに手を突っ込んだ。
やめろ、まさかお前。
「お待たせ、自分のとわからなかったよ」
「何が? 自分のって何がだよ!?」
前言撤回。
やっぱりこいつと旅なんてしたくない。
「やめろ、そいつをオレに押しつけるな! やめて、お願いだからやめてぇぇぇぇぇぇっ!」
森に悲鳴が木霊する。
逃げだそうとしたオレの背中に萌えもんボールという汚物が当たるのに、そう時間はかからなかった。
プロローグと一話を分けるつもりだったんですが、最低1000文字の規約に引っかかったのでくっつけちゃいました。
おかげで長くなった。すまん。
のんびりの更新していく予定なので、お付き合いいただけたら幸い。
ではまた次回。