街の花壇にはスイセンが咲き誇り、振り向けばそこに冬がいる。銀白色のタキシードを身に纏った芽吹は鏡の前で襟を正した。
振り子時計の往復が青白色の部屋にこだまする。
窓の外の木々達が平穏な音色を奏でる。
安らぎの背景音楽をもってしても芽吹の逸る鼓動は抑えきれなかった。
今日は結婚式。
式場には防人の仲間、勇者部のみんなも来てくれている。
そして、もう一つの控え室には亜耶がいる。
ずっと、子供だと思っていた。
ずっと、守っていると思っていた。
守らなくてはという使命が、
必ず守るという意志に代わり、
特別になりたいという願いを経て、
傍に寄り添うという幸せを生んだ。
楠芽吹一人分だった心に、いつの間にか増えていた思い出達を懐かしみながら、芽吹は式場へと赴いた。
牧師とともに入場した芽吹は花嫁の到着をじっと待つ。
雀と夕海子はスマホを掲げ、いつでもシャッターを切られるように待機中。
しずくは雰囲気に吞まれ魂が抜けている。
浮き足立った式場の雰囲気とは裏腹に、芽吹の手にじんわりと汗が握られた。
一生に一度きりの重圧が背中にのしかかる。
頭の中で幾度と繰り返されるシミュレーション。
だがそれは、重厚な扉の音に遮られた。
ステンドガラスに光が差し、メンデルスゾーンの結婚行進曲が奏でられる。
一目、そこにいるのが亜耶だと芽吹は分からなかった。
試着の時に見たはずのその姿がどこか神々しく輝いて見える。
式場の誰もが純白のウエディングドレスの亜耶に目を奪われた。
亜耶の髪にはシロツメクサの花冠とナズナのブローチ。
打ち合わせの時、亜耶は煌びやかなサザンカやダリアではなく、ありふれた花のナズナを選んだ。そのことが嬉しかった。
隣にはあの女性神官、安芸の姿。
安芸は身寄りのない亜耶の親代わりを買って出てくれたのだ。
芽吹も亜耶も最後に会ったのは天の神を討ったあの日。連絡先はおろか、素顔さえ知ることさえなかった。
それなのに、二人の結婚にいち早く祝福の手紙を送ってくれたのは安芸だった。
内容もまるでずっと二人のことを見守っていたかのような温もりに溢れたもの。
読み終えた後、二人は安芸のもとへ訪ねてみることにした。
手紙の住所へ行き、初めて安芸と対面したとき、二人は驚きを隠せなかった。
知り合いとは言えない。けどどこかよく知っている気になっていた女性がそこにはいた。
成人式や友奈と美森の結婚式といった勇者や防人の晴れ舞台にはこの女性を必ず見かけていたのだ。
ようやく手紙の謎の合点がいった。
きっと、役目を終えた芽吹達がただの人として生きていけるよう、影ながらサポートしてくれていたのだろう。
湯呑みを出されたときにはすでに、二人の心は決まっていた。
「国土さ……」
安芸は口に出てしまった間違いを改め、二人の名前を呼び直す。
「亜耶さん、芽吹さん」
安芸がまだ仮面を被っていた頃、自身の激情を受け止めた彼女はこんな笑みを浮かべていただろうと芽吹は思った。
「おめでとう」
人生で幾度となく贈り、贈られてきた言葉。
これからもたくさん贈り、贈られるであろう言葉。
けれど、この「おめでとう」はそのどれとも違う特別なものとして、二人の心に刻まれた。
牧師のありがたいお話を聞き、二人の結婚式はエンディングへと向かっていた。
牧師が二人に誓いの言葉を問いかける。
「芽吹よ。あなたはここにいる亜耶を、病まれる時も、健やかなるときも、富める時も、貧しきときも、パートナーとして愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います」
優しい声音とは裏腹に、芽吹の相好は全く崩れていない。
どこか肩肘を張る芽吹の様子を亜耶は不安げに見つめる。
「亜耶よ。あなたはここにいる芽吹を病めるときも、健やかなるときも、富める時も、貧しきときも、パートナーとして愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います」
亜耶は芽吹の方へ向き直し、また誓う。
「いつまでもお傍に」
最愛の人にだけ聞こえるように囁かれたその微笑みには、出会った頃の誰もが癒やされる趣をそのままに、一人の人間を一途に想い続けるたくましさが備わっていた。
それでも、芽吹の真一文字に結ばれた口は緩まない。
「指輪の交換を」
預けていた指輪を牧師が乳白色のリングピローに乗せ差し出す。
芽吹は精白のすずらんをモチーフとした婚約指輪を手に取り、亜耶の左手を握った。
プロポーズの際、こんな高価なものは貰えないと言われたほど大きなダイヤの指輪。
遠慮されると分かっていても亜耶に贈りたかった。
おとぎ話に出てくるお姫様のようなドレスを着飾る亜耶によく似合うと思ったから。
柔らかく華奢で芽吹より二回りも小さい指に、息詰まる面持ちで指輪を通す。
左手薬指の付け根に指輪が至るまで、瞬きさえ許されない。
何気なく触れていたはずのその指が、どこか神聖なものに感じられ、平素に扱うことが躊躇われた。
亜耶がリングピローから指輪を手に取る。
こちらは日常的に付け家族の証となる結婚指輪。
先程まで触れていた小ぶりな指が、今度は芽吹の指に指輪を通す。
羽毛にくすぐられる様な手つきがなんともこそばゆい。
関節の山を越え指輪が定位置に収まったというのに、芽吹の頬は張り詰めたままだった。
「誓いのキスを」
牧師がそう告げると、式場の視線が一斉に集まるのを感じた。
結婚式の目玉なのだから当然と言えば当然なのだが。
ドレスの裾につま先を入れ、亜耶の肩に手を置く。
これが初めてではないけれど、見慣れぬ亜耶の装いにたじろいでしまう。
汗が背中を伝っているのが分かる。
よし今だ、と何度決意したか数えるのはもうやめた。
「緊張しているのですか?」
不意の声になんと言っていいか分からず、にへらと笑うしかない。
「あなたらしいですね」
案の定、目を細くされた。
「大丈夫、きっとうまくいきます。私が傍にいますから」
そう言うと、亜耶は瞼を落とした。
天の神を討ち神樹が消滅したとき、芽吹が亜耶に送った言葉。
「うん、そうね」
勝手に背負っていた荷物を下ろし、芽吹は亜耶の唇に契りを交わす。
初めての時、加減を誤って歯がぶつかったのを思い出した。
そうはならないよう、唇の弾力に身を委ねる。
亜耶と一つになる感覚が芽吹の身体を駆け巡った。
誓いの言葉が馴染むように、ゆっくり三つ数えて離
「…………!?」
芽吹は首の後ろに腕を回され、もう一度唇を重ねられる。
深く、強引な口づけ。
予想外の出来事に、固まってしまう。
何が起こったのか吞み込めないでいると、亜耶がはにかんだ笑顔を見せた。
それは天使様の中の小悪魔が顔を出した瞬間だったのだ。
パッヘルベルのカノンの演奏が始まる。
芽吹は腰に手を置き、亜耶が腕を絡めた。
会場には祝福の拍手が降り注ぎ、まるでアーチのように二人を迎え入れる。そして二人は招かれるように真紅のバージンロードを歩み出す。真紅の意味は深い愛情。
「ねっ、亜耶ちゃん」
「? なんですっ!?」
芽吹は亜耶の体を正面に抱きかかえた。
「さっきのおかえし!」
「ちょ、ちょっと! これは」
これだけ近いと亜耶の紅潮した顔がよく見える。
「亜耶ちゃん、真っ赤っ赤ね」
「は、恥ずかしいです……」
自然に笑える。楽しいと心から思える。
そんな幸せをくれた亜耶は今、芽吹の腕の中で悶えていた。