前世も今世もマッドサイエンティスト ーヴェルデだから仕方がないー 作:ポロンクセマ
「は~、飲んだ飲んだ…」
俺、江戸川コナンはフラフラした足取りで、毛利家までの道を歩いていた。
博士の家で突然開催された、お茶会と言う名のコーヒー飲み比べ大会。
水音でタプタプ鳴る胃を抑えながら、重めの息を吐く。
体中にコーヒーの匂いが染みついている気がする。
少量ずつではあるが、十何種類ものコーヒー+お菓子を頂いたのだ。
「この分だと夕飯は入りそうもないな」そう思いつつも、「博士が嬉しそうだったし、まぁいいか」と納得して足を進める。
そして住宅街から大通りに出た時、俺はある一人の少女を見かけた。
ミモレ丈のAラインワンピースにエナメルのメリージェーン 。がま口のころんとした丸い形のポシェット。
長い黒髪は緩く編まれて、大きなリボンのついた髪留めでまとめられている。
しかしこれまた服装とは不釣り合いな、時季外れの大きな麦わら帽子が俺の目を引いた。
何度も確認しなくても分かった。彼女はこの間、ポアロに来ていた少女である。
少女は前とは違い、俺の視線に気づくことはなく、ある店のショーウィンドウを食い入るように見つめていた。
何をそんなに真剣に見ているのだろう。
結局、安室さんとこの少女の関係性を知ることができなかったので、俺は好奇心と探究心も相まって彼女の肩を軽く叩いた。
「こんにちは、お姉さん。また会ったね」
「ん? 君は…?」
「あれ、分からないかな。僕、江戸川コナン。帝丹小学校の1年生だよ。この前、ポアロで会ったでしょ?」
「ああ、あの賢そうな子か。ご丁寧に自己紹介をどうも」
「お姉さん、一人? こんなところで突っ立ってどうしたの? あ、お姉さんの名前は…」
「そう言えば名乗ってなかったな。私の事は緑と呼んでくれ」
「緑…?」
見た目に反して少女の名前は意外にも日本名だった。
親御さんはその眼から付けたのだろうか。相変わらず透き通るような、翡翠のような美しい色だ。
もしかしたらハーフなのかもしれない。
そういえば今度来日するという“クローロン”博士もギリシャ語で“緑”を指すよな。
おもしろい偶然だ。
「どうした、少年?」
「ううん、何でもない。緑ちゃん、じっと見つめていたようけど何を見てたの?」
少女、緑ちゃんが見つめていた先に視線を流せば、多種多様のお菓子がきらびやかにレイアウトされていた。
マドレーヌ、バームクーヘン、ブラウニー、ダックワーズ、タルト、マカロン、チョコレート、砂糖菓子等々。
ああ、そうか。ここは洋菓子店か。
口調が少し変わっているけど、この子もやはり年相応の女の子なんだなぁ、と何だか微笑ましく思った。
「これだけ綺麗だと足も止まっちゃうよね。ここのお店、すごく美味しいって僕の知り合いの園子姉ちゃんが言ってたよ」
「へぇ。評判の店なのか?」
「うん。雑誌やテレビにも取り上げられたことがあるみたいだよ。素材にこだわっていて、調理器具も本場からわざわざ取り寄せているんだって。その分値段が高いけど、手土産にするととても喜ばれるとか」
外から見える値札プレートを確認すると、チョコ一粒が税抜きで500円もしていた。
高い。高すぎる。デザイン性か、本場の食材ゆえか。
少なくとも学生が気軽に手を出そうと思える値段ではない。
「ふぅん。いい事を聞いた。ありがとう」
「え?」
緑ちゃんは俺にひらりと手を振ってそのまま店内へと入っていく。
俺は反射的にその後ろを追いかけた。
この店、冷やかしで入れるような場所じゃないぞ。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりご覧下さいませ」
扉をくぐると、お客は俺たち以外誰もいなかった。
こういった店に子供二人連れは目立つのか、店員のお姉さんが「こんにちは。お父さんかお母さんは一緒じゃないのかな?」とにこやかに話しかけてくる。
俺が「えっとぉ…」と言葉を詰まらせると、緑ちゃんは堂々とした態度で口を開けた。
「生憎、私に父母はいない。どんな背景の客が来るとも限らないのだから、そういった事は安易に聞かないほうがいいと思うぞ、お嬢さん」
「え? あ、は、はい。失礼しました…」
つ、強いな、この子…。
両親がいない。それが事実かどうかは分からないが、自分よりも10は年上であろう女性に対し、“お嬢さん”ときた。
店員のお姉さんは思いがけない返しをもらってタジタジだ。
そう言えば緑ちゃんは安室さんに対してもこんな感じだった。
二人は親しい間柄であの態度なのかと思っていたけど、もしかしてこの子は誰に対してもこうなのだろうか。
俺たちが戸惑っている間に緑ちゃんは店内を軽く見回って、今度は自分から店員に声を掛ける。
「お嬢さん。ここの商品は日持ちするのだろうか? 今度知り合いの家にお邪魔するのだが、良いものを手土産にしたくてね。君のセンスで見繕ってほしいんだ」
「か、かしこまりました。お客様、ご予算はお幾らくらいでしょうか?」
「えーっと、今の手持ちは5万円だからそれくらいで…。化粧箱は明るい色のものを頼む」
「ご、5万!? あんた、そんなに持ってるのか!?」
「少々お待ちくださいませ」
外向き用の演技が外れ、口調がつい荒くなってしまった。
そして店員は軽く目を見開き、ぺこりと頭を下げて奥に引っ込んだ。
「ああ。カードの類は好きではないから、大概は現金を持ち歩いている」
「そういう事を聞いているわけじゃ…。っていうか、手土産に5万は多すぎだろ。パーティーでもやるのかよ。それとも相手は大家族とか?」
「いや? 調べによると二人暮らしだな。年齢からすると…中年男性と子供だ」
「二人暮らし宅に5万もする手土産は、相手がドン引くから止めた方がいいと思う」
この少女の金銭感覚はどうなっているのだろう。
ポアロに普通に食べに来て普通に会計をしていたから、普通の感覚はあると思うのだが…。
俺の指摘に緑ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「でも良いものをもらって悪い気は」
「見つけた。ここにいたのか」
彼女の声を遮るように、扉の開閉音と共に聞き覚えのある男性の声が店に入ってくる。
自然と顔を横に向ければ、不機嫌そうな雰囲気の安室さんが立っていた。
いつものラフな服装とは違い、高そうな灰色のスーツを着用している。
安室さんは俺が眼中に無いのか、まっすぐ緑ちゃんの元へ向かい、彼女の両肩を掴み身体をくるりと反転させた。
「ヒロから連絡があった。家に桐箱に入ったマスカットとみかん、メロンが届いたと」
「へぇ、さすが日本。季節外れの果物なのに早いな。注文したのは五日前だったのにもう届いたのか」
「すでに手土産は用意してあるだろうが。なんで新たに追加しようとしているんだ」
「あれはあれで問題はないが、ふと、子供なら果物や洋菓子の方がいいのでは? と思ってな」
「老舗のせんべいと高級羊羹の何が不満だ。もういいだろう。そんなに食べ物を渡されても先方が困るぞ」
呆れ顔で安室さんが腕を組めば、緑ちゃんは顎に手を充てて眉間にしわを寄せる。
「うーん。相手の好みを知らないから、どうしても気になってしまって。少しでも心証を良くしたいんだ。私は誰かのお宅に手土産付きでお邪魔したことがないから、何となく不安だし」
「心配なら俺も付いて行くが?」
「やめてくれ、子供じゃないんだ。私一人で問題ない。それに君、電子工学や機械工学、物理学の話についてこられるのか? かなり専門的な話になるぞ?」
「うっ、…」
「私の“仮説”が正しければ、君が来る事で彼女に余計な警戒心とプレッシャーを与えてしまう可能性もある。付き添いを頼むなら君より景光の方が適切だろうな」
「その“仮説”が俺もヒロもいまいちピンと来ていないんだが。説明は…」
「私が全部把握し終えてから改めてする。私だってまだ半信半疑だしな。余計な情報に踊らされて、ヤキモキするのは君もごめんだろう? はぁ、ベルツリー急行の一件がなければなぁ…」
「それは…」
「私も一応君の立場は分かっているつもりだ。だから責める気はない。日本から離れて連絡を完全に遮断していたこちらにも落ち度はあるしな。だがその所為で、話がこじれにこじれている気がしてならないんだ。嫌味くらいは許してくれ」
「ねぇ。それ、何の話?」
気になる単語がポンポン出てきて、ついに俺は無言を貫き通せなくなった。
俺が話に割り込むと安室さんがはっとしたような表情を見せる。
嘘だろ。その態度…まさか…まさか…。
「コ、コナン君!? いつからそこに…?」
「最初っからいたけど?」
「何だ、君。この少年に気付かなかったのか?」
「い、いや、その…」
緑ちゃんの言葉に明らかに動揺した様子を見せる安室さん。
どうやら本当に俺の存在に気付いていなかったようだ。
このまま事の成り行きを見守っていた方がよかったか?
そう思った時、
「お客様、大変お待たせ致しました。何点かお持ちしたので、ご覧ください」
この微妙な空気を裂くかのように、何も知らないお姉さんが戻って来た。
店員がおススメしたのは、店の看板商品を含めたお菓子の特別セット。税抜き3万円。お店のロゴ入りの化粧箱も品が良く、高級感漂う。
だが結局用意してもらったお菓子は買わなかった。というより、買えなかった。
安室さんが万を超える会計に驚き、手土産には高すぎると判断したためである。
安室さんに説得された緑ちゃんは「せっかく見繕ってくれたお嬢さんに申し訳ない」と言い、すでに箱に収めて並べられているマカロンセットの方を自宅用として購入し直した。
それでも金額は7千円である。
何だか接すれば接するだけこの少女の謎が深まっていく。
話し方といい、態度といい、金銭感覚といい、年上との接し方といい。
普通じゃない。普通に育ったらこうはならない。
俺や蘭の幼馴染の園子だって鈴木財閥のお嬢様ではあるものの、この子と比べたら彼女はまだ常識の範囲内にいる。
緑ちゃんは一体どういった生い立ちの子なのだろう。
「じゃぁ、コナン君。僕は彼女を送っていくから。いろいろ気になる事はあるかもしれないけど、また今度、ゆっくりと話そう。毛利先生と蘭さんによろしくね。気を付けて帰るんだよ」
「またな、少年。次に会えるのを楽しみにしているよ」
別れる直前、俺は緑ちゃんが安室さんと話している隙を狙って、彼女のポシェットに盗聴発信機を取り付けた。
彼らのその後の会話が気になったからだ。
しかし、次の瞬間────
突如警告音のような、ビービービー! と騒々しい音が辺りに鳴り響いた。
いったいどこからだと俺と安室さんが周囲を警戒すると、緑ちゃんは何でもないような顔でポシェットに付いた発信機に気が付き、指でつまむ。
「あ、それは…」
「残念。許可していない類の電子機器が私に取り付けられた場合、警告音が鳴る仕組みなのさ」
そう言って緑ちゃんが腕時計に触れると、音はすぐに鳴り止んだ。
時計から警告音って…。どんな日常を送っていたら、そんなに周りを警戒する生活になるんだよ。
「なかなか面白いものを持っているね、少年。ふぅん、これは発信機かな? もしかして盗聴機能も兼ねている? ほとんど重さがないし、小さいのに感度もよさそうだ。ボタン型で実用的、尚且つ汎用性に富んでいる。うん、センスがよくて実に興味深い。よしよし、これはありがたく貰っていくよ」
「えっ、いや、でも…」
「私に付けたということは、元々回収する気はないのだろう? ふふ、いい拾いものをした。帰ったらさっそく分析してみよう」
緑ちゃんは楽しそうに声を弾ませて、先ほど買ったマカロンをなぜか俺に手渡す。
「これはほんのお礼だ。よければ君のご家族でどうぞ」
「…え? は?」
彼女は俺の頭をひと撫でして、今日一番の笑顔を見せた。
そしてもう用が終わったとばかりに、安室さんの腕を引っ張る。
「じゃぁ、降…じゃなくて、安室。そろそろ帰ろうか。たくさんのお菓子を見ていたらお腹が空いてきた。今日はサバの味噌煮の気分だ」
「いや、この状況で普通に帰ろうとするなよ…」
「ま、待って、緑ちゃん! 怒らないの? 不審がらないの?」
「ん? 別に。実害があったわけじゃないからな。まぁ、二度はやらない方がいいとは思うが……ああ、でも、このボタン型よりも高性能なものを持っているのなら、またやってくれてもかまわないよ」
まさかの許容。いや、自分ならどうとでもできるという自信の表れなのだろう。
『やってくれてもかまわないよ』が『プレゼントしてくれてもかまわないよ』に簡単に脳内変換される。
「……ごめんなさい。もうしません」
「そうか、残念だ」
心なしか、しゅんとした顔を見せる緑ちゃん。
本当にこの子が分からない。
俺が困惑で目を泳がせる傍ら、緑ちゃんの隣で安室さんが疲れ切ったようなため息を零したが、彼女は一切それに触れる事はなかった。