前世も今世もマッドサイエンティスト ーヴェルデだから仕方がないー 作:ポロンクセマ
『では単刀直入に言おう。君の姉、宮野明美は生きている』
ヴェルデは淡々とした声でそう言った。
一瞬、彼女が何を言ったのかが理解できなくて、頭の中が真っ白になる。
しかし言葉をゆっくりとかみ砕けば、体中から汗がぶわっと噴き出てきた。
「でたらめ言わないで! お姉ちゃんは死んだのよ!!」
気付けば私は叫んでいた。呼吸が浅くなり、心臓がどくどくと波打つ。
「哀君、落ち着け」と、博士が私を宥めようと肩に手を置くものの、それを振り払ってヴェルデを睨みつけた。
「言っていい事と悪い事があるでしょう…」
彼女が好き好んでこんな嘘をつくとは思えないし、こんな悪質な冗談を言うとも思えない。
それは分かっている。分かっていても、信じるのが怖くてたまらなかった。
期待するだけ期待して、それが勘違いだった場合、待っているのは絶望だ。
興奮する私とは反対に、ヴェルデは「まぁ、聞け」と静かな声で先を続けた。タブレットでニュースサイトを開いてこちらに差し出す。
それは以前私が苦い思いをしながら何度も何度も見た記事だった。
「十億円強盗事件。この事件は組織に命令され、明美嬢が起こしたものだったな。しかし彼女は組織に金を渡すのを拒んだ。だからジンによって拳銃で撃たれた」
「そうよ。ジンは確かにお姉ちゃんを殺したのよ。私を組織から抜けさせるためにお姉ちゃんは犯罪に手を染めて…」
「明美嬢の遺体は見つかっていないだろう」
「それでも現場の港には血だまりができていたというわ。工藤君だって、出血量から見てもまず助からないと言っていた。そしてその血はう、海に続いていたのよ……。お姉ちゃんは撃たれて意識が朦朧として……っ、海に落ちたのよ! 致死量レベルの出血で海に落ちて無事で済むと本気で思っているの!?」
「哀君…」
テーブルを思いっきり叩けば、手のひらがじんわりと痛んだ。
心が痛いのか、それとも、手のひらが痛いのか。視界が涙でにじんできた。
ああ、どうしてだろう。先ほどまでの和やかな歓談が遠い昔の出来事のように感じる。
泣き顔を見られたくなくて俯くと、小さなため息が降って来た。
「そうピリピリするな、灰原。そもそも前提が違う」
「っ、前提って何よ」
「だから、そもそも明美嬢は海に落ちていないんだよ。私が海に落ちたように偽装しただけだ。まぁ、撃たれて致命傷を負ったのは本当だがな」
「何言って…」
「私が近づいた時には明美嬢はすでに虫の息だった。あのまま救急車を待っていたら確実に死んでいただろう。だから私は、それ以上の出血を防ぐため、血液の流れを緩やかにするため、彼女に仮死薬を投与した。違法薬物を使用した所為で国内の病院には行けず、仕方なく仮死状態の明美嬢を連れて海外に渡ったんだ」
目を瞬くとぽたり、と涙がテーブルに落ちる。
頬を伝う涙をぬぐう余裕もなく、視線をのろのろと上げて真っすぐにヴェルデを見つめた。
「仮死薬…? 出血を防ぐ? そんなモノが都合よくあるわけないでしょ。第一、仮死薬なんてそう簡単に作れるわけが…」
「幼児化する薬を作った科学者の台詞とは思えないな。不可能を証明するのは可能を証明するよりはるかに難しい。“悪魔の証明”だな。それにほら、よく言うだろう? 『事実は小説よりも奇なり』って」
「で、でも…」
心が揺れる。もしかして、と期待してしまう。
耳当たりの良い言葉に縋りつきたくなる。
私がぐっと下唇を噛むと、「やれやれ」とでも言うようにヴェルデは肩を竦めた。
「信じられないという気持ちも分からなくはないが、かたくなだな、君も。頭がいい分、本当に難儀な子だ」
「子供扱いしないで…」
「今、明美嬢は私の信頼のおける場所でリハビリ中だよ。証拠として写真を見せてやろう。いや、動画の方がいいか。……ほら」
ヴェルデがタブレットを操作して、私に差し出した。
震える指で動画の再生ボタンを押すと、確かにお姉ちゃんの姿が在った。
「約一か月前の明美嬢だな。顔色も悪くてフラフラだが、これでも随分と回復したんだ」
歩く練習をしているのか、お姉ちゃんは歩行器で身体を支えて一歩一歩をゆっくりと踏み出している。
力がうまく入らないようで、足がもつれて膝をついて、肩で大きく息をしていた。
最後に会った時よりも痩せてやつれて弱弱しく見えるけれど……笑っている。
目の奥がじわじわと熱くなり、堰を切ったように涙が溢れ出てきた。
「っ、ぅ、あ、お姉ちゃんっ、お姉ちゃん…!」
「よかったのう、哀君…」
背中に博士の温かい手のひらを感じながら、私はひとしきり泣いた。
「彼女は日本では死んだことになっているから、すぐに会わせてやることはできない。が、今度ビデオ通話を用意してあげよう。私が手を加えたものを使うからハッキングの恐れもない」
私が落ち着くまで待ってくれたヴェルデは、タブレットを回収してバッグにしまった。
博士が用意してくれた冷たいタオルで顔をぬぐった私は、彼女に感謝と謝罪の意を込めて頭を下げる。
「ヴェルデ…さっきは怒鳴ってしまってごめんなさい」
「あのくらい気にしてないよ。私の想像だと、もっと激しく取り乱すと思っていたし」
「……ありがとう。本当にありがとう。でもあなたがどうして姉を救ってくれたの? なぜここまで…」
「行きがかり上というか、流れというか…。それ以上は明美嬢に聞いてくれ。とりあえず目的は全て達成できたから私はそろそろお暇するよ」
ヴェルデはソファーから立ち上がり、トートバッグから取り出した黒のロングウィッグとアイボリーの帽子を被った。
ウィッグと帽子を被っただけで、立ち姿も雰囲気もまるで別人のよう。
可愛らしい型のワンピースはらしくないと思っていたけれど、なるほど、と納得した。
組織を抜けて数年経った今でも、彼女はきちんと警戒心を持っているようだ。
「ヴェルデ博士、よければ夕飯を一緒にいかがかな? 哀君のお姉さんを救ってくれたお礼も兼ねて、特上寿司の出前をごちそうするぞ。それにまだ哀君とも話し足りないじゃろう?」
「いや、せっかくのお誘いだが今日は遠慮しておこう。初めてのお宅にあまり長居はするなと、景光にも言われているしな」
「景光とは?」
「現在、私と同居している組織の元・幹部だよ。彼は組織に潜り込んでいたスパイでな、身元がバレて拳銃自殺を図ろうとしたから、私が先手で仮死薬を打ち込んだんだ」
「あなた一体どれだけの人に仮死薬を使ってるのよ…」
私の若干引いた呟きをまるっと無視したヴェルデは玄関に向かいながら軽く右手を上げた。
「では、失礼。阿笠博士、近いうちにまたメールをするよ。灰原、いや、宮野志保…。君が生きていてよかった」
「っ! あ、あなたも思った以上に元気そうでよかったわ」
私の言葉に目を見開いたヴェルデが喉の奥で笑った時、
ピンポーン
来客を告げるインターフォンがなった。
博士がドアフォンで確認を取ると、「沖矢です。煮物を作りすぎてしまったので、おすそ分けに来ました」と工藤家に居候中の大学院生の声がした。
なんで彼はいつもいつも変なタイミングでおすそ分けを持ってくるのだろう。
「おお、昴君か。すぐ開けるから待っとくれ」
「ちょっと待って! 博士!!」
博士が不用意に玄関ドアに近づこうとしたので、私ははっとして制止をかけた。
私は常日頃から隣人の“沖矢昴”が組織の元関係者で、お姉ちゃんの元恋人の“諸星大”かもしれないと正体を疑っていた。
もし当たっていれば、変装しているとはいえ、彼とヴェルデが鉢合わせるのは非常にマズイ。
彼は私に対して敵意も害意もなさそうだけど、ヴェルデに対してはどうかは分からない。
「灰原、どうしたんだ?」
「えっと…その、ちょっとこっちに来て」
首を傾けるヴェルデの腕を引っ張ってソファーの影まで連れて行った。彼女を隠すように座らせて「もういいわよ」と博士に声を掛ける。
博士が不思議そうな顔をしながら、
「すまん、すまん。昴君、待たせたのう」
そう言ってドアを開けた。瞬間────
ピヨピヨピヨピヨピヨ
と可愛らしい音が室内に鳴り響く。
私が目を丸くして周りを見回すと、傍らのヴェルデが勢いよく立ち上がった。
私は慌てて彼女の腕を掴もうとしたが、彼女はするりと躱し、足早に玄関へと向かって行く。
「これ、つい最近開発した人探し用の装置でな。インプットした探し人が近くにいると鳴り出す仕組みなんだ」
そして彼女が胸元のペンダントに軽く手を置くと、音は鳴りやんだ。
「まだ適応範囲が狭くてドアとか壁とかで遮断されたら意味をなさないのが欠点だが、今日のところは及第点かな。で、……君、こんなところでそんな恰好でそんなものを持って、何をしているんだ?」
ヴェルデが腕を組みながら、奇妙なものを見つけたような声でエプロン姿のお隣さんを見上げた。
★ヴェルデ
阿笠家にお邪魔するにあたって、盗聴器や発信機らを完全無効化する妨害電波を走らせていた。
★阿笠博士
クローロンが偽名であり、その正体は小さな女の子、尚且つ元・組織の幹部だという事を知って驚いたものの、飛びぬけた包容力で全てを受け入れる。
電子工学と機械工学の話で楽しく盛り上がったので、いい友人ができたとホクホクしている。
★灰原哀
ヴェルデの突然の出現に驚きを隠せない。今回、初めてヴェルデの名前を知った。
姉が生きていたという事もあり、いつもよりも感情が忙しく動いている。