前世も今世もマッドサイエンティスト ーヴェルデだから仕方がないー 作:ポロンクセマ
「おかえり、ヴェルデ」
「た、ただいま、景光…」
ポアロで昼食を終え、腹ごなしにちょっと散歩をしてから約5か月ぶりに帰ってきた我が家。
マンションのドアを開けると同居人が仁王立ちの状態で待ち構えていた。
降谷と同じく、否、それ以上に怒っている気配を感じ取って、私は思わず一歩下がる。
「ゼロから電話をもらった。いろいろ聞きたいことも言いたいこともあるんだが…。その格好は窮屈だろ。ひとまず手洗いうがいと着替える時間はやるから、終わったらリビングに来い」
眉間の皺に指を添えた景光が「俺の育て方がおかしかったのかな」とブツブツ言いながら背を向ける。
私は言われたとおりに洗面所で手洗いとうがいをしてから自室に向かった。
姿見の前で帽子を脱ぎ、長いウィッグを取る。まとめ上げていた本当の髪を解くと、目の色よりも少し濃い緑色の髪が肩下で揺れた。
変装用のワンピースを脱いで着慣れたシャツとパンツに着替えて、ようやく人心地つく。
準備を終えてリビングに入ればケイマンがおり、お帰りと鳴いてくれた。その体をぎゅっと抱きしめるとまた鳴いてくれる。
「ふふ。5か月間いい子にしてたか、ケイマン? 君に何も言わず、置いていって悪かったな。ちょっと並々ならぬ事情があってな…」
しっぽをふりふりと揺らすケイマンは「気にするな」とばかりに前足を上げた。
私のケイマンは優しいなぁ。
「君は私の事を本当に理解してくれるな。いきなりいなくなった私を怒りもせず、こうして受け入れてくれる。さすが相棒だ。な、景光」
「そういう事をさらっと言われると怒りにくいんだが…。お前がキング・モスカの試運転をしに出掛けて行ってからおよそ5か月。かなり心配したんだぞ。俺はケイマンじゃないからな。しっかり納得のいく説明を求めたい」
「心配をかけたのは悪かった。反省はする。だがこれには深いわけがあるんだ」
「へー、深いわけ?」
「実は出かけた先で、ある女性を保護してな。その女性が出血多量で死にかけていたから、治療のため一緒に海外に渡っていたんだ」
「わざわざ海外に? そんなの日本でやればいいじゃないか。救急車を呼んで、病院に運んで…。それではダメだったのか?」
景光は心底不思議そうな顔をしてテーブルにココアを置く。
景光が作ってくれるのは、いつもミルクベースの甘いココアだ。
怒っているくせに甘いなぁ、と思いながら私はありがたく受け取った。
「救急車を待っていれば確実に間に合わなかっただろうな。だから私はその女性に仮死薬を投与した」
「それはまさかアレか?」
「そう。以前君に使った薬の改良版だ。一時的に仮死の状態にすることによって出血の流れを緩やかにし、最低限の生命活動の維持に努めようとした」
「出血の流れを? そんなこと可能なのか?」
「私の中の理論上では可能だ。ただ、まだ誰にも試したことがなくてね。人間モルモット…、ではなく……実験体…でもなく…えーっと、…そう、被検体! のデータが無い状態での投与だったから、少し不安だったんだが…」
「…………。う、うーん。一応、言い直そうと頑張っているところは、成長していると取ればいいのかなんなのか…」
景光が何やら考え込むようにこめかみを抑えつつ、目線で続きを促す。
私はココアを一口飲んで口を開けた。
「君の時とは違って、危険な状態からの仮死薬だからな。かなり確率が低い賭けで、95%死ぬと思った」
「今、その女性は…」
「大丈夫だ。彼女はたった5%の確率を生き延びた。今は私の信頼のおける場所で療養中だ。時間はかかるが完全に回復すれば後遺症も残らないだろう」
そう言えば、明らかにほっとしたように景光の表情が緩まる。
知己の人間の事でもないのにお人よしだ。
景光のこういう所は人としてとても好ましいと思う。
「違法の薬物を使ったから日本の病院に行けなかったのは分かった。だがなんで俺たちに何の相談もせずにいなくなったんだ? たとえ事情持ちの女性だったとしても、俺やゼロに相談してくれれば…」
「君たちに言ったら、彼女を尋問したり捕まえたりする可能性が高かったからだ。私はそれを避けたかった」
「つまりその女性は何らかの罪を犯していたんだな。なら警察である俺たちが見逃すわけにはいかない」
「あー、えーっと。……どうやら彼女、組織の人間だったみたいでな。ジンに撃たれて重傷を負ったんだ」
「………は?」
「私もその時まで組織の構成員だとは全く気付かなかった。モスカの試運転が終わって帰ろうとした時に何やら揉める声が聞こえてきて…。のぞいてみるとジンとウォッカがいた。そこで初めて確証を得たんだ。ちょうど場所が港だったから、彼女が海に落ちて死んだと偽装工作をして連れ去った。血だまりがすごかったからな。あれで生きているとは誰も思わないさ」
銃声の音を聞いた誰かが通報したのだろう。
あの時のパトカーと救急車の鳴り響いたけたたましいサイレン音は、たぶんずっと忘れない。
「待ってくれ、理解が追い付かない。なんでヴェルデがそうまでして組織の女性を助けるんだ」
「彼女には恩があった。だから助けた」
「恩? 一体いつの…」
「景光が仮死状態になっていた時だよ。偶然スーパーで出会って、病人食と看病のあれこれを教わったんだ。実に気立ての良い面倒見の良い、優しいお嬢さんで…、うん。君が目覚めて重湯から始められたのも、ひいては彼女のアドバイスのおかげなんだからな。会うことがあったらお礼を言うといい」
景光が青白い顔をして、まるで金魚のようにぱくぱくと口を開け閉めするので、その口にお土産で買ってきたチョコレートを突っ込む。
頭を使いすぎて混乱している時には甘いものが良い。
「最近ようやく聞き出せたんだが、彼女はやはり何らかの犯罪行為に手を染めたらしい。だがその理由は妹が組織に人質に取られていて、仕方なくだったみたいなんだ」
仮死から目覚めた当初、彼女は事情に関して一切口を割らなかった。
私を巻き込むことを恐れたのか、自分を悪人だと言いたくなかったのか、それとも他に理由があったのか。
身体の自由も碌に効かず、傷も治りきっていないのに、礼を言ってすぐに出て行こうとした。
きっと警察を呼ばれ、追及されることを恐れたのだろう。
私は彼女の意を汲んで、組織の事は尋ねなかった。ジンの事も怪我をした経緯も。私が組織にいた事も話さなかった。
ただ、彼女の回復を黙って手助けした。
そしてつい最近、彼女が泣きながら口にした言葉。それが、
────ある組織に囚われている妹を助けたかったの。
である。
それを聞いて私は久しく忘れていたある女性、シェリーの存在を思い出した。
シェリーはとても優秀な科学者で、私が助けたお嬢さん同様、組織に家族を人質に取られていた。
おいおいおい、何だ、何だ、何なんだ。
くらりと眩暈がした後で、ふつふつとした怒りが沸いて来た。
膝を抱えて泣いていた彼女はどう見たって一般人だ。
普通に生まれ、普通に育ち、普通に過ごしてきたであろう人種だ。
特殊な訓練を受けたわけでも裏社会で生きているわけでもない、普通の女性だ。
わざわざこんな娘を引き込んで犯罪行為に手を染めさせるとは……ジンよ、お前、何て情けない。
「乗りかかった船だ。とりあえず私は彼女の妹を組織から救い出そうと思う。年齢は聞いていないが、前に年が離れていると言っていたから、私くらいかもしれない。きっとその子は助けを待って泣いているはずだ。景光、私に手を貸してくれるか?」
もしかしたらすでに殺されているかもしれないが、安否を確かめる必要がある。
私が決意を新たにして景光を見上げれば、彼は大きく頷いてくれた。
「もちろんだ、ヴェルデ。その女性の事も気になるが、まずは妹さんの救出だな」
「ああ、妹を助け出したら明美嬢はきっと喜ぶぞ。ついでにシェリーとその姉も組織から攫って来よう! そしてシェリーを私の助手にするんだ!」
「おお! ……うん?」
★ヴェルデ
しばらく日本を離れていた。
以前お世話になった親切なお嬢さん、明美嬢を助けるものの、明美嬢とシェリーの関係性にはまったく気付いていない。
調べれば簡単に分かる事なのに、基本興味を持った本人以外はどうでもいい性格なので、まぁこういう事もある。
★明美嬢
ジンに撃たれ、死にかけている時にヴェルデに仮死薬を打ち込まれ、意識不明に。
でも今は順調に回復中。
最愛の妹が組織を抜けた事も知らないし、ヴェルデが組織に属していたことも知らない。