俗物語   作:楓麟

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其の拾

010

 

「夢喰い馬」

 忍は言った。

 

 忍野と話をして(たいした話はしていない。怪異の話は、それから全くしなかった。もちろん火憐のことも話してない)、塾を後にして神原の意見を訊いた。

 

「忍野さんには何かあると思う」

 彼女は答えた。

 やはり、怪異を身に宿しているだけのことはある。彼女も何かを感じ取ったのだろう。

 人ならざるものの存在。

 小さな、異変。

 

「だいたい、何故ここに戻ってきたのか、結局ぼかして何も言わなかったではないか」

 結局何故帰ってきたのか、分からずじまいだった。

 忍野が帰ってきていたということが分かっただけだ。

 

「しかし驚きだったな」

「ああ、まさか忍野が本当にいたとはな……」

「いや、私の妄想が実現したことにだ、阿良々木先輩」

「僕はお前の思考回路に驚くよ!」

 とまあ、雑談を交えた後。

 僕は神原と別れてから、人気のない公園を見つけ、そこで忍を呼んだ。

 別に神原も一緒でよかったんだけど、彼女には礼を言って帰ってもらった。

 めだかの話を聞いてしまった僕には、神原に忍の紹介はできなかった。

 ロリの上に古風な口調。

 絶対神原の好みだろ。

 忍はまだおねむのようで、目を擦りながらの登場だった。

 

「なんじゃ。儂の眠りを妨げるのはどこのどいつじゃ」

「どっかの魔人みたいな台詞だな……」

「ああ、お前様か」

 忍の為に、日陰のベンチを選んでいたので、太陽の心配はない。

 もう彼女は吸血鬼ではないにせよ、やはり怖いのだ。

 忍野に会っている間、忍も影にいたものの起きていたらしい。

 何故なら。

 彼女もまた、忍野の異変に気付いたからだ。

 そして、その忍野のように。

 彼女は怪異の名前を言ったのだった。

「『ゆめくいうま』、『ゆめくいま』とも言うから、夢喰い魔と書く事もあるの。あるいは、夢喰いを『むくい』と読み、報いと取ることもしばしば。まあ、名前の通りの怪異じゃよ。そして決して強い怪異ではない」

「それで、それは」

 忍野に憑いているのか?

 

「憑いているというか、あの軽薄な小僧に捉われていると言うか、の」

「捉われて」

 そうじゃ、と忍は頷く。

「夢喰い馬は説明するまでも無いじゃろうが、夢をとって喰う怪異じゃ。儂がたやすくエナジードレインできるように、そやつも夢を喰うことは簡単な事なのじゃ。食事と言う所かの」

 そして彼女は訊いてきた。

 

「お前様も、夢喰い馬くらいは知っておろう? 吸血鬼ほどではないが、有名な怪異じゃぞ」

「有名って……」

 そんな名前、訊いたことも無い。

 いや。

 名前は無くても、そんな怪異は知っている。

 獏だ。

 バク。

 ウマ目バク科に属する哺乳類。

 あるいは、夢を取って喰らう怪異。

 

「そう。夢喰い馬はそう呼ばれてもおるそうじゃ。体は熊、鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎…しかしまあ、この場合は姿は関係ないかの」

 忍野も昔そんなことを言っていた。

 名前は姿でなく本質を表す。

 名前と姿が異なっているのは、名前を考えた人と姿を考えた人が別の場合がほとんどだから。

 そして夢喰い馬は、その名が本質を表している。

 本質は、夢を喰うということ。

 

「害は及ぼさない怪異じゃと訊いていた気がするが…お前様も知っておろう。疾病や悪気を避けるといわれ……日本では悪夢を食べるともいわれたそうじゃの。非常に縁起が良い怪異」

 でも、それなら。

 なぜそれは忍野に。

 

「夢喰いは『むくい』とも取れる……じゃろ?」

 報い。

 報いには幾つかの意味がある。

 よく使うのは、果報。あることをした結果、身に受けるもの。

 他にも報酬という意味や、報復…仕返しという意味もある。

 つまりは、捉われた人間の行動によって、その結果対象者は報いを受ける。

 つまりは、怪異から報酬を得る。

 つまりは、仕返しをされる。

 この三つの全てが、今回忍野には満たされている。

 怪異のオーソリティ。人にアドバイスをし、報酬を得ている。

 そして報いを受け、怪異から仕返しを受けているのだ…。

 夢を喰って。

 むさぼり喰って、夢喰い馬は大きくなる、そうだ。つまり、力を増すのだ。

 

「その馬が強くなったら、どうなるんだ?」

「対象者はひとたまりもないじゃろうな」

 忍は肩をすくめた。

 

「決して強い怪異ではないとは言ったが、決して強くなれない怪異とは言っておらん。したがって、夢喰い馬は強く、強大な力を持つこともできるのじゃよ」

「だったら……」

 忍野だって、ひとたまりもないだろう。

 今まで散々怪異に関わってきた男だ。

 そして儲けてきた男だ。

 仕返しされて、当たり前……なのかもしれない。

 

「絵馬」

 と。

 忍は言った。

 

「馬は神の乗り物といわれ、神社や寺院では神馬(しんめ)が奉納されておった。それがいつしか土や木でつくった馬を奉納するようになり、やがて木板に書くような現在に至ったのじゃ」

「へえ……」

「夢喰い馬は神馬から派生したものじゃ。願いを叶える怪異ともされる。が、悪い方へ派生した結果じゃの……」

「どういう意味だ?」

「絵馬は願いを書くだけでなく、願いが叶った時にも書くものなのじゃ。だがいつしか人間は願いを一方的に書くだけで、お礼の言葉も何も言わず、何も奉納しなくなった。夢喰い馬は神から外された神なのじゃよ」

 お前様よ、と忍は続ける。

 

「お前様よ、絵馬の数え方は知っているかの」

「絵馬は……」

 一枚、二枚……じゃないのか?

 忍はどっちつかず、といった顔をした。

 

「一体、二体……とも数える。神仏を数える『体』を用いるのじゃ。何故か分かるか?」

「絵馬は……夢喰い馬は、神だったから」

 そうじゃ、と忍は頷き、続けてふわあ、と欠伸をした。

 とても眠そうだ。

 

「お前様よ、儂はとても眠い。我があるじ様の命令には逆らえんからこうして出てきたが……あとは夜でよいか」

「あ、ああ……」

 そうか……無理して起きてたんだな。

 

「儂はな、あのアロハ小僧のことなぞ、どうでもよいのじゃ。お前様は、また助けようとかくだらんことを考えているかもしれんがの」

「……」

 くだらないことかもしれない。

 でも、僕は忍野に救われた。

 助けられたと思うのだ。

 だから、恩は返したい。

 

「悪かったよ、忍。じゃあ夜にでも、もう一度話をしてくれるか」

「うむ」

 そう言って忍は。

 そのまま突っ立ったままだった。

 どうしたんだろう、としばらく考えていると。

 忍は頭を少し下げてきた。

 ああ、そうか。

 忍の頭を撫でてやると、彼女は満足したように影へ潜っていった。

 頭を撫でる。

 それは吸血鬼の絶対服従を誓う儀式だ。

 しばらく影を見下ろしてから。

 僕は立ち上がった。

 夕日が沈みかけていた。もう家に帰る時間だ。

 羽川が待っている。

 忍野は、まだしばらくここにいる、と言っていた。

 何故かは分からない。

 でも、これは僕にとってはいいことだ。

 明日、またあの塾へ行って、忍野に訊かなければならない。

 怪異――夢喰い馬について。

 自転車をとばしながら、僕は忍の話を思い返していた。

 夢喰い馬。

 縁起の良い怪異。

 願いを叶える。

 だが、報いを受けた忍野。

 ここで、矛盾に気付く――願いを叶えた?

 一体これのどこが、願いを叶えた事になる?

 忍野は、ここに戻ってきたかったのだろうか。

 願いを叶えると同時に、報いを受ける?

 それに、何か大事なことを忘れている気がする。

 

「お兄ちゃん、お疲れー」

 帰ってくるなり、月火が言った。

 月火はリビングでテレビを見ていた。

 

「羽川は?」

「二階。私達の部屋」

「火憐ちゃんは?」

「外で走ってんじゃない?」

「で、お前は?」

「お兄ちゃんの帰りを待ってたの」

「僕が帰ってきてから一回もテレビから目を離さなかった奴が何言ってんだ!」

 全く。

 迎える気ゼロだな。

 行きはよいよい、帰りはこわい。

 

「勉強とか言ってサボって遊んでた人を迎える気なんて、ありませんん?」

「ぐ……!」

 図星だった。

 いや、遊んでたわけじゃあ…。

 あれ? といった顔をする月火。やっとこっちを向いた。

 

「突っ込みがない……ということは!」

 急に目付きが変わったかと思うと、どっからそんな声が出るやら、大声で言った。

 

「羽川さーん、お兄ちゃんはお勉強をサボ――」

「サボテンを観賞しながらしてたんだ!」

 打ち消し。

 サボテンを観賞しながら受験勉強に勤しむ高校生がいた。

 二階からは何の反応もない。

 聞こえなかったようだ。

 僕は胸を撫で下ろす。

 

「驚くなあ、何てデマを言うんだよ」

「これくらいで許してやってるんだから、感謝の言葉があってもいいくらいだよ!」

 サボったことは確定なんだな。

 あれ。

 何か月火怒ってない?

 

「ところでお兄ちゃん。胸を撫で下ろすって表現、面白いよね。何なら本当に胸を削ぎ落としちゃおうか」

「何故そんな猟奇的な発想に至る!?」

「今なら羽川さんにチクるだけで許してあげるから、さっさと吐いちゃいなよ」

「何のことだ!?」

 怖いよ。

 僕、何かしましたか!?

 

「お兄ちゃん、昨日私達の部屋に勝手に侵入したでしょ」

「…………」

 何だろう、汗が止まらない。

 暑いのかな。

 クーラーガンガンだけど。

 千石に怒られるなー。

 いや、その前に月火に殺される。

 

「言ったよね、監視カメラがあるんだよ」

 当たり前のように言われましても……って!

 やばい!

 よりによって!

 

「す、すみませんでした……」

 ぺこり。

 妹に頭を下げて謝る兄。

 

「何に誤ってるのかな」

「いや、まず字が誤ってるぞ!」

 兄としてここはフォロー。

 月火は黙ってソファから起き上がり、テレビの音量を上げる。

 キレてもテレビの音で羽川には聞こえないだろう。

 なんつー配慮だ。

 

「えっ、と。つ、月火ちゃんの、わ、和服を、」

 千石並みにしどろもどろだった。

 

「和服を?」

「き、きき着ちゃいました……」

「…………」

 ごめん。

 言い訳タイム。

 昨日忍が、和服を着てみたいの、と言い出したのだ。

 もちろんそれは我が家の和服コスプレ少女のせいだろう。

 物質創造だか何だかで、和服をつくればいいじゃないかと言ったのだが、忍ちゃんは一言。

 

「めんどい」

 それに、よく構造も分からないそうで。

 運がいいことに、いや今となっては悪いことに、昨日月火は姉の火憐と出張だった。

 ファイヤーシスターズの活動だ。

 それで僕は無意識のうちにこっそりと妹達の部屋に忍び込んで、和服を取りに行く形になった。

 で。

 問題はここから。

 部屋に戻ってきた僕に、忍ちゃんは一言。

 

「どう着るか、儂は知らん」

 着方も分からなかった。

 いや昔日本に居たんなら知ってるんじゃないの? とか思いつつ。

 

「お前様、手本を見せてくれんか」

 ……。

 えーっと。

 忍は和服を自分で着たいと言い張って、だから僕が着させようとしても断固拒否して。

 でも忍は着方が分からないから僕にお手本を見せろと要求して、それを観察してました。

 僕は着物を着てしまいました、月火の!

 以上!

 ちなみに。

 忍はその後、見事に着こなして見せた。

 ゆるゆるのぶかぶかだったけど、とても似合って可愛かった。

 金髪でも着物は合うんだなあ、とか。

 当時の僕はそんな軽い気持ちでいた。

 

「………………………」

「………………………」

 無言の月火。

 無言の僕。

 

「道理で…どうっりで私の着物にお兄ちゃんの髪の毛が……」

 浮気がバレちゃったお父さんの気分をここで味わうとは。

 忍は吸血鬼だから、髪が抜けるとかそんなこと自体有り得ない。

 あー。

 バレちゃったかー。

 きれいに畳んでしまったつもりだったんだけどな……。

 

「お兄ちゃん、ちょっとそこで待ってて。すぐに薙刀を持ってくるから」

「何でそんなもん平成の女の子が持ってるんだよ!」

 監視カメラとかそれ以前に!

 

「毎朝薙刀体操をしてるの、知らないの?」

「お前、昭和の女の子だったのか!?」

「あ、そっか。お兄ちゃんを起こす前にやってるから、知るわけないか」

 怖い。

 怖いよ。

 皆さん、これが妹月火の正体ですよ。

 そして、月火が部屋を出ようとしたその時。

 部屋に、誰かが入ってきた。

 

「ちょっと、誰? テレビもクーラーもガンガンじゃない」

 羽川!

 た、助かった……。

 か?

 

「あ、阿良々木くん。おかえりー」

「ああ、……ただいま」

 月火はといえば、テレビの音量を下げていた。

 平静そのものの顔だ。

 こいつはこうやって怒りを抑えることができるんだもんなあ。

 そして後が怖い。

 

「阿良々木くん。私、もうそろそろ帰らなくちゃなんだけど、」

「ああ、そっか」

 でも、話があるって言ってたよな。

 

「……送っていくよ、日が落ちるの早いし」

「あっ、本当? ありがとう」

「行ってらっしゃい」

 何事も無かったかのように言う月火。

 でも心の中では、ちっ、逃げやがるこいつと思っているに違いない。

 なぜなら。

 部屋を出る時ちらと彼女を見たとき、彼女もこちらをしっかりと見て。

 そりゃもうしっっかりと見て、笑ってこう言ったから。

 

「絶対、帰ってきてね」

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