013
「お前様よ、己の勘違いに気付いたようじゃの」
戦場ヶ原を家まで送り、帰宅した時、月火は夕食を作っていた。
「……ただいま」
「おかえりー」
あれ、普通の反応だ。
「つ、月火ちゃん?」
「ああ、お兄ちゃん。別に私あの時怒ってなかったし。プラチナむかついただけだよ」
凄く怒ってるように聞こえるんだよなあ、その言葉。
「それにお兄ちゃんは和服に興味を持ってくれた、ということでしょう?」
「あ、ああ、まあ……」
和服の文句ではない。
というかそんなこと言ったら月火から本当の本当に殺される。
「だから、別に怒ってないよ」
「そ、そっか……」
苦笑いして部屋を後にする僕。
月火のようなヒステリーだと、怒りも意外と早くおさまることもある。
命拾いしたようだ。
そして、僕は風呂場にいた。
今日は随分と歩き回った上、崩壊寸前の建物にも入ってしまったので、シャワーといこう。
そして。
シャワーを浴びながら。
僕の後ろで忍が話し始めたのだった。
「あの軽薄な男が夢喰い馬であることに、何故気付かなんだ」
「いや、さすがにそこまでは……」
まったく、相変わらず儂の主人は馬鹿じゃのう、と呟く忍。
確かに、否定はできなくなってきた。
戦場ヶ原は、神原との電話、そして羽川との電話で気付いたのだ。
僕が何に気付いたかを。
僕が何に勘違いしていたかを。
だから、戦場ヶ原は僕の目の前で証明して見せたのだ。
「夢喰い……馬」
僕は忍野……いや、馬を見た。
彼は忍野そっくりだった。
それでもどこか違うと思ったのは、彼は忍野ではなかったからなのか。
彼自身が怪異だったからなのか。
「そうだよ。阿良々木くんは何も気付かなかったみたいだけど、ツンデレちゃんは早くも見破ったってわけか」
面白くないねえ、と頭を掻く。
「『忍野さん』、最後の質問です。あなたは、ここで何をしているんですか」
「何をって?」
首を傾げる馬。
彼の足元から生じる影が、不気味に蠢いていた。
その形は
そして、どの生き物とも違う形をしていた。
「お嬢ちゃん。もう気付いているんだろう?
僕は、君の夢を食べた」
「……っ」
「とても美味しかったよ、お嬢ちゃんにとっては悪夢だったかもしれないけど」
「やっぱりあの悪夢は、あなたが見せたんですね」
そうさ、と彼は立ち上がる。
「僕は夢を喰って大きくなる。
僕は食べた。君の夢も、そう、委員長ちゃんの夢も」
願いを叶える。
それは、忍野の願いではない――僕達の願いだったのだ。
対象者は、忍野ではない――僕達。
「願いは、叶ったかな」
「いいえ」
いいえ、と。
首を振る戦場ヶ原。
「まったく、まったくよ。
こうして偽者にせよ忍野さんに会ってしまったんだから、願いなんて叶ってないわ。それ以前に、私は願ってなんか、ない」
「ふうん、そうかい?」
忍野そっくりに笑って。
馬は話し出した。
「僕はどんな小さな夢でも、嗅ぎ当てる事ができる――それに、叶えることだってできるんだ。
だからお嬢ちゃんが願ったのは忍野メメとかいう奴に会いたくない、じゃあない。
お嬢ちゃんは、もう一度だけでいいから、彼に会いたかったんだ。それくらい、僕にゃ分かるよ。どんな小さな想いでも、分かるんだから。
委員長ちゃんも、密かに想っていた。忍野メメにお礼が言いたい。だから叶えた。
百合っ子ちゃんも、そう。忍野メメに会いたい。だから叶えた。
迷子ちゃんは、忍野メメに会ってみたい。だから叶えた。
照れ屋ちゃんは、忍野メメとは今度会うようだから、叶えるまでも無かった。
そして、阿良々木くん。
君が一番、この中で想いが、強い」
次の瞬間。
忍野は、否、馬は、目の前…僕の目と鼻の先に立っていた。
「一番美味しそうだから、阿良々木くんの夢は最後までとっておいたんだよ」
馬はにやりと笑う。
「でもまあ、今夜はまた委員長ちゃんの夢を頂くとするか。あの子、自分で自分の夢に反省してるみたいだけど――立派だね、だけどその迷いすら僕は喰うことができる。願いは叶える」
代償として、悪夢を見るかもだけどね、と言う。
「だから、だから、阿良々木くんの夢は明日の夜にお預けだ。
忍野メメに思いを馳せている人は多いから、本当にこの町は面白いよね。みんなの夢を食べて願いを叶えるまでは、僕はここにいるよ」
そして、今。
頭の整理ができたところで、僕は勘違いを、それもとても馬鹿な勘違いをしていたことに、ようやく気付いたのだった。
みんなから叱責の言葉を受けても、仕方ない。
戦場ヶ原や羽川は言っていた。
私の所為、と。
それは、自分が心の底で密かに思っていたことに悔やんでいたのだ。
僕は、それにすら気付かなかったというのに。
「儂は言わなかったか? 夢喰い馬はあの軽薄な男に、捉われていると」
そう。
僕は勘違いしていたのだ。
僕は忍野が、馬に捉われていると思っていた。
だが実際は、馬が、忍野に捉われていたのだ。
大体、可笑しい話じゃないか。
あの忍野メメが、怪異に捉われるはずが無い。
「多くの人間が同じことを想っておれば、それに惹かれて馬もやって来るじゃろうよ。多分馬の奴、あの軽薄な男に化けて興に乗っておるようじゃ。これは早急に対処が必要じゃの」
「いや、でも忍。あいつは悪気は無いんだろう? 願いを叶えるって、言ってたじゃないか」
「初めはそうだったかもしれん。じゃがお前様よ、馬は夢を食べて大きくなると言うたじゃろう? もう今の時点でも十分巨大化して強くなったのに、もしお前様の大きな夢を食べたらどうなると想う」
「……」
ひとたまりもない。
「運が悪ければ、死ぬじゃろうな」
「死ぬ、か……」
「まあ、儂はお前様が死んでも別に何とも思わないがの」
今のはツンデレなのだろうか。
辛辣な言葉を口にして、忍はかか、と笑った。
いつの間にやら湯船を占領していた。
僕はもうシャワーを済ませていたが、これだと湯船に浸かれない。
「いいか、お前様は夢喰い馬に捉われてしまったのじゃ。一度目を付けられたら、もう逃れることはできん」
「……対処法はないのか」
本物の、忍野は何か言ってなかったのか。
「いや、喋っておったかもしれんが……」
忍は湯船から上がって。
「まあ、その話は戯れの後じゃ。儂がちゃんと説明しなかったのも悪いが、お前様もお前様じゃ、相殺といこうかの」
「……分かった」
別に、忍は悪くないんだよなあ、と思いながらシャンプーを手に取り、彼女の頭を泡立たせる。
また凄い泡の量だった。
「シャンプーとは実に面白いものよの。人間の文化は、非常に面白い」
「そうか」
非常、ね。
でもこんなに泡ができるのは、お前のイメージだからな。
なんかシャボン玉が大量発生してるし、今度シャンプーハットでも買ってやるべきだろうか。いや、買ったとしても妹達に不信がられるな。
「ついでに身体も洗ってもらおうかの」
そして忍はまたかか、と笑う。
風呂は四百年ぶりとか言ってたし、それに忍は女性だし、やっぱりこういうのは気になるんだろうな。
いくら体が汚れないといっても。
「しかし、あのツンデレ娘にいい所を全て持っていかれた感じがするの」
「は?」
「いや、儂は夜になったら、お前様に面と向かって、『あれは軽薄な男ではない。あれは夢喰い馬じゃ』と言うつもりだったのじゃ。そして章変え、という展開を求めていたのじゃが」
「そんなこと考えてたのか!」
いや、すぐに教えてくれよ。
なんだ、みんな気付いてたんじゃないか!
なんか僕だけ恥ずかしい。
「格好いいところは全てあの名ばかり少女にとられてしまった」
「名ばかり少女って!」
少女じゃないみたいじゃん!
「そうか。名ばかり少女は儂じゃったか」
そう言われればそうだけどさ!
自虐ネタどころじゃない、ただの自虐だ。
そうして、シャワーの水で忍の頭を洗い流していると。
「ふひゃー、あっちーな、もう汗だくだぜ、やっぱ地球温暖化ってすげーよ、ダッシュ往復五キロで汗が滝のようだもんな、もうナイアガラだよ、ナイアガラ――」
ばん、とガラス戸が勢いよく開いて、火憐の登場だった。
すっぽんぽんである。
「……えっと」
さあ、状況説明!
場所――自宅の風呂!
登場人物――僕、忍、火憐!
概略――僕(高校三年生)が忍(見た目八歳・金髪)の髪を洗って戯れているところを火憐(妹)に見られた! しかも火憐は裸!
うわ、また分かりやすっ!
説明なんかいらねえ!
「…………」
しばらく火憐は黙って僕と忍を見ていた。
がらがらがら。
再び戸を閉める火憐。
五秒後。
再びばん、と戸を開けて火憐再登場。
「ああ、よかった、見間違いだった」
「見間違い? 何のことだ」
「なんでもねーよ」
五秒の間に、忍は僕の影へ戻っていた。
いやあ、危ない危ない。
これが月火だったら……。
これで一安心。
って!
「つかお前何で入ってきてんだよ!」
「いや、兄ちゃんが入ってるなんてあたし知らなかったしー」
「上がるまで待ってろ!」
「やだよ、また着替えろっつーの?」
うわあ。
妹と風呂かよ。
これは見る人によっちゃ忍と風呂よりも犯罪じみてるぞ……。
「僕まだ湯船に浸かってないんだよ」
「あー、じゃあとっとと入っておっとっと上がりなよ」
「何故某会社のお菓子の名前が出た!?」
「いや、おっとっとって海のキャラクター勢揃いだからさ」
急いで湯船に浸かる。
「とと丸が出た時の感動は忘れられねー」
一人で喋ってろ。
十数えたらすぐに上がろう。
「いや、兄ちゃん千数えなくちゃ駄目だ」
「何でよ!?」
茹だっちゃうよ!
手足しわしわになっちゃうよ!
「ああ、そういえば兄ちゃん、昔そうやって、『おじいちゃんになっちゃったー』的なこと言ってたな」
「昔の話を……」
「それに千数えるのなんて秒速で終わるだろ。いち、じゅう、ひゃく、せん。はい終わりーとっとと上がれー」
「また小学生みたいな中学生だなおい!」
お前もう中三だろ。
何小二病みたいなこと言ってんだ。
火憐はポニテを解いて、髪を洗う。
「何じろじろ見てんだよ」
「別に」
「兄ちゃんに、裸見られて、もういいや」
「もういいの!?」
それは女性として有るまじき発言だと思うよ!
「アルマジロな発言って、どんな発言?」
「こっちが聞きたいわ!」
丸くなっちゃうのかな。
「はー、それにしても疲れたなーだりー」
「夏にダッシュする奴の気が知れない」
「ちょっと月火ちゃんのご機嫌が麗しくなかったからさー、ずっと外走ってたんだよな」
「そ、そうなんだ……」
「どうしたんだろ、着物がどうのってのを言ってたんだけどさ、」
「へ、へえ……」
「何だろう、兄ちゃんがパンツではなくフンドシを着用してるのが分かっちゃったのかな」
「着用してねえよ!」
何だよその妹以上に和服コスプレ野郎は!
「こないだ月火ちゃんと、兄ちゃんはブリーフ派かトランクス派かという議題で盛り上がってたんだけどさ」
「何僕の後輩みたいなこと言ってんだよ!」
痛々しい話だな!
「ああ、痛々しいといえば、こないだ古文のテストで、『いと痛し』を『痛々し』って書いちゃったな」
「痛々しい!」
「まあ、結局ブリーフ派だと思う者はブリーフ派、トランクス派だと思う者はトランクス派という結果に終わって」
「言っておくが、それが格好いいと思っていいのは中学生までだ!」
「そうだ、兄ちゃんも参加してくれよ、三人で話せばきっと分かるはず」
「いや、何で僕が僕自身の趣味について考えなくちゃならねえんだよ!」
どっちでもいいよ!
「いや、三人寄らば、えっと……」
「分からない馬鹿がいた……」
僕よりも馬鹿な人はいました!
「文殊の……、そう、三人寄らば文殊のえっちだ!」
「湯船で溺れ死ね」
神原が喜びそうな台詞だが、生憎僕には乗ってやる気は無い。
どうして最後の最後で間違えるんだよ。
もういいや。
とりあえず上がろう。
湯船から上がり、ガラス戸を開けると。
目の前に、月火がいた。
「あれ? 今入ってるのお兄ちゃんだったんだ」
「え? ああ、うんまあ」
「シャワー止めてなくない?」
「あ、ああ、そ、そうだな」
やばい。
超やばい。
火憐がいるのがばれたら、もう確実に死ぬ。
「ご飯できてるから、早く着替えてね」
「はいよ」
ところがところが。
「なあ兄ちゃん、それで三人寄らば何だっけ?」
ひょっこり顔を出した火憐。
この馬鹿野郎。
「…………」
無表情の月火。
せっかく珍しくキレなかった月火も、もう限界のようだ。
「火憐ちゃん、お兄ちゃん、どうして二人とも素っ裸なのかな」
あーちゃー。
もう駄目だ。
しまった、といった顔をする火憐。
「火憐ちゃん、三人寄らば、呪文の知恵だよ」
間違ってる!
こいつもまた間違ってる!
三人寄らば、命取り。
あれ?
そうだったっけ?
「二人とも、ちょっとそこで待ってて。すぐに薙刀を持ってくるから」
そうして。
にっこり笑顔の月火は、急いで薙刀を取りに行ったのだった。