014
月火から開放され、夕食を食べたときには、もう九時になっていた(夕食は無いに等しかった。風呂場での出来事に関してはもう笑い事では済まされないので、というか彼女のイメージがこれ以上悪くなったら困るので、省略)。
二階に上がり、自分の部屋に入ろうとしたが、邪魔者がいた。
火憐だった。
僕の部屋の前で、仁王立ちしていた。
「……どけよ」
「ここで会ったが百年目! 覚悟!」
「いや、自分の家だし」
何だよ急に!
「いやさ、兄ちゃんのせいで月火ちゃんマジギレじゃねーかよ。あたしは何も悪くないってのにさー」
「いや、お前の所為だよ!」
ほとんど!
「んー、でもこのままじゃ納得いかないというか……」
「お前のくだらんプライドなんか知るか。いっつも風呂上り踊ってる体力馬鹿が」
薙刀事件後も、普通に踊ってる(本人曰く、エアロビクス)をしていた火憐は本当に馬鹿だ。
「あっ、そっか。あたしの持ちネタを披露するべきだったんだな」
「つうか少しは疲労してくれ……」
火憐は体をくの字にまげて(しかも僕じゃ絶対できないきつそうな姿勢をとって)、顔を歪めた。
「ここで会ったが百年目! 覚悟!」
「やられてるのに!?」
そして再び仁王立ちして胸を張る火憐。
「逆パターン。畜生、覚えてろ!」
「やられた癖に偉そうだ!」
危ない危ない。
笑壷ネタになるところだった。
僕は火憐を押しのける。
もう満足だろ。
「なあー兄ちゃん。やっぱしあたしは兄ちゃんが悪いと思うなー」
「僕はお前が悪いと思う、それでいいだろ」
「いや、よくない!」
びし、と言い放つ火憐。
こういう時に燃え上がられると困るのだが……。
「どっちが正しくどっちが間違ってるのか分からないままなんて、おかしいだろ! 白黒はっきりつけねーと!」
「いや、お前の考えが間違ってるんだ」
「それに、昔はよくこういう時は喧嘩してたのに、近頃兄ちゃん喧嘩してくんないじゃん。一体全体どういうわけだよ」
「いや、どうして喧嘩を求めんだよ……」
月火にまた怒られるぞ。
いや、僕が袋叩きにあうのか。
「こういう時は、指相撲で決着をつける!」
「意外としょぼい!」
「ほら、手ェ出せ兄ちゃん」
右手を差し出す火憐。
押しのけたと思ったらまた扉の前に立っていた。
何の護衛だよ。
というか主人を入れない護衛なんてないよな……。
しょうがない。
ここは付き合うか。
これはゲームで言う一種のイベントみたいなもんだろう。はいを選択しないと永遠にループする奴。
やっても何ももらえないけど。
「よぅし、勝った方が今週月火ちゃんの奴隷だ!」
「目的が変わってる!」
しかも勝った方がかよ!
「よーい、どん!」
かけっこのような掛け声と共に、僕の親指を火憐の親指が押し付ける。
っていうか!
容赦ない!
マジで痛い!
押し付けるというか、捻り潰すというか。
いや、指キリキリいってるし、骨が折れるんじゃないか!?
しかも。
「いーち、にー、」
「ギブギブギブギブ!」
数えるの遅い!
めっちゃ遅いって!
ようやく指を離す火憐。
「なんだよ兄ちゃん、もう負けか?」
「いや、マジで指相撲する奴とか、ありえないだろ……」
痛めたのは指だけのはずだが、息も絶え絶えだった。
「これくらいでへばっても困るぜ。さあ、第二回戦といこうか」
「まだあんのかよ!」
「さ、兄ちゃん早く早く」
「絶対目的を失ってるよな……」
「目的? なんだそれは。兄ちゃんの指を潰す以外に、何かあるのか?」
「やっぱしな!」
あの痛さは半端じゃなかったよ。
「高望みはしない」
「僕の指を潰す事だけで十分だろうに!」
まったくさあ。忙しいってのに。
……いや。
折角だから、訊いてみよう。
今、一番訊きたいことだ。
「火憐ちゃん」
「何だ? 捻り潰される覚悟ができたのか」
「いや、そんな覚悟できねえよ!」
「あたしはできてるよ?」
「Mかっけえ!」
息をついて、質問する。
「願いを叶えてくれるアイテムがあったとして、叶えてもらうか」
「もらわない」
火憐は即答した。
当たり前のことのように。
いや、当たり前なのだろう。
「願いを叶える? んなもん自分で叶えるさ。願いは、努力して自分で叶えるもんだろ」
そうだよな。
願いを叶えてくれるアイテムが目の前にあって、そのとき願わないと、どうして言える。
かつて僕はそう思っていた。
でも今は違う。
願いは、自分で叶えるものだし、どんな夢も他人が叶えることはおかしいことだ。
でも最初からそう考えていた火憐は凄い、と言うべきなのだろうか。
「だからあたしは、ドラゴンボールがあったとしても、絶対に
「漫画の話をするな」
「集めはするだろうけど」
集めそうだよな。
お前だったらサイヤ人と互角に戦えるだろうよ。
「願うとしても自分とか他人とかじゃなくて、世界全体に向けて願うだろうな」
「……例えば?」
「平和とかさ」
また当たり前だろ、という風に言う火憐。
馬鹿だけど格好いい。
バカッコいい。
「ナメック星だかの神龍だって呼び出す気はねーし、あたしなんかにゃ呼び出せねーよ」
願いは三つもいらないってか。
無欲、というのかな。
「だってあたしナメック語知らないし」
「漫画の話を続けるな」
ただの馬鹿だった。
空気が読めないのか。
それに、と続ける火憐。
「あたしはそんなものに頼る気はないよ。たとえ、兄ちゃんや月火ちゃん、守るべき人が死んじまっても。地獄の果てまで行ってでも、連れ戻す」
にっこりと笑う。
僕はこの言葉が訊きたかったのかもしれない。
願いを叶えるものなんて、必要ない。
夢喰い馬も、僕にとってはただのおせっかいに過ぎない。
余計なお世話だ。
「じゃあ格好いい火憐ちゃん、僕そろそろ部屋に入りたいんだけど」
「何を言う! 駄目に決まっている、まだ決着はついてねー!」
「……。火憐様、どうか私めの為にそこを退いて下さいませ」
「よしっ、そこまで言うのなら仕方あるまい!」
簡単に落ちた。
ここらへん八九寺と違うんだよな。
まだまだ子供だ。
忠犬宜しく退いてくれた。
しかもバク転しながら。
「……僕は受験勉強に勤しむから、邪魔するなよ」
「しゃーねーな、じゃあ腕相撲の決着は明日だ」
ついに競技まで変わってしまったが……。
ようやく部屋に入った僕は、ドアを閉めるなり自分の影に呼びかけた。
ぬう、と僕の影から幼女が姿を現す。
「全く、我があるじ様の過激な妹御の所為で、ゆっくり風呂にも入れんかったわ」
「……ごめん」
「別に、謝ってほしいわけではない」
ぶっきらぼうに忍は言って、それで、用は。と尋ねた。
「忍。何か対処法はあるのか」
忍野は、何か言っていたか。
忍は、ゆっくり言った。
「ない」
「……」
「あの軽薄な小僧が言っていたのは、ツンデレ娘の蟹の時のような対処法じゃった。今のお前様にはそんな準備はできまい」
結界を張って。
祭壇を設け、供物を捧げ。
酒を用意する。
そんなこと、できるわけがない。
願いを叶えるタイプの怪異への対処法。
かつて忍野が話していたが、もっともスタンダードなものは、その怪異では叶えられない願い事をすること、だそうだ。
例えば大きすぎる願い。絶対に不可能な願い。
火憐の願いも、それに含まれるのかもしれないが。
だが、僕達はもう願ってしまった。
無意識であっても、夢見てしまった。
キャンセルは不可能。
怪異にクーリング・オフなど通用しない。
だから、理屈を裏返すという手がある。
願い自体が、不可能であればいい―――それが、猿と相手取るとき使った手だったのだが、今回はそれもきかない。
夢喰い馬は、それさえも覆す怪異なのだ。
不可能を可能にする。
忍野の姿をとり、願いを叶え、夢を食べようとしている。
所詮馬の目的は、夢を食べることだ。
簡単に叶えられるかつ美味な夢を探す。
そんな怪異の対処法は、もとより存在しないのか。
「じゃから、平和主義のあの小僧のように言うのなら、話し合いじゃ。それでも駄目なら、もうバトルしか手段はないと思う」
「バトル……」
「あの馬を、降参するまで甚振り、もとある場所に還すか。あるいは、エナジードレインで存在ごと吸い尽くすか」
「どちらにしろ、戦うんだな」
「お前様が死んでも良いのなら、戦う必要はないぞ」
しかしまあ、と忍は苦笑する。
「お前様が死ねば、儂も死ぬのじゃがな」
「……」
「それに、もう『取引』はしたじゃろう?」
取引。
駆け引き。
ゲーム。
自ら平和主義だと言った忍野メメがしていたように、僕は夢喰い馬と取引をした。
今夜羽川翼の夢を喰うのを諦めてほしい……と。
代わりに今夜は僕の夢を喰え……と。
しかし、力を増した馬に夢を食べさせるということは、死ぬことと同じだ。
対象者は耐え切れず死んでしまうだろう。
だから僕は、取引をした。
馬は了承した。
でも僕は、もちろん今夜夢を喰われるつもりはない。
話し合いが駄目なら。
戦うしかない。
「お前様よ、忘れないでほしいことがある」
「何だ?」
「あやつは、軽薄な小僧ではない」
「……分かってるよ」
「いや。軽薄な小僧でないからこそ、それ以上ということを、忘れないでほしい」
今、馬は忍野メメに化けている。
願いを叶える為に、その姿をとっている。
いや、とっていた、と言うべきか。
忍が言うには化けているのは見た目だけではないのだ。
内面まで。
内側まで、忍野メメなのだ。
喋り方だけではなく、性格だけではなく。
僕たちの思い描いた忍野メメが、具現化したものだ。
だから、馬は戦場ヶ原の質問には答えられなかった。
僕達が知らないことは、馬も知らないのだ。そこまで化けることはできない。
いくら、忍野そっくりとはいっても。
僕は、黙って頷いた。
忍はにやり、と吸血鬼独特の笑みを浮かべて。
僕に訊いてきた。
「お前様、どこへ、何をしに行くのかな」
「廃ビルに、馬と戦いに」
「何のために」
「羽川や、戦場ヶ原……みんなのために、お前のために」
「は。やはり我があるじ様は、他人のためにと言うのじゃな―――自分の命を投げ出すことに何の躊躇いもないようじゃ」
ああ嫌じゃ嫌じゃ、と忍は笑う。
お前の時だって、そうだった。
自分の命を投げ出してまで、僕は忍を救おうとした。
でもそれは。
美しくはあっても、正しくはないのだけれど。
「なら、儂もついて行くしかないじゃろうな」
「……一緒に戦ってくれるのか」
「全く、儂は別にお前様について行きたくはないのじゃぞ。我があるじ様がダメージをくらうと儂ももろにダイレクトにそれが伝わってしまうから、仕方なく、あらかじめ、嫌々ながら参戦するだけなのじゃからな。別に、お前様が心配じゃからとか、お前様一人じゃあの怪異には立ち向かえんとか、そんなことは微塵も考えておらんのじゃからな―――」
「……お前も立派なツンデレ娘だよ」
とにもかくにも。
対忍野メメ。
対夢喰い馬戦に向けて。
僕達は、塾に辿り着き。
戦闘の準備を整えた。