俗物語   作:楓麟

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其の拾伍

015

 

 準備をするのに、敵の目があるというのは落ち着かなかった。

 僕が吸血鬼と化し。

 忍が吸血鬼と化す方法は簡単だ―――忍が僕の血を吸えばいいのである。

 そうすれば、忍は吸血鬼としての力をいくらか取り戻せるし、僕も吸血鬼としての人から外れた力を同時に得ることになる。

 ただ、家や道端で血を吸わせるわけにはいかない―――目撃者がいては困るからだ。

 仮にそれを見た人がいたとして、それは精々町の噂になる程度だろうけど。

 街談巷説。都市伝説。道聴塗説。

 用心に用心を重ねて、塾の一階で僕達は準備をするつもりだった。

 ところが、その一階に、僕達が準備をしようと考えていたその場所に、忍野メメの姿があったのだ。

 見透かしたような顔をして。

 

「へえ。阿良々木くん、僕には君が何をするつもりか分かるぜ」

「……そうかよ」

「話し合いで解決しようなんざ、怪異相手にはやめた方がいいね。特に僕の場合はさ。

 今の僕は、人の話を聞く気なんてさらさらないんだから」

 さすが、イメージが具現化した怪異、僕の考えてることなど忍野のように分かってしまうということか。

 でも、やはり。

 忍野とは違う。

 

「いやあ、僕は平和主義者なのに、戦いを好むなんて矛盾してるね」

「おい、馬。忍野でもないのにその口調はやめろ」

「んー、好きでこんな口調でいるわけじゃないんだけどね。

 でも、好きでこの姿でいるかな。この人間の体は丈夫だね。こんなに力を蓄えていても、崩れないんだから」

 蓄えている。

 やはり、馬は今力を増している。

 

「阿良々木くんの取引どおりだよ。今夜委員長ちゃんは諦める、だけど代わりに阿良々木くんの願いを叶える。

 一歩も譲らないし、それ以上も求めない」

「……」

「で? 僕は今夜阿良々木くんの夢を叶えるつもりだけど? それを変えるつもりも無いけど」

「夢を叶えるんじゃないだろ。夢を食べて、お前の腹が満たされる

だけだ」

「そういう言い方もできるね。

 だってさ、人間側にばっか得だったら駄目じゃない。バランスが大事なんだよ―――」

 と。

 さながら忍野のように、馬は言ったのだった。

 

「相手の夢を叶えると同時に、こちらもお腹いっぱいになる。これでバランスがとれるわけだ」

「……叶えちゃいないだろ」

「あ?」

 途端、馬の声ががらりと変わった。

 それは、忍野のものだったが。

 恐ろしい声だった。

 

「叶えちゃいないだって? 聞き捨てならないなあ。

 阿良々木くん。僕はこれでも」

 相手はにやりと笑った。

 

「阿良々木くんが、とてつもなく嫌いなんだよ」

 ツンデレでもなんでもない、憎しみのこもった声で、それも忍野の声で、馬は言ったのだった。

 よくもまあ笑いながらそんなことが言えるものだ。

 

「きみは、報いを受ける必要がある、だろう?」

 夢喰い馬。

 夢喰い魔。

 報い馬。

 報い。

 確かそれには……どんな意味が、あるんだったか。

 

「報いを受ける必要がある者が、当たり前のように願うんじゃないっつってんだよ」

「……」

 願いを叶えてもらう対象者とは。

 願いがある者。

 馬の損にならない願いをする者。

 報いを受ける者。

 本来なら、叶えてもらう資格などない者。

 これは、家を出るときに忍から訊いたことだ。

 つまり、当てはまるのは、僕。

 

「阿良々木くん。きみは、僕達に関わりすぎた。

 きみは、片足どころか半身を突っ込んだようなものだ。まったく、元気がいいよね。僕達に関わって、きみは何を得た」

「……」

「何も、とは言わせないよ。

 落ちこぼれだったきみは、友人を得て、恋人を得た。怪異の知識や経験が増えたなんて、抜かしたことを考えてるかもしれないが」

 肩をすくめて、僕の隣に立っている忍を見、そして再び僕を見た。

 

「きみが、今夜夢を食べてほしいと言うなら、僕は喜んで食べてやろう。

 食べてほしくないと言うなら、僕は味わって食べてやろう。

 君が防御するのなら、僕は攻撃する。

 誰かが言ってなかったっけ? 言葉が通じないのなら、戦争しかないって」

「少なくとも、お前じゃないだろ」

 かの戦場ヶ原ひたぎは、「戦争をしましょう」という発言をしたにはしたが、彼女には、言葉が通じたために暴力沙汰になることはなかった。

 だがこの目の前にいる男は、人間ではない。

 お願いできないなら、危険思想に手を出すしかない―――ってか。

 

「おしゃべりが過ぎたかな。さっさと準備したどう?」

 それは、彼が戦闘しかしないということだろう。

 馬は話し合うつもりはなさそうだ。

 僕もみすみす死ぬわけにはいかない。

 僕がこいつを何とかしないと、羽川が危ないのだ。

 それだけではない、他のみんなもどうなることか。

 僕と忍が準備をしている間―――つまりは、僕と忍が座って抱き合うような形をとり、忍が僕の血を吸っている間という意味だが、馬は壁にもたれ、気楽そうに片足をぶらぶらさせながら、そしてむかつく笑みを浮かべながら、また話しかけてくるのだった。

 

「そういや、僕がいなくなったあと、何か他に関わったのかい」

「お前は忍野じゃないだろ」

「ああ、忍野メメがいなくなったあと、と言えばよかったね。いや、知識や記憶はそいつのものでも、彼が知らないことは、知らないんだよ」

「そうか……」

 馬が忍野の姿をとっているのはいわゆる願いを叶えて―――夢を食べていないからだろうが、それまでは対象者の思ったとおりの姿でいるということで、決して他の姿を取れないということではないのだが。

 

「いや。囲い火蜂っていうのに妹が憑かれたくらいで、あとは何も」

「囲い火蜂。囲い火蜂ねえ。ふうん」

 何か思うことがあるのだろうか、相手は目を細める。

 本当に忍野みたいな奴だ。

 いや、もしかしたら実際は何も思うことなどないのかもしれない。

 忍野がこういう時、『思わせぶりな態度をとること』が僕達にとっての忍野のイメージだから、その真似をしているだけにすぎないのだ。

 

「……随分と余裕だな」

「どういう意味だい」

「僕は夢を喰われる気なんてさらさらないからこうして準備してるわけだけど……お前は、それを馬鹿みたいに待つ必要なんて、ないじゃないか」

「おいおい、随分と余裕なのは阿良々木くんの方じゃないのかい?

 僕はね、食事前の運動とはいっても、適当にだらだらするつもりなんかないんだよ。しっかりと準備して、思い切り体を動かす。それに、正当防衛する者には正当に攻撃するだけさ」

「お前も、ずっと退屈してたんだな」

 それだけ、本気ということか。

 

「そういえば、馬」

「何だい、阿良々木くん」

「僕は、怪異の知識や経験が増えたなんて、ちっとも思ってない」

 忍の肩を軽く叩いて、僕は立ち上がる。

 ぎりぎりまで、限界まで血を吸ってもらったから、体がふらつく。

 これほどの量を吸わせたのは、これほどの吸血鬼性を取り戻したのは、ゴールデンウィークの猫のとき以来だろうか。

 

「こうしてお前と戦わなくちゃいけないんだから、むしろ、僕はお前達のことが全く分かってない」

 続いて、忍が立ち上がった。

 

「くだらんことをべらべらと、うるさい馬じゃな」

 その声は、幼い舌足らずなものではない。

 僕の血を吸った忍野忍は、見た目八歳の幼女から、見た目十八歳くらいの少女の姿になっていた。僕の血を吸ったその分だけ、忍も吸血鬼としての力をいくらか取り戻すのだ。

 先日、和服を着用し気に入ったのだろう、今の彼女は着物姿だった。ただ着物とは言っても月火のものとは違う、随分とアレンジされている。動きやすい…戦いやすい格好だったし、髪型はポニーテイルではあったが、リボンやゴムではなく簪でとめている。元貴族というだけあって、全体的にゴージャスだった。もう金や黒や赤で飾られまくりだ。眩しすぎんだよ。

 

「準備はできたみたいだね。阿良々木くんは代わり映えしないけど、見違えたよ、忍ちゃん。でも馬子にも衣装って感じじゃない?」

「かか、馬子とはまた面白いの。儂が馬子でも、馬はうぬじゃろうが―――ならば我があるじ様は、うぬに乗る客というところか」

 そして、忍は相手を睨む。

 本気で睨めば、壁どころか建物も吹っ飛ぶ三白眼。

 

「うぬが我があるじ様を殺そうとすれば、儂もうぬを殺すじゃろうよ」

 だがそんな脅しに何も感じないのか、馬は肩をすくめただけだった。

 

「降参するなら今のうちじゃぞ」

「はっはー、笑わせるねえ。それはこっちの台詞だよ――まあやれるだけやってごらんよ。まあ無理だと思うけどね。今の忍ちゃんは、フルパワーモードではないもの。いくら阿良々木くんの血を吸ったところで、まあ僕には勝てないんだけどね」

 それじゃ、行こうか、と。

 慣れた風に、馬は階段を上り始めた。どこへ向かおうとしているか、聞かずとも分かっていた。

 猿とのバトルに使った、二階の教室だ。

 僕も忍も今はほとんど怪異のようなものだし、戦いの場にふさわしいのはそこしかないと思っていた。

 神原の猿で思い出したが、これは猿、否、悪魔とのバトルの、延長線上のようなものだろう。

 対処法こそ違えど、あれは、願いを叶える怪異だった。

 悪魔に願った神原は、願いを叶えてもらった。

 だが今回僕達が願ったのは、馬だ。

 同じ願いを叶える怪異なら、戦場ヶ原の蟹の方が近いかもしれない。

 神のごとき存在、上位の存在。

 悪魔が願いを叶えるたびに神原と同化していったように。

 馬は願いを叶えるたびに力を増す。

 あんな夢こんな夢いっぱいあるけど。

 みんなみんなみんな、叶えてくれる。

 

「それじゃ、僕はこれから悪意と敵意を持って、阿良々木くんと忍ちゃんを襲うわけだけれど」

 二階の一番奥の教室、その扉を開け、馬は先に中に這入って行った。

 続いて僕と忍が這入る。

 後ろ手で、僕は扉を閉めた。

 内側からは絶対に開かない扉を。

 全く光の差し込まない教室で、馬は言ったのだった。

 吸血鬼の目で、見える、見える。

 半笑いを浮かべた、中年の男が。

 

「きみ達も、悪意と敵意を持って僕と、忍野メメと戦え」

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