俗物語   作:楓麟

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其の拾陸

016

 

 戦闘開始。

 

 吸血鬼化するまで、気がつかなかったことだったが、馬は殺気を発していた。

 その巨大な塊に、押し潰されそうになる。

 こうして近くにいるだけで精一杯だ。

 ギロチンカッターなんて比じゃない。

 意思に反して背中を向けて逃げ出したくなるような力。

 違うじゃないか。

 こいつは忍野だなんて、どうして思ったのだろう。

 こんな殺気、忍野は出したことなどなかったのだから――!

 だがそんな中、忍はずい、と一歩前に出た。

 こんな殺気も、彼女には何とも無いのだろうか。

 

「ここは儂から行かせてもらうぞ、我があるじ様――」

 動けなかった僕をカバーするように。

 彼女は、駆け出した。

 先程まで穿いていた高級そうな草履(高級な草履って何だよ)や、足袋を脱いで、裸足の格好だった。普通の人間ならリノリウムの上でそんな格好をしていたら怪我どころじゃ済まされないが、生憎彼女は吸血鬼、元怪異の王だ。

 馬は忍野――プロフェッショナルを気取っているのか、自分から攻撃はしてこなかった。

 忍は両手を刀の形にして、それは馬の頭に命中し、彼の頭部を爆散させた。はずだった。

 僕の目でも到底追いつけない程の速さで、その攻撃は決まったはずだった。

 だが、手刀が決まる直前、馬は跳んだのだ。

 高くジャンプして、攻撃をかわした。

 そして、その上。

 忍の両腕を掴み、動きを封じて彼女を蹴り飛ばした。

 その際、大根でも引っこ抜くかのように忍の両手首だけが彼の手に残っていた。

 一瞬の出来事だった。

 

「ぐ、ぬ――!」

 人間技じゃない!

 着地した馬は、忍の手首が蒸発したのを見て(つまりは忍が回復したということだが)笑みを浮かべ、こちらを見る。

 

「――っ!」

 気が付けば、彼は目の前に立っていた。

 ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、片足を上げてそれは僕の腹に命中する。

 見えなかった。

 避け切れなかった。

 予想はしていたが、予想以上だった。

 

「か、は――!」

 見れば、血を吐いていた。

 自分の血が見えても、何の意味も無いっての。

 

「ふ、はは!」

 忍の笑い声がする。

 笑う余裕は、彼女にはあるようだ。

 楽しんでいる。

 

「いいのう、夢喰い馬――吸血鬼と対等に戦えるとは、うぬもなかなか、」

 後ろから馬目掛けて駆けた忍だったが、振り向きもせずに馬は拳を放つ。

 頭部が爆散したのは、忍の方だった。

 

「対等だって? 笑わせるねえ。

 君たちは、僕に戦いを挑む前から、負けと決まってたんだよ。僕は、君たちに負けてはならない存在なんだから」

「はっ!」

 体が再生した忍は笑う。

 

「笑わせるな、所詮人間から忘れられた怪異など」

 だが、忍の攻撃は命中しない。

 まんまと馬にかわされる。

 何故だ。

 どうして。

 夢喰い馬は、そこまで強くない怪異、じゃなかったのか。

 

「う、おおおおおおっ!」

 僕だって、のんびり傍観してるわけにはいかない。

 声を振り絞り、勇気を振り絞った。

 僕も両手を手刀の形にして、忍と挟み撃ちするように馬に突進した。

 だが、馬は僕の手を掴んだ。

 否、僕の手を握り潰した。

 忍も同様に。

 指ではなく、手首が潰される。

 火憐もタジタジだ。

 驚愕して頭が真っ白になった僕に、容赦などするはずもなく、馬はそのままひょい、と僕を持ち上げて。

 

「な――!?」

 僕を持ち上げた、というのはもちろん片手で、である。

 だが問題は、忍ももう片方の手で持ち上げられたということで。

 そして僕達は、勢いよく地面に叩きられた。

 そうか。

 遅ればせながら、ようやく僕は理解した。

 戦闘は始まったばかりだったが、時すでに遅し。

  

 決して強くなれない怪異ではない。

 相手は、馬は忍野メメなのだ。 

 僕たちの思い描いた忍野メメが、具現化したものだ。

 内面まで。

 内側まで、忍野メメなのだ。

 喋り方だけではなく、性格だけではなく。

 記憶も、強さも……ということ。

 地の利も、関係ない。

 経験も、関係ない。

 忍が言っていたのは、そういうことだったのか。

 僕達のイメージした忍野メメの姿だから、馬はそれと同じ強さを誇るということ。

 あるいは、それ以上の。

 

「畜生!」

「確かに僕は畜生の類でもあるけどね――怪異に対して使うなんて、本当阿良々木くんは元気いいよね」

 くそっ。

 相手にはお喋りする余裕もあるってことじゃねえか!

 それもそうか、まだ馬はノーダメージなのだ。

 どうして僕はこうも自分でリスクを負ってしまうのだろう。

 あの忍も攻撃を受けているのだから、相手の強さは計り知れない。

 いくらフルパワーでないといっても、忍はそんな弱い存在などではないのだ。

 夢喰い馬……これじゃ暴れ馬もいいところだ。

 素早く起き上がり、馬の首を狙った。

 これだけ近距離なのだ、避けられるはずがない。

 忍も同じく立ち上がっていた。

 二人の攻撃は、馬に命中はしなかった。

 馬は、その場を動かず、しかし少し上半身を傾けただけで、同時攻撃をかわした。

 僕は、僕達は何度も攻撃を繰り出した。

 馬は何度もかわした。

 僕の手刀が忍に命中し、忍の手刀が僕に命中することもあった。

 それでも馬には当たらない。

 まるで、僕と忍が戦っていて、その間に忍野が割って入っているようだった。

 中立の立場、なんて。

 ふざけるな。

 どれだけ常軌を逸しているんだよ。

 

「は!」

 八重歯を剥き出して、また忍は笑い出した。

 

「は!「はは!「あはは!「はははは!「あっはははは「はははははははははは―――!」

 本気を出せる相手がいて嬉しいのだろう。

 笑って笑って、笑いながら。

 それでもって攻撃を繰り出しながら。

 それらは全て、当たらない。

 

「本当、笑わせるよな――」

 何分間繰り返しただろう。

 三分は経っていたかも知れない。

 やっと馬が呟いて、ふいにしゃがんだ。

 今だ、この隙を逃がすな。

 すかさず拳を繰り出す僕だったが。

 次の瞬間、僕は教室の黒板に頭を打ち付けていた。

 何があった。

 あの一瞬で。

 馬は左足を軸に、右足を勢いよく振り上げて回転したのだった。

 火憐がやってたカポエラか!?

 彼女がやるより随分様になってるけどさあ!

 いや、少しカポエラとは違うか。火憐は逆立ちをしていたし――。

 馬の足に僕は捕らわれて、そのまま吹っ飛ばされる……同時に、頭も吹っ飛んだ。 

 それで記憶が飛んでいたのだ。

 そうか、忍野は長身な方だから、逆立ちで足を回転させても僕や忍を掠める程度なわけだ。だから片足を軸に攻撃してきたのか。

 僕を放った右足は、そのまま速度を下げず忍にもヒットしたのだろう。

 忍は、扉に頭を打ち付けていた。 

 

「言ったよね? 阿良々木くん。僕はきみが大嫌いだって」

 ゆっくりと僕の方へ歩いてくる。

 忍がすぐさま駆けつけるが、そのたびに馬に吹き飛ばされていた。

 こちらを見たまま、全く余所見もせず、忍には攻撃をし続ける。

 酷い絵面だ。

 何て奴だよ。

 ずるずる、と床に落ちた僕を見下して。

 馬は、嫌な感じに頬を歪め、笑った。

 

「だから、殺しはしないけど何度でも死んでもらうよ」

 いつぞやの猿を相手取ったときのように、僕の体にはぽっかり穴が開くことになった。

 最初の蹴りは挨拶代わりだったのか。

 今、相手の強さを理解した。

 もう痛みに声も上がらない。

 今回開いた穴は、腹部ではなく、胸部。

 肺がなくなった。

 呼吸ができない。

 この手の攻撃が吸血鬼には有効……まったく、容赦ない。

 いや、ここは心臓を狙わないでくれて感謝するべきところだろうか。

 

 僕は、報いを受けるのか。

 怪異に対する僕の行動が、夢喰い馬を怒らせた。

 怪異から報酬を得て。

 そして、その仕返しをされるのか。

 

「降参するなら、今のうちだよ」

 降参も何も、僕は呼吸もできない状態なのだから、返事などできないのだが……。

 いや、降参する気などない。

 ふいに、戦場ヶ原の姿が浮かぶ。

 走馬灯、ではないだろうが。

 

「阿良々木くん、確かめたいことがあるの」

 数時間前、戦場ヶ原を家に送っている時。

 

「何だ」

「羽川さんの代わりに、まさか本当に夢を食べられるつもりじゃないでしょう」

「そんなつもりはないよ」

「……じゃあ、何をするつもりなの」

「…………」

 彼女は、じっと僕を見つめる。 

 数秒間の沈黙。

 そうか、僕が塾で馬と『取引』をしてる間、戦場ヶ原はずっと黙ってたけど、何も思うことが無いわけではなかったのか。

 

「もし阿良々木くんがまた戦うというのだったら、それで阿良々木くんが死んでしまうようなことがあったら、」

 一瞬、戦場ヶ原は唇を震わせたように見えた。

 

「私は、どうするんでしょうね」

 彼女は、ただ、それだけ言った。

 ……想像したくなかった。

 そうだ。

 僕は死ぬわけにはいかない。

 降参もできない。

 みんなの為だけでなく。

 僕自身の為にも。

 戦わなくては。

 戦うんだ!

 

「……おやおや」

 やっと、と言うべきか。

 僕の拳は馬の顔面に命中したのだった。

 

「まだそんな元気が残ってたのかい」

 不気味な息が僕の拳にかかる。

 鳥肌が立った。

 

「じゃあ、まだまだ本気を出せるってもんだね!」

 これは、神原の猿の時の延長線上とは言ったが、違う。

 春休みの地獄にも匹敵する。

 馬の強さを理解したのは、ここからだった。

 まず、両腕が破壊される。

 次に、両足が破壊される。

 この頃にはようやく肺も再生しかけていたが、四肢を破壊されては、何もできない。

 嫌でも、忍との出会いを思い出してしまう。

 そして、首が破壊される。

 その繰り返し。

 五体が死んでは、再生する。

 こちらが立ち上がる隙も与えない。

 呼吸する暇も与えない。

 されるがまま。

 やられるがままだった。

 あまりにも激しい攻撃に、僕は相手がどのようにして僕の体を破壊しているのか知ることはできなかったし、知りたくもなかった。

 

「お前様!」

 遠くの方で、忍の声がした。 

 無論、返事はできない。

 そうだ、忍は。

 彼女は僕の受けたダメージをそのまま受け取ってしまう――彼女は、無事なのか。

 

「儂のことなどどうでもよいわ! それより、お前様、『あれ』を使うしか手段はないようじゃ!」

 そう彼女は叫んだ。

 『あれ』?

 あれとは何だ。

 エナジードレイン?

 いや、まさか。

 触れることさえできないのに、どうして牙を彼に突き立てることができようか。

 それでは、あれ、とは。

 そんな勝てるような武器を、僕達は持っていたか。

 武器。

 ――そうか。

 

「何だい、阿良々木くん――このまま、死ねるところまで死ぬ気になったのかい?」

 あんな思わせぶりな忍の発言が聞こえなかったのか、馬は何も抵抗しない僕に対して言った。

 時間がない。

 僕は黙っていたが、無言のままで、忍に念じた。

 行け、と。

 言わなくても、相手には通じるらしい。

 忍は、攻撃を受けている僕には見えなかったが、きっと。

 自分の腹に手を突っ込んだだろう。

 そして、二メートルほどもある大太刀を取り出しただろう。

 妖刀、『心渡』。

 別名、怪異殺しで有名。

 忍の虎の子のブレード、だ。

 全盛期ほどの威力はもうないにしても、少なくとも怪異を切り倒す武器には相応しい。

 最後の手段だ。

 これに賭けるしか手は無い!

 

「――と」

 そんな声がして、気が付けば、攻撃は止んでいた。

 やったか。

 相手はぐらりと傾いて。

 見れば、彼の左手首がなくなっていた。

 忍の攻撃は当たったようだが、外れたと言ってもよかった。

 忍が狙ったのは勿論心臓(この怪異にあるかは置いておいて)だろうから。

 馬は辛うじて避けたのだ。顔を歪めて、自分の手首を見て笑う。

 落ちた左手首は蒸発してしまった。

 だが、相手は吸血鬼ではないから再生はしない。

 相手は人間でもないから血も出なかった。

 ただ、斬られた分、力が減るだけ。

 だから、馬が繰り出してきた右手と左足からの攻撃のどちらも、辛うじてだが僕は避けることができた。

 

「ちっ!」

 聞こえよがしな舌打ちが聞こえる。

 忍は刀を構えた。

 和服ということもあって、今回は随分と刀が様になっている。 

 馬は僕の攻撃を難なくかわし、忍のブレードをかわそうとジャンプし、空中でバク転を披露した。

 今回は刃が髪の毛を掠る程度。

 それでも、いける。

 明らかに相手の動きは鈍っている。

 ところが。

 これからのことはまたあまりにも一瞬の出来事で、何が起こったのか気付くのに数秒を要した。

 まず、僕の拳が(もう手刀にするとかそんなことを考えてる暇もなく)馬の腹に命中し、続けて僕は蹴りを繰り出そうとし。

 忍は背後で大太刀を、軽いとは思えないそれを軽々と、優雅に踊るように相手に向けて。

 それが、馬の首を切断するはずだった。

 だが、馬は僕の足を残った右手で止め、そのまま僕は仰向けに地面に叩きつけられて踏みつられた。

 一方で忍のブレードを振り返って咥え(!)、どうやったのか忍の手からそれを奪い取り、先程僕の攻撃を止めた右手でそれを持つ。

 忍はといえば、察するに左腕で彼女の首根っこを絞め身動きができないようにしたのだろう。

 彼女の小さな息を詰まらせる音が聞こえた。

 

「しの、ぶ――」

「面倒だ。このまま忍ちゃんには死んでもらうよ」

「……!」

 そんなことは不可能だ、とは言えなかった。

 今、相手の手には心渡――怪異殺しがある。

 っていうか、今さっきの動きの鈍さは、嘘だったのか。

 緊張させて勝ち、

 且つ油断させて、勝つ。

 

「怪異の王……旧ハートアンダーブレードは、自分の武器によって、そして僕の手によって消えていくんだね」

 のんびりと、他人事のようにそう言って。

 ちゃき、と刀を忍の首に近づけ、滑らせる。

 首を絞められているからか、彼女は何も言わない。

 

「まあ、あくまでこの子はお邪魔虫だから……今すぐ阿良々木くんが降参すれば、忍ちゃんを殺すのは諦めてもいいよ?」

「僕が代わりに死ねば、ということか」

 願いを叶える、だよ。とそこは断じてそう言う馬だった。

 これは思いつきだけど、と馬は思い出したように話し出した。

 

「どうだろう、きみが忍ちゃんを諦めれば、僕もきみを諦めると言ったとしても、きみはそんなことには乗らないだろう?」

「もちろんだ」

「じゃあ阿良々木くん、きみは命を引き換えにしてでもまた彼女を助けるのかい?」

「もちろん、そうだ」

 もちろん、そうだろう。

 そうしないわけがない。

 すぐにでも降参しよう。

 忍が今日死ぬのなら、僕の命も今日まででいい――彼女を助けられるのなら、僕は喜んで何度でも死ぬ。

 

「そうだね。それが阿良々木くんだよね。うん、その言葉が聞きたかったよ」

 その声は、どこか遠くから聞こえた。

 それもそのはず。

 

「はっはー」

 いつの間にか、扉は開いていた。

 内側からは決して開かないその扉が。

 扉の向こうに、一人のチャラいおっさんが。

 苦笑いでこちらを見ていたのだった。

 

「随分とはしゃいでるねえ。こんな所でこんな時間に怪異もどきと怪異がこぞってバトルかよ。本当にみんな元気いいなあ――」

 先程までさんざん聞いていたのに、何故かとても懐かしい台詞だった。

 そう言ったのは誰であろう。

 本物の忍野メメだった。 

 

「――何かいいことでもあったのかい?」

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