俗物語   作:楓麟

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其の拾漆

017

 

 誰も身動き一つしない。

 僕は今どんな状況かも忘れて、扉の向こうからこちらへ歩いてくる忍野を見ていた。

 何でこいつ、ここにいるんだよ。

 またここで偽者の忍野だったり怪異だったりしたら笑えないけど。

 そんなことはない、こいつは本物。

 

 何故なら。

 馬の持っていた忍の大太刀を、どうやってか奪い取り、馬を教室の向こう端に吹っ飛ばしたのだ。

 立ち上がる僕。

 忍野は忍に心渡を返していた。

 

「やれやれ、」

 首を振る忍野。

 

「どうしてこうも阿良々木くんは、色んな怪異に関わっちゃうんだろうね。蛸足配線もいいとこだ。本当、きみは――」

「……おい」

 僕は相手を制した。

 

「お前……何でここにいるんだよ」

「ん?」

「今頃違う町で怪異のこと調べてるんだとばかり――」

「今はそんな場合じゃないだろう? 全く、空気を読めないのかな阿良々木くんてば」

 いや……空気読まずにべらべら喋ってたお前に言われたくねえよ。

「夢喰い馬。もう十分だろう。夜遊びもそこそこにしないとね。いい運動にはなっただろうから、別に損ではないんじゃない?」

「……願いは」

 とっくに立ち上がってはいたものの、馬は動かなかった。

 

「願いはまだ、叶えていない」

「まだそんなこと言ってるのかい? 

 分かってる癖にさあ。阿良々木くんは、君に願ったわけではないにしても、一応思ってはいたさ。僕に会いたい――ってね。他にもそう思ってる子がいたみたいだし」

 モテ期なのかね、と頭を掻く。

 そんなことは絶対無いが。

 

「でもさ、『忍野メメはここにいる』。つまりは、『願いは叶った』ことに、ならないかい?」

「…………」

 もしかしたら、忍野はだからここにいるのだろうか。

 僕が怪異に絡んだことを知って、残った対策としてここに来た。

 いや、まさか。

 

「……黙れ」

 もう馬に、忍野らしさなど微塵も残っていない。

 こうして見比べると分かるのだが、僕達のイメージした忍野は随分と濃かったようで、馬のアロハは本物よりも政治的主張の効いたド派手なものだったし、本物より小汚かった。いささか本物の方が顔立ちもいいし。

 ……。

 なんだか本物に申し訳ないな……。

「僕は願う者を見つけ、叶えようとしたまでだ。それで参上したらお帰り下さいってか? ふざけるなよ」

 忍野の姿が歪み、黒く染まってゆく。

 千変万化。

 そしてそれは、馬のような、バクのような、いやこの世の生き物のどれとも言えない姿に変わったのだった。

 鬣を持つ、左前足のない、黒い生き物。

 夢喰い馬。

 

「ほらね」

 一方で本物の忍野は笑う。

 

「もうきみがここにいる必要はなくなっちゃったってわけだ――そうして体ももとに戻っちゃったわけだし」

 だがここで、諦めないのがプロとは違う。

 唸り、嘶きながら怪異はこちらへ襲い掛かってきた。

 僕目掛けて。

 

「う、うわっ――!」

 僕は忍野に肘で突き飛ばされていた。

 そんな僕をよそに、馬の正面に立った忍野は、今までに見たこともない鋭い目つきで、右手を挙げた。

 何があったのだろう、皆目見当はつかないが、忍野の手に馬の鼻面が触れるや否や、電撃が走ったかのように馬は地面に倒れ、震えているのだった。

 その時に一瞬だけ感じたあの重い気は、果たして忍野のものだろうか……。

 

「諦めが悪い奴だね」

 呟く忍野。

 一瞬で怪異を吹っ飛ばしたり、片手で怪異を止めたり……本当に人間離れしてるよ、お前は……。

 そして本物だ。

 いくら馬が忍野に化けていても、その中身はあくまで怪異なのだ。

 思い返せば、攻撃が外れたときに舌打ちをしたり、諦めずにぐずぐずしているなんて、どんなに忍野ぶってても本物はそんなことは決してしない。

 なりきれていなかった。

 これがプロとアマの違い。

 本物と偽者の違い。

 反俗と俗の違い。

 

「忍ちゃん、僕はこういうのとても嫌いなんだけど、サクっとやっちゃってよ」

 ぽつり、と真面目な顔つきで言う。

「やる……とは?」

「おいおいとぼけるなよ、この怪異を強制返還させるんだよ。もといたところに還ってもらう。怪異を斬ったところで、それ自体が死ぬわけじゃない――ただ、もといた場所に還るだけなんだ……力は、失うだろうけれど」

「そう……なのか?」

 僕もそれは知らなかった。

 

「そうだよ。だからもし忍ちゃんを斬ったところで、忍ちゃんはこの場からいなくなっちゃうけど、それは忍ちゃんという存在が消えただけで、怪異の存在は消えないだろう? 忍ちゃんイコール吸血

鬼でも、吸血鬼イコール忍ちゃんってわけじゃないんだからさ」

「しかし忍野――」

 言いかけて、やめた。

 怪異に同情してどうする。

 もう馬は、斬られて同然のことをしたのだから。

 むしろ今回は僕達が同情されるべきなのだ。

 そして既に忍は馬に近づいて、その首元に刃を当てているところだった。

 

「馬鹿にしたことで、儂は怒り狂っておる――本当は甚振り弄り殺してやりたいところじゃが、勘弁してやる」

 うぬもよくやったよ、と忍は付け加えた。

 相手は痙攣するだけだった。

 忍野の攻撃が、まだ効いているのだろう。

 

「……覚悟」

 振り下ろした刀は、夢喰い馬の胴を斬る。

 怪異は悲痛な叫びをあげながら、数秒その場を転げまわっていた。

 悶絶躄地。

 そして、刀を抜いたとき、もう馬の姿はなかった。

 ぱん、ぱん。と。

 忍野が軽く手を叩いていた。

 

「いやー、お疲れ様〜。随分と大変だったみたいだね、元気してた?」

 いつものへらへらした調子に戻っていた。

 

「おい……」

「僕もね、正直言って観客として最後まで眺めておきたいバトルだったよ。まあ、今回のことはみんな身に染みたろうし、怪異の豆知識は忍ちゃんが全部してくれたみたいだし、僕はこれでお役御免――」

「おい忍野」

 くるりと背を向け歩き出した男に、僕は声を掛ける。

 忍野は珍しく、ぴたりと足を止めた。

 

「何?」

「答えを聞いてないぞ。どうしてここにいるんだよ」

「さあ」

「さあって……」

「ちっと、忘れ物をしちゃったのかな」

「はあ?」

 お前がここに何を忘れるって言うんだよ。

 アロハのスペアとかか?

 

「まあ、ここで過ごした数ヶ月、というかさ……」

 ニヒルな感じに笑って、はぐらかすように肩をすくめて振り返る。

 

「阿良々木くんはまたも自分で勝手に助かっちゃったわけだよ、と言いたいところだけど――実は今回の一件は僕にもちょいと絡ん

でたんだよね……」

「え?」

 まあ、ここじゃ話しにくいから、と外へ誘う忍野。

 うーん。

 別にそこまでってことじゃないけれど、今僕は全裸に近い状態だからな…あまり明るい所で話はしたくないんだよな。

 あとで物質創造スキルで服を作ってもらうしかない。

 四階の一番左の教室。 

 忍は切腹の如く刀をしまい、僕は適当な服を作ってもらってから(最初、和服が現れたときは冗談だと思った)だったので、随分と時間を食ってしまった。

 忍野は椅子を三脚引っ張り出してきて、三つ並べてそこに仰向けに寝そべった。

 っておい。

 僕達の分じゃないのかよ。

 仕方ない……続いて僕は椅子を二脚引っ張りだして、忍と座った。

 

「いやあ、我が家に帰ってきたような感じがするよね」

 とまあ、悲しい台詞を吐いてから。

 忍野は、本題に入ったのだった。

 

「実はとある町で僕はあの夢喰い馬に遭ったんだ。どこぞの神社でさ。落ちぶれたものだったよ。神社が廃れるとそこの神はどっか別の所に移動するのがつきものなんだが、あれはどっかと居座ってたんだよね……性悪怪異と言ったとこか」

 煙草を咥える。

 火は付けない。

 

「それでも、僕は始めて見る怪異だったから、一応記録をしたんだけど、それでこの話はお終い、のはずだったんだけど……あの怪異は僕に関わってきた」

 自分からね、と忍野は言う。

「阿良々木くんみたいにおせっかいな怪異もいるんだな、無理やり願いを叶えようとしやがった。力が欲しかったんだろうね。でも僕はもちろん、御祓いをしたさ。ちゃんと対応して、きちんと還した。ところがどっこい、あの馬、今度はきみ達に関わったんだね。僕がきちんとした対応をしてりゃ、こんなことにはならなかっただろう」

「そ、それじゃあ……」

 忍野が原因、なのか。

 実際、彼が馬に捉われていた。

 今回僕達が怪異に関わったのは、忍野の所為でもあるのか。

 じゃあ、僕もあながち勘違いをしていたという訳ではないんだな。

 

「全部自分達が悪い、というわけじゃないんだな」

「そゆこと。まあ、反省し過ぎていけないってことはないぜ。さっき、ツンデレちゃんに会ったけど、ずいぶんと後悔してるみたいだったね」

「戦場ヶ原に……会ったのか」

 さっきね、と忍野。

 

「でもそのちょっと前には百合っ子ちゃんにも会ったし、もっと前には委員長ちゃんにも会ったよ。まあ、この二人とは特に話もしなかったけどね――」

 じゃあ。

 羽川はもしかしたら、忍野に会っていたからこそ、今日あんなことが僕に言えたのかもしれない。

 それに、八九寺が忍野を見たと言っていたが、あれも本物だったのかもしれない。

 だとすれば――。

 なんだ。

 みんなの願いが、叶っているじゃないか――。

 

「まあ今回反省すべきは、僕なんだけどね」

 言葉を濁す彼だったが、仰向けで言われても全く反省しているようには見えない。

「ある意味では、僕も期せずして願いが叶っちゃったことになるし――」

 意味ありげな言葉を呟きながら、僕と忍をちらりと見る。

 

「忍ちゃん。どうやら和解したようだね。二人でタッグ組んでバトってるのを見るに、二人ともいい感じじゃない。ちょっと危なっかしいけど」

 忍は、ふんと息を吐いた。

 

「心配には及ばんわ。うぬなんぞいなくとも、儂らが勝利を収めるはずじゃった」

 ……いや、なんか負け惜しみにも聞こえる。

 今回は本当に危なかったぞ。

 

「今回はアレじゃ……弘法も木から落ちる、というアレじゃよ」

「弘法も筆の誤りっつってんだろ!」

 何なんだよ。

 照れ隠しか何だか知らないけどよ。

 だいたい何で弘法が木に登ってんだよ。

 猿に筆をとられたか。

 

「はっはー、それは僕のことでもあるね。今回は、僕のミスだ。一歩怪異の方に踏み込みすぎちまった。その責任はこうして取ったけど――遅すぎたんだろうね」

「何がだよ」

「きみ達に対して、僕は何も言わずにふらりと出かけちゃったから、みんな変に心残りがあったわけだろう? だから馬に関わる以前に、これは僕の所為なんだよ」

 全部ね、と言う。

 いや、それでもそれは。

 お前自身の否定にはならないか。

 

「お前はもうここには帰ってこないと思ってたよ」

「嫌だなあ。僕は僕だよ、阿良々木くん。君の思ったとおり、みんなの思ったとおりに行動するはずないじゃない。意思に反する言動をしてこそ、僕は僕だと言えないかい?」

「……」

 なるほど。

 それはよく分かる。

 馬は忍野そっくりではあったけれど、やっぱりイメージでできたものだったから、予想を外すようなことはしなかった。

 だが本物は。

 見事に裏切ってくれた。

 ここに帰ってきて、はたまた怪異に対してミスを犯したとまで言う。

 反俗精神の塊、と言うとまた意味は違ってくるけど。

 

「そんな格好いいものじゃないよ、阿良々木くん――僕はただの俗人で、俗物だ。風流を解さない、つまらない男だよ」

 忍野は立ち上がっていた。

 すたすたと足早に教室の扉へ向かう。

 

「……もう行くのか」

「うん、もう区切りはつけただろう? 僕は結構多忙でね。これから某スタジオに収録に行かなきゃなんだよ」

「千石のあれは一過性のネタじゃなかったのか!?」

 じゃあ怪異が関係なくてもこいつはここに寄る気でいたんだろうな……。

 

「あ、思い出した。阿良々木くんには、妹がいるんだったね」

「ん?」

 何だ、知ってたのか。

 

「あの二人に振り回されないように気をつけてね。きみが怪異に関わっちゃったんだから、少なくとも妹たちにも飛び火する可能性も考えて。個人的には下の妹をしっかり見張っててもらいたいよ」

 そのアドバイスは有難いものだったが、もう少し早くに欲しかった。

 火憐はもうすでに、それも文字通り飛び火してしまった。

 まあ、月火はまだ無害、なのだが。

 

「おっと。こう忠告しても、意味無いんだっけ――阿良々木くん、明日になったらもう今日のことは忘れてるだろうから」

「……?」

 僕の記憶はそんなに悪くないぞ。

 頭に手を突っ込まなくても思い出せるものはある。

 

「いやさ、これは夢喰い馬独特なんだけど、あの怪異に関わって願いが叶った者は、それまでの出来事は忘れちゃうんだよね――つまり、今回の場合だと、阿良々木くんは明日になったら、今日関わった怪異のことも、もしかしたら僕のことも忘れる。そして忘れていることも忘れる。ゴールデンウィークの猫の時と、ちょっとばかし似ているが」

 別に夢オチってわけじゃないぜ、と忍野は続ける。

 

「馬は人間のストレスを喰うものだ、と言えば分かりやすいんじゃない? ちょっとした悩みを寝ている間に食べて消してしまう。ストレスの源がなくなれば、何に悩んでたかも忘れるじゃない」

「そんなものか?」

「そんなもんだよ。まあ、きみだけじゃなく、他にも忘れちゃう子はいるだろうね……それに、僕も」

 何だろう、忍野の背が妙に寂しげに見えるのは、僕の錯覚なのだろうか。

 じゃ、いい夢みなよ、と皮肉なのかそう言って。

 あとは何も言わず、忍野は行ってしまった。

 僕に立ち上がる暇も与えなかった。

 実にあっさりとしたものだった。

 だがそれが、彼だろう。

 あっさりしたと言えば、僕も実にあっさりとしたものだけれど。

 僕も、区切りはつけたのだ。

 

「……お前様」

「何だ、忍」

 見れば、彼女は僕を睨むようにじっと見ていた。

 じっと。

 

「……何だよ」

「お前様、儂は疲れた。もうくたくたじゃ」

 いや、吸血鬼は疲れない体だろう。

 

「体ではない。精神がもうズタズタなのじゃ」

「ああ……」

 お前、今回あまりにも押されてたもんなあ。

 案外、ストレスが溜まったのかもしれない。

 さっきの忍野の例と間逆で面白いが。

 

「じゃから」

 椅子から身を乗り出す忍。

 

「今夜は、一段階上の儀式を求める」

「…………」

 えっと。

 それは何でしたっけ。

 

「し、忍、それって確か、頭を撫でるじゃなくて、えっと」

「胸を撫でる、じゃ」

「……………………」

 忍がじりじりとこっちに近づいてくる。

 何なんだこの状況――!

 何だか着物が妙に色っぽいなあとは思っていたけれども!

 ずっと伏せてきたけど!

 本当に今日の忍は色っぽい!

 

「さあ」

 吸血鬼特有の誘惑ボイスで。

 簪がしゃらんと揺れて。

 忍の顔が近づいてきて。

 

「さあ。さあ。さあ。さあさあさあさあさあさあ」

 耳元で囁かれる。

 だ、駄目だ――!

 大人ヴァージョンではないにせよ、今の忍は同い年くらいの見た目なのだ。

 もう目線は一点に釘付けである。

 これは儀式だから、浮気とかそんなのとはノーカンなんだよな?

 吸血の行為だって抱き合う形じゃないといけないんだから儀式が駄目なら吸血も駄目ってことに――

 いや!

 いくら何でもこの儀式はまずい!

 戦場ヶ原じゃなくても殺されるって!

 

「……ふんっ」

 立ち上がりそっぽを向く忍。

 そしてしばらくして笑い出した。

 落ち着いた、綺麗な笑い声だった。

 

「真に我が主様はヘタレでチキンじゃのう」

「……っせえよ」

 こっちは色んな意味で死ぬかと思ったわ。

 まさかお前から仕掛けてくるとは思わなかったもん。

 

「だからこそ、儂はお前様と共におるのじゃがな」

 そうして帰宅するまでの数時間。

 僕の今までのこの思い出を、僕の頭が憶えていたのは、その数時間までだった。




今回忍野は阿良々木たちに「手を貸した」のではなく堂々と「助けた」ということになりますね。でもそう言わないってところがまた忍野かなーと思いながら。
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