俗物語   作:楓麟

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其の拾捌

018

 

 後日談。というか今回のオチ。

 翌日、いつものように二人の妹、火憐と月火に叩き起こされ、妙にすっきりとした頭で目覚めた僕は、とりあえず顔を洗おうと部屋を出かけたところで、携帯のメールの受信音が鳴った。

 開いてみれば、羽川翼からだった。

 要約すると、「今日は私の家庭教師はお休みにします、代わりに戦場ヶ原さんの家に行きなさい、絶対命令です」といったものだった。三回読み返して、読み間違いでないことに驚く。

 メタな発言になるが、この時点でもう僕は昨日の怪異に関する出来事を一切忘れているので、ここで羽川が家庭教師を休みにした理由は戦場ヶ原の家に行けば分かると僕は思っていた。いや、これは彼女の気遣いだったのに、気付かなかった僕は今本当に申し訳ないと思う。

 まあ、羽川には命令されなくても絶対に従うと決めている僕だから、朝食を済ませ、それでも簡単な朝のドリルを済ませた後、僕はママチャリを従えて戦場ヶ原家へ向かったのだった。

 

「……うおっと」

 ここでびっくり、玉手箱。

 曲がり角を曲がった途端、八九寺真宵が目に入ったのだ。

 今回もまた、僕に背中を向けて歩いている。

 

「…………」

 うーん。

 戦場ヶ原は確か、今日は忙しいって言ってたしな……。ちょっとくらい寄り道してもいいか。

 自転車をそっと止める僕。

 これはきっと、天が最後に僕に与えたチャンスなんだろう。

 遅すぎだぜ、神。

 余計な前振りは省略で。

 これで誰も文句は言わないだろう!

 よし!

 思い切り抱きつくぜ!

 

「はちく――」

 だがここで、とんでもない転機が訪れる。

 後ろから、遠慮がちに僕に声が掛かったのだ。

 

「こ、暦お兄ちゃん……?」

 千石撫子の登場だった。

 僕はぴたりと足を止める。

 あと一メートルで、あと一メートルだったのに、またも僕はチャンスを逃してしまった!

 これはきっと、天からの天罰だろう。

 酷すぎるぜ、神。

 今回は僕は八九寺を抱けないことが、決まっているようだった。

 

「そ、その格好どうしたの?」

 僕は両手を広げた姿勢のままだった。

 

「えっと……光合成?」

「そっか。流石暦お兄ちゃん、地球のことをよく考えてるんだね」

「……お前は僕に突っ込みをくれないんだな……」

 精一杯のギャグだったのに。

 こんなのなかなか見れないぜ?

 あーあ。

 羽川の前でも示せなかった喜びを、最後の最後に八九寺の前でも示せなかった。

 このショックは大きいぞ……。

 

「そうだよね、二酸化炭素を吸って酸素を出すような構造になれば、地球温暖化も防げるよ」

「僕の体を構成する物質の中には、葉緑体は入ってないぞ!」

 緑色になっちゃうよ。

 

「あの……野良々木さん」

「八九寺。僕を農民が野良仕事をする際に着る着物のような名前で呼ぶな。僕の名前は阿良々木だ」

 僕の突っ込みを耳にしたのだろう。

 八九寺真宵、正式に再登場だった。

 おや、八九寺は人見知りじゃなかったっけ――と思う方もいるかも知れない。

 ご安心していただきたい。

 この小学生、僕の左足にダッコちゃんのようにしがみつきながら名前を噛みやがった。

 そして同じく人見知りの千石は。

 僕の右足に蛇のごとく巻きつくようにして八九寺を見ていた。

 おいちょっと待て。

 傍から見たらこんな怪しい画はないぞ――!

 大体僕の体を壁にしても、隠れきれるわけがない。

 そこら辺いい加減気付いて欲しいものである。

 

「だっ、だだだだだ誰ですかっ!?」

 右側から千石。

 

「そちらこそ、名前を名乗ってもいいでしょう!」

 左側から八九寺。

 何だか面白いのでこのまま眺めていたかったが、こんな真夏日にしがみつかれては暑苦しいったらないので、とりあえず二人を引き剥がしてからお互いを紹介した。千石は、

 

「な、なんだ……子供かと思った」

 と呟いた。

 ? いや、子供だけど。

 よく分からないが、千石の頭の中で、とてつもない勘違いがされていたようだった。

 一方で八九寺は、千石の名前を聞くなり、

 

「ははあ、このお方が」

 と興味深そうな顔をしていた。

 この時点で、八九寺もまた、昨日の忍野に関する一連の記憶は抹消されている。

 ちなみに、話が逸れるが、僕が怪異に関わったこの出来事をどうやって思い出したかというと、この日のメール主、羽川翼から話を聞いたのだ。

 夢見てしまったことで自ら悔やみ、馬の犠牲にぎりぎりのところでなりかかった彼女は、僕達が忘れてもなお、怪異のことを憶えていたのだ。強いて言うなら、忍もである。この二人から話を聞かされたときは、心底驚いたものだ。

 

「暦お兄ちゃん、どうしたの? びっくりしてるみたいだよ」

 千石から指摘。

 いや、二人同時にばったり出くわすとは思わなかったし。

 

「狐に包まれたような顔してるよ」

「狐には包まれたくないな」

 狐につままれた、だ。

 と今度は僕から指摘をしてやると、千石の奴、顔を真っ赤にして、

 

「あ、ま、間違えちゃった、あ、わあっ」

 とパニくっていた。

 そんなに恥ずかしがることでもないと思うが……。

 まあ最初はギャグで言ってるのかと思ったけど。

 

「落ち着いてください千石さん。こういうときは、わたしの奥義を使うのです」

「お、おうぎ?」

 多分、千石の頭の中には仰ぐ扇が出ているのだろうなあと思いつつ。

 

「何ですか。私の奥義をご存じないのですね。それではお手本をお見せしましょう」 

 こほん、と咳払いを一つ。

 

「あの、きさら木さん」

「僕を二月の別称で呼ぶな。今はまだ冬じゃねえよ。僕の名前は阿良々木だ」

「失礼、噛みました」

「違う、わざとだ……」

「噛みまみた」

「わざとじゃないっ!?」

「鍵開いた」

「鍵マニアの続きが!?」

 おっといけない。

 見れば千石は、しゃがみ込んでいた。

 大ダメージのようだった。

 笑壷に嵌まりすぎている。

 

「えーっと……千石?」

「あ、相変わらず……お、面白い……」

 喜んでいただけて何よりです。

 一方で得意げな八九寺は、

 

「まあ、こんな感じで噛んだ時は誤魔化せばよいのですよ」

 と、言うのだった。

 いくらなんでもこれはハードル高すぎだと思うが。

 そして、やがて立ち上がった千石の目は、涙で潤んでいた。

 そこまでウケてたのか……。

 やりがいを感じなくもないけど。

 

「撫子も、やってみる……」

 あれ、何かやる気に満ちた声で宣言してるぞ。

 かよわい中学生に、いらない機能を搭載してしまったようだ。

 スキル・八九寺語。

 

「えっと、日読みお兄ちゃん」

「意味的には僕の名前と同じだがしかし千石、僕の名前は阿良々木暦だ」

 うわ!

 超惜しい!

 そして初心者にしては上手いぞ!?

 ほっ、とため息をつく千石。

 やはり相当なプレッシャーはあったようだ。

 

「ご、ごめんなさい、噛みました」

「違う、わざとだ……」

「ご、ごめんなさい」

「…………」 

 謝られてしまった……。

 申し訳なくなるな。

 八九寺先生は少々お怒りの様子で、

 

「違いますっ! そうじゃありませんっ! 謝るなら謝るで、噛むならちゃんと噛んで下さいっ!」

 と、千石に言うのだった。

 またこいつは何で怒ってるのか分からないぞ。

 すると千石、何かを学んだのか、恐る恐る僕を見上げた。

 

「ご、ごめんね☆」

「ごめんね☆ じゃねえよ! 可愛いけど何の誤魔化しにもなってねえんだよ!」

 全く。

 話が進まない。

 

「ところで千石、今日はどうした? 朝から散歩か?」

「う、ううん、違うよ」

 ふるふると頭を振る。

 彼女はいつもと違って、手提げの袋を持っていた。

 

「ほら、DS持ってきたよ」

「……」

 すっかり忘れていた。

 恐る恐る、といった風に差し出された袋の中身は、DSのパッケージと、そのソフト。

 

「お、ソフトまで貸してくれんのか」

「うん。た、大切に使ってね?」

 年季の入ってるものを想像していたのだが、扱いがいいのだろうか、パッケージもソフトも、新品同様といった感じで、傷一つ無かった。

 僕も恐る恐る、バッグにしまう。

 

「悪いな……なんか僕にできることがあったら、何でも言えよな」

「う、うん。それで、撫子頼みがあるんだけど……」

 何だこの手際のよさ……。

 前もって僕の言うことを把握していたかのような。

 

「何だ? 頼みって」

「う、うん……あとで、撫子のうちに来てくれる? そうしたら、言うから」

 あ、そっか。

 八九寺がいるから、言いたくても言えないんだな。

 まあ今日はうまくいけば午後は空いているだろうし、お邪魔するとしよう。

 

「ほほう……DSとは、千石さんはゲームにお詳しいようですね」

 嫌な感じに笑う八九寺。

 いや、実際そうだけど、それでもDS持ってるだけでゲームに詳しいとか、分からないだろ……。

 

「わたしはアルカノイドが好きですが」

「時代が違いすぎる!」

 何十年前のゲームだよ!

 というかそれはアーケードゲームだし、お前その年でプレイできんのか?

 

「うん、ブロック崩しのやつだよね、知ってる……」

 千石は千石で知ってるんだ……。

 しかも目キラキラさせて言うなよ。

 どこの世代に呼びかけてるんだ、全く。

 そのまましばらく二人は話に花を咲かせ(アルカノイドで盛り上がる小学生と中学生)、ふいに思い出したように八九寺が僕に言う。

 

「そういえばすめら木さん」

「僕を地方豪族の首長のように呼ぶな。僕の名前は阿良々木だ」

「失礼、噛みました」

「違う、わざとだ」

「噛みまみた」

「はい、ストップ」

 これ以上やると千石が笑い死にする。

 今の時点でまたお腹を抱えてぷるぷる震えているのだから。

 

「今日は阿良々木さんはいかがなさったのですか」

「ん」

「わたしをハグれなくって、凹んでいる様に見えます」

「ハグるって!」

 動詞として活用しちゃった!

 なんだか道にはぐれるって感じもあって、八九寺っぽい言葉でナイス。

 そういえば八九寺の奴、本作で一番登場してるとか言っていたが、実際違うよな。

 年上に譲ったのだろうか。

 言わせてもらえば、忘れてるかもしれないけど、一番多いのは僕だからな!

 

「はぐる?」

 不思議そうな顔の千石。

 

「千石さんは知らない方が身のためです。それに、話したところで理解していただけるとは思えませんし、信じていただけないと思います。まあ、馬の耳にも真珠とは言ったものです」

「馬の耳に念仏だろ!?」

 馬の耳から真珠がとれるのか!?

 馬というワードになぜか少し引っかかりながら突っ込む。

 いや、でもハグの件は知られると色々まずいよな。

 僕と八九寺の間では当たり前のことでも、他人からすりゃドン引きものだろう。

 

「いえ阿良々木さん、当たり前だと思っているのは阿良々木さんただ一人だと思いますが……」

 それで、今日はどんなご予定で。と八九寺は話を戻した。

 

「ああ、羽川からのメールで、戦場ヶ原の所へ行くように……だってさ」

「そうなんですか」

 眉をぴくりと動かして、ちらりと千石を見る八九寺。

 何を察したのか小学生、うんうんと頷いて。

 

「分かりました。ここはわたしが何とかしましょう」

 と謎な台詞を呟き。

 八九寺は、きりりとした目で千石を見た。

 

「千石さん。お暇でしたらどうでしょう、今日は私と遊びませんか?」

「?」

 おお……。

 あの八九寺、人見知り属性の八九寺の台詞とは思えない。

 というか僕だって言われたいぞ、それ!

 

「阿良々木さんは午前中忙しいようですし、私、千石さんと色々お話がしたいです」

「……? べ、別にいいよ?」

 あ、そっか。

 このままいけば、僕は戦場ヶ原家に女子二人を連れて上がりこむところだったのか。

 ふしだらにも程があるな。

 流石八九寺、そこを察して僕を一人にしようとしているんだな。

 いやしかし、いくら僕でも戦場ヶ原家に到着する前には二人と別れるつもりだったぞ。

 ……それとも、それ以前に危ない問題があるのだろうか。

 

「これでわたしは世界を救いました……」

 という彼女の台詞は、いささか度が過ぎているとは思うし。

 そうして僕は、再度自転車に跨って、千石にはあとで必ず迎えに行くといってから、二人と別れたのだった。

 民倉荘。

 ノックをしても返事はない。

 戦場ヶ原家の扉は、例によって鍵がかかっていなかった。

 今日は平日だし、戦場ヶ原父はいないであろうということもあり、いくらか自信を持ってドアを開け、とりあえず「お邪魔します」と言って上がりこもうとした時。

 一瞬、家を間違えたのかと思った。

 その際驚いて「おじゃ……」と平安の貴っぽい口調になってしまったのは無視する方向で。

 ここは、確かに二〇一号室だよな? 

 

 六畳の部屋に、一人の女子高校生の姿はあった。

 だが、その女子がもし戦場ヶ原だとするならば、戦場ヶ原であると仮定して言うならば、彼女は、髪を切っていた。

 ショートカット。

 前髪ももう直線ではない、シャギーカットで。

 そして夏らしい私服。

 幾分かスカートの丈が短くなっているところに気付くのは男では長く付き合っている僕くらいだろう。

 振り返れば、できることならば、髪を切っていたという文に傍点を振って、太字斜体にして表記したいものだった。

 まあそれでも表現しきれないだろう。

 さらに振り返れば、昨日戦場ヶ原が調子が変だったのは、怪異による夢の所為だけではなかったのだと、今の僕は思うのだが。

 もう驚倒した。

 羽川が髪を切ったときも、こんなには驚かなかった。

 その女子は。

 いや僕の彼女は。

 僕に気付かないはずもなく、ゆっくり立ち上がって僕を見つめた。

 

「……阿良々木くん」

「…………」

 声が出ない。

 戦場ヶ原の声は、幾分か甘く、ゆったりとしていた。 

 

「失恋で髪を切る女子がいるのなら、恋のために髪を切る女子がいてもいいでしょう?」

 失恋で髪を切ったのはもちろん羽川のことだ。

 恋のために髪を切ったのは、もちろん戦場ヶ原。

 やばい。

 やべえよ。

 可愛すぎる。

 もう蕩れまくりだ。

 できれば蕩れのさらに上の漢字で表現したいのだが、生憎僕は漢字が苦手だ。

 薪なら思いついたが。

 草冠に「新」って……確かにこの髪型チェンジは新しいけどさ。

 それから戦場ヶ原は無言で立ち上がった。

 みし、と床が軋む音がして。

 気付けば僕は玄関の扉に張り付いていた。

 それを見て、彼女はがちゃん、と鍵をかける。

 僕の心臓はばくばくだったし、戦場ヶ原は藐藐(ばくばく)(美しいことを言うんだったか)だった。

 ていうか、混乱しているのが自分でも分かる。

 最後の最後に天罰が下るわけではないらしい。

 神に感謝だ。

 戦場ヶ原はゆっくりと、それこそ何も言わずに僕に顔を近づけてくる。

 ここからは、もう語る必要などないだろう。

 語るも野暮、聞くも野暮だ。

 ありきたりな終わり方で申し訳ないけれど、邪魔だけはしないでほしい。

 できれば、二人きりにしてもらいたい。

 

 手が、優しく僕の肩に置かれる。

 いい香りがして。

 僕は、目を閉じた。

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