002
「つまりね、これはこういうことなのよ」
僕は、耳を疑った。
朝、起きてみると九時。もし今日学校があったら大遅刻である。
そこで、おや、と僕は首を捻る――いつも僕を叩き起こしに来てくれる妹達がいない。夏休みだろうと何だろうと年中無休で起こしに来てくれる彼女達がいないというのは変だ……そしてその時、声が聞こえたのだ。
羽川翼の声だった。
急いで妹達の部屋へ行くと、そこには僕の妹火憐と月火、そして羽川の姿があった。
僕は目を疑った。
羽川翼が、あの羽川翼が、阿良々木家にいる――!
「あ、兄ちゃん」
「あ、お兄ちゃん」
「あ、阿良々木くん」
三人同時にこちらを向く。すげぇ画だ。
「兄ちゃん、遅いぞ。もうあたしらご飯とっくの昔に済ませたからな」
「お兄ちゃん、やっぱり私達が起こさないと駄目なんだね」
「阿良々木くん、いくら夏休みだからと言って寝坊はいけないよ。火憐ちゃんと月火ちゃんを見習わないと」
「…………」
うわー。朝から羽川さんに会うなんて。というか家にいるなんて。いっそのこと起こしに来てくれればよかったのに! もちろん羽川が!
……でも、妹を見習えって言われてしまった…。絶対見習いたくねぇよ。つうか誰が見習うか。
「……羽川、どうして妹の部屋に、つーか僕の家にいるんだ?」
そこ訊いとかないと。夢オチだったらショックだけど。いや、もうすでに夢のようなんだけど。
「え? 知らなかったの?」
そこでにぱ、と笑う羽川。
「今日は阿良々木くんの家で、火憐ちゃんと月火ちゃんとお勉強」
羽川翼。
委員長の中の委員長。
究極の優等生。
同級生、クラスメイトで、もちろん委員長を務めている。そして僕は副委員長だ(と、胸を張って言えるほどの仕事を、僕はしていないのだが)。
彼女とは春休みに知り合ってから現在進行形で世話になりっぱなしだ。
そんな新生羽川さんが、朝っぱらから僕の家にいるのだから、びっくりどころの話ではない。
そりゃもう、空から天使が舞い降りたに等しい。
「おいおい、火憐ちゃん月火ちゃん――」
あ。うっかり言っちゃった。羽川の前で嘘はつけないらしい。
「お前達は毎日毎日、僕を起こしに来てくれたじゃないか。どうしてよりによって今日、起こしてくれなかったんだよ」
「いや、兄ちゃんもそろそろ自立する頃だと思ってさー」
答える火憐。腕を後ろに回してすましていやがる。
「それよりお兄ちゃん、朝ご飯食べたら? 今日だってお勉強休みなわけじゃないんでしょ?」
「…………」
こういう時にうまく逃げようとすうのが月火だ。畜生、羽川の前だといつものように怒れない……!
そこまで羽川の前ではいい子でいたいのか、僕!
それにしても、ショックだ。もっと早起きしていたら……心の中で嘆く。
「ああ、なんてことだ……羽川に、『早く起きないと遅刻しちゃうぞ』って起こしてもらえたかもしれないのに」
「誰よ、それ……。あと、そういうのは声に出して言わない。ていうかそもそも思ってほしくもない」
朝から厳しい言葉を頂戴した。
ていうか本当に勉強してたんだ……。
机の上を見ると、中学生の教材が見える。そういえば、羽川の奴、僕には「家庭教師」って言うのに妹達には「お勉強」って言ってたな……。
「いやー、翼先生は本当にすごいぜ、兄ちゃん。もうどんな問題でもなんっでも簡単に解いちゃうんだ。どんなもんだい、ってな感じだな」
そんなくだらない駄洒落はどうにかならないのか。それでも僕の妹かよ。
「おかげで夏休みの宿題もはかどるよ」
続いて月火が言う。
羽川を利用するな。そんな中学生の問題なんて、羽川にかかれば数秒で解いてしまうんだ。というか脳味噌の無駄使いだ。
もしかしたら問題を読んだ瞬間にもう答を出しているのかもしれない。
「ううん、阿良々木くん。火憐ちゃんも月火ちゃんも、自分達の力でちゃんと解いてるんだよ。私は分からないところのヒントを出してるだけ。二人とも、とっても賢いから私が教えることなんてないくらいだよ」
「翼先生……」「羽川先生……」
まったく、こいつらの信頼関係はかなりのものになっているようだ。
相手が羽川だしな。
火憐も月火も、こないだの事件以来すっかりなついちゃってるし……火憐はまあともかくとして、月火は羽川の影に隠れて、ただのいい子にしか見えない。
ずるいなぁ。
あいつはそんな単純な奴じゃないんだけどなぁ。中身が外見を裏切るってのは恐ろしい。
「じゃあ、僕は用無しなんだな。じゃあお前達の相手は後でだ。僕はご飯食べたら、勉強しに行くよ」
「うん、今日の当番は戦場ヶ原さんだからね。早めに行った方が戦場ヶ原さん喜ぶと思うよ」
……そうか?
「……ときに、阿良々木くん」
部屋を出ようとした僕を、羽川が止めた。
「私は一日中ここにお邪魔するけど、」
「一日中って。……夜もっ!?」
「……いま何を考えたのかな?」
しまった。口が滑っちゃった。
ジト目の羽川さん。
「もちろん、夕方には帰るから、阿良々木くんもそれまでには帰っ
てきてね」
「なんだ、そうなのか……」
「兄ちゃんが化けの皮を剥いだぞ! 翼さん、これが兄ちゃんの正体だぞ!」
黙れでっかいの。と、言いたくても言えないっ……。
く……。帰ったら覚えてろよ。調子乗りやがって。
「阿良々木くんは、そんな人じゃないよ。阿良々木くんは、強いて言うなら、もっと……」
言葉を濁す羽川。
何も言わない。
意味ありげな顔をするだけ。
何も身に覚えはアリマセン。
やっぱり、彼女は変わったなあ。
特徴的だった眼鏡も三つ編みもやめ、今はコンタクトでショート。まあその原因は僕にあるといっても過言ではない。
「まあとにかく、帰ってきたら話があるから。それまで勉強頑張ってね」
話?
何だ、すげぇ気になるな。
勉強もはかどりそうだ。
「お留守番は任せてよ。私達三人がいれば、どんな敵も尻尾をまいて逃げ出すよ」
と、月火。お前らどんだけ敵がいるんだよ。続いて火憐が、
「フェザー&ファイヤーシスターズがいる限り、阿良々木家は安泰なのさ!」
どんと胸を叩く。
だからその通り名やめろって。何もうまいこと言えてねえんだよ。
呆れて物も言えねえ。
「やれやれ、じゃあお前らもしっかり勉強するんだぞ、羽川に面倒かけんな、そんなことしたら僕が許さないからな」
偉そうだなあ、と口を尖らせる二人。
構うもんか。
「ああ、あと、阿良々木くん」
今度こそ部屋を出ようとした僕を、再び止める羽川。
羽川はにっこりと笑って。
僕に指摘する。
「阿良々木くんは、いつも寝起きはそんな髪型なのかな?」