004
春休みのある出来事の結果……いや名残で、僕の神経代謝は著しく上昇している。
例えば、怪我の回復が早い。
視力にいたっても同じ。
今の僕は、とても目がいい。
実感はないんだけれど。
その目がふいに誰かの姿を捉えた。
だから、僕はペダルを漕いでいた足を止めた。
数十メートル先を、大きなリュックサックを背負った少女が歩いていた。
歩くたびにぴょこぴょこと揺れるツインテイル。
誰だ、あの子。
いや、本当に見覚えないんだけど。
この町の子じゃあ、ないよなあ?
だって僕は町内の女の子の顔なんて全て把握済み……いや、みんな仲良しなんだけど、このリュックでツインテイルの少女は一体誰だ?
うーん、見たところ困っているように見えなくもない。きょろきょろしてるし。
ここは紳士として、「やあ。何か困ってることでもあるのかい?」と声を掛けてやるべきだろう。人畜無害な男とは、僕のことだからな。
それでこそ男だ!
自転車を道の端に止める。音もなく。
いや、これは単なる配慮であり、別に気付かれたらまずいとかそんなことは全然考えてない。びっくりさせちゃまずいから、チャリはしばらく停めておこう。別に両手が塞がってるとまずいとかそんなことは全然考えてない。ママチャリの前かごに乗っけられて、誘拐されると勘違いされちゃまずいからな。
そんなこと普通考えないだろうが。子供は想像力豊かなのだ。僕はよく知ってる。
あれ?
何かこの子、見覚えない?
いや、気のせいか。
彼女はまだ僕に気付いてないようだ。相変わらず周囲を見回して、落ち着きがない。
うん。
ここは僕が行くべきだろう。
前振り終わり。
「はちくじいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ!」
猛ダッシュで彼女目がけて走る。
いやゴメン僕彼女のこと知ってるんだ。
そりゃもう大の友達。
忘れるわけないだろうが!
「会いたかったぞ、この野郎――って、あれ――!!?」
僕の声や足音が聞こえなかったのか、僕が彼女の元に駆け寄る前に、というか抱きつく直前で、八九寺は角を曲がってしまったのだ。
結果。
勢い余って僕は電柱にぶつかった。
頭からだったら危なかった。きっと割れてた。
もの凄い音がして。
僕は仰向けに、大の字に倒れた。
「あ……おろろ木さん」
この状況でも噛むか。
気付けば、八九寺が僕を見下ろしていた。申し訳なさそうな表情。
「人をいつもおろおろと落ち着きがない、どうしていいか困ってる奴みたいに呼ぶな。僕の名前は阿良々木だ……」
こうして的確な突っ込みを入れられる僕もどうかと思うが。
それに、おろろ木って、阿良々木と全然違うけど、ア段をオ段に変えただけなんだよな……。
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ……」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
「まみまみた」
「さらに噛んでるぞ!」
何て言いたかったんだよ、意味分かんねえぞ!
仰向けのままいつものパターン。
いやあ、それほどの仲と言っておこう。
立ち上がる僕。
あまりの衝撃(体にも心にも)を受けて起き上がれないかと思ったけど、僕の体はそんなヤワじゃないようだ。
というかこれ、つい最近戦場ヶ原が僕にやったことと似てたんだよなあ……。
ショックも二倍。
あれ?
そういえば、八九寺って後姿を見かけること、多くない?
正面から会ったこと、あったっけ?
?
色々謎だ。
「仕方ないじゃないですか。阿良々木さんがおろおろしているので、わたしまで動揺しちゃったんです」
「そうなのか……」
置いてきた自転車を取りにいき(それまで八九寺はその場に突っ立ったままだった)、再び合流。
戦場ヶ原家の方角を向いて、歩く。
「あれはないと思いますね」
「何だ? あれって」
「先程の阿良々木さんのモノローグです」
「聞こえたのか!?」
みんな僕の司会進行ちゃんと聞いてるんだ!
前神原もそんなこと言ってたよな!
悲しげな表情をする八九寺。
「ええ。阿良々木さんが、わたしのことを忘れてしまっていただなんて…もうショックのあまり、泣きそうになって無意識に角を曲がっていました……」
「じゃああのモノローグがなかったら、お前は角を曲がらなかったんだな!」
何てことだ!
あの馬鹿馬鹿しいモノローグのせいで、僕は八九寺を抱けなかった!
八九寺真宵。
小学五年生の少女。
母の日に出会ったのが最初。
「なんなら、やり直しも可能ですよ。電源をお切りください」
「ゲームじゃねえよ!」
……って、やり直せるの?
「ふう。阿良々木さんは本当にそういうことには敏感ですよね。ええ、可能ですよ」
「やり直し……をか」
八九寺は一瞬、下を向いた。
そして、次の瞬間。
「がうっ!」
「うあっ!」
いきなり噛み付いてきやがった!
違う、僕が求めているのはこっからじゃない!
もうちょっと前からだ!
「がうっ! がうっ! がうがうっ!」
野生化モード八九寺。
「落ち着け、僕だ、僕だぞ!」
噛み付いてくる八九寺を(しかも容赦ない)、必死で止める僕。
くそう。やっぱりやり直せないじゃねえか。
「ふしゃーっ! ぶしゃーっ!」
「僕だ、阿良々木だ!」
八九寺は立てていた爪をしまう。目も落ち着きを取り戻す。
だからこいつは何のモンスターだよ。怖いな。
「あ……阿良々木さん」
「そこは噛まないんだな!」
「え? 何をおっしゃるんです、早く突っ込んでください」
「…………」
「ほら、早く突っ込まないと話が進展しませんよ」
「いや、ちょっと待てよ八九寺、僕はどう突っ込めばいいんだ?」
「やれやれ。突っ込みのプロが突っ込みが出来ないなんて。
わたしが求めていた台詞は、『人を変態でロリで頭の悪い奴みたいに言うな。僕の名前はおろろ木だ』――」
「僕おろろ木だったの!?」
おろおろの僕。
でも今の八九寺の台詞を聞くと、彼女から見れば僕は変態でロリで頭の悪い奴なんだ。
傷つくなあ。
「それはともかく阿良々木さん」
話を変える八九寺。
このスピードには追いつけない。
つうか噛んどいてまたすぐに阿良々木と呼びなおすのはどうなんだ?
「今日はどこかへお出かけですか?」
「ああ。今日は戦場ヶ原の家で、受験勉強だ」
「そうでした。阿良々木さんは受験勉強で忙しいんでしたね。――小学校の」
「どんだけ馬鹿なんだよ!」
「本当に、何年浪人すれば気が済むんでしょう、なんならわたしが教えてあげますよ?」
「小学校はとっくに卒業してるわ!」
戦場ヶ原も戦場ヶ原で大変じゃねぇか!
自分は大学受験の勉強で、僕には小学受験の勉強を教えるんだぞ。
頭こんがらがるっての。
「阿良々木さんはロリコンですからねえ。浪人して小学校に入れば、即阿良々木ハーレムが築けるんですよ?」
「嫌な事を言うな!」
「ところで、受験勉強といえばですが」
話を戻す八九寺。
ここらへん好き勝手だ。
権限を持っているのがずるい。さすが八九寺というべきか。
「やはり、阿良々木さんお参りとか行くんですかね?」
「は?」
「ほら、合格祈願ですよ。戦場ヶ原さんと神社に行ったり、しないんですか? お正月とか」
「お参りね……」
ガハラさんはそういうの信じない人だからなあ。
「行かないんじゃないか? 受験って何はともあれ実力だろ?」
「いいことを言いますねー、阿良々木さんの癖に、生意気です」
確かに。
今まで勉強してなかった奴が言う台詞じゃないな。
でもこの夏休み、僕は成長したと思えるくらい成績が伸びている。
これも、学年トップとトップクラスに教えてもらっているお陰だ。
「わたしは受験のとき、絶対行くと思いますけどねっ」
「ふうん……」
そうなんだ。
そういえば八九寺の頭の良さは未だに掴めていない。
馬鹿なのか、頭いいのか、未だに分からない。
「はい。多分、絵馬に書くと思いますよ」
「ほう、『絶対合格!』とかか」
「いえ、『絶体絶命!』と」
「書くなよ!」
書く暇あるなら勉強しろ!
やっぱりこいつ馬鹿なのか?
「まあ、油断は逸物ということです」
「それだと油断していいみたいになるぞ!」
正しくは、油断は禁物。
「どうせ阿良々木さんは、絵馬なんて女の子の名前だと思ってたんでしょう?」
「さすがにそうは思わねえよ!」
どんな勘違いだ。
「わたしだったら、読んでもらう為にアピールをしますかね」
「アピール?」
「かの有名なピカソのような絵を添えて書くのです」
「確かに目には止まるだろうが、あのスペースにそんな絵描ききるのか!?」
無理無理無理。
ピカソさん自身も無理じゃねえ?
「でも絵馬って、書いてどうするんでしょうね」
「根本から否定しやがった……」
「だって、あんな量の絵馬、誰が読むんですか」
まあ。
神様も全部に目は通せなさそうだよな。
手は千本あっても、目は千個もないだろう。
全部読んだとしても、それが叶うわけでもないし。
「いわゆる決意表明みたいなもんですね。あるいは、自己満足」
「いや、そこまで言うことはないだろう」
途中までいいこと言ってると思ってたのに!
自己満足で終わらないように、実際に頑張って叶えるもんだろう。
夢ってのは。
そんなもんだ。
「まあ、阿良々木さんは馬鹿ですけれど、最終的には大学、受かりそうですもんね」
「ちゃっかり馬鹿って言ったな」
そしてひどい!
「でもまあ、そう思ってくれるのは嬉しいよ……」
僕も頑張れるってもんだ。やる気が出てくる。
「いひひ」
突然笑い出す八九寺。
何なんだよ急に。
「阿良々木さん、ご存知ですか?」
「何だよ」
「わたしの登場するシーンが、本作で一番長いということに、です」
「ご存知なわけわけねえよ!」
まだ半分も到達してねえだろうがよ。
そこで出るか八九寺P!
「まあ、わたしの手にかかれば私の登場シーンを一番長くすることも容易いのです。ああ、でもそろそろ章を変えたほうがいいですかね」
「どんな権限を持ってるんだよ、お前は……」
「読者の方も飽きると困りますから。ほら、携帯で読まれている方なんて、ひとつの章でも長すぎるといちいち『次へ』を選択しなければならないんですよ。私は読者の配慮もきちんとできるヒロインなのです」
というわけで。
彼女の言う通り、章変え。
どうやらまだ八九寺は話し足りないらしい。
僕も付き合うとしよう。
運がいいことに。
時間はまだ、あるのだから。