「脚を喪った島風!」というリクエスト内容で書かせていただきました。
実質的に「戦艦長門は働かない(https://syosetu.org/novel/266218/)」の続編ですが、読んでなくても多分大丈夫じゃないかなという気はします。
柔らかく頬をなぜる風。
きらきらとさしこむまばゆい朝日。
小鳥たちがささやかに語らうだけの、静かな時間。
どこか遠くから、コーヒーの香りが流れてきて、鼻先で踊った。
朝、目が覚める度、確かめることがある。
それは、もう私には脚がないということだった。
素晴らしい朝。
素晴らしい一日の始まり。
でも、私には脚がない。
以前のように、眠気を払うみたいに、勢いをつけて起き上がろうとしたって、ダメ。
天井めがけて伸び上がるはずだった脚は、どこにもない。薄いお尻をちょっと跳ねさせるばかりで、それもベッドにぽすりと落ちるだけ。
足癖が悪いとあれだけ言われてた、その脚がどこにもない。
ぽすん、とベッドに落ちたお尻は薄い。お腹も、胸も薄い。腕も細い。
ただでさえ軽かった私は、細かった脚の分だけ、もう少し軽くなっていた。
「ダイエットなんて、する気なかったんだけど」
誰でも痩せられるお手軽な手法だけど、当然取り返しはつかないからおすすめはしない。
二十一グラムくらいにやせ細った戦友たちみたいに、過激なダイエットは身を亡ぼす。本当に二十一グラムだったのか、まさか海の底から拾い上げることも出来やしなかったけど。
静かな朝。
涼しくて、ひんやりとして、薄っぺらな私の身体はなかなか温まらない。
まるでトカゲか何かになったような気分だった。
それともイグアナ?
岩場にぺったりと張り付いて、じわじわと日差しを味わうような、そんな。
小さな体には──脚二本分小さくなった体には大きすぎるベッドで、私はしばし爬虫類の気分を味わう。
誰より早起きだった私は、今では誰よりお寝坊を決め込む。
脚二本分の血が足りないから、体温をため込むことができない。
脚二本分の筋肉が足りないから、体温をあげるのに時間がかかる。
眠い。
ああ──眠い。眠たい。
血が回らない。重く冷えた血ばかりが、私の心臓を、血管を、ゆっくり流れていく。
柔らかく頬をなぜる風。
きらきらとさしこむまばゆい朝日。
小鳥たちがささやかに語らうだけの、静かな時間。
どこか遠くから、コーヒーの香りが流れてきて、鼻先で踊った。
私はまどろむ。
血は冷たく、まぶたは重く、脚はない。
私はまどろむ。
夢を。夢を見る。
素晴らしい朝。
素晴らしい一日の始まり。
でも短い朝に、私は夢を見る。
短い夢を。浅い夢を。
長く重いあの日々を。
◆◇◆◇◆
潮のにおい。重油のにおい。煤煙のにおい。
海の上っていうのは、基本的にろくでもないにおいしかない。
写真や動画で見ればそれはキレイだろうけど、実際のところこんなものは生臭い巨大な水たまりだ。
私たち艦娘だってそうだ。
服にはそれらのにおいが染みついてる。
艤装は鉄のにおいもするし、身体は人のそれと同じだからはだえもにおう。
いくら風通しがよくて、巡航速度で快調に飛ばしてたって、汗もかくからそれも追加で。
抜けるような青空に、手で触れそうなほどごろりとした塊を見せる夏の雲。
無現に続く白波を繰り返す大海原に、時折きらりきらり銀色の背を見せる魚たち。
世界の果てでは空と海がまじりあって、どこかへと通じている。
でもそんなキレイな景色と関係なく、私たちはにおうし、海もにおう。
それでもなんでだろう。
いまでもふとした瞬間に思い出すのは、あの海のにおいだ。
なんでもないようなかすかなにおいを引き金に、私たちはみんなあの海を思い出す。
潮のにおい。重油のにおい。煤煙のにおい。
鉄のにおい。はだえのにおい。汗のにおい。
それに、そう。
血のにおい。
硝煙のにおい。
命のにおい。
死のにおい。
私は夢を見る。
夢を見る。夢を見る。
夢を。夢を見ている。
怖い夢。
恐ろしい夢。
静かな夢。
泣きたくなるような。
そんな。
夢。
たたずむ海。
記憶にない海。
どこにもない海。
でも確かに私はその海を見た。
「長波……みんな……どこへ行くの……?」
穏やかに凪いだ海を、艦娘たちが進んでく。
ああ、艦娘だけじゃない。輸送船がのっそりと流れていく。
商船も、客船も行く。みんな見覚えがある船ばかりだ。
ああ、それに。彼女たちも、深海棲艦もそれに混じっていく……。
夢を。夢を見ている。
私もついていこうと思った。
いかないでって。
おいていかないでって。
島風もいくよって。
でも風は吹かなかった。
風は吹かなかったんだ。
凪いだ水面に、島風の軌跡は刻まれなかった。
私はただぼんやりとみんなを見てた。
見てることしかできなかった。
なにもないどこかへ向かう軌跡を、ただ見つめていた。
島風の艤装はうんともすんとも言わなかった。
それで、ああ、そうかって気づいた。
そうかって気づくんだ。
そうか。そうだ。そうだった。
そっちに行きたくても、私にはもう、脚がない──。
沈んでいく。
沈んでいく。
夢の中へ。
夢の底へ。
私は夢を見ている。
夢を。
怖い夢を。
恐ろしい夢を。
私は怖い。
私は、夢を見ている……。
◆◇◆◇◆
波を切り裂く。
風を切り裂く。
私たちは往く。
私たちは往く。
終わらせるために。
なにもかも。なにもかもを。
黒玉のように黒い海を私たちは駆け抜けた。
ここから先はもはや補給も叶わない。
誰の助けもなく、応援も望むべくもない。
往って、そして帰ることを期待はできない。
すべての艦娘はこの日のために戦ってきた。
この日のために戦い続けてきた。
戦いを終わらせるために、そのために戦い続けてきた。
自らの存在意義を終わらせることが、艦娘の最終目標だった。
戦うために生まれて、戦いを終わらせることが。
潮のにおい。
重油のにおい。
煤煙のにおい。
鉄のにおい。
はだえのにおい。
汗のにおい。
それに、そう。
血のにおい。
硝煙のにおい。
敵の。味方の。艦娘の。深海棲艦の。
血と油が。肉と鉄が。脳漿と弾薬が。
もはや分け隔てることも出来ずに、等しく混ざり合って海を染め上げる。
これを最後と決めて、ありとあらゆるものが、ありとあらゆる犠牲が、この海を染め上げる。
艦娘は、人類は、深海棲艦を追い詰めつつあった。
そして、追い詰めきれずにいた。
すでに各海域は制圧され、はぐれなどもはや相手にもならず、包囲網は完成していた。
しかし、そこから先で、詰んだ。行き詰った。
深海棲艦は恨みより生まれる。
はるか過去から積み重ねられ、半ば忘れ去られ、正体を失った恨みだけが、海に溶けた憎しみだけが、濁って凝って泡立つように生まれいずる。
生物とも艦船とも取れぬ異形の姿は、曖昧に溶けた思い出を身にまとって化身するからだ。
艦娘が、思い出を艤装に封じて、戦うのと同じように。
包囲網の中心、最終海域とは、まさにその泡の湧きいずるところだった。
そしてそこには、なにもなかった。
なにもなかったのだ。
艦娘たちは数度にわたりこの海域を制圧せんとしてきたけど、ダメだった。
無駄だった。無意味だった。無価値だった。
水面に石を投げるように。
絶え間ない波に棹差すように。
どれだけの時をかけようと、どれだけの犠牲を払おうと、泡は絶えず浮かび上がるだけだった。
思い出を終わらせなければならなかった。
恨みと憎しみが、思い出を依り代に化身するならば、過去を過去にしなければならなかった。
ここで終わりなのだと、これで終わりなのだと、思い出に幕を引かなければならなかった。
最終決戦は、作戦名を廻天計画とした。
誰もがその名に不吉なものを感じていた。
不穏なものを察していた。それでも私たちは進んだ。
終わらないものを終わらせるために。
ああ。そうだ。私たちは覚悟していた。覚悟と思っていたのだ、それを。
いまならわかる。それは諦めだった。私たちは諦めていた。私たちはどうにもならないものをどうにかするために、どうしようもない流れに身を任せるのだと。悲壮なつもりだった。勇猛なつもりだった。祈りのつもりだった。願いのつもりだった。世のため人のためと、未来のためと子供たちのためと、そう言い張った。言い募った。そうだと。そうであってくれと。せめてそう思わせてくれと。誰もがわかっていた。わかっていたのに。私たちは廻天の名を繰り返す。
私たちが抱える不穏を、深海棲艦もまた感じ取っていたのかもしれない。
かつてなく敵は強大で、粘り強く、執念深かった。
私たちが沈めてきた深海棲艦と、沈められてきた艦娘たち、その恨みと憎しみさえもを糧として、海は思い出を泡立たせて抗った。
私は護衛艦だった。
総大将であり、そして廻天計画の要たる長門を、思い出の中心へと運ぶことが任務だった。
だけど駆逐艦に払える露などでは、もはやなかった。
例え一滴一滴はささやかなしずくであろうと、その露が押し寄せる波となれば、脆弱な駆逐艦など盾になることさえ叶いやしない。
砲撃が飛び交い、魚雷が軌跡を描き、怒号は止まない。
先程まで呼びかけあっていた僚艦が、ふとした瞬間に答えを返さなくなっても、もう私は振り向くことさえなくなっていた。
見上げれば空はしっちゃかめっちゃかだった。
雲霞の如くに戦闘機が飛び回り、羽虫の如く撃ち落されては消えていく。
制空権なんてものはもはや誰にも判別できなかった。
敵も味方も入り乱れて、荒れ狂う雷雲の様でさえあった。
その雲はまさしくいかずちのように、時折爆雷を投下しては、不運な誰かの頭上に落ちた。
どちらの勢力の爆雷が、どちらの勢力に降り注いだものか、もはや誰もわからなかった。
私には見えない水中もまた、地獄だった。
唐突にぐわりと水面が持ち上がって、そして誰かがいなくなれば、それは水雷撃だった。
魚雷か、機雷か、定かではない。でもどちらでも同じことだ。当たれば死ぬ。当たらなきゃ死なない。
潜水艦たちは、顔を見ることもなく、顔を見せることもなく、その博打の勝ち負けに命を預けていた。敵も。味方も。艦娘も。深海棲艦も。
戦況は膠着していた。
それはつまり、私たちが不利だということだった。
攻め込む側である私たちは、切っ先が届かなければ負けだ。敵は耐えるだけでいい。そうすれば私たちはじり貧で、無尽蔵にわいてくる連中にすり潰される。すり潰されていく。ううん、実際に、すり潰されていた。すり潰されかけてた。私たちはじり貧だった。
「やむを得ん……!」
長門が唸った。
でもダメだ。まだダメだ。
いまここでしかけても、足りない。届かない。無駄死にだ。
長門も。私も。みんなも。
だけどこのままでも私たちは死ぬ。私も長門も。死ぬ。すり潰される。
だから私だ。だから私がこの作戦にいる。
ただ使い潰すには惜しい艦を、最大効率で使い潰すために、私はここにいる。
ここだ、と私は決めた。
後僅かな距離を稼ぐために、私はそうすることを決めた。
決めた。決めていた。最初からずっと、その時がくればそうしようと。
「長門! 島風が切り開くから!」
「馬鹿な! やめろ!」
「にひひ──遅いよ、長門」
どのみち、廻天計画が始動すれば、直近にいる私は巻き添えになる。退避は間に合わない。
だから私はここにいる。だから私はここにいるんだ。
長門がもう他の誰も犠牲にしなくていいように。
私以外の誰も、長門の負担にならないように。
艤装がうなりをあげる。缶が燃える。
島風という艦の、積み上げられた思い出が、根こそぎに燃焼されていく。
思い出を燃料に、島風自身を燃やして、誰も追いつけない風になる。
研ぎ澄まされた瞬間が、まるで凪のように静まり返って感じられる。
深海棲艦が身構えるのがわかる。
恨みと憎しみしか知らないその顔に、動揺が走る。
でも遅い。もう遅い。あまりにも遅い。
誰も島風には追い付けやしない。
私も
怖くて、恐ろしくて、心はすくむ。逃げ出したくなる。
でもそれはお前たちじゃない。お前たちなんかじゃない。
お前たちなんか
私は知っているから。
私は見てきたから。
私が夢見たもの。
私が夢見るもの。
失いたくないもの。
得難いもの。
思い出しか持たないお前たちには、きっと思いもよらないんだろう。
「これから」を信じることも、「これから」をまもりたいって気持ちも。
失くしたものに縋り付くお前たちには、きっとわかりはしない。
きっとお前たちもそうだっただろうに、でもお前たちはきっともうそうではないから。
私は夢を見る。
夢を見る。夢を見る。
夢を。夢を見ている。
あの夏の日の続きを。
来年も、そのまた来年も、ずっとずっと先の夏までも。
だから、お前たちの夏は、ここで終わらせないといけない。
私は魚雷を抱えて敵陣深く潜り込む。
弾幕はなお厚くなり、島風がどれだけ速くてももはや避け切れない。
砲撃が、雷撃が、私のうちのめす。
でもいいんだ。もういいんだ。
ここからなら、私も外しはしない。
「五連装ゥ……酸素魚雷ィ──ッ!いっちゃってぇー!」
意識が飛びそうになる。
熱くて。痛くて。なにもわからなくなりそうになる。
艤装が音を立てて爆ぜて、崩れていく。島風の思い出が零れ落ちていく。
ごめんね。無理させたね。でもこれが最後だから。
体が沈みそう。うまく立てない。浮揚力場が生成できない……ああ、違う。
「あ、ぐぅう……あぁあああァァアアッ!!」
脚が。
私は崩壊しつつある艤装で、ようやく浮かび上がってるだけの死に体だった。
私の脚が。
島風は最後の力で私を支えてくれているようだった。
脚の付け根が燃えるようだった。
「島風! お前は、なんという……!」
「い、ぐ……お、おっそい、よ、長門……はやく、いまの、うちに……」
憎まれ口を叩いたけど、それ以上は無理だった。
衝撃硬化性ベークライトが傷口を塞ごうとしてたけど、血が足りてないんだ。
駆逐艦はもともともろいし、私はなおのこと細い。ダメージが許容限界を超えてるんだ。
「しまか、ぜを……無駄に、しない、で、」
「ああ……ああ! 無駄になど、無駄になどしない!」
長門が私を抱き起す。
あは。
馬鹿みたいな話だけど、なんだかちょっと、嬉しい。
抱きしめられちゃったあ、なんて、ね。
意識が遠い。目がかすむ。寒い。寒いよ長門。
ぼやける視界の中で、空が消えた。
長門の艤装が、思い出を燃焼させる。
あの夏の向こう、夏を終わらせた光が、長門を終わらせた光が、海を焼いた。
光。熱。音もない、音。
世界が撹拌されて、なにもかも、なにもかもが、終わっていく。
作戦名廻天計画。
秘匿名
長門の艤装に刻まれた思い出が、夏を燃やす。
長い長いあの夏を、終わらせていく。
恨みも憎しみも、何もかもを、終わらせていく。
私は夢を見る。
臨死の恍惚の中で、ささやかな夏の夢を。
短い、夢を。
◆◇◆◇◆
じーわじーわじーちーじーしゃわしゃわしゃわしゃわじーつくつくつくしゃわじーみわみわみわみわみわじゃーじりじりじじじりじりじりじゃわじゃわじゃわじーつくつくじーしゃわしゃわしゃわ……。
蝉の音がうるさかった。
うだるような暑さにかぶさるように響く愛の歌は、生憎と人類にも艦娘にも胸打たない類の選曲だった。
「ねーえー長門ー」
「なんだ」
「ちょっと二、三発ぶっ放してきてよー。蝉も黙るでしょ」
「さては馬鹿だなお前」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんですー」
「じゃあお前は二倍馬鹿だな」
「にゃにおーう」
「うっせうっせ」
寮のクーラーは悲しいことに猛暑に耐えかねて二時間ほど前にご臨終なさっていた。
修理は、早くて二日後。場合によっては三日後。同時期に購入した他の部屋のクーラーも、仲良くお隠れになってしまったみたいだった。
だから他の部屋に避難することもできやしない。
私の同居人は残念なことに体温の高い戦艦だった。それも信頼と実績の筋肉量で熱保有量も熱生産量もアホほど高いビッグセブンだった。
おかげで二割増しくらい熱く感じる。
ちゃぶ台に置いたグラスの中で、麦茶に浮かんだ氷がからんころりと涼しげな音を立てた。涼しげなだけで全然涼しくはないし、刻一刻とぬるくなっていくことを思わせると嘆きたくもなる。
私は存在するだけで熱を放出し続ける分厚い背中にもたれて、すっかりグロッキーだ。
いくら薄くて細くて体温低いボディでも、猛暑日にノークーラーは堪える。
伸ばした髪も、放熱するどころか暑苦しいし肌に張り付くしで、いっそバッサリ切ってしまいたい。でも切ったら切ったでこのゴリラに「マジで少年みたいだな。島風くんってやつだな」とか煽られそうなのでそれはそれで腹立つ。
「あつーいよーぉー」
「暑い暑い言うな。余計暑いだろうが」
「じゃあ長門の方が三倍暑くしてるじゃん」
「ぶっとばーすぞー?」
「にはは、あっ、あーっ、もたれんなってーばーっ」
「ぬははは」
「あついってばー、もー」
長門は暑苦しいし、ばさばさと肩越しにかかる長門の髪も熱い。
黒いし、長いし、からまるしうざったいし。
本当に、ほんと、たまったもんじゃない。
あんまり暑いもんだから、私たちは二人してぼけーっと口を半開きにして、頭を無にしてやりすごしてた。
時々、あつい、もううんざりだ、やってらんない、そんなことを口にしながら。
こんな日々がずっと続けばいいって、そう思ってた。
長門も、そう思っていたらいいなって、茹だった頭で、思ったりしてたかも、しれない。
そんな夢を、見ていた。
そんな。
夢を。
泣きたくなるような、夢を。
二度とは戻らない日々の。
夢を。
◆◇◆◇◆
柔らかく頬をなぜる風。
きらきらとさしこむまばゆい朝日。
小鳥たちがささやかに語らうだけの、静かな時間。
どこか遠くから、コーヒーの香りが流れてきて、鼻先で踊った。
朝、目が覚める度、確かめることがある。
それは、もう私には脚がないということだった。
素晴らしい朝。
素晴らしい一日の始まり。
でも、私には脚がない。
だから二度寝三度寝も、やむなしだ。
仕方ない仕方ない。ぐう。
まどろむたびに繰り返す夢は、まざりあってもうどれがどれやらわかんない。
けれどそれは繰り返す度に、確かに薄まって、ぼやけて、朝日の向こうに消えていく。
「ほれ、とっとと起きろたわけ」
「ぐえー、おにー」
「鬼だから苦いコーヒーをくれてやる」
「うえー」
鼻先に突き出された、香ばしくかおるコーヒー。
しょうがなしに受け取れば、猫でもつまみ上げるみたいに、私の身体は簡単に起こされちゃう。
これはいよいよ仕方がない。
ちびちびとすすれば、容赦ない苦味。かぐわしい焙煎香。でも苦い。苦過ぎる。
ううん。これは目も覚める。
全然美味しくない。美味しくないけど、こんなに苦いものを飲んでいると、クソみたいな世界にもちょっとくらいは優しくしてやろうって思える。少なくともこんな苦さよりいくらかマシなはずだから。
「ほれ、股開け股」
「言い方が最悪なんだけど」
「お前の体は私の好みじゃない」
「秒で最悪を更新するの頭おかしくない?」
「フムン。お前より速いというわけだな」
「その速さは要らないかなー」
のそのそとお尻をよじらせてベッドの
そうしたら今度は、樹脂と金属でできた義足を取り付けてくれる。これもあったかい。冷えた脚に心地よく温度がしみ込んでいく。
「毎朝毎朝コーヒー淹れてタオル蒸して義足あっためて、長門もマメだよね意外に」
「やらんと昼まで起きてこんだろうが」
「あーい、ありがとーございまーすー」
「うっわ誠意の欠片もないな」
「愛情なら込めてあげよっか」
「うっわきっも」
「にゃにおーう」
私は夢を見ていた。
夢を。夢を。長い夢を。短い夢を。
怖い夢を。しあわせな夢を。
でもそろそろ目覚めよう。
ひとりでは広すぎる、でも二人だと少し狭いベッド。
その
素晴らしい朝。
素晴らしい一日の始まり。
失った脚。
戻らない日々。
でも。
私は長門との生活を、とても気に入っている。