本の虫、銀河の歴史を読破せよ。   作:見無

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ファースト・インプレッション

 勤務地が変わって最初の朝、目覚ましのアラームが鳴るよりも早く目が覚めてしまったため、リオは不機嫌だった。しかし彼女のどんよりとした気分の原因はそれだけではない。

「……あーあ!」

 窓から差し込む朝日や、鳥のさえずりはこんなにも爽やかなのに。リオはなぜだか有名人のいる職場にお引越し。

 軍人としての意識に欠ける私が、英雄だの魔術師だのと言われている男についていけるわけがない。どうせ怒られるに決まってる。私は毎日のんきに生きたいのに。

「あ〜あ、良い天気。最高のヤン艦隊日和だ。おはよう」

 寝転がったまま呟いたが、返事があるわけもない。一人暮らしとは、気ままさと引き換えにこんな瞬間の孤独に耐える義務が生まれてしまうものなのだとリオは感じた。

 トーストをかじりながら見た情報番組の占いコーナーによると、今日のリオの運勢は最悪だそうだ。

『ざんねん!今日は 新しいことに チャレンジするのは やめた方がいいかも!』

 既に自分の一日にケチがついた気がする。

「……いや、こんなのは迷信だ」

 そう強がって、リオは紅茶を口に含む。

 熱すぎて口内を火傷した。

 

 ♢♢♢

 

 どんなに嫌でも、仕事に行かなければいけない。それが大人という生き物の宿命である。

 どうにか支度を整え、玄関の鏡で全身のチェックをする。そこには見慣れた軍服姿の自分。

 しかし、いまいちしまらない。半開きの瞳、もっさりとしたハーフアップの髪の毛。

 行きたくないという気持ちが全身至る所に現れてしまっている。

「……ああ、そうだ」

 ちょっとしたことでいい、気分を変えるきっかけは自分で作らないと。

 リオはハーフアップにしていた髪の毛をほどき、きつめのポニーテールに結び直してから家を出た。晒された首に涼しい風を感じる。

 

 ♢♢♢

 

「……大丈夫だろうか。この艦隊は」

 というのが、正直な感想だった。

 まずは一日目ということで、顔合わせのようなものとして第一三艦隊の全員がちょっとした会場に集められ、整列している。リオはこっそりと周囲を見回しているが、周りの人々の様子がなんだか妙なのである。

 集まった軍人達は大体二つに分けられた。緊張した面持ちではあるが澄んだ目をしているものと、もはや緊張すらせずどんよりと目を濁らせているもの。

 前者が新兵、後者はアスターテの生き残りである。異例な艦隊とは知っていたけど、ここまで明確に差が出るものなんだろうか。

 どんより組と緊張組、リオはそのどちらにも属せずにやたらと視線を動かして暇を潰していた。

「というか、そもそも……」

 私、なんでここにいるんだろう。

 ハイネセンでデスクワークしてたはずなのに。特に何もやらかしていないのに。私は新兵でもない。アスターテ会戦に参加していたわけでもない。特殊そのものみたいなこの艦隊に、なぜわざわざ私のような軟弱な軍人を………

 リオは下を向き、無機質な床を見つめて不安感と緊張感を誤魔化そうと努力した。しかしあまり効果はない。こんな時、リオはいつも自分の臆病さが嫌になる。

 ああ。新天地なんて望んでいない。大人しく、家で本を読んでいたいのに。美しいユニコーンや、天才的な探偵や、素敵な恋人たちが待っている、小説の中の世界でずっと………

「あー、諸君」

 マイクを通した声が聞こえて、リオは顔を上げた。途端に意識は現実世界に引き戻される。

 なにやら偉い人が挨拶をするらしいが、前に並んでいる人の背が高くて見えない。

 リオはぐっと背伸びをして前方を注視する。人の頭の隙間に、声の主の姿が見えた。

 壇上で話しているのは、あれは……

「私が、第一三艦隊の司令官……ヤン・ウェンリー少将だ」

 リオはハッとした。

 黒い髪と瞳、優しげな眉毛、ホログラムで見た時の彼とは印象が少し違うが間違いない。

 同盟の有名人。そして、英雄。

 あれが、ヤン・ウェンリーだ。

「ああ!」

 霞がかかったように思い出せなかった彼の顔を見ることができて、リオは思わず声を漏らしてしまった。

 いけない。彼女の声は思いのほか大きかったらしく、周囲の人間の視線がリオに突き刺さる。『司令官の挨拶の序盤で騒ぐなんて、この女はなめているのか』と言わんばかりだ。やや小心者のリオはすっかり萎縮してしまう。

 ヤン少将が一瞬だけこちらに視線を投げた気がしたが、気のせいだろう。気のせいと思いたい。

 権力者に目をつけられるとろくな事にならないと、リオは今まで読んだ様々な小説から学んでいる。海辺に転がる貝殻のように、ひたすら静かにするよう努めた。

(それにしても……)

 リオは改めてヤンを観察する。知的だがどこか間の抜けた表情、いまいち覇気に欠ける声、情熱的とは言い難いスピーチ………。

 正直、思ってたのと違う。

 もっと精悍な顔つきで、筋肉がついていて、軍服を自然に着こなしている、軍人の模範のような人だと思っていたが、今こうして壇上で喋っている人物はそのどれにも当てはまらない。軍人というより、生徒になめられがちな学校の先生のようにすら見える。

(いやいや、油断は禁物だ)

 ヤン少将という人を語るにはまだ判断材料が少ない。

 きっとこの姿は周りを欺くための演技。彼は、英雄と呼ばれている今でも昼行灯を演じて、初対面の相手を油断させているのだろう。そうだ。敵を騙すにはまず味方からということに違いない。彼はそのうち秘密結社を作って、同盟政府を乗っ取って、世界を悪に染めて、それからそれから……

 幼い頃から読書ばかりしていたリオの文学的想像力は、かなり豊かである。

 そうこうしているうちにも、ヤン少将のスピーチはさくさくと進んでいく。

 いけない。この調子で壮大な妄想をしていたら話を聞き逃す。リオは広げかけた妄想の翼を大人しく畳んだ。

 他の上官の話はいつもいつも長いが、やっぱり彼は一味違う。もう本題に入るようだ。

 リオは耳を傾けて集中する。

「……それで、我が艦隊の最初の任務は」

 一呼吸おいて、ヤンが言う。

 早速、それなのか。

 その場にいる全員が耳を澄ませた。

 緊張と期待が空間を満たしているのを肌で感じて、リオは思わずつばを飲み込む。

 周りの人々は例外なく肩をこわばらせ、若い司令官の言葉を待っていた。

 どうなんだ。

 この一筋縄ではいかなそうな艦隊の、最初の仕事は……

「イゼルローン要塞の、攻略だ」

 ヤンは、さらりと告げた。

「えっ?」

 リオは、またも声を上げてしまった。

 まずい。今度のは絶対に会場全体に聞こえた。リオをにらむ周囲の人々の視線の鋭さと数はさっきの比ではない。

『この女はまたなのか、いい加減にしろ』と彼らのつり上がった目が物語っている。

 リオは心の中で必死で謝罪した。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…

「……えーと、驚くのも無理はないと思う」

 少しの間をおいて、ヤンが続ける。

 彼はちらり、とリオが並ぶ列の方を見た。

 ばちり、とリオとヤンの視線が交錯する。

「……!」

 リオは、はっとした。

 彼の視線の先はリオのいる列ではない。彼が見ているのは、リオ本人だった。

(今、絶対に目が合った……!)

 ヤンは正面に視線を戻し、何事もなかったかのように話を再開する。

「……公式的には、この艦隊の初めての大規模演習ということになっているんだが……」

 リオはもう話を聞くどころではなかった。

 まずい。すごくまずい。とてつもなく、まずい。目をつけられたかもしれない。自分の話を遮った私を、よく思うはずがない……。

 リオの頭を不吉な想像が駆け回った。

 いやみを言われる程度ならマシだ。けどもしも、ヤンが自分の部下に対してとてつもなく厳しい人間だったら……?

 リオは、腰が抜けそうになるのをどうにか耐えた。

(………いや…でもちょっと待って)

 ヤン少将が私みたいな雑魚を気にするだろうか。たまたま目が合っただけだろう。

 騒いだ人がいたのは分かっただろうが、顔までは覚えていないはず。

(うん。きっとそうだ)

 私が、これから大人しく過ごせばみんなこの程度のこと忘れるはず。

 もはや自己暗示の域である。リオは、見たくない現実から巧みに目を逸らした。

 彼女の豊かな想像力は、現実逃避にも有効なのである。

 

 ♢♢♢

 

「……具体的な作戦は、また後日知らせるから……」

 そんなかんじで、いまいちしまらないままヤン少将のお話は終わった。

 リオは小さくため息をつく。どうにか、無事に終わったみたいだ。

 しかし、イゼルローン要塞か。

 目が合った衝撃で忘れかけたが、ヤン少将もとんでもない仕事を任されたものだ。

 リオも含め、新兵はもちろん、アスターテの生き残りの兵士も皆一様に不安げな様子だった。

 彼の言う『具体的な作戦』とはなんなのか。

 あのイゼルローン要塞を陥すというからには、それなりの策があるのだろうが……。

 しかし、この艦隊でイゼルローンを攻略するという、それ自体があまりに無謀過ぎる。

 結局、難しいことはヤン少将に任せよう、と多くの人が考えることを放棄した。彼の考えを予想することなどできるわけがないというのが彼らの言い分だったが、そもそも彼らは敗残兵とひよっこの集まりなのだ。これ以上心配事を抱えている余裕もないのである。

 リオも、例に漏れず考えるのをやめた。

 もっともリオの場合は、イゼルローン要塞の攻略などよりも自分の新しい職場における人間関係の方が気がかりだったからに他ならなかった。

 リオは、ヤンの姿を脳裏に思い浮かべた。

 彼の声、表情、立ち姿、そして瞳……。

(……ヤン・ウェンリー少将か)

 よくわからない人だ。リオは彼がどんな人間なのか、まだまだ判断できそうにない。

 判断できないからには、リオのことをどう思っているのかも分からない。自分などが彼と接する機会があるとは思わないが、相手はあのエルファシルの英雄だ。油断ならない。

 距離をとるにこしたことはないはずだ。

「なるべくなら、関わらない方がいいかもね」

 リオ・アヤムラ中尉は、今度こそ誰にも気付かれないように小さな声で呟いた。

 しかし、関わるかどうかは、リオの意思とは関係ないのである……

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