結論から言おう。
ヤン・ウェンリーはすごい。
リオは今回の作戦で、嫌というほど理解した。英雄には英雄と呼ばれるだけの理由がある。
リオのような凡人とは全く違う。
それはそうとリオにもリオなりに、凡人なりのちょっとした事件が色々とあった。これからその一部をご覧いただこう。
♢♢♢
ヤンがこの前言っていたように、今回の艦隊ピクニック(リオは心の中でそう呼んでいる)は公式的には大規模演習ということになっている。
そんなわけで、やたらとワープを繰り返して移動している最中、作戦決行の日も目前という時だった。
第十三艦隊の面々は、召集されて作戦の最終確認をしている。といっても、ヤンは司令官としての仕事で忙しい。主に話をしてくれているのは、ムライ参謀長とパトリチェフ副参謀長である。その場にいる全員が真剣な顔で聴いている。彼らも、それぞれに思うところがあるのだろう。
リオは、心の中であの二人のことを漫才のコンビのようだと思っていた。なにもかも正反対なのに、不思議と引き立て合う。
特にムライのことは、石頭おじさんと勝手にあだ名をつけていた。
そうしたくなるだけの、理由があるのだった。
「……それで、アヤムラ中尉。この作戦の概要は?」
ムライ参謀長がなぜだかリオを指名する。
そう。リオは周りの新兵よりも少し経歴があるというだけで、なぜだか雑用係の総元締めのような扱いになってしまったのだ。
おまけに、このムライ参謀長という人は一見真面目そうなリオを新兵の先輩としてちょうど良いとすら思っているようなのである。
しかし、リオとしてはご勘弁願いたい。
「は、はい。まずは通信を撹乱。その後に偽の救援要請を受けて、イゼルローンの駐留艦隊がのこのこと出撃します。その後、シェーンコップ大佐がラーケン少佐に変身して潜入、帝国軍の要塞司令官を力技で人質にとって交渉して、要塞を乗っ取ります」
「……ん、ところどころ気になるが、まあ大体そうだ」
「……は、はい」
恥ずかしい。
つい頭の中で描いていた『シェーンコップ冒険譚』の一部の文章を抜粋してしまった。
リオは、シェーンコップ大佐という人のことをうっすらと知っている程度だ。分かっているのは、ローゼンリッターの強い人ということ、そして、彼が危険な魅力の美丈夫だということくらい。
けれど勝手に空想はする。
『シェーンコップ冒険譚』の原案はあくまでヤン・ウェンリーでありリオは味付けをしたまでなので出版するつもりはないが。
それはそうと、リオとしてはこの冒険譚の序章……つまりイゼルローン要塞の攻略がどうなるのか、おおいに楽しませてもらいたいところだった。
(いや、すごい良くないんだけどね)
頭では分かっている。
それでも、無茶な任務を不安がりつつも、リオはなんだかんだでこの面白い筋書きを前にして心を躍らせずにはいられないのだ。
だって彼女は愉快なストーリーが好きだ。
事実が小説より奇なのか、おおいに確かめてみたい。
この舞台、役者はみんな一流だ。
(……なら、私は観客席……それもS席に座らせてもらおうかな)
リオが場にそぐわない、にやりとした笑みを浮かべたのでムライ参謀長はぎょっとした。しかし彼は巧みにその動揺を押し隠した。
もしかして、この中尉を新人のまとめ役にするのは間違いだったか……
いつも冷静な参謀長は、少し不安に思っていた。
♢♢♢
さて、作戦当日。
皆、慌ただしくそれぞれの持ち場で働いている。リオも例外ではなく、そこまで派手ではないがきちんと任務をこなしている。
もちろん白兵戦で役に立てるわけがないし、どちらかというと彼女は任務が終わった後の事故処理の方が主な業務だから彼女の仕事が目立ったり、派手になるわけもないのだが。
しかし、目立たなくともそれなりに重要な任務が彼女には言い渡された。
それは、『ラーケン少佐とその部下達』を作り上げるという仕事だった。
上官の指示のもと、彼のIDカードを偽造したり、ゼッフル粒子の発生装置の個数を確認して配布するお手伝いをした。
リオも一応、毎日真面目に働く軍人なのだ。
しかしそれらの仕事は既に終えてある。
では今、彼女が担当しているのは……
「では、失礼して血糊を」
リオは筆を手に取り、赤い塗料を練る。
横にはシェーンコップ大佐。
そう、彼女が担当するのはラーケン少佐のメイクアップである。
今回の作戦、重傷のラーケン少佐が悲壮感を漂わせながら司令官に会わせることを望む、という筋書きだ。
つまり、どれだけ『ものすごい怪我をしてる感じ』を出せるかどうかというのが重要な問題なのである。
リオは緊張していた。
任務が重大というのはもちろんだし、部屋に二人きりというのが一番つらい。彼女は年上の男性というのがそもそも苦手なのだ。相手が美形なら尚更である。
それに加えて、リオには勝手に彼の冒険譚を作ってしまっていることに対する気まずさがある。彼を前にして緊張しない方がおかしい。
リオはやたらと血糊をつけ、容赦なく包帯に塗りつけた。
「……そんなに血糊をつけたらかえってわざとらしくないか?」
シェーンコップからもっともな指摘が飛ぶ。
「そ、その……重傷にしろとの指示で……」
嘘である。そこまでは言われていない。
リオは責任を架空の上官になすりつけた。
「……うん、そういうものか」
シェーンコップは、気弱そうな尉官に一応話を合わせながらも思った。
この血糊、俺が自分で包帯に塗るものだったのではないか。
リオも思った。
この血糊、大佐に塗ってもらうものだったのでは?私は少し包帯を巻くお手伝いだけすればよかったのでは?
『アヤムラ中尉、血糊と包帯を持って行って、メイクアップの方もどうにかしてくれ』と上司の一人に指示されたから、てっきり私は。全部やるものだと思って。
『これもメイクだし多分女性に任せた方がいいだろう。アヤムラは暇そうだし』みたいな雑な考えで任された雰囲気だったが、つい使命感に駆られて。
いや、大佐は血糊くらい一人で塗れるだろう。
私は馬鹿か。今すぐ消えたい。
しかし、時すでに遅し。ここまでしたら全部やって何事もなかったかのようにやり切るしかない。
リオは腹をくくった。くくりどころが変だ。
「……包帯、巻かせていただきます……」
リオは一刻も早く消えたかった。重傷に見えるように、包帯をやたらとぐるぐる巻きにする。
直せば直すほど、分厚くなっていく。
完成した姿は、まるでB級ホラー映画のゾンビのようである。しかし、今更巻き直したくもなかった。
「……お、わりました……」
「……ああ、ご苦労だった」
その労いがかえって恐ろしい。
逃げるが勝ち、という都合のいいことわざがリオの頭に浮かんだ。
「で、では!小官はこれにて失礼します」
リオはなるべく無礼にならない程度に急いで挨拶し、部屋から廊下に飛び出した。
シェーンコップは、もはや何も言わなかった。
リオの挙動不審っぷりと無礼さに、怒るを通り越して呆気にとられてしまったのである。
「……一体なんだったんだ」
首をひねりながら思わず呟く。
やや地味な印象の大人しそうな人間だった。実際そうなんだろう。黒髪をポニーテールにしただけのシンプルな髪型と、自身なさげな瞳がそれを物語っていた。
なのに、なぜだか挙動不審だった。全体的に。
特に悪意は感じられないし、ただの善良な小心者なのだろうが……
それにしてもだ。
「……ふむ」
彼女の手によって巻かれた頭の包帯に手をやる。
何枚も重ねられたためか妙にふかふかとした手応えのそれは、彼女のおっちょこちょい加減を象徴しているかのようだった。
(どうにもやらかし癖があるらしいな)
ああいう種類の女性はよく分からない。
(いや、女性というより)
猟師から逃げ遅れたタヌキのような……
「いかんいかん」
流石にそれは失礼だ。
そう思いつつも、自分の例えがあまりに的を得ていたので『ラーケン少佐』は思わず苦笑してしまった。
♢♢♢
さて一方、上官から逃げたタヌキことリオである。
(ああああああ………)
「ああああああ………」
羞恥のあまり人語を忘れて、本格的に獣になりつつある。
すれ違う人がいないのをいいことに、リオはやたらと廊下を歩き回っていた。
「………恥ずかしい……よりによって、大佐……」
なぜあんなに目立つ人物を相手にやらかしてしまったのか。恥そのものである。
「……もう、大人しくしてよう。着実に仕事をしよう」
無表情な壁に向かってリオは話しかける。
壁は根気強く彼女の独り言を聞いてくれる。
(……うん。やらかしたことは仕方ない。切り替えて、自分にできる仕事を頑張らないと)
壁も、自分を励ましてくれるような気がする。
(よし、頑張ろう。ほどほどに頑張ろう)
リオは覚悟を決め、燦然と歩き出した。
一歩、二歩、三歩……
「ああ、でもやっぱり恥ずかしい!」
リオは思わずしゃがみこんで叫んだ。
リオはこの辺りの廊下なら誰もいないと思って、盛大に。
彼女の覚悟は僅か三歩の間しか持たなかったわけである。
「うう……消えたい……」
ところで、壁に耳あり障子に目あり、ということわざがある。
もちろんリオも知っていた。しかしこの時はそんなことまで頭が回らなかった。
曲がり角の向こうをたまたま歩いていたある噂好きの軍人が、リオの独り言を最初から最後までばっちり聞いていたということを彼女は知らない……