有史以前より、人類はダンジョンに潜り、そこから生み出される資源を糧に日々を生きて来た。
それは西暦2052年を数える現代でも変わらない。
迷宮探索者の一人である主人公は、ある日迷宮で奇妙な出会いを果たす。
それは彼を超人達が鎬を削る頂点へと誘う、第一歩となるのであった。
◇◇◇
迷宮特有の、暗く湿った空気が鼻を衝く。
そこに錆臭い血の匂いと、獣臭が混じる。
率直に、死地だと感じた。
己が最も信頼する相棒であるマリオネットは破壊され、手元にあるのは今となっては頼りない、ステンレスの長剣のみ。
対するは、オークの軍勢。
数は6頭程。モンスターパレードには届かない、小規模な群れだ。最初は11体程いたのだから、これでもかなり数を削っている。
普段ならば、物の数では無い。慶文1人でその倍の数を相手取り、全滅させた事もある。
だが、そのリーダーが問題であった。
緑色の肌をしたオークにあって異端の、赤色の肌。
明らかに特殊個体だ。
特化能力は純粋に
緊張に渇く舌で唇を舐めながら、自分が生き残る方法を必死に探す。
幸いと言うべきか、手下のオークを5体程殺した事で、赤肌は慶文を警戒していた。その最大の原因であるマリオネットは先程赤肌オークに粉砕されたのだが……ともかく、このまま睨み合いで消耗した所で襲い掛かって来る魂胆だろうと結論づける。
見れば、赤肌は随分と怒っているようだった。さもありなんとその心中を察する。これ程の群れをまとめるまでにどれ程の苦労があったか。何としてもここで自分を殺して面子を保たなければならない場面だろう。相手にとっても崖っぷちの状況である。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ……」
ふと、慶文の耳にか細い悲鳴が届いた。
「お母さん助けて……死にたくない、死にたくない……!」
赤肌オークから絶対に意識を逸らさないようにしながら、ちらりと横目でそちらを見やる。
無様に這いつくばって頭を抱えた女が、震えて身の不幸を呪っていた。
死の恐怖にジンジンと痺れる頭の片隅で、この厄介極まる群れを押し付けて来た糞パーティーの一員だ、と思い出す。
取り立てて特徴の無い、地味な女だった。
明らかに素人な身のこなし、貧相な装備と体、覚悟の無さ。
ひょっとして、今日が迷宮初日かも知れない、それならツイてない奴だ。パーティーメンバーにまで見放されて。とまで思う。
原因がこの女とそのパーティーであるのは間違いないが、同じ死地に放り込まれた者どうし、奇妙な同情を覚えていた。
(ん……)
慶文の脳裏を、とある閃きが過った。死地を脱する為の、悪魔の閃きだ。
「あの」
「……」
「……おい、ちょっと、そこの人」
「…………へひゃひっ!?」
「そうだよアンタだよ。こんなの連れて来やがって、このくそったれ」
「す、す、すみません……でも私がやった訳じゃ……」
「別にどうでも……良くないけど。アンタ、名前は」
「あっ、桜です……
「サクラさん、ここから生き残りたければ、『はい』と答えるんだ」
慶文には一条の光明が見えていた。
己の持つスキル、〔人形遣い LV.Ⅹ〕の奥義、”生き人形”。
生まれ持ったこのスキルの、今まで一度も使った事が無いそれ。
どう考えてもロクな物では無い。迷宮法に幾つ抵触するかも定かでは無い。だが、差し迫った死を払いのけるために、手段を選んでいられなかった。
「は、はい」
「俺の人形となれ、サクラ」
「あっ、はい……え?」
名を縛り、答を得る事で、契約は成った。
慶文のスキルで導かれた迷宮の力が、堰を切ったように桜に流れ込んでいく。
「え、え、え、なにこれ……あっ」
桜の意識はその奔流に耐え切れず、ぷっつりと途切れた。
だが、地に伏したその体は、燐光を纏いながらゆっくりと立ち上がっていく。
異常ありと見たか、赤肌オークは咆哮し、傍に控えていたオーク達を一斉に嗾けた。
その対処に手が塞がった冒険者を、己の怪力で横から叩き潰す。
単純だが、これまで都合8人、3個のパーティーを壊滅させてきた程度には有効な戦術であった。
―――その前提が、音を立てて崩壊する。
手刀である。
お守りのように握り締めていた粗末な短刀ではない。良く研がれたステンレスの長剣でもない。
ゆらりと立ち上がった地味な女の右手、そこに形作られた手刀が、ぞぶりと骨肉に食い込み、通り過ぎる。
狙いは首。
オークの強靭な筋肉と骨に守られていた頸骨を破壊し、即時に運動能力を奪ったのだ。
平均して150キロを超える巨体が力なく、次々と倒れ伏していく。
いつの間にか、形勢が逆転していた。
あちらが1で、こちらは2。
狩る者から狩られる者へと立場が変わったのを理解したのか、赤肌オークの目に恐怖と焦りの色が浮かぶ。
だが、その強靭な肉体にはいささかの陰りも無い。その自負が彼の逃走を妨げていた。
もう一度赤肌が吠える。先程とは違う、己を鼓舞する咆哮。
「サクラ、これを使え!」
今にも吶喊せんとする敵を、無感情な瞳と、血に染まった手刀で迎え撃とうとした桜に、ステンレスの長剣が投げ渡される。
しかし、桜にはそれを扱う技は無い。毛が生えたような短剣スキルがあるのみだ。今の膂力で振り回せば、鈍器として恐ろしい威力を発揮しそうではあるが。
そこは慶文も理解していた。そして今始めて使用した、己の奥義の使い方に関しても。
まるで蜘蛛が生まれながらに巣の張り方を、馬が立ち上がり方を知っているように、理解していたのだ。
慶文の手から糸のように放たれた魔力の流れが、桜の四肢に突き刺さり、己が手足のように操る事を可能にした。
桜が剣を正眼に構える。
芯の通った、恐ろしく堂に入った構えだった。
そして、突撃した赤肌と交錯する。
慶文には剣がブレて光ったように見えた。それほど高速の太刀筋であった。
破壊的な断面を晒しながら、鮮血を噴き上げてオークの首魁は絶命していた。痛みを感じる間もない、即死である。
ぱっ、と真っ赤なしぶきを散らし、どたどたと慣性のままに倒れこんでいった。
それを見届け、やがて桜も糸が切れたように倒れ伏す。
「あ、ちょっと! 大丈夫ですか!?」
慌てる慶文1人が、噎せ返るほどの血臭満ちるこの場に取り残されたのだった。
◇◇◇
有史以前より、人類はダンジョンに潜り、そこから生み出される資源を糧に日々を生きて来た。
それは西暦2052年を数える現代でも変わらない。
いや、迷宮のモンスターを倒す事により手に入る魔石が、非常にクリーンな燃料であると注目されて以来、迷宮の需要は日増しに高まっていると言えた。
かつては自伝や創作でしか知ることが出来なかった探索者の迷宮内での活躍も、録画・配信といった形で衆目に触れるようになって以来、固定のファンが付く
その探索者の1人である
決して広いとは言えないワンルームの床に転がされているのは、完膚無きまでに破壊された、子供大の人形。
慶文が己のスキル、〔人形遣い〕を活用する為に、少なくない資金を持ち出して手に入れた、戦闘用の
疑似生命付与や降霊など、いわゆる使い魔・式神系に属するスキルユーザーの為に製造されている装備品の一種だが、いかんせん戦闘用の物は金額が嵩む。
迷宮探索を初めて足掛け3年、ようやく新人を抜け出してきた慶文にとっては、今使っている物が壊れたからと言って、簡単に次を用意することが出来る代物では無かった。
そして、ベッドの上に目線を移す。
「……すぴー、すぴー」
思わず腹が立ちそうなくらい呑気な寝息を立てて、地味な女が横たわっていた。
眉をしかめて溜息を一つ、いい加減この全ての元凶をたたき起こしてやることにする。
「【起きろ】」
「はい!」
元気よく跳ね起きた地味女、桜は寝起きで状況が全く掴めていないらしかった。
「……? ……!?」と理解の追いついていない顔で周囲をキョロキョロ見渡している。
「え、私、生きてる?」
「……とりあえず、自己紹介でもしましょうか。お茶でいいですか?」
「あ、はい……」
◇◇◇
スキルとは迷宮に挑む者に与えられる、武器、道具、それらと同様に数えられる手札のようなもの。
先天的に持って生まれて来ることも珍しくはない。
が、それが最大のレベル10でとなれば話は変わってくる。
「俺の場合は〔人形遣い〕が最初からレベル10だったんです」
「え゛。それってギフテッドじゃ……?」
「ええ、まあ。他の人みたいに大したものじゃなかったですけど」
最初は天才だなんだと持ち上げられて、国の研究機関からも協力を依頼されていたりもしたが、今はすっかり落ち着いていた。
時間が経った事も大きいが、慶文が〔人形遣い〕の奥義を発動出来なかった事も一因としてある。
スキルは最大まで鍛えることで、奥の手や奥義と呼ばれる強力なものへ変化する事が多い。
なんてことのない
それが使えなかった……と、思われていた。いや自分でもそう思っていた。
「ある程度年取らないと使えない奥義があるとか知りませんでしたよ」
ある日……というよりは自分の誕生日に、「あ、今なら使える」と奥義の存在を直感したのだ。
それも、何やら不穏な気配を感じさせる奥義を。
「迷宮法4条の3、はい」
「……?」
「いや、首ひねられても……習いましたよね?」
「細かく覚えてなくて……」
「ああ……」
そういえばズブの素人であのままだったら死んでたんだこいつ、と今更ながら思い出した慶文は、溜息を吐きそうになりながら簡単に説明する。
「他者の肉体、精神へ干渉する技能を持つ者は、許可なくこれを使用する事を禁ずる」
「へー……」
「で、今の桜さんの状態なんですが」
「はい」
「俺のスキルで魂まで縛られちゃってるんで。絶対服従どころか息をするのも許可がいるレベルなんで」
「はい。…………は?」
ポケーっと頷きを返して、今しがたの言葉をかみ砕き、フリーズ。
「け、警察……!!」
「はい【動くな】」
「ッ……!!!?」
「まああのままだと死んでたしお互い様って事で……あ、もう喋っていいですよ」
「ぷはっ、ちょ、どういうことですか!?」
「俺の奥義がそういうものだったんです。生物を対象に、生きた操り人形にする能力」
「そっ、そっ、それっ」
「条件厳しくて……あの時は本当にギリギリだったんです」
「詐欺じゃないですか!」
「うるせぇ! 元はといえばトレインなんてやってきたそっちが悪いんだろうが! 殺人未遂と一緒だ! 出るとこ出たら10:0で勝てる話だぞ!」
「わっ、わっ、私やりたくてやった訳じゃないんです! というか助かったんだからもういいでしょう!? これも!」
「解除方法が分からないんです! で、相談なんですが―――」
「えぇ!? 自分のスキルなのに!? 待って、どうするんですか!?」
「話聞け! で! 相談なんですが!」
ベットに気を付けの姿勢で横たわりながら、意外と元気に喚く桜を一度押し留め、慶文は迷宮から帰還する最中に練っていた腹案を話す。
「迷宮法違反の罰則は様々だけど、魂レベルで従属させるスキルの無断使用なんて発覚したら、緊急避難とか言う前に即封印間違いなし。俺は探索者を続けられなくなるし、桜さんも元に戻れるか怪しい。強引なやり方で繋がりを断とうとすると不味い事になる。桜さんも感じてるでしょう?」
「そんな……」
「だけど、この状況を打開するたった一つの方法があります」
深く息を吸う。今から自分が話す内容が、大それたものだという自覚があった。
「方法はただ一つ。俺が特一級の
しばしの沈黙を挟み、震えながら桜が言う。
「……む、無理ですよそんなの」
桜がそう断言するのも当然の話だった。
特一級とは、探索者の中の一握りの、さらに選りすぐられた存在。
スキルのギフテッドなど何の意味も成さない程の天才達が、さらに血を吐くような努力をしてようやく辿り着く事の出来る境地。
全国100万を超える探索者達の最高峰。
迷宮に殆ど詳しくない桜でも、一言で無理と判断出来る程の高みを目指すと慶文は言ったのだ。
「特一級になれば迷宮の中では特権に近い自由を得る事が出来る。禁制レベルのスキルの事後承諾すら得る事が可能なんだ。特一級になった後で俺の奥義を開示し、登録する」
大きな時間の矛盾が存在する事になる。が、それが許されてしまうほど、特一級探索者に齎される権限は大きい。
彼らに残された道は、狭く険しい、それのみだった。
「だから―――俺と共に戦ってください。桜さん」
人形遣いと、生き人形の迷宮探索はこうして始まったのだった。
◇◇◇