――結んだ縁の片方が、目覚めたことを悟る。
思いのほか、早い。だが、それはどちらかと言えば僥倖だ。
早ければ早いほど、最終的な結果は望ましいものに近くなる。
想定に対して二千年ほどずれたのは、その分、あの異聞が過酷だということの証左なのだろう。
はじめにそれを見た時、他の二つとも違う“詰み”への対応は何も思いつかなかった。
かの異聞について、己の眼でも観測できたものはさほど多くはない。
白き巨人セファールと聖剣使いが争わなかったことによる、汎人類史と隔絶した世界。
それは他の異聞の何れとも異なる、“手の付けられなさ”を有していた。
たとえ星見の民が他の二つを超えることが出来ても、ここで詰む。絶望でも脅威でもない、絶対がそこにあった。
介入するより他はなかった。
英霊に力を与えるのではなく、己が直接赴くことによって。
そうでなければ、あの世界に感化されるか、早々に滅ぼされるかのどちらかだ。
ゆえに、二つの地点に介入して、策を弄した。
一つは黎明。その異聞のスタート地点。
セファールと聖剣使いが、ただ和解に至っただけでは、この異聞を断つことは決して出来ない。
ゼロを一にするための唯一の手段こそが、この地点で蒔く種であった。
ただ、セファールが支配する世界であってはならない。
この異聞は、セファールと聖剣使いが対等となり、共に終末を誓わなければならないのだ。
現在に至るまで、聖剣使いが先に死ぬようなことは許されない。
まず、星見の民があの場に至った時、前提が存在する。
――セファールは倒せない。異聞として現在まで存続したセファールは、星見がその時持ち得る戦力だけでは確実に打倒出来ない。
己にも原因の読むことの叶わない、この異聞の試練による自滅に期待するのはあまりにも愚かだ。
ゆえに、この聖剣使いをこそ、星見の切り札と成せる選択肢を残した。
たった一人味方とすれば、この異聞を断つことが可能となる。
そうでなくとも――其はただいるだけで、セファールを抑える理性となるだろう。
そして、残る一つの地点。ここには、智慧の果実を。
これはセファールへの対抗手段とするためではない。
世界を統べる王ではなく、世界そのものの方向性への干渉。
或いはそれは、この世界の機構をより強固に、盤石にする一手かもしれない。
だが、こうすることで、完全無欠は抑えられずとも、計算不可能という異質は抑えることが出来る。
星見の民。カルデアには厳しい旅路となるだろう。
脅威を覚えるかもしれない。絶望を抱くかもしれない。
それでも。それらを抱く余裕さえ存在しない、“異聞”ですらない“異界”、或いは“異階”になる危険性だけは、取り払われる。
――セファールが人を愛する、世界にとって正しい“一”になっていたとするならば。
我ながら、この異聞についての確証は一切ない。
これが最善だ。あとは、この異聞がカルデアにとって、最も好ましいものになると信じ、待つばかり。
世界も、人も、災厄も、セファールも、聖剣すらもまともではない異聞。
その失墜――或いは接近。
願わくば、この異端の根が、汎人類史の一切を侵すことなく、正常に断たれんことを。
+
――意識の発生はゆっくりとしたものではなく、唐突だった。
その前兆は自分では感じられず。ある地点で私という存在が確定したかのような。
意識だけははっきりとしていて、
真っ白だ。
冷たくて、それでいて温かくて。穏やかで、それでいて必死さを感じる、世界を撫でる波間。
それに乗って私という存在は“生”へと向かっている。
何故。決まっている。これは、世界がそう、私に望んだからだ。
最初に聞こえたのは星の
この世界には罅が入っていてはならない。この世界には腐食が広がっていてはならない。
だって、それだと人が生きていられない。こんなにも人は頑張っているのに、世界の方が壊れてしまうなど、許されることではない。
人は世界を守るために、今日も戦っているのだ。
ならば彼らが守った世界で、明日に笑うための土壌に不備があっては人も納得できまい。
だから、私は
星が己に言い聞かせるような叱咤の叫び。
そうあるべきだ。そうでなければ。正常な運営のための使命感であり、強迫観念。
心底からそこにある生命たちを尊び、愛するがため。
ああ――なんという世界だろう。
こんなにも、生命に寄り添う祈りを有して、それを力の限り叫ぶことで、もう一つの本心に蓋をする。
だが、この母なる胎内。或いは内海とも言えるだろう深層。理性の鎖が存在しない、本能がありのままに己を明かす、無垢心理領域。
そこで耳をすませば、もう一つの
痛い、つらい、苦しい――――
まだ、折れたくない。
目は見える。手足は動く。空を見上げて、大地を支えることは、まだできる。
――――何故?
ここは隠す必要のない場所だ。本心が明かされなければならない場所だ。
あらゆる戒めのない、“己”だけの世界の筈だ。
だというのに、なんでそんな場所でまで、こんな言葉を吐けるのか。
世界レベルの強がり。だけど、その強がりを押し通せると、この本能は本気で思っている。
いつか破綻する。私が聞いた叫びから伝わってきた。世界に迫る脅威は日に日に力を付けて、その命運を打ち砕こうとしている。
何よりも早く、星が諦めるべき終わりだというのに。
本来であれば、もっと早く、この世界は命運を断たれている筈だったのに。
まだ誰一人諦めていない。
人も、彼らを抱える世界も、まだ歯を食い縛って耐えている。当たり前に受け入れるべき終わりに、すべてを懸けて抗って、皆が明日のその先を信じている。
ああ――本当に、なんという世界。
まだ生まれてすらいないのに、こんな、呆れて物が言えないという感覚を味わうなんて。
狂っている。狂っているんだ。ここにある全ては、どうしようもなく狂っている。
救えないほど純粋で、どうしようもなく努力家で、砂の城のように
よもや、そんな場所で、それを自覚できるような私が生まれてしまうなんて。
なんたる不具合。なんたる異質か。それさえも、星の祈りだったというのだから始末が悪い。
壊れかけた世界は、更なる強さを望んでいる。
このままでは駄目だという集合無意識が、新たな槍を、新たな盾を望んでいる。
ただ見上げるだけだった、災厄が駆け抜ける通路でしかない無窮のソラを羽ばたく翼を望んでいる。
黒き空を、白き光で塗り替えたい。
災厄の落ちる空ではなく、果てしない蒼穹と、無限の星が瞬く夜空。それを自分たちは見上げていたい。
だからこそ――新たな輝きを。
星々の如く煌めく、新たなる希望を。
――世界に/人々に、新たな明日を見せるために。
なんと優しく、なんと愚かなことか。
だけど、その純粋さが、ひどく愛おしく感じられた。
なるほど。であれば私は目覚めなければならない。
母の願い、人の祈り、希望、未来――私はそういうもので出来ているのだから。
新たなる歌。遥かなる羽ばたき。築かれることになる秩序。私はその、呼び水となるのだろう。
ならばそれが一日でも早く確立されるよう、早く産声を上げるべきだ。
――満たせ、星の声よ、私を満たせ。
この世界が迎えられる限りの、善き
あたたかな祝福に包まれて、私の内に真白き翼が編まれていく。
ゆるやかなさざ波の中で、私という個体が完成されていく。
そして――
『――から、眼鏡があればそれでいい』
「なるほど、ヒットポイント回復に当てると……ならば私はセカンドコートから行くことにしましょう」
『くっ、セイちゃんは外道だった……!?』
――私の意図していた“狂っている”とは何かが異なる狂気が、私の最初の景色だった。
「で、何してるんだい彼女ら」
「私に聞かないでよ。あれを認識するだけで演算回路が引き千切れそう」
「母様が雑巾を使っていなかったら世界が終わっていた……」
「そーなの!?」
「二人とも、これを着けろ。次は死ぬ――待て、エクリプス、そのサングラスは食べちゃ駄目だ。ごはんじゃないぞ」
ただ、まあ――その理解し難い、多分この世界で誰一人理解出来ない空間ではあるが。
多分、きっと、互いの信頼あればこその、あたたかい光景であった。
「あ、ほら! この子、気付いたみたいよ!」
『む――本当だ。おはよう、具合はどう?』
繰り広げられていた奇妙奇天烈なナニカを即座に中止し、世界の理、その端末が駆けてくる。
人ならざるその姿と、存在感。
誰何するまでもなく理解できた。本能の慟哭すら許さない、強がりの達人が彼女なのだと。
「ええ――ええ、問題、ありません。おはようございます――お母様」
『――、セイちゃん、二人目の娘が出来た』
「なんでしょう。アトリやエクリプスの時より衝撃が少ない。慣れたのかな」
彼女こそが――私が守るべき存在なのだと。
■ブリュンヒルデ
セファール二人目の娘。
紀元前三千年ごろ、侵略種によって齎された破壊をセファールが修復する波の中で生まれ落ちた。
その性質はアトリのようなセファールのバックアップ体とは異なり、“守らなければ”という世界も含めた共通の集合無意識が生み出した祈りの結晶。
はじめから生物として完成されており、躯体はセファールの端末よりも背の高い長髪の成人女性の姿。
星の叫び、人々への感情、本心の強がりのすべてを実体験として知っている。
そのため――比較するのは野暮だろうが――セファールのことを“何となく分かる”面々に比べ、セファールへの理解力は飛び抜けている。これは、後に生まれる戦乙女たちも共通である。
世界に生まれ落ちる防衛本能。己がその呼び水であることは理解しており、いずれ妹たちが生まれる時代に向け、その因子の調整を行うことになる。
白鳥の如き翼を広げ、未踏の空を翔けることが出来る。黒き星が地上に落ちる前――完全に世界が無傷な内に侵略種を討伐するという偉業は、彼女が初めて成し遂げた。
そして――――。
■大神
――こと生存において、善悪による優劣はない。ただし、超常存在はいつの世もどちらかに肩入れするものだ。
第八異聞帯となるこの世界を観測し、はじまりの特異点、ブリテン異聞帯と並び、“詰む”と判断して介入を行った智慧の神。
この世界は分岐の始点からして、『惑星外の知性体に敗北した』世界である。
そのためか彼の眼をもってしても全容を把握することが出来なかった。
数少ない、分かったことは、このまま行けば絶望さえ感じられない途中下車の結末を余儀なくされること。
彼の力を宿した英霊のように、人理焼却をデッドエンド、人理再編をバッドエンドと称するならば、この異聞帯はバッドエンドに至る前に“バグで突破不可能な敵が現れてしまい、進行不可能になる”ようなもの。
それを回避するための修正を行うべく、神霊はこの世界に介入した。
この世界は、カルデアやその他の存在に対し、特定の詰み地点に助力を寄越すのではどうにもならず、世界そのものを突破可能な方向に誘導する必要があった。
その一端は既にこの世界で成立し、巨神王と聖剣使いが世界の頂点となり、彼女たちによる終末が約束されている。
残る干渉も――その内一つは想定より早く芽吹いたが――効果を成すだろうという目算。
これでまったくどうにもならない状況は無くなった。あとは、幾らかの異聞帯を切除してここに至るだろうカルデアに託すのみである。
この介入を除き、すべてはこの大神にも不明瞭。何が起きたのか、何が起きるのかも謎のまま。
――ゆえに、何が起きても不思議ではない人理の乱れは汎人類史の希望を、どこまでも悪辣に嘲笑う。