穏やかな時間だった。
侵略種は来ていない。大きな一つを打ち倒せば、向こう数ヶ月――運が良ければ数年くらいは、何もない。
今回のものもかなり手強い敵だった。この新天地が始まった頃の私であれば、間違いなく倒せないと断言できる。
だが、この世界は日に日に強くなっているのだ。
人々は進歩して、私自身も世界の土台として、侵略種を倒し、吸収する度に力は蓄えられていく。
一定の域まで到達すれば存在の
倍々ゲームで進化を繰り返し、私――セファールの本体の全長は八一九二メートル。
新天地となって以来、侵略種という存在しか吸収するものがないため、一つの拡張に千年単位で時間を使っているが、正直この拡張は必要な吸収の副次効果に過ぎない。
あくまでも吸収の目的は、世界の修繕に使うリソースの確保。
私の力でこの世界を修復しているものの、力の総量は、使えば当然減る。
減り続ければ私の、ひいては世界の寿命の減少に直結するのだ。減る分は、摂取しなければならない。
その場しのぎも甚だしい。どうにもならない災厄への対応のためではあるが――吸収という行為は、あまり好きではなかった。
侵略種の力の変換の際に感じられる、私や人々に対する否定の意思は、最後まで抵抗してくる。
具体的に言うと、死ぬほど不味いのだ。あれ、どうにかならないかな。
「侵略種を調理出来ないか」と打診してみたららむくんに正気を疑われたのも懐かしい。何千年前のことだっけ。
いいじゃないか、食文化は大事なんだぞ。美味しいごはんが防衛の士気にも関わるのはこの世界の歴史が証明している。
それを楽しむために、百年ほどかけて端末に味覚を搭載させたのだ。まあ、いくら食べても端末運用のための魔力の足しにしかならないけど。
さて。
はじまりの頃と比べて、侵略種の数は増え始めている。
しかしながら、どちらかといえばそれに対する防衛は安定に向かいつつあった。
その要因は色々とある。
人々の技術の向上による、防衛機構の進化。移動技術が発達したことでこの国の外にもさまざまに設置されるようになり、間に合わないという事態も減ってきている。
さらに、アトリの存在。
彼女は強かった。予想以上に強くなって、今や百メートルクラスの大型の侵略種をも単独で討伐出来るほどにまでなっている。
いや――単独ではなく、エクリプスと共に、か。戦いでは常に彼女たちは一緒だ。
なんかエクリプスは侵略種の力を相殺する一種の異能を持っているようで、それで相手を抑えているうちにアトリが一撃、というスタイルは彼女たちの必勝戦術でもある。
そして――近年になって遂に、この世界の防衛は新たなステップに入った。
発端となったのが、私の二人目の娘、ブリュンヒルデ。
アトリとは違い、この世界の意思を受けて目覚めた、私の防衛本能のようなものであるらしい。
世界を、そして人々を守ることを命題とする彼女は、空に可能性を見出した。
というのも、彼女は真っ白な翼を背中に表出させ、空を翔けることが出来るのだ。これを用いれば、防衛がさらに確実なものになると。
そして、自身の後に続く妹たちが現れるだろうとも、彼女は言った。
それが空を守る秩序になる。アトリや、人間たちと協力し、強固な世界を作って見せる。だから、安心してほしいと――。
泣くかと思った。私の娘たちが心強すぎてヤバい。
ブリュンヒルデが生まれて大体二百年くらいだろうか。
彼女の言う通り、ぽつりぽつりと世界の何処かで白鳥の如き守護者たちが生まれ落ちるようになった。
アトリとブリュンヒルデを姉、そして私を母とする、人に近しくもまた別の種である彼女たちの総称を
ブリュンヒルデと同じように飛行能力を有する少女たち。
戦闘能力は二人には及ばないものの、得手によっては侵略種と接近戦が出来るような子もいる。
得意不得意がさまざまに分かれたワルキューレたちによって、防衛の幅は大いに広がった。
世界を飛行して巡回し、付近に飛来する侵略種の先行対処やその他――自然災害や人間同士の痴話喧嘩まで広く対応する者。
ブリュンヒルデの指示の下、空戦部隊として戦う者。
逆に、アトリの下について戦馬を操る騎馬部隊の一員となる者。
戦闘が得意でなければ、技術職や防衛機構に携わる人々の補助をする者。
それぞれの個性を活かす形で、皆が防衛に尽力してくれているのだ。
そんな形で、増えに増えている我が娘たち。
彼女たちを総じて取り仕切り、管理を行っているのはブリュンヒルデである。
かなり仕事量が多い。私に少し任せてほしいと言っても、首を縦に振ってくれなかったけど、大丈夫かな、倒れないかなあの子。
「――ネネッタ。ビルキス。この銘を貴女たちに与えます。どうか、この世界を守る輝きの一つとなってください」
「うん――分かったよ、お姉様」
「お任せください。必ずや、世界を……お母様を守り通してみせましょう」
――今日、また二人ワルキューレが生まれた。
すべてのワルキューレは、まず私の本体のところにやってくる。本能のようなものらしい。
そして、ブリュンヒルデに名を授かる。これもまた、彼女が自ら引き受けたことだった。
ああ、認めよう。私は芸術センスは無いがネーミングセンスも無かった。
ヘカテがいなければ二人の名がどうなっていたか。
そんな危機的状況を、被害者になりかけたブリュンヒルデも察していたようで、彼女がやってきたワルキューレを見極め、空に瞬く星の名から相応しいものを与えるという形式になった。
この星の名前だが、ヘカテが持ってきたオリュンピア・デバイスから読み取ったものである。
彼女たちの大元――星船たちによる名称を翻訳したものだとか。この辺り、ヘカテが出来るのは良いとして、ブリュンヒルデも可能らしい。ヘカテから教わったのかな。
「また増えたんですね。何人目でしたっけ」
命名と最初の役割を決定する、ワルキューレのみによって行われる儀式。
それを遠目に眺めていれば、セイちゃんがそんなことを聞いてきた。
『ネネッタとビルキスで、合計が二百四十一人』
「……まさか全員名前覚えてたりするんですか」
『……? 娘だから当然では』
一人でも忘れていたら普通にひどいぞ。
全員、この儀式が終わったら本体と対話する訳だし、名乗られれば忘れるようなものじゃない。
平均寿命は約二百年。その寿命を全うし使命に尽くす者もいれば、もっと長く、と求める者もいる。
私としては、そうした個々の道を見出してくれれば、否定するつもりはない。
長い生を求めるならば、私の紋章の力を宿した結晶を分け与えるようにしている。これを飲み干せば、相応の時間、私の文明侵食スキルが効果を発揮し、体の機能が動き続ける。
やろうと思えば、最初からそういう風に生まれてきたアトリやブリュンヒルデのような長寿も得られる訳だ。
……もっとも、使命にひた向き過ぎて、もっと長く、という望みを思いつくこともない子もいるわけだが。
『……セイちゃん?』
「……私は正直、自信ないですね。剣の道で積み上げたものは忘れないですけど、碌に会話したこともないと」
むぅ……仕方ないか。
セイちゃんは直接関わりのないことには興味を示すことも少ないし。
ワルキューレたちについても、最初は悉くが大事であったが今ではこの儀式の場にいないことさえある。
……そういえば、ヘカテから教わっていた魔術も、剣と併せて学ぶのが難しいからとすっぱり諦めていたな。
魔術は昨今の機械技術の核でもあるため、最近セイちゃんは機械音痴の気配がある。自分で利用できるのはメジャーどころくらいだ。
まあ、セイちゃんは剣で積み上げた業の冴えで並大抵のことは出来てしまうのだが。ヘカテの見立ては大正解であった。
――とはいえ。私の可愛い娘たちをセイちゃんが知らないのは如何なものか。
『よし、知らないところは教える。セイちゃんは全員知っているべき』
「うわ地雷踏んだ。ちょっと、いいです。勘弁してください。それ一人につき三十分掛かるやつじゃないですか」
『一人三時間コースでも可』
「――お母様。時間を増やすなら、もっと間を刻むべきかと。もっとも、それでも足りないのでは、と思いはしますが」
儀式を終え、ブリュンヒルデが此方にやってくる。
私たちの話を聞いていたようで、困ったように微笑んでいた。
アトリと比べて彼女は感情を表に出す方だ。物静かで、何をしても儚い印象が付きまとってしまうが。
ちなみにアトリは表情に出ないのと理性的なだけで感情は豊かである。表情より行動で表すタイプだ。
『お疲れ、ブリュンヒルデ』
「はい。此度の妹たちも、きっと強く輝くことでしょう」
「……ちなみに。ヒルデも名前、全部覚えているんですか?」
「勿論。らむ様もヘカテ様も、全機を記憶しています。なので聖剣使い様も――」
「うわ地雷増えた。私ちょっと用事が出来たので帰っていいですか」
ふむ。私たちの娘/妹自慢を聞きたくないとおっしゃる。
これはいけない。セイちゃんとあろう者が、これでは駄目だ。
ブリュンヒルデ、部屋に結界を――もう張った? グッジョブ。流石、仕事が早い。
「え、ここでやるんですか。せめてもっと落ち着ける場所にしましょうよ」
『大丈夫大丈夫。たった三十日やそこら、この部屋にいても』
「本気で三時間コースじゃないですか。助けて。ちょっと、
――この後、セイちゃんの弁明を受け、彼女が忘れていた子たちをピックアップして話すことになった。
掛かった時間は三日ちょい。これだけの数を忘れているなんて、想定外だぞ。
■セファール
全長八一九二メートル。
成長率は遅くなっているが、セファールのスキルの関係上、既に総合能力はAランクの2000000000倍というよく分からない数値になっている。
ただし、世界の運営に力の大部分を使っているため、戦闘においてはこれだけの能力は発揮できない。
また、防衛機構が発展する度にセファール自身は戦いにくくなっている。
相変わらずの人間好き。そして娘好き。どの娘に対しても溺愛状態であり、離れていくのは普通に寂しい。
■聖剣使い
関係あること以外を覚えるのが苦手。
というか、人の価値観を持ったまま終末までを生きるには、余計なことを考えていては耐えられないと知っているため、考えないようにしている。
そう努めていたら機械技術の発展に乗り遅れた。一般的に普及しているものや、侵略種の迎撃に必要な移動手段などメジャーどころはともかく、娯楽の範囲などは音痴気味。
別に機械に嫌悪感を持っている訳ではなく、少し見て「なるほど、分かりません」とすっぱり諦めるタイプ。
娯楽に興じる暇があったら剣でも振っていた方が楽しいらしい。
■ワルキューレ
世界を、そして人々を守る白き小さな星。空を翔ける白鳥の翼。
呼び水であるブリュンヒルデの誕生からおよそ二百年後の辺りから、修復の波に乗って世界の何処かに生まれ落ちるようになった。
全個体がブリュンヒルデによって管理されており、命名も彼女によるもの。
彼女が生まれた時、命名は混沌を極めた。アトリの時以上に荒れに荒れた。
その後、ヘカテによって「空に輝く綺羅星であれば、星の名から取るのはどうか」という案が生まれ、ヘカテが知る限りの星の名が挙げられる。
それをこの星の言語に直し、その中から選ばれたのがブリュンヒルデという名。
彼女は他の名前もまた、続く妹たちに相応しいとして、全ての名を記憶。生まれた個体ごとにその名を割り当てている。
よって、本作に登場するオリジナルのワルキューレの名は「小惑星に付けられた女性名」が中心となっている。
ブリュンヒルデ(ブリュンヒルト)も存在する。もっと言うとワルキューレもある。
この世界のワルキューレはその肉体に飛行のための因子を有しており、任意で背中に白く輝く翼を出現させて飛ぶことが可能。
特徴的な白装束は白鳥礼装ではなく、セファールをイメージしたものである。
空戦部隊のほか、地上でアトリ率いる騎馬部隊に所属する者もいる。騎馬の氏族。
本人たちは助数詞に「羽」「機」を用いるが、セファールをはじめとして、基本的にワルキューレ以外は「人」を使うことが多い。
これは価値観の相違であり、ワルキューレという存在を、星を守る秩序の一つと見るか、世界の命の一つと見るかによる。
――幸い、本人たちが特段気にすることもなく、この違いが不和を呼ぶことはなかったが、この世界が持つ歪な危険性の一つであった。