幼年期(アルトリア六歳)。
※LB6の根幹に関わるネタバレを含みます。お読みになる際はご注意ください。
時系列が分かりにくい書き方をしてしまっていましたが、この話が第1話の時間の少し前です。後で前書きに時間の但し書きなどを追加します。
(時系列的には2→3→4→1話という流れ)
ごうごう、ごうごう。
耳を壊すような風の音、身を切るような冷たさの中。
起きている時でも、眠っている時でも、気づけば私はそこにいた。
嵐を遮るもの、私の身を守る物はただの一つもなく。
ただ独りで、ずっとそこに立っている。
「おはよう、アリー。私の可愛い子」
それでも、眠りから覚めたときなら「お母さん」がいました。
いつも私を抱えるように眠っていて、目が覚めたときには濃い茶色の長い髪が私の体にも掛かっています。くっついて寝ているから、眠っているときの寒さも、目を覚ませば少しは薄れました。
「お母さん」は眠いときはとても温かいから、ぎゅうっと抱き締められていると、凍えていたことが嘘みたいで。
それから私が目を覚ましたことに気が付くと、笑っておはようと言ってくれる。──そんな姿が、目覚めたばかりの私を何より温めていました。
「馬鹿らしい。私も、みんなも、どうせろくでなしだ。どうせ滅ぶ。善良じゃないんだから、滅んで当然だ」
でも。母は、心の底でこっそり泣いていました。
「消えてしまえ、こんな世界。こんな、私なんかも。優しくなれないのに、温かくなんてないのに」
憎んで、嘆いて、泣いていました。
もがいて、もがいて、どうにもならなくて立ち尽くしていました。
でも、死ぬことも、傷つけることも怖がっていました。
ブリテンの妖精のはずなのに、私を「娘」にした母。
周りが敵意と悪意、無関心ばかりの中、母は異質でした。腹を立てて、傷ついているのに、もっとひどい思いをしながら妖精を育てようとしたのです。
周りから疎まれるとわかっていても、私を引き取って、自分の扶持を削りながらでも、私を手放そうとしませんでした。
それは私が『楽園の妖精』だったからでしょう。
「予言の通りになる。それでも、この子は。この子の心だけは、自由でなくっちゃ」
それでも、私に対して嘘を吐くことはほとんどなく、腹を立てるときは危ないことをしたとき程度でした。
……いつもは心の中で、こっちが恥ずかしくなるくらい、何でもないこともすっごい褒めてくれたりして。でも、それを表に出すことを恥じていました。
母は、私に嫌がられるのが、何よりも嫌だったのです。
「できるだけのものを残そう。この子がひとりで歩いていけるように。幸せな記憶が心を支えてくれるように」
母は、他から見れば私に対して当たりがキツかったかもしれません。
それでも、私に触れる手は注意深くて、私の反応を見てくれて、痛い思いをしたときには謝ってくれました。
私は混乱しました。どちらの母が本物なのか、わからなかったから。
母は、理由を心の奥底にしまい込んでいました。それは、わかるものもあれば、どうしても見えないものもありました。
どうしても見えないものは、そこだけ、暗い靄のようなものが掛かっていて。おそらくそれは、きっと母自身でさえ、理解しないように封じていたのでしょう。
私に笑いかける母と、私以外の──自分自身を含めた妖精を憎む母。
「この子は愛されないと、慈しまれないと。これから誰かに返せる気持ちの素を持っていないと、悲しいじゃないか。どんな立場でも、せっかく、この世界に生まれてきたんだから」
それもまた、紛れもない母の本音でした。
でも、一緒に過ごしていくうちに、少しだけわかったことがありました。よく見ていれば、村のだれかと話すときも、私と話すときも、気持ちと考えを突き合わせてから言葉を選んで、それを伝えるときには気を遣っていたのです。
母は妖精を嫌っていました。でも、生活することがひとりでは成り立たないことを理解していました。嫌いでも、同じ村で生きていくためにどうするか、考えることを放棄しませんでした。
自死を選んだ方がましなくらい妖精が嫌なら、どこへなりと流れていってしまえばいいのです。それでも、生きることからは離れられなかった。
きっと、母が死ねなかったのは、小さな小さな星を、誰にもわからないように持っていたからでしょう。母の心の奥底は暗かったけれど、そこにあるのは決して暗いものだけではありませんでした。
母は、たった一つキラキラと輝く星のようなものを抱えていました。大事に大事に、私が小さな光を隠していたのです。それがなにかはきちんと読めなかったけれど。きっと、母も思い出せないのでしょう。でも、それがどのようなものなのかはわかりました。
きっと、小さな星は、母が絶対に手放せない記憶だったのです。幸せだった記憶。誰かにもらった、世界を諦めない意地に至る、誰かの心でした。
彼女は、ちっぽけな希望と、心と、記憶を捨てられなかったのでしょう。
口が悪くて、怒りっぽいところもあって、喜びも悲しみも大きくて。それでも、母はどこか真面目でした。
嫌っても、愛しても。そのどちらでも生まれてくる激しい気持ちをそのまま発露させるのではなく、できる限りのことをしようとしていました。
嘘ではないけれど、口にしないこともありました。それでも、せめてそれを嘘にしないようにと努力していたのを、知っています。
『
母の中にも、嵐の音は響いていました。
それは真実で、誤魔化しようがありません。
──ただ同時に、母が私を大切にしていることも真実なのだと、長い時間をかけて理解しました。
もちろん、理解したのと納得するのは別です。
「うおりゃーーー!!! 死ねコラーーー!!!」
けど、直接聞くのもちょっと怖くて、なかなか言えなくて。気づけば6年目の区切りも過ぎました。
母が管理する村外れの畑の近くで、今日も今日とて体術訓練。野良仕事もありますが、それでも訓練のときはひとりの時間を与えられました。
それは、自分の生活を守るための村の妖精たちへのパフォーマンスであり、同時に、私への配慮でもありました。
母は、私がひとりで遊んだり、体を動かすことを喜びました。友達をつくると複雑そうにして、それでも、嫌なことがあったら相手をとっちめてくれました。
村に稼ぎを納めるようになったのも、私に訓練をさせるのも母の保身術です。でも、後先考えずに相手をとっちめにいくときは、自分のことなんか考えていません。
ただ全力で、ぶちのめしに行きました。
本来なら、私がやることです。私が、嫌だと言えばいい。
「うぉおおお……おおぉ……うへぇ」
まだ力なんかついてなくて、私は母にも勝てません。
体力がなんとかついてきたとはいえ、拳骨一つで負けてしまう。でも、抵抗したり、チクショウ覚えてろとは言えるようになりました。
理不尽だと思ったら、声を上げていいと母自身が私に教え込んだ成果だといえるでしょう。母が理不尽だと思うことは、滅多になかったけれど。
「あああああ、気持ち悪い! 気持ち悪いなぁ、君んとこの妖精は!」
「!? つ、杖がしゃべったぁ!?」
声が聞こえたのは、杖を振り回すのに疲れて、畑のあぜ道に倒れこんで、呻いたときでした。
ひどく不機嫌そうな、その割に、どこか優しい声でした。
「違うね、俺は杖じゃない。ティンタジェルの気持ち悪さ、そして言いなりになっている君の気持ち悪さに耐えかねて、つい声をかけてしまったお節介さ」
これが魔術の師であるマーリンとの出会い。
「いまあったら嬉しいものはなんだい?」
「それなら……お母さんの本当の気持ちが、知りたい」
「? そんなもの、視ればわかるだろ?」
その言葉で、彼もまた妖精眼を持っているとわかりました。同じ目を持った存在に出会うのは初めてで、嬉しくて、不思議な気持ちになります。
でも、困りました。不思議そうに言うマーリンに、どう説明するべきか。
悩んでから、私は母のやり方を真似て、考えと気持ちを出来るだけ合わせてから口に出そうとしました。
「ううん、そうじゃなくて。お母さんが持ってる、ぴかぴかの星がなんなのか、知りたいの」
「……それなら、魔術よりは話術から始めるべきだな。それから、暗示なんかも混ぜるといい」
マーリンはどこか納得いかない様子でしたが、それでも本当に魔術を教えてくれるようで安心しました。
あの星は誰からもらったものなのか、どうして母はそれを捨てられないのか。
それだけはわかりません。
でも、それを知ることができたら、私もきっとあの嵐の中も耐えられるのではないかと思ったのです。
マーリンは、そんな私の意思を汲んでくれたのでしょう。魔術とそうではない技術を混ぜて使うよう提案してくれました。
彼の言葉は、私が知るなかで初めて裏表がないもの。なんだか、それはとても嬉しくて、彼の教えを一言も聞き漏らさないようにしっかりと聞きました。
勉強が楽しいこと、工夫することが難しいこと、それも含めて「知ること」が面白いということを、私はこのとき初めて知ったのです。
「こうかな?」
「うわ、もう出来てる……」
早速マーリンに教わって、その場で練習した魔術を使いました。
なぜか教えてくれたマーリンが驚いていたけれど、そんなことはどうでもよかった。
「お母さん!」
「ん? どうしたんだいアルトリア。木にぶつかりでもしたかい? (たんこぶやらは無さそうだけど)」
「お母さんが一番大事にしてる記憶って、なぁに?」
お母さんは、いつもと変わらず畑仕事をしていました。
話しながら、後ろ手で小さく印を描いて暗示の魔術をかける。
それが効いたのか、お母さんは俯いて、視線を落として黙り込みました。
悪いことをしている、と思った反面、これであの星が何なのか知ることが出来る、と思うとワクワクして。
「……こンのお馬鹿! 言いたいことはちゃんと言いな!」
「ぎゃあ!」
うつむいていた顔が勢いをつけて戻ったかと思うと、いつもよりも思いきった拳骨を落とされて、私は地面に沈みました。
骨にヒビ入ったんじゃない? とか、いつもの万倍痛いんだけど!? とか、言いたいことはたくさんあります。そんな言葉も出ないくらい、痛かったのです。
そのときの母の表情は、私が見たことのないものでした。
『
母の青い目の中には、嵐が吹きすさんでいました。
私はそのとき、一緒に暮らしてきてはじめて、起きているうちに嵐を起こしているのを見たのです。
母の目は、いつもよりも光を反射してはいたけれど、涙は出ていません。でも、怒っていません。
ただ、どうしてなのかわからないから。だから、ひどい顔をしていたのです。
そんな顔をさせたのは、紛れもない私自身。
「うわ……効いてないとか、どんな精神してんだよ」
「どうして?! マーリン、いけるって言ったじゃん!」
そのとき、また杖から声がして私はうっかり大声を上げました。
母の表情が変わったのは、そのときです。
「(ああ、そういうことか。……初めての魔術なら、仕方ないよね)」
私が怪我をした後にするような、ホッとした顔の向こう側。そこに見えたのは、諦観でした。その瞬間、母の中の嵐は勢いを弱めたのです。
飲み込むしかないと諦めて、母の嵐は収まりました。
それから母は、私の杖をじっと見て、静かに口を開きました。悩みと、困惑の色を強くして。
「アンタ、マーリンって言ったかい。アルトリアは時々ポカやるからね、教えるならもっと慎重にしとくれよ」
「……俺が魔術を教えるのを認めるのか?」
「ああ。この子には身を守る術がいる。アタシじゃ、それを教えてやれないからね。教えられるのはせいぜい野良仕事くらいさ(本当は、もっと色々なことを教えられれば良かったんだけど)」
母の本心でした。
私が母の隠しているものを無理に知ろうとしたのに、母は怒って取り上げようともしませんでした。それどころか、杖から話しかけてきたマーリンのことも認めたし、私にとって「必要なもの」だと知っていたのです。
「マーリンに魔術を習うのはいい。けどね、私はともかく村の連中にはバレないようにやりな。……そうだね、物置なら見つかりにくい。昼間の畑も危ないから、索敵はもっとちゃんと出来るようになっときなさいよ」
立ち上がるようにと差し伸べられた手を取ると、ゆっくりと引き上げられて。表情も、内心も、もういつも通りの穏やかさに戻っていました。
拳骨を落とした辺りを撫でながら、母は言い切ったのです。
「……それなら、昼間の訓練の時間はこっちでいくらか取るぞ」
「アハハ、そりゃ助かるね。娘を頼むよ、マーリン先生よぉ」
どこか納得いかなさそうな声のマーリンに、母は大笑い。嬉しそうに、あっさりと私の訓練の時間を任せてしまいました。
……その心の中では、寂しさがひゅうひゅう音を立てていたけれど。
だから結局、私は母の心の中の星が何なのか、まだわかりません。なぜ母が自分を含む妖精を憎んでいるのかも、正確には知りません。
でも、ちゃんと魔術を使いこなせるようになって、一人前になったら、私はきっとまた知ろうとするでしょう。
だから、そのときはちゃんと、ただ真っ直ぐに訊くのです。魔術も話術も使わず、私自身の心からの言葉で。
他者の心から逃げないくらい強くなってからじゃないと難しいけれど、いつか、必ず。
ランキングの上位にも食い込んでいたと知り、軽い気持ちで始めたので思わぬ高評価に震えておりました。
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誤字報告などにつきましても、大変助かります。ありがとうございます。