お母さんとハーブと祝いの約束のこと。
スランプ入ってるので更新が遅れました。すみません。
今後も不定期です。
新しいマフラーを巻き付けて喜び勇んで外に出たはずのアルトリアが、5分もしないうちにバタバタ駆け込んできた。
「お゛か゛あ゛さ゛ん゛ッ! さ゛む゛い゛ッ!」
「ああもう、今年はいつもより寒いって言ったでしょ。鼻水でぐっずぐずじゃないの……」
どうやら、寒さに負けたようで若干涙目になっている。朝方はまだ寒いから仕方ないとはいえ、こうも鼻をズビズビ言わせているのがかわいそうになってしまう。
暖房の魔術は習っているんじゃないかと思ったんだけど、習っていないか、はたまた油断していたか忘れているのか。どちらにせよ、いつもの冬支度だけでは足りないのは明らかだった。冬用のコートももうちょっと分厚いのがあった方がいいかな。
「ほら、ハンカチ。鼻水かみな」
「ち゛ーん゛ッ、ずびっ」
冬はなんだかんだと穏やかに過ぎて、風に冷たさは残るけれど春が来た。
妖精たちの活動が活発になる春の温かさまではまだもうちょっとかかるけれど、それは逆に言えば私たちが穏やかに過ごせる時間はまだもう少しあるということ。
それならば、とふと思い付いたことがある。
春から始まる仕事でハーブを集めるつもりでいるから、今から使い道を教えておいたらいいかもしれない。
「アルトリア、母さんからの授業は受けてみるかい?」
「お母さんの授業?」
「そう。魔除けの作り方のお勉強ね」
「やる!」
私の提案に、アルトリアは目を輝かせる。
今までに教えてきたのは家事や野良仕事だから、授業らしいことなんてしなかった。手習いとか体験授業みたいなものばかりで、授業と銘打ったこともない。
だからか、マーリン氏とは違うものを感じてか興味を持ったのだろう。知らないことを知る楽しみを知った私の娘は、私の提案に胸を踊らせているのか目が輝いていて、表情も明るい。
思いつきとはいえ言ってみて良かったし、この子がマーリン氏に師事することができて、本当に良かった。
そうとなれば早速必要なものを用意しなくては、と棚やら物置やらに手を伸ばす。
今日はまだ時間もあるし、魔術の授業の時間までにも余裕がある。今のうちにちょっとだけ、そう、遊びみたいに楽しめるようなことをしよう。
「魔除けや魔除けのためになるものといっても、本当にたくさんの種類があるんだよ、アリー。すぐにとは言わないし、ちょっとずつ覚えていけばいいからね」
棚に並べていた瓶をテーブルの上に移動させる。
うちに置いてあるのは誰もがよく知るハーブの類いだ。おかしなものでもないけれど、めちゃくちゃに効くものでもない。せいぜい民間療法のそれだから、話半分でいいものだ。
パセリ、マグワード、ホワイトセージ、ローズマリー、ネトル、タイム、カモミール、フェンネル、ディル。
他にもたくさんあるけれど、とりあえずはこれだけあればいい。いくらかは野草をどうにかこうにか育て始めたもので、正直本物かは怪しい。ただ、普通に薬効は同じようなので本物扱いでいいはずだ。ここでは私がルールだし、自分で薬効を試したのだから許されると思う。
料理にも薬にもそこそこに使えるけれど、他の妖精たちがあまり使っている様子はない。たとえ怪我をしてもちょっとのことならそのままにするし、大事でもそれなりの怪我までなら自力で治せるからだ。
そういうものについて、ややこしい介入をしてくる近隣住民から身を守るためには、本当なら積極的に使うべきではない。でも、これからのことを考えれば、この際なんでも使うべきだろう。
なら、これもまあ生活の知恵だし、授業と言っていいかわからないけど教えておいたらいいんじゃないかな、というのが正しい。
「塗り薬にするときは擂り潰して、蜜蝋と清水と混ぜ合わせる。チンキ剤は刻んだ薬草をアルコールに浸して、希釈して振り撒くんだよ」
「チンキ剤?」
「畑の虫除けとかで霧吹きにいれて振りかけてるものがあったでしょう? あれが薄めたチンキ剤。虫除けになるの」
アルコールがどこから手に入ったか? 当然、前に行商人から買ったものに決まっている。蜜蝋は巣箱に居着いた蜂たちから分けてもらったものと、要らなくなった巣箱から回収したものだ。
アルコールのもとになるのは穀類に果実だけど、公に規制があるために加工ができない。蒸留するための器具にしても、こんな環境で材料もないために作れるわけがなかった。エクターなら作れるかもしれないけれど、精緻な器具を頼むには蓄えがないし、支払ったあとの生活がカツカツすぎる。
だから、結局は正規ルートで使うぶんだけ買うのが一番だったりする。出費はそこそこなので世知辛い。とはいえ、チンキ剤は妖精ではない畑用の虫除けなんかに使うもの。必要なものはケチるとだいたいツケが大きいから、こういうものにはちゃんとお金は出さないと後で困る。
「アルコールは気化するから、チンキ剤を作るときにはしっかりと封をすること。油紙や蜜蝋で封ができるけど、やるなら油紙だね。蜜蝋は軟膏に使うから」
「わかった。蜜蝋って便利なんだぁ」
「そうだよ。ただ、蜂が自分達の体から作るものだからね、相性が悪いヒトもいる。使うときは、自分や相手の体に使えるか少しだけ試してみてからにしなさい」
だって動物性のたんぱく質だからね。化粧品も含めて、薬剤には合う合わないが確実にある。その中でも動物性たんぱく質は体質に左右されやすいのだ。
比較的誰にでも使えるのが植物性油脂だけど、菜種や大豆なんかの種子を使うとして、量を集めて精製するのが大変だし、低温で溶けやすいせいで緩みすぎる可能性が高い。
『へぇ、面白いことをしてるね』
「マーリン!」
「おや、マーリン先生、お早いことだね」
次は蜜蝋を、と思ったとき、馴染みの声だけが部屋にやってきた。もうそんな時間になっていたなんて、気を緩めてしまいすぎたのかもしれない。
『薬草学はまだ教えてなかったけど、君が教えてしまったのか。アルトリアに何をどこまで教えた?』
「基本のハーブの種類と使い道だけだね。まあ、切って浸ける程度のことだから、魔術的な意味は特にないよ」
『なるほど。家の仕事と養蜂だけじゃなくて薬品作りにも慣れているのは、流石はブラウニーといったところかな』
「……言うほど上手くはないわよ、こういうの。慣れでしかないものだし」
ちり、と一瞬だけ首筋に何かひりつくような、嫌な感覚がする。
敵意は、ないはずだ。少なくともそんな感覚ではない。マーリン氏に何かする気があるなら、もっと早く、わかりにくく動くだろう。それに本能からか、肌の表面を走るようにビリビリと焼けるような違和感がするはずだ。でも、それがない。ただの勘違い。
「褒めても何も出ないからね。妖精バターか乳製品ぐらいしか備蓄がないもの」
『おや、分けられるくらいの量が残ってるのかい』
それも売り物にならない、申し訳程度の量だけど。とはいえ、冬を起きて越していくなら貴重なものだ。もうすぐそこまで春が来ている今なら、なんとか出せる。
その一言が案外受け入れられたか、少しばかり機嫌がよさそうな声色をしている。
──が、そんなことはどうでもいい子がここに一人。というか、話題のせいでおいてけぼりにされているうちに、聞き捨てならない単語が出てきて食いついた子が一人。
「あれ、バターとチーズってまだ残ってるの? わたし、チーズトースト食べたい!」
アルトリアは今年のチーズが気に入ったのか、冬の間に暖炉の火でで炙ってつくるチーズトーストを喜んでいた。
「そうね、今度のお祝いはチーズを出そうか。トーストもだし、お肉もね」
「お肉も!? やったー!」
『相変わらずだなぁ、アルトリアは』
「可愛いでしょ、うちの娘は」
これには、マーリン氏も苦笑いの息を漏らすしかなかったようで、返事はない。
いいんだよ、親バカでも。だって好きなものが増えたのだ。食べたい、と自発的に思える好きなものができて、それに私がすることを喜んでくれた。
それから、今年も生きて春を祝える。
来年も、再来年も、この子がここにいる内はこの面々で節目の祝いをできるようにしたい。
『くれるなら貰いたいものだよ。俺がいる場所では手に入らないからね』
「なら、あとで用意しておくわ。遅くなるかもしれないけど、いいかい」
『もちろん。それじゃ、戸口にでも置いておいてくれるかな』
杖から聞こえるはずの声は、いつもよりもどことなく穏やかなものに聞こえた。
それも本当かどうかはしらないけど、やはり冬を越すのは誰にとっても大変だから、そういうものだと思っておくことにした。
と、いうのはいいとして。あれこれ話をするのが楽しくて、ついもう少しと思ってしまう。
このままだといくらでも話し込んでしまうかもしれないと気がついて、それを振り払える内に立ち上がった。
「で、もう今日の授業の時間でしょ、お二人さん。私は物置に行くわ。頼んだよ、お師匠さん」
『……ああ、俺が教えられる内はね』
「お祝いまでに便利な魔法とかしっかり覚えるからね! お母さん、チーズトーストとお肉、忘れないでね!」
「はいはい。わかってるから、怪我だけはしないようにね」
「はぁい!」
その言葉、やる気十分な娘の表情に、すっかりと安心してしまう。
ごちそうは無理だとしても、春のお祝いにはできる限り、うんと美味しいものを用意しなくちゃ。
それから、冬に作った品を、いくらかエクターに持っていこう。春を一緒に祝うのは難しくても、祝いの言葉と品を交わすことはできる。
エクターとアルトリアの顔合わせは、アルトリアがもう少し大きくなってから。そうすれば、気に入ってすぐに弟子入り、ということだってできる。
もうちょっと大きくなってからじゃないと工房に遊びに行くのが危ないから、というのもある。工房でなければいいだろうけど、アルトリアのことだからこっちが止めてもきっと粘って粘って口説き落とすか何かして、あの場所に居ついてしまうはずだ。
親離れだと思えばいいけど、危ないのはなぁ。そう思ってしまうのは、あまりに過保護だろうか。
むしろ、私が子離れができていない現状の方が問題かもしれない。
◇◆◇◆
物置の戸を閉めて、ノブを掴んだまま先程感じた違和感の正体に気がついた。
背筋に嫌な汗が伝って、扉にもたれる。
──私は、自分の種族を話したことはなかったはずだ。
なら、彼はどこで知ったんだ?