ぐええええぇぇぇ、と情けない声を上げながら――魔王は渓谷の底へと落ちていく。
纏わりつく翼竜を殴り殺しながら長らく墜落していった先。
巨大な湖の水辺に叩きつけられた。
水に叩きつけられる衝撃に加え、丁度岩場あたりに墜落したらしい。背骨に固く鋭い痛みが走る。
「ぎゃあああああああああああァァァァァァ!」
痛みが走る――が。それだけ。肉体にダメージの一切もなし。岩場も見事に砕け散っている。いぇーい。魔王の肉体サイコー。
内臓がシェイクされたようにも、脊柱がブチ折れたような音が聞こえたような気もしたが気のせい気のせい。もうこの程度の痛み、さんざ味わわされた浄化魔法に比べれればなんてことはない。なんてことはないのだ!
「なんじゃあ、五月蠅いのぉ」
自己再生を終え。辺りを見渡すと。一面、睡蓮の花に囲まれた湖がある。
渓谷の崖に遮られた日光が、湖の中心部分にだけ円状に当たっている。まるで天然のスポットライトだ。
その光を浴びながら――魔王を見やる存在が、一つ。
いや。一人。
「......は?巨竜じゃないの?」
渓谷には、翼竜と竜人の力の源泉である巨竜が潜んでいる――と。そう話に聞いていたのだが。
そこには、人型の存在がいる。
水上に浮かぶ少女が一人。
額には鉱石の如きゴツゴツとした角を生やし。背からはしなやかな骨組のような尾が見え、その上から紅の衣を着込んでいる。
細く、硬そうな質感の髪が水に潤み艶やかに見える、が――その姿は何処からどう見ても、年端も行かぬ少女だ。
笑んだ口元から見える凶器の如きギザ歯。額から生え出た角に、尾。人間から逸脱した要素が幾つも散らばっているが。
「儂は竜仙。――この者共を率いし、”王”である!」
ふふん、と。腰に両手を当て、ギザ歯を見せつけながら、胸を反らし、勝気な笑みを浮かべ――そう少女は言った。
何故だろうなぁ。多分この世界じゃあ凄い奴なのだろうけど。こう、公園の遊具の上で年下のクソガキをぶん殴って勝ち誇っているような上級クソガキみたいな風情をね。感じます。
とはいえ、気になるワードもある。
「....竜仙?」
「なんじゃあ、知らぬのか。永く生きた果てに溜め込んだ魔力を代償に流転を果たし、人の姿となった竜の事じゃ。まあそんな事をしているのは儂含め僅かであるがな」
「へぇ。なんでわざわざ人になったのよ?」
「そちらの方が都合がよいからじゃな。竜の姿では、人の子らが扱う魔法を扱えぬのじゃ。不便なものよ」
「へ~」
「で。そちは魔王じゃな。――まさか生き残れるとはのぉ。やはり長生きとはするものじゃ」
さて、と。――竜仙は言う。
「おぬし、何のためにここに来ているのじゃ」
「国境の向こう側にね。ちょい、と。ちょちょい、と」
「成程のぉ。――儂らが攻め込んだおかげで空いた国境線から逃亡するつもりだったのじゃな」
「そういう事」
「はっはっは。――つまり。儂らの侵攻のどさくさ紛れに、儂らを利用して、逃げるつもりか」
その言葉尻が。徐々に強くなっていく。
「舐めておるのじゃな。儂を、舐めておるのじゃなァ.....?」
こめかみに、青筋。
お?お?ムカついてる?ムカついちゃってます~?
あの阿呆のような理不尽な戦いを生き抜いた魔王は、元より持ち合わせていた度胸が更に強化され。その上で怒りの感情を読み取るとおちょくりたがる悪癖も同時に開花させてしまっていたのであった。
魔王はなんだか嬉しくなって、とてつもなく穏やかな笑みを浮かべてしまっていた。
「儂はなぁ、竜族よ。あらゆる生命の頂点に立つ古代生命。――他種族から舐められるのだけは、我慢ならん」
「そんな舐められそうな見た目にわざわざ自分からなったくせに....」
「五月蠅い五月蠅い!黙れ!この身に宿した力の程が、この姿と同一と思っておるのか⁉」
「いいねいいねその貧相極まりないボキャブラリー。貧相な身体と併せてまさしくクソガキ!おいおい竜っていうから長生きしてるもんかと思いきやお前は心も体も成長しないのかァ!そうか....まさか永遠のクソガキか....?楽しくなってきなァ!」
瞬間。
少女のお手々が「いただきます」よろしく合わさった瞬間――その合間より凄まじいまでの熱が生み出され。圧縮され――どてっぱらに打ち込まれた。
魔王は「ぐぇ!」と一言呟くと共に、水切りの石の如く湖を跳ねていく。
「.....チッ。やはり死なぬわな」
「死んだらどーする!」
「せいせいするのぉ」
「だがどうだァ。これで解っただろう?俺は浄化魔法がなくば死なねぇぞぉ!」
「そのようだの。――だが見ておれ魔王。貴様を殺しきれずとも、貴様が従えし者共を皆殺しにする事は容易い」
「おいおい。お前の目は節穴かァ?」
皆殺し宣言を受けて尚。――魔王は笑みを浮かべる。
「アレを俺が従えていると思ったら大間違いだ。あの連中がそんな素直で素敵な品行方正な連中だと思うか?俺をぶっ殺しにきた奴と俺使ってもっととんでもねぇ化物ぶっ殺しにきた奴の集合体だぞあの野郎共」
「....何じゃ。部下ではないのか?」
「いいか。忠告だけしておくぞ。アイツらはもう人間じゃねぇ。目的の為なら手段を択ばない奴と手段の為に目的を選ばない奴のカーニバルだ」
その瞬間――魔王と少女は、同時に空を見上げた。
なぜなら。空から凄まじいまでの爆音が聞こえてきたから。
劈く悲鳴と爆撃音が同時に響き渡り。その死骸は雨粒の如く、湖畔に降り注いでいく。
きたきた。手段のためならば目的を選ばない奴筆頭が。
「.....」
「.....」
両者は、黙りこくる。
降り注ぐ翼竜の死骸がそうさせたのではない。
爆音と断末魔の狭間に微かに響き渡る――とてもとても、幸せそうな笑い声が。
湖のスポットライトに、深い影が挟み込まれる。
渓谷の狭間を抜け――
硬き幾層にもわたる岩石の層。そこに根を張る樹木。地盤の上に笑いながら腕組みする、女が一人。
「さあ!さあ!竜を束ねし王よ!――わらわが、来た‼‼‼」
落ち行く岩盤に押しつぶされ。生え出た樹木に叩き落され。大量の翼竜の死骸を連れ立って。
湖畔に――笑顔がステキな何者かが。
「共に楽しもうじゃあ、ないか――!」
隕石が降り落ちたように。湖は轟音と共に水は吹き上がり、波となり崖先に叩きつけられる。
武王・ヤナギ・ソネサキ。全身を返り血で染めた女が――いざ尋常に、渓谷へ現れた。
※
魔王が仕掛けた幻覚魔法により、進軍路が覆い隠されたグラハムの砲兵部隊は――山岳に展開する。
転送魔法により移送された大砲が列を成し――順繰りに放たれていく。
渓谷を飛び交う翼竜の群れは――次々と撃ち落されていく。
大砲は、弾が装填されると共に照準が終わっている。
砲兵が行うのは、極めて単純。
――グラハムが示す影が示す方角へ撃ちだす。それのみである。
弾道の計算をグラハムが行い。その通りに砲弾を放つ。
それだけで――面白いように翼竜は撃ち落されていく。
「――壮観ですね」
大砲が次々竜を落としていく様を見て、思わずカガルは呟く。
一人の射手としても、この砲弾が獲物を仕留めていく様は実に見応えがあった。
「おうエルフ様。頼んだぜ」
「ええ。解っています」
渓谷に吹く風。
砲弾の弾道計測を煩雑にする要素であるそれを――カガルが魔法により、一定に制御する。
風向きとその強さを一定にし。弾道の計測を簡便にする。
――風を制御しているとしても。魔法を扱いながらの弾道計測が、こうも簡単に出来るものか。
恐らくは長きに渡り大砲を扱ってきた者としての経験なのだろうが。それにしても、魔法を扱いながら一つ一つの大砲の弾道計測をし、兵を率いる。このような真似が、そう簡単に出来るものであろうか――。
「それじゃあ翼竜の相手は俺とこのエルフ様がやるから。――斥候の竜人共の排除は任せた」
「任されました」
「応」
そうして。砲兵部隊を背後から叩かんと迫りくる竜人共は、ビスクとヤナギの両者が仕留めていく。
砲兵付近に設置した影を行き来し、迫りくる竜人を仕留めていく役割をビスクが。竜人が固まっている地点へ遊撃を仕掛ける役割をヤナギが。
――殺戮。
影に足を踏み入れれば、ラミアであるビスクに引きずり込まれ吸血の餌食に。
足を止めれば、敵を探し暴れ回るヤナギの暴力の餌食に。
山岳を取り、翼竜を撃ち落とす体制が整った瞬間より――竜側が圧倒的な不利に陥った。
「――さあて」
おおよそ二十程の竜人の群れを殺し尽くしたヤナギが――捥ぎ取った竜人の首を掴みながらカガルの前に現れる。
全身に巻いた包帯は返り血にまみれ。屍人が蘇ったかの如き迫力が生み出されていた。
「頼むぞ、カガルよ」
「はい。貴女は充分に仕事を果たしてくれました。――どうぞ、後は心ゆくまでお楽しみください」
そうカガルが言うと。一つ詠唱を行うと共にヤナギの背を叩く。
それと共に――風に舞うように、ヤナギは上空へと浮かび上がる。
浮かんだヤナギに向け、カガルが矢を放つと。ヤナギはその鏃を掴む。
掴んだその矢が向かうままに――ヤナギは、渓谷へと向かっていく。
大砲が飛び交い、生き残りの翼竜が空を舞う。その最中を。
「では――王の御前へと、向かわん」
空の最中に、ヤナギは大地魔法を行使する。
大地を、形成する。
岩盤が幾層に重ねられた大地を、巨大な樹木と共に作り上げる。
空であろうとも。――彼女の両足は大地を踏みしめる。
眼前に迫りくる翼竜の群れと、渓谷の先にある暗黒を見据え――満身創痍のまま、彼女は渓谷へ大地と共に墜落してゆく。
※
先程まで、竜の少女がいた場所には――砕け散った岩盤と樹木の破片が無惨に砕け散っていた。
澄んだ湖に濁った土くれが撒き散らされ。浮かんでいた花は波に流され散り、沈んでいった。
して。
魔王は――吹き飛んだ岩盤にまたまともにぶち当たり、再度崖に叩きつけられる事となった。
「おお、魔王。息災か?」
「今まさに俺を轢死させようとしていた女が言える台詞かァ?」
「馬鹿を言うではない。一度はわらわを下したお主がこの程度で死ぬわけがなかろう。――で。そやつが、”王”か」
岩盤の軌道上にいた竜の少女は――当然の如く、その場を離れ避けていたが。
その表情は。――明らかに、恐怖の色に染まっている。
……おいおい。化物だとは思っていたが。竜族にまで恐れられているのかこいつは。
「あ....あなた、あなた」
「ん?――ああ。お主、竜仙か。まだまだ人となって日が浅いと見る」
全身を包帯で覆ったその姿。間違いなく、満身創痍。大地魔法で岩盤という緩衝材を作っていたとはいえ――聖女の鉄槌により爆ぜた左足の腿の傷口が開き、血が噴き出ている。
で、あるというのに。
「――東方の柳竜。原初の、竜仙.....!」
「は?」
竜仙、とは。
この少女が言うには――永く生きた竜が、魔力を代償に人の身に変わった存在だと聞いていた。
え?
ヤナギも、そうなの....?
「成程の。人の身へ流転し、王となったか。――どうじゃ?その身体も悪くはなかろう」
ヤナギは少女の言葉を否定することなく。ただ笑っていた――。
※
むかしむかし。
まだ人が、魔法により文明を作るよりも以前。
一匹の竜がいた。
それは蛇の如き胴と樹木の如き腕が生え揃った異形の竜。
東方の巨大な山脈の頂上に根付くように、そこに存在していた。
竜は、人の営みを山々から見守り続けていた。
人々は、『手』を持っていた。
何かを掴み。何かを作り出す手を。
手をもって柵を作り営みを生み。道具を作り、狩りをし、作物を育て。文字を生み、連綿と続く社会を作り上げていった。
営みが生まれれば。そこには闘争が生まれる。
その闘争に。竜はどうしようもなく魅かれていった。
彼等の戦いは、絶えず変わっていく。時代を経るごとに武具を、魔法を作り。兵員を揃え策を拵えて。より大きく深く、闘争を繰り広げる。
その『手』が何もかもを変えていく。その『手』が作る武具が。書き記す魔法陣と紋章が。それらを書き記し後世に残していく文字の山々が。
――己は生まれながらの強者であった。
――だが。あれ程の速度をもって己は変わっていけるであろうか。これ以上を、望めるであろうか。
その疑問が浮かび上がった瞬間。
あの『手』が欲しいと。竜は思った。
樹木のように張り詰め。鋭い爪牙がついた手ではない。しなやかな指と繊細な動作と――絶えず変わりゆける力を内包したその『手』が。
ある日を境に。山に住まう竜はいなくなった。
されど。数世紀の後。――その怪腕にて、人々を長く苦しめていた厄災たる竜を仕留めた武道家が現れた。
竜はその体躯を捨て人の身と成り。人の肉体を得、長きに渡る修練の下武芸の極みへ至り――ついぞ、人の身にて竜を殺めた。
竜の肉体を捨て。人の肉体にて竜を超えた。
名は、柳竜。
竜を捨て人となった、その始まりの一人である。
※
「.....」
落ち着け、と少女は唱える。
あの見目。明らかに満身創痍だ。――恐らくは魔王狩りの最中で出会った強者か。もしくはあの魔王に不覚を取ったか。全力での戦いはできないはず。
むしろ、好機ではないか?
原初にして、最強の竜仙・柳竜。
それが――満身創痍のまま、眼前にいるのだ。
倒せば。それは、己にとって何よりの威信となる。
「よかろう。先駆の竜仙として、お主に示してやろう」
翼竜も、竜人も。己が率いし手先は次々と殺されていく。
その分――分け与えた力もまた戻っていく。
こちらは、全力で戦える。不利なのは、あちらの方だ。
なのに。
どうしようもない程の恐怖が、己の中に芽吹いていく。
それは――恐らく、不利であるはずのヤナギの方が、あまりにも楽しそうに笑っているからであろう。
不利を担って尚笑う。その狂気の源泉を、理解できない――!
「竜の身にて人に流転し武を極めた、この【武王】の神髄をな」