その拳が魔王の肉体を打った瞬間。
胸部に叩きつけられたその衝撃は──巨大な鉄塊が打ち付けたかのように全身を駆け抜けていった。
押し潰される肉の感覚。衝撃に粉々に砕かれた骨が拳に押し出され肉に突き刺さる感覚。
それは、純粋な、鉄塊のような、衝撃の塊であった。
「浄化魔法の効果は抑えている。安心しろ。おぬしは、我が拳により打倒する」
その言葉の通り。浄化魔法の効果はあまり感じられない。今までのように体が一瞬で消し飛びそうになるほどの、己を消し飛ばすほどの力はそこに存在しない。
しかし。それでも尚
──どういうこった。
その衝撃を全身に味わいながらも。
己の肉体が──何故か、吹き飛ばない。
凄まじい衝撃を受けながらも、その力の流れに肉体が後方へ流れるという機能が、喪われている。
別に拘束されているわけではない。
それなのに──何故か、地面より足が離れない。
「わらわが扱う魔法は『大地』。如何なる衝撃を受けようともその足は根を張りて離れぬ。必ず、肉体の一部が地面と接する事を強制する魔術だ」
ヤナギは、躊躇なく己の手札を晒した。
彼女が扱う魔法は『大地』。
──己も。相手も。踏みしめる大地と足とに、根を張る効果。
歩く事も走る事も出来る。だが、ジャンプする事で両足を離したり、衝撃を受けようとも肉体が吹き飛ぶような──要は、大地から逃れるような挙動が否定される。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
真っ向勝負を望む武闘家らしい。あまりにもらしい魔法であった。
されど魔王。逃げる。
──こんな化物に付き合ってられっかよォォォォォォォォォォォォォォォ!
「はっはっはっは! わらわに背を向けるとはいい度胸よ。逃げた先に何が在るか、楽しみで仕方ないな! ──まあその前にわらわに脊髄を叩き折られなければの話だが」
にこやかにヤナギは魔王を追う。
その足が踏みしめられるたびに、大地が砕け散る。
「『放出』」
たまらず、魔王は己の魔力をヤナギに放つ。
放出された魔力の本流を前に──ヤナギは足を止める事無く、両手それぞれを曲げ、打ち付ける。
丸まった手同士が打ち付けられ、圧縮された空間を一瞬で解放する。その瞬間──両手に込められた浄化魔法の光が拡散する。
魔王の魔力は、一瞬にして霧散してしまった。
「──工夫が足りぬぞ」
にこやかに、魔力の放出を叩き壊すと共に──ヤナギは魔王の正面側へと回り込む。
「さあわらわは逃げも隠れもせぬぞ」
「俺は逃げるぞ! 隠れるぞ! このバケモンがぁ!」
「はっはっは。魔王たるもの、逃げを選択するのならば逃げ切らねばならぬだろう」
ヤナギは、旋風の如き腰回転と共に、右足の踏み込みから、少しだけ上体を起こすような挙動と共に──正拳を放つ。
魔王は何とか反応を返し、両腕にてそれを受け止める。
両腕の肉が千切れ、骨が砕ける。この感覚は、先程拳を撃たれた時と変わらない。
が。
何故か──その両腕から伝わる衝撃が。腕を通過し。腕に接地する己の肉体へと向かい。こちらの肉と骨、幾ばくかの内臓器官までぶち壊していく。
更に。
己の肉体が──あまりの衝撃に、宙に浮かんでいる。
「な.....なん、で」
大地魔法がかけられているのならば、両足が地面に離れることは無いはず。なのに、今己の肉体はヤナギの攻撃に宙に浮かされている。
「簡単な事よ。大地魔法をわらわが解除したからだ」
ヤナギの連撃は続く。
宙に浮かんだ魔王の左腕を掴むと同時。腰回転に巻き込むように、魔王を背負い投げ。
背中側から叩きつけられた衝撃で、背骨の幾つかが砕ける。
仰臥する魔王の顔面に──流れるように、ヤナギの踏み砕きが叩きつけられる。
叩き込まれる鋼鉄の如き足に、鼻骨と歯の幾ばくかが砕け、頭蓋骨が軋む。
「いやはや。やはり魔王の肉体は別格だの。常人であらば、この技を受けた時点で肉も骨も磨り潰された肉塊になっておるというのに」
まだまだ肉体の原形をとどめている魔王に感嘆の声を上げ──そして、今まさに再生を行っている光景に、満面の笑み。
──考えろ。
恐らくヤナギは再生が終わるのを待っているのであろう。全身の肉という肉が、骨という骨が、叩き壊されたこの恐ろしい力。
これだけの力を持っていて、なおかつ逃げる事まで否定されるとなると。本当に打つ手が無くなる。
──奴は大地魔法を解除したタイミングがあった。アレは恐らく、自分の攻撃の威力を増させる為に行使しているのだろう。
大地魔法は、自身と敵の双方を地面に縛り付ける魔法。
ヤナギは恐らく──自身を大地に縛り付けられている力を利用して、己の攻撃の威力を増させているのだ。
何をしようとも、大地魔法は己の両足を縛り付ける。ヤナギ程の怪力を持つ者であろうとも。
ヤナギはその性質を利用して、自身が両足を地面から離そうとする挙動を行い。それにより大地魔法にって地面へと引き戻す力を発生させ。力が発生すると共に、大地魔法を解除する。
この工程を経由することにより──己の両足に発生した大地魔法の力をバネ代わりに、攻撃の威力を増大させているのだろう。
自らも敵も、大地に縛り付け容易に逃げられぬような舞台を作り出し。そして自らは大地が人間を縛り付けようとする力そのものを転嫁して、己が暴力とする。
ヤナギの拳には、大地の力が籠められている。
まさに【武王】
大地に根を張り、大地の力を利用し、己が両腕にて敵を撃滅する。
「──よいぞ。そうでなくては」
幾つか考えを纏めると、魔王は立ち上がる。
──今の俺がこいつを相手に純粋な勝ちを求めるのはあまりにも絶望的だ。だが、俺の勝利条件はそこじゃねぇ。
軋む肉体、再生すれども悲鳴を上げ続ける全身が伝えてくる。──アレと暴力で張り合うには、もう生命体としての格が違うのだと。
──俺の勝利条件は二つ。こいつを【聖女】の場所まで連れていく事。そして、こいつと【聖女】を戦わせる事。この二つを達成するまで、生き延びられれば、ひとまず俺の勝利だ。
その為には。
まずもって──このあまりにも厄介な、ヤナギの魔法を解かねばならない。
立ち上がると同時に確認。今、自分は大地魔法の影響下にある。
魔法はどのように作用しているのか?
その辺りはまだ判別つかないが、一つだけ確かなことがある。
「放出」
魔王は、自身の魔力を込め、右手より放出する。
「ほう」
その放出先は。
己の足下。
「大地に縛り付ける魔法ってんなら──大地そのものを削り切れば、効果は消えるだろォ?」
自身の足下を削り、己と大地との接地を失くす。
それだけでこの魔法の効果は消える。
「そうだの。──だがあまり意味はない」
されど。
ヤナギは魔王が自らの足下を崩した瞬間、即座に間合いを詰め、その胸元に肘を叩き込む。
胸骨が破砕される音と同時。ヤナギの両手が魔王の右腕を絡めとる。
「足下を崩して宙に浮く瞬間を見過ごすわらわだと思っていたか?」
絡めとった両腕が魔王の右腕を飲み込むと同時。肘がひしゃげ、肩が外される。
「バーカ! ──こうすれば、勝手にお前が近づいてくれるだろが......!」
魔王は、ヤナギが絡めとり、骨を砕いたその右腕から──己が魔力を回す。
「おっと」
骨を砕いた流れから投げまで行使しようとしたヤナギは、即座に距離を取る。
そして。
「おぉ......!」
そして。
自らの全身を蝕むように──激痛の波が走っていく。
「お前の魔法の発動条件は、多分対象に触れる事だろ? ──だったら、一度解除さえしてしまえば、逃がさねえように俺を掴んでくれると踏んでいた」
先程。
魔王がヤナギの大地魔法の効果の影響を受けたのは、初撃の正拳を受けた後であった。
魔王がヤナギから逃げる行動を取った後。ヤナギは魔王を逃がさぬよう、攻撃の組み立てを行っていた。
大地魔法を解除した後の攻撃は。正拳で浮いた魔王の肉体を、投げにより再度地面に叩きつける行動を取っていた。
あの行動は、意識的か無意識にかは解らないが。攻撃の余波で魔王が吹き飛び距離を稼がれる前に、投げを行使する事でその場に押し留める為。
同じ状況──つまりは、”大地魔法が解除された”という状況に陥れば、同じ行動をしてくれるであろう。そう魔王は想定した。
魔王が魔力の放出により己の足下を崩す。
そうして大地魔法を解除された後。当然ヤナギは追撃をしてくる。
その追撃は、打撃でダメージを与えてから魔王を掴み、投げをしてくるであろうと。
ならば。
その投げる瞬間に、ヤナギの肉体に──魔王の魔力を流し込む。
魔王の魔力の性質は、”毒”。
鍛え上げられたヤナギの肉体であろうとも──直接流し込まれれば激痛を運び込む毒となる。
──これで、逃げる時間を稼げる。
当然。ヤナギは己の肉体に浄化魔法を宿しているため。これで仕留める事は出来ない。
されど、浄化魔法を全身に行き渡らせる為にある程度の時間足を止める事は可能であろう。その間に、逃げる。逃げ切ってやる。
「は.....はっはっはっはっはっは‼‼‼‼‼」
ヤナギは笑っていた。
激痛の中。その痛みに歪まんとする表情は──されど、愉快の色に染められていく。
「よい! よいぞ! ──わらわに奸計を通したか魔王! なんと見事!」
そして。
ヤナギは──激痛が身体に行き渡ることなどお構いなしに、魔王への追撃を続ける。
「おい! お前イカれてるのか!? 何で動けるんだよ! .....というか、治療しろよいてぇだろ!」
「痛みに動きを止める戦士など所詮二流よ! この程度でわらわの足が止められると思わば、大間違いぞ!」
魔王は。
その毒を喰らい、全身をのたうちまわらせた。
【原初の勇者の末裔】は。
その毒の苦痛を何とか最後は振り払ったものの、食らった瞬間は思わず膝をついた。
煙状の毒を喰らっただけでも、ベギムは相当の苦痛を味わっていた。直接魔力を流し込まれたヤナギのそれは、比肩できるものでもないだろう。
それでも。
それでも──彼女は、足を止めない。
苦痛に吊り上がった口元が、笑みで更に歪む。狂気の表情のまま、ヤナギは魔王の脇腹に弧拳を叩き込む。
骨が砕ける圧迫に、喉元から鮮血を吐き出す。
──落ち着け! 毒が回ってきたら、幻覚症状も出るはず!
毒が回れば五感が鈍る。幻覚や耳鳴りも発生する。
今まで通りの動きをすることすら困難になっていくはずだ。
そうすれば、更にこちらの”幻覚魔法”も併せる。そうなれば、さしものこの女も──!
だが。
「幻覚に耳鳴り.....! だが、おぬしの居所はよ~~~~~く解っておるぞ、魔王!」
五感が狂い始めてなお、ヤナギの拳は正確無比に魔王の肉体を捉える。
「五感だけで人は世界を認識しているわけではないのだ魔王よ! 在る事に拘らずとも、拳は出せるのだ!」
「あまりに意味わからねぇ説法ありがとよ! 頼むから死んでくれ!」
次第に目の焦点は魔王に合わなくなる。毒で視界が極限までぼやけてしまっているのだろう。ここまで毒が回ってしまえば、耳も聞こえなくなっているだろう。
だが、それでも突き出した拳の先。──吸い込まれるように、魔王の肉体に拳が埋め込まれる。
むしろ。眼で対象を追い、拳を出すという過程ではなく。
恐らく、魔王がそこに在るであろうという想定から攻撃を放っている分──攻撃の出そのものは、より鋭く。より速くなっている。
「こんの......バケモンがァァァァァァァァァァァァァァ!」
「はっはっはっは! 何を言っておるのかもう聞こえぬが──よいぞ魔王! わらわは今、心底愉快じゃあ!」
理屈を超えた先にある達人。
五感に頼らずとも戦闘を行使する、暴力の化身。
【武王】。ヤナギ・ソネサキ。
それは、怪物の称号であった。