秒読みの契約 ~あなたに三つの冠を~   作:雲ノ丸

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第1話 秒針動く

 仮眠スペースとは何と偉大なものだろうか。

 誰に咎められるでもない。視線もない。ただ、この微睡がだらりと続くことが、かけがえのないものだ。

 仕事、時間、約束、人付き合い。そんな束縛全てから解放される。

 

 現実から切り離された夢の居場所。

 

「おや、先客がいらっしゃいましたか」

 

 全ての始まりは、そんな声と、開くはずのない扉が開いてのことだった。

 

「ふむふむ、トレーナーさんとお見受けしますが。私はここをお昼寝ポイントと定めていまして」

「……好きにしな。ただしソファは譲らん」

「じゃあ、私はベッドをいただきますねー。……え、何であるのベッド?」

「秘密基地ならベッドの一つ二つあるだろ?」

「それもそっか。それじゃ、おやすみなさーい」

 

 男の前だというのに。

 薄緑の毛の少女はベッドの上で丸くなる。警戒心がまるでないのは、ウマ娘としての身体能力を過信しているのか、それとも意識さえされていないのか。

 

「はいよ、おやすみ」

 

 どちらにしても、使わないベッドに執着もない。

 のんびりとソファの上に寝っ転がりながら、腹の上に置いたパソコンをぼーっと眺める。イヤホンを耳につけ、外界と自分を切り離した。

 

 

 

 トレーナー室というのは、存外に自由が利いた。

 同僚の目も、生徒の目もなく、仕事場として自由な模様替えが許された。仮眠用のベッドの搬入程度は何も言われない。ただ、どうにもベッドより、備え付けのソファーの方が居心地が良く、搬入したまま使う機会はなかった。

 

 そうして、だらけるようにソファーに寝転んでやることは、もっぱら動画の再生だった。

 今はブルネットのボブカット、白い前髪、同色の三つ編みのハーフアップが特徴のウマ娘が走っているところだ。つい先日の模擬レース、弾丸のように飛び出す差し足がきらめくレースだった。

 

 動画越しに風でも吹き抜けるような錯覚を覚える。この差し足を封じるにはどうするか。

 逃げならどうやって振り切る? 先行ならどうやって突き放す? 同じ差しならどうする? 追込ならどうやって突き抜ける?

 

 少なくとも、凡庸な人間に答えは出せない。この映像ひとつでは、判断を下しきれない。

 

 また別の動画を再生する。

 先ほど注目した子……スペシャルウィークだったか。彼女だけでなく、栗毛のセミロング……どこにでもいそうで、しかし一つ一つ、所作が丁寧な様子が特徴なウマ娘、キングヘイローが走っている。

 

 同じ差しの作戦で、対抗意識か、それともプライドか。キングヘイローはあまりに早く仕掛けて、これに釣られる形でスペシャルウィークも飛び出した。

 その走りは迷いと躊躇いにあふれていた。

 自分のペースではない、不恰好な走行。スタミナが足りるのか不安なのだろう。先ほど見た動画の最高速度にはまるで及ばず、ロングスパートを中途半端にかけているような状態だ。

 

 そんなガラス細工よりも脆い走りで一着が取れるはずもなく、他のウマ娘に差し返されて沈んでいった。結果は言うまでもない。最下位争いだ。

 

 勝負勘は発展途上。

 まだ自分のペースに自信がなく、周囲によって掛かり気味になるのが弱点か。

 先行や同じく差しで競うなら、加速を二度に分けて消耗させるのもいいだろう。

 逃げの理想は大逃げだが、アレは脚への負担が大きく、必要なスタミナもバカにできない。普通に突き放さないなら、レース後半に差し掛かるにあたってわずかにペースを落とし、相手の脚を故意に余らせるのもありだろう。前提条件として、スパートされたら逃げ切れるだけの脚を残す必要があるが、万全に挑まれるよりは遥かにマシだ。

 

(まぁ、そこまで冷静にレースを運べる逃げウマ娘なんて早々いないが)

 

 逆に、逃げウマ娘というのはどうにも考えるのを疎かにしがちだ。自分の本領を最大限発揮する。そればかりを意識して、先頭集団のメリット……レース運びを操れる、という点を見落とすウマ娘のなんと多いことか。

 

(必死に走っている中で、冷静にそんなこと考えながら十全の力を発揮する)

 

 言うは易し、行うは難し。

 他のウマ娘からのプレッシャー。レース場の熱。走っている最中の高揚感。それら全てを押さえつけて、的確にレースごとに変わる最適解を考えて、それを実行する。そんなことをぽんぽこ出来るなら、とっくの昔にトゥインクルシリーズは逃げウマ娘が覇権を取っている。

 

(……追込は、ロングスパートで消耗させる? いや、そんだけポテンシャルあるならそもそも)

 

 小細工をする必要がなくなる。

 追込なら、その真価を発揮して、先頭まで貫くことを意識した方がいいだろう。下手な小細工よりも、後ろで研ぎ澄ました誰よりも鋭い差し足で迫る方が、何倍も勝率が高い。

 

「スカウトするなら、やっぱり」

 

 栗毛の長髪、おっとりした様子のウマ娘グラスワンダー。どこか得体の知れない恐ろしさを感じさせる差しウマ娘。

 茶よりの黒の毛。何より特徴的なプロレスラーのつけるようなマスクをつけているのは、エルコンドルパサー。直線での驚異的な末脚と加速力には目を見張るものがある。

 

 薄緑のショートカット、作戦を弄して走り抜けるのはセイウンスカイ。策を考え、レース中にそれを弄する胆力に、地頭の良さは他とは一線を画する特徴と言える。

 

「キングヘイロー。この子なら、きっと」

 

 負けん気は上々。勝利への渇望は熱く、何とか自分のペースに持ち込んで勝とうとする気概は凄まじい。空回りが過ぎるのは、レース勘と知識の体得でどうとでもなるだろう。

 

「……ただ、なぁ」

 

 懸念があるとすれば、新人トレーナー如きのスカウトを受けてくれるか、ということが一点。

 加えて、お互いの目的が噛み合うかどうか。

 

(世代最強のウマ娘にする、って言っても)

 

 新人如きの言葉、信じるウマ娘が居るのか。

 そんな甘言に、自分のレースウマ娘としての生を賭けてくれるのか。

 

(まぁ、そんなのNOだろうが)

 

 期待はしない。手出しは極力控えよう。

 だが、可能性が僅かにでもあるのなら。

 

「まずはスカウト。あれこれ考えるのは、そのあとだ」

 

 ちょうど自主練中のウマ娘たちが走る時間。

 さっさと用事を済ませようと、足早に部屋を後にした。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 その男は今日もトレーナー室に引っ込んでいた。

 ソファの上にごろりと寝転がり、ブランケットの代わりか、パソコンを腹の上に置いて動かない。

 

(やばいなー、どうしようか)

 

 画面に視線を向けたまま、彼は頭を悩ませていた。

 悩みの種とは、先日スカウトしに行ったキングヘイローのことである。

 

 キングヘイローと対面して、別段門前払いを受けることはなかった。ただ、有名なウマ娘の娘ということもあって、競争率がダントツに高く、集団面接のような形になってしまったのは致し方ないことか。

 問題は、キングヘイローの方針であった。

 

『一流のウマ娘たるこの私のクラシック三冠、その栄誉の手助けをする権利、どなたが欲しいのかしら』

 

 あかんわこれ、と真っ先に思ったのは彼だったに違いない。

 別に高飛車な性格なのは問題ない。慢心があったとしても、それを矯正するのもまたトレーナーとして、最低限は行える。

 

 だが、「クラシック三冠」を達成するのだけは困難を極める。

 キングヘイローというウマ娘は、お世辞を抜きにして世代を牛耳れるだけのポテンシャルを持っているだろう。その可能性を彼は見出していたが、それが完成するのは「秋のシニア三冠」――天皇賞、ジャパンカップ、有記念――、即ち3年目の10月後半の時期になってからだ。

 

(クラシック4月の皐月賞の距離は2000と短いが、5月後半のダービーは一気に伸びて2400だ。それまでに必要なスタミナと、差し切れるだけのスピード、そしてレース運びに綻びが生まれないだけの戦略を叩き込む? いや、いや。あの面子の中でダービーまでに?)

 

 どれだけ綿密に計算、皮算用をしたところで、勝率を5割近くまで上げることはできないと彼は断言する。

 

(座学を放棄して、あとは本人の判断に委ねれば……いや、どう考えても、どう考えてもトチるだろ、この子)

 

 座学は必須。だが、中途半端なものではいけない。他のウマ娘の追随を許さないレベルの戦略と、柔軟な思考を身につけさせなければ、賢さが無駄な贅肉になりかねない。

 

(それだけの思考能力を鍛えるなら……いやでも、ダービーの上り坂どうするんだ? 減速しないだけのパワー鍛えたら、スタミナが足りないし)

 

 末脚の伸びない差しなど、恐れるところがまるでない。

 

(しっかり言い含めれば、いける? 作戦を理解できる程度の座学を仕込んでおけば、後は……いや、作戦を伝えたとして、その通りにレースが進むわけ……)

 

「でも、惜しいな」

 

 これだけ巨大な悩みの種を抱えながらも、それでもキングヘイローのスカウトを、彼はどこか諦めきれていなかった。

 

「ビビッときたんだ」

 

 対面した瞬間のことであった。

 すっぽりと、木組みでもするように軽快に、しかし音もなくハマったのだ。

 

 この子とならやれる、と。

 

 根拠のない自信が溢れ出てきた。

 だが、そんな自信があったとしても、それを納得できる言語に落とし込むことはできず、彼は自分からキングヘイローをスカウトすることが出来なかった。

 

「クラシック三冠……三冠、か」

 

 秋のシニア三冠で妥協してくれんかな、と彼は声に出さないもののそう思う。当然無理だと本人もわかっている。

 

(入着ならいける。1着も皐月賞か、菊花賞に絞れば何とかなる。皐月賞の距離なら差し切れる。菊花賞なら、そこにだけ絞れば長距離用の基礎が出来上がっている。ダービーは、時期とコースが不味い)

 

 彼は息を吐いて脱力する。ソファの横から手をだらりと垂らして、ぼーっと寝転んだまま天井を見つめた。

 

「おやおや? クラシック三冠、って聞こえましたが」

 

 思わぬところから声を掛けられる。

 声のしたベッドの方に視線を向ければ、先日から昼寝ポイントとして居座っているウマ娘……セイウンスカイが、寝転びながら顔だけ彼に向けて聞いてきていた。

 

「クラシック三冠の約束なんて出来るわけあるか、って嘆いてただけだ」

「あー……あはは、もしかしてキングのこと?」

「なんだ、知っているのか」

「学友ですから。何々、トレーナーさんはもしかして、キング狙いですか?」

「いや。声も掛けていない」

「ありゃ。やっぱりクラシック三冠が目標だから、新人の自分には手に負えません、ってことでしょうか?」

「大体合ってる。キングヘイローにクラシック三冠取らせるのは……まぁ、俺の育成方針なら2割あれば万々歳だ」

「へぇ? セイちゃんとしては、2割も三冠達成できる可能性があるのは凄いと思いますが。そりゃまぁ、キングに高いポテンシャルがあるのは否定しませんが。どれだけ才能があったとしても、クラシック三冠は難しいと思うわけですよ」

「そして、努力でもどうにもならない部分がある」

 

 特に問題なのは、皐月賞から日本ダービーまでの期間は一ヶ月半しかない、ということが挙げられる。

 これは他のウマ娘に関しても同様の条件だが、クラシック期間というのはまだ身体が出来上がっていないウマ娘が多い。そんな中で向き不向きが出てくるのは、才能という一つの要素だ。

 

 このウマ娘はスタミナに優れている。

 このウマ娘は最高速度、スピードに優れている。

 このウマ娘は加速力、パワーに優れている、など。

 

 ウマ娘それぞれに個性があり、成長過程ではそんな尖った才能が、一つのレースの勝敗を決めることは珍しくない。

 

 皐月賞ではスピードが求められ。

 日本ダービーでは程よいスピードに、最後の坂で振り切るだけのパワーと、2400を走れるだけのスタミナが求められ。

 菊花賞では、底なしのスタミナと二度の坂で減速しないだけのパワーが求められる。

 

 日本ダービーは5月後半。菊花賞は10月後半ということもあり、およそ5か月の期間が空いている。そのため調整は可能だが、先述した通り、皐月賞と日本ダービーの間は1か月半と非常に短い。

 たかが400ではない。400も違うのだ。その距離の差はあまりにも大きく、必要なスタミナを鍛え上げるだけの期間に1か月半は、あまりにも短すぎた。

 だからこそ、スピードが足りず皐月賞で勝てなかったウマ娘が、日本ダービーで快勝するという事例は実のところ珍しくない。逆に、皐月賞で快勝したウマ娘が、日本ダービーでは惨敗、というのもよくある話だ。

 

 

 ならば日本ダービーを見越して、皐月賞より前からスタミナを鍛え上げればいいかと問われれば、そうなると皐月賞で最も重要なスピードが疎かになる。

 その余剰スタミナを計算した上で、スパートを正確に切って走り抜けるだけの判断能力に勝負勘があれば話は別だが、所詮はクラシック。そんな時期に、レース勘も、それだけの判断能力も身に着けられる筈がない。

 

「大人しくサブトレーナーでもやっとくべきかね」

「ほうほう。ちなみにですが、来年のクラシックは誰が三冠取れるとお思いで?」

「誰も取れない」

「その心は?」

「有力ウマ娘が多い。その上で、突出した才能は見当たらない。いや、才能は間違いなくあるが、誰も頭一つ飛び越えられるほど、圧倒的な差があるわけじゃない」

「うーん、私としてはスペちゃんとか如何でしょう? あの子の差し脚は強烈ですよー」

「だが、それを完全に活かせるだけの判断能力が足りない。見た感じ、言い含めてどうにかなりそうな子でもなさそうだし。クラシックまでに勝負勘を鍛えるのは難しい」

「思ったより辛口! じゃあ、エルちゃんは?」

「……エルコンドルパサーか?」

「そうそう」

 

 しばらくの間が空いた。

 どこか言葉を吟味しているのか、それとも答えを出していなかったのか。

 

「……なんというか、なぁ」

 

 歯切れの悪い言葉。

 それでも沈黙を保っていれば、彼は独り言でもこぼすように。

 

「三冠に興味なさそうだからな」

「ほう? クラシック三冠、実力ある子なら誰でも狙う称号だとは思いますが」

「彼女の目標は世界最強、だったか。日本最強ならクラシック三冠、春の三冠、秋の三冠を目指すが、世界の方に行くなら凱旋門賞を目指す。無理にクラシック三冠を取る意味がどこにもない。着順によっては、海外進出の妨げになるからな。特に菊花賞は長すぎる」

「なるほど、なるほど。もしもクラシック三冠に来たら?」

「皐月賞と日本ダービーはぶち抜ける。調整すれば菊花賞もかなりの勝率だろう。本当にデビュー前か疑わしい勝負勘もある。ただ、菊花賞の調整をしたなら、海外進出は最低でも半年は遅れる」

 

 距離3000の菊花賞に対して、目標となり得る凱旋門賞は2400だ。わざわざ中距離ではなく、長距離のレースに挑むメリットが一体どれだけあるのか。そして、長距離を走れるだけのトレーニングをしたとして、再び中距離に慣れるためには、一体どれだけの時間が掛ることか。

 

「つまり、トレーナーさんの見立て的にはエルちゃんが一番強いって感じ?」

「中距離までなら間違いなく。同じレースに当たったら不幸としか言えない」

 

 彼は言い切ると、大きく息を吐いた。

 

「トレーナーさん、何でエルちゃんをスカウトしないわけでしょう?」

「海外行きまで面倒見るなんて、新人トレーナーにできると思うか?」

「あー、そういう事情でしたか」

「それに、俺はみっちりとトレーニングを決めるような方針じゃない。故障しないか、って見守ったり。どこが足りない、とかの指摘はするが、トレーニングメニューなんて作る気はさらさらない」

「不真面目トレーナーさんですねー」

「それくらいが丁度いいんだ。それがダメ、っていうなら相性の問題だ」

「それでしたら」

 

 そこで声を上げたのは、セイウンスカイだった。

 彼女はどこかやる気を出したように声を高く上げたが、ベッドから身体を起こすことはなく、そして動くこともなく言葉を紡ぐ。

 

「セイちゃんとお試し契約してみませんかー? 育成方針は、とーっても都合がいいものでして」

「俺はまだ、キングヘイローのスカウトは諦めていないが」

「じゃあ、キングと本契約決まるまで、で構いませんので。自分で言うのも何ですが、私はこう見えて有力ウマ娘の一人です。今ならお買い得ですよー!」

「言っとくが、仮契約程度なら『伸ばすための指導』しかしないぞ」

「それで良いですとも。今はまだ、セイちゃんは伸び盛りですから」

「わかった」

 

 そう了承するなり、彼はパソコンを再び弄り始めた。

 当然、セイウンスカイとてすぐに指導が来るとは思っていない。何か言われるとも思っていない。だから、「トレーナーさんとの仮契約成立ー」などと呑気にだらけていた。

 

「じゃあ、次から走る時はストップウォッチ片手に走るように」

「……はい?」

 

 だから、不意に言われたことを理解するのに、彼女は数秒の時間を要した。

 

「君の本領は逃げだろう? なら、ラップタイムはコンマ単位でズレなく刻めるようにな。最初は1ハロン13秒だ。とりあえず、1ハロン13秒を狂いなく刻めるように、そのペースで走りながらストップウォッチを押すように」

「……えっと、あのー。セイちゃんの聞き間違いじゃなければ、今わたくしめは、一定間隔のスピードを維持しながら、自分でストップウォッチを押して正確に測れるようになれ、と指示を出されたという認識なのですが?」

「別に重りつけろ、とか。最高速度常に維持しろ、とかは言っていない。ただ、頭を常に使えって言ってるだけだから、肉体的な負担はあまり変わらない」

「平然と言ってますけど、それどれだけ難しいかご存知ですか!?」

「最初から完璧にやれとは言っていない。1年くらい続ければ勝手に身につくから、頑張れ伸び盛り」

「鬼! 悪魔! 新人トレーナー! というか、1ハロン13秒ってかなりハイペースなのですが!?」

「スタミナがつくだろ?」

「そういう問題じゃなーいッ!」

 

 たまらず、セイウンスカイは飛び起きた。尻尾を天について毛並みを逆立たせ、ソファに寝転がっているトレーナーに近づいていくと。

 すぐ目の前まで来たところで「ほい」とトレーナーから何かを手渡される。

 

「……はい?」

 

 反射的に、セイウンスカイはそれを受け取った。

 白銀のメタリックフォルムが眩しい、手のひらにピッタリ収まるような羅針盤のような形の計測器。

 

 それは間違いなく、ストップウォッチであった。

 

「…………はい?」

 

 少しだけ機能を確認してみれば、100分の1秒計である。

 通常計測,積算計測,ラップタイム計測,スプリットタイム計測,カウントダウン計測……様々な計測機能がついている、非常に高性能なモデルである。

 

「とりあえず、壊れるまで返しに来なくていいぞ」

「――」

 

 セイウンスカイは言葉を失った。

 何に、といえば。100分の1秒計という、到達できなさそうなゴールをいきなり設置したトレーナーに対して言葉を失った。

 

「セイちゃんの やる気が 下がった」

「そうか。不調でも誤差をなくすトレーニングなんて、いきなりストイックだな」

「セイちゃんの! やる気が! 下がった!」

「絶不調でも誤差をなくすっていう意思表示だな? よしよし、それが出来れば最強も夢じゃないな」

「トレーナーさんのっ、鬼ィィィ!」

 

 うわぁぁん! と、声を上げながらセイウンスカイはトレーナー室を飛び出した。それを「頑張れー」と気楽な様子で見送る彼は、ソファから一向に動く気配を見せない。

 

 

 

 しかし、隙間風というか、通りかかる生徒たちからの外の視線が気になって、数分してようやく彼はソファから動く。

 トレーナー室の開けっぱなしだった扉を閉める。そしてまたソファに戻る……かと思えば、その横を通り過ぎ、執務机の前に座りながら、机に背を向けて窓の外を見つめた。

 

「まぁ、仮契約中の指導はこれだけでいいだろ」

 

 彼は空がオレンジ色に染まるまで、一人の少女の影を視線で追い続けた。

 

 

 

 

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