秒読みの契約 ~あなたに三つの冠を~   作:雲ノ丸

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第14話 コラテラルダメージ

「逃げウマ娘に最も重要なことって何だと思う?」

 

 はい? と、セイウンスカイはトレーナーからの唐突な質問に声が漏れる。

 脈絡のない質問だった。いつも通り、トレーナー室に入ってゴロゴロしていたところ、虚空から降って湧いたかの如く飛び出した質問。

 

「……そんなの、人それぞれじゃありません?」

 

 逃げウマ娘と一口に言っても、まるでタイプが違うのだ。

 例えば、セイウンスカイは限界まで策を練って、盤石となったレースで、自分の優位に進めていこうとするタイプのウマ娘だ。そんな彼女から言わせてもらえば、レースによって変わります、としか言いようがない。

 

 しかし、一般的な逃げウマ娘とは、先頭に居座り続けて、そのペースのまま逃げ切る、と考えられることが多い。こんな場合には、最も重要なのは速さ、とでも答えるだろう。

 あるいは、ただ自分の思う通りに走っていたら、たまたま逃げの作戦をとっていた、というウマ娘もいるだろう。そんな子は、自分のペースが大切、とでも答えるのか。あるいは気持ち良く走ること、とでも言うのか。

 

 逃げの中にはもう一つ、大逃げという部類も存在する。

 最初から最後まで全力疾走。ただ走り抜けるだけの力業。そんなウマ娘に聞けば、もっと体力が欲しいとでもいうのか、それとも疲れる前にゴールできる速さが大切、と答えてしまうのか。

 

 しかし大凡、競走相手のことは気にしない。セイウンスカイは特別意識しているが、大抵の逃げウマ娘は、最初から競走相手のことを視野に入れて考えようとはしない。レース中、前に立たれて初めて考えることの方が多いだろう。

 

「いや、これはどんな逃げウマ娘にも共通して当てはまる」

「……ふむ」

 

 即ち、個人の特徴に関係のない部分。逃げウマ娘の共通事項、といったところか。

 ペースをキープする、は違うだろう。それでは大逃げする者に当てはまらない。誰よりも先頭を走る、となればセイウンスカイに当てはまらない。

 

 そうなると、もっと根本的な部分なのか。

 セイウンスカイが頭を捻っていると。

 

「怪我をするような無茶をしないことだ」

 

 トレーナーが答えを言った。

 えぇ、と声を上げて、セイウンスカイはどこか責めるような視線をトレーナーに投げつけた。

 

「それ、作戦とか関係ないと、セイちゃんは思うのですが」

「いいや、これは逃げウマ娘だからこそ言えることだ」

「……その心は?」

 

 ここまで言い切るなら、何か訳があるのだろう。

 興味深そうに、真剣にセイウンスカイが耳を傾けていると。

 

「逃げウマ娘は、他のどんなウマ娘よりも、限界を超えた速度に到達しやすい。良くも悪くもマイペースなウマ娘ばかりだから、大体が無自覚だ。ランナーズハイ……脳内麻薬がドバドバ出てる中で、走る以外に考えないような奴なんか、自分が序盤や中盤にどんな走りをしたかも、どれだけ足に負担を掛けたのか、なんかも知らずに、更に負担をかける。そして、ポッキリとやってしまう」

 

 大真面目に、そんなことをつらつらと語り始めたのだから、セイウンスカイも少しばかり面食らう。

 

「……それで、トレーナーさんはどうしてまた、そんな話をセイちゃんにしたわけでしょうか」

「たまには、トレーナーらしい説法でもと思った。重要なのは、総合的な負担を出来る限り減らすことだ」

「……なるほど、なるほど」

 

 セイウンスカイは自分の額に手のひらをのせて考える。

 簡単なシミュレーションだ。体力の最大値を決めて、あとはどこでどれだけ体力が削れるのか考える。ゴールに到達するまでに、ゼロにならなければゲームクリア。

 

 普段ならなんて事のないお遊びが、この日は特別難しかった。

 

「リードを取って逃げ切るのも一つ。鍛えた加速力と溜めた足で、飛んでいくのも一つ。どっちが正しいなんてこともない」

「……ほうほう」

 

 沈黙しているセイウンスカイに投げかけられた言葉が、思いの外、好感触だった。

 彼女はニヤリ、と口元に弧を作ると。

 

「トレーナーさんも悪い人ですねー。セイちゃん、珍しくやる気になっちゃいました」

「勝ったらVサインでも決めて調子に乗ってるように見せようか」

「うーん、それはちょっと。皐月賞の時、一本指立てちゃいましたから。後追いって、セイちゃん的には苦手だなぁって」

「そうか。やりたいパフォーマンスがあったら、今から考えた方がいい」

「……なんか、さらっと重くありません?」

「……? 重い?」

 

 トレーナーはパソコンから顔を上げて、きょろきょろと室内を見渡した。窓の外を確認して、エアコンを確認して、壁の室内計を見て。

 

「まだ梅雨入りしてないぞ」

「いや部屋の空気とかじゃなくて。……ま、別にいいですけど」

 

 首を傾げながらも、トレーナーはしばらくして何も続かないとわかるや、またパソコンに顔を戻した。

 

 セイウンスカイは横になりながら、そんなトレーナーのことをぼーっと見つめる。

 視線に気づいているのか、気づいていないのか、それとも気にしていないのか。彼は数分経っても、特に反応を返さない。

 

 

 

(やること、多いのかな)

 

 微睡のような時間が、漠然と流れていく。

 特に何もない、そんな空白に。セイウンスカイは寝転んでいた。

 

(……あっ)

 

 ふと視線が合った。

 パソコンの位置を調節したからか、ほんの少し視野が広くなった彼と見つめ合う。

 

 セイウンスカイは反射的に、入り口の方に目を逸らして、しかし何かそれもバツが悪くて、またすぐに彼の方に視線を戻した。

 すると、彼はセイウンスカイの視線を追っていたのか、入り口の方に視線を向けていた。数秒して何もないとわかるや、今度は投げかけるような視線が彼女と交差する。

 

 うつ伏せの彼女は両腕に口元を埋めると、そのまま窓の外に視線を移した。すぐに視線を戻せば、また彼は後を追うように、窓の外に視線を向けていた。そこにも何もないとわかるや、責めるような、呆れたような視線を彼女に向けて、彼は肩をすくめるとパソコンに視線を戻した。

 

 そんな彼の様子を、セイウンスカイはまたジッと見つめる。まるで風に流れる雲を見つめるように、軽く取り留めのない視線。

 時間が流れるにつれて、パタ、パタ、と尻尾が音を立てて揺れ動く。

 

「……何かあったか?」

「いえ。トレーナーさん、頑張ってるなぁ、と見ていました」

「そうか」

 

 尻尾がピタリと止まった。短い会話の後、しばらくするとまた、その尻尾は音を立て始める。

 

「……記者会見、どうするつもりなんだ?」

 

 彼は手を止めて、セイウンスカイに視線を向けると、もう尻尾はピタリと止まっていた。まるで何事もなかった風を装って、しかし間抜けにも重力に逆らってピンと斜めに伸びた状態で。

 それを見て、思わず飛び出そうになった笑いを、考える風を装って口元を手で覆って隠し通す。

 

「セイちゃん、逃げの才能があるかも? なーんて戯けてみまーす」

「じゃあ、こっちはいつも通り茶々入れるか」

「はい。セイちゃんの前評判は、暴走特急の暴走宣言、くらいにしましょう」

「あぁ……だったら、ちょっと匙投げた風にするか」

「演技がお上手でして」

「必要ならやる。それだけだ」

「……でも、それってトレーナーさんの評判に傷がつきません?」

「まさか」

 

 セイウンスカイの心配を、彼は口元の手を宙でひらひらと踊らせると、一笑しながら答えた。

 

「最後は笑ってるさ」

 

 今もじゃん、なんて茶々をセイウンスカイは入れなかった。

 胸の奥からそわそわするような、くすぐったさが溢れてくる。彼の自信ありげな顔を見ていると、余計にくすぐったい。

 

 堪らず、強引に視線を切ると、彼女は枕に顔を埋めて小さく唸り声を上げ始める。人には聞こえないような、小さな声だ。

 足も上下に動いて、尻尾は千切れんばかりに左右に振れる。

 

「あぁ、前にも言ったけど。ダービー終わったら、1ハロン11.5秒だからな」

「……台無し!」

 

 セイウンスカイは顔を上げて吠えた。それはもう、めいっぱいの感情を全て声にのせる勢いで、声量だけでベッドからソファにいるトレーナーの髪をわずかに揺らすほどに。

 

「そこはもっと、こう! 褒めるところですよね!?」

「あぁ、それも面白いな」

「面白い!?」

「……口が滑った。なしなし」

「この、このトレーナーさんは、ほんとに……!」

 

 この横暴を許してなるものか、とセイウンスカイはとうとう立ち上がって、力強くトレーナーに視線を向けた。

 上から少し離れた位置を見下ろす形になるわけだが、そこからなら彼の表情がよく見えた。

 

 モゴモゴと口を動かしながら、パソコンの中に意味もなく視線を泳がせる。頬は緩みそうになっており、キーボードに置かれた手は動いていない。

 

「……ふーむ?」

 

 まさかこれは、とセイウンスカイはわざとらしく声を上げながら近づいた。

 彼はその顔を、わずかに引き攣らせたように見えた。それでも、ソファから動く気配は微塵もない。

 

「ふむふむ」

 

 もうソファの隣にまで近づいても、彼は動こうとはしなかった。

 代わりに、キーボードを叩き始めた。文字を打っては、バックスペースで消すを繰り返す。

 

 にやり、とセイウンスカイの頰が緩む。

 

「トレーナーさん?」

「……どうした」

 

 ひょいと、少し屈んで画面の中を覗き込んでみれば、真っ白な文書ファイルが映し出されていた。そこに文字が入れられては、消えていく。意味のない文字の羅列が。

 

「もしかして、照れてません?」

「……何に照れるんだ?」

 

 セイウンスカイはベッドの横に膝立ちになると、顔を並べるように彼と同じ画面を覗き込む。

 その口元を緩ませながら、彼女は右手の人差し指でその画面を示して口を開く。

 

「いやぁ、考えればおかしいと思いまして。だってトレーナーさん、前にもその目標、セイちゃんに聞かせましたよね?」

「……まぁ、そうだな」

「無駄口叩かないトレーナーさんが、まさかまさか二度目なんて。引き締めというには、トレーナーさんの説法がそれに当たるわけでして。そしてそして、さっきのセイちゃんは絶好調だったわけですし?」

「分かりきっているな」

「そして、このパソコンの白紙と、キーボードを打つフリというわけです」

「考えをまとめるなら、手を動かして文字にすると、思いの外整理がつく」

「でも、セイちゃんが居た限りでは今まで一度も、そんな素振り見せませんでしたから。つまり、それはトレーナーさんのブラフ。その上で、セイちゃんは気づいちゃったわけですよ」

 

 彼は特にセイウンスカイの方に視線を向けない。画面の中を見たまま、頑なに視線も顔も動かさない。

 それをチラリと横目で見て、ますます彼女の笑みが深まった。

 

「可愛いところあるじゃないですか、このこのー」

「……何を考えついたのか知らないが」

 

 男に可愛いとはなんだ、と。根負けしたようにトレーナーは彼女の方に顔を向けて。

 

「……」

 

 ぐに、と頬に何かが食い込む感覚が襲う。

 セイウンスカイは、それはもう清々しいほど晴れた顔で、にしし、と笑いを漏らした。

 

「掛かりましたね? トレーナーさん」

「……」

 

 彼は口を開かなかった。代わりに、抗議の視線をジッと向けたまま動かない。

 そんな視線を受けても、セイウンスカイは涼しい顔で、ふふん、と勝ち誇り、ぐりぐりと左の人差し指を軽くトレーナーの頬に押し込む。

 

「…………」

 

 それはもう、抗議の視線が更に力強くなったが、彼は口を開かない。

 

「にゃはは。セイちゃんのやる気は有頂天! と、いうわけで、練習行ってきまーす」

 

 もう一回、彼の頬を指で押した後に、彼女は素早く反転してそのまま部屋を出ていった。

 扉はまた開けっ放しである。

 

「あ、それと」

 

 ひょっこりと、セイウンスカイは開け放った扉から顔だけ出して口を開く。出て行ってわずか数秒のことだ。トレーナーは変わらず彼女を責めるように視線を送っていると。

 

「説法は確かにお聞きしましたので、珍しく、なんとなんとセイちゃんが珍しく! 素直に聞き入れましょう。トレーナーさんは、ゆっくり休んでくださいね?」

 

 ではではー、とセイウンスカイは今度こそ、扉を閉めてからどこかに行ってしまった。

 

 

 

 彼は固まったまま、しばらくは動かなかったが。

 本当に彼女が戻ってこないとわかると、頭を抱えるように額に手を当て、声にならない呻き声を上げた。

 

 しばらく続くその様子を、誰にも見られなかったのは幸運か。

 

「コラテラルダメージだ……」

 

 そう呟くと。

 彼はパソコンをそっと閉じて目をつむる。

 そしてそのまま不貞腐れたように、何をやるでもなく、ただ寝転び続けるのであった。

 

 

 

 

 


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