秒読みの契約 ~あなたに三つの冠を~   作:雲ノ丸

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第15話 王者

 カメラのフラッシュが何度となく焚かれる中、セイウンスカイは涼しい顔で勝負服を纏いポーズを決めていた。

 前方に居る記者たちを気にした風もなく、しかし地面に直立した尻尾は彼女が動いても揺れ動くことがない。

 

「皐月賞の好走もあり、次のダービーは堂々の一番人気ですが、自信のほどは?」

「うーん、皐月賞もやっぱり危なかったし、何より横から要注意ウマ娘が参加表明してきたしで、あんまり自信はないかもなー、って。ライバルがライバル、ですし」

 

 宙に視線を泳がせながら、迷うように彼女は言葉を紡ぐ。

 

「今まで差し一辺倒から、突然の逃げ先行への転向。一体どんな心境の変化が?」

「いやー、あの時は何か走ってたら気持ちが昂っちゃいまして。気づいたら結果の通りです」

「いつもの暴走癖です。いっそのこと、ずっと暴走してた方が強いのかもしれませんね」

 

 セイウンスカイの回答に追従するように、トレーナーが両手を上げながら困ったような顔と声音でそう言ってのける。

 うわー、とそんなトレーナーにセイウンスカイは声を上げて。

 

「皆さん聞きました? トレーナーさんったら、もう匙投げちゃってるんですよ。暴走したなら、それを止めるのがトレーナーの役目なのに、この人職務放棄してまーす!」

「いやぁ、いっそのこと自由に走らせた方が強いのかなぁって」

「まぁ? 私ももしかしたら逃げが得意だったのかも?」

「暴走した方が強いなら、こちらとしてはやることがないわけで。つまり、職務放棄ではありません、とだけ」

「じゃあ、次は私の好きに走るとしましょう!」

「堂々と暴走宣言されると、トレーナーとして立つ瀬がないといいますか」

 

 やれやれ、と肩をすくめる様子に、しかし会場から笑い声は漏れてこない。

 

「……まぁ、そうですね。彼女のファンに、ライバルに。全てのレースファンの皆様に向けて、トレーナーとして真面目に一言だけ、添えさせていただきます」

 

 トレーナーと、セイウンスカイの視線が交差する。

 一度、何気なく縦に振られた尻尾を、彼は見逃さなかった。

 

「唯一抜きん出て並ぶ者なし」

「うぇ!?」

 

 彼女から飛び出た素っ頓狂な声も、会場のざわめきに掻き消された。

 

 外向けの仮面が剥がれていた。

 トレーナーは、その好青年のような明るい笑顔を引っ込めて、目つきを鋭く、声を低く、口元には邪悪とさえとれる笑みを浮かべて、堂々と言い放ったのだ。

 

「……学園の校訓に相応しい走りを見せる、と?」

 

 会場内がやや落ち着いてきて、そう聞かれた時。

 

「レースを見れば分かります。セイウンスカイの本領、どうかお見逃しのないように」

 

 彼はもう外向きの、爽やかな笑顔と穏やかな口調に戻っていた。

 横から受ける苛烈で刺々しい視線さえそよ風のように受け流して、矢面に立つ。

 

 セイウンスカイに焚かれるはずのフラッシュが、トレーナーに向けられる。

 彼女の注目を、たった一言で、全て奪い去る。

 

 会見もいよいよ終了時刻に迫っていたところで、最後の質問者が手を挙げ、許可を受けてから口を開いた。

 

「そこまで言わせる理由は?」

「非常にシンプルです」

 

 そう前置きしてから。

 

「誰よりも彼女を知っている自負がある。それだけです」

 

 彼はおもむろに腕時計を見ると、時間ですね、と聞こえるように声を上げると。

 セイウンスカイに一度視線を向けて、舞台裏の方を見て合図を送る。

 

「彼女の勇姿、くれぐれもお見逃しがないように」

 

 くるり、と彼が反転すると、セイウンスカイも同様に背を向ける。

 嵐のような声の雨霰を無視して、二人は堂々と会場から立ち去るのであった。

 

 

 

「やり過ぎなんですけど!?」

 

 帰りの車の中で、セイウンスカイは水中から顔を出した時のように、勢いよく声を上げた。

 とんでもない言葉を使ったトレーナーには問いただしたいことが山ほどあった。その全てを込めた抗議の一言に。

 

「如何にも、実力差、って聞こえるな」

 

 彼はそんな言葉と共に、口元を歪めて見せる。

 セイウンスカイはその反応にパチクリ、と一度はっきりと瞬きしてから、数秒固まった。

 そして、ようやく動き出したと思ったら、頭を抱えながら自分の尻尾までその腕の中におさめて。

 

「そうですけど、そうじゃなくって!」

「皐月賞でナリタブライアンのタイムと並んだのが良い味を出した。もう、彼女を除いて誰も、君の策には気づかない。いや、策なんて発想が出てこない」

 

 彼の放った一言は、それだけインパクトの大きい言葉であった。

 大雑把に意訳するなら、「セイウンスカイの大差勝ち。他は誰も続かない」と言っているようなものなのだ。

 

 当然、そんな堂々と宣言されれば、誰もがこう思う。

 

「セイウンスカイの実力は、どれだけ凄いのか。みんながそこに注目する。奇抜な作戦の印象なんて、あの言葉の前には霞んでしまう」

 

 セイウンスカイはこれまで、何度となく最速のスタートと、序盤からポツンと先頭に立つような、暴れウマっぷりを見せてきた。

 そして、トレーナーの言葉が合わさり、皐月賞のタイムがその裏付けのように作用する。

 

「セイウンスカイの暴走癖は、紛れもなく実力に相応しい走りなのかもしれない、と思われる」

 

 ならば、注意すべきことは何か。

 注意したとして、それがただの考え過ぎだった時、どうするべきか。

 

 横槍を入れるでもなく、セイウンスカイはそのウマ耳をピク、ピクと反応させながらも、動かない。亀のように丸まったような姿勢のまま、思考の海に沈んでいる。

 

「注意すべき相手は、わかるな?」

「……当然ですとも」

 

 お互いに言葉に出さずとも、その想像が一致していることに確信を持つ。

 そして、分別もついている。

 

 注意すべき相手が居るのは確かだが。

 それとは別に、策にはめるべき相手が居るのも確か。

 

 そこを混同しては、勝利に手が届かなくなる。

 

 お互いの認識のすり合わせが終わると、車内は環境音を除いて沈黙に包まれる。

 

 一人は思考の海に潜り込んで。

 一人は安全運転に気を配る。

 

 

 

 セイウンスカイさえ気づかなかった、彼の言葉に盛られた毒。

 それは腐り落ちる果実のように、時を経ることで効果が浮かび上がる。

 

 中身の詰まった果実が傷み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 汗に塗れて、泥を被って、その端正な顔をぐちゃぐちゃにしてしまおうとも。

 

 走り続ける姿は凛々しく、あまりにも直線的で、あっ、と声を上げる間も無く魅せられる。

 不撓不屈に心を燃え上がらせ、陽炎が立ち上るようにさえ見える気迫には、思わず息を呑み込んだ。

 

 地鳴りはおろか、神鳴りの如きはまさしく一蹴。

 隠さず、臆さず、退かず、目指す場所には一直線。

 

 余裕は持たず、慢心捨て去り、全ての力を注ぎ込む。

 

「……キング」

 

 それはまさしく、絶対王者の行進。

 魅せつけ、惹きつけ、その後に続きたいと思わせる。

 

 理想と模範を詰め込んだようなその姿。

 程なくして、彼女は一息ついて身体を休める。温いドリンクを飲み下し、自ら足の負担を減らすマッサージを施術する様には余念なし。

 

 声さえ掛けるのが躊躇われる。しかし、魅せつけられる。

 そんな彼女の前に飛び出して、興奮したように話しかける少女が一人。

 

 王者は寛容で、しかし己に妥協は許さず、やるべきことに抜けはないまま、言葉を交える。

 時間になれば断りを入れて、何か頷いたかと思うと走り出す。話しかけた勇気ある少女は、その後に続く。

 

 

 

「……」

 

 窓からその様子を見ていた彼は、日光のせいか、額に汗を滴らせる。つぅ、とそれが頬に、首筋にと落ちていく。そんな些事に構う暇はなく、彼はその姿を見続ける。

 

 すっ、と。

 

 炎よりも熱く、太陽のように眩しい瞳と、目が合った気がした。

 息を呑み込んだ時には、もう彼女は前を向いていたが、その口元に浮かんでいるのは、不敵な笑み。

 

「……」

 

 

 

 波乱は間も無く。

 運命の日本ダービー。クラシック二冠目のレース。

 

 その開催は、目の前に。

 

 

 

 

 

 

 

 


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