秒読みの契約 ~あなたに三つの冠を~   作:雲ノ丸

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第16話 ライバルたち

『唯一抜きん出て並ぶ者なし』

 

 どこに行っても、そんな一面が目についた。

 大言壮語と笑う者がいる。あのスペシャルウィークが、あのエルコンドルパサーが、あのキングヘイローが。そんな立ち並ぶ強敵相手に、そんな言葉を吐き捨てるなんて。

 やるかもしれない、と期待と不安に胸を膨らませる人々がいる。あのナリタブライアンと同じレコードタイムを出したウマ娘だぞ、と。シャドーロールの怪物を超えるかもしれない、という期待は大言に見合うだけ膨らんでいく。

 

 注目が集まっている。かつてないほどの期待が降りかかる。

 しかし、いくら降りかかろうとも。

 

「いつもどーり、セイちゃんはやりますとも」

 

 空に浮かぶ雲には届かない。

 どんな雨も雲から降り注ぐのだから。雲より高くからは降ってこない。

 

 どんな期待も、思いも、パドックに出た少女の上から降るものはなく。

 誰よりも自然体でお披露目を終えれば、彼女は空を見上げた。

 

「おっ」

 

 空の先には、真っ白な入道雲がもくもくと天高く膨らんでいた。

 遠くの出来事だ。今はまだ、関係のない話だ。

 

 闘志に滾るエルコンドルパサーも。

 肉体を仕上げてきたスペシャルウィークも。

 堂々とした振る舞いで、鍛え抜いた身体を見せつけるキングヘイローも。

 

 セイウンスカイは一瞥するだけで、あとはまるっと無視を決め込んだ。対抗意識に燃えられても、セイウンスカイには返すものがどこにもない。

 

 何せ今の彼女は、他のどんなウマ娘も後に続けさせないウマ娘。

 闘志に返礼するのは、確かにライバルとしては正しい。ドラマとしても盛り上がる。

 

 だが、全てを置き去りにする圧倒的強者としては、相応しくない。

 だから、一瞥だけすればあとは視線も向けない。眼中にない、とポーズを取る。

 

(尻尾から火が出ちゃいそう)

 

 どれだけ視線が強くなろうと、彼女はマイペースを譲らない。先頭だって譲るつもりは毛頭ない。

 

「……すぅ」

(っ!)

 

 たとえ、ふと背筋に強烈な悪寒が走ろうとも。まるで、首筋に鋭利で冷たいものが押し当てられたような、そんな錯覚を覚えたとしても。

 セイウンスカイは前を向く。振り返るのは、レース本番になってからでも間に合うのだから。

 

「ふん」

 

 つん、とした態度を表すように聞こえてくる息遣い。

 それが何に対してのものだったのか、セイウンスカイにはわからない。ただ、言わんとしていることは、耳に届いたからこそ、おおよそわかる。

 

(怖い怖い。ほんと、怖いよね)

 

 チラリと客席に視線を向ければ、最前列に立っている彼がすぐに見つかった。視線もぶつかった。

 彼は一度頷くだけで、それ以上は何も返さない。動こうともしない。特に助言をするような様子は全くない。

 

 セイウンスカイは、彼に頷き返しさえしなかった。今はその方が都合がいいと思った。

 彼女はレース場に繋がる地下通路に入り、悠々と歩く。ゆったりと尻尾が揺れながら、ウマ耳は時折ピクリと動く。

 

 レースが終わるまで、セイウンスカイがトレーナーと対面することはなかった。

 

 

 

 エルコンドルパサー。

 G1レース、NHKマイルカップにて堂々の1着をとり、ここまで4戦4勝の負け知らず。最終直線における爆発力は他の追随を許さず、一息にちぎるのが特徴的な走り方。

 

 しかし、NHKマイルカップは芝1600である。日本ダービーの2400を走り切るためのスタミナもそうだが、そもそもペース配分自体が全く異なる。いくらG1レースに勝ったといえども、ならば日本ダービーに勝てるのかと聞かれれば、首を傾げざるを得ない。

 それどころか、もはや土俵違いも甚だしい。NHKマイルカップは5月前半。日本ダービーは5月後半。その間にマイルから中距離への調整など、本来できるはずもない。無謀な挑戦、と一蹴されても仕方のない、めちゃくちゃな出走である。

 

 ……などと、そう考えた者から足を掬われるだろう。

 そもそも根底が違うのだ。何故なら、エルコンドルパサーの目指すは凱旋門賞。芝2400のレースこそが、彼女の目標レースであり、レース人生通してされてきた調整は、むしろ日本ダービーこそが最も適しているとも言える。

 

 NHKマイルカップはいわば前座。戦績だけを見れば直近のマイルに目がいくが、主軸は決してそこではない。

 

 そんなエルコンドルパサーは、レース前に闘志が漲っていた。彼女の近くにいるだけで数度、暑いと思うくらいには燃えている。

 そして、その視線はスペシャルウィークに、キングヘイローに、そして飄々としたセイウンスカイに向けていた。

 

『セイウンスカイに惑わされるな』

 

 しかし、トレーナーから釘を刺されてもいた。

 皐月賞に強烈なタイムを刻みつけ、専属トレーナーからは校訓に相応しいとまでいわれる実力。

 流石に意識するな、というのは無理がある。エルコンドルパサーも、同期のセイウンスカイのことはライバルだと認めている。ならば惑わされるな、の意味とは何か。彼女がトレーナーに聞き返せば。

 

『あの男はとんだ狸だ。対抗意識を燃やすのは構わない。だが、ライバルが他にいることも忘れるな』

 

 つまり、セイウンスカイにうつつを抜かして他に抜かれるな、とでも言いたかったのか。

 エルコンドルパサーはそれにしっかりと頷き、向けすぎていた意識を、他のライバルにも分散させた。

 

 今にして思えば、トレーナーの指摘は真に正しかったのだと肌身で感じている。

 スペシャルウィークは皐月賞の時よりも洗練されている。垢抜けた、とでも言うべきか。どこか緊張している様子が抜け落ちて、目の前のレースを懸命に走ろうとしている。改めて見ても、強敵だと理解できる。

 

 そして何より、キングヘイローは別格だった。

 垢抜けた、どころではない。レースに挑む覚悟が、海を挟んでいるかのように違って見えた。一瞥しただけでもわかる。ぶるり、と武者震いが全身に駆け抜けるほどだ。鳴りを潜めているように見えるが、目の奥を見ればわかる。くつくつと燃え滾る闘志が、その瞳を通して肉体に漲っている。

 

 対極的に、セイウンスカイは全く掴めない。何を思っているのか、やる気がないのか。そもそも、ライバルと認識さえされていないのか。

 何も知らなければ、思わず挑発を掛けていてもおかしくなかった。私を見ろ、と叫んでいたかもしれない。

 それがブラフなのか、それとも不調によるものか。エルコンドルパサーは、その明暗をレースに委ねることにした。結果、セイウンスカイが先を行くなら、己がそのさらに先を行く。そうして、見たか、と胸を張ればいい。

 

(何があっても、勝つのはこの私デース!)

 

 その意気込みも、その結果も、違えるつもりはない。

 わからないことは、全てレースに置いてある。

 

 口元を緩めて、彼女はぐっと拳を握り、本バ場に向かうのであった。

 

 

 

 

 スペシャルウィーク。

 北海道から単身で上京してきたウマ娘であり、弥生賞で堂々の1着に輝いたウマ娘。レースの駆け引きに乏しく、しかしながら秘めたる素質に荒削りながらも光る差し脚が特徴。

 

 それは即ち、誰よりも未成熟である、という意味でもあった。未成熟故に、伸び代に優れ、飛躍的な進化を遂げる可能性を持っている。

 そんな彼女が、およそ完璧ともいえる調整を終えて立っている舞台こそ、日本ダービー。くすぐったさのような脚の疼きは、絶好調の合図。柔軟をしながら、待ちきれない、と言わんばかりに足踏みをする姿は一見愛らしくも、その実は闘争心の溢れ出た証拠である。その瞳の奥には、一等星に負けない光を灯している。

 

 皐月賞では1着を逃したものの、それは伸びきらない末脚……太り気味の弊害によるものだった。体重数㎏の変化が、慣れ親しんだ走りに及ぼす影響は絶大だ。思うように足が前に出ない、まるで水中にいるように体が重い。追いつけるはずなのに、背中が遠くなっていく。自信と現実とのギャップに打ちのめされた。

 

 万全じゃなかった。一発勝負のレースで、そんな言い訳が通用するはずもない。スペシャルウィークの感じた悔しさは、尋常ならざるものだった。

 丸一日は恥ずかしさと悔しさで、何をするにしても身が入らなかった、転びかけた回数は両手の指では足りず、話しかけられた時は三度目の呼び掛けでようやく気づく、というのはザラだった。

 調子が戻ったのは2日目のことだ。まだ皐月賞のことを引きずっていて、練習に身が入らない状況。そんな彼女を見かねてか、トレーナーが掛けた言葉がきっかけだった。

 

『気合い入れろー! そんなんじゃ、ダービーだってセイウンスカイに逃げ切られるぞ!』

 

 カチンと、頭が沸騰するような激情に駆られるまで一瞬だった。

 プライドが刺激されたのだ。勝てないわけじゃない、その差は大きかったものの、万全ならば追いつけた。皐月賞の日、もしも太り気味じゃなければ、勝負は分からなかった。勝っていた可能性もあった。自信が生み出した己の影なら、もっともっと前に行けたと確信している。

 

 断言される謂れは微塵もない。

 だが、本番に何もできなかった自分を思えば、その自信にも揺らぎが生まれる。水面に小石を投げ込んだ時の波紋のように、心が震える。

 

『皐月賞も、ダービーも、たった一度の舞台だ。そんな舞台を二度もデブって負けたなんて、そんなことになったら一生笑いものだぞ! というか俺が笑う!』

 

 そのトレーナーの言葉が、スペシャルウィークの何かをプツリと切れさせた。

 その激情たるや、今まで感じたことがないほどの力を秘めていて。まさしく瞬間湯沸かし器のように頭も顔も熱くなって。

 その勢いのまま、全力で坂路を往復したのは昨日のことのように思い出せる。大好きな実家からの人参も封印して、普段の食事も大きく制限して、その体重は普段より−1.5kgという、考えうる限り理想的な肉体を作り上げることに成功した。

 

 それだけの辛い思いをして……まさしくハングリー精神をダービーの舞台に持ち込んだ彼女は、これ以上なく集中していた。余裕がないわけではない。ただ、この舞台にかける思いは並々ならぬものがある。今までのフラストレーションが溜まりに溜まって、今にも爆発しそうだ。

 

 だが、その勢いを乗せるのは今じゃない。

 冷静に、真っ直ぐに、スペシャルウィークは一生に一度の舞台に上がる。

 

 目を瞑り、数度の深呼吸。

 次に目を開いた時には。

 

 まるで、遠足を楽しみにする子どものように、目をキラキラと光らせ、その口元に心からの笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 キングヘイロー。

 誰よりも負けず嫌いな努力家であり、プライドもとにかく高いウマ娘。

 

 本来であれば、その高すぎるプライドと生来の負けず嫌いが齟齬を起こし、努力に見合わぬ牛歩の成長。あるいは、散らかった成長によってまとまり切らない力に振り回されることになるのだが。

 彼女のプライドと負けず嫌いな性分が、たった一つのきっかけによって噛み合った。元は違った一つのピースが、きっかけという研磨機に掛けられて、まるで初めからそこにハマることを想定されたかのように繋がった。

 

 彼女に「慢心」という二文字はない。「驕って」みせるわけもない。

 キングヘイローはただ、「受け入れた」のだ。

 

 敗北を素直に受け入れた。

 相手の実力をしっかりと受け止めた上で、それでも前に進んでいった。

 

 有用な作戦だと舌を巻いて、次は看破すると、レースを振り返りながら己の粗を探した。

 差し足勝負に負けた時は、己の脚の力不足だと素直に認めた。スタミナもほんの少し足りなかったかもしれない。何より脚の溜め方というものがなってなかった。セイウンスカイに振り回された結果が、あの弥生賞なのだ。

 

 皐月賞に至っては、まさに飛んで火に入る夏の虫、といった言葉が相応しい。気付くのが遅すぎた。あまりにも巧妙な作戦だった。自分が真の意味で、何も分かっていないのだと突きつけられた。

 

 そして、思い出すのはあの顔だ。あの示し合わせたかのように立てられた人差し指と、まるで当然だと言わんばかりの表情には、はらわたが煮え繰り返るような思いを抱いた。

 どうして、と。なんで、と。出来るなら手を伸ばしたかった彼女は、弱い自分を激情の渦に巻き込むことで誤魔化した。

 

 宣戦布告のカーテシーも、もはやするだけ滑稽だった。それをやるにはもう一度、冠を手にしなければならない。ありったけの思いを、「へっぽこ」と恨言を囁くなら、勝たなければいけない。負けて口にすればただの負け惜しみ。勝利を飾って口にすれば、見返してやったと、格好もつく。

 

 ライバルと競う以上に。

 これは、キングヘイローの意地である。

 

 意地を押し通すためには、誰よりも速くなければいけなかった。

 誰よりも強いのだと、レースで証明してこそだった。

 

 そうしなければ、受け入れたくないたった一つの現実を目の前に突きつけられることになる。

 だから、どれだけ敗北の辛酸を味わおうとも、彼女は決して止まらない。膝を折らない。その心の炎だけは途絶えさせない。必ず勝ってみせると、何度だって奮い立つ。

 

「勝つのは、このキングヘイローよ」

 

 本バ場に、誰よりも厳かに足を踏み入れる。

 彼女の周りだけ、空気がねじれているかのようだった。

 

 それでも、その覚悟を決めた表情だけは。

 誰の目からもよく見えるのであった。

 

 

 

 

 間も無く日本ダービーの出走。

 全員のゲートインが終わり、黄金世代と呼ばれた四人は、もう自分のことに集中する。気を取られて、出遅れるなんてミスはしない、とばかりに。

 

 そうしてゲートが開き、最初の3ハロンを越えた時には、もう波乱の兆候が見えていた。

 

 

 先頭、セイウンスカイ。

 

 

 中団やや後ろ、スペシャルウィーク。

 その外やや後ろ、エルコンドルパサー。

 

 

 

 最後方、キングヘイロー。

 

 

 

 

 

 運命がねじれ始める。

 後に、過去最高とも呼ばれる黄金の日本ダービー。

 惜しむらくは、ここにグラスワンダーがいないことか。

 

 誰もの記憶に刻み込まれるライバルたちの激闘が。

 ようやく、始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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