秒読みの契約 ~あなたに三つの冠を~   作:雲ノ丸

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第4話 スタート特急

『さぁ、残暑も過ぎ去り、秋の訪れを感じさせる中山レース場、芝2000。ターフは絶好の良バ場となっております!』

 

 ゲートの外でストレッチ。柔軟運動を欠かさずに、しかし意識とウマ耳はしっかりとアナウンスに向けている。

 

『3番人気は――』

 

 彼女の名前は出てこない。

 

『2番人気はこのウマ娘――』

 

 また、彼女の名前は出てこない。

 しかし、肝心なのは次だ。次のアナウンスで、これから先の指針が決まる。

 

 セイウンスカイは柔軟を終えると、誘導に従ってゲートに入る。

 

『そして1番人気の紹介です。セイウンスカイ! スタートに定評のあるウマ娘です!』

『私も一押しのウマ娘です。本日はフルゲート18人の出走ですが、冷静なレース運びが出来るのか、注目していきたいところです』

 

 あちゃー、とセイウンスカイは天を仰ぐ。手で顔全体を覆って、上がってしまう口角を何とか隠し通す。

 

(柄じゃないけどさ)

 

 瞑目して一度、大きく息を吸って吐く。

 

「期待通り、頑張りますか」

 

 そう、期待通りでいい。

 つまらない結果にこそ、値千金の価値がある。

 

 スタートダッシュで抜きん出て。

 脚をためながら好きな位置に陣取って。

 どうすれば差し足を最大限に活かせるか、何をされると失敗するかを考える。

 

 そうやって、理想の形に持って行ってから。

 溜め込んだ末脚で差し切る。柄ではないが、地力の差をもってねじ伏せる。

 

 セイウンスカイはずっと、ずっと前だけを見つめていた。

 

 

 

 オープン戦と言えども、有力そうなウマ娘は記事になることが多い。レース結果を報じながら、このウマ娘が良かった、あのウマ娘は光るものがある、などと書き連ねる。

 

『スタート特急セイウンスカイ! 前に突っ切る差し足輝く!』

 

 その記事は、オープン戦にしては思いの外大きく掲載されていた。たかがオープン戦の一勝を、まさか一面に飾るなんて誰が思っただろうか。零細のスポーツ新聞社の記事ではあるものの、世間のウマ娘に対する関心は極めて高い。その記事が全国に広がるのもまた、時間の問題なのかも知れない。

 

「おぉー、ホントにセイちゃんの輝く新聞記事だー!」

「……どっから発掘してきたんだ、これ」

 

 トレーナー室。己がデカデカと映った新聞を二部持ってきた彼女は、その一部をトレーナーに渡して、もう一部はベッドに寝転んで自分で熟読し始めた。時折ヤジを飛ばしながらも、彼女にとっては思いの外、好感触のようである。

 

「いや、実はじいちゃんが見つけて電話してきてさー。次の日になったらこの新聞が届いていたってわけ」

「それはまた、何というか。ベタ甘だな」

「そうなんですよねー。セイちゃんが可愛くて可愛くて仕方ないみたいで」

 

 記事の内容は、思いの外シンプルな切り口だった。生でレースを見た人間に対してではなく、あくまで読み物として現場の熱を伝えていることによって読みやすい。

 

 要点もまとめられており。

 1.今年のジュニアにスタートで右に出るものはいない。

 2.爆発力ではなく、安定した末脚は見ていて気持ちがいい。

 3.掛かり気味ではあるが、残った末脚を見てもステイヤーとして輝く素質があるだろう。

 

 などと、そんなことが書かれている。

 

「いやー、こうして見るとおかしくて、ついつい笑っちゃって、隠すのが大変でして」

「笑うくらいは良くないか? 大胆不敵、で押し通せるだろ」

「お、それも確かに。オープン戦1勝したわけですし、それでいきますかー」

 

 上機嫌に、彼女は鼻歌を口ずさむ。さすがウイニングライブを二度も乗り切っていることもあってか、音程はしっかりと合って、心地の良い音色になっている。

 

「ちなみに、走り心地はどうだ?」

「うーん、違和感とかはないけど、やっぱ大変だねー。特にスタート失敗した子って、だいぶ無茶しないとダメだね。前から脚をためる分には、結構楽なんだけどさー」

「そうか」

 

 鼻歌と、キーボードを叩く音だけが室内に響く。

 各々が好き勝手に、ただそこに居座っているからこそ。会話が続かないことにお互い、思うところはない。調和を気にするほど、二人は神経質ではなかった。

 

「あ、ところでさ」

 

 思い出したように、セイウンスカイは彼の方を見て声を上げる。

 

「トレーナー、ずっとパソコン触ってるけど、それ何してるの?」

「勉強」

「うわぁ、真面目! 不真面目だけど真面目! 真面目に不真面目!」

「やめろ、絵本か。あと最後意味違うだろ。それと大人になったって、勉強からは逃げられないんだよ」

「えぇー、セイちゃんは逃げ切りたーい」

「諦めろ。専業主婦になろうが会社に勤めようが、どっちにしたって勉強だからな」

「いいえ、逃げますとも。一生遊んで暮らせるだけの賞金稼いで逃げ切ります」

「何冠取るつもりだ……」

「うーん、9冠とか。なんちゃって。さすがのセイちゃんでもねー……」

「そりゃ、あのシンボリルドルフの大記録を打ち負かす、って宣言だからな。URA決勝も勝って、10個の冠取って万歳でもしてみるか?」

「あはは、クラシック三冠取ったら考えてもいいかなー。あ、でもそんなことしたら、じいちゃん心臓発作で本気で倒れるかも……」

「7冠達成した時点でそうなりそうだけどな」

「……ホントに興奮し過ぎて倒れるかも」

「いいね、愛されウマ娘」

「いや、全然よくないし! だからやっぱり、そんな計画なしなし!」

「そうか」

 

 残念残念、と他人事のようにトレーナーは呟く。その間も、キーボードを叩く音は一度たりとも鳴りやまなかった。

 そんなトレーナーを、どこか恨めしそうにジッと見つめながらも、セイウンスカイはそれ以上動こうとはしなかった。ベッドから降りるなど以ての外である。

 

「あぁ、そうだ。ひとつだけ」

 

 珍しく、トレーナーから声が上がった。

 えっ、と驚いて、思わずセイウンスカイはトレーナーを二度見する。しかし、彼は別にセイウンスカイの方に視線を向けているわけではない。

 

「ホープフルステークス。誰が出るかは知らんが……もしもキングヘイローが出走したなら」

「……したなら?」

 

 同じ『差し』で競え、とでも言うのだろうか。

 それとも、『逃げ』をもって全力で勝ちに行け、とでも言うのだろうか。

 

 とにかく、レースに関わる重要なことなのだろう。セイウンスカイが真剣に、耳を傾けていると。

 

「レース中に彼女が掛からなかったら、皐月賞のライバルは暫定でキングヘイローだ」

「……へ?」

 

 え、それだけ? と、セイウンスカイは訝しんだ。しかし、次の言葉を待って黙っていても、それ以上彼が口を開くような気配は微塵もなかった。

 

「え、もっとないんですか? 作戦はこうしろー、とか。レース展開はああしろー、とか」

「ない」

 

 バッサリと、瞬きする間もなく切り捨てられた。そのことに、えぇ……とセイウンスカイは困惑の声を上げると、しばらくしてから、ため息を大きく吐いて枕に顔を埋めてしまった。ぶん、ぶん、と尻尾を揺らして、足をパタパタと動かして。

 ピクピクと時折震えて動く耳には、相変わらずキーボードの音が、よく聞こえてきた。

 

「トレーナーさん、さぁ」

 

 しばらくして、やっと顔を上げて……それでも、顎を枕に乗せたまま、彼女は呆れたように声を上げる。

 

「放任主義が過ぎません?」

「手が掛からなくて助かる」

「……そうですか」

 

 へにゃり、とベッドの上で力を抜いた。

 それでも、耳は時折ピクリと動き、尻尾はやはり、メトロノームのように揺れ動く。

 

「おやすみなさーい」

「おやすみ」

 

 瞼を落として、考える。

 「ホープフルステークス」。初のG1レースは、どの脚質で挑むべきか。

 その前に余剰に参加する「葉牡丹賞」は、何を試すべきだろうか。

 

 一朝一夕では思いつかない。それでも、こうしてリラックスしながら考えることで、天からこぼれるように、アイデアが湧いてくることがある。

 しかし、もしもアイデアが湧いてこなかったのであれば。

 

 

 

 意識は自然と深くに落ち込み、いつの間にか寝息を立てる。

 耳は畳まれて、尻尾は垂れて動かない。ウマ娘は思いの外、狸寝入りでもしていない限り、眠ったのが人間よりもわかりやすい。

 

「10冠……か」

 

 彼はぽつりと呟くと、キーボードを弄る手を止めて、いくつかの動画を開き始める。

 それはある逃げウマ娘の動画。あまりにも速すぎるために、そのウマ娘がいるだけでフルゲート割れどころか、その3分の1にも満たない人数で開催された重賞レースがあるほどの、歴史上、最高峰と言わざるを得ないウマ娘。

 

 それらをいくつか視聴したところで、ため息を一つ。

 彼はまた、キーボードを叩きはじめるのであった。

 

 

 

 

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