秒読みの契約 ~あなたに三つの冠を~ 作:雲ノ丸
ウマ娘の闘争本能と勝利への執着。
これらは動物的な生理現象に近いものがあり、個人差があるものの、どんなウマ娘でも少なからず備えているものだ。
この二つが特筆されて挙げられるのは、「人間」よりもこれらに対する執着が強いからであり、それは様々な形で現れる。
例えば、「速さ」に自信があるウマ娘は、それが高いプライドとして表れることがしばしばある。自分は誰よりも速いんだ、と後ろを置き去りにすることに快感を覚える逃げウマ娘がいる。
同じ事例で、誰よりも速いからこそ、全てのウマ娘をごぼう抜きにしてやるとやる気を見せる、追込ウマ娘もいる。
これらのプライドが発揮されるのは、大概がレース中である。上記の「速さ」へのプライドなら、逃げウマ娘は先頭争いに躍起になり、後続の先行ウマ娘から多大なリードを引き起こすことがある。よく「掛かり気味」などと言われるが、それは基本的に「ウマ娘としての本能」が引き起こす生理現象のようなもので、抑えるためには強靭な理性が要求されるのだ。
逃げウマ娘なら、自分の前に誰かが居ることが許せない。
追込ウマ娘なら、早く抜かしたくて堪らない。
ざっくりと言えば、そんな人間の三大欲求に近い感情が「掛かり」を引き起こす。当然、人間のようにパニックを起こした「掛かり」というものもあるが、大概は本能からくるものであることは間違いない。
そんな暴走状態に陥ることもあれば、大きく失敗をしたときには全てを諦めてしまい、やる気とパフォーマンスが地に落ちることもある。
当然、これらの本能は決して悪い方向ばかりに向くわけでもない。
例えば、サイレンススズカというウマ娘がいる。彼女は根っからの逃げウマ娘であり、目の前に誰かが居ることを許容できないタイプのウマ娘だ。
そんな彼女は、誰よりも速く、誰よりも真っ直ぐに、先頭を走ろうとする。無理をしているわけではなく、本能が先頭の景色を求めて、無意識的に前に、前にと向かっていく。
彼女は、走ることで一種のゾーンのような状態に入る。他の言葉を借りるなら、「精神が肉体を超越する」のだ。
そうなった逃げウマ娘は、それはもう強い。本人はそれほど体力を消耗している意識はないくせして、「大逃げ」のようなリードでレースをちぎるのだ。誰も前に行けず、誰も追いつけず、決して垂れない、究極の逃げウマ娘が誕生してしまう。
当然、これ以外にも様々な事例は存在する。逃げウマ娘になったのは、周りに誰かが居る状態で走りたくない、だとか。自分のペースで走っていたら逃げだった、とか。挙げればキリがないほどに、本能の表出の仕方は千差万別である。コンプレックスがウマ娘の本能と合わさり、逆に力を発揮する……などもあるが、それは余談というものだ。
端的に述べるのであれば。
ウマ娘はレースに勝利したくて仕方がない。どんな形であれ、それは大概変わらない。
だから、レースには誰もが全力で挑むし、今ある限界の手札を以て勝利に走る。そうすることで、ウマ娘は大きな力を発揮するのだが。
もしも、手札が複数枚あって。
そこに、明確な優劣が存在して。
勝利に対して万全とは言えない手札を、意図的に選ばなければならない場合。
そこにはどれだけ、強靭な理性と忍耐が求められることか。
それは正しく、断腸の思い、といって差し支えない苦しさが伴うことは、想像に難くない。
カチ、と音を立てながら、少女は次のハロン棒に向けて走り出す。
身を刺すような寒風を切り裂き、それに負けない熱に任せて彼女は進む。歯を食いしばりながら、力強く前を見ながら。
それから1分も経たないうちに、減速しながら脇によけて、いつものようにストップウォッチを確認してみれば。
「……よしっ」
ぐっと、手に力がこもる。
そこには、「12.50」「13.00」「12.50」「13.00」「12.50」と、あまりにも綺麗に数字が並んでいた。
それは、彼女のこれまでの努力の集大成だった。
「あと一本、いきますか」
その成功体験を忘れないうちにもう一本。
大粒の汗を垂らしながらも、彼女は前に進む。
空に浮かぶ雲は、決して同じ場所にはとどまらない。
「どうもー、今日もお昼寝にやってきましたー」
がちゃん、と遠慮無用とばかりにセイウンスカイはトレーナー室の扉を開ける。割と冗談のつもりだったため、トレーナー室が開いたことに「えっ」と声を失い。
「はいよ。おやすみ」
「――」
ソファに根っこを生やしたトレーナーが居ることに絶句した。
そう、冗談だったのだ。実家に帰省しなかった本日元旦。どうせトレーナーは居ないだろうと高を括って、開いていないことを確認するため扉に手を掛けただけなのに。
「……」
ぶるっ、と身体が震える。室内の暖かさと、外の寒さに挟まれたせいだった。問題を棚上げにして、彼女はとりあえず部屋に入り、扉を閉める。そして、何事もなかったかのようにベッドの上に寝転んでから。
「――いやいや。え、なんで? トレーナーさん何でいるの?」
至極まっとうな疑問を口にする。もはやほとんどのウマ娘が、トレーナーが帰省している元旦に、どうして仕事部屋であるトレーナー室に居るのか。
「ここはトレーナー室だ」
セイウンスカイの焦ったような声に、トレーナーはいつもの調子で答えた。当たり前のような態度に、彼女の焦りも鳴りを潜めていくが、代わりに冷静になったせいで思考が高速回転し始めた。
「……もしかして、トレーナーさんここに住んでます?」
「トレーナー寮に決まってる」
「ホントにどうして居るの!?」
「寮に居てもやることがない」
あっ、とセイウンスカイは思わず声を上げた。
そして数秒考えたあと、にやりと口元を緩めて。
「つまり、ボッチというやつでしょうか?」
核心をつく。良心といたずら心の均衡は、いとも容易く後者に傾いていた。
流石のトレーナーも、何かしら反応するだろう。そう、期待に首を長くしていると。
「今は違うな」
セイウンスカイは口を閉ざした。
そうして、しばらくの沈黙が流れた後にようやく。
「……そうですか」
とだけ返して、枕に顔を埋めた。
尻尾が揺れる。足がパタパタと忙しない。掛かり気味、と揶揄されそうな様子を受けても、彼は沈黙を守る。
その守られた沈黙は、まるで子守唄でも聞いているように落ち着くものだ。
縛られない時間。何もかも、気にしなくていい、止まり木のような場所。
「キング、掛からなかった」
ぽつりと、彼女はこぼす。
彼は「そうか」とだけ相槌を打って、それ以上は語らない。
「対抗意識は凄かったけど、視野は狭かった。だって、セイちゃんに釘付けで前見えてなかったし。最初に追いかけてこなかったのは、あの位置まで降りてくる、って確信してたのかと」
対抗意識に燃えていたキングヘイローは、ある程度の決め打ちこそしていたものの、セイウンスカイが掛かれば彼女まで釣られて掛かるくらい、危うさがあった。
「私が掛かったら、キングも掛かる。私が降りてこなきゃ、キングは進出する。そんな、意地っ張りなレースだったんだけどさ」
そこでまた、沈黙が挟まれる。
熟考するかのように。言い淀むかのように。空白の時間がしばらく続いてから。
「キングは、強いよ」
そう吐き出した。
精一杯を詰め込んだ、短い言葉だった。
「当たり前だ」
それを、彼はいつもの調子で即答してみせた。
「あはは……トレーナーさん、そこはセイちゃんを褒めるところですよ?」
「よく耐えた」
「……昨日と同じで、セイちゃんの感動は半減しました」
「十分だろ?」
「でも、セイちゃんの好感度は上がりませんでしたとさ」
そうか、と彼が淡泊に答えれば、また沈黙が訪れる。
今日はもうお昼寝しちゃおうかな、と。ゆっくり、ゆっくりと瞼が閉じそうになる。疲れに痺れていた身体からも、力が抜けてきた、そんな頃合い。
「賢い子だ」
子守唄のように、それは聞こえてくる。
「辛抱強い子だ」
非常に穏やかで、小さな声。
「努力家で、ひたむきな子だ」
それは、しっかりとウマ耳に届く。何せ、ウマ娘の耳は、人よりもずっと聞こえやすいのだから。
「……次は、1ハロン12秒だな」
ちょっと待て、と言いたくなるような言葉が聞こえてきたが。
もう、意識は肉体からほとんど剝がれている。頭以外に感覚は薄く、もう間もなく眠りにつくのだと、セイウンスカイは自覚している。
「今はゆっくり休め、セイウンスカイ」
彼女の意識はそこまで聞いてプツリと途絶える。
安眠がやってきたのだ。
ぐつぐつ、と何かを煮込むような音と、鼻につく芳醇な味噌の香りを受けて、セイウンスカイは目を覚ました。何やら美味しそうな匂い、と食欲に任せてちらりと半目を開けて覗いてみれば。
ソファの前。客人が来た時のためのテーブルの上に、鍋がセットされていた。
茶色い味噌鍋だ。ただ、その隣には真っ白で丸いフォルム。しかし、頂点にはこんがりと焼き目のついた、定番のそれが、二つの皿に分けられて三つずつ置かれている。
「良い匂いですねー」
「食べるならそろそろソファにつけ」
「はーい」
のそり、と起き上がると、セイウンスカイはトレーナーとは対面のソファに座る。
「おー、お雑煮でしたか」
「正月だからな」
「おせちにしなかった心得は?」
「囲むなら鍋だ」
「なるほど」
慣れた手つきで、トレーナーは漆塗りの御椀にお雑煮を二人分装い、片方を彼女の方に置いた。丸餅からはまだ湯気が立っており、焼き立てだということが伺える。
「あ、そうだ。トレーナーさん」
思い出したように、セイウンスカイは声を上げる。
彼は食事の準備を終えると、セイウンスカイの方を向いて「どうした」と聞く。
彼女は、晴れやかな笑みを浮かべて言った。
「明けましておめでとうございます。今年の方は何卒、よろしくお願いしますね?」
「当然だ。明けましておめでとう。今年は最高の一年になるから、楽しみにしてるんだな」
「えぇ。それじゃ、三冠いただきまーす」
三つの丸餅をお雑煮に入れて、彼女は一口、その前にふぅ、ふぅと念入りに息を吹きかけてから、それを啜る。
「おぉ、これは期待以上……ふむふむ」
「お気に召しましたようで何よりでございます」
「よきにはからえー」
そんな、くだらないやり取りを続けながら、二人の正月は過ぎていくのであった。
1月1日。時期は既にクラシック。
一冠目の争いはもう間もなく、訪れる。