夢を見た――
『私』はみんなに祝福されて生まれてきて、かの国のターフに立って走る。
第4コーナーを回ると、『私』は後方から一気に7人のウマ娘を瞬時に抜き去る。
とても広いストライドで跳ねるように。
空を駆けるようなステップで。
風に揺れる
「まるで
2位との差は4バ身。そのまま後方をちぎってゴール板を駆け抜けた。
ゴールインした瞬間、大歓声とともに迎えられる。
『一着はレクスセレスティア! 天球の女王の驚異的な末脚! 何者も彼女に届かなかった!!』
『私』という勝者を告げる実況の声。
それに応えるように、『私』は人差し指を立てて、右手を天に突き上げる。まるでこのターフも、この空も全て『私』の物と言うように。
ウイナーズサークルには、母さんと父さんがいて……『私』の勝利を涙ながらに祝福してくれる。
それはとても幸せな時間で。
でも……。
心の中でそんな時は訪れることはないと……わかっていた。
それでも私はそんな幸せな時間に身を任せて居たかった……。
………………
…………
……
俺は意識を覚醒させて、大きなあくびを浮かべる。
見つめる天井には天蓋が見える。
メジロ家に着いたあと、俺は疲れ切って沼に沈むように意識を落としてしまったのだった。心労からくる疲れだったのだろう。
ここはメジロ家のお屋敷。そしてここは俺にあてがわれた部屋。寮の部屋と違って、どこを見ても清潔で整理の行き届いているゲストルーム。天蓋付きのベッドに寝ている俺は、形容するならお姫様といったところか。
というか、本当にこんな王宮にありそうなベッドがあったんだな。物語の中だけの話だと思っていた。
疲れ切っていたから曖昧だったが、起きて頭がすっきりすると、なんとも違和感を感じる。
「……俺はなんで着替えてるんだ?」
フリフリのワンピース系の服。いわゆるネグリジェといった感じの服装。
こんな天蓋付きのベッドに、尾花栗毛のネグリジェを着たウマ娘がいれば、さぞかし絵になるだろう。それが俺じゃなければの話だが。
まるで俺用にあつらえたかのようにピッタリの服。一体誰が着替えさせてくれたんだ……。
肩にかかる長髪を後ろに翻して、ベッドの縁に座る。動くと揺れるベッドは凄くふかふかで、他人の家じゃなければ、あと数時間寝ていたい気分に陥る。
おもむろにベッドの近くに置かれたローテーブルを見る。髪を結っていた青いリボンが置かれていた。
この邪魔な髪を結ぶべきだが……あいにく俺は髪の結い方をまだ覚えていない。
さてどうしたものか。と思っていたところ。
ガチャ——
扉が開き、そこには見知った顔が立っていた。彼女は笑顔を浮かべると、部屋に入ってくる。
「お久しぶりです! トレーナーさん!」
マックイーンから聞いたのだろう。彼女は俺をトレーナーと呼ぶ。
「あぁ、久しぶりだねライアン」
なんとも元気なベリーショートの髪型のウマ娘。
彼女はメジロライアン。メジロ家のウマ娘で、マックイーンと死闘を繰り広げたウマ娘だ。素晴らしい末脚を持っている娘で、マックイーンの心の支えにもなってくれたライバルであり友であり家族。
俺とマックイーンを引き合わせてくれたウマ娘でもある。
学園では最近は忙しくて、話す機会がなかったが、元気そうで安心した。
「元気そうで何より」
「元気だけが取り柄ですから! えっと、話はマックイーンから聞いてます。大変でしたね……」
困った表情で頬をかくライアン。確かにこの状況は反応に困るよな。
人がウマ娘になったなんて、普通起こることじゃないのだから。
「この姿、ライアンは嫌いかい?」
俺は少し揶揄うように問いかける。
「いっ、いや! とってもかわいいと思います! あっ」
ライアンは顔を赤くして、両手を大きく振って否定のジェスチャーを行う。相変わらず反応が可愛い。
「かわいいかぁ……そっかそっか」
「その、意地悪も相変わらずですねトレーナーさん……。かなわないなぁ……」
そっぽを向いてしまうライアン。俺が暇な時はこうやって話してたっけか。いつも通りの反応で、変わってなくて安心を覚える。
「しかし、起こしに来るならマックイーンだと思ってたよ」
「マックイーンがよかったんですか? へぇ、そうですか……」
彼女は少しだけ寂しそうな顔を見せる。
「大人を揶揄わないの」
「えへへ!」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、俺の隣に座るライアン。俺はワシャワシャとその髪を撫で回す。
「ふふっ、冗談です。マックイーンは昨日遅くまで秋川理事長と会議をしていたので、まだ寝てますよ。戸籍関係の話……っていってました」
「それは迷惑をかけたな……」
「迷惑だなんて。トレーナーさんはメジロ家の支えになってるから、家族も同然なんですよ?」
それはなんとも嬉しい話だが、自分の教え子に手間をかけさせるって言うのも気が引ける。そんな苦労をかけさせる事なく、マックイーンには走り続けてほしかったのだけれど。
「あたしだって、ドーベルもアルダンもパーマーも……。トレーナーさんを支えたいと思ってるんですから!」
「大袈裟だなぁ」
気恥ずかしくて頭を掻いてしまう。
嬉しい言葉で、感情が揺さぶられて感動で涙が出てしまいそうになる。この体はやっぱり、そう言うところが弱くなってるのか……。
いけない。流されないようにしなくては。
「でもありがとうなライアン」
「えへへ、だからメジロの専属になる話。考えといてくださいね!」
「マックイーンもそんなこと言ってたな……。考えとくよ」
「楽しみにしてますね!」
とは言ったものの、まだ俺にはやることがある。チームのみんなを放り出すわけに行かない。それに『あの少女』にこんな名前をもらったのだから……。
トゥインクルシリーズを走る彼女たちを見守るための名前なのだろう。
俺もその名前に恥じない働きをしなくては。
「あ、そうだった」
思い出したようにライアンは手をたたくと、開きっぱなしの扉に視線を向ける。
「ドーベル。隠れてないで入ってきなよ」
彼女が扉へ声をかけると、ぴょこっ。と耳だけ扉から出してこちらを伺っている。
「ドーベル……居たのか……。えっと、おはよう?」
俺も声をかけると、恐る恐る顔を半分だけ出してこちらを見つめてくる。顔は真っ赤にどことなく恥ずかしそう。緊張しているらしい。
ドーベルは極度の緊張症を持っている。
その緊張はどうやら異性と関わる時に出てしまうものらしい。
俺も不意に話しかけた時に、思いっきり蹴られて、10mぐらい吹き飛んだことがある。
やっぱり容姿はウマ娘でも、心は男な訳だし緊張しちゃうよな。
「ほら、ドーベル。確かめたいんだよね?」
「確かめたい……?」
「う、うん……」
ライアンの声に恐る恐るドーベルは部屋に入ってくる。耳を後ろに向けて警戒している面持ちで俺に近寄ってきた。
……蹴られたりはしないよな?
「や、やぁドーベル。元気そうだね……」
「えっと、その……」
恐る恐る挨拶する俺に、ドーベルは言葉を詰まらせる。
初対面かと言うぐらい、互いにぎこちない雰囲気。
これは初めて会った時から変わらない。いま思うと全然関係が進展してない。
「っ……!」
「うえっ!?」
しばらくの沈黙の後、ドーベルはいきなり俺に抱きついてくる。飛び込むようにだったので、俺は困惑の声を上げ、胸に顔を埋めているドーベルを見ることしかできなかった。
俺もなんだか顔が熱くなる。
「ドーベル! 混乱してるからってそれは……」
ライアンも顔を真っ赤に彼女の行動に驚いている。しかし一番驚いてるのは俺だ。
握手はおろか、少し触れただけでも蹴り飛ばされていたので、嫌われているのかと思ってしまうぐらいだった。
しかし今はどうだろうか。俺に抱きついたまま、うっとりとした表情を浮かべて、上目遣いに俺の顔を見ている。
「緊張はしない……トレーナーさんを嫌いなわけじゃなかった……よかった……」
「それは……なにより……?」
困惑する俺をよそに、ドーベルは安心したように耳を垂らして、尻尾を左右にゆったりと振っている。
「……ドーベルは確かめたかったんですよ」
困った俺に解説するようにライアンは声をかける。
「確かめるって何を……?」
「トレーナーさんを見て緊張しちゃうのは『トレーナーさんが嫌い』なのか。それとも『男性だから緊張しちゃう』のか。その反応を見ると、後者だったみたいですね」
それでドーベルは『よかった』と言ったわけか。
しかし、ウマ娘になったことで、彼女との関係も改善できたと考えるとなんとも……。よかったか悪かったかでいえば、よかった方なのだが釈然としない。
「なんとも複雑だけど」
ドーベルの黒い髪を、手櫛で梳くように優しく撫でてみる。
「んっ……♪」
小さく嬉しそうな声をあげる彼女。触っても蹴られない。うん、これはこれでよかったと言うことにしておこう。
いつもクールに見えていたが、ドーベルは意外にも甘えん坊らしい。
しかしだ……。
「そろそろ離れてくれると嬉しいなぁ」
流石に、こんな美少女に抱きしめられていると、恥ずかしいと言うかなんと言うか。こう、精神的に反応してしまう。
「あっ、私ったら……その、ごめんなさい……!」
ばっ、と素早い動きで俺から離れるドーベル。俺は、ふぅと心を落ち着けるようにため息をつく。
「さて、ドーベルも用事が終わったことだし……トレーナーさん? 一緒に朝食でもどうですか?」
恥ずかしがる俺たちの雰囲気を吹き飛ばすように、ライアンはそう提案してきた。場の空気を変えてくれるのは嬉しい限りだ。
「せっかくだから頂くよ。っとその前に」
俺はローテーブルにあるリボンを掴み、目下の問題を切り出した。
「えっと、髪を結ってくれないかな……まだ慣れてなくて……」
いつか自分でできるようになろうと思いながらも、二人に頼る。
「そんなことなら、いくらでもまかせてくださいよ!」
「わ、私! 部屋からセット用のブラシをとってくるから!」
凄まじい瞬発力で部屋を後にしていくドーベル。
「そこまでしなくても……って、速いな……いい足だ……」
「やっぱり一番最初に見るのそこなんですねトレーナーさん……」
俺をあきれ気味に見るライアンだった。
………………
…………
……
華麗なるメジロ家の朝食は本当に優雅なものだ。しっかりとバランスが考えられているが、なんとも彩りが多く。野菜からタンパク質までそろっている。
しかしそれだけではない。
廊下の大理石の床や、絨毯もそうだが、この部屋の大きな机。窓からはしっかりと日差しが入ってくるように設計された明るい部屋。装飾の隅々までしっかりと凝られている。
そんな雰囲気が、さらに朝食に優雅さを添えてくれる。
ここまで付き合ってきたが、メジロ家の生活スペースまでは入ったことはなかった。
王族級の生活をしてるんだな。と呆気に取られている。
「俺、テーブルマナーとか知らないんだけど……」
極力、メジロ家とのイベントは拒否してきたツケが回ってきた気がする。前に呼ばれた社交パーティーにも、緊張から途中でお暇したし。
「いいんですよそんなの! 好きなようにやってください!」
ライアンはそう言うが、大量に並ぶ食器やテーブルの近くには給仕が控えている。庶民がいきなりこんなところに来るなんて、やっぱり拒否した方が良かったか。
「それに、マックイーンと一緒にいるんですから、これからこう言うことも覚えないと」
もっともな話だが、こう言う堅いのが嫌だからここまで拒否ってきたわけで。
年貢の納め時か……。
俺はぎこちない動きで席につく。
ライアンは慣れている。と言う感じで俺の向かいに。ドーベルは俺の隣に座った。
「サポートするから大丈夫ですよ。セレスさん」
「……俺の名前を知ってるんだなドーベル」
「せっかくの新しい名前だし……。積極的に呼んでみようかなって……いやでした?」
「嫌じゃないんだけどさ」
それ以外の名前も思い出せなく、しっくりこないわけだし。と口に出しそうだったがぐっと飲み込んだ。
それからドーベルにテーブルマナーやら何やらを教えてもらいながら朝食は進む。
この体になってから、身嗜みやこう言ったことまで覚えることが多すぎる。
実に自分がだらしない生活をしていたか。そんなところまで実感するとは思わなかった。
「凹むなぁ……」
「どうしたの……何か嫌だった……?」
思わず声に出てしまったみたいだ。それを心配してドーベルは俺の顔を覗き込む。
「自分の生活の自堕落さがね。トレーナー業を優先すると手が回らなくなるなぁって」
「トレーナーさんはやりすぎなんですよ。一番遅くまで明かりがついてるのはアジェナの部室だって聞きますし」
ライアンも苦笑を見せる。周りには極度のワーカーホリックにでも見られているのだろうか……。
全てに対策してトレーニングを考えたり、レースを考えたりと、考えることも多いトレーナーはみんなそうなんじゃないだろうか。
担当バ達をレースに出してしまえば、俺にできることは応援以外ない。だからこそ、出走するまでに全力で応えるのが俺の使命なわけだし。
「もう少しだけ自分を優先してもいいんじゃないですか……?」
「そうだぜー、トレーナーは頑張りすぎっからよ! 一緒にカブトムシ取り行こうぜ! インドネシアまでな!」
「俺はそう言うの興味ないしなぁ……ん?」
危うくいつもの雰囲気に流されるところだった。
「……なんでお前がいるんだゴルシ」
いつの間にかひとり増えている。そして何食わぬ顔で椅子に座っているゴルシ。
何気なく会話に紛れてくるから、気づかなかったが……。メジロ家のセキュリティは完璧じゃなかったのか? なぜか周りの給仕さんたちも平然としている……?
「やぁ、ゴールドシップさん。久しぶり」
ライアンも何食わぬ顔で挨拶をするんじゃない……。ドーベルはまたか……みたいな顔で頭を抱えてるし。
「どこから入ってきた……?」
「それは太古の昔からメジロに伝わる抜け道があってな。その由来は石器時代の話になるんだけどよー。あぁ、クロマニヨン人は元気にしてっかな……」
憂いの表情で窓の外を見つめるゴルシ。
黙っていれば美ウマ娘なのに、神は実に惜しいことをする。
頭がバグりそうになりながら、話を続ける。
「それはいいんだけどよ。ゴルシちゃんはこれを届けにきたってわけよ」
ゴルシはドーンと現金輸送箱のようなアルミケースを机の上に置く。
鍵を開けるとその中には書類などが入っているようだった。
「ちょいと理事長に頼まれてなー。流石に断れねえし」
俺はその中身を取り出して目を通す。
戸籍の証明書と社会保険関係の書類。『この国のウマ娘』であるすべての証明書が揃っていた。
パスポートすらもだ。
そしてその名前は『レクスセレスティア』になっていた。このケースに入っていたのは、一人のウマ娘をなす情報の全て。
「一晩で……? 嘘でしょ……?」
どれだけの権力をかざせばこんなことになるんだ。取り敢えず逆らわないようにしようとは思う……。
「いやぁ、マックイーンも頑張ったみたいだしな! 鼻が高いぜ」
なんでお前が威張るんだ。とツッコミを入れたくなる。ライアンやドーベルはメジロ家が協力すればさも当然。と言うような表情を浮かべる。
「カバーストーリーも入ってるからよ。しっかり覚えとけよってさ」
いったん俺はケースに全部の書類を戻し、蓋を閉めた。
「とりあえずこれは預かるけど……。ここ数日、理解に及ばないことが起きすぎて……」
「ははっ、運命だって諦めな?」
立ち上がって隣に立つゴルシは、頭を抱える俺の肩をバンバンと叩く。
「あら、みんな揃って……って、ゴールドシップさん!? 貴女はなんで!?」
そうしているうちに、起きてきたマックイーンも合流すると、さらに賑やかになる。
俺はそんな騒がしさの中で頭を抱え続けるのだった。
………………
…………
……
ライアンとドーベルは用事があると言って別れ、ゴルシは相変わらずどこかに消えていた。
俺とマックイーンは部屋に戻ると、ベッドの上に書類を広げて確認していた。
とりあえずこの書類の中身を確認しないことには、来週からの復帰に支障をきたすからだ。
ゴルシ曰く、カバーストーリーなるものが存在するらしいが、書類の他に入っていた分厚い資料がそうなのだろう。
「えっと、なになに……?」
まず戸籍を確認する。戸籍上の母は……。
「秋川やよいさん……。ん?」
秋川やよいという人物については俺もよく知っている。むしろ知らない方がおかしいだろう。
秋川やよいはURAの理事長にして、トレセン学園のトップでもあるいつも理事長と呼んでいるあの人だ。
まさか同姓同名というわけじゃないだろう。
「なぁマックイーン? お前は昨日は理事長と会議したって言ってたよな?」
「はい、その通りですわ」
何か疑問でも。というような凛とした表情で首をかしげるマックイーン。
「じゃあこの戸籍の母。なんで理事長の名前になってるんだ?」
「あぁ、そのことでしたら」
ぽんと手をたたいて、マックイーンは俺に説明を始めた。
「簡単にいうと、敵をなるべく作らないためですわ」
「敵を作らないためか……」
言いたいことは俺にもわかる。
身元が定かではないウマ娘が、いきなりG1ウマ娘の所属しているチームのトレーナーになるなんて、仰天の采配だからだ。
やっかみや嫉妬、不満といった感情が生まれるのは仕方がないこと。それを少しでも軽減したい。というのが理事長の考えなのだろう。
あの皆から慕われている理事長の娘ともなれば、口出しする勇気のある者も少なくなる。もちろん、それで全部なくなるわけじゃないだろうが。
「なるほどな……。養子ってことにしてるんだな」
カバーストーリーなる書類を読み進めていくと、俺は孤児のウマ娘で、その卓越した観察眼を買われて理事長に引き取られる。そしてトレーナーとしての教育を受けたと。
レースの出走はせずにトレーナーの道に進んだ。そのため、知名度は高くない……。しばらくはメジロ家やサトノ家で修行を積んだ後に、特別推薦枠でトレーナー資格を取得。
俺とは似ても似つかないエリートコースであるわけだが、大丈夫なのだろうか?
「びっくりするぐらいの天才ってことになってるけど大丈夫か……?」
「トレーナーさんにぴったりじゃないですの」
「そうなのか……?」
満面の笑みで答えるマックイーン。
理事長が許可したのであれば、これ以上俺がとやかく言うわけにもいかない。
一晩でこれだけを揃えてくれたのだから、俺も来週にはトレーナーに戻れる。感謝するべきことなのだ。
しかし、俺がまさか理事長の娘になるとは。
「カバーストーリーの書類はしっかり覚えてください。との事でしたわ」
「そんなに長くないからそれは難しくないけど」
「その内容は限られた人物しか知りません。最終的にはそれも焼却処分しますので」
そう言いながら、マックイーンは俺の持っている資料を指差す。
こんな会話の内容のせいか、どこかに潜入するスパイのような気分だ。まぁ実際、トレセン学園に身分を偽って潜入することには変わりないのだが。
「先が思いやられるよ」
「あら、トレーナーさんはこんなことで折れてしまいますの?」
マックイーンは俺の隣に座ると、肩を寄せてくる。
「今までこれ以上の事も、一緒に乗り越えてきたでしょう?」
俺を安心させるように笑みを浮かべる彼女。今まで何度この笑顔に勇気づけられただろう。
俺は隣にいるマックイーンに軽く肩を寄せる。彼女は少し驚いた顔をする。
今まではこちらから積極的に、寄り合うことはしなかったからだろう。マックイーンの驚いた表情は、すぐに恥ずかしそうな笑みに変わった。
「俺。弱くなったかも」
「そんなことありませんわ。貴方様は姿が変わろうと、わたくしのトレーナーで、大切な人ですから」
マックイーンは尻尾をペシペシと俺の尻尾に当ててくる。それに返すように尻尾を彼女の尻尾に重ねた。
「皆ちゃんとついてきてくれるかな」
「当然ですわ。私たちは『天球の王の元に集った星』ですもの」
「……そっか」
間髪入れずに返してくるマックイーン。その言葉を聞いて安心した。来週からは心機一転、頑張って行こう。と心に誓う。
「しかし、トレーナーさん?」
気分も落ち着いたところに、問いかけてくるマックイーン。落ち着いたその声は、どことなく怒気を含んでいるものだった。
「ドーベルにマナーを教わったらしいですが……。前にわたくしがお教えしましたよね?」
言われてみれば、社交パーティーに無理やり連れて行かれた前に、そんなことを教えられたような記憶もある。でも随分と前だったから記憶が曖昧だ。
「わたくし、誠心誠意お教えしましたのに……。これはもう一度レッスンが必要ですわね……?」
「えっ?」
「貴女の新しい経歴のこともありますし、この休日はしっかりと『淑女』のためのレッスンをいたしますので、覚悟してくださいませ?」
俺は素早く立ち上がり。
「急用を思い出したので学園に」
「これが急用ですわ」
しかし、マックイーンにしっかりと後ろから抱きつかれて動けない。
なんなんだこの腕力は……。ウマ娘になっても鍛えたウマ娘には勝てないらしい。
「さぁ、じっくりと教え込んで差し上げます」
「……お手柔らかに」
マックイーンの怖いほどの笑顔の前に表情が引きつる。
これから行われるであろうレッスンに、俺は恐怖を覚えるのだった。