「ごめんなさいね?」
「はい……わかりました……」
アジェナの部室。
ショートヘアのウマ娘は、残念そうな表情を浮かべて部屋から退出していく。申し訳ないと思いながらも、彼女の申し出を断った。
このトレセン学園でウマ娘を受け持つためには、スカウトをするのが一般的なのだが……。
稀に、トレーナーに対して猛アタックをしてくるウマ娘がいる。そう言った類のものは『逆スカウト』と言われている。
マックイーンが結果を出し始めた当初は、何回か逆スカウトを受けたことがあるのだが、俺が断りすぎたせいで、それもそのうちになくなった。
噂を聞いた限りでは、話しかけづらいとかなんとか。
しかし今はどうだろうか?
俺はウマ娘で、彼女達と同じ存在。近い距離にいることができるようになった。
いわゆる、話しかけやすい状態にあるのだ。
「はぁ……」
15人——
この1時間で現れたウマ娘はその数にのぼる。全員に断りを入れるのも骨が折れる。
彼女達の熱意は素晴らしい。
「必ずG1で勝つ」とか、「あなたのもとで輝きたい」とか。
熱意ゆえに、俺が断りを入れる前に、各々独自のアピールで俺にプレゼンする。
もちろん俺だって、できることなら全員を受け持って、彼女達の力になりたいと思ってるのだが……。
指導にはキャパシティが存在する。
トレーナーの中には10人以上を受け持つものもいるが、あいにく、俺はそんな化け物ではない。
いや、もしかしたら、ウマ娘としての強靭な体を持った今では、それも可能なのかもしれない。
しかし、いくら体が強靭でも、ついて回るのが時間という概念だ。
トレーナーの仕事時間は1日に9〜13時間程度だとして……。
俺が現在担当している人数は5人。一人に1時間の時間を使ったとして5時間。
残り4〜8時間は残ってるし、担当増やせるんじゃね? と思われるかもしれないが、それは違う。
トレーナー業務はウマ娘のトレーニングだけではないのだ。
出走の管理、書類業務、器具の保守点検、会議に、研究や分析……と、このように多岐にわたる業務をこなさなくてはいけない。
トレーナーは外部の人間が思うより、ハードな業務なのだ。
ネットを見れば、ウマ娘達とイチャイチャできて羨ましい。なんて意見も見かけるが、そんな人にはぜひ内情を知ってもらいたい。
現状、トレーナーの数は圧倒的にウマ娘より少ない。
ゆえに、実力のあるトレーナーは多くのウマ娘を担当することになる。
実力あるトレーナーほど、仕事の拘束時間が長くなるため、正常な思考を持っている人ほど、早く脱落していく。
もちろん、脱落の理由は体調的な面の方が多い。
3年続けられれば優等生。5年続けられればもはやベテラン。10年続けられれば神格級だ。
こう言った激務も、トレーナーの慢性的な不足に拍車をかけている。
とにかく、長年この仕事を続けられるのは、相当なもの好きか、頭のネジが吹き飛んでる者たちなのだ。
……それはきっと、俺も例外ではないわけだが。
逆スカウトラッシュも終わり、静けさを取り戻したアジェナの部室。
俺は机の上に書類を広げて、書類の整理を始める。
何枚かに軽く目を通して、優先順位を決めていくのだが、そんな中、一つの書類に目が止まった。
「うわ、公開練習は今日だったか……」
トレセン学園には、外部のメディア向けに、月に何回かの公開練習を行っている。
トゥインクルシリーズは勝負事ではあるが、エンターテイメントとしての側面もあるため、そう言ったマスメディアの恰好の取材対象でもあるのだ。
有名な走者になれば、特集記事や番組が組まれる。
芸能界には、トゥインクルシリーズ出身の、ウマ娘タレントや女優が数多く存在している。
トゥインクルシリーズは、そう言ったスターを産む土壌にもなっているのだ。
しかし、まいった……。
今日の取材対象は、間違いなく俺になるだろう。
自意識過剰というわけではないが、今日1日トレセン学園で活動してわかったことがある。それは自分が思った以上にスター性を持ち合わせているということだ。
おもむろに、スマホで『うまったー』を確認する。
お昼のニュースで、朝の挨拶が放送されたのだろう。
トレンドには『尾花栗毛の姫』やら『美ウマ娘トレーナー』やら『#セレスちゃんカワイイ』やら……俺のことであろう話題で埋め尽くされていた。
精神衛生上よくないし、俺はスマホを片付ける……。
さて、ネットもこんな状況だからこそ、今日の注目の話題は『レクスセレスティア』で間違い無いだろう。
つまり俺は公開練習に出るとどうなるかというと。
「囲まれるよなぁ」
気が重い。
いっそのこと、ルナにでも護衛を頼むか。彼女ならうまく記者を捌いてくれるだろうし。
……これ以上仕事を増やすのは彼女に悪いか。
コンコン——
どうするか考えていると、扉をノックする音が聞こえる。
これが何かの勧誘やセールスなら「間に合ってます」で終わるのだが、おそらくはまた逆スカウトだろう。
「はぁ、どうぞ」
小さくため息をついて、俺は扉の向こうの人物に声をかけた。
「やぁやぁトレーナー君。ご機嫌なようだねぇ」
俺の疲れをもった顔を見るなり、ニヤニヤと笑い、白衣の袖をクルクルと回しながら入ってきたウマ娘。
「アグネスタキオン……」
「なんだい? つれないねぇ。せっかく私が訪ねてきてるというのに」
俺の不満そうな言葉遣いに、彼女はさらに顔をニヤつかせる。
彼女は独特のねっとりした声でそう言い、俺の前に立つと、手を顎に当てて考えるポーズをする。
「ふぅん。体調は良いようで安心したよ」
「ご機嫌伺いもいいんだが、戻るための薬品はできたのか?」
「急すぎは良くない傾向だ。そんな簡単にできると思っているのかい?」
タキオンはやれやれ。と言った感じのオーバーなリアクションを見せる。
「で、いつ頃までにできそうなんだ?」
「そのことなのだが、実はあまりにもサンプルが少なすぎてねぇ」
彼女は懐から試験管やらサンプルの採取用のピンセットやらを、書類の散らばった机の上に広げる。
「早期完成のためにも、サンプルを取らせてくれないかと思ったのさ」
「サンプル? 髪の毛とかか?」
「髪の毛、皮膚の一部、爪、唾液に……まぁ体液一通りといったところかな」
「……本当に実験に必要なんだよな?」
しかも体液一通りとは何だ。嫌な予感しかしない。
「まぁ、それで早く完成するなら……。何をすればいい?」
「まずは服を脱いでくれ。もちろん下着もね」
「服をね……ってえっぇぇぇっ!?」
突然何を言い出すんだこいつは!? まさかのお願いに叫んでしまう。
「まったく、いきなり叫ぶとはどういうことだいモルモット二号君」
「いや、だって! お前、脱げって……あと俺はモルモットじゃない!」
「問題があると思っているのかい? 今は同族だろうに」
「それでも問題ありだろ! 何が楽しくて、お前に裸体を晒さないといけないんだ!」
タキオンは相変わらず、何か問題でもあるのかね? と言いたげな顔で見つめてくる。
やっぱりウマ娘の中でも、こいつはかなりネジが飛んでいるんだろう。倫理観を親の腹の中に残してきたのだろうか?
「安心したまえ。瞳を閉じているうちに終わる」
タキオンは、袖から手を出してワキワキと指を動かして俺に迫る。
俺は椅子から立ち上がると、壁際まで逃げる。しかし無情にも、そこには窓もなく逃げることは叶わない。
「さぁ、観念したまえセレス君?」
「あんっ、ちょっ、やっ、やめろーー!!」
俺の声は虚しく響いて……。
………………
…………
……
「もうお婿に行けない……」
無理やり服を剥かれて、体のありとあらゆるところを触診されて、サンプルも取られた……。
実験動物ってこんな気持ちなんだろうか? 人間としての尊厳を失ってしまったような気がする。
床にぺたん。と座り込む俺。はだけた服装は、第三者が見ればあらぬ誤解を受けそうな状態だ。
「嫁に行けばいいじゃないか。君なら引く手数多だろうに」
人の気持ちも知らないで、タキオンはサンプルを懐にしまっていく。
満足そうに微笑んでいる彼女……あとでタキオンのトレーナーに報告してやろうと心に決めた。
「私の用件は済んだからね。誰かがこないうちに退散することにしよう。それじゃ」
ギィ——
上機嫌な彼女の終わりを告げる音。
部屋の扉が開く音が響く。
「タキオンさん……何をやってるんですか……?」
ギコギコ。と油を差し忘れた歯車のように、タキオンが振り向くと、開かれた扉から、月のような目を見開いて見つめるウマ娘の姿が。
「か、カフェじゃないか! 奇遇だねぇ!」
明らかにタキオンの顔が引きつる。
おそらく彼女からしたら、一番会いたくない相手なのだろう。
「何をやっていた。と聞いているんです」
胸をはだけさせている涙目な俺と、タキオンの引きつった顔を、カフェは交互に見て、無表情ながらも、相手を殺せそうなほどなプレッシャーを放つ。
ガリガリと、床が削れるほどに前掻きをするカフェは明らかに不機嫌だ。
「いやぁ……トレーナー君の薬のためにサンプルをね」
「そうなのですかトレーナーさん……?」
最初からタキオンに聞く気はない。と言ったように俺に問いかけるカフェ。
無理やりあんなことをされたのだ。タキオンには少しお灸を据えてやろう……。
「ぐすっ、タキオンに無理やり……」
演技ではあるが、グスッと泣く真似を見せて、そんなことを呟いてみる。
ベキッ——
床の一部が軋む……。
「アグネスタキオン」
すーっと、部屋の温度が下がっていく。
あぁ、これは『あの子』も掛かってるんだろうなぁ……。
「なっ、なんだい? よそよそしく……」
カフェは本当に怒っている時、相手の名前をフルネームで呼ぶ。しかも呼び捨てで。
これは以前、カフェの大切にしているコーヒー豆に、タキオンが薬品を振りかけて、アマゾンのようなコーヒーの木の密林を生み出した時以来の出来事だ。
そうとうに掛かってるみたいですねこれは……。
「少し時間を貰いますトレーナーさん。コーヒーはその後にしましょう」
「お湯沸かしとく……?」
「いえ、私がするのでゆっくりとしといてください。さてアグネスタキオン」
「な、なんだいぃ……?」
縮こまってるタキオンをみるのは久しぶりだなぁ。と、そんなことを思いながら服を着直す。
カフェはうちのメンバーの中で、唯一手加減ができる子なので、お仕置きは任せても大丈夫だろう。
「行きますよ……」
「はっ、はなしたまえっ! ちょっ、袖を結ぶのはやーめーろー!」
カフェは、タキオンの持て余す袖を背中で固結びにすると、彼女の首根っこを掴んでずるずると引きずっていく。
「とれーなーくぅんっ!」
タキオンはそのまま、ずりずりと部屋から連れ出されてしまった。
ウマ娘にされてから、何か仕返しできないものかと思っていたが、意外なところで果たせてしまった。
「タキオン……これであいこにしよう……」
とりあえず、彼女のトレーナーへの報告はやめといてあげよう。
………………
…………
……
がり、がり。とコーヒーミルが豆を砕く音が部屋に響く。
20分ぐらいした後、カフェはいつもと同じ雰囲気で部屋に戻ってきた。『おしおき』の内容までは聞かなかったが、大丈夫だったか? と聞けば。
「はい、お話ししただけです。暴力は嫌いですから……」
と返されたので、たぶん大丈夫だろう。カフェは嘘をつかない子だし。
カフェはコーヒーを用意していく。要領良く、手慣れている。
むかしはインスタントコーヒーを飲んでいたのだが、カフェが来てからはほとんど彼女が淹れてくれている。
初めは彼女の持ち込みのハンドドリップ用の機材で。
いつの間にか直火モカの機材に、サイフォンと増えていき、部室の一角はまるで町の小さな喫茶店のようになっていた。
「エスプレッソマシン置きませんか?」と彼女に言われたが、そこまでしたら本当に喫茶店になってしまうので却下した。
彼女の残念そうな顔をみたときには、少し心が揺らいだのはいい思い出だ。
「もう少しですから、待っててください」
彼女はペーパーフィルターをドリッパーにセットし、湯通しするとそのお湯を捨てて、容器を温めるために再びお湯を注ぐ。温度計でドリップポットのお湯の様子を確かめると、適温になったのか小さく肯く。
ドリッパーに挽いたコーヒー豆を入れると、デジタルスケールを用意し、容器のお湯を捨てて、全てをセットして準備完了。
カフェは手慣れているように、コーヒーの抽出を始める。
お湯が豆に触れた瞬間、香りが弾ける。
蒸らし40秒——
それが終わるとお湯を注ぎ……。
1分20秒、2分10秒、と三回に分けてお湯を注ぐのが彼女流のハンドドリップだ。
彼女曰く「素人である以上、基本に沿った方がいい」との事だった。
もっとも、彼女のコーヒーに対する考えは、素人を超えているのだが……。
3分と少しすると抽出が終わる。
コーヒーを注ぐカップを残ったお湯で温めると、それを捨てて。
抽出が終わったコーヒーを軽くスプーンでかき混ぜる。
そして2つとも同じデザインのカップに注ぐと、ソファーで寛ぐ俺の前に、コーヒーを差し出してきた。
人の時よりも強い香りを感じる。
少し甘く、しっかりと豆の匂いのするコーヒー。
カフェがいつも嗅いでいる匂いと、同じ感じ方なのだろうか。
「ありがとうカフェ」
カップを受け取ると、カフェにお礼を言う。
「いえ……」
そういうと、カフェは俺の隣にぽふっ、と座ると肩を寄せる。
「あっち座っていいんだぞ?」
向かいのソファーが空いている。と指してみるが。
「ここが……いいです……」
「……まぁ、それでいいならいいんだけどさ」
寄りかかるように、すりすりと軽く体を擦り付けてくるカフェ。
小動物のようで可愛らしい。犬というよりは猫系だろう。
主人と猫……。
いや、互いにお揃いのカップを持っていると、姉妹のようにも見えるだろうか?
「とにかく、いただくとするよ」
コーヒーを一口。
その瞬間に口に広まる軽い苦味と、酸味を感じる。しかし、それは後に引くことなく、スッと消えていく。
豆の甘い香りに落ち着きを覚えると、耳がぺたんと倒れてしまう。
「ん、今日もおいしいよカフェ」
「それはなによりです」
「酸味が独特だし苦味より強いから、えっと……昔飲んだことあったな……これは……キリマンジャロ?」
「トレーナーさんもわかってきましたね」
どうやら正解だったらしい。
カフェは毎回、いろいろなコーヒーを俺に提供してくれる。そのおかげか、俺も少しはコーヒーに対しての造詣が深くなった。もちろんカフェには敵わないが。
「そりゃカフェがいろいろ飲ませてくれたからな。ただでさえ趣味がない俺の、数少ない趣味だよ」
「では……一緒の趣味ですね」
そう言うと、カフェは小さく笑む。
最初は表情を見せない子だと思っていたが、一緒にいると意外にも豊かな笑みを見せてくれる。
カフェはちびちびとコーヒーを啜りながら、俺に体を擦り付ける。彼女はコーヒーを一気に飲むと、お腹が痛くなってしまうらしい。
一口飲んでは、俺に尻尾を軽く当ててきて、そしてまたコーヒーを一口。まるでかまって欲しい猫のような仕草を見せ、なんとも微笑ましい。
俺はこのゆっくりと流れる時間が大好きだ。
心休まる時間の一つだと言っても過言ではない。
カフェの尻尾の催促に、俺は金色の尻尾をカフェの尻尾に重ねるように動きを止め、彼女の頭をポンポンと撫でてみる。
カフェはびくっと体を奮わせると、撫でやすいように耳を倒した。
「いきなりはだめですよ……?」
「そっか、悪かった」
撫でたことを注意されるが、カフェは逃げるとか避けるとか、そう言った行為は見せない。むしろ撫でられたいように、頭を擦り付けてくる。
こう言ったところも猫っぽいなぁ。と思いながら、俺は彼女の頭を撫で続ける。
そしてゆったりとした時間が過ぎていくのだった……。
テイルズやるので次は少し遅れるかも。