くつろぎの時間を終えたら、今度は仕事の時間だ。
俺はトレーナー用のジャージに着替えて、チームメンバーよりも一足先に練習場へと足を進めていく。
トレーニングの時間までは、もう少しあるが俺にはやることがある。
それはほかのウマ娘の練習の偵察だ。
担当のライバルとなるウマ娘を見つけ、走り方を解析するのも、トレーナーである俺たちの重要な役目である。
親しいトレーナーが多ければ、わざわざ見なくても情報を集める手段があるが……。
俺は自分の目で見て、感じて、それを自分なりに考えるのが好きなのだ。
断じて! 友達付き合いが下手なわけじゃない。
俺は、聞いただけでは理解できないことがあると思っている。
目で見たからこそ、走者の息づかいや小さな変化を理解できる。
そうして初めて彼女たちの一部を理解できる。とも思っている。
たづなさんに話したら「本当に真面目ですね」と言われたのを思い出す。
トレーナーたちが、ウマ娘たちにしてあげれることは多くない。
もちろん理論を教えたり寄り添うことはできるが、一度走り始めれば、彼女たちは世界で一番孤独な存在になる。
ターフ上にライバルはいるが、助けてくれるものはいない。
だから俺は彼女たちがレースに出るまでに、できる限りの事をしたいと思っている。
「さてと……」
俺はストップウォッチを握りしめる。
練習場へと繋がる通路を抜ければ、記者たちから質問責めに合うのだろう。
さて、早々とその質問に答えて、偵察の時間を確保することにしよう。
「よし……!」
「よし、じゃない。おいたわけ」
「えっ、エアグルーヴ?」
突然かけられた声に振り向くと、そこには腕を組んだエアグルーヴが立っていた。
またもや俺は気付くことなく、歩き続けていたらしい……。
「いつから……?」
「本当に気づいてなかったのだな。はぁー、まったく考えすぎだ」
「えっと、ははは……」
考えすぎると周りが見えなくなるのは、俺の悪い癖の一つだ。
その言葉を聞くにおそらく長い時間、彼女を無視してしまったのだろう。
「こほん。何か用事かしら……?」
誰に見られているかも分からないので、俺はエアグルーヴに丁寧に返す。
「会長から言伝だ」
「ルドルフから……?」
「記者たちには『邪魔をしないようにお願いしておいた』だそうだ」
「おぉ……」
思わず感心の声が漏れてしまう。さすが会長様は根回しが早い。
言わなくても、俺がして欲しいことが分かってるのか……?
「会長の配慮だ。失望させないように励むことだ」
「えぇ、ルドルフにはありがとうと伝えといてくれるかしら」
「あぁ、ただ……」
「ただ?」
「練習後に取材の時間を作ってある。記者たちも手ぶらでは帰れんからな」
「うへぇ……」
「何がうへぇだ! シャキッとせんか……。まったく、会長の顔に泥を塗らない様にな」
最後にそう言うと、エアグルーヴは足早に俺から離れていく。
「あ、ありがとう……はぁ……」
練習後の取材のことを考えると、今から気が重い。彼らも仕事だし仕方がないが……。
まあ、練習中に話しかけられるよりマシということにしとこう。
とにかく、気を取り直して練習場へと向かわなければ。
………………
…………
……
晴天の練習場。
エアグルーヴの言っている通り、記者たちは遠目に俺を見たり、写真をとるだけで近寄っては来なかった。
ありがたい限りだ。
ターフやダート上ではいくつかのチームと、まだデビューしていないウマ娘たちが、教官の指導を受けて練習を行っていた。
「上がり3ハロンは……と」
俺は自分のノートに、走っているウマ娘のタイムをまとめていく。
来年デビューするカフェのライバルになりそうなウマ娘を、何人か見つけることができた。
公開練習は偵察の場にちょうどいい。
メディアに存在感を見せるために、いつもより大幅に気合を入れて走る娘がいるからだ。
レース並みの一杯で走る娘もいるから、見ていて面白いし参考になる。
「お、あれは……」
双眼鏡で坂路の方を眺める。
もの凄い速度で坂路を走っていくウマ娘。
彼女の足は怪物と言っても過言ではない。
普通であれば、坂路をあれだけの全力で走ることはできない。
彼女が努力で手に入れた肉体。
坂路の申し子。
その名は、ミホノブルボン——
ライスシャワーの最大のライバルにして、俺たちが超えるべき最大の壁。
彼女は実にクールで、トレーニングを着々とこなしていく。
そんな姿から『サイボーグ』と形容されるが、まさにその通りだと思う。
「ふむ……さすがだけど……」
ブルボンはいつもと変わらないパフォーマンスを、記者たちに見せつけている。
並大抵の努力では彼女に勝つことはできない。
記者が口を揃えて言う言葉だ。
無敗で二冠を手に入れた実績も相まって『シンボリルドルフの再来』とまで言われている。
しかしだ……。
俺の見解は記者たちのそれとは異なる。
「あっ……」
双眼鏡で見られていることに気づいたのか、ブルボンは俺を凝視してきた。
さすがに練習風景をじろじろ見るのはまずかったか。
彼女は強面なトレーナーと話すと、駈歩で俺に近づいてくる。
何を言われるのか。と身構えてしまう。
「セレストレーナー」
彼女はあまり抑揚のない声で、俺に声をかける。
実を言うと彼女と話すのはこれが初めてだ。
ライスがクラシック期に入ってからは話すほど暇ではなかったし、過度に接触したくなかったこともある。
もちろん、練習は偵察していたが……。
「えっと初めまして。ミホノブルボンさん」
「なるほど、私の名前はすでにご存知なのですね。さすがはライスさんの新トレーナー」
彼女は小さく肯くと、抑揚なく続ける。
「不躾ながら、ライスさんの新しいトレーナーがどんな方か……気になったのでマスターに挨拶の許可を貰ってきました」
俺は、遠くで見つめる強面なトレーナーの顔を見る。
すると彼は礼儀正しくお辞儀をするから、俺は会釈を返す。
そしてブルボンに視線を戻し、話を続ける。
「日本ダービー。見事な勝利だったわ」
ライスを振り切っての一着は、見事としか言いようがなかった。
中盤まではいいペースだったのだが、最後の直線で見事に振り切られた。
彼女は本当に素晴らしい末脚を持っている。
「いえ、まだまだです。私には、たどり着くべき目標があります」
彼女はクールに言い放つ。
「菊花賞……ね」
「はい。私の目標はクラシック三冠。そのために綿密な計画と、トレーニングを積んできました」
クラシック最長距離――
平地の競走で言うなら、三番目に長い距離のレース。
クラシック最終戦でもあり、数多くのウマ娘の三冠の夢を飲み込んできたレース。
それに挑もうとする彼女は、表面は冷静だが内なる闘志を持っているようだった。
だが……それも……。
「ブルボンさん。あなたは私たちの最大の敵で壁でライバル」
俺はきっと、菊花賞で彼女の夢を奪うことになる。
これだけ頑張っているのに、彼女に菊花の栄誉はもたらされない。
様々な理由から、俺はそれを確信してる。
「こんなこと言うのは、変かもしれないけれど……頑張ってくださいね?」
俺の内なる心を悟られないように、彼女に笑顔を向けて言ったのだが……。
「……」
ブルボンは俺の言葉を聞いて、少し考える仕草をする。
そして静かに口を開いた。
「……解析。あなたの言葉に、ステータス:悲しみを検知しました」
その言葉に、俺は思わず目を見開いてしまう。
隠したつもりだったが、どうやら滲み出てしまったらしい。
ウソ発見機でも内蔵してるのだろうかこの子は。
「何かを隠していると推定。マスターからは意見の一つでも貰ってこい。と命令を受けています。遠慮せずにどうぞ」
ここまで見透かされるとは思っていなかった。
再び、彼女のトレーナーを見ると仁王立ちでこちらを見ている。
「さぁ、どうぞ」
彼女は俺の真意を聞くまで、退く気はないようだ。
俺は覚悟を決める事にした。
心に閉じ込めておこうとした言葉を解き放つ。
俺は小さく深呼吸をして、一言放つ。
「あなたは菊花賞でライスに勝てない」
無表情だったブルボンだが、この一言にびくっと表情を少しだけ変える。
耳をピーンとたてて、数秒瞳を閉じると表情を戻した。
「理由を伺っても良いでしょうか」
さすがクールな性格だ。
この子の心の乱れなさは、レースでも相当なアドバンテージなのだろう。
「そうね……。貴女のレース映像を見て思ったのだけれど」
結論を言いっぱなしじゃ流石にかわいそうだし、俺は説明を続ける。
「あなたが、菊花賞でライスに負ける二つの理由を見つけたの」
「聞かせてください」
ブルボンは食い気味に俺に理由を尋ねる。
「……一つ目。あなたの適正距離では長距離を走れない。これはきっと貴女も知ってるのよね。いえ、貴女が知らなくても、貴女をここまで育てたトレーナーが知らないはずがないわ」
俺の見立ては当たっていると思う。
ブルボンのトレーナーは強面で寡黙だが、ウマ娘のことをよく見ている。
ブルボンの走り方を見れば、マイルから、せいぜい2400mぐらいが限界だということは、理解しているだろう。
それでも走らせる理由は、おそらく『ブルボンの願い』を尊重してるのだ。
「はい、それは存じています。私の元々の得意距離はマイルから中距離です」
「それでも走る理由は?」
興味があった。
それを理解して走ろうとする彼女の決意に。
俺の質問に、ブルボンは自分の胸に手を当て話し始めた。
「私は努力は限界を超える。と信じています。これは父とマスターも同じ考えです。私は限界を超えたい。私はその理論を証明したい。そのために走っています」
俺を強く見つめる瞳には、燃える様な闘志が見える。
……良い瞳だ。
まるでドラゴンに挑む騎士のような強さを持っている。
「あなたはクラシックディスタンスで圧勝して見せた。もう証明できたのじゃないかしら?」
「いえ、三冠こそが私のミッション。それは変えられません」
「そう、良い覚悟ね」
「それで他には? 貴女は二つ。と言いました」
まるで意地悪をしているみたいで、気持ちが乗らない。
一つ理由を言うのも実に心苦しいのだが、それでも聞いてくるブルボンは、意外と意地悪なのかもしれない。
「そうね。じゃあ二つ目」
これが一番言いたくなかった。
相手によっては、完全に心を折ってしまうかもしれないからだ。
「ライスはダービーの時点で、本格化に入ったばかりだったの」
「え……」
ブルボンは尻尾の動きをピタッと止める。これには流石に動揺を見せたらしい。
そう、ライスの本格化はこれからなのだ。
ブルボンの成長はどちらかというと早熟傾向にある。
クラシック期の夏までにピークを迎えて、そこから徐々に衰えていく。
衰え方もそれぞれなのだが、早熟傾向のウマ娘は、シニア期の中盤ぐらいで引退やプロリーグへの移籍を考えることになるだろう。
それに比べて、ライスやマックイーンは晩成傾向にある。
成長が遅いが、シニア期に最も能力を発揮できるし、衰えもゆっくりな傾向にある。
晩成傾向はちょうど菊花賞あたりで最高の状態を迎る。
そう、ブルボンはピーク過ぎに、最高の状態のライスと戦うことになるのだ。
しかも、本来の適正距離外のレースで……。
「そんなライスがダービーで貴女についで2着。そして、ライスは生粋のステイヤーよ。マックイーンよりもずっとね。ライスの適正距離は2500m以上なの」
ブルボンは表情こそ変えないが、黙って俺の話を聞いている。
冷静を装ってはいるが、内心はきっと相当に乱れているだろう。
「ダービーは適性外、本格化も入ったばかり。そして菊花賞は約4ヶ月後」
「なるほど。最高に仕上がった状態のライスさんと戦う事になると」
ブルボンは口を開く。
その言葉は俺にもわかるぐらいに震えていた。
「ごめんなさいね? 意地悪言ってるわけじゃないのよ」
そんな震えた声を聞くと、話すべきでなかったと後悔した。
俺は思わず悲しい表情を浮かべるが……。
「いいえ、最高です」
「え?」
聞こえたのは、俺の後悔を打ち消す一言。
言葉を聞き間違えたか? と思って思わず声を上げてしまった。
「最高の状態のライスさんと戦える。勝てば私の強さの証明ができる」
ブルボンはまるで望外の喜び。と言った口調で、珍しく饒舌に話始める。
……俺は勘違いをしていた。
声の震えは恐怖ではなく。
歓喜——
「ありがとうございます、セレストレーナー。貴女のおかげでさらに頑張れます」
「へぇ……」
その闘志に満ちた声に、俺は思わず笑みを漏らしてしまう。
そうだ。
これぐらいで心が折れるのなら、クラシックのG1戦線なんて走れない。
俺は彼女を侮っていた。そんな事をしていい相手じゃないのに。
「貴女、最高よ。その覚悟があるなら、こちらも全力で倒しに行きます」
「はい、ありがとうございます」
その言葉は敬意を表すと共に、彼女への明確な宣戦布告。
こちらも彼女を倒せるように、全力でライスをサポートしないと。
それこそが、三冠へ全霊を賭ける彼女への礼儀だ。
「最後にですが……セレストレーナー」
「何かしら?」
少し考えた後にブルボンは話を切り出す。
「あなたが私のトレーナーだった場合、菊花賞は出走させますか?」
「そうね……私だったら回避させるわ」
ブルボンは『努力は限界を超えられる』と言って、ダービーでそれを見せてくれた。
しかし『努力では超えられないもの』は存在する。
それは生まれ持った肉体の強度だ。
「坂路4本に基礎的な訓練、それ以上の筋トレ。普通ならオーバーワークなの」
彼女のトレーナーもきっと、それを理解して全ての責任を負うつもりで許可してるのだろう。
「菊花賞を越えてしばらくすれば、きっとあなたは限界が来る……」
考えたくもないが、走者人生の進退に関わる故障が発生する可能性もある。
「わかっています。しかし私はこの道を選びました。そしてマスターも選んでくれました」
彼女も覚悟の上。と言った表情を見せる。
きっと、俺なんかが入り込む余地がないぐらい強い想いなのだろう。
俺に言えること。
それは……。
「貴女は良いトレーナーに出会えたわね」
この一言だけだった。
「はい、自慢のマスターです」
あまり表情を崩さなかった彼女が、明確に笑みを浮かべて誇らしげに言う。
全身全霊で事に挑むために、一蓮托生の想いで走る二人。
そんな彼女たちに俺ができることは一つ。
どうか運命に屈せず、無事に走り続けられます様に。
……そう祈ることだけだった。
「お姉さまー!」
そんなやりとりをしているうちに、準備を終えたライスの姿が見えた。
とてとて。と走ってくるライス。
ブルボンを見つけると、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ブルボンさん、こんにちは」
「はいライスさん。新トレーナーとの仲も良好そうで安心しました」
「ブルボンさんは何してたの……?」
「ライスさんの新トレーナーさんに挨拶を」
ブルボンは少しぎこちなく笑むと。
「あなたは良いトレーナーに出会えましたね。ライスさん」
「ふぇ……?」
そう言われてライスは少し首を傾げるが、すぐに言葉を返す。
「うんっ、自慢のお姉さまなの!」
「それは何よりです。では、私はこれで」
「えぇ、またお話にきて頂戴ね?」
「はい、セレストレーナー。菊花賞、楽しみにしています」
溢れ出る喜びを抑え、もう冷静さを取り戻したのか、ブルボンはいつもの声色を取り戻していた。
彼女は無表情なまま一礼すると、そのまま『マスター』の元へと帰っていった。
「ブルボンさん嬉しそうだったね」
「そうね、ライスというライバルに出会えたことが嬉しいって言ってたわ」
「そ、そうなの?」
「えぇ、だから、そんなブルボンのためにも……練習を頑張りましょうか!」
「うんっ! お姉さま!」
かくして、続々と集まってくるチームメンバーと共に、初日のトレーニングが始まったのだった。