アグネスタキオンSide
「んぅー、これは困ったねぇ……」
私は実験で吹き飛ばしてしまった実験室の前に立っていた。
これは困った、本当に困ったし悩ましいことが起きてしまっている。
実験には失敗が付き物なのだ。この実験室のように『尊い犠牲』によって科学というものは発展してきたわけだ。
今回の犠牲も、こう言ったものだけで済ませられればよかったのだが。
私は、今回も自身の可能性の実現のために実験を行なっていた。
そして、遺伝子の可能性を引き出す薬の実験をしていたのだ。
のだが、一体どこをどう間違えたのか……。
「私としたことが、本当に全くわからないとは」
どこかを間違えたのだろうが、全然わからない。薬品の調合過程で大爆発を起こして、しかもそれに運悪く巻き込まれたトレーナーが居たわけだ。
事故の結果を聞いた時には、思わず意味深なことを言って悪役笑いを上げてみたが、駿川たづなの睨みが刺さり、流石に謝ったし、トレーナーを元に戻すと約束した。
しかし、人がウマ娘になることなんて。
「いや待てよ……」
私は今回の研究で遺伝子の可能性を引き出そうとしていた。ウマ娘と人の間には一定の確率で『ウマ娘』と『人間』が生まれてくる。
そうでなければ生物的に『牝』しかいないウマ娘は絶滅してしまう訳だ。
稀にではあるが人間と人間の間にも突然変異的に生まれてくることもあるが、このケースは稀なので説明する必要はないだろう。
まぁ以上のことから科学的にみても、人とウマ娘はそこまで遺伝子的差異がないことが通説とされている。
精密に調べても、答えが出ないし良くわからないわけだ。
明確な差が科学的に証明できない故かはわからないが、今日ウマ娘は『個性ある人間』ぐらいのポジションで世界に溶け込んでいる。
以上の事柄から、これは私の仮説となってしまうのだが。
もしも、あのトレーナーが『ウマ娘としての素質』を持っていたとしたら?
私が作っていたのは『遺伝子の可能性を引き出す薬』なわけだから、あのトレーナーの本来持っていた『ウマ娘の遺伝子の可能性』を引き出したとは考えられないだろうか?
生憎、彼は私の担当ではないわけだから、素性や過去や家族構成が分かるわけではない。
しかし、彼の家族構成の中にウマ娘がいれば、この説の信憑性も増すだろう。
これは追加調査が必要になる。本当に面倒だが。
「はははっ! 実に面白いじゃないか! しかしだ」
面白い。だが手放しに喜べない状況がある。
彼がウマ娘になった原因がわかったとしても、戻す術がわからない。
戻すと言った手前、実験は続けるが、混ざり合った紅茶とミルクのように本質が変わってしまったものは元に戻るのだろうか?
さらに、研究資料も一部が喪失してしまった。徹夜で寝ぼけた頭で考えていたから、その内容もおぼろげだ。
「んーむ、この研究は長くかかりそうだねぇ〜」
「なにが長くかかるんですか……?」
――突然の声。
振り返ると気配もなく立っていたのは、真っ黒な髪のウマ娘。
「やぁ、カフェじゃないかー。こんなところまで一体どうしたというんだい?」
『マンハッタンカフェ』
彼女は何かと私と一緒にいることが多いウマ娘だ。
実験には非協力的だし、何かと妨害してくれるが、仲としては良好と言えるだろう。
「どうしたもなにも……。また何かしたのですか……? とうとう恨みを買って爆弾でも送り付けられましたか……?」
実験室の惨状を見れば、その反応は当然と言えるだろう。カフェは表情こそ大きく変えないが、視線は呆れ50%困惑50%のブレンドといったところだろう。
「いやぁ、ちょっと実験を失敗してしまってね。なに科学というものは犠牲がつきもの……」
「あなたのトレーナーさんには報告しておきました……。また何かやらかした。と……」
「うぐっ!?」
カフェは手で端末をゆらゆらさせながら画面を見せてくる。その画面内のメッセージには『片付いたらすぐにいく』と書かれている。
あぁ、これはあれだろうか。
またお弁当抜きの処置だろうか……。
「ところで……。私のトレーナーについて何か知りませんか……?」
「んー? 君のトレーナーは……。あ」
カフェの言葉で思い出す。
あまり面識がないから忘れていたが……。カフェのトレーナーはこの実験の被害者である彼ではないか。
「今日昼過ぎから姿が見えないのですが……。いつもならカフェテリアに来るのに……」
「……いやぁ、しらないねぇ」
理事長からこの件は内密にとのことを言われている。流石の私でも面倒ごとは起こしたくない。
「そう……ですか……? ん……」
その時カフェの持っていた端末の着信音。カフェはその内容を見て、小さく何度かうなずいた。
「風邪で……早退ですか……」
「ふーん、そうなのかい。よかったじゃないか彼の所在が分かって」
はぁ、助かった。今回ばかりはたづなさんに感謝しとかないといけないね。
「それはそうと……。『あ』とアナタは言いましたよね……?」
「んー。何のことかなぁ……?」
突然の反撃に私は尻尾をびくっと立ててしまった。明らかに不審に思われただろう。
彼女の視線が少しだけ強く睨むものに変わっていることに気づく。
「……やっぱり。嘘はダメですよ……?」
カフェは取り出した水筒を手に、じりじりと私に近寄ってくる。
「カフェー……? 一体なにをするつもりなんだい……?」
「本来こういうことには使いたくないんですが……」
「いやぁ……。じゃあ使わないほうがいいんじゃないかなぁ……?」
トクトクと音を立ててカップに注がれるのは黒い液体。香ばしい匂いが敏感に鼻腔をくすぐる。
「安心してください……とても美味しいブラックコーヒーです……」
「見れば分かるんだけどねぇ……」
私は思わず後ずさってしまう。
「彼のために淹れたのですが……。風邪じゃ飲ませるわけにはいきませんし……捨てるのももったいないですよね……?」
「えーっと、私は急用を思い出したよ! カフェまたっ――」
思いっきりと逃げようとしたところを首根っこを掴まれる。
まるでロボットのような硬い動きで振り向くと、珍しく笑みを浮かべるカフェの顔。
「どうぞ……。味わってください……ね」
………………
…………
……
ひどい目にあった。
「……私のトレーナーにそんなことを」
その後、私は詳細を全て話すまで口にコーヒーを注ぎ込まれた。
今は口直しに角砂糖を頬張っている……。まだ苦味が消えない……。
口は堅いほうだったが、あそこまでカフェに粘られるとは思わなかった。あのトレーナーのことになると、どうやら『掛かり気味』になるらしい。
もう長い付き合いだが、なかなか見れない一面に驚かされるばかりだ。
「にわかに信じがたいですが……」
「私だってそうさ。とにかく口外はしないように頼むよ。彼の元に行くのもなしだ。怪しまれたくない。君もトレーナーとは離れたくないだろう?」
「……そう、ですね」
しゅんと耳を垂らすカフェ。何だ行く気満々だったんじゃないか。
ウマ娘がトレーナー寮に行くのは珍しい話じゃないが、今は怪しまれたくない。
何より噂好きなウマ娘たちにバレてしまっては困る。そんなこともあって『全員との面会拒絶』をさせるというのが理事長とたづなさんが話し合った結果の答えらしい。
しかし、それも長く続くとは思えない。カフェがこれだけ『掛かる』ほどに信頼して心配しているトレーナー君なのだ。
「ウマ娘になったトレーナーさん……ふふっ……」
今もこんなに不気味な笑みを浮かべているほどに……。ん? これは心配なのだろうか。
まぁ、見なかったことにしよう。
とにかく、担当ウマ娘たちは、信頼しているトレーナーのことを心配する。
心配するが故に行動を起こす。
学園側がどれぐらい抑制できるかにかかってるが。それも1日とも保たないだろう。
状況をしらないウマ娘が、トレーナーの部屋にいる『謎のウマ娘』に出会った時どんな化学反応を起こすか。
いやぁ、見ものだねぇ……。
生きてるといいけど。