※
──くらい。
ああ。
──こわい。
そうだな。
──寒い、くらい、寂しい、こわい。
うん、知ってる。だから。
──だれ、か。
例えお前が俺をわかんなくても。
──タスケテ。
俺は、お前を。ひとりには、しないよ。
※
ショートランドを出て、バニラ湾沖に出る頃には大分日が傾いてきていた。空が、燃える。逢魔が時。あいつは、いつもこの時刻に現れていた。あの頃の燃えるような赤髪と同じ色に空が滲むときに。昼と夜の、境目に。
『……出たな』
水平線から滲むように、嵐は現れた。川内さんは無線でそう呟くと、ちらり、と野分に視線を投げかけた。それに大きく頷きながら前に出る。
嵐は、ただただそこに立ってこちらが近づいてくるのを待っているようだった。近づくにつれてその容貌が克明になる。どこもかしこもボロボロだった。艤装は至る所がひしゃげていたし、雷巡チ級のように顔を覆っていた面は割れ、その隙間から瞳がのぞいていた。その瞳には、理性の光が宿っているように思えた。
「嵐」
「……今更なんの用だよ、弱虫」
そもそもがおかしいのだ。絶好のチャンスなのに見逃して姿を消すなんて深海棲艦のすることじゃない。深海棲艦の行動理念はあくまで人類を追い詰めることであり、上位個体はその頭脳と力を人類を駆逐するために使うだけであって、なにかを守りながら戦うなんてしない。だからきっと。嵐は、決して負の感情だけに飲み込まれて堕ちたんじゃないんだ。
「萩風を助けに来た」
「どの口がっ……!」
「ねぇ、嵐」
以前ざりざりとノイズ交じりに響いていた彼女の声は、大分落ち着いたものになっていた。聞き覚えのある、大事な仲間の声。かつて一緒に笑いあった、仲間の。
「嵐は、優しいよね」
『──のわっち! 舞!!』
大変なときこそそうやって笑って、野分達を励まそうとしてくれていた。そうして嵐は、とりわけ彼女が不安そうにしているときに笑っていたから。
「きっと四駆の中で一番優しい。だから許せない、萩風がこんなに苦しんでいるのにそれを忘れた人達が」
人は忘れる生き物だから。でも私達付喪神は違う、ずっとずっと同じ時に、過去の後悔に囚われる。
「だから、ずっと。萩風が嵐のことわかんなくても、寄り添ってたんでしょ」
だから、どうしようもできない。私達は人とは違うから。ずっとずっと、この傷を抱え続け、身動きが取れなくなる。
だから私はもう一度沈んでしまったし、だからこそ嵐はずっとこの闇の牢獄の門番をし続けている。暗闇の中で嘆き、悲しみ一人さまよっている萩風のために。
「でもそれじゃあ誰も救われない」
『──仲間なら、助けに行かないと』
きっとこれは、野分のあるべき姿だったのかもしれない。助けることもできず、ただ、ただひたすらに逃げることしかできなかったちっぽけな自分に対する後悔。繰り返してしまった罪に、正面からそしられることへの怯え。色あせることのない痛みは、自分の心を竦ませるには十分だった。
だからこそ。
『大切な、仲間なら』
だからこそ。なにも野分達のことを知らない、年端もいかない少女の言葉は、まっすぐと届いたのだ。
──ずっとずっと、一緒にいた。つらいときも、楽しいときも四人でいた。ずっとこんな日々が続くんだって思っていた。ずっとこうやって、大好きな皆と笑いあえていたら。私の願いは、ただ、ただそれだけ。それだけの小さな願いを思い出させてくれたのは、野分の声も聞こえない、艤装だって全然乗りこなせていない弱い一人の女の子だった。
「──嵐。野分は、嵐をぶん殴って萩風を助けに行くよ」
そうして今こうやって嵐と向き合えるのは、かつて“野分”のしがらみで殺してしまった一人の女の子のおかげ。
ああ、本当に人間って意味がわからない。一度殺されたというのに平気で体を差し出せるものなのだろうか。せっかく助かった命なのに、妹に負けてられないと笑って野分に手を差し伸べたこの子も、生き延びるために自分の体を壊しにいったあの子も。意味がわからなすぎて笑えてくる。
妹、か。
思わず笑みをこぼすと、嵐が不審そうにこちらを見やった。その視線を、まっすぐ受けて。
「シンプルにいこう」
「……は?」
「あんまり魚雷と砲弾無駄遣いしたくないんだ。シンプルに、お互い一発ぶん殴ってさ、立ってた方が勝ちにしようよ」
「……そんなん俺が聞くと思うのか?」
「うん。だって嵐がしたいのは喧嘩だ、ならこれで十分でしょ」
ぐるぐる肩を回して肩をあたためる。ブランクはあるけれど人の体の使い方もしっかり覚えている。なによりも。
「大丈夫、艦魄から見てたからできる」
「いや、殴れるかどうかの心配なんてしてねぇよ……」
「嵐」
きなよ、と手招きで挑発をする。
「いいよほら。思いっきり八つ当たりしなよ」
ねぇ嵐、知ってる? この子達にとっては、火事と喧嘩は駆逐の華なんだってさ。
「──っ、だぁああああああ!!!」
咆哮と共に、嵐がまっすぐに突っ込んできた。握りしめた拳をほどいて、殴られる瞬間を待っていると、思った以上に吹っ飛ばされてしまった。
無防備な状態でぶん殴られたものだから、中々立ち上がれずにいると、いつの間にか近くまで来ていた嵐にネクタイを鷲掴みにされ、引き寄せられた。
「思いっきり受けてんじゃ、ねぇよ」
「いい拳だった」
「そうじゃねぇだろ……そうじゃ」
近くで初めてまっすぐと見つめた、大事な仲間の瞳は。全然、恐ろしいものではなかった。姿が変わろうとも、彼女の澄んだ瞳はそのままだったのに。その澄んだ瞳を苦悩で滲ませ、今にも泣き出しそうな顔をしていたことに、こうやってぶん殴られるまで気づけなかったというのだから、野分はとんだ腑抜けだ。
「嵐」
ぽんぽん、と嵐の頭を叩いてやる。その野分の行動に虚を突かれた嵐は、しばし固まった。
「今まで、萩風を守ってくれてありがとう」
ずっと見てきた。川内があの子を認めたときに。この子が寝ている妹をねぎらったときに、彼女らはこうやって頭をなでていた。人の姿を借りていたって、人の想いが形になった存在だったとして。私達は、こういったふれあいはほとんどしてこなかったから。だから、私は今まで見てきたそれを、見よう見まねで模した。最高のねぎらいを、嵐に送るために。
「……」
ぐ、と表情を歪めた嵐は、それを見られるまいと野分のネクタイを強く引き寄せた。ちょっと、これは苦しいな、と内心顔をしかめていると。耳元でぼそり、と嵐が呟く。
「……うん」
そうして、ゆらり、と空間が歪むような一瞬の錯覚と共に。嵐は、忽然と姿を消したのだった。
思わずバランスを崩して尻もちをつく。あ、どうしよう、今更ながらに頬がじんじんと痛くなってきた。
『おーい。ちょっと、ボス戦前に大破してんじゃないでしょうね』
『大丈夫です、無傷よりの小破です』
『小破してんじゃん……』
今まで大人しく動向を見守っていた川内さんが無線を飛ばしてきたので答えると、思わず舌打ちされた。
ごし、と若干切れた口から流れる血をぬぐい。
『後は全部かわすから、問題ないです』
『口だけじゃないといいんだけどねぇ』
ゆっくりと立ち上がりながら、手袋をぎゅ、とはめ直す。
『──助けて、やってくれ』
『それはこれから全力で証明しますから。見ていてください』
そうして水平線にゆっくりと落ちていく日を見やった。
※
闇の帳が落ちる。雲一つない夜空には満天の星が浮かび、夜の海を優しく照らしていた。弱々しい光源ではあるものの、夜の海の上ではこんなにも心強い。遠い過去から航海する人々の道しるべとなり支え続けてきた星々も私達を味方してくれている。
駆逐水鬼攻略を最も困難なものにしていた原因の一つ。それは、夜戦において必ずあちらからの先制攻撃を受けてしまうということだった。こちらは相手を探し出し、あちらはこちらを待ち構える。端的に言ってこちらは不利な状況下で戦闘を始めなければならない。
だからこそ私達にとって二つの幸運が味方をした。ひとつはこの星空、そしてもうひとつは。
『皆避けろぉー!!! 魚雷きてンぞ!!』
江風というダークホースが、私達の艦隊に組み込まれていたことだった。
『よくやった!』
『よくわかったね!?』
『はっはぁ! 伊達に北上さんの魚雷にいつも狙われてねぇって! 二度は効かないぜ!』
『あんたが勝手にいつも進路妨害してるだけじゃん』
いち早く敵の先制魚雷を察知した江風が声を上げたことにより、十分な回避行動に移行することができた私達は多少隊列を乱そうとも、さしたる被害もなくこの戦いの火蓋を切って落とすことに成功した。
『よっしゃぁあああ!!!』
魚雷の方向から敵艦隊の針路、方位は、と考える間もなく雄たけびを上げて艦隊から離脱し、魚雷が来た方向へと突っ込んでいく江風。それを察知した川内さんが舌打ちしながら無線にて指示を出す。
『時雨! 江風の後ろにつけ!』
『了解』
川内さんの指示に諦めが滲んだ声で時雨が短く答え、即座に江風の後を追う。
『雪風!!』
次に名前を呼ばれた雪風は、指示を待たずに正確無比に敵艦隊の上空へと照明弾を撃ち上げた。この辺の連携はさすがに所属を同じくする三人、と言ったところだろうか。雪風の撃ち上げた照明弾により敵艦隊の全貌が露わになる。駆逐水鬼を先頭に、単縦陣で駆逐ハ級後期型、ロ級後期型二体、それぞれelite級と駆逐イ級後期型が二体と続く。
反航戦ですれ違ったのち反転し、真っ先に飛び出していった江風、時雨に少し遅れ、彼女らと敵艦隊を挟んで反対側の後方に単縦陣で迫る。
先に敵艦隊に追いついた江風達が後方から真横へと滑り込むように駆逐水鬼へと肉薄し、魚雷を放つ。それにより先行していたハ級、ロ級eliteから火の手が上がった。
魚雷を放った後回避行動に移った二人は、同航戦、さらにはぎりぎりまで肉薄していたこともあり敵からの猛反撃にあっていた。
『つき合わされる僕の身にもなってよ!』
『とか言いながらつき合ってくれるから時雨は好きだぜ!!』
砲弾や見えぬ魚雷の猛攻にあっているというのに、まだまだ余裕のありそうな様子で無線で言い合いをしている二人ははたまたすごいのか、なんなのか。そんな二人の様子に呆れる暇もなく、今度はこちらの艦隊が敵艦隊の後ろをとらえた。
──敵針路の予測。
そうして横へと並び、それぞれが魚雷発射準備へととりかかる。
──敵速力を測定。
『ずーっとむしゃくしゃしてたんだよね~』
この戦場において、どこか間延びのした声が無線にのる。敵との針路、速力、距離、と射撃諸元の修正を高速で行う。こちらの艦隊の接近に気づいた敵が砲をこちらに向ける。砲口が赤く光り、すぐ側を敵の砲弾がかすめていく。水柱はそこかしこで立ち並び、破損した艤装の破片が肌をかすめていく。だけれども、そんなものは私達には関係ない。この程度でひるむ者など、水雷戦隊たる資格はない。
『
『──魚雷発射!!!』
川内さんの咆哮と共に魚雷が一斉に放たれる。重雷装巡洋艦北上の片舷二十門の酸素魚雷、並びに各人の放った四条の酸素魚雷が、江風、時雨に気を取られ回避行動に移り切れなかった敵艦隊を無慈悲に蹂躙する。火の手が上がり、無残に沈んでいく取り巻き達。残された駆逐水鬼は、苦悶の声とも不協和音ともとれぬ音を上げながらこちらへと砲を向けてきた。
『回避行動──面舵!』
川内さんの舷灯、船尾灯の位置関係を頼りに位置取りを調整しながら面舵へと切り、各自回避行動へと移行しつつ駆逐水鬼から距離を取る。見えるものが限られる暗闇だからこそ、微かな視覚、嗅覚、聴覚、すべての感覚を総動員して夜の海を駆ける。
駆逐水鬼を挟んで反対方向から照明弾が上がる。どうやら江風が撃ち上げたらしい。それによって、駆逐水鬼がまっすぐ雪風に狙いをつけているのがくっきりと見えた。
『──当たらないですよ』
雪風に狙いをつけてしまったこと。
数々の海戦に参加しながらも、さしたる損傷もないまま終戦を迎えた不沈艦。常識外れとしか思えないほどの豪運。先の大戦を生き抜き与えられた艦艇の二つ名は、艦娘自身の力へとなる。
雪風に向かってまっすぐと伸びていった砲弾は、まるで雪風を避けるかのようにかすかに逸れて海へと落ちていった。雪風はまるでそれをわかっていたといわんばかりに冷静に回避行動を続け、艦隊の集合地点へと難なく向かった。
『ナニモ……ナニモ見エナイ……!』
びりびりと脳に響くかのような不協和音。その奥に紛れ込む
『助けて、やってくれ』
ああ、野分は本当にどうしようもないほどの腰抜けだ。あちら側に堕ちてしまったかつての大切な仲間達。それと向き合うことが怖くて怖くて、過去、大切なあの子を背にして逃げてしまったことを面と向かってそしられるのを恐れてなにもかもから目も、耳も塞いで。そうして野分は、守りたかったはずのものたちを、ずっとずっと傷つけてきたんだ。
──泣いている。助けを求めている。例え凶悪な敵として今自身の目の前に立ちふさがっていようとも。しっかりと相対してみればこんなにも明らかなことから、どうして逃げまどっていたのだろう。
『──野分』
静かに川内さんに名前を呼ばれる。
『あれも、
『……はい』
『そうか』
彼女は、全てがわかっているかのようだった。聡い人であるのだろう。嵐とのやり取りを許可し、そうして駆逐水鬼と野分に因縁があることを暗に感じ取っているようだった。
『──あははははは!!!!』
刹那。けたたましく川内さんが笑い声を上げた。なんだ、気でも狂ったか、と皆が視線をやる中、表情は見えずとも彼女の航行灯は楽し気に揺れていた。
『夜戦だ、夜戦の時間だ。夜だ夜、何度でも言ってやるよ、夜はいいよねぇ!!!』
先陣を切って探照灯を駆逐水鬼に向けながら夜の海を翔ける。
『夜が怖いってんならさぁ! とっとと寝ろってんだクソガキが!!』
あきらかに挑発するように駆逐水鬼の周りを駆け回る。今までの彼女らしからぬ、無謀ともとれぬ行動。より苛烈になる駆逐水鬼からの砲雷撃を受けながら、それを死に物狂いで避けながら、それでもどこか楽しそうに笑っている。ああ、狂ってる。やっぱりこの人ちょっとおかしい、だってそうだ、命のやり取りをしてるっていうのに、なんでこんな笑ってられるんだ。だけれども。
『ここまでお膳立てしてやってんだ。──後はお前の仕事だろ!!』
この日ばかりは、この人が旗艦でよかったかもしれない。この闇夜において、これほどまでに心強い味方なんて早々いないだろうから!
気づけば弾けるように艦隊から飛び出していた。主機がうなりをあげて回転数を上げてゆく。迷いなんてなかった、ただただ、彼女めがけて突っ込んでいく。
「──誇れ野分!!」
艦艇の付喪神である自分ではなく、この体を貸し与えている人である野分が吠えた。
「野分の乗員を救ったその足を! 砲弾の雨をかいくぐった己自身を!!」
逃げ足ばかり早い自分が嫌だった。救いたい人を救えず、ただただ逃げ回るだけの自分を。何をやっても、うまくいかない自分自身が心底嫌いだった。
きっと自分だけだったら野分はここまで奮い立つことはできなかっただろう。それほどまでに、あの頃の記憶は重く、野分の足にまとわりついていたから。
『仲間なら、助けなきゃ』
なにも知らないちっぽけな女の子は、そんな当たり前のことからすら逃げ出そうとしていた自分に、そう何でもないことのように言ってのけた。あれは野分自身に向けられた言葉じゃないのなんてわかっている。それでも、あの言葉で、野分は自分が本当に望んでいたことを、ようやっと思い出せたから。
「──これは、力だ!!」
ああ、本当に、人間って意味がわからなくて面白いや。鉄の塊だったあの頃。野分に全幅の信頼を寄せて一緒に海を翔けた乗員達。そうして今は、一人の少女が野分を鼓舞する。お前が倒せ、とあらゆる人達が背中を押してくれる。
ああ、本当に。人間って、ちっぽけで、それでいて。
──だからこそ、こうやって野分は何度でも何度でも、そんな彼らが奮い立つ姿を見て立ち上がってこれたんだったっけ!
最大戦速まで叩き込む。排熱機関が悲鳴を上げ、その熱がじりじりと身を焦がす。その熱さでさえ自身の闘志に火をくべる燃料に過ぎなかった。
限界のそのまた限界を超え、駆逐水鬼へと高速で接近する。そうだ、足には自信があるんだ。刀身が短いのならば。この海を翔け、その身を長刀となせ!
「約束したんだ!」
一度は味方に背を向け逃げ去った。二度目は愚かにも沈んであの娘を泣かせ。ならばこれは三度目の正直だ。
一緒に笑いあっていたあの頃。どうしてあのつかの間の穏やかな日々を永遠のものと信じて疑わなかったのだろう。気づいたら、ひとりだった。みんなみんな、沈んでしまった。だから願ったのだ、今度こそは、と。だから願ったのだ、もし、次があるのならと。その願いは、蓋を開けてみればとてもとてもちっぽけなものだった。だけれども、そのちっぽけな願いはあの頃に叶えるにはあまりにも難しくて。
「絶対に助ける、連れて帰るって! ──萩風!!!」
だからこそ、きっと野分達四人は同じものを願ったんだ。
魚雷発射管から音を立てて酸素魚雷が発射される。発射された魚雷は、まっすぐ、迷うことなく駆逐水鬼めがけて進んでいった。
※
ずっとずっと、私はわけもわからず、泣いていた。
暗く冷たい海に飲み込まれ、ただただ一人この暗闇に取り残された寂しさに、苦しさに身を委ね。私は私のことすらわからず、なにかを求めて、ずっと泣き続けていた。
『──』
何を求めているのか、わからない。それがこんなにも苦しい。
大事なものだったはずなの。なのにそれがわからなくて、苦しい。
ずっとそばにあるものだと思っていたなにか。その温かさがずっと続くのだと思っていたのに、気がつけば私は一人この暗闇に囚われていた。
『──、──』
大切なものだったの。ずっと一緒にあったはずのそれらが思い出せないのが苦しい。
大切なものを覆い隠し、私のことを覆い隠すこの闇から抜け出す方法がわからなくて。
こんなにも、寂しい。
──誰か。
私は、私は、ただ。
「──萩風!!」
名前を、呼ばれたような気がした。名前を呼んだ彼女を見やる。今まで、暗闇しか映し出さなかった瞳が、必死にこちらに呼びかける存在を捉えた。私の、大切なもの。ずっとずっと一緒にいた、一人。
のわき、そう呟いたはずの声は掠れて形になることはなかった。
そうだ、私は、萩風だ。
ずっと、ずっと何かを求めてこの暗闇を彷徨っていた。それが何なのか、自分自身すら見失っていた私にはわからなかった。ただ苦しさや悲しさに囚われて、それがなんなのかもわからず、それでも求め、彷徨い続けていた。
『俺はずっと、そばにいるから』
ああ、そうだ。彼女が約束を破ったことなんてなかったじゃないか。ずっとそばにいてくれた彼女さえ見失って、私はなにをしていたんだろう。野分がこんなにボロボロになるまで、私は、一体何をしていたのだろう。
『おーい、舞、萩、のわっち!』
暗闇に溺れる寸前に見た泡沫の夢。舞風が踊りだして、それに嵐がのっかる。その様子を苦笑しながら野分が見ていて、そうして私はそんな皆を見て笑うのだ。
闇に飲み込まれ見失っていた、ちいさなちいさな願い。ああ、なんでこんなことを私は忘れていたんだろう。それは、その夢は。本当に、ささやかな願いであったというのに。
「皆待ってる! 一緒に帰ろう、萩風!!」
野分の声と共に、衝撃。朦朧とする意識の中で見た、水平線から差し込んだ一筋の光。
──長い長い夜。それを越えて迎えた夜明けは、とても。とても、きれいだった。
※
は、と息をついて思わずぺたんと座り込む。今更ながらに足や手が震えだした。それはそうだろう、一年以上ブランクのある体だったのだから。野分の想いで無理矢理動き続けたのだから、悲鳴のひとつやふたつくらいは上がるってもんだ。
もってよかった、と空を見上げながら大きく息をつく。
「……きれーなもんだ」
いつの間にか近くまで来ていた川内さんが、駆逐水鬼がいた場所を見つめながら呟いた。駆逐水鬼は、野分が放った魚雷により炎に包まれ、そうして朝日が差し込むと同時にその柔らかな朝陽のなかに溶け込むように消えていった。
後に残ったのは朝焼けにきらきらと乱反射する光の粒。夜明けを祝福するかのように降り注ぐそれを皆、ただただ言葉もなく見つめていた。
「きれーさっぱり消えたし、もう会えないんじゃない?」
その沈黙を破ったのは川内さんだった。こちらを見下ろして、いたずらっぽく意地悪なことを言ってくる。ただその言葉に、いつものような険はなかった。
ぱしゃん、と揺れる波が座り込む野分をなぜていった。火照ったからだに心地の良い冷たさに揺られながら、目を閉じる。とても穏やかな気分だった。
「──会えますよ」
随分と遠回りしてしまった。
「野分達四人は皆、同じことを想ってきたから」
でもきっとそれは、皆が皆、同じ想いを抱えていたからこそ。ささやかすぎる願いであったからこそ、皆それに気づくのに時間がかかってしまった。
ずっとずっと一緒にいた。楽しいときも、苦しいときも、四人でいつも一緒にいた。あの時間が永遠に続くものだと、なぜ錯覚していたのだろう。なぜ、こんなささやかな願いすら、叶えるのはこんなにも難しいのだろう。
だけれども、もういいのだ。
「絶対に」
何度も失敗して。そうしてその先に、このまばゆい朝があるというのなら。この苦しみも、きっといつか一緒に笑い飛ばせるときが来る。
そう言って川内さんに笑いかけると、虚を突かれたかのような顔をした彼女は、彼女にしてはめずらしく、に、と満面の笑みを返して。
「よっしゃー!!! 勝ったぁああああ!!」
「江風! 怪我してるんだからあんまり飛び跳ねないで!!」
そうして私達は、ようやくこの長い長い戦いの終息を喜びあったのだった。