※
ああ、もう。頭が、ぐちゃぐちゃだ。
『全部終わったよ』
自身が意識を失っているうちに全ては終わっていた。そうして目が覚めて、あたしにその知らせを持ってきたその人は、嬉しそうに体を揺らした、その人は。
髪の色が違っても。肌が少し焼けていようとも、少し大人びたように感じようとも。あたしはその人が誰なのか一瞬でわかったし、だからこそ固まってしまった。
意識が回復したばかりでよく回らない頭をどうにかこうにか動かしてまず思ったのは、謝らなくちゃ、ということだった。あたしの弱さがこの子を殺してしまったことには変わりがないのだから。
だというのにこの子ときたら、野分ときたらにこにことあたしに会えたことが嬉しくてたまらないという様子で色々と聞いてくるものだから、ついにその機会を逃してしまった。
『早くお話したいなぁ』
そう言って楽しそうに私の隣で眠る妹を見る彼女を見て、あたしは言葉を失った。
──のわっちが、目を覚まさなかったらどうしよう。
大丈夫です、そのうちに目を覚ましますよ、と言われてから丸二日はたった。だから、あたしは心配で心配で、ずっと彼女のベッドの隣の丸椅子に腰掛けて彼女の様子を見続けた。
見ているから大丈夫ですよ、と医療班の人に言われてもかぶりを振ってそれを拒否した。こわかった。目を逸らした瞬間に、この子がどこかに消えてしまうことが。
『目を逸らすことの方が怖いから』
ああ、確かにそうかもしれない。でも、あたしはのわっちみたいな強さでもってここに居続けているわけじゃない。
『──目を離して、大切なものがいつの間にかなくなるよりは』
そうだよね、と思った。大切なお姉さんが、知らないうちに死んでしまったのだから。
大切なお姉さんが。知らないうちに、
だからやっぱり、あたしは恨まれているんだろうなって。その言葉にそう思ってしまって言葉を詰まらせてしまったのだ。
姉に全然似てなくて、愛想もなければ対応も冷めたものだった。そのくせ結構負けず嫌いで、すぐに突っ走る。そうして盛大に転んでもガバッと立ち上がっては繰り返す、そんな子だった。才能のある姉なんかよりもっともっと泥臭い生き方をする。丙適性という劣等生の烙印を押され、卑屈になってもおかしくないのに、そんなものはへっちゃらだと言わんばかりの自由さが羨ましかった。
あたしが、この子の姉を殺したのに。そんなあたしを一切責めずに、逆にあたしの話をいっぱい聞いてくれたこの子の優しさが、温かくて苦しかった。そんなこの子に微かにでも好意を寄せてしまった自分が、許せなくて、それでいて。だから、この子の隣にいるのは、楽しくて、辛かった。
「ま、い……かぜ?」
眠気を誤魔化すように目をこすっていると、か細い声が聞こえ、思わずがば、っと顔をあげた。
「っ、げほ、な……にこれ」
「む、無理して喋んないで、のわっち丸五日以上は寝てたんだよ!」
「そ、う……なん、だ」
その様子に室内にいた医療班の人が慌てて駆け出した。バタバタと慌ただしい音と共にその人がいなくなってから、体を起こすのを手伝いつつ、手元にあったミネラルウォーターを手渡して少量ずつ飲むように指示した。
「右手、力入らないや」
「しばらくは動かせないだろうけど、時間が経てば元通り動かせるだろうって」
「そっか、よかった」
「で、でも」
キャップを開けてそれを飲もうとしたところでその事実に気づいた彼女がぽつりと呟く。そういえばそうだった、と慌ててキャップを開けてあげて手渡すと、それを美味しそうにちびりちびりと飲み始めた彼女の右腕に肘から手首にかけて広がる大きな火傷あとから逃げるように視線を落として、
「傷、残っちゃうって」
と告げた。
「ふうん」
「ふ、ふうんって」
「え、だって動くのに問題ないんでしょ。なら別に」
「よくない!!」
そこで思わず声を荒げて丸椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
そんなあたしの様子にびっくりしたのか、のわっちはぱちくりと目を瞬かせながら、
「……舞風が怒ってるの、初めて見た」
なんてしみじみ言ってのけたのだ。
「だから、なんで、のわっちは!! ~~っ!!」
なんで、この子は。いつもいつも。
ああ、頭がぐちゃぐちゃだ。それもこれも、この姉妹のせいだ。
限界だった。いつもいつもへらりと笑ってやり過ごしてきた私だったけれど、さすがにもう耐えられなかった。
「のわっちのバカ!!!!」
力の限り罵倒する。面と向かって人を罵るのなんて初めてだったあたしは、ついでに言えば自分の感情がぐっちゃぐちゃで何を言うべきかも定まっていなかったあたしは、そう力の限り罵倒して、言葉を詰まらせながらのわっちに当たり散らした。
「しん、死んでたかもしれないのに! あんな、あんな飛び出して!」
「でも生きてるでしょう?」
「ちょっとのわっちは黙ってて!!!」
「は、はい」
思わず居住まいをただすのわっちに、今までに溜めに溜めた鬱憤をこれでもかとぶちまける。
「いつもいつも勝手なんだから! 勝手に突っ走るし! 振り回されるあたしの身にもなってよ!!」
「ご、ごめんなさ」
「まだあります!!!」
は、と息をついて真正面から彼女を見る。彼女にしては珍しくおろおろとした様子に少し落ち着いたあたしは、絞りだすように問いかけた。
「……なんで、責めないの」
いっそお前が殺したのだと罵ってもらえた方が楽だった。そんなのあたしの勝手ではあるけれど、それでも、恨んでいるに違いないのに一切その本音をこぼさない彼女の隣にいるのは、正直言って、苦しかった。……だっていうのに!!
心底なにを言っているのかわからないという顔ののわっちに、思わず再度声を荒げた。
「のわっちのお姉さんを殺したのはあたしじゃん! なんで責めないの!?」
「え? え?? ていうか今、それ?」
「だまらっしゃい!!!」
ばん! とベッドの淵を思いっきり両手でぶっ叩くと、のわっちはびくりと体を竦めてまたおろおろとし始めた。
こんなに大声を出したのは、いつぶりだろう。ぜぇ、ぜぇと息をついていると、恐る恐る、といった様子でのわっちがあたしに声をかけてきた。
「……あの」
なんだ、今度は何を言い出すつもりだ、とじとっと睨みつけていると、びくびくとした様子で、それでもって。
「姉さんが体張って守った人を責めるとか、ない、よ?」
なんてことを、一体舞風は何を言っているのだろうといった風で言ってのけるのだ。
どっと、疲れた。思わずへなへなと床へと座り込み、のわっちのベッドの淵におでこをぐりぐりとこすりつけながらうめき声をあげる。
そうだ、そうだった。罪悪感で目が曇りがちだったけれど、この姉妹に唯一共通する点がある。それは、言動にまっったくもって裏がないということだった。それを、知っているはずだったのに。なに、結局あたしが邪推して、勝手に一人で踊ってただけってわけ?
だっておかしいでしょ。大切な人を殺されたり、そんでもってあたしをかばって死んだりしてるのに、純粋な笑顔を向けられるなんて。
そうだ、この姉妹がおかしい、とぐりぐりを加速させながらイライラしていると、またのわっちがおそるおそる声をかけてきた。
「あの、舞風」
「なに」
「……今度は、溜める前に、言って、ね?」
「……」
「あ、あの」
「のわっち」
「はい」
「まだいっぱい不満ある」
「ええ……」
くどくどねちねちとからみ続け、しまいには年下なのにあたしよりおねーさんっぽいのが許せないという八つ当たりにまで及んだところで。
「目、覚ましたって!?」
「ちょっと野分、医務室は静かに!!」
ばったーんと騒々しく野分と、それをいさめるように時雨が医務室に乱入してきた。
そうしてあたし達の様子を見た野分は、一瞬の間をおいて気まずそうに頭をかき。
「……もしかしなくても私、入るタイミング間違えちゃった?」
なんて、最高に空気の読めない発言をかますのであった。思わず後ろで時雨が頭を抱える。
「……ね、姉さん?」
「うん、正真正銘の姉さん」
「……お化け?」
「こんな健康的に焼けてるお化けいると思う? 夏島での一年でこんがり」
「……」
「夢でもないってば」
すごい、こんなに静かに混乱してるのわっち見るの、初めて。ぎゅーっと力の限り自分の頬をつねっているのわっちに、いい気味だ、と思いながら恨めし気に野分を見上げる。
「……野分」
「ん? なに、舞風」
無邪気に笑い返す野分に無性に腹が立った。ああ、この姉妹は、本当にもう!!
「“野分”なんて、だいっきらい!」
そうしてあたしは、散々人を振り回した二人に対して、人生で初めてのだいっきらいを叩きつけるのであった。
※
──月日は、流れ、流れて。
日本も暑くなってきたなぁ、とぎらぎらとした日差しを手で遮りながら寮をあとにする。肩には、お気に入りのヴァイオリンをかけて。
横須賀の提督には感謝だな、手入れ方法も保管方法もろくに知らなかった舞風に丁寧に教えてくれていたようで、日本に帰ってきてこの子と出会えたときは思わず飛びついた。嫌になることもあるけれど、それでも私はヴァイオリンが好きなんだな、って改めて実感した。
呉の提督は相変わらずで、会った瞬間に、
「よォ、どうだった、一年のバカンスは。サボってた分こき使ってやるからなァ!」
なんて絶好調の嫌味を言われた。ブランクもあるんだから手加減してほしい、と言えば鼻で笑われた。
日本に帰ってきてからあっという間に月日が過ぎ去っていった。私の所属は変わらず呉。そうして妹と舞風の所属も変わらず横須賀となった。
『……あたしの今の居場所は、横須賀だから』
なんとなくそんな気はしていた。だから、私は短くそっか、と答えた。
そうして空気の読めない妹は、え、姉さんいるんだし呉に戻らないの? と悪気もなく聞いて直後に舞風に思いっきり背中をはたかれていた。
そのやり取りに苦笑いをしながら、なんだかんだバランスのいい二人だな、と思った。実力はあるのにどこか委縮していた舞風。そうしてお世辞にも実力はないのに突っ走る妹。多分、舞風にとってはこれくらい無鉄砲な妹と一緒にいるくらいがちょうどいい。愚妹をよろしくお願いします、と言えば妹にはむっすりとされた。
彼女達と一緒にいられないことに寂しさがないわけではないけれど。それでも機会があれば顔をあわせることができる。一緒に出撃はできなくても、今までの手紙だけのやりとりなんかより全然マシだ。呉と横須賀なんて、私達艦娘にとったらご近所さんのようなものだ。
なによりここには昔からの仲間もいる。随分と顔ぶれは変わってしまったけれど、それでもやはりここが私の居場所だな、と帰ってきてしみじみと思った。
もうすっかり肌も髪も元通りだなぁなんて前髪をいじりながら庁舎に向かっていると、ふと前方に見慣れない女の子達を発見した。
「やべぇ、迷った」
「……」
「そんな目で見るなよ……だって、佐世保と造りが違うしさぁ」
「もう、地図貸して」
ああ、新人さんかな。燃えるような赤髪が印象的な女の子の髪には、まばらに黒が混じっていた。そうか、候補生が来る時期だな、と歩み寄る。
「案内してあげようか?」
ひょこ、とその二人の後ろから地図をのぞき込みながらそう声をかけると、驚いて二人がこちらに振り向いた。
──その二人を見て。どこか、懐かしい気持ちになった。
「マジ? 助か──っと、た、助かります」
「……ああ、敬礼なんていいよ、私駆逐だからさ」
慌てて敬礼をしたその子に手を振って楽にしなよ、とジェスチャーで伝えながらがちゃりとヴァイオリンケースを肩に担ぎなおす。
「楽器、演奏するのか?」
「うん。佐世保には音楽隊なかった?」
「どうだろう、訓練しているときには気づかなかったよね」
活発そうな女の子に話を振られ、大人しそうな女の子が答える。その子が持つ地図の一点を指さしながら、何気なく話しかけた。
「新人さんでしょ? これから演奏会なんだけど、せっかくだから歓迎会も兼ねて一曲リクエストに応えてあげようか」
「えー、俺、クラシックなんて知らねぇよ」
「音源聞かせてもらえればなんでも弾けるよ」
「マジかよ」
別段、人見知りをする方ではないけれど。なんとなく、この二人は話しやすいと感じた。それこそ、まさに旧知の仲であるような。会って間もないのに、私達の会話は弾みに弾んだ。
「ああ、そういや自己紹介してなかった!」
そうして思い出したようにそう叫んだ活発そうな女の子が一歩、二歩と先に出て振り返った。
「俺、嵐! そんでこっちが萩な!」
「ええと、萩風、ね」
──ずっとずっと一緒だった。楽しいときも、苦しいときも、いつも四人でいた。
皆が願っていたことは、それこそとりとめもないようなこと。とても小さくささやかな願いは、それでもあの時代で叶えるには難しくて。
「……初めまして。私は、野分」
だから、皆で願ったんだ。いつか、もし願いが、叶うのならば。
「これから、よろしくね」
また一緒に、笑いあいたいよね、って。
──これは、人が繋いだ。歴史に残されることのない、第四駆逐隊の、絆の物語だ。
お付き合いいただきありがとうございました。