そうして夜は明ける   作:moco(もこ)

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肆(完)

 

 那珂から演習の申し込みがあったんだよね。そう言って直属の上司である長良さんから概要を手渡されて数日。今、私、長月と皐月は演習海域の洋上にて配置についていた。

 

『本当に二対一でいいんですか?』

『うん』

 

 たまには別の軽巡洋艦からアドバイスをもらうのも勉強になるよ、といわれてこの場にいるわけなのだが。それにしたって、意図が掴めない。

 海上を航行中に偵察中と思わしき敵駆逐艦を発見。情報を持ち帰られる前にこれを撃滅せよ、内容としてはこんなもの。まぁ、特段おかしくはない。それでも普通はこういったあからさまな戦力差を想定した演習を、それこそ同レベルの艦艇同士で組むことはなかった。

 戸惑いと共に皐月が無線で今回の演習統制官である那珂さんに尋ねる。

 思えば、この人もそんなに好きではなかった。やかましいし、かといってときたま何を考えているのかわからないところがあるし。つかみどころがないのは上司、部下共に揃ってお似合いだな、と同じく配置についた今回の相手である野分を見やる。すると。

 

『──だって今の二人じゃ、逆立ちしたって野分ちゃんに勝てないもん』

 

 一瞬何を言われたのかわからなかった。あまりにも無邪気に放たれたその言葉の意味を理解して、カッと顔が熱くなる。思わずがばりとそちらを振り返った。

 

「なっ……!」

『おっと。那珂ちゃんは仮想敵じゃないよ?』

 

 なんておどけてみせる。そうして、そんなおちゃらけた雰囲気を一瞬で引っ込めて。

 

『侮辱されたと思ったのなら、この演習(ステージ)で那珂ちゃんに実力を見せてね!』

 

 背筋に、ぞっと悪寒が走った。表情は、とても穏やかだ。にこにこ、にこにこと笑顔を絶やさない。だというのに、そんな彼女を見て恐ろしいと感じてしまったのは、どういうことだ。

 

『今度那珂に訓練も頼んでみよっかな、あーでもまだ早いかなぁ』

『早い?』

『うん、なんせ』

 

 呉じゃ新人潰しってあだ名がつくくらいには、那珂の訓練ってきっついからね。

 書類に視線を落としながら、さらりと。なんでもないことのように言った長良さんの言葉が脳裏に浮かぶ。

 野分を、見やった。目を閉じて、ぎゅっと陽炎型特有の白い手袋をはめ直している。そうして。ゆっくりと開かれた瞼から覗く、灰色の瞳が、まっすぐこちらを射貫いた。

 

「さ、喧嘩しよっか。真面目にね!」

 

 そうして、その言葉によって。この演習という名の喧嘩の幕は、切って落とされたのであった。

 

 

 こんな茶番、速攻で終わらせてやる。そういきり立って砲を握ってから十数分。

 

「くそ!!」

 

 私は、未だこの海を全力で駆けていた。それこそ皐月と二人がかりであるというのに、未だ野分に致命傷を与えられず、その苛立ちに思わず悪態をつく。

 陽炎型は最新型とはいえ、装備は対等性を出すために同じものを与えられていた。普段は陽炎型といえば酸素魚雷とさえ言われる自慢の魚雷だって、今日は旧式のものをモデルにした演習魚雷だ。だというのに。

 決定打が決まらない。夾叉をして捉えたと思っても、なぜか偏差予測よりも大きく伸びた動きで交わされる。どんなインチキしてんだ! と半ば八つ当たり気味に放った砲弾は、大きく外れて小さな水柱を立ち昇らせるだけにとどまった。

 

「あ!」

 

 そうして野分は私達の砲撃を涼しい顔で交わしながら、いつのまにか私と皐月の間へと割り込み、煙幕を焚いて私達の視界を奪ったのだった。その黒煙により皐月が見えなくなる。なるほど、なにも視界を遮るものがない演習海域だからこそ、こうやって私達を分断する機会を伺っていたらしい。だがこんな一時的な視界不良がなんなんだ、と思った瞬間。私と同航戦で撃ち合いをしていたはずの野分の制動が、ぎし、と不自然に止まった。そうして。

 

「わぁ!? なになに!?」

 

 一瞬だった。不自然なほど急な弧を描いて野分が黒煙の向こう側に反転していくのと皐月の悲鳴が上がるのは同時だった。そうしてビーッと大破判定音が鳴り響く。

 

「なにをしている!」

「だ、だってー! なんかよくわかんない動きするんだもん!」

 

 一体何が起こったんだ。速力を上げ、状況を判断するために煙幕が張られた領域からの離脱を試みる。

 

「長月危ない!」

 

 恐らく、皐月の一声がなかったら私は気づけなかっただろう。大破後の味方へのアドバイスは禁止されてるんだぞ馬鹿、と思うと同時に、反射的に、そう、ただなんとなく皐月の言葉に本能的に舵を切った。それと同時に、いつの間に放たれていたのだろう、黒煙の下をかいくぐり自身に迫っていた魚雷がわずかに逸れて流れていった。

 

「っ、は!!」

 

 恐怖で一瞬止まった呼吸を、無理矢理息を吐き出すことで再開させる。煙幕、急反転、それから煙幕をカモフラージュにした魚雷攻撃。なんなんだ、これは。いくら実戦経験がないとはいえ、演習には何回か参加している。相手の方が強くて負けるのなんて当たり前だった。だが、この戦い方は今まで見てきたものとは、あまりにも毛色が違った。強いて言うのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ──煙幕が晴れる。そうして、そいつを、野分の姿をようやっと捉えることができた。お前がそこに来るのはわかっていた、と言わんばかりに、こちらに砲を向け待ち構えていた、野分が。

 

「……! くそぉ!」

 

 こちらが砲を向けると同時にペイント弾の華が自身の艤装に咲く。まだだ、まだ大破判定は出ていない、ならばまだ戦える、少なくともこんなやつに一矢報いることもなく負けてなどやるものかという負けん気だけでがむしゃらに砲を撃った。もちろん、そんなものがまともに当たるわけもなく。

 

「……へ?」

 

 そうして、それがこの勝敗を決する決定的なものとなった。

 大破判定を受け油断して突っ立っていた皐月を野分はすれ違いざまにひっ掴み──あろうことか、こちらの射線上にぶん投げてきたのだ!! 

 

「わぁ!?」

「、ぐっ!」

 

 前へとつんのめりそうになっている皐月から反射的に砲を逸らす。それがあだとなった。一瞬の隙。それをあいつが見逃すわけもなく。

 ──倒れこむ皐月の背後で、まっすぐとこちらに狙いを定めた野分と視線が合った瞬間。全ては、終わっていたのだ。

 

 

 ふう、と自身にこもった熱を吐き出すように息を吐く。

 うまくいったから、よかったけど。やっぱり錨を用いた操舵法は自分には向いていないな、と無理な旋回で痛めた右腕をさすりながら改めて実感する。今回は二人しか相手にしていなかったし、ずっと煙幕で視界を切るタイミングを伺っていたから成功しただけだ。

 

『アンカーは、あくまで保険だから』

『保険?』

『うん。波の声、艤装と自分の体。それに耳を傾ければ、相手の予想を裏切る動きなんてアンカーを使わなくたっていっぱいできるんだよ』

 

 そういって舞風は作戦海域の潮流図を広げた。波を知れば、それは海を翔ける足となる。無駄に分散させている重心をしっかりと意識すれば、もっと伸びるように航行ができる。のわっちは馬鹿の一つ覚えみたいに力任せに最大戦速で突っ切るんだから、とお小言をこぼしながら前回の作戦海域の潮流を指差し振り返る舞風にしばし固まっていると、のわっちは脳筋だもんねぇ、と苦笑いをされたっけ。

 どうにか先輩としての面目は潰れずに済んだかな、と顎から滴り落ちる汗をぬぐいながらバレないように細く長く息を吐き、なんとか今までの緊張を悟られぬように誤魔化していると、長月がよろよろとこちらに寄ってきた。

 

「なんだ、あれは」

「あれ?」

「全部だ、全部!! なんだ、あの急旋回は!?」

 

 私は、舞風のように波を読んで、刻一刻と変化していく周りの状況を判断しながら戦うなんてことは決してできない。

 

「煙幕をあんな風に使うのなんてなしだよ~」

「あー、あれは、前に敵にそういう使い方されて嫌だったから」

 

 絶対的な力を持った、それこそ英雄などと呼ばれるほどの存在には、どれだけ努力をしたところでなれはしないだろう。

 

「皐月ちゃん、うまく使ったね〜」

「前鬼怒さんが駆逐艦ロ級の死骸を弾避けにしてたのを参考にしました」

「駆逐の死骸……」

「ご、ごめん。あくまで演習だから……」

 

 鬼怒さんのように駆逐艦ロ級を振り回して艦載機を撃墜なんてできないし、那珂さんのように変幻自在な戦法なんて思いつかない。私はどこまでいっても凡才で、なにかしら光る才能なんてひとつもない。だから、私にできるのはただただ積み重ねるだけ。今までの過去を、これからに向けて、ひたすらに。

 

「どう? これが落ちこぼれ艦隊(よこすか)で一年を過ごした先輩の実力だよ」

 

 私には何もない、だからこそ。

 

「少なくとも、馬鹿にしている落ちこぼれの先輩にすら勝てないうちは、落ちこぼれ以下だと思わない?」

 

 だからこそ。こんななにも取り柄のない私にやってみせろ、ついてこいと言ってくれる人達が、そうやって見返りもなしに信頼を寄せてくれる人達が眩しくて、好きだったのだから。

 那珂さんは笑いながら、こちらを見やった。その視線は、どこまでも優しいものだった。

 

「野分ちゃんの長所は素直に皆のいいところを吸収できるところだね」

 

 那珂さんはどれだけ結果がでなくても、最後にはこうやって毎回なにかしら褒めてくれる。実戦に出て早々に大けがをした私を見ても、デコピンをして怒りながらも、それでも自慢の部下だって思いっきり抱きしめてくれた。

 鬼怒さんが野分に喧嘩させたいんだけど! と訳の分からぬ申し出をしたときもきょとんとしながらも、最後は笑顔で快諾してこの場を設けてくれた。

 

『野分ちゃん! バッ……』

『嫌です』

『早いよ!?』

 

 もはや様式美となりつつあるやりとり。きっと那珂さんが本当に困っていたら、多分私は彼女のバックダンサーになることを断れはしないだろう。ひそかに舞風が私にことあるごとに踊りを仕込もうとしてくるあたり、その日は割と遠くない気がしなくもないけれど。それでもいいかと思えるくらいには、私はこの人から色々なものをもらってきた。

 

「そして長月ちゃんのその負けん気は、駆逐艦としてポイント高いよっ! 最後までナイスガッツ!」

 

 そうやって、掛け値なしにこの人は周りの皆にエールを送れるのだ。最初に喧嘩を吹っ掛けたというのに無邪気に褒める那珂さんを見て、長月が言葉に窮する。

 

「もちっろん皐月ちゃんもね、演習中にバテなくなったね、なにか自分でやってる?」

「……え?」

 

『いっえーい! 後ろの方まで見えてるよー!』

『三列しかないですからね、次の会場』

『だめだよ野分ちゃん! イメージは常に武道館!!』

『現実を見ましょう』

『アイドルは夢を見せる存在なの!』

『見せるのと見るのは、似て非なるものだと思います』

 

 お世辞にもアイドルとして人気とは言えないけれど。ライブに来た人は全員覚えている、よく人を見ている。そうして覚えてもらった人がまた一人、二人と友達を連れてくる。それを嬉しそうに話すこの人のアイドル活動とやらが、嫌いではなかった。

 

「……僕、体弱いから。少しでも鍛えたくて」

 

 いいところなしだった自分にそんな言葉をかけてくれると思っていなかったのだろう。皐月は居心地が悪そうに砲塔をいじりながら、ぼそりとそう呟いた。

 

「それ、長良ちゃんにきちんと相談してごらん。筋トレなら鬼怒ちゃんの方が適任かもしれないけどね」

 

 そうして最後に、那珂さんはこちらに振り返り。

 

「ね、野分ちゃん。これでも自分にはなにもないって思う?」

 

 私に、問いかけてきた。

 

「野分ちゃんは頑張り屋さんだからね、ただひたすら前を見て今まで走ってきたから気づけてないだけだよ」

 

『あたしだって最初っから綺麗に動けてたわけじゃないよ。アイスダンスもそう。何度も何度も転んで』

 

 私には、なにもない。

 

「──野分ちゃんがこの一年で積み上げたものは」

 

『そうやって積み重ねたものを』

 

 だから、私は。

 

「どんなにちっぽけなものでも、誰に馬鹿にされようとも誇っていいものだよっ!」

 

『綺麗だねって笑ってくれるなら。苦しかったこととか、忘れるくらいに嬉しかったから』

 

 少なくとも自分とは全然違う、自分にはもったいないくらいに素敵なこの人達が誇れる自分であろうと。それくらいしか、返せるものはないのだとがむしゃらに毎日を生きてきたのだ。

 ──この人達の期待に応えよう。

 ああ、でもそうやって期待に応えようとがむしゃらに駆け抜けて、そうしてすっかりと肝心なものを落としてきてしまったのかもしれない。

 ──ずっと、ずっと憧れだった。私の先をゆく、大切な仲間達。それに追いつきたくて、がむしゃらに駆けてきた。毎日毎日、倒れこむように頑張って、それでも全然追いつけている気がしなくて。だから、私は。

 

『──呉に戻らないの?』

 

 ずっと、引っかかっていた。あのとき私の背中をひっぱたいた舞風の表情が。

 思えば、あのときから、もしかしたらもっと前から。ずっと舞風は、なにかを待っているようだった。それが、わからなかった。

 ああ、そうか。そうやって私が憧れる人達だって、きっと人知れず積み重ねてきたものがあったのだ。それを才能だと切って捨ててしまえはしないのだと、一番近くで姉という才能もさながら努力も欠かさない身内を見てきて知っていたはずだというのに。

 舞風はすごいね、と褒めれば、少し嬉しそうにしながらもどこかしら困った顔をされた。そうして私ももっと頑張らなきゃ、と続ければ、何かを言いたげに、それでもそれを言わずにうん、と頷かれて。その理由がわからなくて、ずっと、引っかかっていた。

 

『──なぁ、野分。自分の気持ちって、言葉にした方がいいときもあるんだぜ』

 

「──あの!」

 

 気がつけば、大声を張り上げていた。

 

「あとできちんと演習結果報告は上げます! それから、えっと今回の反省会も改めてさせて頂きます、ただ、今は」

 

 珍しく落ち着きのない様子の私を、那珂さんがきょとんと見つめる。

 

「ちょっと、行きたいところが!!」

 

 そうして主機を再起動させた私のわがままを、きっとなんにもわかっていないだろうに。

 

「オッケー!」

 

 なんてグッと親指を立てながらノリでもって許可をする。

 ああきっと、この熱気に当てられている。演習が終わった後はいつも高揚感がつきまとう、こんなの全然自分らしくない。そう思う自分がいる一方で。

 ──駆け出せ、なにもわかんなくても、とりあえず、まっすぐ、心のままに。

 そうやって、私を熱がはやし立てる。

 反転して、一気に最大戦速まで叩き込む。

 この熱を忘れぬうちに、どうしても。どうしても彼女に会って、伝えたいことがあった。

 

 

 バタバタと慌ただしい音を立てながら、珍しい子が庁舎の廊下を駆け回っていた。

 

「こら、廊下は走らない」

「あ、ご、ごめんなさい、大淀さん」

 

 すれ違いざまに注意をすれば、慌てて謝るものの、どこか上の空というかそわそわとしている。駆逐艦の中でもとりわけ普段は落ち着いた子だから、余計に興味深い。だから私は、ついつい野分さんに尋ねてしまった。

 

「何か探しものですか?」

「ええと、舞風を。見かけませんでしたか?」

 

 その言葉にんー、と目を閉じて考え込む。彼女は確か昼頃護衛任務から帰ってきたはずだ。だから野分さんもここに報告書を提出しに来ているかもしれないと踏んだのかもしれない。けれど残念、報告書を持ってきた娘は別だ。

 かしゃ、かしゃと昼頃の映像記憶を切り替えていく。その中に、第六駆逐隊の娘達と一緒に食堂を出て駆逐寮へと向かう彼女の後姿を見つけた。

 

「本日舞風さんは半休ですから。特に外出届もなかったですし、今頃は寮でゆっくりしているのでは?」

「わ、わ、遠回りしちゃった、ありがとうございます!」

「あ……」

 

 ぴょん、と跳ねるようにお辞儀をして、そうして律儀に駆けず、早足でもって去っていった彼女の背中を見送る。

 珍しいこともあるものだ。あんなに落ち着きのない、それでもってどこか必死な彼女の姿は、記憶する限り見たことがない。

 

「……若いって、いいですねぇ」

 

 あの年頃の女の子の成長というものは目まぐるしい。たとえそれが、見た目の成長が止まる艦娘であったとしてもそれは変わらない。なんとなくそれを微笑ましく思いながら、胸元の書類を抱えなおし、執務室へと向かうのであった。

 

 

 誰もいない自室にて、ばふ、とぞんざいに布団に倒れこんで深く息を吐きだす。

 そういえばのわっちはまだ演習だったっけ。そろそろ終わる頃だろうか、とぼんやりと思い当たったところで、やだなぁと憂鬱になっている自分にため息をつく。

 また彼女に八つ当たりをしてから、なんだかんだお互いスケジュールがかみ合わずにろくに顔を合わせていなかった。これ幸いとその状況に甘んじていたけれど、今日はそうもいかない。こんなことなら外出届出しとけばよかったなぁと思いつつ、ぐりぐりと枕に頭を押しつけた。

 

『もっと頑張らないと』

 

 いつもの言葉じゃないか。頑張り屋さんなのは、彼女のいいところだ。それをあたしも好ましく思っているはずなのに、どうしてこうもイライラしてしまうのだろう。

 はぁとため息をつき、ベッドから身を起こし気分転換に窓を開ける。と、同時にぬるい風が吹き込んできた。窓辺に頬杖をつきながら、のわっちと顔を合わせたらどうしようかな、もう面倒くさいからいつものように全部忘れたことにしてやり過ごそうか、と考えていると、バタバタと騒々しい足音が廊下に響いた。

 まーた、誰かが走ってる。落ち着きのない駆逐艦娘が多くいるこの寮ではよくあることだった。ただ、その足音がまっすぐ、自分の部屋へと向かってくることは今まで一度もなかった。なんせあたしの相棒であり同室の彼女は、とにかくローコストというか、感情の起伏がゆるめっていうか。駆け回るなんてまずしない人物だ。だからきっと他の誰かなんだろうなぁと他人事であったから、バターン! なんてけたたましい音を立てて扉が開かれたところで一瞬反応は遅れてしまったし。そうして、そんな騒々しい登場をかましたのがまさに彼女であったことで、あたしの思考は完全に停止した。

 

「舞風!」

 

 がばり、とその勢いのまま歩み寄られ、両肩を掴まれた。その拍子に彼女の服から硝煙の匂いがほのかに香る。よくよく見なくてもその髪はぼさぼさで、っていうか服もなんか所々ペイント弾の飛沫が散っててどろどろのぼろぼろだ。もしかして演習が終わって速攻ここに直行したのだろうか。

 

「やっぱり私、舞風には横須賀にいてほしい!」

 

 そうして、あたしが彼女の様子に呆気に取られていると、のわっちはなんだかよくわからないことを力強く口走ったのであった。

 

「……いて欲しいもなにも、転籍命令もなんも出てないよ?」

「いや、そうなんだけど、そうじゃなくて」

 

 普段よりもテンションが高めの彼女に戸惑いながらそう返すと、もどかしそうにのわっちが言葉を探した。珍しいこともあるものだ。普段はなんというか、罵られようとも褒められようと、静かに流してしまうほどには感情の起伏がない彼女なのに。

 

「私は!」

 

 それこそ、自分の意思を他人に伝えることなんて、滅多にしないのに。

 

「わ、私の相方は、舞風が、いい、です!」

 

 なんて、珍しく興奮した様子で言ってのけたのだ。

 

「……そもそも既に相方だよね? あたし達」

「え?」

「え? 相方だって思われてなかったの!? あたし!?」

「わぁ!? 違う違う! 待って誤解だって!!」

 

 普段冷静なのわっちが混乱すれば、それはもうこの場にまとまりなど出るわけもなく。のわっちに当てられ大混乱に陥ったあたしは、彼女としばしお互い噛み合わない言い合いを続けるはめになるのであった。

 

 

「……」

「のわっちさん」

「……」

「とりあえず、お顔を見せてほしいです」

「……むり」

 

 冷静になってきたら恥ずかしくなったのか、さっきから地べたに正座で座り込み、顔を両手で覆ってこっちをろくすっぽ見ようとしないのわっちに椅子の上から声をかけるも拒否されてしまった。ちなみに彼女の綺麗な銀髪から覗く普段は陶磁器のように白い肌、というか耳は真っ赤である。

 

「……のわっちさー」

 

 相変わらず、あたしは彼女に振り回されてばっかりだ。鈍感で、こっちの思惑なんてろくに察してくれないし、マイペースだし。かと思えば、急に突飛な行動に出る。でも、だからこそちょうどいいのかもしれない。

 ぎし、と前に回していた椅子の背もたれに身体を預けながら、

 

「もしかして、今までずっと、野分と自分比べてた?」

 

 と、聞くのを避けていた話題を振った。

 

「……比べる、って程じゃないけど」

 

 あたしの言葉に、のわっちはゆっくりと両の手をほどいた。ただし、その視線はまだ合わない。

 

「姉さんがすごいのは昔から知ってるから。それに、舞風がすごいのだって」

 

 これは、卑下とは違うのだと思う。純粋に、この子は周りの人達のいいところをすごいって認められる素直な子なのだ。そうして多分、それを自分にだけ向けるのがそんなに上手ではない。

 ああ、そうか。彼女の言葉に、はたと気づく。彼女があたしのことをすごいと褒める度、少しの嬉しさと同時にもやもやとした気持ちが常に湧き上がっていた。その理由は、多分。

 

「だから、私は」

「あたしがいつか野分を、呉を選ぶと思ってた?」

「……」

「あたしが同情でここにいるとでも思ってた?」

「そ、そうじゃないよ!」

 

 この子は、誰かに自分が選ばれるなんて、つゆほども思っていないのだ。どれだけ好意を示したところで、それだけはまっすぐ受け取ってもらえなかった。それが、多分理由だ。

 がばり、と顔をあげたのわっちと、ようやく視線が絡む。彼女にしては珍しく、目が合った瞬間動揺で瞳を揺らし、目を伏せられた。

 

「あのね、あたし、のわっちが思うほど強くない。野分の足を引っ張ってばっかりだったよ」

 

 内心ため息をつく。

 これは、あたしも悪い。ずっとこの子の姉を奪ってしまった負い目から、素直に言葉でこの子に好意を伝えるということだけはできなかったから。どれだけじゃれつこうとも、それだけは気が引けてしまって、してこなかった。

 

『舞風って面倒くさいね』

 

 そうですとも。そんなのあたしが一番知ってるもん。だからこそ、単純なこの子の側は居心地がいいのだ、考えすぎるあたしが、それを馬鹿らしく思えるほどに単純なこの子の側は。そうして、それにずっと甘えてきたあたしにもこの状況に対して非がある。

 

「のわっちが思うほど、あたしだって才能なんてないよ。アイスダンスだってそう。センスなんてなくて、賞とかも全然取れなくて。でも今よりもっと綺麗に踊れたら、皆もっと笑ってくれるかなって。毎日、毎日、転んだって怪我したって諦めないで少しずつ積み上げていっただけ」

 

 きっとあたし達はちょっと似ている。努力した先に、もっともっと輝いている子達がいて。その子達に追いつこうと積み重ねて。それを繰り返すことしかできないのも、その積み重ねたものに対してちょっと自信がもてないのも。

 

「あたしはのわっちが積み上げたもの、ずっとずっと見てきたよ」

 

 普通は、あんな毎日毎日ぼろぼろになるまで自分を追い込めない。それこそベッドにたどり着けずに床で寝てしまうほどに頑張れるのは、この子の紛れもない美点で。

 

「それで、のわっちはあたしの積み上げたものを見てくれるでしょ」

 

 そうしてこの子が向ける尊敬の眼差しに、そんなに自分はすごくないってちょっと怯みながらも、それでもそうやって肯定してもらえることに嬉しさがなかったかと言えばそうでもなくて。

 

「だからきっと、あたし達はいいコンビになれるよ」

 

 だからあたしは、自分の意志で、ここに残っているのだから。

 

「……なれますか」

「なれますとも」

「……そう」

「っていうか!!」

 

 あたしが声を張り上げると、びっくりした様子でのわっちがこっちを見る。ああ、ようやっとだ。ようやっと、言ってやれる。

 

「あたしはずっと、そう思ってたもん!」

 

 あたしの言葉を聞いて、のわっちはぱちくりと目を瞬かせて。そうして、少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら。

 

「ええと……じゃあ、その。私も胸を張って言えるように、もうちょっと、頑張る、ね」

「またそれぇ〜?」

 

 なんて、いつもいつも繰り返している言葉を発する。それに呆れながらも、それを聞いていつもとは違うどこか充足した気持ちを覚えた。

 

「まぁ、いいけど」

 

 さらり、と少し開け放たれた窓から入り込んだ風にカーテンが揺れる。それによって彼女の顔に落ちる影が揺れた。

 

「頑張り屋さんなのが、のわっちのいいところだもんね」

 

 そう言って柔らかく笑いかけると。ようやく彼女も小さく笑うのだった。

 

 

 ジッ、とジッパーを上まで引き上げてジャージを閉め、とんとん、と靴を鳴らす。日が出てくればそれなりに暑いけれども、日の出前後はまだ少し肌寒さがあるので私はまだ上着を羽織るようにしていた。

 

「あ、よかった、会えた」

 

 駆逐寮の玄関口から薄暗い外へと出ると、予想外の人物が待ち受けていた。

 

「皐月」

「僕も今日からランニングしようと思って。よければ一緒に走らない?」

 

 そう言いながら私より少し先に来ていたのだろう、途中だったらしいストレッチを再開する。それに頷きながら自身も隣で軽く準備運動をする。

 私が準備運動を終えた後も、まだ皐月は入念に続けていた。その慎重さをちょっと意外に思いつつ、気を使わせないようにゆるく物足りない部分のストレッチをしながら待っていると、数分してからごめんね、と謝りながら皐月がよいしょと立ち上がった。

 

「僕この辺のコースわかんないんだけどさ、おすすめとかある?」

「そうだね、基本コースからちょっときつめのコースまで何通りかあるけど」

「あ、じゃあ基本教えてくれる?」

「いいよ、こっち」

 

 道を指差して先導するように走り出す。走り出すと同時に、恐る恐るとそれこそ徒歩に近いスピードで走り始めた皐月に気づき、慌てて速度を落とした。

 

「ごめん、野分にとっては物足りないよね」

 

 その様子に気づいた皐月が、苦笑いをした。

 

「僕さ、重度の喘息持ちだったんだ」

 

 ゆっくりと走るスピードを上げながら、なんとはなしに皐月が言葉を続ける。

 

「色々試したんだけど、発作のコントロールがうまくできなくてさぁ。だからかなぁ、今でも咄嗟に駆け出すのとか苦手で」

 

 そう言いながら自身の胸元をひっかく。Tシャツの下。何かを首からかけているのが見えた。何だろう、と視線をやりながら隣を走っていると、それに気づいた皐月が、ああ、これ? と取り出して見せてくれた。

 

「……それ」

「えへへ、お守り。艦娘になってからは一度も発作起こしてないんだけど、やっぱ持ってないと落ち着かなくて」

 

 喘息発作予防の吸入器。テレビのドラマなどで見たことはあったが、実物を見るのは初めてだった。

 あの頃はそういった症状を抱える子が周りにいなくて、テレビの画面の向こう側で少し運動しただけでひゅーひゅーと息を切らせてうずくまった子役を見てもどこか実感が持てずにいた。こんな重病人なんて、きっとそんなにいないのだろうと。自身が健康であるが故、どこか他人事に捉えていた。

 

「艦娘になったら治るかもって言われて深く考えずになる! って言ってさ。でも治ったところで僕の身体は貧弱なままだし。もう喘息、きれいさっぱりないんだけどさ、それでも頭の片隅に、また発作が起こったらどうしよう、っていうのがあって」

 

 まだちょっと、運動するの、怖いんだよね、と。囁くように言葉をこぼした皐月は、普段とはまるで別人のように弱々しく見えた。

 それにどう返せばいいのかわからず黙り込んでいると、皐月がその空気を吹き飛ばすように笑いながら言葉を続けた。

 

「僕が落ちこぼれだってこと、僕自身がよくわかってる。でも、なんかさ。長月とか野分とかが頑張ってるの見てたら、なんかね。ちょっと当てられちゃったのかも」

 

 ゆっくり、ゆっくりとスピードを上げながら、いつもの見慣れたコースを皐月と一緒に走る。ジョギング程度のペースになったところで、皐月の息が軽く切れてきた。そうして、皐月はそんな体たらくを申し訳なさそうにしながら、努めて明るく言葉を発した。

 

「あー、ごめん、置いていっていいよ、野分に悪いや。やっぱり僕、一人でゆっくり走るよ」

「ううん」

 

 は、と息を切らせながら、皐月は間髪おかずに断った私をぱちくりと見上げた。

 

「これは、那珂さんの受け売りなんだけど」

 

 思えば、早朝のランニングを始めた頃は自分もこんなものだったような気がする。最初の頃は、まともな航行すら危うくて、それこそ毎日、那珂さんからの砲弾の嵐を全身に浴びてぼろぼろのどろどろだった。

 それが、いつしか徐々に被弾が減って。全く当たらなかった砲弾が少しずつ当たるようになって。

 

「新人は、すくすく成長できるのが長所なんだって」

 

 きっと、劇的になんて成長してこなかった。それでも、毎日毎日。諦めずに面倒を見てくれた人達がいたから。

 

「私もそうやって皆に迷惑かけながらここまで来た。だから、気にしなくていいよ、それから」

 

 そうやって、私を見捨てずに、絶対にできるって信頼を寄せてくれる人達がいたから。

 

「どんなにちっぽけな努力でも、積み上げてきたものは裏切らないから」

 

 だから、どんなに自分に自信はなくても、辛いと思うこともあっても、諦めようとは思えなかったのだ。

 戦場での勘をこれでもかと叩き込んでくれる那珂さん。

 航行法を教えてくれる舞風。

 体力づくりの話でしょっちゅう絡んでくる長良さんと鬼怒さんに、失敗してもフォローしてくれる大切な仲間達。

 そうやって、いっぱい、色々な人に支えてもらってきた。自分のことを一人前なんてまだまだ全然思えないけれども。それでも、ずっとずっとがむしゃらに続けてきたものは、例えそれが才能ある人に比べればちっぽけな成長であったのだとしても、確かにそこにあるんだって、それを誇っていいんだって、教えてもらった。

 

「だから、ええと、私は好きで皐月と走るから、その、気にしないで」

 

 だから、今度は私が今までもらったものを少しでも誰かにあげる番なのだと思う。

 ああ、でもこれはもしかしたら余計なお世話というやつだろうか、と不安になって語気を弱めていると、皐月はそんな私をまじまじと見つめ、そうしてにっと笑うのだった。

 

「やっぱり野分ってかっこいいや」

「ええ?」

 

 どこか上機嫌な皐月に戸惑いつつ、まぁいいか、とアップダウンの少ないコースをゆるやかに駆けてゆく。

 あっちは少し体力に自信がついたらいくといい、アップダウンがいい感じにあるから、あっちは自分を全力でいじめたいときに、心臓やぶりの坂がある、などとお互い無理なく会話できるスピードで、まだまどろみのなかにある横須賀の街を駆ける。

 いつもよりゆっくりの、少しだけ退屈なコース取り。きっと一人だったら途中で飽きてしまっただろう。それでも、隣で真剣に頷きながらこちらの話に耳を傾ける皐月とのジョギングは、彼女の初々しさも相まって、決してつまらないものではなかった。

 短めの基本コースをまわったこともあり、総員起こしより少し早いくらいの時間に駆逐寮に戻ってくると、これまた珍しい人が玄関にて仁王立ちをしながら私達を待っていた。

 

「なんで私を置いていくんだ!!!」

 

 朝からよくそんな腹から声が出せるな、となまじ感心しながら怒っている長月を黙って見やる。その文句を向けられた本人である皐月は、これまた予想外だったらしくぽかんとしながら長月に答えた。

 

「だって、全然興味なさそうだったじゃん」

「興味がないとは言ってないだろう!」

「目覚ましで起きなかったし」

「うぐっ! きょ、今日はたまたま熟睡してただけだ!!」

 

 半ば八つ当たりに近い長月の言葉に、え~……と皐月が呆れる。その態度が火に油を注いだのだろう。

 

「いいか、明日から抜け駆けはなしだぞ! それからな!」

 

 おかげ様でこちらにまで飛び火した。ビシッ! っと人差し指をこちらに向けながら。

 

「次やるときはボコボコだ! 覚悟しとけ!!」

 

 と、私に吐き捨てて、長月は大股で駆逐寮へと一人先に戻ってしまった。

 なんだろう、相変わらず目の敵にされているっぽいんだけれど。段々どこか憎めないとすら思えるようになってきた。

 

「ボコボコだって」

「……筋トレ、増やそうかなぁ」

「あ、ずるい、僕にもメニュー教えてよ」

「筋トレなら鬼怒さんに聞くのが一番だよ」

 

 総員起こし十五分前の号令が鳴り響く。それを聞いて慌てて皐月と駆け出しながら、さて、今日はちゃんと舞風は起きてくれるだろうか、とひっそりとため息をつくのであった。

 

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