そうして夜は明ける   作:moco(もこ)

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 ──暗い。

 

 なにも、なにも見えない。

 

 ──冷たい。

 

 ここが、どこなのか。海の底なのか、あるいは夜の海の上なのか。

 

 ──さみしい、苦しい。

 

 なにも、わからない。

 

 ──。

 

 誰かの名前を呼ぼうとした。そうして、誰を呼ぼうとしたのかすらわからない自分に気づいた。

 

 ──夜は、夜の、闇は。

 

 そもそも。

 

 ──怖くて、コワクテ。

 

 私は、一体、誰、なんだろう。

 

 

「──E海域だ」

 

 どか、と荒々しく執務机に肘をつきながら、長年の付き合いである呉鎮守府の提督である彼がしかめっ面で吐き捨てた。

 

「……また?」

「まただ」

「今度はどこだい」

「ガダルカナル」

「それは、それは」

 

 思わず胸ポケットに忍ばせている胃腸薬のヒートを指先でひっかく。今日は完全にオフモードだったのに。久々にご飯でも食べに行こうと彼に会いにくれば不機嫌マックスな彼に出迎えられ、これは食事はまた今度にした方がいいかなぁ、と思った。ストレスがたまると彼は煙草を吸い続ける、いわゆるチェーンスモーカーなのである。食事の味がわかんなくなっちゃうからこういう状態の彼とはあんまりご飯には行きたくなかった。

 

「ラバウル攻略失敗したばっかりなのに……」

「アァ?」

「僕に絡まないでよ、あれは君の作戦どうこうというより作戦線の伸びすぎが原因だよ」

「チッ、わぁってりゃいいんだよ」

 

 苛立たし気に煙草をがしがしと噛み、それをろくすっぽ吸わずに灰皿に押し付ける。うん、今日の機嫌は絶好調だな、負の意味で。

 Emergency海域。通常E海域と呼ばれる強力個体を中心とした深海棲艦の巣は、はっきり言ってしまえば天災に近い。制圧したはずの海域にふと現れることもあれば、こうやって攻略途中の場所に現れることも。どちらにしろ厄介なのは、このE海域の中心部にいる姫、鬼級と呼ばれる強力個体を叩かない限り、この海域からうじゃうじゃと深海棲艦が発生し続けるということだった。

 

「今先遣隊が縛り込みで探り入れてる。追ってそっちにも連絡は入るだろ」

「ええと、それは」

「今回は駆逐、軽巡縛りだと踏んでいる」

 

 カリッ。思わずヒートをひっかく手をとめる。

 

「……えっと」

「わりぃな」

「まだなんも言ってないよ……」

 

 現在、日本は先の大規模作戦、および大規模輸送作戦により深刻な艦娘不足。そうして我が横須賀鎮守府は、海上護衛を得意とする駆逐艦、軽巡洋艦を多く抱えているとくれば。まぁ、そうなるのだろう。

 

「あークソ、しばらくはトラックで前線基地立て直しに専念したかったのによ!」

「僕もそうしてもらえると非常に助かっていた……」

「わりぃな!!」

「うん、八つ当たりして悪かったってば……」

 

 どう、どうと彼をなだめながら、とりあえずヒートから錠剤を取り出して口に入れる。うん。口腔内崩壊錠、最高。ざりざりとした触感を楽しみながら現実逃避をしていると、彼が不意に声を潜めた。

 

「おい」

「なに?」

「どれだと思う」

 

 羅針盤が、狂う。妖精さんの気まぐれだなんだと諸説あるものの、羅針盤が狂う条件の一つに特定の艦種、あるいは特定の艦艇の艦娘を組み込まなければ目的地にたどり着けないというものがあった。その真の理由は、ある特定階級より下の者に告げられることはない。

 

「あそこは、候補が多くて」

「まぁ、そうだなァ。だがよ」

 

 カチン、と高らかにジッポライターを鳴らして彼が言葉を切った。そうしてじっとこちらを睨むように見上げる。

 

「覚悟しとけよ」

 

 ──ガダルカナル島。幾度もの輸送作戦が決行され、そうして多くの艦艇が沈んでいった場所。そうして沈んでいった艦艇の中には、つい最近配属となった、新人の、しかも丙適性である彼女の姉妹艦も含まれていた。

 

「……いつもいつも、万全な状態で臨めたらと願ってやまないのに。現実はどうしてこうも非情なのかな」

「泣き言いってる暇があんなら少しでもけつを叩くんだな、ひよっこ共の」

 

 ガタン、と手をついて立ち上がった彼を見やる。くい、と顎でもって扉の方を指された。

 

「飯行くぞ」

「……今日は焼肉屋でいい?」

「あ? いいけどよ」

 

 不審げに首を傾げる彼にひっそりとため息をつく。あそこの焼肉屋、換気がすごい強力だから多分他のところよりかは楽しめるだろう。もっとも、肉で僕の胃はもたれてしまうかもしれないけれど。

 

 

 鈍い音と共に、体が踏ん張り切れずに吹っ飛ばされる。ばしゃん、と一度跳ねたところで、受け身を取ってどうにかこうにか体勢を立て直した。

 

「……っと、とと!」

「うん、いいね、タイミング合ってきた。受け身も慣れてきたね!」

「そ、そうですか……?」

 

 じんじんと痛む右腕を振りながら那珂さんの方を見やると、彼女は実に楽しそうに言葉を続けた。

 

「きちんと那珂ちゃんの弾、弾いてたでしょ?」

「そこまで見る余裕はまだないです……」

 

 まぐれでもなんでも、一回だけ踊れ踊れ、砲弾の嵐で踊り狂え(名前は那珂さんの気分によって変わる)訓練を被弾なしで乗り切ったことで、以前言っていた必殺技とやらを教えてもらえることになってからしばらく経った。

 

『いい、艦娘の体を守る結界は二種類あるの。まずは神衣(かむい)自身に編み込まれている固有結界。それから、艤装接続時に体全体を覆うように発生する流動結界』

 

 流動結界はその名の通りある程度自分の意志で操ることができるのだという。ただ、弾道予測から跳弾角度を算出し、さらには結界強度の再配分を的確なタイミングで適切に行うのは中々に難しい、ので。駆逐艦なら受けるくらいなら避けろ、となるし、重巡以上でも結界の再配分をミスって大けがをするくらいならそのままで十分強度のある結界で受けてしまえ、というのがセオリーらしい。

 そう、つまり私は今完全にセオリーに反する大博打の必殺技を伝授されている。しかも、駆逐艦の私にはさして有効に使えそうもない、必殺技を。未だじんじんと痛む右腕の鈍痛に耐えながら不満そうな顔をしていたからだろうか。それを見透かしたかのように那珂さんが諭した。

 

「あのね、野分ちゃん。どこを壊すかを選べるって結構重要なんだよ」

「はぁ」

「例えば野分ちゃんならどこを一番壊されたくない?」

「ええと、主機、でしょうか」

「うん、大正解」

 

 駆逐の足は命そのもの。ただでさえ紙装甲な駆逐艦が足も失ったとなれば、その生存率はぐっと落ちる。

 

「艦娘なんて大破以上ならどーにかなるんだから。だからこうやってダメージを受ける部位を意識する癖がつけばぐっと生存率があがるよ」

「でもこれ、結局防御結界をほとんど腕に回す代わりに、それを支える体にダメージが入りますよね?」

「そうだね」

「……戦艦とかなら耐えられるかもしれませんけど。駆逐艦の私じゃ完全に跳弾できたとしても確実に吹っ飛ばされて、ついでに意識も吹っ飛びますよね、実弾だと」

「うん!!」

 

 いい笑顔だ。

 

「これのどこが必殺技なんですか……」

「まぁ、これ自体はほとんど使いどころはないかもしれないけれど、こうやってダメージコントロールを意識しながら被弾する訓練はのちのちためになると思うよ」

「そうですか……ていうか駆逐艦の大前提は当たらない、だからやっぱり使えない必殺技じゃないですか」

「そんなことないよ?」

 

 とんとん、と海面を軽く足で叩きながら、片足でもってすい、と那珂さんが海を泳ぐ。相変わらず綺麗に動く人だ。

 

「例えば仲間が大破しそうなときに、自分の右腕を犠牲にして仲間を守って意識を吹っ飛ばしたとして。主機が壊れて沈みかけている仲間を抱えて逃げるよりかは意識がなくても主機が無事な方を抱えて逃げる方が断然生き延びやすい。艤装もある程度無事なら、同型艦だったら弾薬も魚雷だって流用できるしね」

「……」

「そりゃね、こんな技使わないに越したことはないけれど」

 

 ──とん。静かにもう片方の足を降ろして。

 

「野分ちゃんなら、きっとうまく使ってくれそうかなって」

「……? どう、いう」

「海に出て長いとねぇ、結構自暴自棄になるんだよ。──次は私の番だ」

 

 その言葉に、思わずびくりと身を竦ませた。いつも明るい彼女ではあるけれど。それでも、先の大規模作戦を生き延びた、つまるところ、多くの仲間を見送った一人でもある。

 

「ようやっと、私もあっちにいける。そういう考えがね、脳裏をよぎらないかと言えば、まぁ、ね」

 

 苦笑いをしながらそんなことを言われてしまえば、どう言葉を返せばいいのか、未だろくに戦場に出たことすらない私にはわからなかった。

 

「だから私、野分ちゃんには期待してるんだ」

「期待、ですか」

「きっと野分ちゃんなら、最後まで生きることを諦めないでしょ?」

「……そんなの、当たり前じゃないですか?」

 

 困惑をしながらそう返せば、那珂さんは小さく笑って。

 

「うん、そんな野分ちゃんだから那珂ちゃんも安心して教えられるの。それに那珂ちゃんの期待には応えてくれるんでしょ?」

 

 と続けた。

 

「それは、まぁ。他でもない、那珂さんですし」

「うん! だから那珂ちゃん野分ちゃん好きだよ!」

「ありがとうございます」

「ついでにバックダンサー……」

「は、嫌です」

 

 手を横に振りながらお断りします、とジェスチャーで示すと、鎮守府の方角からノイズ交じりの放送が流れてきた。

 

『横須賀鎮守府内全艦娘に告ぐ、ヒトヨンマルマルに大講堂に集合せよ。繰り返す、横須賀鎮守府内全艦娘に告ぐ──』

「……なんだろ」

 

 こんな召集初めて聞くな、と思ってそちらの方を見やり、那珂さんの方に視線を戻す。彼女はその瞳を揺らしながら、不安げにじっと鎮守府を見つめていた。

 

「……野分ちゃん」

「? はい」

 

 静かに名前を呼ばれ、返事をする。と、同時にぞっと悪寒が背中を走った。

 

「時間、なさそうだから。今から一回だけ、本気で殺すつもりで撃つから」

 

 ゆらり、と陽炎のように静かに揺れながら、砲をこちらに向ける那珂さんに思わず身構える。

 

「死ぬ気で弾いてみてくれる?」

 

 なにがなんだかわからない。それでも彼女のただならぬ雰囲気に。静かに、今までの日常が浸食されていくような感覚に陥るのだった。

 

 

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