よし! と軽く頬を叩き覚悟を決めて、立香は彼女がいるだろう場所に向かう。
今日彼女がいるだろう場所は知っていた。何故なら今日は——食堂の守護者がシミュレーションルームで、アーサー王を相手に投影魔術の鍛錬をしているからだ。
故に彼女は今日中、食堂の守護者の代わりに、食堂の抑止力として台所に立っている。
ちなみに、この食堂の抑止力という呼び名を、ルーナさんは"今は"意外と気に入っているらしい。この呼び名を最初に言ったランサーのクー・フーリンが斬首される光景はただの幻想で済んでいる。カルデアの皆との距離が一歩縮んだお礼として、彼女が作った激辛麻婆豆腐にクー・フーリンが舌鼓を打った光景は懐かしい。
暫定・第六特異点では想像がつかなかった、彼女の意外と子供っぽい一面を見た時の事を思い出して、少し気分を良くしながら立香は食堂に向かう。
うんうん。意外とルーナさんは笑いながら了承してくれるのではないか。
普通に楽しい夏の思い出になるのではないか。
「あ、良い匂いがします先輩! これは……シチューの香りでしょうか?」
隣の後輩の声で立香も気付く。
今はお昼前。時間にして10時を少し過ぎたくらいだろうか。故に食堂にはまだまだ人は居ないが、彼女が作る料理の試食を狙い、敢えてお昼前に食堂に突撃する人も意外と多い。
「——ブーディカ。お前に頼まれていたシチューはこれで良いか?」
「ん……うん、ありがとう。ちょっとこっちは今、お昼用のパンを焼くのに手を取られていたからさ、助かったよ」
「別に。大体はもう其方が作っていただろう。私はほとんど見守っていただけだ」
「またぁ。時々ミルクとか足して味を整えていたでしょ? ちゃんと種類で分けて」
「すまないな。不愉快だったなら謝罪する」
「うんん、全然。ちょっと悔しいけど、貴方はエミヤと同じくらい舌が正確だから。個人の為に調整するなら貴方の方が相応しいでしょ?」
「ズルをしているから私はエミヤの代わりにしかなれないが、まぁうん。気分が悪くなる訳ではない。
…………薄味が余ったら、これはカルボナーラにアレンジしよう」
交わされる会話の中で揺れ動く、赤毛の髪と薄い金髪の髪。
目的は薄い金髪の頭髪の人。
以前彼女と一緒に選んだ私服とはまた別の、彼女自身が一人で選んで、新宿特異点より愛用している私服。その上に赤色のエプロンと三角巾を着用した少女。
黒のキャミソールに裏生地が赤の黒いパーカー。黒のショートパンツに膝上まで来る黒のブーツと、兄弟さながらなのかモードレッド卿と同じくらいラフな格好でありながら、纏うエプロンが意外と似合っている。
「今日の夜は…………最近味が単調で濃い物ばかり食べているマスターの為に和食を中心にしよう」
「あぁー……そうだねぇ、最近怪鳥のお肉が手に入ってからそうだったもんね」
「それも今日のシチューで使い切ったから良し。味を変えよう………肉から魚に変えるか」
「本菜は任せていい? 和食は貴方とエミヤには勝てないから」
「分かった、任せろ。
………魚。幅広い英霊が食べられるように鮭にしよう。味は薄め。醤油の使い過ぎは良くない。でも出汁はちゃんと取って味はつける………酒蒸しにするか」
「そっかぁ。なら私は具沢山のお味噌汁と甘めの煮物に挑戦しようかなっ!」
え……今日の晩御飯は和食なの?
やっば超嬉しい………と思考が飛びかける。どうやら隣のマシュもそうだったらしい。夏休みの思考が今日の晩御飯の話に乗っ取られかけている。
二人で頭を振って食堂のカウンターに向かった。
厨房の棚からエミヤのレシピを引き出し、一目見た後再び棚に戻して料理を再開する目的の少女。今でこそ平穏な光景だが、まさかあのルーナさんとこういう関係をカルデアが構築出来るなど夢にも思っていなかった。
一番最初の壁。
特異点Fにて泥を纏い黒化したエミヤさんを使役し、圧倒的な聖剣の威力で此方の心を砕きに来て、特異点崩壊のその瞬間レフ・ライノールを両断した彼女。
第四特異点にて、嵐の王として現界し、此方の勢力をモードレッド卿諸共蹂躙した後、何故か踵を返して姿を隠し、最後の最後で魔術王を騙るゲーティアに、自らの霊基すら燃料にしてロンの槍を解放し、魔神柱四対を殲滅しゲーティアを退かせた彼女。
そして暫定・第六特異点より、円卓の騎士達や特異点内に召喚された数多くの英霊達と同じく、カルデアに召喚され、その日よりカルデアの一員となった少女。
思えば、案外彼女との付き合いは古い。
正確には、どれも全くの同一人物という訳ではないが、特異点Fからの出会い故に、此方側からは大きな思い入れがある。
RPGで言う最初のボスみたいな。しかもその後シナリオの重要な人として食い込んで来たみたいな、そんな感じ。しかしその彼女が、今は何のしがらみも無く此処にいる。
つまりはどういう事かと言うと——すっごい一緒に夏を遊びたい。
「——ん………どうしたマスター? お昼時にはまだ早いぞ」
「あ……えーっとぉ〜……」
「つまみ食いに来たか? 本来なら完成前の料理をつまみ食いするなど許せないが、しかし今日は運良くもう料理が出来ている。マスター。少し早めの昼食にしても良い。もしも足りなかったら今から私が新たに作ろう。何が良い?」
いざ此方から話そうとして、自分が話しかけるよりも早く彼女は振り返った。
柔らかに微笑みながら、此方の事を気遣ってくるのは少し居心地が悪い。
こう、何というか……エミヤさんとは違って、口煩くない代わりに彼女は甘やかしながらトントンと物事を進めていくので、ちょっとむず痒い。しかも普通に有り難いモノばかりだから余計にむず痒い。故に断り辛い。
お母さん……とはもうエミヤが呼ばれているので、彼女の事は心の中でお父さん……と呼んでいる。尚、それは絶対に口にしてはならない。
最悪、無限の剣による掃射と究極の剣による一振りが同時に襲ってくるのだ。相性が完璧の、絶対に組ませてはいけない最強コンビという呼び名は、恐らく比喩ではない。
「あ、えっと。足りるので大丈夫です」
「分かった。今から食べるか?」
「あー………じゃあ……頂きます」
「マシュは?」
「な、なら私もお願いします!」
穏やかに問われて、おずおずと了承する。
ちょっと断りにくいなぁ……というのもあるが、本題は昼食ではない故に。
「——分かった。じゃあ其処に座るが良い」
嬉しそうに笑って、彼女はカウンターの奥へと歩いていく。
あぁ、もうこの光景だけでお腹いっぱいになりそうだな。ここから彼女を、既に色々満足そうなあの彼女を水着に誘うのだ。
もう現状維持でも、すっごい幸せなんじゃないかな。
「マ、マシュ………どうする……! ちょっとすっごい切り出しにくくない……!?」
感覚で言うと、気分が最高潮になっている英雄王ギルガメッシュに「じゃあこのまま乖離剣エアを抜いてくださいよ〜!」と言うような感覚だ。
つまりは、「フハハハ! 酔狂なマスターよ、だが特に許す! そこで我が威光を垣間見る栄誉に酔いしれるが良い!」と更に機嫌が良くなるか、「——ほう? 身の程を弁えられぬ雑種が一匹紛れ込んでいたようだ。疾く往ね」と、雰囲気が一気に反転するかの二択。
尚、ルーナさんは不機嫌になっても自分で自分の機嫌を取るが、ある一定を超えると顔から表情が抜け落ちて、しばらく周囲に誰も近寄らせないでくれと言い去って何処かへと消える。
更にそこから一線を越えると、英雄王ギルガメッシュ並みに慈悲が消え去り、油断も慢心もなく相手の思考から次の行動を読み取り、あらゆる手段を用いて全力で殺しに来るという差異がある。
前者は今までに二回あった。
後者は、カルデア内ではまだない。
「う……いやでも大丈夫です! ルーナさんはこれくらいで怒ったりはしません。少し……何を呑気な事を言っているんだと嗜める様に不機嫌にはなるしれませんが、絶対に大丈夫です!」
「ほ、ほんと……? 私ちょっと、あのルーナさんがトラウマなんだけど」
「何を言っているんですか先輩! ルーナ先輩に向かって宣言したあの言葉とあの度胸を思い出してください! それにルーナ先輩と一緒に浜辺でビーチバレーとかしたいですよね!!」
「……したいです」
「ですよね!? アーサー王も誘って四人でビーチバレーしましょう! そしてその為には、まずはルーナさんを誘わないといけないんですから!!」
「どうする……どんな作戦で行く……!?」
「ま、まずはご飯を食べましょう! それで気分が良くなって、ルーナさんも微笑んで、そして八月になりましたね〜夏の美味しい料理は何ですかね〜と何げなく告げて、その後は海辺で美味しい料理とか気になりませんかと言うんです! そうすれば、後は水着まで一歩ですから!!」
「…………何カウンターに顔を埋めているんだ、お前達は」
「「何でもありません!」」
カウンター奥の彼女にバレない様、ヒソヒソと会話をしていたのをやめる。
今は楽しい事を考えよう。彼女は場の雰囲気を守る……というか尊重するから、私達が楽しそうに語りながら何げなく告げたら、意外とルーナさんも心良く了承するのではないか。
「そうか。元気なのならそれで良い。しかしそれで空回りしないようにな? ただでさえマスターは頑張りやさんなのだから」
「う〜うへぇへぇ……」
何だその笑みは、と視線で告げている彼女から、頭を掻きながら視線をそらす。
く……鎮まれ羞恥心……ただでさえ、私は意外とサボっているのと、今もこうしてまぁまぁ不純な事を考えているのだ。
しかし、それでもルーナさんに水着を着ないかと誘うのだ。
「美味しいか、マシュ?」
「!………美味しいです」
「そうか。なら、それはちゃんとブーディカに言うと良い」
隣のマシュにならって、同じくシチューとパンに齧り付く。
あぁー……学校の給食でパンをシチューに浸して食べるのを思い出しそうだ。しかし、今食べているシチューは濃厚で甘くて、パンはもちもち、ふわふわとしている。断然こっちの方が美味しい。
そうして、無言でパクパクと食べていると、不意にルーナさんと目があった。
美味しいか? という、そんな目。やばい……普通にご飯食べ始めてた。という意識と、さっきまでアレな事考えてから、何だか彼女からの視線がむず痒い、という感情が湧き出して来る。
「………!………!!」
「あぁ分かった分かった。美味しいんだろう? 分かったから、無理に喋ろうとしなくていい。喉に詰まらせないようにな?」
何というか、妹を世話しているみたいな微笑みの後、彼女は厨房に戻って料理を開始した。
「鮭を釣って来た小太郎と段蔵への礼に………小太郎には少し凝った物を出すか………段蔵には……何か料理でも教えたら喜ばれるだろうか」
ひとりごとを溢し、エミヤ印のレシピ本に目を通しながら彼女は再起動する。
先程言っていた晩ご飯の事に意識を割いているのだろう。手慣れた手付きで、彼女は包丁を手に取っていた。
「マシュ………」
「先輩…………」
隣を見ると目が合った。どうやら二人して同じ事を考えていたらしい。
——これ誘うタイミング難し過ぎない?
端的に言うと、藤丸立香は運は良い。
勿論運だけが全てでは到底ないが、幾つもの特異点を乗り越え、時には敵だった者を味方に付け、死に繋がる要素を退けて来たのは、類稀なる幸運とそれを手にする精神力があってこそ。
しかし、その影響があってか藤丸立香は運命力の急変が激しい。
つまりどう言う事かというと、良いものも悪いものも千差万別色々と引き寄せる。
そして更に"運"が悪い事に【宵闇の星 A】を持つが故、超極小かつ単独で成立する特異点とダ・ヴィンチちゃんに称されたルーナが、その場に居た事も関係したのだろう。
藤丸立香とルーナ。己に運命を引き寄せる存在と、己を運命に相応しい者にする存在。故に二人は、当たり前の如く事態の中心へと食い込み、場を混沌とさせる。
「あ……えっと美味しかったです先輩!」
「ありがとう。食べ終わった物は其処に置いていてくれ。後は私が洗って済ませよう」
会話に引き込もうと、とりあえず適当な会話をマシュは投げかけて、しかしルーナの返される言葉にむむむ、と焦りながら次の言葉を模索する。
その様子を尻目に立香は見ながら——偶然、後方のそれを見た。
「凄いですね、貴方の投影魔術は。
私が知るのはルーナの投影魔術ばかりでしたから、まさかアレ程多彩な事が出来るとは思っても見ませんでした」
「かのアーサー王にそうまで褒め称えられるとは、これ以上光栄な事はない。
しかしまぁ、幾ら贋作を用意出来ようと担い手が相応しくないのならば、どう頑張っても宝の持ち腐れ。
私としては、其方からの攻撃を防ぐので精一杯だったさ」
後方よりシミュレーションルームでの鍛錬を終えたエミヤ。
白のブラウスに群青色の膝丈スカート。黒タイツと茶色のショートブーツという、清楚感溢れる現代衣装に身を包んだアーサー王。その二人が、談笑をしながら食堂に近付いて来る。
しかし、マシュとルーナはまだそれに気付かない。
「そ、そういえば最近は夏ですね!? ルーナ先輩!?」
「ん……? そういえばそうだな。それがどうしたんだマシュ?」
結局何も思い浮かばなかったのか、マシュはいっそ清々しい程に切り込んだ。挙動不審なのを隠せていない。
しかし、ルーナもルーナでマシュに対しダダ甘である為、彼女も特に気にせず返した。料理の手は特に止めず、トントンと規則的に包丁とまな板が打つかる音が響く。
「ふう。今日のノルマは達成しましたね。
そういえば竜の魔術素材が足りないのをメディア殿が嘆いておりましたか。午後は西暦付近に何らかの微小特異点が無いかダ・ヴィンチ殿に聞こうと思うのですが、よろしいですか?」
「あぁ構わない。手早く済ませてしまおう。
ついでだから、ルーナの分も終わらせてしまおうか。確か今日彼女は、エミヤ殿の代わりに厨房に立っているだろう?」
「竜……ではランスロット卿のアロンダイトに任せ、私は翼を拘束する事に力を込めていましょうか」
「私は………では、事前に話を通しておきましょうか」
ガウェイン卿が、ランスロット卿が、トリスタン卿が。ベディヴィエール卿が。
大抵いつもリソース不足を嘆いているカルデアの為、身を粉にして働き、既に日々のノルマを終わらせ切って、談笑しながら食堂に近付いて来る。
「え、えっと……夏、夏なんですよ! 夏といえば何ですか!?」
「………何、どう言う事だ? 連想ゲームか?」
「ま、まぁそうです。では夏なら何ですか!?」
マシュは会話に意識を取られている。ルーナはそれに加え、背後を見ない。
「…………………」
「…………………」
「——私に何か?」
「ハ、どうやら魔女様は意外と他人の目を気にしているらしい。テメェがやった所業の割には、案外心は繊細なんだな?」
「フン」
「…………………」
ケイ卿とアグラヴェイン卿が、偶然にもモルガンと廊下内で相対する。
一瞬で三人の間の空気が冷えた後、彼らは無言で視界を切って食堂に近付く。
「夏……夏? なんだ、海とかか?」
「はい! はいそうです! じゃあ次は!?」
「次……? ………浜辺」
連想ゲームの
「あ、この匂いは………そうです、そうです! 今日はルーナさんが料理当番の日じゃないですか! 急ぎましょうモードレッド、試食の一番乗りです!」
「ん………んー……まぁいいか。あいよ。オレとしては何かガッツリとした物が食べたいなぁ」
鎧を脱いだ軽装のガレス卿と、ルーナ以上に肌身を晒した、赤のジャケットにショートパンツのモードレッド卿が、仲良くそして対象的に食堂に近付く。
何故か——偶然にも全員が集まって来ていた。
「はい! では次です!」
「浜辺………波?」
「う……ち、違います! 浜辺に戻ってください、海からでも行ける筈ですので!」
「…………水泳」
「あー!!? そう、そうなんですけど………そうなんですけど!」
流石に怪訝な顔をし始めながら、未だ答えに辿りついてくれないルーナに、段々と明確に焦れったくなって来たマシュ。
しかししょうがない。何せ相手は夏なんてものを、季節を示す単語としか認識していない世捨て人みたいな先輩。二回目の生を既に満喫して、充分満足し始めている彼女からすれば、水着なんて物に興味がないのだ。
だから、もう——直接言うしかない。
「うぅぅー! もう直接言います——!!」
エミヤとアルトリアが和やかな談笑をしながら食堂に足を踏み入れる。
ガウェインとランスロット。そしてトリスタンとベディヴィエールが、少し早めの昼食をルーナに頼もうかと食堂に足を踏み入れる。
アグラヴェインとケイとモルガン。三人が不機嫌になって、ドスドスと食堂に足を踏み入れる。
ガレスとモードレッドが、一番下の妹の料理の試食を狙って食堂に足を踏み入れる。
「——円卓の皆さんと一緒に水着を着て、真夏の浜辺でバカンスはどうですか!? ルーナ先輩!!?」
食堂に足を踏み入れた円卓関係者の全員が、自分にはその言葉は聞こえなかったと言い訳する事が出来ない程大きな声で、マシュは叫んだ。
あらゆる音が消える。
円卓の騎士達の談笑が。兄弟同士の言葉が。不機嫌に歩く足音が。鎧の擦れる音が。僅かな呼吸の音すらもが。
そして——
「…………………………」
下唇を噛み微妙に引き攣った表情のルーナと共に、先程まで規則的に鳴っていた、トントンという包丁の音が。
【現在公開出来る情報】
ルーナはアルトリア・オルタの新宿礼装(の上にエプロンと料理用のバンダナ)
アルトリアはstay nightのあの私服。FGOだとアニバーサリー・ブロンド。
モードレッドはApocryphaのあの私服。FGOだとトゥリファスの記憶。