01-01.森に微睡む
花が咲いている。花壇に囲まれた庭園。
色とりどりに咲く花、青々と葉を広げた草木に囲まれて、双子の姉妹が笑い合う。
「お姉ちゃん見て見て!えいっ」
「わ、すごーい!おみずだ!どこから出したの?」
「えへへ、魔法だよ。おうちの奥のご本を読んだの!」
「えー!だめじゃないエリー、あの本はもっと大きくなってからじゃないと読んじゃダメってお父さん言ってたよ」、
「だいじょうぶだいじょうぶ、ひみつだもん!」
やんちゃ盛りの年頃の妹は、自慢げに自分の悪行を語った。子供らしく微笑ましい振る舞いで、秘密と言いながら大きな声でそれを聞かせるのだ。そう、大きな声で。
「ほー。お父さんにもその秘密、教えてくれないかな?」
「うん、あの…ね…?あっ———」
ゴン、と拳骨ひとつ。音はしない。しかし、痛い。怒られた心が痛い。
親はいつだって、陰から子を見守っているものである。
「うぅ…ひっく」
「エリーだいじょうぶ?」
「いたいよぉ」
「よしよし。もう悪いことしちゃダメなんだよ?」
「ごめんなさぁい…」
「まったく…どうやって鍵を開けたんだ?しかもこの年で魔法が使えるなんてなあ」
「…?鍵、開いてたよ?」
「なに?そんな筈は…少し鍵を見てくる。お前たちも疲れたろ。中に入って休みなさい」
父親が不審げに顔をしかめ、娘2人を連れて家に入っていく。
結局、この後不審者が見つかったりもしなかった。なぜ書架への鍵が空いていたのか、それは未だに謎だ。
声がしたのだ。
懐かしい記憶。幸せだった頃の記憶。アップルパイを焼く母を手伝い、生地の材料を混ぜていた時のことだ。
突然の頭痛に眩み、背の足りない私のために用意された木の踏み台を踏み外し、かき混ぜ棒がボウルをひっかけて流し台へ落とす音を聞きながら床に倒れた。
朦朧とする意識の中、私の背に手を当てて抱きかかえるように呼びかける母の声も遠く、しかし声は、魂から凍えるようなおぞましい寒気を伴い、そして母よりも明瞭に私にこう言った。
『生きたければ、殺せ』
何のことなのか。脳裏に問い返すも、声は答えず、症状も自然に引いた。
母はひどく心配した。医者にも診てもらったが何も異状なく、やはりその後、何事も起こることはなかったのだった。
あの時までは。
目が覚める瞬間、ああ、自分は夢を見ていたのだなと理解する瞬間、どうしようもなく虚しくなる。
花々に囲まれた庭園は今どうなっているだろう。厳しくも優しい父は、料理上手で憧れだった母は…いつだって私の側にいてくれた姉は。
戻れない日々が恋しくてたまらない。
「痛っ…あ、腕が…」
痛む左腕を見れば、蛇が喰らい付いていた。牙からは液体が滴っている。毒蛇だろう。痺れているのはその毒のせいか。お陰で、肉が裂けているほどの大怪我にも関わらず痛みはそれほどでもない。
「…食べたいの?」
答えない。当然だ。蛇と人は言葉が通じないし、そもそも会話の意思もないだろう。彼———または彼女だろうか?———にとって、私は食いでのある無防備な獲物なのだから。
「ごめんね。死んであげられないんだ、私。腕だけならいいよ…」
蛇の顎に力が籠り、私の腕の肉を引きちぎりにかかる。
「あ…が、う、ぁぁ…っ」
毒の麻酔がかかっていても、痛いものは痛い。神経も血管もお構いなしに千切られているのだから当然だ。
しかし、狂えるようならとっくに狂っている。今更、身体が痛いくらいで何だというのだろうか。
あまり大きな蛇では無い。噛み取られた肉の大きさなど、精々が、親指を丸めた程度のものだ。
蛇は肉を咀嚼するように何度か噛みつき、その後丸呑みにした。
そうして、次の肉を千切ろうとし———異変に気づく。噛み付いたはずの傷跡がどこにもないのだ。
なぜだ。今呑んだ肉はどこから抉ったというのか。はて、目の前の大きな獲物は、痺れて動けないはずの猿は、なぜコチラを見て…手を伸ばしてくる…?
我は、何を喰らったというのか?
「だいじょうぶ…」
蛇は、そう困惑するように固まり、こちらを眺めている。再び喰らうでもなく、威嚇するでもなく。私の呪いを感じ取ったとでも言うのだろうか。
もう跡も残らないほど綺麗に治った左腕で、蛇を撫でる。畏れるという感情が蛇にあるなら、まさにそうだろう。蛇は首を垂れるように腐葉土に寝そべり、目を閉じ、大人しくなった。チロチロと覗かせる舌が可愛らしいとさえ思える。
「だいじょうぶだよ」
言い聞かせるように。森の中、一人と一匹。遭難したわけではない。しかし、迷子であるのは同じだろうから。
きっと、だいじょうぶ。根拠もない慰めを胸に抱いて、今日も起きる。
蛇の体は表面はひんやりと冷たく、しかし血の通った温度がほんのり優しく暖かい。いい首巻きを手に入れた。
「依頼にあった場所は…もう少し歩けば着きそうかな」
いまの私が生業としているのは
ちょっとした日雇いの仕事の斡旋所のようにしている人もいれば、私のように人里離れた場所まで冒険に出る者もいる。上位の者たちはそれこそ人外魔境へ出向き、御伽話に出てくるような化け物と戦うこともあるらしいが、そんな凄腕とは会ったことはない。
今日は盗賊の被害が出たということで、ある商人の馬車が襲われた場所へと出向いているのだ。徒歩で。
ちなみに、今の私はせいぜい小さめのリュックに収まる程度の食料と水、それと戦闘用のいくつかの器具くらいしか持っていない。さっきも森の中の腐葉土にそのまま寝っ転がっていた。流石に寒いので、木の葉を集めて腹に被せてはあったが。
お金が無いのも理由ではあるが、そもそも私にはそれ以上は
「ただ…この子を連れ歩くなら、餌になるものは持っておいてもいいよね」
さっきは気が滅入っていたのと寝起きでぼうっとしていたのもあって喰われるに任せてしまったが、この子の食事のたびに痛い思いをするのはちょっと嫌だ。肉食ならその辺りで獣を殺して肉を食わせるのも良いが、あまり多くは食べないようだからきっと沢山残してしまう。解体して持っていこうにも、ナイフ一本で精肉出来るほど得意ではない。
つらつらと考えながら歩いていると、森を抜けた。馬車なら半日の距離、蛇行する街道を森を抜けて近道したとはいえ、倍以上の時間がかかってしまった。歩けると言っても、やはり馬を借りるべきだっただろうか…しかし、うっかり死なせてしまったら大赤字なのが怖い。
「さて…蛇を巻いていたらちょっと不審だよね。チロ、リュックにお入り」
シャー、と鳴いて蛇がリュックサックにするりと潜り込む。チロというのはこの子の名前だ。連れ歩くのにずっと蛇呼びでは味気ない。名前の由来は…言わずとも分かるだろう。舌だ。
街道を少女が一人歩き。街から離れているのでやや怪しくはあるが、盗賊には格好の獲物だろう。男ばかりだというのは依頼情報にあった。既に人道を外れたケダモノ、うら若き乙女と見れば食いつくに違いない。
もっとも、もはや乙女ではないのだが。
歩くこと、さらに幾ばくか。日も昇りきり、影もやや短くなってきたころ、彼らは現れた。
「おい、止まれ」
止まる。仮にも私とて…まあ、それなりの育ちに見えるはずだ。ものを知らない箱入り娘のように、止まれと言われて止まるバカを演じてみよう。
「一人か?」
「はい。一人です…あの、貴方がたは?」
「さてな。何だと思う?」
出るわ出るわ、1、2人と思えば5、6、7と増え、終いには10人から成る大所帯であった。全員薄手の服装だが、意外にも身なりは悪くない。街の酒場にでもいれば、どこかで土木作業の雇われでもしたのだろうか、お疲れ様です、などと思うような出立ちだ。
街道の前後、さらに森の中から、私を完全に囲うように現れる。15mは離れている。一人で歩いているところから、多少は警戒したということか。
「あ、
「宗教家にかぶれた気狂いかよ。お前ら、縛れ!」
当たり。一応、盗賊かどうかだけを確かめたかった。依頼にあったやつとは限らないが、危害を加えられそうになった以上はどちらでもいい。
懐からナイフを取り出す。
…いただきます。
「へへ、そんなオモチャで…」
振る。空振り。まだ10mは離れているのだから当然だ。
———しかし。
「ごぶっ…お”…ごっ…?」
「な…?!」
…720。
鮮血。パックリと首に空いた一文字。ドクン、ドクンとリズミカルに噴き出し、鼓動のリズムが視覚的に表現されている。
首を狙ったのが良くなかった。心臓か脳を狙ってあげれば良かった。そうしたら、苦しまなくて済んだよね。
でもごめんなさい。もう、貴方は死んでいるから、刺してあげられないんだ。
「て…てめぇ、何を…あっ」
…720。
許して。許して。次は上手くやったから。ほら、何も分からないって顔。きっと、死んだことも気づいていない。苦しんでいないから。
「なんだよ…なんだこれ…ひぃっ!」
今さら怯えたように後ずさる盗賊たち。馬鹿だなあ。そのまま駆け寄って取り押さえたら、それでナイフは使えないのに。
また一人。声もなく倒れる。片眼から血と、それ以外の何かを垂れ流して死んでいる。
720。
誰も逃げられるはずがない。誰も。
「ああ、皆さんどうされたのです?まだ触ってすらいないのに」
「あ、ああああああ!」
男が一人、怯えたまま狂乱したように私に飛びかかり、首を絞めてくる。苦しい。
負けじと締め返す。けれど柔らかに、力を込める必要も無く。ただ首を絞めるという行動を示す。
「死んでください」
私のために。
「ああ、あ…う…」
720。
あまりにも急激に、男の顔が青くなり、ものの数秒で息絶えた。窒息死だ。
あと6人。ああ、無駄だ。私は1人狩れれば良かったのに。
「お前…なんなんだよぉ!」
最初に私に話しかけてきた男の声。多分、頭領なんだろう。
何だ、何だ。正体なんて見ての通りだよ。
「ただの女の子ですよ」
「ふざけるなあ!」
足踏みをする。足元には何もないのに、パキッという殻の割れるような感触とグチャリという音がして、目の前で男の頭が爆ぜた。
720。
これで半分。きっと、ああきっと、今回もうまく殺せたはずだ。
「ふう…もういいかな。で?まだやる?大人しく捕まる?」
「つ、捕まる…捕まるから…!」
「俺もだ!俺も降参する!」
「助けて…助けてくれぇ!」
生臭い。きっと、獣が寄ってくる。…ここで片付いて良かった。もう殺すのは疲れたから。
「じゃあ手伝って。この人たち燃やすから」
ごちそうさま。
「こっ、ここが
「うん、ありがと」
愛想良く笑顔を。笑えるような気分じゃなくても笑えるようになって、どれくらい経つだろう。
…この世界の治安がもっと良かったら、私は生きてこれやしなかっただろう。盗賊たちには、感謝しないといけない。
案内されたのは洞窟だった。森の中にありながら入り口周辺は開けており、少し歩けば澄んだ水場がある。いい立地だ。
「さて盗品は…あったあった」
依頼者の商人が命の代わりに置いていった荷物。食料品などはもう消費されてしまっているが、必ず取り返して欲しいとあったものは無事だったようだ。
幸運のブローチ。
と言っても、特に効果があるわけではない。商人が盗賊たちに襲われたように、盗賊たちが私に遭ってしまったように、幸運を齎しもしない。パワーストーンが嵌め込まれた、よくある、おまじないの品だ。これはパワーストーンとして本物の宝石が埋められていたので盗賊の目についたのだろう。これを奪いさえしなければ依頼も出されなかったと思うと、むしろ呪いのブローチに見えてくる。
なんて、私が言えたことじゃないか。
ロケットのように中に写真が入れられるようになっているようで、平たい裏面と表面の境目に爪を入れてカパっと開くと家族写真が見えた。写真なんて高級品を持っているのは、食料品は取り返せなくてもいいなんて依頼を書ける
懐にブローチを仕舞い込み、振り返る。
「じゃあ、街に連れて行くか、ら?」
「死ねッ!!」
衝撃。
何を、された?
急速に明度を失っていく視界。大きな石を再び振りかぶり、力任せに下ろしてくる姿が見える。
ゆっくりと見え…続いて今朝見た夢の後追いのように走馬灯が流れる。
ああ、
まあいいや。死ぬ前に、いい思い、させてやっても…別に…。
おやすみなさい。