一瞬だった。視界が開ければ、目の前にあったのは燭台。この黒を基調とした正方形の薄暗い部屋の四隅に、同じものが置かれているようだ。足元には魔法陣…これはダミーだ。一種の装飾にすぎない。あるいは、ただのおまじないか。それ以外はこの部屋に何もない。
あの吸血鬼が使った『
「な、なんだ…幻覚か?」
「幻覚じゃないわ。本物よ。魔法で転送されてしまったの」
「そんな事が…いや、じゃあここは何処だか分からないんだな」
「ええ。あの猫みたいなヴァンパイアは、主がどうとか言っていたけれど…」
「猫みたいな?」
「あ、そうか。結界でザルグには聞こえてなかったわよね」
この部屋に出口は一つ。黒檀の扉に閉ざされた道だけだ。
「…行くしかないな」
「私から離れないでよ。場合によっては突き飛ばすけど」
「なんだかチグハグだな」
「あら、そんなに私と離れたくない?いいわよ、死ぬような目に遭ってもしっかり捕まえててあげる。私は死なないもの」
「ごめんなさい俺が死ぬので遠慮なく突き飛ばして下さい」
気を紛らわせるような会話をしつつ、扉の先へ。罠が飛び出して来たりもせず、これまた黒一色の薄暗い廊下が続いていた。突き当たりに別の扉があるが、悠に20mは離れている。この建物———お屋敷だろうか?———はかなり大きい造りのようである。
「壁かけの燭台、紫に燃えているわね」
「あの遠くから見ていたが、あの翼竜が吐いていたのに似ているな」
「…ああ、合理的だわ。あの炎、草を燃やし尽くして燃えるものが無くなっても消えなかったのよ。明かりに使うのにはもってこいね」
「これが同じ炎かは分からないけどな。試してみるか?」
「どうやって?」
「考えがある。水の球を用意して、浮かせておいてくれ」
頼み通り、ただ浮かぶ水の球を作る。
「よし。じゃあ、これに火を移して床に落としてみよう。見たところ、ここの建材は石のようだし火事にはならないだろ」
そう言いながら、ザルグはポーチからマッチを用意して燭台に近づける。程なくしてマッチは紫色の火を宿し、床へと放り投げられた。が、すぐにその炎の色は見慣れた赤へと変わり、水で消すまでも無く燃え尽きて消えてしまった。
「あれ?…どういうこと」
「普通の火…なのか?しかし色は…」
その時だった。会話に続くように、もう一つの声が奥の扉の方から響く。
「炎色反応さ…植物から取れる薬を使えば、こう言う色になる」
「誰!?」
「はっはっは!
薄暗い廊下の奥から、コツ、コツ、と足音が響くたび、少しずつその姿が露わになる。つばの広い三角帽子、青い宝玉の嵌った魔法使いの杖、そしてあまりにも露出の多い紫のナイトドレス…って!
「横を向きなさいザルグ」
「えっでも敵かも」
「早く」
「はい」
男子に見せていい格好じゃない!透けてるし!ほとんど裸よ!せめて下着は着てよ!痴女!?痴女なの!?私が言える事じゃないかもしれないけど痴女でしょ貴方!?
「おや、可哀想に。ほれ、もっと見てもいいんだぞ?気にしないとも、そうでなければこんな服では来ないさ」
「え、いや何を」
「バカ言ってんじゃ無いわよ!ザルグは純粋なのよ!教育に悪いわよ!」
「お前こそ何言ってんの??」
この無自覚天然純粋培養ピュアボーイが!あんなんで性を自覚してみなさい!絶対色々歪んで将来苦労するから!
「服を!!マトモな服を着て来なさぁい!
猛烈な突風を瞬間的に巻き起こす魔法。障害物を吹き飛ばすための魔法で、殺傷力は無に等しい。とにかく1秒でも早くあの公然猥褻物を奥の扉に押し込むのだ。
「おやまあ
「んなっ…」
全く同じ魔法。しかし、乱雑に出力だけを求めて発動された私のそれとは違い、彼女の魔法は正確に私の風を相殺した。ぶつかり合いの中心で圧縮された空気が拡散し、強風が頬を撫でるが既に物を吹き飛ばすような勢いはない。ただしナイトドレスは大きくはためいて捲られる。
「魔法では
「なあ、すぐ後ろで見えない魔法の撃ち合いされてるのすごい怖いんだが前向いていいか」
「今向いたら2度と怖がる必要も無くするわよ」
「はい」
どうしても着替えてくる気は無いってわけ?そんな高等技術を披露してまで…そもそも何者なのよ。
「貴方、何者?」
「しがない魔女さ。実名は久しく呼ばれてなくてねえ、
「魔女…」
「ジルコンが悪さをした様だね。すまなかったよ」
「あの猫言葉のヴァンパイアのこと?」
「ヴァンパイア…?ああ、変装していたのか。まあそうさ、そいつだよ。あたしゃ、ただ話がしたいから取り次いで来てくれと言ったのにまさかあんな大騒動を起こすなんて」
「敵意は、ないのね?」
「無いとも。お前、死なないだろう?そんな相手と殺し合いなんて真っ平御免さ」
「…!エリーのことを知っているのか?へぶっ!」
「前向くなっつったでしょうが!」
ザルグの顔面にハンカチを広げて叩きつける。張り手じゃないだけ優しいと思うことね。
「過保護だねえ、その年の男ならとうに恥じらいなり興奮なりすると思うんだが」
「私だってそうであって欲しかったわ…健全な教材がないのよ」
「???」
「で、なんで私の…不死について知っているの?」
「知っているわけじゃない。分かるのさ、命に頓着していない奴っていうのは。年の功というものだね」
「見た目通りの年齢じゃない、と。それじゃ、貴方も不死みたいなものじゃない」
肢体もみずみずしく、顔に皺も見られない。女盛りの20半ばに見えるが、この口調からすると私の母よりずっと年上かもしれない。
「それはそうさ、魔女だからね。しかし殺されりゃあ死ぬのも事実…さて、経緯はどうあれ折角来たんだ。他にも話そうじゃないか。こっちにおいで」
「分かったわ…でも条件が一つある」
「あにさ」
「ちゃんと服着て」
「面倒だねぇ…」
案内された先は、いかにもお屋敷にありそうな長い食卓のある食堂だった。特に上座も下座もなくノーフェイスがどっかりと座ったので、その対面に私たちも座りこんだ。
ちなみに、服は大人しく着替えてくれた。今は紺色のチューブ・ドレスを着ている。これも首から胸元まで結構露出している上に、
しかし、案外すんなり着替えてくれたあたり、もしかしたらあの服は、暗器などを隠し持っていないことを示すパフォーマンスだったのかもしれない。問答無用で吹き飛ばそうとしたことを、少しだけ反省した。
「まず、あの狼の群れについて語ろうかね」
「ああ。話をつけてくれってだけで、どうしてあんな魔物たちをけしかけたりしたんだよ」
「そもそもそのつもりじゃあなかったのさ。…最近、あたしはホムンクルスの作製にハマってるんだよ。あれはあたしの新作でね」
「ほっホムンクルスですってぇ!?」
「あっはっは!お嬢ちゃんは驚くと思ったよ!そうさ、あの禁忌、ホムンクルスだとも」
ホムンクルスとは、言わずと知れた
「でもちょっと憧れるわ」
「おっ?エリー、君素質があるよ。基本的な製法は確立できているから、後は熱意と工夫次第だからね」
「私をその道に誘わないで頂戴。禁忌がどうとかはもうどうでもいいけど、街中で衛兵にビクビクして過ごすのは嫌よ」
「お前ならものの数じゃないだろう。蹴散らせばいいじゃないか」
「アンタの名前に納得したぜ、
「ふぅん…まあ気が向いたら言ってくれよ。こちとら同好の士には飢えてるんだ」
心底惜しそうにこちらを見ながら、とりあえずは勧誘を諦めた様だ。余計なこと言うもんじゃないわね。気をつけよう。
「それで、ジルコンにはそいつらの性能評価のついでにエリー嬢ちゃんへの取り次ぎを頼んだというわけさ」
「性能評価?ガストの街を仮想敵にでもするつもり?」
「まさかまさか!とんでもないね!」
いやいやと大袈裟に首を振り、手を振り、ノーフェイスは否定した。
「確かに、あたしも魔女だ。やろうと思えば国の一つ二つ落とすくらいは出来る」
「えっマジで」
「でぇきるとも!舐めちゃいけないよ?…でもまあ、そのためにあっちへこっちへ飛び回って火付けをやらなきゃならないし、丹精込めて作った道具も湯水の様に垂れ流しだ。まして、あの王国みたいな大きい国ともなればどれだけ時間がかかるか!その間に神さまにお祈りでもしてた方がまだマシだね。奇跡の魔法にも興味はあるし」
「……」
やばい。私、この魔女と親和性あるわ。言ってること大体分かる。神様の奇跡だって気になる。解析しようとする度にカルネラ様から恥ずかしがる様な、悲しむような思念が届くのでなければ少しは手を出していたかもしれない。
「ふっ。その顔は…」
「それより!!じゃあどうしてあんな襲撃になったのよ!」
「言った通り、ジルコンの暴発さ。確かに評価の方法は指定しなかったさ。趣味だし、ジルコンだってあたしの研究には詳しいからちゃんと報告してくれるだろうとね。いや実際、取れたデータは悪くなかったんだけど…」
「好き勝手言うんじゃにゃいにゃ!ご主人!」
「この声っ!?」「シャーッ!」
チロ、貴方は引っ込んでなさい!
「ははは、帰ったかい
「申し開きぃ?ご主人こそ僕に労いの一つも言ったらどうにゃ!無理
私たちが入ってきたのとは別の扉から、シルクハットを被り紳士風に着飾った一匹の黒猫が現れた。どこかで見たような気がする…?
「あー!あの時の黒猫!?」「…あっ、猫探ししてた時の!」
「にゃ?ああ、あれは吾輩にゃよ。街の見回りがてら、珍しく出会った猫と語らっていたのにゃ。あれは聡い猫だったにゃあ」
「ん?知り合いだったのか?」
「いやその…」
猫探しのうち、教会周辺での出来事をざっと説明する。
「なるほどなあ、それをジルコンが私に報告してきたと」
「そうにゃ。第二位の奇跡を使える小娘にゃ。前々からご主人が研究したいと言っていたし、ちょうどいいと思ったのにゃ」
「実際、それを聞いて連れてきて欲しいと言った訳だからな。しかしお前、だからと言って攻め入ることはないだろう」
「吾輩だってどうかとは思ったにゃよ。でも、ご主人から頼まれたホムンクルスどもは目が
———“街にホムンクルスを向かわせれば性能評価もできるし、きっと
見事な複合案だ。街からすればたまったものでは無いという点を除けば。ははは、抜かしおったわコヤツ。
「それで死人が出たらどうするつもりだったんだい、この屋敷を引き払うのは嫌だよ」
「そうにゃりそうだったら終わらせて、この2人を連れて帰るつもりだったにゃ。実際、危にゃそうにゃ所のホムンクルスは都度『
「はああああ〜……すまなかったよ、2人とも。後で街の領主にも謝罪に回らないといけないねぇ」
「おい。エリー」
「はい…」
街の皆さんすいません。私が余計な奇跡を行使しなければ起こらなかった襲撃でした。本当に申し訳ない。第二位の奇跡、ここまで影響があるものとは。こうなると『
「ま、まあ、私としては特に消費した道具もないから、貴方のような優れた魔法の使い手と知り合えただけでも収穫よ」
まるっと12時間ほどカウントを消費することにはなったけど。
「ところで気になっていることが一つあるわ」
「なんだい?知っていることなら答えよう」
「あのゴーストの群れも貴方たちの仕業だったの?」
「……なんだって。ジルコン、お前何かしたのか」
「いやいやいや!?吾輩も知らにゃいにゃよ!いつの
あゝ負の連鎖のかほり。
「…狼ホムンクルスの直前に向かってくるのが見えたから、私が『
「何体くらい居た?」
「ざっと100は。一回きりだったけど、狼の第一波より多かったわ」
「おいおい、まだ何かあるのか?」
「分からないねえ…ただ、あたしらのやったことじゃ無い。…よし、埋め合わせも兼ねて調べてみようか」
「ご主人、その原因にあわよくば全部の責任を押し付けようとしてにゃいかにゃ」
「そそそんなわけないだろう!というかお前が言うことじゃないよ!」
安易に力を振るうものじゃないって、大きな教訓を得ました。力に力は引かれてやってくるんだね。
「そういうことだから、ほれ———
「きゃっ…」
「
前触れなくノーフェイスが手を翳し、放たれた光が私の胸に当たって吸い込まれていった。
「なっ、何したの…?」
(あー、あー、どうだ。聞こえるだろう)
(えっなになになになに怖い怖い怖い怖い!!!)
(ぎゃあっ!?わ、喚かないでくれ頭が痛むから!?)
「ご、ご主人?急に頭を抱えてどうしたのにゃ?ついに狂ったのかにゃ?」
「おい、おい!何されたんだ!?すごい顔色だぞ!?」
「頭がぁ…し、
頭の中で急に誰かの思考が入ってきたような感覚。自分の脳が自分ではないナニカを思考しているようで、非常に怖かった。少し冷静になってみると、どう言う魔法だったのか少し分かる。
「ご、ごめんなさいびっくりしちゃって…テレパス?」
「うぅ…そうなんだが。他人に使ったのは初めてさね…そうか、初めてだとこうも驚くか…想定外だった…」
「何があったんだ?俺にはさっぱりだ」
「えっとね、ノーフェイスと私が離れた位置に居ても、声を出さずに会話できる魔法をかけたのよ。でも、いきなりだったから驚いて、いろいろパニックになってしまって…それがあっちにも、ね?」
「ああ…エリーってなんだかんだ冷静なイメージあったけど、結構内心は騒がしいんだな」
う、恥ずかしい。
「ふう、落ち着いてきたよ。じゃあもう一回いくよ?
(…どうだい?)
(待って、少し怖いけどああちゃんと聞こえるわ、これどういう魔法なのかしら、じゃなくてああその、ごめんなさいうるさいわよね私いつもこんな感じでちょっと待って今落ち着くから)
「すー…はー…すー…はー…」
(落ち着く、落ち着く、落ち着く…無心に、何も考えない、心頭滅却…)
(ああいや、そこまで悟りを開かなくてもいいんだ。コツがいるのさ、これは)
(これ、結構危険な魔法じゃない?拒否権なしで相手の考え筒抜けなんでしょ?一方的に受信できたら…)
(いや、それは難しい。お互いの言語化された思考を仮想の頭脳に重ねる様にして実現しているからね、繋がった時点でお互いに丸見えになる。もちろん使う側、使われる側どちらに立っても悪用できるから表沙汰にはできない魔法だが)
(そうよね)
(この魔法は『
「
「———ぷはぁっ!はぁ、はぁっ…私、いつの間に息止めてたのかしら」
「顔真っ赤だぞ…無理するなよ」
「どうも、思考に集中しすぎると息を止めてしまう癖があるらしいねぇ…まあいい。これを読みな」
小さなメモ書きのような手のひらサイズの走り書きを受け取る。瞬間、脳裏に『
「驚いたかい?魔女ともなれば容易いことだ。”人に分かりやすく”。それこそ、上等な知識というものだ」
「いや…これはそういうものじゃないような気がするけれど…ありがとう。
言いながら、紙をノーフェイスに手渡して返す。これは危険な技術だ。
明らかに紙に書かれているより理解した内容の情報量の方が多い。というか、紙にはそれだけでは意味不明な図形の羅列しか描かれていなかった。魔力は感じない。きっと、
「どういたしまして。いつでも通話してくれていいんだよ?ぜひ、その第二位の奇跡についての話も、
恐ろしい。気さくで、朗らかで、粗暴なところもあれ穏やかな気性に見えるこの魔女が魔女たる所以を、きっと今、垣間見たのだろう。
すっと、呼吸の、瞬きの、脳の思考の解像度の合間に差し込んだ様なタイミングでノーフェイスが立ち上がる。あまりにも自然であり、反応できない。気がつけば彼女は私たちを見下ろし、親指と人差し指を合わせるようにして構えていた。
「遅くなってしまったね。アンタら、帰るなら支部の前で構わないか?」
「え、あ、おう?」
「よろしい。ではさよならだエリー、そしてザルグくん。また会おう、興味深いお二人さん」
パチン、と気味のいい爽快な音。次の瞬間、まばたきもしていないのに私たちはガスト市の
夢だったのだろうか———?
(なーんて思ってるだろうから言っておくぞ?夢じゃないんだなあ、これが…では今度こそ、またな)
プツっと、通話が切れた。
「はは、とんでもない奴に攫われてたんだな、俺たち」
「あは、あははは…はあ」
不死になって、少し驕っていたかもしれない。化け物など、まだまだ。
今の私たちは、人懐っこく世話焼きで、それでいて厄介な魔女に目をつけられた、ただの哀れな山羊であるらしかった。
「ふう…」
「ずいぶんお疲れですにゃ?ご主人」
「そりゃあね…久しぶりに、
「それはそれは」
最初に思考をのぞいた時…ああ、ゾッとした。
あんなに直截に死を突きつけられていて、なお不死であるからと笑える者が居るとは。信じがたい。彼女は壊れている。
力、技術、その研鑽…あたしも人を辞めて長い。とっくに魔女に相応しい、化け物の心になったと思っていたが。
「ふふ、素質ありなどと上から言って見せたが…底が見えない。果たして虚勢だとは思われなかっただろうか。ああ、恐ろしい。恐ろしいものだ」
こんなに
———彼女のようなのを、魔女と呼ぶのだろう。
Which is Witch?
Of course, just she is.