リコリスさんへの説明。既にエルザさんにもした説明だ。そこに、私がこの街の裏の世界にも関わっているという情報が加わっただけ。
「それじゃあ、エリーさんは」
「…犯罪者ではあるのでしょうか。未だ、法を犯していない者は手にかけて居ないつもりですが」
「リコ、私はエリーを認めました。彼女の犯した罪はは欲や快楽のためでは無い。人の罪は人の法で裁かれるべきだとしても、この世界の法は未熟です。新たな悲劇を産まぬうちに除いてしまうこともまた罪だとして、しかし悪とは思わない」
「…」
それは違う。
一度はそう考えたが、ザルグが言った通り私は罪人で悪人だ。それでも相手を選ぶのは、自分の良心への慰みが必要なだけなのだ。
「今の私が発する言葉に、さほどの意味もあるとは思えませんが…どうか、エリーさんを責めないであげて下さい」
「…今は置いておきましょう。失礼、話を続けてください」
「はい。今分からないこと、それはエルザさんの目的です。…ここに暗殺者など居なかった。じゃあ、貴方の目的は何だったんですか?」
「私の目的は……」
その口が一度、閉じられる。しかし、その瞳に迷いなどは無かった。
「……妹、ギリアを止めること」
「———は?」
「……」
やはり。
「ギリアは、ギリア・G・アイリスは私の実の妹です。私の名、捨てた過去の名、それは———」
———リコリス。リコリス・G・アイリス。
「かつて貴方と同じ名でありました。リコリス・メイヤー」
「リコリス…G・アイリス…エルザが?」
それが、エルザさんが生まれ持っていた名前だった。
「この事件の全てを明かすには、リコリス・アイリスという愚者を語らねばなりません」
リコリス———即ち私、エルザ。
愚かな私は、人を人とも思わぬ人形です。
———来るな、来るな化け物め!」
———なんだ、何故避けられるんだ…銃弾なんだぞ…!
———殺さないでくれ、殺さないでくれ!
アイリス家には、ある慣わしがあります。
それは、男は戦士に、女は影者になるという悪習。
昔より、アイリス家は他貴族たちからの暗殺・裏工作の依頼を受けつつ、戦争で武勲を立てることで表と裏の両面から王国に貢献してきた家系です。
私の世代では男児に恵まれず、戦士となった男児は居りません。男児が居ない場合、長女が次期当主となるのは良くあることではありますが…長女である私は、あまりにも、人を騙し、殺す事に長けていた。
それを見た私の父が、私に継がせるはずの家督を妹へと継がせたのです。
それは良かった。私は当主などできる人間では無いですし…ああ、でも。当時の私にはもう一つの理由がありました。
「その頃の私は、自分の力を振るって生きて行けるなら…
その時の私にはそれが全てだった。家を盲信する暗殺者、ですらなく。快楽を求める殺人者ですらなく。
私はただ、自分に出来ることで日々の糧を得られるなら、それで良かった。そう、言うならば…その仕事にやり甲斐を感じていた。
人々の命を奪う仕事にやり甲斐を感じていた。
「私について、誤解しないで欲しいことは、今でも私には、それが良くない事だと言う通念が、知識でしか無いということです」
「え…?」
ごめんなさい。エリーさん。私は本当は、貴方を諭せるような人間では無いのです。
「彼との出会いが無ければ、私は今でも、昔の私に戻れる。さっき、貴方にそうした様に」
きっと生涯、私には命の尊さ、重さというものが理解できない。
何故かは分かりません。しかし、どうしても分からない。何故、人を殺すことが良くないことなのか。
私とて、知人の死を前に涙を流したことはあります。それはある時は寿命という摂理であり、ある時は不運な事故であり、ある時は悪意ある殺人でした。失われたことは悲しい。しかし、生きる以上は当然です。
人は死なねばならない、とは思いませんが、人が死ぬことは、
「貴方は狂っていたのですか…エルザ」
「生あらば、死ある。善も悪もそこには無い。違いますか?」
「私は、私の友人がそのような外道だとは思わなかった。私を殺そうとするのも…貴方の邪悪あればこそ」
「……ですが、その私の本音は、今の私を動かす理由とは真逆なのですよ」
私がかつて愛した、たった数週間の間だけ愛した男が居ました。
「彼は、貴方…リコの様に、生死に対して恐らく通常の感覚を持っていた」
その彼が私に遺したもの、ただ命を糧に目的なく生きていた私に与えたもの、それが意思と信念。
「それは…!」
「ええ。…かつて血を浴びていた私に、曲がりなりにも人らしくあるための光をくれた人。
だからこそ、いざとなれば、その信念に反してでも、意思の下に私が殺さねばならぬ人だとも感じたのです。
「今は遠きディアズ…彼とのことは語れば長くなるので省きましょう。しかし、あの人を巡る一件で、私はアイリス家には居られなくなった。アイリス家は表向き出奔として私を捜索していますが、実情は恐らく始末人」
もちろんそんな者に遅れを取る私ではありませんが、今の私は無闇に人を殺さぬと決めた身です。
「私は自ら私についての情報を欺瞞し、足取りを追わせないようにしていました。最近は追っ手も控えめになり、ようやく、ただのエルザ司祭としての活動に専念できるかと思った所…あの子が、ギリアがこの町にやって来たのです。何の因果か、ギリアは私の教会に訪れた」
ギリアは当主になる子であったので、私のような影者としての訓練は全く受けていません。
この遠い要塞都市に
「懺悔室に訪れ、ギリアは罪を告白しました」
懺悔室の、
「私の…この人でなしの姉を家に留められなかった事を、暗殺という悪しき仕事を任せ、次女の自分が家督を継ぐ事になってしまったことを、告白しました。そして、何より…」
———私を、愛しているのだと。
「よりにもよってこの姉の前で、ギリアはその罪を打ち明けてしまった」
その場で声を変えるなりして、当たり障りなくギリアの心を解してやれたならそれで良かった。ですが、実の妹からの告白に、私は動揺してしまった。私は、私の声のまま、答えてしまった。
「ギリアも直ぐに気付いてしまいました、壁の向こうにいるのが私だと」
———その声は…お姉様?お姉様なのですか?
———わ、私は…貴方の姉などでは。
———そんなことは無い、そんなことは無い!ああ、お姉様…!私は!
「エリーは知っているかも知れませんね。しばらくして、ギリアはこの都市にアイリス家の別荘を建てたのです。理由はただ一つ、彼女は私の近くに居たかっただけ…ですが、私がそうであるように、ギリアもまた普通では無かった」
「リコリス殺害依頼」
「はい。彼女は私と同じ年頃で同名であるリコリス・メイヤーを殺害し、リコリス・G・アイリスの死体として偽装することで、私をアイリス家の追跡から解き放とうとした」
「エルザ、貴方は止めなかったのですか」
止められるはずも無かった。
彼女は私が反対すれば、一人でも手を回して実行に移すつもりで居たのですから。
「アイリス家とクラウス家の抗争、あれはギリアが仕込んだ事です。私には及ばぬ策謀の才能…彼女はクラウス家から抗争を仕掛けるよう誘導した上で、私と同名の
「可能なのですか?」
「分からない。しかし現にクラウス家は急な抗争を仕掛け、敗北し、起死回生を託して偽りの長女に誘拐を仕掛けた。全て私の存在がギリアに露呈してからの事です。私は妹の頭脳が、空恐ろしくすら思えた」
その類稀なる異才の全てが、私一人のために、私を無視して振われていることに、危機感を覚えた。
「そして私は、慣れたやり方を使う事を決めた」
「内部からの、撹乱と工作」
「…流石に見えたぞ。エルザさん…いやエルザ。アンタはギリアの計画に乗った上で、それを失敗させ、ギリアの殺人計画を暴こうとした」
「それもまた、予定の一つでした。未遂であれば、貴族であれば、投獄か修道院送りで済むでしょう。ですがもう一つ、本命は、彼女の追跡を完遂させること」
両手を広げる。十字架に磔にされた罪人の様に。
「エリーさん。私を、殺してくれませんか」
「はい?」
「私の死体が必要なら、話は簡単です。私を死体にすれば良い。アイリス家も、死人を追い続ける事は無いですから」
「いや、ちょっと」
「それに、私は貴方を殺そうとした…あの人の信念を裏切ってしまった」
貴方は私とは違った。自分で、立派に意思を持っている。殺すべきでは無い貴方を、何度も切りつけ、心臓を突き刺した。
「死ぬほどの痛みを貴方に与えた私は、同じだけの報いを貴方から受けるべきです。ですから———」
私を殺して、ギリアの前に差し出せば、それで今回の事件は終わりです。
リコリス・メイヤーが殺害されることも、無くなる。だから———
「エルザさん」
「…はい」
「歯、食い縛って下さいね」
「え…?」
私は。
右の拳を、強く握りしめ。
肩を引き、体を弾ませるようにして助走を付け。
細腕にあるまじき剛力を以って、この大馬鹿姉さんの頬を、力一杯に殴り飛ばした。
「ふごぉっ…!?」
1mは飛んだだろうか。一瞬浮き上がり、吹っ飛ばされたエルザが仰向けに石畳に倒れ、後頭部をごちんと打ち付けた音がした。
頬は真っ赤に腫れている。すぐに青くなるだろうけど。
「人の、姉が!!!」
叫ぶ。
「知らないとこで!!!」
カッとなった頭で、叫ぶ。
「死んでんじゃ無いわよぉーーッ!!!」
ここに居る分からず屋の馬鹿娘に、ただ、叫ぶ。
「な…何を…?」
「もっと話し合えとか、妹とイチャつくのに人の命かけてんじゃないとか、色々言いたいことあるけど!」
まだ呆けたような女の襟首を掴んで、顔を近づけて、まだ叫ぶ。
ギリアの思ったことなら、私にだって分かる。
「やっと生きてたって、出会えた姉が勝手に死んで…!」
———エリー?どこに行くの?エリー!?
———…ごめん、お姉ちゃん。
「それで誰が喜ぶのよぉッッ!!」
ああ、似ている。
本当に似ている。
そりゃ分かるはずだよ、私のことが。
今なら私にもアンタのことがちょっとは分かる。
たしかに私は、場合によってはアンタに殺されるべき化け物だった。
十字架を背負って歩いているのは、お互い様だ。
だから、しょうがなくムカつく。
握っていた襟首を、突き飛ばす様に放す。どさっ、と、女が右肘を突いて倒れ、呆然と私を見つめる。
「…エリー、ほら」
「…ん」
ザルグが私の頬を新品のハンカチで拭う。何でか分からないけど、ハンカチが濡れてしまった。
背中に当てられた手が、暖かい。
きっと、エルザには、ザルグが居なかったんだ。
生まれた時からそう生きるしか無くて…正しく在るっていうことがどういうことか、教えてくれる人を失って。
寄り添ってくれる人が居ないまま、ここまで来てしまった、私なんだ。
「許さないわよ…あんなに痛い思いして、出来るか分からない魔法まで使って…勝手に死なれて、たまるかってのよ…」
「ですが、それではギリアは…」
「話し合いなさいよ」
ごめんなさい、サリーお姉ちゃん。
「今まで自分だけで逃げて来れたんでしょ。だったら、もっと良く話し合いなさいよ」
今までずっと、逃げてばかりで。探したよね。
「貴方のこと、大好きなら…きっと話を聞いてくれるから…2人で話して、決めなさいよ。それでも死にたいって言うなら、勝手に死ねば?私はアンタは殺さない」
会いに行くよ。こんなに全身汚して帰ったの、初めてだけど。
「私の手の血は、死んで欲しい奴の血だけで十分よ」
いっしょに叱られて、くれるかな。
「……」
それきり何も言わないエルザの顔からは、何も読み取れない。
けれど、もう両手を広げようとはしなかったし。
自分を刺すつもりも、無いようだった。