見知った宿の天井だ。
「…あの宿、居心地良かったなあ」
「しょうがないだろ、まさかエリーが情報買うのに全財産の6割も出してたなんて」
他に使う当てもないと思ってたんだもん。
でも、一度あの布団の柔らかさを覚えると…ああ。
「なんか魔法作ろうかしら」
「布団が柔らかくなる?」
「それに暖かくなるわ」
「そりゃいいな、ぜひ俺にもかけてくれよ」
本当に作れたらね。
あの後、私は『遠路洋々』とエルザを置いて宿まで帰ってきてしまった。
勝手に死ぬのは許さないと言った直後に勝手に死ねばいいと言った矛盾に気がついて急に恥ずかしくなったのだ。やはり私は頭がよろしくないらしい。
———残り109時間。
…ふう。
ま、今回は…死んで欲しい奴も居ることだし。一ヶ月、生き延びるとしましょうか。
“エルザ司祭”としての朝を迎えた。
「……神よ」
今日も、貴方は私の罪を教えては下さらないのですね。
「リコに、謝りに行かなくては…あぅっ!」
殴られた頬が痛む…治そうと思えば、治せるのですが。
神は。神は私のような、自分の罪が何なのか分からない、懺悔すら出来ない者にも、奇跡を扱うことをお許しになられる。
だからこそ、私は
「ああ、でも。一つだけは」
ディアズ。貴方の示してくれた、償うべき罪の一つが分かりました。
———エルザ。君のために、償うべき罪がある…。
———ディアズ…!喋るな、これ以上は…。
———君の、エルザの…しあわせの、ために…償うべき…つみが…。
家族と、話をしましょう。たった一人私を見てくれていた家族と。
「お姉様っ……!!」
「あ、ギリア、ちょっと!?」
教会からアイリス家の別荘までは、貴族街の壁を挟んですぐ近くです。貴族街の北側入り口も近い。
教会の皆に出かける事を伝え、出発してから10分も歩かない内に、その屋敷の中に入れました。
そして、ギリアが抱きついてくるまで2秒も有りませんでした。
「ごめんなさい、ごめんなさいお姉様…!失敗したのは私のせいです、お姉様は…!」
「良いのです、良いのですよギリア…」
既に、依頼は取り下げられました。
ギリアが昨日を指定した理由は、殺害をクラウス家の誘拐犯たちの罪として擦りつけるためです。彼らが捕縛された今、それは不可能でしょう。
「ギリア、すみませんでした。貴方の手を汚させてしまった」
体を離し、その綺麗な手を取る。
指抜きの白手袋を嵌めた手は、私の傷だらけのそれと違い、絹の様に滑らかで、白く、柔らかい。
リコが殺される事こそ無かったものの、ギリアが誘発した抗争によってクラウス家の者たちに死人が出ているのは確かです。
クラウス家であれば、無実の者ということも考えにくいですが…彼らに雇われた全ての者が罪人だったなどという事は無いでしょう。
「いいえ、リコリスお姉様。私はお姉様のためなら、なんだって捧げましょう。大丈夫、次善の策もあります…都合の良い者も見繕ってあるのです」
「ギリア」
「…お姉様?」
こちらから、抱きしめる。
「お…おっおっおっ…おね、おねえさ…っ!?」
「ギリア、貴方に会ったことは全くの偶然なのです。私はもう、アイリスからはほとんど追われていない———」
それから、ギリアを抱きしめたまま、私の現状を全て説明していきました。
ギリアはどこか様子がおかしかったようですが…とにかく、全て頷いて聞いてくれた。
もう、私のためにこのような非道をすることも無いでしょう。
「リコリス…私の友人の、リコリス・メイヤーにも、後で謝罪に行きましょう。何と詰られるかは分かりませんが、それでも、そうするべきですから」
「はひ…おにぇえしゃま…」
ええ。笑顔で頷いてくれる。ギリアなら、家族なら分かってくれる。
これで良いのですね、エリーさん。
なんですか、これは。
「この度は、私、ギリア・G・アイリスの企てによってその身を脅かしたこと、誠に申し訳もありません。謝罪として、我らに望むものがあれば申してくださいませ。アイリス家次期当主としての総力を以って、償いとさせて頂きたく思います」
「本当に、申し訳ありませんでした。リコリス。妹共々、とても許されないことかと思います。妹の言う通り、思うようにお裁きを…ただ、命を以ってというのであれば、どうかギリアは…」
「待って、エルザ。待ってください。待ちなさいエルザ!」
「はい」
頭を片手で抑えるようにして、目を瞑る。
昨日明らかにされた、我が
なんとまあ…「G」格の貴族二人が、揃って頭を下げて!
一介の
「ええと、2人とも、とりあえずは頭を上げて…」
「しかしリコリス様、貴方はエルザお姉様の親友で…」
「上げなさい!」
「ひゃい!?」「は、はい!」
…この程度で狼狽える2人が、1人は大貴族を没落させ、1人はかつて裏世界に名を馳せたらしい暗殺者だというのですから、分からないものです。
「いや、リコリス?お前に自覚は無いかもしれんが、その顔の時のリコリスは正直”竜”を相手にした方が良いくらいだぞ?」
「は?そんなわけ無いでしょう」
「はい!そんなわけありません!」
キルターも大袈裟なんですよ。竜の方が怖いに決まっているでしょう。
「まず…今回の件。私はそんなに怒っては居ません」
「えっ…?そ、そうなのですか?」
「冒険する
それこそ、先の襲撃のように。
魔物や獣どもは、もっと狡猾、かつ陰湿に、命を狙ってくることも多いものです。
「わ…私にとってショックだったことは、そんな些事ではなく…エルザ」
「私ですか?」
「そうです。…親友のつもりだった、貴方に、命を狙われるような理由があったのかと、そう感じたことですよ」
私のことなど、依頼であれば殺しても良いと思っていたのか。
あるいは、そう思われるようなことを知らぬ間にしてしまっていたのか。
それがショックだったのです。
もちろん、その後の狂人の告白もそれなりにショックでしたが、それは別の意味ですし、私が謝られるような事ではありません。
「ですが、そうでは無いのでしょう?」
「はい。私は…ギリアの計画を破綻させるつもりで動いていました」
「…お姉様、ごめんなさい」
「私は良いのです、今朝話したでしょう。それよりも、リコに」
「はい。リコリス様、申し訳ありませんでした」
「まあ…貴方の謝罪も受け取りましょう。そこそこ危険な冒険をした時の依頼報酬に相応しいものを要求しますから」
本命はエルザですよ。エルザ。
「エルザ、貴方に求めるものは謝罪ではありません」
「では、何を?」
「私と、もう一度誓って下さい。私と貴方が、無二の親友であると」
たとえ人の心を理解し切れぬ狂人であっても、いや、だからこそ。私は貴方と心を分かち合う友で居たい。
それが偽らざる私の気持ちです。
「良いですよね?」
「リコ…貴方は、まだ私を友であると…」
「そう欲します」
「ああ…嗚呼…!ごめんなさいリコ…!ごめんなさい…!」
「な、泣いてないで早く誓って下さいよ…改まってこんなこと言うの恥ずかしいんですから。ほら」
「誓います…!誓わせて下さい!私は、リコの無二の友でありましょう…リコも、私の無二の友であると…!」
良い声です。
ここにいる貴方は、人間に見えますよ。エルザ。
「誓いますよ。私も、エルザの無二の友であることを。…お帰りなさい、エルザ」
「ああああぁ……!リコ…ディアズ…私は…!」
「むう…なあ。ギリア殿」
「キルター様、貴方にも、大切なメンバーを…」
「ああ、それはいい。リコリスが言ったのと同じで、私には貴殿に謝罪を求める理由が無いからな…それよりだ」
「はい?」
「女性たちの友情というのは、このように涙に溢れたものなのか」
「…どうでしょう。私も、あまり普通の女子の生活ではありませんし…ただ、そうですね。私から見て、特にそのような疑問は抱きませんでしたよ」
「では、その握りしめた拳は何だね」
「え…?あ、本当だ私ったら!おほほ、おほほほほ…!」
「恋慕もほどほどにしてくれ給えよ。リコリスが背中から刺されるようでは仕事に困る…」
「まさか!まさか!そんなことは致しませんよ!ええ!」
———よもや、女性に対して刺される心配をする事があるとはなあ…。
生を実感する。
どれだけ死を望み、人生に絶望していようとも。
喉が渇いた時に飲む水が、清涼感をもたらすように。
ずっと頭を苦しめていた悩みが解決した時、解放感に打ち震えるように。
溜まりに溜まった性欲を発散した時、普段よりも深い恍惚に耽るように。
死に近い者が生を実感することは、忘れがたく、抗いがたい、生理的な快感をもたらすものだ。
いっそ中毒的ですらある程に———。
「ねえ?そうでしょ?」
「…何だお前」
現在位置、変わりまして
当然無賃無断の乗車だ。ザルグは町に置いて来たし、無音もかけてある。透明化もかけていたけれど、今は解除している。
「ほら、お金貰って人のこと
悩むのをやめた結果…
「私最近ね?悪い人に懺悔させるのって楽しいなーって思うんだけど…これって、分析するに、2つの理由があるんだよ———」
一つ、相手も悪いことしてるから、罪悪感が無い。
もう一つ、悪いことして
「———で、ちょっと気になったんだ」
リコリスさん———
縄が床の近くに固定されているせいで、立ち上がることもできないようだ。良く見ると、胡座を組んだ足も足首のあたりで縛られている。
その顔に…ニヤッと微笑んで、鼻と鼻が触れそうなほど近づいて、聞いてみる。
「悪くない人に悪いことするの、楽しかった?」
「ぐっ…!?」
果物ナイフで、胡座を組んだその太ももを突き刺す。動脈は避けて、痛がるように。
「ねーえ、答えてよ。私もう、どんなに追い詰められても良い人は殺さないって決めちゃったからさ、そうしたら経験者に聞くしか無いでしょ?」
「てめぇ…!おい!御者!兵士!助けろ!」
「む・だ♪音、消えてるもの」
あ、少しずつ顔が強張って来た。怖い?怖がってるんだ!
あー、ストレスが消えていく。
「ね、だから答えて?」
「し、知るかよ!仕事でやるんだ、楽しいも何も…」
「なんだ、つまんない」
脇腹を刺す。
血が溢れると外にバレるから、魔法で水の球を胴を覆う様に作って浮かせておく。
わぁ…脇腹って、刺されるとこんなに血が出るんだ。もう真っ赤っかになっちゃった。ザルグは刺されないように気をつけないと。
「やった…♪」
「がぁぁ…!」
「すごいすごい、
こうすれば手加減できるんだ!
そっか、今までは怖いから必死だったけど、楽しんでやれば肩の力も抜ける。
殺意なく、呪いも出さずに攻撃できるんだね。
「ねぇ、ほんとに楽しく無かったの?やったぜ、みたいな達成感とか」
「う…あ、ある…あるから…」
「ほんと!?ね、詳しく教えて?どう思ったの?ちょっと教えてくれたら、その分だけ治してあげるから」
苦しみと痛みに呻きながら、少しずつ言葉を発し始める。
「最初は…浮浪児の、女……ふー…罪悪感と、やっちまったって…嫌な感じで…いっぱい……」
「ふーん。おじさんもそうだったんだ」
———『
先に、ナイフは抜いてあげる。くっついて抜けなくなったら面倒だから。
「あ…ぅ…畜生、悪魔だ…」
「分かるよー、脇腹を刺されるとさ、痛みよりも前に異物感と熱さでおかしくなりそうになるんだよね。もちろん、痛みもきっついけど」
野犬の牙が折れたまま残った時は本当に嫌だった。治る前に掻き出せて良かったけど、二度とやりたくない。
「で、ほら。つぎつぎ」
完全には塞がって無い。血の出るペースが落ちたかな?ってぐらい。
「そんで…あの家に雇われて……次は、町娘だった…顔のいい奴で、それだけを目当てに連れてって…クラウスのボンボンに引き渡してからは知らない…」
「それで?その時は?」
「哀れだった…そんで、金を貰って…最初とは比べ物にならない額だ…美味い飯食って、全部忘れた……」
「飯?男だったら、ほら。こーいうのとか、行かないの?」
股座に手を伸ばし、それらしい動きを示唆する。
「女の、嫌がる顔が焼き付いてて…そういう気分じゃなかったな」
「へー、男心って複雑」
ムード気にするのって女だけじゃないんだ。
———『
「お、治って来たねー。あと1回くらい話してくれたら治り切るかも」
「血が…足りない……」
あ、フラフラしてる。
「頑張れ!もう血は止まってるよ!このままだと傷口が傷んじゃうよ!あと少し!」
「はあ…はあ…くそが、クソ女がよ…テメェみてえ奴なら、いくら売っ払っても美味え酒が飲めるぜ…」
「それは空想でしょ?私はリアリティのある実体験が知りたいの!」
ほら早く。
「できれば一番、気持ちが良かった例をお願いね?」
「そんなもの、あるかよ…人一人売り払うんだ。しかも、あのクラウス…到底碌な目に合わねえ。男も女も、俺なんかに捕まって、哀れで無ぇヤツが居たものか」
「そっかぁ…じゃ、もう用済みかな」
「は?」
「良い感じに料理もできたし———いただきます」
「あ…」
「アンケートにお答えいただき、ありがとうございましたー。安らかに眠れるらしいから、来世は悪いことしないでね?」
首が飛ぶ。ごろり、何をされたのか、分からないまま…死んだ。
———720。
ごちそうさま。
「んーっ!あぁ…ふぅ。さて、とぉ…残りはどうしよう」
「ひっ…」
ま。サクッと殺そうか。
「アナタたちも、死んで欲しいのには変わり無いからね———ほら、チロ?」
「シャー?」
あれは、食べていいよ。
ザルグー。ただいま。
え?あ、うん。ちゃんと片付けて来たよ。後も綺麗にして来た。
チロが食べ残しちゃったから、残りはさっぱり消しとばしたかな。
うーん。もったいないから、生かしたまま保存できるようにしたいなあ…そういくらも見つからない物だもん。魔法、本格的に頑張ろっと…ノーフェイスにも聞いてみようかな。
え、次どこに行くのかって?
“どこに行くのか”なんて聞く時点で分かってるんでしょ?うん、ミンドラだよ。お姉ちゃんの居る———。
———商業都市、ミンドラ。