戦闘開始から、1時間。右方、遠くからも戦闘の騒音が聞こえる。どうやらガスト北西方面は激しくやり合っているようだ。
「やあ…随分余裕があるな。新人にしてはガッツがあって嬉しいよ」
「どうも…その、リコリスさんは」
「魔力切れ*1です。お荷物になってしまいました」
前線は今や、最前列だった『遠路洋々』の2人が最後列の私と並ぶくらいまで後退している。
あれから、第二波は予想に反して第一波と同じようなものだった。浮かぶ大黒狼も仕掛けては来ず、怪訝に思いながらも狼たちを薙ぎ払って終わりだった。
元々長期の波状攻撃などを想定しない
しかし、第三波が良くなかった。
———翼竜!ここで来るか!
———まずいぞ、対空兵器がまだだ!
———俺たちしか戦えねえってのかよ!畜生3連戦だ!
翼竜。これに共通する特徴は、空を飛び、鱗は硬く、そして火を吹くこと。これを後ろに通せば、外壁を無視して街を襲うだろう。
「ザルグ。流石に守れそうにないわ」
「…そうだな。先に戻る」
「ありがとうね」
第三波を察知した段階でザルグを帰したのは英断だっただろう。私としては彼を連れてきた理由は狩人としての力をあてにするより、魔物と
私自身、死なないと言っても無敵ではない。例のヴァンパイアを殺すべく残っているが、物量で文字通り押し潰されるような状況なら流石に退却せざるを得ない。
「かれこれ、もう300は倒していると思うのだがね」
「北西にも同規模の襲撃があるなら、間違いなく当初の見立ての倍は居ます」
「人の遠目なんてそんなものってことかしら、ねっ!」
ミシェルのお父さんや軍人さん達の目がどれだけ良いかなんて知らないが、まさか無尽蔵に増えているなどあり得ないと信じたい。
魔法の矢を形成し、狼を貫く。外したのに狼が死んだ、なんて図を見られる訳にはいかないので、確実に当てられる距離でしか戦えない。当然、ナイフで遠くから掻っ捌くのも無しだ。
明らかに練度に見合わない威力なので、リコリスさんには何か疑われていてもおかしくはないけれど。いや、魔法使いの間合いでもないからキルターさんにも奇妙に見えるかもしれない。
「第三波は長いな!忙しくてバッジの情報も見れんじゃないか」
「他のパーティもよく生き残っているわ…早く軍のバリスタ隊だけでも動いてくれたなら翼竜は気にしなくて良いんだけど」
言っているそばから、上空を旋回している黒い翼竜がこちらへ斜めに降下してくる。口元から紫色の炎がチラチラと溢れている。狙いは私だろう。
「ゴァアアアア!」
こういう時、本当なら何度か対空射を行って迎撃を試みるべきなのだろう。だが死の呪いは殺意がある場合
確実に当てられる距離より遠くで炎を放って上昇してしまう翼竜は、周囲の目を気にしながら倒すのは難しい。
一直線に草原を焼き払いながら迫る魔法の火炎放射を、横っ飛びに回避する。
「くっ…」
いく度目かになる、間一髪の回避。足下スレスレを紫炎が過ぎて行く。通常の炎は燃える草が無くなれば消えるが、この黒翼竜の炎は燃え尽きた草の灰をさらに燃やすように延々と燃え続けている。少しずつ私の行動範囲が削られているのだ。
第二波までと異なり、空からの脅威も警戒しなければならない。幸い、何故か
「君!魔法で撃ち落とせないかい!」
「私ではあの距離は当てられないのよ…!」
「対空などそんなものです。撃って牽制するべきですよ」
あなた達や兵隊が居なければそうしていたわよ!
まあ、その場合はとっくに街に狼が雪崩れ込んでいたでしょうけど。
「まだまだァ!」
大男が猛る。空中を蹴って噛み付いてくる狼に大斧の柄を噛ませて押し飛ばし、ぐるりと遠心力を乗せて素早く振るわれた刃が宙の狼の胴体を前後に分断する。
キルターさんの大斧捌きは健在だ。むしろ、リコリスさんがダウンした時から消耗を抑えなくなった分さらに強力になっている。狼のほとんどを彼が引き受けてくれなかったら、私は今頃エサになっていただろう。いや、そうだったら私は形振り構わず翼竜を殺し回ったから彼にとっては裏目に出ていることになるのか。
「また来ますよ。撃って!」
「ああ…っもう!」
リコリスさんの声に空を見れば、先程の翼竜が再び私に向かって滑空の姿勢を取ろうとしていた。降下角度が緩く、先程より口元から漏れる炎が激しい。きっと次の放射は長い。この攻撃で仕留めるつもりで来ている。
…しょうがない。どうせエルザさんにはもう見せた札だ。
まさに翼竜から炎が放たれようとした瞬間、私は動いた。
「グルルルル…ゴァァアアアアッ!!」
「戒めよ!」
———『
虚空から飛び出した光の鎖が翼竜の翼を、顎を、関節という関節を戒める。この奇跡に殺傷力は無い。間違いなく死の呪いを暴発させずに攻撃できる数少ない方法の一つだ。生物を傷つけられる奇跡はほとんど無い。この『
飛行能力を失った翼竜は滑空の勢いのまま地面に擦り付けられ、行き場を失った紫炎がボフンという音を立てて不発する。暴発はしないか。
「ナイスだ少女よ!喰らえい、我が絶技!」
そして私がトドメに行こうとした時、それは起こった。
遠くで狼を薙ぎ払ったキルターさんが続け様に斧を振るうと、地を捲り上げながら迸った衝撃波のような何かが墜落した翼竜の全身を巻き込むように引きずり、爆発した。
爆発した。
「はい?」
「ふ、これぞ我が絶技!我が斬撃は地を這い、爆ぜるのだ!」
え、なに?何が起きた?まさか、この人の能力?貴族なの?
「あー、キルターは貴族ではありませんよ。
……まさか。
「…エルザさんのお知り合いですか…?」
「ええ。先程の貴方も、見事な奇跡でした。人の身とは思えぬほど」
バレてるじゃん!なんで!?エルザさんにそんな知り合いが居たなんて知らないわよ!?
「心配は要りませんよ、エリーさん。エルザさんから頼まれたのです、きっと貴方も戦いに出るだろうから、と」
「私達は遅れて参加しただろう?鐘の音と、バッジのアラームで心配になったので教会まで見に行っていたのだ」
「うう…」
「私がいれば、きっと私が背負われながら魔法を使ったのだと思われるでしょう。遠慮なくどうぞ」
最初から使っていれば良かったわ…あんなに苦労して飛んだり跳ねたりする必要無かったじゃない。死なないと言っても痛いし、あんなに燃え続ける炎なんて当たったらたまったもんじゃないわ。
「とにかく、それなら遠慮無く使うわ!狼と、落とした翼竜を頼むわよ!」
「応!いつ落としてくれてもいいぞ!」
「〜〜〜っ!」
第三波は激戦となったが、それは硬い鱗と素早さを兼ね備えた翼竜に苦戦してのこと。翼竜さえ落とせるなら、あとは全員が慣れ親しんでいる地上戦。時間はかかったものの、負傷者も無く突破した。
後方の兵隊もようやく準備を終えたようで、バリスタ、散弾投石器*2などの兵器と全身鎧の屈強な歩兵が整列している。これなら、一旦後退しても問題ないだろう。
で。
「リコリスさん。聞いてるってどこまで聞いてるの?」
エルザさんだって、私が第二位の奇跡を使える『代行者』相当の神官であるとしか知らないとは思うけれど。
数分の休憩でいくらか魔力が回復したようで、今はリコリスさんも自分で動けている。座り込んだ彼女の前で、私は自分について問いただした。
「貴方が代行者であるということ、高位神官としての扱いを望まないこと、危険に対する警戒が薄いこと、くらいです」
「え?そんなに無防備かしら…」
「何故か自覚がないようですが、そんな軽装でこの戦場に訪れた
言われてみれば、今の私はせいぜい厚手の服を着ている位でほとんど私服であった。鎧など着ても動きにくくなるだけだと気にしていなかったが、なるほど目立つだろう。
「それと、先程から気になっているのですが…そのリュック。何か生き物を入れてありませんか?」
「えぇっ…とぉ…その…」
「シュルシュルシュル」
「あっ、チロ!」
話を聞いていたのか、自分から出てきて私の首に巻きついた。
「む!?おい、そのヘビ猛毒を持ってるヤツじゃないか!?」
「いや、そうなんだけど!賢い子なので大丈夫なので!」
「いやいやいや…都市によっては取引禁止生物に指定されている危険種だったはずだぞ。ガスト市はどうだっただろうか…」
キミそんなに危ないヤツだったの!?
私の驚愕の視線を受けて尚、何のことかと言わんばかりにキョトンと見つめ返してくる。いや、すっとぼけるんじゃない。人語を理解できる天才なのは分かってるんだぞ。チロって名付けた後、1回目の呼びかけで返事のように鳴いた時は正直びびった。
「本当に興味で聞いてみただけなのですが…なんとまあ。無防備さといい、胆力があると言うか、いや、ええと。すみませんね」
言葉を選ばれている。とても慎重に選ばれているのが分かる。それはそうだ。側から見たら命知らずの阿呆だこれは。間違っていないので尚のこと苦しい。
「では話を変えましょうか。この後についてです」
「あ、ああ。退却するかどうかだな!パーティごとに判断は委ねられているが、現状戦線は落ち着いているように見えるぞ!」
「はい。ですので、恐らく再出撃するならば別地点への派遣となるでしょう。恐らくは、この群れの後方を目指すよう指示されるかと」
想定を大きく超える規模の襲撃。その原因を探るべく、斥候役を担うことになるだろう。重要な情報であるから、追加報酬にも期待できる。しかし、どのような脅威が待ち受けているか分からない以上大いに危険を伴うだろう。できるだけザルグとは共に行動したいのでどちらにしても一度支部に戻るつもりだが、調査に連れて行けるかは怪しいところだ。
「『遠路洋々』はどうするつもりなんですか?」
「私たちは隠密には向いていません。何せ相方がコレですからね」
「そうだな!」
「…ですから、戦況の悪化に備えて支部に待機します。私も、もう少し休憩が欲しいですからね。本など読めば、魔力も戻ると思うのですが」
恐らく、1パーティのみでの探索になる。その上野外での隠密能力が必須。ザルグも休んでいるから、体力は余裕がある。適任か。
「分かりました。ザルグ次第ですが、私は行こうと思います」
「そうですか…お気をつけて。命ばかりは失ってはいけませんよ」
命ばかりは、か。
「…ええ。もちろん」
知的存在が思考を行うと、精神力を消費する。この精神力とは定量的に現されない魂の力を指す。思考のために消費された精神力のうち、思考を実際に完遂するために必要な分を引き、余剰として残った精神力が魔力となって蓄積される。いわば、導線に電気を通すことで発生する電熱のようなものである。このエネルギーは放置すれば自然と発散されていくが、魔法使いはこれを溜めておくための術を知っており、熟練するほど素早く、かつ多く魔力を溜めることができる。
魔力は人体に元から存在するエネルギーではないのでこれが枯渇したとしても何ら体に害は無いのだが、普段から多くの魔力を蓄えている熟練の魔術師は魔力枯渇に伴い急激な疲労感と脱力感を覚えるという。これは当人がエネルギーに満ちた状態に慣れているために起きる一種の錯覚に近い現象である(水泳の後プールから上がった時に身体が重く感じるのとほぼ同じ)。理由はともあれ、魔術師として熟練したものほど魔力枯渇はリソース管理の不足に対するペナルティとして重くのしかかる。
余談だが、一定の情報量の思考のために消費される精神力は人に依らず一定である。魂が実体の領域から遠いほど、つまり精神体の領域に近いほど実際に必要な精神力は少なくなり、余剰、即ち生産される魔力量も増える。この法則により、人が単位時間に生産可能な魔力の量は理論上の上限が存在する。