次回はまたしばらく空きます。
移は映画館の座席に着いていた。
スクリーンは真っ黒で、足元を照らす僅かな灯りだけの薄暗い空間だったが、なんとなく映画館なのだろうなと認識していた。
〝個性〟は使えるのだろうかと確認する。…問題ない。小さめの劇場全てを【スフィア】で満たす。分かったのは、劇場の外には
変な空間だ。
そして、こんな状況にあることに焦燥感を抱かないことに疑問に思いつつも、同時に妙に納得していた。
まあ、つまりはそういうことなんだろうなと、ぼんやりとこの状況にあたりを付けていた。
隣に座る男性に目を向ける。
自分の中の仮定と答え合わせをすべく、移は口を開いた。
「なんと、お呼びしたらいいのでしょうね」
「…そうだね。僕たちにとってはどの呼び名もしっくり来て、違和感があるだろう」
「では世助、とお呼びしても?」
「キミが良ければ。僕も移、と呼ばせてもらうよ」
2人は困ったように笑った。
「移が察している通り、ここは現実とは少し違う。〝個性〟に宿る意識の世界だ」
移はゆっくり天井を見上げて、静かに息を吐いた。
「どうにも。創作じみた話ですね」
「同意見だよ」
「世助は…、ずっと此処に?」
「そうだね。かれこれ106年になる。ずっと此処と、それから僕の職場だったあの病院の廊下を模した場所に居続けている」
「気の遠くなる時間ですね」
「まあ、そうでもないさ。これほど子孫の成長を眺めるのは、他の人は経験出来ないから貴重だ。存外楽しかったよ」
嘘があると察した。
バレていても格好を付けたがる。自分とそっくりなところに気付き、移はくすりと笑った。
「私はどうなっているのでしょう」
本題に入る。此処に来る前、覚えていることは絶望的な状況だった。
だが、どうにも危機感を抱けずにいる。揺籠の中にいるような微睡む空気が流れていた。
「僕もはっきりとは分からない。キミがずっと眠らされていたからスクリーンには何も映らなかった。ただ、時折外から音声が届けられてね。端的に言うと、キミは救助されて今は病院にいる」
「それは、良かった。…
「恐らく、今は春としか」
8ヶ月前後。短くともそれほどの期間が経っていた。
「それは…、衰えが酷そうですね」
「リハビリに忙しくなるだろうね」
「髪や肌も荒れちゃってそうです…」
「気を遣ってたからね、キミは」
大きなため息が出た。髪の毛を指で梳く。するんとした指感触だった。この場所では現実の変化は反映されないのだろう。
「僕を恨んでいるかい?」
少し緊張した声で世助が言った。
「それはないですよ。あるのは感謝の気持ちです。〝個性〟が発現した時もさっき──ああ、数ヶ月以上経っているんですっけ。とにかく
「移は、強いね。──ありがとう」
彼の言葉には多くの感情が込められていた。断罪も覚悟していたのだろう。しかし、移には彼を責める気持ちはなかった。
確かに過去は
だが世助が移の前世などではなく、自分とは違う存在と認識し事情を知った今、彼に罪はなかったと考えている。それは偽りない本音だ。
「ここにはまた来られるのですか?」
スクリーンが僅かに光る。現実の彼女が目を覚まそうとしているのだろう。この時間に終わりが近いことを察した移が不意に尋ねた。
「どうだろう。奴の〝個性〟の影響で僕たちの繋がりは強まった。意識をすれば出来るかもしれない」
「それなら、また来てもいいですか?」
「どうかな。僕という存在はキミにとって寄生生物のような物。繰り返すことで移に余計な影響を与えることは避けたい」
「では、影響のない範囲で会いに来ます」
「…どうしてだい?」
世助には理由が思い付かない。今回は繋がりが強まったばかりで偶発的に出来た会合だったが、意図的に会おうとする移の考えが読めなかった。
疑問を抱く世助に、移は朗らかに微笑んで言う。
「貴方の助けになりたいんです」
ああ、そうだった。
「…そうかい」
彼女は、ヒーローなんだった。
醜悪な自分のような存在でさえ手を差し伸べてしまうような。
答えに至った世助は驚きと歓喜、それから小さな少女の大きな信念に尊敬を抱きながら、もう一度「そうかい」と呟いた。
「それに、此処の雰囲気。なんだか気に入っちゃいました」
「はは。それなら仕方がないね」
涙が滲んだ顔を隠すように世助は天井を仰いだ。
「そろそろですかね」
移は座席からぴょんと飛び退き立ち上がる。
夢から覚める時のような感覚が包み込み、この会合の終わりを察知する。目覚める時が来たようだ。
「行ってらっしゃい移。どうか気を付けて」
対して移は、自身の不安を押し隠して彼の気持ちを和らげるよう、努めて無邪気に返答した。
「はい。行ってきます」
全寮制になった雄英の1年A組の寮内で、スマホを掲げた上鳴が一階談話室へ慌てた様子で入ってきた。
「おいこれ見たか!? 空戸がッ!!」
「うん! さっき目を覚ましたって葉隠から!」
談話室のソファに居た耳郎が喜色を浮かべた顔で応える。グループチャットで送られてきたメッセージにA組の一同は湧いていた。
「良かった…っ! 本当に、…っ!」
「うん! そうだねっ!」
落涙する芦戸の肩を支える麗日の目にも涙が滲んでいた。談話室には安堵の空気が流れていた。
7ヶ月前。移が誘拐されてから雄英の、特に1年A組の間には常に重苦しい雰囲気が漂っていた。
オールマイトの活躍により事件の裏にいたスーパー
彼らはこの7ヶ月、苦しみ抜いた。その後悔と苦痛を糧に訓練を積んできたが、ようやく一つの終わりを迎えることとなる。世界は一変してしまったが、その中で僅かな光を見つけることが出来たのだ。
「早速みんなで会いに行ってやろうぜ!」
切島がいても経ってもいられないといった様子で扉に手をかける。
「ちょ、ちょっと待って! 男子は禁止!!」
そんな彼を涙を拭った芦戸が待ったをかける。
「そうですわ。目が覚めたばかりで準備が必要でしょうし」
「ウチらが会いに行ってくるから、男子は明日以降ね」
「なんだよ! 女子ばっかズリーぞ! オイラたちだって!」
「はいはい峰田ストーップ」
ぴょんぴょん跳ねて抗議する峰田を瀬呂が静止した。
「心配な気持ちはみんな一緒だけどよ、空戸がどんな状態かわかんねぇ今、ゾロゾロ押しかけるわけにもいかねーっしょ」
「そ、そうだけどよぉ…」
「てな訳で俺らはいつも通り復旧作業に勤しもうぜ」
「くっそ〜…、おい女子共! オイラたちも会いたがってたこと、しっかり空戸に伝えとけよな!」
瀬呂に説得された峰田が捨て台詞のように言い残し、談話室を後にした。切島や他の男子たちもそれに倣い部屋を出ていく。彼ら仮免許ヒーローたちも暇ではなく、周辺住民の救助や瓦礫の撤去作業などに駆り出されていた。市民からのバッシングに耐えられなかった現役ヒーローたちが引退してできた穴を埋めるために、今は猫の手も借りたい状況なのだ。
「行きましょう、お茶子ちゃん」
「…うん」
談話室を出て行った男子たちをぼーっと見送った麗日は、蛙井に促されて動き出す。彼女は男子たちの輪の中にいない人物のことを考えていた。
(デクくんにもこの報せ、届いてるんかな…)
クラスメイトに置き手紙を書いて街へ繰り出した緑谷は、数日経った今も雄英には戻ってきていない。
せっかく移が目覚めたというのにA組が全員揃わない状況に麗日は心が晴れなかった。
「検査の結果、栄養失調が見られます。しかし、これから食事を摂るようになっていきますし、これは次第に改善していくでしょう」
キノコ頭(文字通り)の医者がカルテを見ながら診察結果を説明する。移は手の強張りを確認するように離握手を繰り返しながらそれを聞いていた。
「それと筋力の低下が著しいです。こちらは長いリハビリが必要になります。暫くは車椅子生活になりますね」
移は細くなった自身の腕を上げる。仰向けに寝ている自分の視界に入るよう持ち上げたが、すぐに小刻みに震え出し、重力に負けてボスンとベッドに落ちた。
「最後に〝個性〟ですが、これは問題ありません。因子の障害も見受けられず、以前と変わりなく使える筈です。ただ、先ほど伝えた通り筋力および体力が低下している関係で肉体への負担が大きくなります。〝個性〟の使用は控えてください」
「わかり、んんっ…わかりました」
喉の引っ掛かりを覚えつつ掠れる声で返事する。随分としゃがれた声だった。
「体についての説明は以上です。何かご不明な点はありますか?」
「…春、なんですよね」
窓の外の桜の木を見ながら言った。
「あれからどうなったか、教えてもらえますか?」
体については想定よりも良かった。五体満足なだけマシだ。
そして次に移が知りたいのはそこだった。
「……もう少し状態が落ち着いてからお伝えしたかったのですが…」
「知らないことも、ストレスになりますので」
「…分かりました。順を追って説明します」
それから医者は、丁寧に世間と雄英の出来事を話し始めた。
オールマイトと
移はその話を両手を握り締めながら聞いていた。手が震えるほど握っているのに、掌には爪の跡すら刻まれなかった。
「──警察も数の減ったヒーローも対応が追い付かず、街には脱獄した
この
医者が話すのを躊躇するのも無理がないと理解を示しながら、移は話の中で浮き上がった気掛かりを口にする。最悪な予感を抱きながら。
「先生。どうしてここに、私の祖父母は来ていないのでしょう。孫の病状説明に、どうして保護者が同席していないのですか」
起きてから続く違和感。移は目を覚ましてからまだ、面会に来ていた葉隠と病院関係者の姿しか見ていない。
全面戦争というくらいの戦いだ。移を救出する際に傷付いたのではないかと不安がよぎった。
「………いいですか。どうか落ち着いて聞いてください。空戸さんの祖父、立辺理誠さんは全面戦争の後から連絡が途絶えています。職場は
「ッ──!」
「そして祖母の立辺和さんは…、全面戦争で死柄木と接敵し…、彼の〝個性〟で──」
「──ジュンショクしました」
ジュンショク。じゅんしょく。
移はどうも、その言葉の意味をすぐに理解できなかった。いや、したくなかった。
しかし、じわじわと身体中に染み渡るように理解が追い付いてくる。ただでさえ渇いていた口腔内がカラカラになった。
(お爺ちゃんが、行方不明で…、お婆ちゃんが……死んだ…?)
やがて完全に理解が及び、視界が滲みだす。呼吸が荒くなり、少しずつ嗚咽が漏れ出した。
「…っう、うぅ……うぁ……ッ、ぁぁ…ッ!」
カサついた肌に涙が伝った。
「そん、な……うそ、うそですよ…そんな、ぁ…ッ! だ、だって…つい…この間……げん、きに……」
流れ続ける涙を拭う力もなかった。
「…ぃや……、いやです、そんなぁ…ッ! いやだいやだ、…いやぁ…あぁぁ…っああ…ッ!」
喉が焼け付くように痛い。涙も嗚咽も止められない。ただ非情な現実から逃げ続ける。嘘であってくれ。否定してくれ。しかし待てども、医者の口からそれ以上語られることはなかった。
移の胸中と相反して窓の外は、気持ちの良いほど澄んだ青が広がっていた。
医者「どうか落ち着いて。あなたはずっと
医者「ええ、ええ、わかっています。どれくらいの長さか?」
医者「あなたが眠っていたのは……」
医者「7ヶ月です。あとお婆さん死んでます」
移「現実がこれほどとは!! 読めなかった。このリハクの目をもってしても!!」