もう1つの交響曲   作:恋音

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十曲目、デヴォート。

 

「つ、疲れた……」

 

 白い湯気が立ち上る岩場に辿り着いた瞬間、ニケはその場にへたり込んだ。

 濡れた衣服が重たく肌に張り付き、髪の先から滴る雫が、ぽたぽたと黒い岩肌に小さな点を作っていく。肩がわずかに上下しているのは、呼吸が乱れている証拠だった。

 

「ニケも疲れることってあるんだ」

「そりゃ、ピッチピチのか弱い乙女が、この距離、泳いだら……」

 

 ソダ間欠泉。

 再生の書に記された、水の封印こ場所。

 

 そこへ辿り着くため、一行は常識では考えられない方法を選んだ。というか観光地であるためその方法が主流だったのだが。

 

 その方法は──タライに乗って海を渡るという事だったのだ。

 

 最初に聞いた時は誰もが冗談だと思った。だが実際に他に手段はなく、結局それぞれタライに乗り込み、波間へと押し出されたのだ。

 

 怖がるリフィルと、ジーニアスが共に乗る。

 ロイドとコレットはタライの底から海水が入ってきたものの無事に渡りきることができた。

 

 しかし運の悪いことにクラトスとニケが乗っていたタライがバランスを崩し横転。普通であればクラトスがバランスを崩すなどありえないことに等しいのだが……。

 

「ぜぇ…………はぁ……」

 

 揃って濡れネズミとなった雇われ傭兵の2人は泳いで島間で渡ることになった。さらに最悪な情報を増やすのであれば、海に発生する魔物はもちろん襲ってきた。

 

「ニケ、クラトス、大丈夫か?」

 

 先に島へ渡りきっていたロイドが、岩場に腰を落としたまま動かない二人へ駆け寄る。

 潮風に濡れた髪が頬に張り付き、まだ海水がぽたぽたと滴っていた。自分たちも無事とは言い難い状態だったが、それでもあの距離を泳ぎ切った二人の消耗は一目で分かるほどだった。

 

「歩けない……おぶってロイドさん……」

 

 ぐったりとした様子でニケが腕を伸ばす。

 その動きは弱々しいはずなのに、差し出された手の角度といい、上目遣いといい、どこか妙に計算された気配がある。

 

「えぇ……。まぁ俺しか居ないか」

 

 ロイドは一瞬だけ戸惑いながらも、仲間を放っておくわけにもいかず、観念したように膝を折った。

 

 

「待て。おぶるのであれば私がおぶろう」

 

 ニケのすぐ隣で同じように倒れていたはずのクラトスが、何事もなかったかのように上体を起こしていた。濡れた前髪の隙間から覗く視線は真っ直ぐロイドに向けられており、その声音には有無を言わせぬ強さがある。

 

「なっ、なんだよ。俺じゃ力不足だって言うのか?」

「あぁ……」

「せっかくロイドさんと合法的にくっ付ける機会を邪魔する気!!??」

 

 さっきまで死にかけていたはずのニケが、がばっと顔を上げて抗議する。弱々しさはどこへやら、声にはしっかりと力が戻っていた。

 

「──譲るよ、ありがとうクラトス」

 

 別名隔離。ニケはロイドにセクハラ(柔らかい表現)をしようとしていたのを、クラトスセコムがブロックしたのだった。

 

 

 

 間欠泉の周りに人はいるが、皆口々にタライの感想を述べている。シルヴァラント唯一の温泉地という触れ込みにも関わらず、この場所の本当の名物はどうやら危険な渡り方の方らしい。

 

 ボブちゃんと名付けた犬と戯れていたコレットは、ふと観光用の案内板の裏に石版が目に入った。

 

「あったよ、石版」

「水の封印だね、早速行こうよ」

 

 ジーニアスがその方向へ向けて走り出す。

 コレットはそれに続き石版に手を当てた。

 崖の一部が崩れ、巨大な岩が斜面を転がり落ちる。鈍い衝撃音とともに間欠泉の水溜まりへ落下し、白い水飛沫が高く噴き上がった。湯気と混ざり合い、視界が一瞬だけ真っ白に霞む。

 

「……ねぇ、あそこの間欠泉の中にスピリチュア像が見える気がするのだけど、気のせいかしら……?」

 

 水飛沫を見たためリフィルが何かに気付くが、今は水の封印の方が先である。

 

 崩れた岩の向こう側に、淡い光の道が浮かび上がったのだ。洞穴へと続くその道は、まるで導くように静かに輝いている。

 

 

 

 

 第二の封印。水の封印の遺跡の中。

 

 天井からは絶えず水滴が落ち、岩肌を伝って細い流れを作っている。足元は滑りやすく、気を抜けば簡単に足を取られそうだった。そんな中でも、ロイドたちはオクトスライミーやフロートドラゴンといった魔物を退けながら、慎重に奥へと進んでいる。

 

 

 戦闘の合間、ふとロイドは前から気になっていたことを口にした。

 

「──ところでさ、クラトスとニケってなんか喧嘩でもしてるのか?」

 

 その問いに、クラトスはわずかに眉を寄せる。対してニケは、きょとんとした顔で瞬きをした。

 

「私たち、喧嘩してた?」

「……発言を拒否する」

「なんでよ!!??」

 

 即答で拒否された。

 

 ニケは信じられないものを見るようにクラトスを見下ろす。今、ニケはクラトスにおぶられているので自然と見下ろす形になるのだ。

 

「生まれてこの方喧嘩はもちろんだけど言い争いだってした事ないのに……」

「ハッ」

「今鼻で笑った……?まぁ、なんて無礼な方!」

「いや何、お嬢様言葉はまるで似合わないと思ってな」

 

 そのやり取りの様子に今度はロイドが怪訝な顔をして、はぁ、と深くため息を吐いた。

 

「俺クラトスって冷たくて人間離れしたようなやつだと思っていたけど。ニケ相手だと子供っぽいよな」

「な……!」

「普通に拗ねるし、笑うし、大人っぽくないつーかなんつーか」

 

 その表情は、まるで信じられないことを告げられたかのようだった。

 

 ロイドは思わず吹き出しそうになるのを堪える。

 

 そういえばクラトスは二十八歳だと聞いたことがある。落ち着き払った態度と、揺るがない実力のせいで、もっと年上のように感じていた。

 だが実際は二十代。ロイドと比べて一回りも離れていないのだ。

 

 それにもしかしたらハーフエルフのニケより年下の可能性がある。改めてそんなことに気付いてうんうん頷いた。

 

「な、な……」

 

 勝手に納得しているロイドの傍らで、クラトスは未だに口を開けて固まっている。壊れた機械のように同じ言葉を吐き出すことしか出来ない。

 

 その様子は、いつもの冷静な傭兵の姿からは想像もできないほど珍しいものだった。

 

 

 ロイドに子供っぽいと言われることがどれほど屈辱的なことか。

 

「クラトスはミスなんかしないと思ってたけど」

「……。私にも、ミスはある。大きなミスを犯している」

「……?」

「──今とかな」

 

 そう言いながらクラトスは背負っていたニケを普通に落とした。

 

「何し……きゃんっ、何するのっ!」

「ニケ、貴様なら平気だろう。お前を背負った私が間違いだった」

 

 何事もなかったかのように言い放ち、クラトスはそのまま歩き出す。

 

 ニケは床に転がったまま、ぷるぷると震えた。

 

「後で覚えとけよクラトス・アウリオン……」

 

 聞き取れるか聞き取れないかくらいで零された恨み言を背中に受けながらクラトスは水気を含んだ洞窟を進んでいく。ちゃんと聞こえてしまう性能のいい耳を割と恨んだ。

 

 この判断ももしかしたらミスを犯したのかもしれないが。

 

「ほら」

 

 ロイドの『やっぱり子供っぽい』という指摘が飛んできそうな気がして、傍観していた残りの三人はそのやり取りに笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 ==========

 

 

「──次の封印はここよりはるか北。終焉を望む場所。かの地の祭壇で祈りを捧げよ」

 

 

 レミエルの神託が終わり、僅かな違和感を抱いえいあ。それが何なのかは分からない。だが確かに、胸の奥のどこかに、小さな棘のように引っかかっていた。

 

 誰もそれを口にすることはなく、一行はソダ間欠泉を後にしようとした。

 

 

 夜。

 

 

 神殿を出た直後、コレットは天使疾患の発作で倒れた。

 だが、しばらく休むと呼吸は落ち着き、顔色も元に戻った。少なくとも、外から見れば回復したように見える程度には。

 

 良く、なったはずだ。

 

 コレットは星を見上げていた。あまりにも星空が綺麗で、純粋で。なんだかロイドみたいで思わずその瞼を閉じかけた。目を逸らしてしまいたいと思ってしまった。

 焚き火の音がバチバチと耳元でうるさく鳴り響く中、コレットの耳には澄んだ音が入り込んだ。

 

「コレット、起きてたのか?」

「えへへ、なんか眠れなくて」

 

 ロイドだ。

 

 ちゃんと寝なくちゃダメだぜ、と優しげな声色で諭すように言うロイドに、コレットは胸の奥の一番柔らかいところがぎゅっと締め付けられるようだった。

 苦しいのか嬉しいのか分からないけれど、痛みに似ている。まだ痛い。

 

「ほら、クラトスさんだって起きてるし」

「あいつは寝ずの番をしてくれているからいいんだよ、お前は寝るんだ」

「…………うん」

「よし、じゃあおやすみ」

 

 コレットからの返事が返ってきた事に安心してロイドは背を向けた。寝ぼけて起きてきたようなものだ、眠気が限界なのだろう。

 神殿での戦闘もあったため疲労はピークのはずだ。

 

 

「うん……お休みなさい……」

 

 

 振り返らず、焚き火の向こうへ戻っていく。

 

 その姿が暗闇に溶けて見えなくなってから、コレットはそっと目を伏せた。

 

 

 

 

「私の分も、素敵な夢を見てね、ロイド……」

 

 

 

 それは祈りのような声だった。

 風に溶けて消えてしまいそうなほど小さな、けれど確かに込められた願い。

 

 

 少女の悲痛な願いを──は確かに聞いていた。

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