転生最高司祭ちゃんが行く原作再現   作:赤サク冷奴

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アクセルワールド26発売記念っ……!(もう過ぎた)


裏話 クィネラ&『      』

 

 

 ……む。意外とやるな。

 

 五本分の神器を使っていないし、カーディナルの庇護を受けているとはいえ、《ソードゴーレム》の攻撃を防御し切れているキリトとユージオにやや感銘を受けていた。

 

「オォォッ!!」

 

 キリトが《ソードゴーレム》の一撃を受け止めると、勢いのままに押し返し、ソードスキルを発動する。片手直剣最上位の十連撃、《ノヴァ・アセンション》。

 

 神速の上段斬り、からの右への横薙ぎ、折り返して左、袈裟斬り、上に垂直に斬りこみ、三連の突きで《ソードゴーレム》を突き飛ばすと、下段の一閃で体勢を崩し、止めに、跳ね上がりながら斬り上げて、《ソードゴーレム》を転倒させる。

 

 そこへアリスが飛び出す。上段に振りかぶった剣がライトブルーに輝き、ゴーレムの関節部分に垂直に振り下ろされ、念押しとばかりに上に斬り上げた。片手直剣二連撃、《バーチカル・アーク》。関節部の球体を破壊し、脚が一つ吹き飛ばされて、床に深く突き刺さる。

 

 アリスも、元老長クリスチャンの存在のせいか、原作の比ではない強さを身に付けているようだ。こんな二連撃技を俺は教えた記憶がないから、それは明らかだった。

 

 ともあれ、《ソードゴーレム》の四本の脚のうち一本が破壊されてしまった。だが、脚一本やられた程度ではこいつは止まらない。

 

 紫の眼光が激しく光を放つと、横から迫るユージオへ黄金の刃を振りかざした。

 

「うぉぉぉぉ!!」

 

 だが、寸前になってカーディナルがシステム的障壁を構築し、凶刃を免れたユージオが《ソードゴーレム》の心臓部に迫る。

 

 赤黒い色に染まった《青薔薇の剣》……まさに、《ヴォーパルストライク》の構えだった。空中で発動されたそれは、容易く《ソードゴーレム》の剣の間へ食いこんで、モジュールを破壊してしまうだろう。

 

 ……だから、そんな事にはさせない。

 

「システム・コール!!」

 

 心意によって、宙に点った光素が紫の雷に変わり、ヴォーパルストライク発動状態のユージオを穿つ。バチンッ! というけたたましい音が鳴って、ユージオを床に叩きつける。

 

「──ユージオ!」

 

 キリトがユージオのもとに駆けつけようとするが、そこは《ソードゴーレム》の脚元。つまり、無闇に突っ込むのは愚の骨頂だ。

 

 《ソードゴーレム》が腕をガクンと曲げると、キリトに向かって薙ぎ払った。そこに、割って入るようにアリスが現れ、一撃を受け止め、その場に踏ん張った。

 

 続いて左の腕がキリトを襲うが、カーディナルの光素、ライトニングシェイプの雷が《ソードゴーレム》の動きを止める。

 

 連携されると、こうも厄介だとは……

 

 ユージオを奪回され、カーディナルの治癒術を受ける合間にも、キリトとアリスは攻撃を凌ぎ続けている。そして、隙を抜い、二本目の脚が破壊された。三本脚で辛うじて立っていた《ソードゴーレム》が、前のめりに転倒する。

 

 まあ、俺がいる以上は簡単に壊させやしないが。

 

 両手にそれぞれ鋼素と風素を浮かべると、五つの鋼の矢をストリームシェイプの風素に乗せて、《ソードゴーレム》へ肉薄するアリスに放った。

 

 その全てを叩き落としたアリスの前に風素で加速して降り立つと、驚愕に染まったアリスの横腹に、水色の光が点った右脚を回し蹴りの要領で叩きつけて、地面に転がした。

 

 ついでに、キリトに向かって左手に作った熱素をボールシェイプでディスチャージ。更に、発射した熱素をバーストエレメントで爆発させた。

 

「くっ……!」

 

 突如発生した爆炎に呑み込まれかかったキリトが、軽やかな身のこなしで後ろに飛び退き、《ソードゴーレム》から距離を取らざるを得なくなった。

 

 よしよし、これで全員距離を取ったな。

 

 内心でほくそ笑むと、《ソードゴーレム》に向かって、一つ命令を下す。

 

「──!? まずい!」

 

 カーディナルが叫ぶが、次の瞬間、床で横たわっていた脚の神器がゆっくりと浮かび上がり、壊された脚へがちゃりと連結した。もう一つの脚も、同じように関節部に吸い込まれ、嵌った。

 

 これが、《ソードゴーレム》に搭載された自動修復機能。修復の間は致命的な隙が出来るので、この時を待っていた。

 

「なっ……脚が戻った!?」

 

 それだけでは無い。全員で与えた攻撃による傷さえも、みるみるうちに回復し、天命は完全に元の上限値に戻っている。

 

「隙を与えたら再生か……ジリ貧は必至だな」

「ええ。それに、私達四人がかりでも、《ソードゴーレム》の核を破壊するには至りませんでした。最高司祭様もいらっしゃるとなれば、私達ではとても……」

 

 集まった三人は絶望的な状況を悟り、苦い表情で歯を食いしばっている。

 

 だが、そんな危機的な状況に立たされていようと、カーディナルの目は強い意志の光に満ちていた。《ソードゴーレム》を殺せない事を知っているのにも関わらず、その焦茶色の瞳で力強く見上げてくる。

 

「……ふふふ。残念ね、おちびちゃん。おまえの持つ三人の駒では、この私と《ソードゴーレム》には勝てないのよ。それに、おまえに殺人の制約に縛られる《ソードゴーレム》は殺せない……そうでしょう?」

「ああ……そうじゃ。その通りだとも。それどころか、今のわしには貴様を殺す術は無い。いまのわしは、貴様のその愚かな行いを止める為だけに存在しておるからじゃ。ゆえに──誇りとともに受け入れよう、敗北を」

 

 ぽつり、と発せられた最後の一言は、俺の口を醜く歪めさせた。高揚感、恍惚感を一入に感じて、顔にまで出てしまっていることだろう。

 

「じゃが、一つ条件がある。わしの命はくれてやる……代わりに、この若者たちの命は奪わんでやってくれ」

「くふふふ……その子たちを、ここから逃がしてやればいいのよね?」

「それで構わん。彼らなら、きっと……」

 

 順調だ……何もかも。

 

 ifのルートに入り込んだ時はどうなるかと思ったが……焦ってでも元の話に戻せてよかった。

 

「いいわ。それじゃあ、私のフラクトライトに誓って……おちびさんを殺した後、後ろの三人は無傷で逃がしてあげる。それでいいわね?」

「よかろう」

 

 首肯したカーディナルが、後ろで立ち尽くすユージオとアリスに穏やかな目で何かを伝えると、最後に、俯いたままのキリトを見遣った。

 

 そして……

 

「……だめだ」

 

 呟かれた一言は、明瞭に、俺の耳まで届いた。

 

 カーディナルまでもが驚き、自分を制したキリトに疑問の目で訴えかけている。

 

 同時にその言葉は、耳を伝って、俺の脳を刺激した。微かな、何かの記憶が思い出されるような突っかかりを覚えたが、鮮明には思い出せない。

 

 ただ、今はっきり言えるのは……これが、全く予想し得なかった発言である事だけ。

 

「これじゃあ、何も変わらない……九年前の時だってそうだ。何も守れなくて、大事な人が目の前で奪われて……自分がただ無力に感じた。今の俺が、それをじっと見過ごすことなんて、できる訳が無い!」

「キリト……君は……」

 

 ユージオが目を大きくして、剣を握り締めて激昂するキリトに、零れる感情を抑えるように声を振り絞った。

 

「じゃが……わしに《ソードゴーレム》は……」

「俺たちがやる。俺たちが……《ソードゴーレム》を殺す罪を背負う。だから、生きてくれカーディナル。そして……力を貸してくれ!」

「……私も同意見です。騎士として、司祭様を犠牲に生きながらえるなど、到底できません」

 

 なんだ、これは。

 

 目の前で繰り広げられる光景に、更なるイレギュラーが発生したのだと知覚するのに、時間なんているはずも無かった。

 

 俺はこれが何かを知ってる。だが分からなかった。

 

 何が起きている。どうしてこうなったんだ……そんな思考が頭をぐるぐると巡る。それでも分からなかった。

 

 分からない分からない分からない……!! 上手くいっていたのに、何でこんな所で崩れるんだ! 俺がいつ、余計なテコ入れをしたっていうんだ! クソっ……何が、何がいけなかった……!?

 

 俺の内心の荒ぶりを、キリトは悟ったのか……どこか、遠くへ目を向けて、思い出させるように明かした。

 

「……俺に、過去を乗り越える機会があったからこそ、こうして、運命に抗おうとしている。それを教えてくれたのは、あんたなのにな……クィネラさん」

 

 …………いや、あったんだ。

 

 キリトの言葉で、全てを察せられた。

 

 俺が、独断で、塞ぎ込むキリトに声を掛けた時……何もするなと言われて、消沈するキリトに俺はなんて言った?

 

「思い当たる節はあるだろう。だってそれは、ほんの一ヶ月前の事なんだからな」

 

 それが、今のキリトに影響していた。過去は過去なのだから、今に向かって進めと、随分身勝手なことを言って、運命に抗えと、そう言った。

 

「あの時……あんたも心のどこかで苦悩していたんだろ、この計画のことを。最後に言い残した言葉……《運命に抗ってみせろ》ってのは、そんなあんたが、自分自身を止めてもらいたくて言ったんじゃないのか」

 

 ──違う。

 

 そんなのは、俺の望みじゃないはずなのに……心の裡を深く抉られて、ずっとじんじんと傷んでいた。

 

 俺が生きようと思っていた? それなら確実に否だと言える。

 

 俺は狂ってる。物語の役割に殉じ、自分の死にしか生きる価値を見い出せなかったくらいにだ。

 

 だから、この痛む心には気にもとめずに、声を張り上げる。

 

「……そんな事はない! 私はただ、果たすべき使命の為に……」

「じゃあ、なぜ自分の感情を消さなかった!? どうして、部下の整合騎士達と仲良くあろうとした!? 最高司祭を演じたいのなら、それらは不要だった……そうじゃないのか!」

 

 図星ではあった。ただ、それは俺が演じ切れなかっただけで、俺が死ぬのには関係無かったから、そうしただけに過ぎない。

 

 だから、そこは問題ではない……問題では。

 

「それだけじゃない。あんたは、元老長クリスチャンの事が好きなんだろ」

「ちょっ……!? ち、ちがっ────むぎゅ!?」

 

 ──待って、それ今関係ある!?

 

 有り得ないところからダメージを受けて、脳がフリーズした。そうすれば、身体を浮かばせている心意が解けるのは必定で、地面に顔から落下してしまった。

 

 や、その……確かに好きではあるけど……というか、自覚したのは凄い最近だけど……

 

 さっき遺言書いたばっかだから、今それ言われるのはキツいんだが……!

 

 ラスボスムーブで一時的に抑えられていたそれらが、心の抉られた部分を突いて、〝俺〟を押し退けて溢れ出してくる。

 

 遺言でケリをつけたはずの想いだった。この想いは、絶対に邪魔になるだろうからと。

 

 だからクリスチャンも任務へと就かせた。自分が死ぬのに、一番の不確定要素だったから。だって、そうじゃないと……

 

「長い間、いつどんなときでも自分に寄り添ってくれた彼のことを深く愛していた。だから感情を消そうとはしない。感情が消えれば、クリスチャンのことを好きだとは思えないからだ。それにクリスチャンも、クィネラさんから感情が消えることを良しとは思わないだろう……つまり、あんたはもう、生きる価値を別に見出していた。俺には、そういう風に思えるけどな」

「え…………?」

「あんたは今、クリスチャンと一緒に生きたいと思ったはずだ」

 

 息を呑む。俺の本能が激しく警鐘を鳴らして、これ以上はいけないと訴えてくる。これ以上、キリトの話を聞けば、どうなるか分からないと。

 

 それはキリトに限ったことでは無い。ユージオだって、カーディナルだって。

 

 心のどこかで、〝私〟じゃない、〝俺〟が諦めきれていない部分(クリスチャン)だろうと、容赦なく土足で踏みしだいて、入り込んでくる。

 

「……最高司祭様。あなたは、いつまで閉じこもっておられるのですか……。どうして、クリスチャンへの並ならぬ想いを知られてもなお、頑なに出ることを拒まれるのですか……!」

 

 ……それは、アリスだって。

 

「目を覚まして下さい! 今のあなたは、私の知るアドミニストレータ様ではない! なぜ心を曝け出してはくれないのですか! どうして、その〝仮面〟を外して下さらないのですか!!」

 

 他人の事情に、お構い無しに踏み込んでくる。

 

 いまも〝俺〟の奥から、何かが訴え掛けてくるのだ。

 

 そんなものは、解りたくないというのに。

 

 心の裡で、いまも〝俺〟が軋みを上げて、胸が張り裂けそうだというのに。

 

「私は、最高司祭様の『友人』というのはそんなにも愚かしく、不甲斐ない存在だったのですか……っ」

「……もう、口を開かないで」

 

 これ以上、お前達に好き勝手はさせない。

 

 自分が壊れてしまう前に、与えられた役割を果たす。

 

「《ソードゴーレム》……殲滅しなさい。眼前に映る、その敵どもを」

 

 命令を与えられ、濃密な狂気を孕んだ人形が駆動する。

 

 

 今度はもう、容赦しない。

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……強い。強過ぎる。

 

 ……僕では、僕一人では、到底勝てるはずもなかったんだ。

 

 キリトとアリスが、《ソードゴーレム》の攻撃に敢然と斬り返していく中、剣を取って駆け抜けながら、ユージオは思う。

 

 未だ、頭上では、アドミニストレータの冷ややかな瞳がこちらを見下ろしている。あの下に辿り着く事は、困難どころか無謀でさえあった。

 

 それは、これまでの戦いぶりからみても明らかだった。まるで歯が立たない。

 

 ユージオには、それを歯噛みすることさえ許されない。許されてはならなかった。ここで悔しがっても、アドミニストレータに勝てなくては意味が無い。キリトとアリスと、そしてカーディナルが命を懸ける意味もなくなってしまう。

 

 ソードゴーレムが体を半回転させて、黄金の刃を振り抜いた。真横から迫るユージオの《青薔薇の剣》と強かな音を立てて衝突し合うが、僅かに押し負けて、地面を滑るように両足が後退する。

 

 ソードゴーレムの半径五メル圏内には、近付くことも満足に出来なかった。

 

 ──考えろ、考えるんだ。

 

 納刀の姿勢で構えた、斜め上への《スラント》の一撃で、ソードゴーレムの剣を押し切り、アリスが、ゴーレムの続く二撃目を踏ん張ってみせると、キリトに、《ヴォーパルストライク》を撃たせる隙を作り出した。

 

 ユージオとアリスの間を駆け抜けて、腕を引くと、深紅の輝きがキリトの《夜空の剣》を満たすと、ジェットエンジンじみた轟音が発せられる。片手直剣ソードスキル、《ヴォーパルストライク》の、しかも心意によるソードスキルの増強が加わり、長大なリーチを持つに至った一撃を見舞った。

 

 しかし、それでも《ソードゴーレム》の三本の大剣からなる背骨の、僅か一センの間隙を縫って《敬神モジュール》を穿つには、正確性が今一つ欠けていた。

 

 ゴォンッ、という重い金属の音が虚しく響き、キリトの身体が大きくよろめいて、《ソードゴーレム》は何事も無かったように傷を修復する。

 

 今の時間が、単なる徒労に終わったとは言わせない。言わせない為にも……ユージオは方法を模索していた。

 

 ──遠距離から、あの《敬神モジュール》を貫くのは、アリスを連れ去ったあの整合騎士、デュソルバート・シンセシス・セブンの様な弓が無くては、きっと貫くことは敵わない。

 

 ──それなら、近距離から。でも、それを実現するには、最高司祭様が持つ様な飛翔能力と、《ソードゴーレム》の強大な一撃を回避ないし防御できる能力、その上で、あの隙間を穿つ正確性が必要だ。

 

 ならば、ならば、ならば…………

 

 何回も思考し、そして、天井の水晶の光を受けて、ユージオは辿り着く。

 

 キリトに剣を向けた自分の罪を償い、かつ最高司祭を止められる方法を。

 

 ──僕が、この剣になればいい。

 

 それは、奇しくもというべきか、必然か。

 

 キリトが恐れるもう一つの結末を、繰り返す。

 

「カーディナルさん。僕を──僕のこの体を、剣に変えてください。あの人形と、同じように……システム・コール、リムーブ・コア・プロテクション」

 

 カーディナルの目が一瞬見開かれ、閉ざすと、感慨を乗せた声で、悲しみを露わにした。

 

「……そう、か。お主はまた、同じ道を選ぶのじゃな……」

 

 アドミニストレータの記憶を持つカーディナルだからこそ、心を搔き暗すような、沈痛な想いに駆られてしまう。

 

 だからといって、ユージオの決死の思いを無駄にできるほど、カーディナルという〝人間〟は器用ではない。

 

 その上、ユージオが剣となるのは、現状の打破に最も効果的なのだと、自分でも解っていた。それはカーディナルに存在する《ソードアート・オンライン》という世界の記憶からしても、明らかな事実。

 

「ユージオ、お前……戻れなくなるかもしれないんだぞ!」

 

 二人の会話を耳にしていたキリトが、《ソードゴーレム》の猛攻を捌きながら、恐れていた事態に声を張り上げる。

 

 何がなんでも、という気迫さえ感じるキリトの心配をひしと感じて、困ったなぁと、苦笑を浮かべる。

 

「いいんだ、キリト。これが、僕に与えられた本当の役目……ここにいる意味なんだ。それに、これはキリトに剣を向けてしまった事への償いだから……僕が、みんなを助ける番なんだ」

 

 視線を、キリトからカーディナルへ転じる

 

 ユージオの決意を受けて、カーディナルは小さく頷いた。

 

「よかろう。お主の役目を、果たしてやろう……」

 

 己もまた、あの天に浮かぶ哀れな少女と同じ道を行くことになろうとはと、自分を嘲笑いながら。

 

「じゃが、ユージオ……お主が死ぬ様な真似は、このわしが許さん。絶対に生きて戻るのじゃ。……よいな」

「はい。生きて、必ず戻ります」

 

 そして、術式が唱えられ始める。それを悟ったアリスとキリトが、ユージオとカーディナルを守るように並び立つと、後ろを向いて、頼もしそうに不敵な笑みを浮かべる。

 

「……それでは、私達は司祭様の術式が完成するまでの時間を稼がなくてはなりませんね」

「……頼んだよ、アリス、キリト」

「この剣に誓って、貴方を守り徹します」

「……ああ。お前の邪魔はさせないさ。こっちは任せてくれ」

 

 決然と宣言するアリスと、自分の胸を二回叩いて、そう言ってくれるキリトに、ユージオは胸が熱くなりながら、感謝の言葉を……

 

『あら。ワタシも忘れて貰っては困るわね』

 

 聞き覚えのある女の人の声が響くと、キリトの髪からひょいと飛んだ小さな蜘蛛が、ポンと紫色の煙に包まれた。

 それが晴れると、小さな蜘蛛が居た場所には、黒衣を纏い、癖のある毛質の黒髪を短く切りそろえた妙齢の美女が立っていた。

 

「は……? え、あの……シャーロット、さん? なのか?」

「それ以外の誰だというの。ワタシはワタシよ。これは仮初の姿だけれど」

 

 アリスが目をぱちぱちとさせて、味方というのなら心強いと、シャーロットに一つ頷いた。キリトは、少し信じられないと、驚きで一杯になっているようだが、頭を振って、どうにか現状を飲み込んだ。

 

「シャーロットさん……お願いできますか」

「勿論よ。マスターに代わって、ワタシが守るわ」

「……本当にありがとうございます。それに二人も、ありがとう」

 

 胸どころか、目頭までも熱くなり始めたのをぐっと堪えつつ、ユージオが感謝すると、三人が無言で微笑み、ユージオに背を向ける。

 

 地面に降り立つ最高司祭を前に立ち向かう三人を見送ると、ユージオは天井画の青い鳥の……その眼に差し込まれた水晶を見つめた。

 

 それは、ユージオが追い求めたアリス・ツーベルクの記憶の欠片がある部分だった。

 

 ──また、アリスには助けられちゃうね。

 

 ──ふふっ、ユージオったら、昔と全然変わらないんだから。

 

 ユージオとアリスの水晶が一つのラインで結ばれ、水晶がユージオの下に降りていく。

 

 やがて、舞い降りてくる彼女の手を取ったユージオの身体は、十字架の様な紫の光柱に包まれて、腰に佩かれた《青薔薇の剣》が宙に浮かび上がった。

 

 それは、ユージオには不思議な感覚だった。身体が空気に希釈して、魂だけにされてしまう様な、一種の離人感。かと思えば、想像を絶する寒さが、実体を伴わない身体の感覚を覆い尽くしていた。

 

 凍えるような寒さと、《青薔薇の剣》の記憶の、その全てが流れ込んできて、《青薔薇の剣》と一体になったんだろうと感じると、希釈していた感覚が、一気に濃縮された。

 

「ユージオ、危ない!」

 

 その声は、ユージオにも聞こえていた。

 

 その時、ユージオに向かって、二十もの熱素で出来た一つの大きな炎弾が放たれていた。

 猛進する小さな太陽はアリスの防御を受けても止まらなかったが……ユージオとの間に、大きな蜘蛛となったシャーロットが割り込んで、命を賭して受け止めたのだ。

 

 脚が三本焦げて灰となったが、ネームドのユニットとして強い部類のシャーロットはそれに耐えた。煙を立てて蹲るシャーロットは、みるみるうちに小蜘蛛に戻っていった。

 

「全く、無茶しおって……わしのローブの裏で休んでおれ」

 

 シャーロットがぴょんと飛び乗って、ローブに入り込んだことを確認したカーディナルは杖を構えて、一拍。

 

「──リリース・リコレクション!」

 

 解けた身体が、《青薔薇の剣》と記憶の欠片を核にして精錬され、一振りの大剣を創り出した。

 

 ユージオ自身と、《青薔薇の剣》と、アリスの記憶。その全てを内包した、翼を生やす純白の大剣。

 

 声を発せられなくとも、四肢は無くとも……これが自分の身体だと言うように、大剣はユージオの意志に応じて、飛翔した。

 

 ──アリス、キリト!

 

 大剣となっても、失われることの無かったユージオの視界に、騎士鎧が壊され、煤けた修道服のまま倒れているアリスの姿と、カーディナルを抱えながら自分を見上げる、傷だらけで満身創痍のキリトが映った。

 

 そして、遠目からこちらを睨む、最高司祭アドミニストレータも。

 

 同じ高度までユージオが下がり、アドミニストレータへ己の切っ先を向ける。

 

 アドミニストレータが、この大剣を見たその一瞬だけ、自分も知る、あの穏やかな笑みを垣間見た気がしたが……アドミニストレータの告げる言葉に、一切の容赦は無かった。

 

「……あの剣を叩きのめしなさい、《ソードゴーレム》」

 

 剣の人形は、紫の眼光を再び灯らせて、主の命令を遂行する。 

 

 それに対峙するユージオは、光の翼を広げると、一直線に《ソードゴーレム》へ飛んでいって、地面を滑るように加速すると、大きく上に垂直切りを繰り出して、《ソードゴーレム》の十字にクロスさせた腕に立ち向かう。

 

 しかし、直ぐに弾き返され、ユージオは宙に少し漂うと、またも加速。上から、横から、数合いの剣戟をすると、もう一度仕切り直すべく、距離を置いた。

 

 ──あの《ソードゴーレム》には、どんな攻撃をしても反応されてしまう。多彩な攻撃よりも、重く、そして速く、単純な一撃を

 

 光の翼を羽ばたかせ、キラキラと光の粒子が尾を引く。

 

 ──速く……もっと速く!

 

 ユージオの心意が、純白の大剣を神速の域に引き上げる。

 

 強烈な空気の振動を放って、目視できない光のスピードで《ソードゴーレム》に突っ込んだ。再度、空気がけたたましい音を立てて、光が炸裂する。

 

 その素早さは、ソードゴーレムの認識能力さえ凌駕していた。剣が振られ、肋骨の剣がユージオを受け止めようと動いたが、その時には、何かが砕け散る音が響いていた。

 

 直後、《ソードゴーレム》を成していた神器が《敬神モジュール》による制御を失って、黄金のパーツとなったまま辺りに拡散した。

 

「ユージオ……」

 

 Uターンしてキリトの下へ戻ると、暇を置かずに、その切っ先の方向を改め、アドミニストレータへと向けた。

 

 ──勝てる、とは思わない。でも、一矢報いてみせる。だから見ていてくれよ、キリト。

 

 水晶が煌めき、あの光の翼を纏った。

 

「……やめろ、ユージオ」

 

 キリトの掠れた声が響こうと、翼の羽ばたきは止まらない。

 

 ──いいんだ、キリト。これでいいんだ。

 

 柄から、力強く羽ばたく。純白の大剣が、直線上にアドミニストレータを捉えて、勢いよく飛び出して……

 

 

「やめろぉぉぉぉぉ────!!」

 

 

 膝立ちから跳ね上がるように、地面を蹴り上げ疾駆したキリトが、今にも転びそうな前傾姿勢で、手を伸ばした。

 

 一瞬、ほんの一瞬、ユージオより速く動くことができたキリトだが、ユージオはもう加速を始め、キリトとユージオの距離は、十センも開いていた。

 

 徐々に迫るキリトの腕。あと五セン、三セン……それでも、ユージオは加速していた。

 

 間に合う筈がない。間に合う筈がなかった。

 

 

 だが、ユージオは知る由もない。キリトには、かつて親友を喪った世界の記憶があることを。

 

 親友を喪うその無力さが、どれだけ自分を苛んでいたかを。

 

 

 限界まで引き伸ばされた手が、遂には、飛び立とうとする白い大剣の柄を掴み取った。

 

 勢いづいた翼が霧散して、純白の大剣が光に変わる。

 

 光がその形を縮めていくと、それはやがて、見慣れた氷の直剣の姿となった。

 

「……一人で、行かせるもんか」

 

 ──キリト……どうして。

 

 ユージオは、動揺を隠せずに訊ねる。

 

 一人で行こうとした自分を引き止めた、その親友に。

 

「ユージオ……お前は長い間自分を責め続けていた。九年前に、アリスを救えなかったことを、悔やみ続けていた。その悔恨の半分は、俺も背負うべきものだったんだ。だから、お前を喪う訳にはいかない。俺が、お前の親友でいる為に」

 

 ──もう……そんな事しなくても、僕達は親友だろう?

 

「俺が気にするんだよ。それに、ずっとユージオに任せたら、俺が何も出来なくなるだろ?」

 

 ──キリトは負けず嫌いで頑固だものね? よーし……じゃあ、私も一緒に戦わせてもらうわ!

 

 ニヤッと笑いかけるキリトのすぐ側から、そんな声が聞こえてきた。

 

 仲良しの幼なじみが三人。実に、九年前ぶりの集結に、ユージオの胸が感動に打ち震える。剣と一体化しているから、涙こそ出てはいないが、それ程に、待ち焦がれた瞬間で。

 

 キリトの、《青薔薇の剣》を持つ左手も強く握り締められる。

 

「二人……いや、三人で一緒に、アドミニストレータを止めるぞ」

 

 二本の剣を携え、心意で具現化した黒いロングコートを翻す。

 

 ユージオも知らない、本当のキリトの姿……《黒の剣士》は、全ての想いを背負って、今ここに立ち上がった。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 目の前で、敢然と剣を向けてくるキリトを前にして、やはりというか、半ば分かっていた結果に、溜息が漏れ出る。

 

「……おまえ達は、つくづく想像を裏切ってくれるわね」

 

 右手に黒い剣、左手に白い剣。

 

 こんな事態を目にすれば、もうほとんど呆れに近い感情を抱いていた。

 

「気に入らないわ。心の底から、貴方達が嫌いよ」

 

 散々踏みにじられた。俺の目指したものを、尽く塗り替えられた。

 

 シャーロットも、カーディナルも、ユージオも……誰も死なず、局面は終わりを迎える事になろうとは、一ミリセも思わなかったというのに。

 

 だからか、俺の心は吹っ切れてしまっていた。

 

「……それは、思い描いた通りにならなかったからか?」

「三百年掛けて作った舞台が台無しにされたら、誰でも思うところぐらいあると思うでしょう?」

「ほう。その言葉は、自分自身の所業を省みてから言うのじゃな。お主の甘さが、この結果を招いたのじゃよ」

「……その通りでも、直接言われるのは癪ね」

 

 ここまでイレギュラーが生まれると、カーディナルの指摘通り、自分の計画の杜撰さは明確だ。

 

 が、過ぎた事は仕方無い……いや、というよりも、どうしようもないから、もういっその事と諦めたのだ。

 

 ユージオやカーディナルも、シャーロットだって、俺が殺したかったから殺そうとした訳じゃない。寧ろ、三人のことは大好きだと断言出来る。

 

 絶対に、物語は変わってしまうだろう。《ソードアート・オンライン》の枠を離れて、キリトにとって優しい世界が実現したりするのかもしれない。

 

 そこは、そこはいいのだ。どんな道を行くのかは、彼らに委ねる他ない。

 

 俺に……アドミニストレータに残された、最後の役割を果たせれば、もう、それでいい。

 

「まあ、いいわ。それで? キリトは一体、どうやって私を止めてくれるのかしらね」

「……出来ることなら、話し合いたいけどな。でも、あんたはそれを望んじゃいない。剣を持っているのは、その為なんだろう」

「ふふ、大正解。じゃ、ご褒美をあげるわ」

 

 ご褒美とは名ばかりに、《シルヴァリー・エタニティ》から一直線に紫電が解き放たれる。

 

 しかし、それはキリトに当たる寸前に、システム的障壁に当たって、パチパチと雷光を散らした。

 

「……邪魔、しないでくれる?」

「なんじゃ、わしが居ると不満か?」

 

 ニヤニヤと、挑発するような笑みでキリトの後ろに立っていたちびっ子が、そんな事を宣う。眉がピクピクと動くのを気合いで阻止しつつ、平静を装っておく。ここで苛立ったら、カーディナルの思うツボだ。

 

「ま、攻撃してこないのなら、鬱陶しくなくて良いけど」

 

 要するに、キリトに神聖術の攻撃は通用しないと思って良いだろう。

 これが原作なら、キリトとカーディナルによって、アドミンはボッコボコにされてしまうだろうが。

 

「そっちにちびっ子が付くのなら、キリトも何かハンデが無いと、不平等よね?」

 

 なので、こちらも少しズルをさせてもらう。

 

「なっ……貴様!」

 

 カーディナルの非難なんていざ知らず、キリトの後ろ、カセドラルの壁に凭れているアリスを《心意の腕》で引っ張ってくる。

 

 散らばっている《ソードゴーレム》の部品の一つを形状変化させ、十字架の形にしてから、アリスを鎖で磔にした。

 まるで、火刑にでも処される聖女を見ている気分だ。黄金の十字架というのも相まって、神秘的な様相を醸している。

 

「人質よ。あなたたちがわたしを私を殺せなかったら、アリスちゃんに掛けられた術式がその命を奪う……選択は二つに一つ。私の命かアリスちゃんの命か。こんなの、比べるべくもないわよね」

「クィネラめ、余計な真似を……」

 

 これで、キリトは俺を殺す理由が出来た訳だ。

 

 思いつきだったが、アリスが目的でもあるキリト達には効果は十分だ。

 

「殺す理由があるのなら……心置きなく戦えるでしょう? 全力で掛かって来なさい。手加減なんて更々するつもりはないから、そのつもりで……ね?」

 

 キリトの顔が明らかに苦々しくなって、歯を食いしばる様子が、なんとも嗜虐心をそそる。

 キリトは、困難に立ち向かってこそ、その本質が一番に輝く。

 

「システム・コール……リディフィニション・オブジェクト」

 

 わざわざ詠唱するまでもないこれは、明確な開戦の合図だ。キリトも戦いの顔つきに変わる。

 

「──カタナ・クラス」

 

 《シルヴァリー・エタニティ》がレイピアから、長々と、二メルの大太刀サイズのカタナに変わり、それを抜き身で左腰に構える。

 

 カタナのソードスキルは、居合の構えから入る技が複数存在している。その為、足さばきや姿勢、移動中と、モーションが検知される方法が多岐に渡るのだ。

 

 それを見分けるのは、如何に熟達した剣士とて至難だ。

 

 右脚を大きく前に、前傾姿勢で構えると、カタナが濃い緑に染まる。

 

 そのライトエフェクトと、俺との距離感で、キリトは正に放たれようとするソードスキルの正体を看破したらしい。

 

 瞬間移動でもする様な速さで、一直線上を駆け抜ける。ソードスキル《辻風》。

 

 それに相対するキリトは、事前に用意していたソードスキルで迎え撃った。水色の軌跡を描いて突進、右の剣が振るわれる。抜刀から垂直に斬り上げる《辻風》に、横から斜め上に斬り上げられて、ソードスキルの軌道が歪められたうえに、反時計回りに一回転すると、左の剣が遅れて弧を描き、俺の刀を凄烈に弾き返した。

 

 刀とのリーチ差もあって、キリトの攻撃の殆どが刀身に吸い込まれたが、もう一歩踏み込んでいたら、確実にキリトのソードスキルの餌食になっていた。

 

「──《二刀流》、二連撃ソードスキル、《ダブルサーキュラー》」

 

 どこか、皮肉った笑みでそう言うキリト。わざとらしく技名を教える様は、この前の意趣返しか。

 

 二刀流はこの世界に存在しないソードスキル故に、全てのソードスキルを知っている俺でも、未知の剣技。

 唯一俺の不意を突ける、キリトだけの剣だった。

 

「……ふぅん。一ヶ月前の私との戦い、律儀に覚えてくれてたのね」

「お蔭さまで、全然油断出来ませんけど──っ!」

 

 ……なんだよ、普通に戦いを楽しみやがって。

 

 今となっては、なんだか懐かしく思える丁寧口調で軽口を叩くと、キリトが攻勢に出てきた。

 

 刀を両手で中段に構えた二刀流の連撃が炸裂する。剣をいなして軌道を逸らし、隙間に刀の横一閃を流れさせるも、反応速度抜群のバックステップで軽々と躱される。

 

 かと思えば間を置かずして突っ込まれ、右、左、右、下、突き……と、際限なく、絶え間なく降り注ぐ剣の嵐に、大振りな攻撃を主体とするカタナでは対応が間に合わない。

 

 劣勢を悟った俺は、右斜め上段から、大きく足を踏んで袈裟斬りするという、キリトの片手直剣技《ジェリッドブレード》を正面から受けて、足を二、三歩後退させた。

 

 ここだ──!

 

 ソードスキルの技後硬直で、コンマ数秒だけ、キリトの反応が遅れる。足を後退させたタイミングで中腰に居合の構え。刀身が銀に染まって、ノータイムで放たれた刹那の抜刀。

 

「カタナ単発技──《絶空》」

 

 攻撃を受けた反動で、キリトの腕が上に跳ね上がる。

 

 その隙に、リディフィニション・オブジェクトを行使。

 

「──サイズ・クラス」

 

 長いポールの大鎌となった《シルヴァリー・エタニティ》を片手に、俺目掛けて疾走するキリトに鎌を振るう。

 

 初手で右上に切り上げ、熟れた動作でポールを一回転させ、左に払う。

 ガギィ!! と重い金属音と共に、剣を平行にして攻撃を防いだキリトが刃に絡め取られ、足が地面を滑るように押し退けられる。

 

 キリトがそこで踏みとどまる。地面を蹴って、そのスピードに乗った右の剣の袈裟斬りを、同じように左に薙いで受け止めた。

 

 更に足を組みかえて一回転しつつ、大ぶりの一文字が左の剣とかち合った。俺はすぐさま鍔迫り合いをやめ、逆の軌道を描くように時計回りに身体を捻る。

 

「うおわっ!?」

 

 急に力の先を向けていた鎌が無くなって、キリトがたたらを踏む。軸足を変えて、身体が回ると、その遠心力で鎌を振るい、右薙ぎの一撃がキリトに襲い、その勢いのまま、舞うように時計回りでもう一閃。

 

「ぅぐ……!?」

 

 二回転した一撃目と二撃目のラグは、およそ半秒。

 だが、キリトは一撃目で脇腹を裂かれた時点で右の剣を逆手に持ち、二撃目の軌道を僅かに逸らした。代わりに、背中の部分を斬られる。

 

 しかし、キリトは臆する事無く左の剣に青色の光を灯らせた。剣尖が斜線を描いて、俺の首に迫らんとする。片手直剣単発技《スラント》だ。

 

 身体を仰け反って、鼻先の間近を過ぎる蒼穹。視線はキリトを捉えたまま、黒い剣が続いて、一片の慈悲もなくソードスキルを発動した。

 

 赤黒いエフェクトと、特徴的な構え。キリトが右の肩を引いた瞬間、俺は手許の鎌の武器種を再定義した。

 

「──シールド・クラス!」

 

 直後、凄まじい衝撃が大挙として押し寄せた。盾を上に跳ね返して、作用の力で身体が宙に吹き飛ぶ。

 

 流石は《ヴォーパルストライク》……と感心しながらも、風素を瞬時に生成して空中で受け身を取りつつ、十字の盾と化した《シルヴァリー・エタニティ》の表面に十個の熱素を生成して、その全てをアロー・シェイプで射出(ディスチャージ)する。

 

「神聖術は効かんと言っておるじゃろう!」

 

 キリトの前に飛び出したカーディナルが、杖を突き出してシステム障壁を即時展開。

 目眩しにもならなかったか、爆炎の中からキリトが飛び出して、左の剣を肩の上で構えた。

 

 キリトの片手直剣跳躍技、《ソニックリープ》が発動して、キリトは俺のいる高度に易々と達した。大きく振りかぶった《青薔薇の剣》が盾を強かに打って、身体ごと地面に強く打ち付けられる。

 

 

 ……なんか、アホみたいに強いんだけど!

 

 

 普通に押されている状況に驚きを禁じ得ないが、心意力の差では未だに俺が上。いざ鬩ぎ合えば、俺が勝てるだろう。

 ただ……相手が二刀流であることを考えると、連撃主体なので、そんなに意味が無かったりするが。

 いいとこ、圧倒的な力で剣を弾き返せるぐらいか。

 

 左手に盾を持ち替えて、傍にあった《ソードゴーレム》の部品に触れて、元の神器の剣に戻すと、それを右手に携えた。

 

 この手は、出来ることなら使いたくなかった……が、予想を軽々と超えてくるキリトを、あまりに過小評価していた自分への戒めだ。

 

 剣と盾という、アドミニストレータにあるまじき装備に、キリトが複雑な表情で睨んでくる。盾という防御アイテムが増えたからか、それとも……

 

「血盟騎士団、《神聖剣》のヒースクリフみたい……とでも思ってるようね」

「っ……!?」

 

 十字の大盾に、剣。

 盾に関しては俺が意図したものでは無いにしろ、大敵という立場にあるアドミニストレータがこんなものを身に付ければ、必然的にSAOのラスボスを思い出させてしまうか。

 

「……なんで、このアンダーワールドの住人であるアンタがそれを知っているんだ。ここは、単なるザ・シードパッケージが元の仮想世界で、別のサーバーの、それもヒースクリフ……茅場の戦闘スタイルを知っているんだ」

「ん〜……話を振っておいてアレだけど、別に、そんなのどうだって良いでしょう? 続きを始めて頂戴」

 

 にべもない態度で切り返すと、キリトはそれ以上問い掛けるつもりはないようで、徐ろに剣を持ち上げた。

 まさか、説明が面倒だったとは言えない……

 

「……ハァッ!!」

 

 その分、幾分か苛烈になった攻撃を受け止める。茅場さんが示した通り、二刀流に対して、盾が有効な手であるのは間違いないようだ。

 

 連撃に次ぐ連撃を、的確に防御する。少しでも相手の攻撃面とこちらの防御面が偏れば、切り崩されかねない。

 

 盾を使った経験は無いに等しいので、どうにかなっているのが幸いだが、剣を入れる隙が短い。

 

 連撃を繰り出してくる間に、後ろに素早くバックステップして斬り払い、逆にシールドバッシュで体勢を崩して剣で素早く突いてみるが、それすらすんでのところで防がれる。

 ひとえに、経験の差という他ないだろう。

 

 それに、時間を追うごとにキリトの剣は速さを増していく。

 しかし、このまま負けるなんて事はラスボスとして許されない。

 

 キリトなら……あらゆる苦難を超えてゆけるのだから。

 

 それに応えられないのなら、ラスボスなんか要らない。

 

()を──舐めるなぁぁぁ!!」

 

 剣を捨てて両手で盾を持ち、力のままにキリトの剣を弾く。

 それだけでは足りないことも、もう解っている。

 

「──ぉぉおおおッ!!」

 

 地面で踏ん張って、弾かれた剣を雄叫びを上げながら振り下ろさんとするのを、俺は身体を後ろに仰け反りながら地面に倒れ込む。

 

 ……このタイミングを狙っていたのだ。

 

 倒れ込むと同時に、足が橙色の光を帯びた。

 体術ソードスキル──《弦月》

 

 左足が《夜空の剣》の腹を蹴り上げて、後方へと宙返りする。《夜空の剣》は持ち主の手を離れて、回転しつつキリトの遥か後ろに突き刺さった。

 

 キリトが振り返り、刺さった地点を一瞥したが、折角お得意の二刀流が使えないのだ。何としても取りには行かせない。

 

「グレートソード・クラス!」

 

 そして、最小距離で着地すると、宙返りの間に盾から両手剣へ変形した《シルヴァリー・エタニティ》を大きく上段に持ち上げて、全身全霊を掛けて踏み出した足が、キリトとの距離をゼロにまで詰めた。

 

「なっ────」

 

 深紅に染まった刀身が、キリトの胸から腹にかけて、全てを抉って落下する。

 両手剣ソードスキル《アバランシュ》……又の名を、《天山烈波》

 

 両手剣ゆえに、直撃で受けた傷は深い。キリトは二、三歩よろめいて、左手の《青薔薇の剣》を地面に突き刺し、両手を置いて凭れた。

 

 激しく肩を上下させ、噎せると同時に血を吐く。

 

 瀕死なのは、誰が見ても明確だった。

 

「──キリト!!」

「邪魔はしないでと言ったはずよ、カーディナル」

 

 光素術でキリトを癒そうとするちびっ子を、強固な《心意の壁》で隔つ。

 が、それすらも己の心意で穿き徹そうとして、破られるのは時間の問題のようだ。ここまでカーディナルが強力な心意を形成できるとは思っていなかったから、少し焦りを感じてしまう。

 

 だから……俺は悠然と、余裕の笑みで歩み寄る。

 

「くすくす……もう終わりなの? せっかく良い所なのに」

 

 返事は無かった。顔をだらんと俯かせて、《青薔薇の剣》に寄りかかったまま動かない。

 

 黒いコートに血が滴り、地面に血の池を作り始めている。

 

「……つまらないわね。私の見込み違いだったかしら」

 

 だから、俺は気付かなかった。

 

 

「……リ……ス……」

「……ん?」

 

 

 キリトが、全てを準備していた事に。

 

 

 

「『『──リコレクション』』」

 

 

 

 強大なプレッシャーと、かつてない危機感が殺到する。

 

 その時には既に遅かった。

 青薔薇の剣が発した氷は、百階全ての床を凍てつかせると、俺の四肢に氷の茨が巻き付き、氷塊に包まれてしまった。

 

 あのごく短時間で《記憶解放術》を行えたのは、恐らくユージオあってのものだろうが、一切気取られず詠唱出来ていた事の方が、個人的に驚きが強い。

 

 そんな俺の内心はいざ知らず、キリトは《青薔薇の剣》を引き抜き、俺に背を向けてから、カセドラルの壁近くに突き刺さる《夜空の剣》も引き抜く。

 

 再び二刀を手にしたキリトが、先とは真逆の構図で、悠然と歩いてくる。

 

 ……本当に、格好良いなぁ。

 

 《シルヴァリー・エタニティ》から紫電を生み出し、落雷で纏わり付く氷を破壊しながら、俺はキリトの勇姿を目に焼き付けていた。

 

 傷付いても立ち上がって、挫けても乗り越える。

 そんな、ただ一人のヒーローの姿を。

 

「……ふ、ふふっ……本当に度し難いわね、あなたって人間は。そんなに私が惜しいの?」

「……ああ、惜しいさ。あの一ヶ月で、話したからこそ分かる。あんたがどんな人間か、少しは理解してるつもりだ。だから……尚更、死なせる訳にはいかない」

「でも私を殺さないと、皆死んじゃうけど?」

 

 あっけらかんと言えば、キリトは、思いを押し殺すように言う。

 

「……俺は、死ぬ事が全ての解決になるなんて思っちゃいない。死んで救われるなんて、そんなのは絶対に有り得ない。死んでからじゃ、何もかも遅すぎるんだ。でも、俺はあんたを倒すしかない。この世界を解放する、唯一の方法がそれだけなんだ。あんたが、支配者を降りてくれればな」

「……ええ、そうね。でも、私はこの世界の絶対なる支配者だもの。それを覆そうというのならば、私は全てを以てお前を排除する。まさか、この私が自ら降りるなんてこと、想像も出来ないでしょう?」

 

 対話の道なんて、最初から無かった。

 決して、俺がそれを望まないから。

 

「だから俺には、あんたの間違いを正してやれない。そういう意味で……一番厄介な相手だよ。俺は、この無力さを永遠に悔い続ける事になるからな」

 

 ああ、それでいい。

 

 アドミニストレータになりきれなかった、一人の少女を殺す罪悪をとくと味わってくれ。

 

 ユージオやカーディナルでもない、このアドミニストレータの存在を、強く魂に刻んでくれるのなら、それに勝るものはない。

 

「私が、貴方の心の片隅を永遠に支配する、ねぇ……くふふっ。良いわね、それ。それを考えるなら、愛は支配っていうのも、案外真に迫っているのかも……」

 

 言葉の真意を探られるまでもない、他愛もない話を独り言ちる。

 

「もういいわね? 私、長引くのは嫌いなの」

「ああ……決着をつけよう」

 

 胸中に果てしない思いを抱いて、相剋した。

 

 独特の二刀の構え。輝くライトブルー。

 

 流星が吹き荒れる。

 

「スターバースト・ストリーム……!!」

「ソード・クラス」

 

 《シルヴァリー・エタニティ》が心意を纏って、墜ちる流星の数々を打ち消していく。

 

 だが、一切の油断も出来なかった。

 

 光が瞬く度に剣が軋みを上げ、刃の部分から罅割れていく。この戦いの中で、最大まであったはずの天命がもう底を尽き始めた事を示していた。

 

 出来る限り躱そうと試みて、腕に、顔に、胸に、刀傷が刻まれていく。

 

 そして、十連撃目に入った頃だった。

 

 《夜空の剣》と《青薔薇の剣》が十文字に交差しながら……《シルヴァリー・エタニティ》を叩き折った。

 剣の柄と、半ばに折られた刀身が宙を舞い、溜め込まれたリソースが爆発を起こして、目を眩ませる。

 

「おぉぉぉぉ!!!」

 

 剣も失い、視界もままならず、無防備になった身体に、十三撃目、十四撃目が貫き、《夜空の剣》の十五連撃目が左肩から斜めに斬り込んできて、あまりの痛痒に顔が歪む。

 

 体感で、天命は一割を下回っただろうか。

 命が零れ落ちていく感覚は、カーディナルに殺されかかって以来だ。

 

 不意に、晴れ上がる視界でキリトと目が合う。

 

 左に持つ《青薔薇の剣》が、最後の一撃を見舞うべく振りかぶられ、軌道の天頂を通り過ぎようとしていた。

 スローモーションの世界、とでも言うのだろうか。『アクセル・ワールド』が正にそうであるように、フラクトライトの性質的にも思考だけ加速するのは可能だが、こうして起こったのは初めてのこと。

 

 ……だから、そんな目で見ないでくれ。

 

 自分が、今どんな顔をしているか分からないのに、そんな姿を見せられたら、最期まで敵らしく居られたか、自信が持てなくなる。

 

 そうしている間に、剣は軌跡の半分を通り過ぎて、徐々に肉薄していた。

 

 口を大きく開き、気合いを迸らせた、死力と呼ぶに相応しい姿。

 

 目を逸らす訳にはいかなかった。

 一瞬でも、その光り輝いた姿を……キリトの生き様を目に留めるために。

 

 

 それをしていたから、俺は気付いた。

 

 

 全てのタイムリミットが来ていたことを。

 

 

 光の柱が、カセドラルをも透過して、キリトを貫くのを。

 

 

 時を同じくして、色褪せた世界が元に戻り、俺を断ち切らんとする力の奔流が迫る。

 

 いや、迫っていた。その蒼穹の奔流は、俺の前髪を少しばかり切り裂くと、チカチカと弱々しく明滅して、散り散りになって消えてしまっていた。

 

 一歩、二歩と後退り、何が、と疑問が浮かぶ前に、キリトが両手の剣を取り落とす。

 

 俺も、そしてキリト自身も呆然として、三秒後。

 

 ふらと、身体のバランスを崩して、横に頽れた。

 

「え…………?」

 

 目の前に広がる光景が、俺には現実には思えなかった。

 

 キリトは倒れ、自分が立っている。

 

 本来その立場は、逆であるべきもの。

 

 自分が未だに生きていることに安堵を覚えると……

 

 

「……嘘だ」

 

 

 そんな事、あっていいはずが無い。

 

 キリトが、俺を倒し切れなかったことも。

 

 ましてや、俺が……〝死ななくて良かった〟なんて、思うなんてことは。

 

 ………………ぁ?

 

 ……俺、じゃない。

 

 俺……? 〝俺〟なんてのは、最初から居ないのに。

 

 ずっと、勘違いをしていた……?

 

「……嘘だ嘘だ嘘だウソだ!!」

 

 足元が覚束無い。視界が歪んで、足をもつらせて、キリトの傍で倒れると、倒れたまま動かないキリトの襟元を掴んで、揺さぶる。

 

「起きなさい……起きないよ!! わたしを倒してくれるんじゃなかったの!? ねぇ、ねぇっ!!」

 

 《黒の剣士》は、物言わぬ骸になった様に身動ぎもせず、されるがままに揺さぶられていた。

 

 そうすると、猛る感情の矛先はキリトにではなく、別に向かう。

 

 何よりも腹立たしくて、憎らしくて、一番許せない存在。

 

 〝俺〟という仮面に踊らされた、愚かな人間が。

 

 〝俺〟という人間は、ごくふつうのサラリーマンだ。

 

 その魂がクィネラのライトキューブに入り込んだとして、クィネラ自身の魂はどうなるのだろうか。

 

 上書き保存されたのだろうか。そうであるなら、こんな事が起きていいはずは無い。

 

 それは《混ざっていた》。本来のクィネラのフラクトライトと、〝俺〟のフラクトライトが混在してしまったのだ。

 

 無論、〝俺〟の方が長い年月を過ごしていたから、比重はそちらに偏って、この意識は〝俺〟だと認識していた。

 

 しかし、偏りは偏り。クィネラの部分はきちんと存在していて、自分の一部になっていた。

 

 だから、〝俺〟は自分ではない。この自分を形作る一部分だ。

 

 それを、自分はずっと……勘違いしていた。

 

 自分だと思っていたものは、虚像だった。

 自分を定義するものが喪失して、自分が信じていたものが跡形もなくなった。

 

 〝俺〟は自分が演じていたものに過ぎなかったんだ。自分は、意図せずして仮面を自らに強要していたのだ。

 

「ああぁぁ……いや……いやだ! わ、わたしは、アドミニストレータ……あああっ……くう……うぅぅ……!!」

 

 自己が崩壊する。

 

 自分とは何か、自分とは何なのか。生きていく中で見つけるそれを、〝俺〟で勝手に定義していた。

 それが消えた今、自己を定義するものは何も無い。

 

 〝俺〟でもなくて、クィネラでもない《わたし》。

 

 ……それって、誰?

 

 掲げていた信念も、成すべきことも、つまるところ全部他人の猿真似で、劣化品だった。

 

 でも、それでも《わたし》が真に望むところは、今も昔も変わらなかった。

 

 

 ──死にたい。こんな自分なんか要らない。

 

 

 ラスボスとしてではない。もう、これ以上生きたくないんだ。

 

 こんな自分が、本当に嫌で……それを、〝俺という仮面〟が何もかも覆い隠した。

 

 アドミニストレータなんていう存在になるのが嫌で、生きていくうちに、もう死んで消え入りたいと願ったのに……〝俺〟はそれを曲解して、ラスボスだからと、キリトに殺されることを望んでしまった。

 

 《わたし》を裁いてくれる、その唯一の人を求めて……

 

「殺してよ……殺してよ!!! 《黒の剣士》キリトなら、わたしを殺しなさいよ! わたしは居ちゃいけないの! こんな所で倒れないで、立ち上がって、その剣でわたしを倒してよ!!」

 

 もう、何度呼び掛けても、キリトは立ち上がりはしない。

 フラクトライトに重大なダメージを受けたキリトは、天命関係なく目覚めない。

 

 子供みたいに、イヤイヤと情けなく泣き叫んで、現実も受け止められないほど、《わたし》の感情は高ぶっていた。

 

「こ、れは……? 一体何が起きて……」

 

 後ろに振り向くと、十字架に磔にしていたはずのアリスが、拘束から自力で抜け出して、動揺を露わに立ち尽くしていた。

 

 カーディナルもやってきて、キリトの傍でしゃがみ込むと、回復術で傷を癒していく。

 

「司祭様……」

「安心せい。キリトはまだ生きておる。じゃが……いまの光は」

 

 

「──キリト!!」

 

 

 青薔薇の剣から、解けるように現れたユージオも、キリトに駆け寄って心配そうに手を握る。

 

「カーディナルさん……さっき、キリトに降り注いだあの光が……あれが原因なんですか?」

「……わしの考えている事が正しければ、そうじゃ。恐らく、キリトのフラクトライト……魂が重篤な傷を負った可能性がある。そうじゃろう、クィネラ」

 

 無言でこくりと首肯すると、キリトから手を離して、ふらふらな足で立ち上がる。

 

 もう、何も見たくない。

 

 さっさと、死ねばいいんだ、こんなもの。

 

 手段に囚われる必要も無い。

 

 わたしが死ねば、何もかもハッピーエンドになるんだろう。

 

『俺は、死ぬ事が全ての解決になるなんて思っちゃいない。死んで救われるなんて、そんなのは絶対に有り得ない』

 

 頭の中を反芻するのは、先のキリトの言葉。

 

 でも、自分はもう要らない存在だ。

 

 わたしがこれ以上生きる意味は、どこにもないのだ。

 

 キリトの《夜空の剣》を手に取り、首に添える。

 

「なっ……最高司祭様!」

「さよなら、アリスちゃん」

 

 首に食い込み、いまなお減り続けていた天命は、止めを刺されて急速に減っていく。

 

 剣の切っ先から血が滴り落ちて、床を濡らした。

 

 それでいい。

 

 これで終わりだ。

 

 目を閉ざし、ゆっくりと剣を滑らせる。

 

 

 ……自分という死にたがりが、どうして死にたくないと思うようになったのか。何の心残りを持ったのか。

 

 それは、〝俺〟でさえ偽れなかった、自分にとって最も確かなもの。

 

 いつも傍で寄り添ってくれて、お父様とお母様が死んで、本当のわたしが溢れ出した時も受け止めてくれた。

 

 気付いたのが、つい昨日の事でも……この想いだけは、誰にも譲れない。

 

 

 力を込めようと心意を流し、そして……

 

 闇夜を映していた南側のガラスから、昼間を思わせる明るい光が溢れた。

 

 直後、目を眩ませるほどの爆発。

 

 自分は剣を手放してキリトと一緒に吹き飛ばされて、カーディナル達も同じように反対側まで吹き飛ばされていた。

 

 見れば、自分とカーディナルとの間に、爆発の後が残っていて、大理石が抉られていた。

 

 これは……まさか。

 

 そう思って、今も風が吹きすさぶガラスの穴を見てみると、そこに、白い影が突っ込んできて……

 

 

「クィネラ様────ッ!!!」

 

 

 誰かを乗せた一体の飛竜が、百階の中に猛スピードで突っ込んで、自分とカーディナルの間に割って入った。

 

 真っ白の、新雪の様な体表を持つ飛竜は、カセドラルの中でも、《雪綜(ユキヘリ)》の一体だけ……

 

 そして、自分をクィネラ様と呼ぶ存在を、一人しか知らない。

 

 雪綜から飛び降りた執事服の青年は、見たことないくらいに狼狽しながら駆け寄ってきて、身体を抱き寄せた。

 

「クィネラ様……ご無事ですか」

「……なんで、いるの……?」

「最速で戻ってきたからです。貴方様が無茶を仰ったので、一日も掛かってしまいました」

 

 思わず、クリスチャンが湛えた微笑みに見蕩れてしまいそうになる。

 

 こんなにも、好きになってしまっていたなんて。

 

 〝俺〟の裡で膨らみ続けてしまったからか、抑圧されていた感情が、一気に解放されて、歓喜に満ち満ちた。

 

 だから……クリスチャンが愛おしくて仕方ない。

 

 クリスチャンに触れている部分が熱を持って、身体が火照る。好きな人への情が齎す、些細な変化。

 

 最愛の人。最高の相棒。

 

 出来ることなら、ここでクリスチャンの唇を奪って、好きだって伝えたい。

 

 

 ……でも、自分には。

 

 

「こんなにも、傷だらけに……治癒致しますね」

「あっ……」

 

 有無を言わさずに、光素の暖かい光が包み込む。

 

 天命が充溢して、死が遠のく。同時に、ああ……という声が漏れた。

 

 自分の戦いが、これで幕を閉じてしまった事を自覚した。

 

「本当に、貴方様という人は……私を置いて、一人で先に行かないで下さい」

「……なんで」

「それはもう、三百年も伴にあるのですから。おととい仰られた計画が、ほとんど嘘だとも存じ上げておりました」

 

 そういって、なんとも言えない風に肩を竦めた。

 

 多分、彼を見出してしまったことは、この人生で最大の失敗だったかもしれない。

 

 頼りになるし、優しいし、格好良いし、察しもいい……端的に言って、好きになる要素しかない。

 

 本当に、自分にはもったいない。

 

「でも、もう少し遅かったら……私はその場で首を掻き切っていたところでした」

「……私の言い付け、守ってくれないの?」

「当たり前でしょう。クィネラ様の居ない世界なんて、私にはとても耐えられません。私にとっては、クィネラ様が全てなのですから」

 

 だからこうして、自分に都合のいい理由がつく。

 

 それを無意識に悟ったからこそ、クリスチャンを外に追い出したけど、それも失敗に終わって。

 

「それ言うのは、ズルい……」

 

 止まっていた涙が零れ出す。感情が入り乱れて、自分でもよく分からないまま、泣きじゃくる。

 

 何もかもが達せられなかった事への後悔か、自分を抱き締めるクリスチャンのせいか、そのどちらかなんだろう。

 

 ああでも、後悔なんて、今日だけで飽きるほどしている。諦めて、仕方ないと投げ出しているのかもしれない。

 

 流されがちな俺に、固執する私。

 サブカル好きなサラリーマンに、絶対の支配者アドミニストレータとなった少女クィネラ。

 

 しかし、本質はそのどちらでもない誰か。

 

 

 ……そんな自分には。

 

 

 自分が自分でもよく分からないのに、好きだって告白できる訳がない。

 愛を伝える資格があるはずがないんだ。

 

 きっと、好きだなんて高尚な想いには程遠いだろう、傲慢で薄っぺらな気持ちのままそれを押し付けようだなんて、あまりに烏滸がましい。

 

「ズルい……ズルい! わたしなんて、死にたくて仕方ないのに……!」

 

 死んで、自分の行い全てから逃げ出したい。

 

 死んで、この気持ちも投げ捨てたい。

 

 つらい。

 

 居なくなりたい。

 

 こんな自分が嫌だ。

 

「そうしたら、楽になれるのに……」

 

 ──バチィンッ!!

 

 その音を聞いて、脳が数瞬、理解するのをやめた。

 

 次に、左の頬がひりりと、熱と痛みを発する。

 

「…………え?」

 

 何が起きたのか分からず、戸惑う自分の目に、すとんと表情を落としてこちらを見る彼が映り込む。

 

 そうして、ようやく、頬をはたかれたのだと理解した。

 

 それも、あのクリスチャンが。わたしに対して。

 

「今更、そのように甘ったれた事を仰られるのですか?」

「……ふぇ?」

「民の犠牲をもとに、身に負った責務から逃げ出すと? 整合騎士も、元老院も、咎人も、修道士も……あらゆる人界の民を捧げてでも、善き方へと尽くそうと邁進していた貴方様は、どこへ行かれたのですか?」

 

 違う。

 

 クリスチャンの思ってるような、崇高な目的のためじゃない。

 

 全部、ただ自分がそうしたかったから。もっと本気で変えようと思えば変えられたんだ。

 

「……わたしは、アンダーワールドの平和なんて、これっぽっちも望んでいなかったの。全部、自分の目的の為で……わたしは、クリスチャンが思ってるような人間じゃない」

 

 クリスチャンがわたしを信じる理由さえも否定して、一方的に突き放す。

 

 弱気な自分を張り飛ばして、激励してくれたとしても、わたしには、そのビンタの一撃さえ受け取る権利はないんだ。

 

 だから……お願いだから、こんな自分は放っておいてほしい。

 

 顔を背けると、彼はやれやれと、わたしだけが分かってないみたいに肩を竦めて、言い聞かせてくる。

 

「……もしそうだとしても、貴方はいつも優しかった。私から見て、その気持ちには一つの偽りも無かったと断言出来ます。だとすれば、畏敬こそすれ、慕われる事など有り得ませんよ……例えば、彼女のように」

 

 そうして、後ろのアリスに目をやる。

 

 自分の首を刎ねようとした時、真っ先に止めにかかったのはアリスだった。

 

「最近、やたらと私に自慢してきましてね。『私は最高司祭様の友人ですから』と。あんなに誇らしげな顔は初めて見ましたよ」

 

 わたしの、友人……アリス。

 

『私は、最高司祭様の『友人』というのはそんなにも愚かしく、不甲斐ない存在だったのですか……っ』

 

 また頭の中で、言葉がリフレインする。

 

 一人だけ、気兼ねのない対等な関係が欲しくて、無理をさせてしまったもの。

 

 この関係が、心の余裕が無くなっていた自分を日常という安寧で支えてくれた。

 

 それを、アリスの方が、大事にしてくれているなんて。

 

「貴方が作り上げたものは、確かにここにある。想いも、全部ここにある。それを、貴方が否定しないで下さい。貴方が背負っているものは、貴方が思うよりも遥かに大きいんですから」

 

 ……クリスチャンの言う通り。

 

 わたしは、全てを背負い過ぎた。大きくなり過ぎた。その身の罪咎も責任も、全部背負い込んだ。

 

 それが出来たのは、自分が確かな信念を持って、原作を再現するという道を歩んでいたから。

 

 そんな信念も仮面が作り出した幻想だと解って、道から逸れた自分には、あまりに荷が重かった。

 

 だから、自分が自分の為に死ぬ。

 

「もうそんなの、わたしには背負えない……! 背負い切れないの……!」

 

 生きて欲しいと言われても、それを背負って生きるには、わたしの心は軟弱だった。

 

 重圧に押し潰される。罪の意識に苛まれる。

 生きていたら、それに苦しむだけ。

 

 

「……でも、二人なら?」

 

 

 ぽつんと、クリスチャンが呟いた。

 

「二人なら、背負い切れるかもしれませんよ」

「え……ふたり?」

「はい。私とクィネラ様で」

 

 毒気を抜かれるような、爽やかな笑みをしたクリスチャンを呆然と見る。口からは、何とも間抜けした声が漏れていく。

 

「どうやって過去を二人で等分するかは考えものですが、少なくとも、これからの事は半分こ出来ますよね?」

「半分こ……?」

「クィネラ様が背負うもの……それを私も背負えたら、気分は楽になると思いますよ」

 

 途端、頭の中がクエスチョンマークで覆われる。

 

 荒れ狂う感情に振り回されていた頭が、直ぐに物事を冷静に考えられるはずもなく、呆気に取られたまま、クリスチャンに置いてけぼりにされていた。

 

「ふむ……責任や罪を等分するとなれば、やはり共犯や共謀が一番か……」

「共謀……!?」

 

 次の瞬間には、やたら剣呑な雰囲気を醸し出して、物騒なことを言うものだから、益々分からなくなって、いつの間にか、心を曇らせていた気持ちはどこかへと過ぎ去っていた。

 無論、自分はそんな事も気付かないまま、クリスチャンの言動に慄いていた。

 

「ああ、アレですよ。皆でやれば怖くない理論です。つまり、何事も一緒にやれば、いざという時、クィネラ様は私に責任転嫁できるんです」

「しないけど!?」

「ほら。そういう所が、貴方の優しすぎる所なんです」

 

 釈然としない纏められ方をされた気がして、なぜかほっぺをつんつんと突くクリスチャンをじろりと睨み付ける。

 

 だが、頬を突くのを止めたクリスチャンが取った行動は、謝罪でも、肩を竦めるのでもなく……わたしを、胸に抱き入れた。

 

 横抱きに近い姿勢から、もっと距離が縮まって、かぁっと顔も耳も赤くなる。

 

 その耳許にクリスチャンは口を寄せて、懇願した。

 

「……俺を、頼って下さい。俺はとうの昔に、クィネラ様に全てを捧げました。一人で背負う必要なんてありません。一番苦労している貴方が弱音を吐いたって、誰も文句は言いません。ですから、お願いです。俺と一緒に生きて下さい。彼らの犠牲を、無駄にしないで下さい」

 

 赤くなった顔は隠せない。

 涙を目に溜めた弱虫な顔で、悲嘆に表情を曇らせるクリスチャンの顔を見上げる。

 

 唾を飲み込んで、嗚咽を必死に抑える。

 

 

「頼って、いいの……?」

「俺はいつだって、クィネラ様の傍に居ますよ。執事ですから」

「……っ!」

 

 赦しをくれた訳じゃない。

 

 裁いてくれた訳でもない。

 

 それでも、自分の隣で寄り添ってくれる人が居る。

 

 その事実が、曖昧な自分の迷いを断ち切って、

 

「……ありがとう、クリスチャン」

「お役に立てたなら、幸いです」

 

 だから……この想いは、そっと閉じておこう。

 

 クリスチャンに……こんな迷惑は掛けられないから。

 

 最高の相棒として……

 

「……ずっと、ずっと前から……すきで……」

 

 ……これからも、よろしくね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……やって、しまった。

 

 そんな、果てしない後悔に襲われる。

 

 何が、『俺と一緒に生きて下さい』だ! アホか、俺は!

 

 如何に鈍感なクィネラ様とは言え、あんなにもあからさまな告白だ。

 もしかしたら、気付いていたかもしれない。

 

「眠られてて良かった……」

 

 過度の疲労からか、クィネラ様は俺の腕の中ですやすやと寝息を立てている。

 

 これなら、後になって詰め寄られた時に、覚悟の準備をしておける……いや覚悟の準備って何だ。

 

 ともかくとして、このカセドラルの惨状をどうにかしなければ。

 

「雪綜、クィネラ様を」

「キュルッ!」

 

 クィネラ様を雪綜の傍で寝かせてやり、反対方向に視線を向ける。

 

 向こう側では、サーティスリーのキリトが仰向けで倒れていて、サーティツーのユージオ、そしてアリスとカーディナルが彼を囲んでいる。

 

 ……なるほど。ここまでは、クィネラ様が語っていた通りのシナリオを歩んでいたのか。

 

「……クリスチャンですか」

 

 俺が近寄ると、いつになく弱々しい顔をしたアリスが、俺の姿を一瞥すると、直ぐにキリトへ目を戻す。余程心配なようだ。

 

 アリスに続いて、ユージオが気まずそうに会釈した。そういう反応になるのは仕方ないので、大丈夫ですと首を横に振っておく。

 

 カーディナルは……意外と冷静な素振りを見せている。

 

「カーディナル様は、もう事情を把握しておられるので?」

「うむ。あちら側の世界で問題があったのじゃろう。その結果、キリトの魂に重大な損害を負ったこともな。わしにもどうにも出来ぬ故、あちら側からのログインを待つしかあるまい」

 

 折っていた膝を上げて立ち上がると、以前と些か雰囲気が違う彼女の瞳が、俺を一方的に貫く。

 

「約束は守ったぞ、クリスチャン」

「約束、ですか……?」

「そうじゃ。まあ、かなり一方的ではあったが……」

 

 突然、身に覚えのない約束を切り出され、思わず訝しむ。

 

 クィネラ様が作り出した存在であるこの少女と、俺は特に何かを話した憶えも、約束を交わした憶えはない。

 

 眉を顰める俺を見て、目の前の賢者は三秒ほど顎に手を当て考えると、では、と言って、

 

()は見極めさせてもらったぞ、クリスチャン。あやつが歩む道を見てきた。静観と呼ぶにはかなり手を入れたが、結果はこの通り。見出した活路は切り拓かれ、最善の形で終えることが出来たと言っていい」

 

 活路……という単語を聞いて、まさかと目を見開く。

 同時に、安心感のようなものも覚えていた。まだ、死闘を繰り広げた彼女が生きていたことに。

 

「……お前は、あの時のサブプロセスか」

「ほう、覚えていたか。どうにか、クィネラに削除された記憶を復元出来てな。全く、本当に面倒なことをしてくれた」

 

 徐に帽子を外した彼女は、ふぅ……と一つ深呼吸をした後、杖を地面に浮かばせてから、俺の身体に背伸びして抱き着いた。

 

 …………んん?

 

「……この梔子の香りも二百年ぶりだな。懐かしい……」

「いや、おい……いきなり何するんだ」

「何だ、これくらい良いだろう? ほれ、屈め」

「え、えぇ……?」

 

 言われるがまま屈むと、胸に飛び込んできて、頭をぐりぐりと押し付けられる。

 

 いや、本当に何してるんだ、こいつ。

 

「ぬおっ!? いきなり顔を掴むな、馬鹿者! それに、もう少しくらい良いだろう!」

「なんで不満そうなんだよ……」

 

 なんか、段々年齢相応に見えてきたカーディナルの相手に困っていると、不意に光が目に入ってきた。

 

 気が付けば、溢れ出る曙光がカセドラルを照らしていた。

 

「ああ……もう朝か」

「……そうじゃな。わしには、もう見れぬと思っておった景色じゃ」

 

 帽子を被り直したカーディナルは、感慨交じりにそう言うと、俺にもう一度相対して、こほんと咳払い。

 

「クィネラはもう大丈夫なのじゃな?」

「だと思うが……一応、様子は俺が見ておく。覚醒したら、ユージオを通じて連絡を通そう」

「うむ。では、わしはユージオ達と共に、これからの準備を整えておこう……看病とは、羨ましい奴め……」

 

 最後に、変なのが聞こえた気がするが……聞かなかったことにしよう。

 

 アリス達を連れて、大図書室へ帰って行ったカーディナルを見送ると、俺に与えられた権限を用いて、別アドレスから新品の寝台を中央に設置した。

 

 雪綜の下に向かい、クィネラ様を横抱きに運んでから寝かせる。ついでに、戦いで大きく破けた服の代わりを着せて、一先ずの仕事は完了した。

 

「……後は、あれか」

 

 ソルスによる神聖力が供給され、瓦礫が浮き上がって元の壁に修復されていくのを傍目に、北の壁の端にやってくる。

 

 そこの地面の下に心意を流し込むと、システムが反応して、大理石のデスクがせりあがってきた。

 これこそ、いつもクィネラ様が日記を書いている机だ。

 

 こちらは後回しにして、この机が存在する時、初めて機能するシステムが……

 

「リリース・コード、《WAY TO THE REPRODUCTION》」

 

 パスワードを口に出すと、木の扉が出現した。

 

 クィネラ様が、帰ってきたら開けるように仰っていた、別アドレスへ転移するドア。

 

 何が入っているのか……と軽い気持ちで扉を引くと、そこは高さ三メル、僅か五メル四方の小さすぎる部屋。

 

 その部屋にあるのは……本本本本。ひたすらに、本。

 

 扉以外の壁三面は、全て本棚だった。天井に、光源となるシャンデリアが一つ置かれているだけ。何とも奇妙な部屋だ。

 ただし、右手の壁に嵌め込まれた本棚には、まだ八分の一ほどしか本は無いようだ。

 

 本は一つずつ背表紙に題名があり、試しに手に取った本は、『人界暦124〜125年』と書いてある。それの適当なページを開くと、こんなものが書いてあった。

 

 

『人界暦124年6月22日

 

 今日、やっとのことで指を鉄砲に見立てて放つ心意の弾丸の完成系に到達。

 

 心意の◯◯シリーズ第10弾。これがなぁ、飛距離がとんでもなくて、カセドラルから放ったら、果ての山脈をぶち抜いていたらしく報告が来ていた。ビックリだよ。

 

 そしたら、なんかよく分からないが、魂が奥深くに接続したような感覚に陥って、心意なのにそんなに意識せずとも使えるようになってしまった。マジで心意ってなんだ。

 神聖術も、もう殆ど詠唱要らずでノータイムの発動が可能だ。

 

 キリトみたく、メイン・ビジュアライザーに強く繋がりができたのかもしれない。

 

 そこら辺を解明しようかと思ったが、深く考えるのもめんどくさいので、大人しく、永遠に燃え続けるという炎を入れた永炎の窯で料理でも作ろうと思います。

 

 ……コックさん、雇おうかな。』

 

 

 恐らく、ここに書かれているだろうコックさん──ハナが来たのは人界暦220年の頃だ。

 

 にしても……そうか。これは、クィネラ様の書いてきた日記帳か。

 

 一瞬、何を見させられたのかと思ったが、筆跡はクィネラ様のそれと符合する。

 

 クィネラ様は、これを全て読んで欲しかったのだろうか。

 

 なら……徹夜を覚悟して全部読むしかないだろう。

 

 一旦この本を戻して、左手にある本棚の左上の日記を取り、最初のページを開く。

 

 

『人界暦30年5月18日 

 

 やる事が多くなってきたので、今日から少しずつでも日記を書いておこうと思う────』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────今まで、私に仕えてくれてありがとう。

 

 

 

 それと、ずっとずっと、貴方のことが好きでした。

 

 

 

 元気で居て下さい。

 

 

 

 さようなら。

 

 

 

 Sincerely

 Quinella Centria

 

 

 最後だろう、『人界暦293〜381年』と題された日記が閉じられると、俺は天を仰いでいた。

 

 

 ……やばい、何これ。

 

 

 クィネラ様の可愛らしい失敗から、懺悔のようにごめんなさいで埋め尽くされたトラウマものの文まで、ありとあらゆる経験が綴られていた。

 

 何回泣いたか分からない。俺の涙はとっくに枯れていた。

 時折、あまりの尊さで死にかけもした。

 

 そして、一番最後のこれだ。

 クィネラ様が、計画通りに殺されてしまっていた時に、こんなのを見せられてしまったら、俺は正気では居られなくなっていたかもしれない。

 

 ……でも、良かった。

 

 部屋を出て、寝台に向かうと、クィネラ様は未だに眠られたまま。

 

 大きく息を吐き出して、安堵する。

 

「……つまり、もう両想いでも問題無いってことか」

 

 日記によれば、遺言の告白以外にも、様々な苦悩があったようだ。

 

 クィネラ様に仕える立場だからと明言してこなかったが……ようやく、俺からもはっきりと言葉にして伝えられる。

 

 胸ポケットからペンを取り出し、クィネラ様のデスクの上で、日記の回答を付け足す。

 

「こちらこそ、

 

 お慕いしております、クィネラ様。

 

 貴方様に仕えられて、俺は幸せです。

 

 貴方様を、俺は一生放しません。

 

 そちらで会った時は、覚悟しておいて下さい。

 

 

 クィネラ様の忠実なる執事より…………っと」

 

 

 天にも昇る心地でそう書き記した日記を本棚に戻し、部屋を閉じる。

 

 この想いを伝えられるのなら、俺を縛るものは何も無い。

 

 今なら、何でも出来る……そんな気がした。

 

「目が覚めた時が、楽しみだなぁ……」

 

 でもどうか、この顔がニヤついてる間は、絶対に起きないで下さいね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月2日

 

 

 

 

 死に損ねたっ!!

 

 

 

 

(つづく)

 

 




クリス「いいですか、落ち着いて聞いてください……貴方の日記を読みました」
アドミン「え?」(次回予告)

これから本格的にリアルが忙しくなるので、更新頻度は更に開くと思われ…………この作品、本当に完結するのか。
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