オーシャンタートルに屹立する四角錐状の実験棟は、ライトキューブ・クラスターと耐圧隔壁を中心に、下層のロウワーシャフトと、上層のアッパーシャフトに分けて構成されている。
アッパーシャフトには、主だった設備は無い。一応、居住用の空間もあるが、もしもの為の第二制御室……《サブコン》と、STL四号機、五号機が置かれているだけだった。
謎の部隊による襲撃からおよそ三十分。
ロウワーから避難してきた人々は、アッパーにある多目的ホールへ一挙に集められており、巻き込まれる形で来ていた凛子は、とある人物と意外な再会を果たしていた。
「……もう、研究室を出て以来か、神代君」
「……ご無沙汰しております、先生。あの事件のことは、私も耳にしました。それと、娘さんの事は……」
「分かっている。」
先生──東都工業大学の物理学教授、重村徹大*1。
些かも驚きの色を見せずに、凛子の姿を横目に見る。その姿は、凛子が知る普段の姿とはかなり異なっていて、やるせなさそうにも見えた。
「だが、そうか……君が居ても、何ら不思議はなかった。寧ろ、ここまでの間で見掛けなかった事を疑問に思っていた。それよりも……」
視線をすぐ横にずらして、凛子の右斜め後ろに立っていた明日奈を見つめる。
「君は、あの桐ヶ谷和人君の恋人だったか」
「……はい。結城明日奈です」
話が振られるとは思っていなかった明日奈が、少し惚けつつも名前を言うと、重村は考え込む素振りをして、唐突に尋ねた。
「……私を、恨んではいないのかね」
「……え?」
何を、と明日奈が言いかけようとして、目の前に立つ重村教授の、神代博士の先生という認識が塗り変わった。
オーディナル・スケール。
忘れられない大事件を引き起こした、その犯人こそ、オーグマーを開発した重村教授であり、明日奈はオーグマーによる記憶のスキャニングを受けて、一時期SAO時代の記憶を喪失してしまった被害者の一人だった。
それを思い出した明日奈だったが、少し顔を俯きがちにすると、曖昧に答える。
「……なんて言えばいいのか、自分でもよく分かりません」
複雑な心境だった。OS事件は衝撃的な経験だったが、それを根に持ってはいなかった。キリトに無茶をさせたことや、クライン含めた《風林火山》のメンバーの事を思えば、思うところはある。しかし、逆に言えばそれだけで、こうして面と向かうと、戸惑いの気持ちが大きかった。
「私の教え子の事も知っているだろう。茅場君と、須郷君……そして、アリシゼーション計画に参加している比嘉君も、全て、私の研究室出身だ。元凶とも言える私に、憎悪の一つでも湧くと思うが」
「……それは」
「彼らの……茅場君と須郷君の責任は、私にもある。君が死ねと言うのなら、私は喜んでそうしよう」
「重村先生!?」
凛子が声を上げるが、重村の諦観に満ちた目は、危うい雰囲気を醸している。
「止めてくれるな、神代君。これは私の問題だ」
重村は、食ってかかろうとする凛子を手で制しつつ、明日奈へ歩いていく。
言うまでもないが、明日奈にそのつもりは無い。いきなり、人の命を握ってしまったのかと思うと身がぞっとするが、極めて冷静に答えた。
「重村さん……でしたね。貴方に、先に言っておきます。私は、そんな事は望んでいません。死ぬなんて、それは何の償いにもならないんです……ただ、目の前の事物から逃げているだけで」
「!? わ、私は逃げている訳では……」
明日奈は、コツコツとヒールを鳴らして、首元に掴みかかる勢いで教授に詰め寄った。
「でしたら、重村さん……貴方は、自分と向き合って下さい。死ぬなんて、そんな甘いことは許しません。貴方が本気であの事を悔いているのなら、尚のこと。今一度、自分がここにいる意味を考えて下さい。死ぬ事は、決して罪滅ぼしにはならないんです」
「私の……意味、だと?」
目を瞬かせる重村を強く睨み付けながら、明日奈は、自分が意外とOS事件に対する怒りを募らせていたのだと気付かせられた。
思えば、あんなに憔悴したキリトの姿を見たのはSAO以来で、家に招いた時もあんな姿を見せた時は、驚いたものだったし、不安にさせてしまったことを心底申し訳なく思っていた。
だから、思う所はある。しかし、重村には、SAOで亡くなった娘を生き返らせてやりたいという信念があった事もキリトから聞いていた。
茅場晶彦を未だに恨めていないのも、彼が鉄の城への信念を持っていたからだったのだ。それを聞かされた時、自分でもよく分からない気持ちに襲われたのだ。
だと言うのに、その迷惑を死んで償うなど、あまりに弱気で覇気のない姿を見せられては、募った怒りも噴き出すというもの。
ただの自分勝手な考えではあるが……自分なりの信念を持って、何かを犠牲にしてでも叶えたいものがあったのなら、それに報いる為に、自分にしか出来ないことを考えるべきではないのか。そう思ってしまう。
「……だから、重村ラボの室長として、私達に協力して下さい。キリト君を助けるために」
そうして、明日奈に連れられた重村は、凛子と共にサブコントロールルームに入った。
入ると、先ず比嘉が盛大に驚いたが、明日奈はキリトのフラクトライトの不活性状態に対する解決策を求める為に呼んだと説明すると、比嘉は概況について、重村に判明した事実の限りを伝える。
「つまり、自己の主体が消えてしまったが為に、能動的な行動も取れずに、自分が誰かも分からずにいる、という訳っスね」
「それは、フラクトライトのデータが破損し、人格というソフトウェアが機能しなくなったと考えていいのかね?」
「大体合ってるっスね。この状態でフラクトライトを再度賦活させるのは、厳しいどころか、ほぼ無理でしょう」
と言い切る比嘉に、重村は考える素振り一つ見せずに、比嘉に振り返り、断言する。
「ならば私が考え得る方法は一つだ。桐ヶ谷君を知る人間のデータを集積し、そのデータで彼自身の失われたデータの補填を試みればいい……オーディナル・スケールで、私がそうしたようにな」
「なっ……」
最後にそう付け足したのは、自嘲の現れか。
だが、その案は非常に的を射たもので、実際にそれを行っていた彼の知見に基づかれたものだった。
他人から見たユナというイメージをSAO帰還者からかき集め、それを組み立てれば、完全とまでは行かなくとも、限りなく彼女に近いAIとなっていただろう。
比嘉は、普通では思いもしない視点からの重村の考えに、面を食らいつつも、何かのデータを打ち込んでいく。
「……でも、それなら、可能性はあるのか……?」
主体と客体……自己の人格は、他人や社会の影響あってこそ成り立っている。誰かを真似することで、生き抜く術を身につける。つまり往々にして、自己の中に他人は遍在するものなのだから、主体と客体の関係は人間においては成り立たない……という、高校の現代文でやったような、懐かしき内容を思い出しながら、エンターキーを叩く。
そしてそれは、逆も然り……他人の中に自己の主体が存在しても、何らおかしくないのだ。
「他人のフラクトライトから桐ヶ谷君のイメージを抽出して、それを桐ヶ谷君のフラクトライトに接続すれば……それが、セルフイメージのバックアップとして機能する」
ガバッと顔を上げて、重村の顔を見た。
「し、重村先生……これなら行けるっスよ!! 最低でも三人の、桐ヶ谷くんに近しい人物のフラクトライトをSTLを介して彼のフラクトライトの喪失領域に繋げてやれば、本来のセルフイメージが復活するはずです!」
「そうか……」
興奮気味な比嘉に対して、重村は表情を微かにも揺らがさず、ただメインスクリーン……それに表示された、キリトのフラクトライト活性を示すウィンドウに目を向けていた。
キリトの主体が蘇る可能性を聞き、明日奈も愁眉を開いて、こわばっていた身体が脱力するのを感じた。
そして、隣に立つ重村に振り向いて、頭を下げる。
「重村さん、本当にありがとうございます……!」
「……私は科学的な観点から所見を述べたまでだ。礼など必要無い」
画面から視線を下ろすと、明日奈を一顧だにせず、白衣を翻した。明日奈から見ても、偏屈というより、自罰している様がありありと表れていた。
それは、凛子とて同じ。あまりにも見ていられないほどに、痛々しい姿に変わった恩師。
「重村先生……」
かつての生徒の呼び声に、踵を返す足音が止む。
「……先生。もう、自分を許して下さい。悠那ちゃん*2の事は、私が原因で……本当は、私にも責任があるべきだったんです! 晶彦さんを止められなかったから……そうしたら、先生がOS事件を起こす理由も無かった……!」
全ての発端は、SAO事件。
悠那は、重村が時折ラボに連れてきており、ラボ唯一の女学生である凛子は悠那とも仲が良くなっていた。中学校に上がる姿も、高校生になるとはしゃぐ姿も、目に焼き付いている。妹のようにも思っていたのかもしれない。
しかし全てが終わった時、悠那はとっくに死んでいた。一年も前に、ゲーム内でヒットポイントを全損していた。葬式は親類とラボの生徒二人だけでしめやかに行われ、家の郵便ポストには白い案内状が残されていた。
悠那がSAOにダイブしていた事さえ知らなかったのだ。その衝撃は計り知れないもので、あまりの罪悪感から、あれからラボを訪れた日は一度たりとも無い。
「何故、君が気にする。SAOの事に君の非は無い」
自分を叱るような強い語気だった。眉も顰められ、剣呑な雰囲気になる。悠那を救えなかった自分自身への怒りも内包している風に見えた。
それでも、凛子は反駁した。
「……私にも、晶彦さんにも、先生にも非はあります。だから自分だけ責め立てるのは、もう止めにして下さい……その罪も謗りは、これからも、私たちが受け止めるべきものです」
その事を、彼女が気付かせてくれたから。罰も赦しが無くとも、永遠に罪と向き合わなくてはならない事を教えてくれた。
強く言い返された重村は、無言で凛子を見返した。その目は、大学時代から変わらない、向上心のある負けん気の強い目だ。重村はそれに目を付けて、田舎育ちという彼女にラボ入りを認めた事を思い出す。
「それを言うならボクもっスよ、凛子センパイ」
懐かしい響きが聞こえて、凛子は体ごと振り返る。いつも背筋が微妙に曲がっていた彼も、この時ばかりは、佇まいを正して、凛子や重村と向き合う。
「ボクなんて、無関係を貫き通そうとしたんスよ? SAOには多少でも携わっていたのに、必死で目を逸らして、のうのうとね……」
だから、同罪っスよ、ボクも。と軽い口調ながら、後悔を滲ませた声で、二人の輪に入り込んだ。
「だから、今は精一杯、出来ることをやりましょうよ、重村先生。ボクたちが背負った罪と向き合える、数少ない時分なんスから」
「……君に、そうして丸め込まれるとはな」
「いやいや。でも、囲い込みはしましたけどね。先生を助ける為に」
比嘉がそう言うと、重村は狐につままれたような表情になり、まさかと呟く。
「あの提案は、菊岡君ではなく、比嘉君からだったのか……」
「ええ。言い出したのはボクからっス。先生みたいな人材を、みすみす取りこぼす訳にいかなかったんで。……あとは、まあその、個人的な感情からですかね。そこはほら、ボクらの先生ですから」
小っ恥ずかしさを覚えて、そっと頬を搔く。
比嘉が、事件を知っていてなお自分を慕い、こうして行動に出た……そう思うと、自分の教え子がいかに得難い存在だったのだと自覚させられる。
「……そうか」
言葉が出なかった。受けた言葉の数々が身体の隅々に入っていって、今なら涙の一つでも流せそうだった。
しかし、目の前で強い意志を見せる教え子が二人も居る中、先生である自分が涙を流すのは許されない。眼鏡の奥で堪えると、再度顔を引き締める。
自分がここにいる意味を果たす時なのだと。
「となれば、現状の打開を始めるしかないだろう。比嘉君、凛子君、手伝ってくれたまえ。桐ヶ谷くんのフラクトライトについて幾つか調べたいことがある」
「了解っスよ〜! くーっ、これで勝つる!」
「ふふ……共同作業は久しぶりですね、先生」
ハイテンションになった比嘉と、楽しそうな凛子を連れてデスクに向かう。
それを、菊岡は興味深そうに、明日奈は喜ばしそうに見るのだった。
そして、この数分後。明日奈は、比嘉からのキリト復活の為の手段を聞き、アンダーワールドへダイブした。
何の因果か、アンダーワールドだけでなく、リアルワールドまでも《原作》から乖離し、5分も早く明日奈はSTLに横たわった。その時間は、時が加速するアンダーワールドにおいて何よりも有益で……
「初めまして、アスナちゃん」
「……こちらこそ初めまして。結城明日奈です」
受け応えが出来たのは奇跡にも等しいとさえ思えるほど、どんな芸術にも優る美しさの少女。同性ながら、息を飲んで陶然としてしまいそうになる。
「私は公理教会最高司祭──アドミニストレータよ。よろしくね?」
「あ……はい! よろしくお願いします、アドミニストレータさん」
その隣には、もう一人。アスナがそちらに目を移すと、あまりに場違いなアカデミックドレスじみた服装の女の子が、値踏みするように見ていた。
「ええと、貴方は……」
「申し遅れたな。わしはカーディナル。最高司祭代理じゃ。よろしく頼むぞ、アスナとやら」
「か、カーディナルって……カーディナル・システム……!?」
「む? そうか。お主もわしの同類を知っておったか」
最高司祭、賢者、創世神。
三者三様の、間違いなく最強格の少女達が一堂に会したのは、来たる大戦……《東の大門》の崩壊を目前に控えた日の事だった。
ヌルゲー大戦にはさせません(確固たる意志)